十代目 金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋
石井徹也(著)
/小学館
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いま再評価される十代目馬生の芸と生き様。
端正洒脱な芸風、酒を愛した日常。志ん生を父に、志ん朝を弟とし、江戸の粋を伝えて早世した、昭和の名人、十代目金原亭馬生。生きていたら、志ん生を超える志ん生になったと、いま再評価の声も高まっています。
娘夫婦である池波志乃・中尾彬、弟子たち、寄席の席亭等これまであまり語られることのなかった十代目馬生を、様々な角度から語り尽くす、決定版的評伝です。多くを語らなかった名人の貴重なエッセイ、玄人はだしの絵や川柳も収録。弟子である五街道雲助、十一代目金原亭馬生と著者による、馬生の主要演目鼎談では、十代目馬生の芸の幅広さと粋を体現したその芸風が、細かく分析され、“最後の江戸落語継承者”とも言える端麗な高座が蘇るよう。温厚で上品な人柄を表す写真も巻頭にたっぷり掲載。
また、馬生の亡くなった日の池袋演芸場での立川談志の高座を、その場にいた柳家喬太郎、寺脇研が回想し語った話、そして、当の立川談志が2回のインタビューで重い口を開いた、鋭くも深い「馬生論」は、落語ファン必読。
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この作品のレビュー
平均 4.1 (8件のレビュー)
-
このレビューはネタバレを含みます
十代目金原亭馬生、好きです。面白いです。
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可笑しみのある声。温かみのある語り口。
客を威すでもなく、フラットに笑わせてくれます。
志ん朝さんより好きかもしれません。
そんな馬生のことを知りたい!と思ってましたが、
志ん生、志ん朝に比べて、如何せん、
馬生に関する文献に触れる機会が少なくて、
そんな折に出会ったこの本でした。
馬生のお人柄、芸風、ルーツ、家族・友人関係などを
伺うことができる一冊です。
あの夜。高座で馬生を語った談志。
それを客席で聞いてた人たち。
双方が当時を振り返る構成は面白いし、
家族・友人の思い出話、「おりんさん」と併せると、
多面的に馬生を伺い知ることが出来た気がします。
生まれつき丈夫でなく、その身を役立てようと
志願した兵役検査に不合格。
家族を養うために付いた噺家稼業。
おそらく思い入れの少ない仕事で苦労を重ね、
生きるか死ぬかの戦時中お客に笑いという活力を、
人の役に立つことを実感した馬生こと美濃部清さん。
憧れの職に就いてないけど、毎日仕事をし、
成長していけたらいいなァと思っている小生には、
共感しやすくて尊敬できる人です。
「十代目 金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋」
端正洒脱な芸風、酒を好んだ日常。
志ん生を父に、志ん朝を弟とし−−−
江戸の粋を伝えて早世した、昭和の名人の評伝。
多くを語らなかった馬生のエッセイ、絵や川柳も収録。
◎馬生一門話(昭和40年代)雲助・馬生・朝馬
一時期、「志ん生から離れよう、離れよう」としてました。
それがいつの間にか、また志ん生に戻っていったというか、
「根が志ん生」なんだ。
志ん生を超える志ん生になれた唯一の人
絵心があるから絵で表しちゃう
志ん朝師匠は「これでもか」ってくらい言葉を遣う
うちの師匠は何でも演るから、十八番ネタを選ぶのは難しい
◎席亭から見た金原亭 新宿末廣亭・北村幾夫
高座で淡々と、落語の中で遊んでるような様子が、
たまらなく好きだったんですよ。
「お初徳兵衛」の最後、いつまでも、いつまでも…
って馬生師匠が言うと、高座に、
大川に浮かぶ船が見えたもんね。
うちの高座、船着場だった?ってくらい。
何でもいいんだよ。でも、どうでも良くはないんだよ。
ぞろっぺはいいけど、雑なのはいけねェ
…出来るけど演らないのはいいけど、
演れなくて出来ないってのは困るってのと同じで。
◎父として子として 中尾彬・池波志乃
物心ついて最初のお父さんの記憶は、
着物を着た膝の上に乗っかっている感触です。
私の体がスッポリ入る。
私の視線にあるのはコップのお酒。
膝の上で泣くと、こうやって飲まされた。
色んな意味で男っぽい。ジメジメ、クチュクチュ、
コマゴマしてなかったですね。
かなりのマイホームパパでしたよ。
お休みの日は必ずウチにいました。
日曜日の午前中なんか、「兼高かおる世界の旅」を
見ながら、一緒にコーヒーとサンドイッチ、
と決まってたんです。
「親父(志ん生)さんと同じことはやるまい」と、
「自分が辛かったことは子どもたちにはさせまい」
としてたんでしょうね。
お葬式の当日、志ん朝さんが
「不祝儀の時って、羽織の紐は、どうすんだっけ?
兄ちゃんに訊かないと………アーッ!」
と言ってましたよ。
白くて細くて、手が大きくて、その指が全てを
物語っているんじゃないかなって気がします。
「艶」ですね。
落語はシュールだから。シュールに決めないとダメなんだ。
落語は嘘つかないよ。
あんまり稽古すると、師匠の悪いところ、
悪い癖だけ知らないうちに取る。
良いところだけは何故か取らない。
だからダメだ。あれは不思議だ。
「覚えたい」と思えば思うほど
全部悪いところを取った物真似状態になる。
初孫で珍しいから連れにきて、朝ご飯を一緒に食べてても、
散らかしたりして、私が鬱陶しくなると知らん顔。
あまり、子供が好きじゃなかったみたいなんで(笑)
そう、お祖父ちゃんは子供心に分かるくらい、
ハッキリ飽きちゃうんですよ(笑)。
ウチの冷静なお父さんから聞くと(笑)、
いや、会合か何かがあって、お客さんに飲まされて、
高座でちょっとウトウトっとしただけだ、
そう言うんです。
どちらかといえば、お祖父ちゃんはとても臆病な人でしたし、お父さんも、
普段はこれ以上ないほどだらしなかったけれど、
高座だけはこれ以上ないほど真面目な人だったので、
眠りこけるなんて絶対にありえない、って。
◎馬生一門話(昭和30〜40年代前半)伯楽・今松・駒三
噺は自分で考えなさいって、前座の時から言われた。
圓生師匠んとこは
「あたしのように演らないから出来ない」
って言ったってんだね。
人の芸は見て覚えろ、盗んで覚えろ。
最終的に盗めない奴が馬鹿なんだ。
ふと思ったんだけど、小さん師匠系の教えは技術論なんです。
「酒飲みはこういう形で演れば、酔っ払いらしくなる」
ウチの師匠は本当に酔っ払ってるんだよね。
形は悪いよ。でも本人がいる。
◎金沢の馬生を語る 岡部三郎
芸人らしく、芸人らしからず。
金原亭は噺も好きだったけれど、
人間的に魅力がありました。
清廉潔白というのか、清々しい人でしたね。
別にそんなに男前ではないけれど、清潔感がある。
そういう風に、人の後始末を綺麗にしてくれる、
その人柄に私は惚れ込みましたね。
心の中を私に語ることによって、
ご自分でも納得してらしたんじゃないでしょうか。
そういうときの話し相手として私が合ってたというか
芸人さんってあざといとこがあるじゃないですか。
そういう嫌な面が一つもない芸なんです。
志ん生さんも、金原亭も「〜〜でぇ、〜〜でぇ」って
言ってるだけで全部出来ちゃう。
「それがほんとの芸人だな」と思います。
◎馬生の主要演目鼎談 雲助・馬生・石井徹也
ネタによって、あんなに芸の色合いの違う噺家さんも珍しかったですね。
描写が巧かったね。浮かび上がってくるような。
絵心なんだなァ。
無駄がないんだよ。今の人はやたらと長い。
今、みんなマクラ長いから。
「ああ、こりゃ雑談で終わるんだなァ」と思うと、
そっから本題に入る。「これから演んのかよ!」って。
どの噺にも他の人にないクスグリがあんだよな。
若い頃の聞き覚えで出来ちゃうんじゃないのかね。
それもその場で思いついたんでしょうね。
頭に浮かんだんだろうね。
その日の出来事とか、最近の出来事がパッと入る。
無手勝流だよな。
「セリフで喋っちゃいけない」
っていうのが師匠の考えだから。
その代わり、当たり外れは多いよ。
黒門町は目を掛けてくれたんじゃないの?
「きよちゃん、きよちゃん」ってね。
大体、困る人が得意なんですね。
よく言ってたよな、
「圓朝全集、お父ちゃんに売られちゃった」って。
帰ってきたらない(笑)。
言葉の綾だけで、笑わせようとするからね。
ウチの師匠はそうじゃない。
ギャグを表情で誇張する?
逆。入ってるから、そういう表情になるという。
「向いてない噺」はないんですよ。
どんな噺でも演るから。
志ん生師匠は新橋の小料理屋の女将が彼女で、
年格好から志ん朝師匠と同じ顔をした息子がいるんだって。
同じ時期は似るんですか!
さあ、ここ一番っていうと、兄貴は「愛宕山」を演ってたよ
と志ん朝師匠が言ってましたよ。
兄貴、最近「愛宕山」演らないの?って訊いたら
あれは膝が痛くなっちゃって、疲れちゃってダメだ、
じゃあ、演らないんならオレに教えてよって、
志ん朝師匠、稽古して貰ったんだって。
志ん朝師匠のネタは随分、
ウチの師匠から出てるのがあるみたい。
志ん生師匠は教えるたびに噺が変わっちゃうんで、
その日のうちにウチの師匠に教わり直したんだって。
盆暮れの挨拶とか一、二軒しか行ってなかった。
ウチのお父ちゃん、ヨイショ嫌いだからねって言ってた。
酒飲んで酔っ払うと、自分の話しかしない。
それもおんなじ話を(笑)。
根本は気持ちの優しい人ですよ。寛容ではあったよね。
芸論を好んで戦わせなかったよね。
結局、「何でもいいんだよ」になっちゃう。
それは生き方に通じてるね。
名はなしたいけれど、
具体的にどうなりたいはなかったんじゃないかなァ。
戦中戦後、食うための手段として、親父は当てにならないし、
仕方なく演ってたようなとこがあったんじゃないかなァ。
最初、なりたくて噺家になったんじゃないと思うよ。
本当の苦労してるから肝っ玉座っちゃってるとこがあんだよね。
東京の噺家さんの一つの典型であり、雛形であり、
原型みたいなとこがあったのかな。
新宿末廣亭の北村社長が
もっと長生きしていたら志ん生を超えたでしょう
と仰っていましたが。
超えたでしょう。
志ん生を超えた志ん生になった。
◎あの夜の料簡 立川談志
友人と寄席に通っていた頃、馬生師匠を高座で見て、
オレは「これ志ん生の倅だよ」と言ったように、
その雰囲気は分かった。
世間で言う「おとなしい人」で、
大声を発して怒ったなんてのは聞いたことがない。
落語家らしくない。
兄貴分にもならない。
だからといって、悪口・陰口は言われなかった。
志ん生が帰ってこなくても馬生師匠は
「いい芸人」になったと思うんだ。
志ん生から離れよう離れようとしてたみたいですね。
志ん生師匠は馬生師匠を可愛がっていたと思うけれど、
表面には出さない。
系統としては圓生師匠と同じで、
馬生の天下が来るんだろうと私は思ってましたよ。
小さん師匠の後、会長になって、という具合にね。
小さん師匠の世代からオレや志ん朝の世代の間に、
たった一人いたのが馬生師匠でしょう。
馬生師匠が自分の高座に自信を持つようになったのは
三木助、文楽、志ん生とみんないなくなって、
気障に思いを馳せれば
オレが演らなければ誰が演るんだ、みたいな、
責任感というか自負があったと思うな。
「大器晩成型」というか、
見事に馬生の花が咲く時に逝っちゃったと、
そういうことでしょう。
今見て、馬生師匠は「ダメだったのか?」と言われたら
オレ、「悪い」と言わない。
まわりが「やれ親父の威光がこうでどうのこうの」
と言っても、「いい」と。
−馬生師匠が亡くなった日、池袋演芸場の主任高座で、
どうして噺をしなかったのですか?
「今日はとにかく落語を演りたくないんです」
と言ったということだけど、
「慟哭を何処かで相手に教えてやろう」という、
気障な料簡がオレにあったのかもしれないね。
「どうだ、オレほど金原亭馬生を分解出来る奴が何処にいる」
みたいな料簡も些かあったのかもしれません。
◎昭和五十七年九月十三日の池袋演芸場
〜回想 石井徹也〜
客席がドッと受けると、談志師匠はふいにこう言った。
「馬生師匠が死んで」
客席で小さく「エッ?」と声がしたのを聞いて
談志師匠は続けて言った。
「………エ〜、金原亭馬生が死んだ」
酒飲んで長生きしたの(志ん生師匠)を
目の前で見てるだけに始末が悪いなァ。
志ん朝に言ったら「何を言っても兄貴は聞かねェよ。」
ガキの頃、好きでした、綺麗だった。
舞台がザーキー(気障)だったけど、本当に綺麗だった。
あたしが十代、十二、三歳でまだ客の頃、
初めて見て友達に「あれ、志ん生の倅だよ」と言った。
どういう訳か、直感で分かった。
顔つきと口調でしょうね。
「絶対、馬生ってのは志ん生の倅だよ」と言い切った。
談志師匠は客席のテンションを盛り返すように調子を張ると、話題を繋いで、最後に「今、落語を演りたくないんです」と強く言うと、四十分強の主任高座を終えた。
噺に入らずハネてしまったのは珍しいことだった。
十代目金原亭馬生がまさかこんなに早く亡くなるとは、誰もが思ってもみなかったのである。
〜柳家喬太郎インタヴュー〜
あの日、観客として偶然客席にいた、
若き日の柳家喬太郎師匠は……
そして主任の談志師匠が、僕の印象ではまさに
開口一番という感じで、「金原亭馬生が死んで」と
言われて客席がどよめいたのを覚えています。
あとは談志師匠の語りに引き込まれるというか、
物凄く高濃度の高座を聞いた、その満足感は凄くありました。
「志ん朝師匠が志ん生になる」と世間的になっていたけれど、雰囲気というか、語り口でいうと「志ん生は馬生」ですよね。
ふとした時に一落語ファンとしてやたらと、
「金原亭馬生が生きてればなァ、聞きたかったなァ」
と思いましたね。
ギャグなんかをポーンと入れて、違和感なくガーンと受けて、噺にスッと戻れたのは馬生師匠と桂文朝師匠ですかね。
先代馬生師匠は「ホール落語の重鎮」でもあったでしょうけど、「寄席の落語家」だったんじゃないでしょうか。
〜対談 寺脇研・石井徹也〜
石井さんの仰るとおりなんです。
「寄席は泣くとこじゃない」、おお、
なかなかいいこと言ってるなと思ったけど(笑)。
純真な若者にそういう言葉を投げつけるとは嫌な奴だ(笑)。
談志師匠自身、落語会では異端児だった。
馬生師匠もある意味、特別な存在だったでしょ。
それにシンパシーはあったのかもしれないね。
「どうやったって志ん生の息子なんだから」と
どこかで達観したんだろうね。達観しちゃってからは、
自分の中にある志ん生がホワホワホワホワっと出てきて、
とてもじゃないけど、他の師匠には真似が出来ません、
という芸になっちゃった。
談志師匠や志ん朝師匠には、志ん生・文楽・圓生・小さんという目標があった。それプラス「落語家からアーティストへ」みたいな意識もあったでしょ。
それに比べて、寄席で普通に噺をして、
高座の前後にビールを飲んでいる馬生師匠に対して
「何になろうと思ったんだろうか」という疑問が出たのは談志師匠らしい言葉だなァと思った。
お弟子さんの雲助師匠からは「ウチの師匠は何にもなる気はなかったんだと思う」という言葉があったのね。
「落語家であればいいんだ」と。
昔は落語家って馬生師匠みたいな人たちだったんじゃないの。志ん生師匠だって志ん生になろうと思って落語を演ってた訳じゃない。
(人名やら方法なんざ)何でもいいんだよ。
でも、(人の心は)どうでも良くはないんだよ。
馬生師匠はオールドスタイルの落語家で、
談志師匠たちはヌーヴェル・ヴァーグみたいなものでしょう。
でも、談志師匠は、実はオールドスタイルの部分に憧れている人じゃないですか。
馬生師匠が噺家として偉大な人であることは
談志師匠も認めているのだから、
メモリアルとして人柄を語ったのは一つの事件。
ある種の決別というか、「送る言葉」ですね。
古い世代の噺家がまた一人、去っていった。
だから自分たちが新しい時代を創らなきゃならない
という自負心もあったでしょう。
日本の芸事ってのは結局、「その人を見る」ことじゃないですか。
馬生師匠は楽な気分で聞ける人だったね。
語りに柔らかい感じがするのが特別好きだった。
志ん朝師匠の華麗な勢いと対象的にゆるりと流れるのがね。
落語は前近代のものだから、近代が行き詰まって、
こんな状況になってくると、みんなが惹かれるのは当然だ。
今風に言うと「癒し」になるんだね。
馬生師匠の場合、時代の影響を受けていない人が
そこにいて、なんか演ってる訳でね。
普通の生活をしていると遭遇出来ない考え方や生き方に馬生師匠の落語を聞いていると出会える。
それが凄い魅力的なんで。
◎終わりに 十代目金原亭馬生 自筆エッセイ・川柳
○扇子まんだら(「新潟日報」掲載エッセイ)
「エー、お客様、空襲でございますので…」
と、わたしははなしを止め、おじぎをして、
高座をおりようといたしますと、客の一人が、
「オイ、かまわねえから、続けてやんなよ」
っておっしゃる。こっちの方がかまいますよ。
いくら高座がはなし家の戦場だからって、
空襲でおっちんじゃうのはイヤですからね。
ところが、その「続けてやれ」って声に、
ほかのお客さんがみんな同調してしまいましてね。
「そうだ、そうだ、焼い弾はどこに落ちるかわからない、
が、ここに落ちたら一蓮托生だ。師匠、続けてやってくれ」
と、あちこちから声がかかります。
いやはや、ありかたいような、ありがたくないような
ちょっと変な気持ちでしたが、「それでは…」と、
わたしは座り直し、話の続きを演り出しました。
「ところで、八つぁんの前だが、この羊カンはうまいよ…」
なんて言ってるうちに、バリバリバリ…
近間に焼い弾の落ちる音です。
わたしは気が気じゃありません。シリはムズムズ、
いつでも逃げ出せる心の準備をしながら、
はなし続けました。
そのうちに、爆音も焼い弾の音もなくなりました。
やれうれしやと、はなしのサゲをつけまして、
わたしは頭を下げ、そこそこに高座をおりようとしました。
そのときです。
いつにない猛烈な拍手がわき起こったのです。
さっと一人のお客さんが立ち上がり、
「師匠、こわかったろ!」
と声をかけてくださった。
私の目とそのお客さんの目がピッタリ合った。
思わず「ヘエ」と、わたしが泣き笑いの返事をしますと、客席がどっと笑いにつつまれました。
わたしのつたない芸が、こんなにもお客の心を打ったことはなかった、と今も思います。
まだ十代−おふくろや姉弟をかかえ、
貧乏の海をアップアップ泳いでるようなもんでした。
消息が途絶えちまったおやじが心配で、心細いったらありゃあしません。
落語家なんかやめちまおうかなんて思ったりしたもんです。
もうだめか、と思っていたおやじが、敗戦の翌々年、
正月末に一年八ヶ月ぶりでひょっこり帰ってきたじゃありませんか。
ナニがうれしいったって、生涯でこんなにうれしかったこたあ、ありませんでした。
わたしは、この時、十九歳でしたが、わたしの戦争は、この時にやっとケリがついたように思います。
それからは、親子として高座に上がるようになりました。
おやじは「落語は心だ」ってぇことを、いつも言っておりました。
サンマは目黒で、落語はナマに限ります。
ナマはとにかく面白いです。
その日の体の調子で出来・不出来はありますが、
同じはなしでも、お客様しだいですばらしい出来になるんでして。
機会がありましたら、落語はぜひ、ナマでお聞きください。
○川柳鹿連会の馬生の句
安物に師走の風がしみ通り
何となく流し眼でみる癖があり
鍋の中 話とぎれてネギを入れ
人混みを抜けると熊手重くなり
刀折れ矢つきてこゝに大晦日
湯豆腐の湯気に心の帯がとけ投稿日:2022.11.14
馬生の落語がなぜよいのか。現存する音源と映像からわかること以外に補いたく、読んでみた。志ん生の長男としての多くの苦労と、江戸の芸人気質を持っていたこと。志ん生・小さん世代と志ん朝・談志世代の中間に位置…すること。早逝した馬生が長生きすれば、現在の落語地図が大きく変わったであろうこと。などが関係者の証言からわかる。談志と喬太郎のインタビューが印象的。続きを読む
投稿日:2017.12.28
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