光まで5分
桜木紫乃(著)
/光文社文庫
この作品のレビュー
平均 3.4 (11件のレビュー)
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『「北海道から離れてごらん」と言われてとり組んでみたんです』と語る桜木紫乃さん。
作家さんにはそれぞれの個性があります。数多の作家さんの中から自分の好きな作家さんが生まれるのは、その作家さんの個性…に読者が惹かれるからだと思います。私は”女性作家さんの小説を読む”と決めて読書&レビューを続けてきました。2年半ほどで女性作家さん40人超、500冊以上の小説を読んでレビューを書いてきましたが、今でも初めての作家さんの作品を読む時は緊張感が漂います。しかし、作風も分からない中での読書は一方で新しい島に上陸して探検をするようなそんな面白さもあります。私は同じ作家さんの小説を必ず三冊連続で読むようにしています。一冊だけでは当たり外れもあるでしょうし、その作家さんを理解するには三冊を連続して読むという行為がその作家さんへの理解を深めるものだとも思っています。そして、次にまたその作家さんの作品を読もうとする時、頭の中には自然と読むことになる作品のイメージが出来上がってもきます。三浦しをんさんと言えば生真面目さの中にエッセイの強烈世界が顔を出す世界観があり、西加奈子さんと言えば大阪弁と共に生きる力強い人の生き様を感じさせる世界観があり、そして青山美智子さんと言えば”起点・きっかけ”の大切さを感じさせる世界観の物語がそれぞれ頭に思い浮かびます。この個性こそがそれぞれの作家さんに根強いファンを結びつけているものなのだと思います。
さて、そんな作家さんの中でも作品の舞台が作家さんと切っても切れないくらいに強く結びついた方がいます。それが桜木紫乃さんです。『ひとつ、ふたつ。入り江に氷塊が入ってくる』とデビュー作「氷平線」で描き始められた北国の世界は、次作の「風葬」でも『線路から二十メートルほど向こうに舞い降りたのは丹頂鶴だ』と、その舞台をあちこちに移しながらも北海道にこだわった情景描写を続けられています。作品を変えても北海道を執拗なまでに描いていくその様は、”桜木紫乃さん=北海道”を強く印象付け、やがて読者の側にも読む前から北海道の風景がそこに登場することを期待してもしまいます。私も桜木さんの小説群にはすっかり魅了されてきました。しかし、そんな桜木さんに一つの転機が訪れます。
『北海道から離れてごらん』。
そんな風に言われたことをきっかけに、ついにその作品の舞台が北海道から離れます。そう、そんなひと言で生まれたのが「光まで5分」というこの作品。『ここでは、太陽の下にいるとくっきりとした影ができる』という北国にはない強い日差しを感じさせる描写が登場するこの作品。それは、桜木さんが初めて挑戦された南国・沖縄を舞台とした物語です。
『台風が三つ、沖縄本島を逸れた』というニュースを聞いて、生まれ育った北海道の『街で母親がいまどうしているのかも、捨てて二十年のあいだ考えたことがな』いと思うのは主人公のツキヨ。そんなツキヨは『明け方まで続いた小路の喧噪』が去った『昼どきの「竜宮城」』で『昨日からうずき始めた下の奥歯』の痛みを堪えていました。そこに『ツキヨ、ちょっと頼む』とママの声がし、『色黒のずんぐりとした五十男』が客として現れます。『歳は?」と訊かれ『二十五』と返すツキヨに『明け方に若い女とやりそびれて、こいつが黙らなくて』という男に『ただでやろうとするからだよ』と返すツキヨは『奥歯が痛いから口は勘弁して』と伝えると『黙らないという茎』に手を伸ばします。そして、『十五分の仕事を終え』たツキヨは歯の痛みの話をします。すると男は『国際通りから小路に入って、少し奥』に『闇医者』の『ブラック・ジャック』の存在を匂わせ店を後にしました。『噂を聞きつけた者だけが潜り込める「竜宮城」』で『住み込みで働いている』ツキヨ。そして、ツキヨはママに『お見舞いちょうだい』と言って『さっきの客の儲けを吐き出させ』ると国際通りへと向かいます。『りんりん堂』という飯屋の『パパさん』からさらに情報を得たツキヨは、『赤いドアの、ちっちゃいバーだ』と言われた店へと入りました。しかし、『歯医者だと聞いてやってきたのに、ここはタトゥーハウス』だったという目の前の光景に『ここに歯医者がいるって聞いてきた』と白いTシャツの男に言います。さらに『ブラック・ジャックがいるって聞いたの』、『歯医者って、デマなの?』と訊くツキヨに『デマじゃないよ、万次郎先生は本物の歯医者さん』と施術を受けていた青年が答えます。そして、万次郎と呼ばれた男は『歯がどうかしたのか』、『ここに寝て』と次々にツキヨに指示を出し、『こんな汚い歯、よく口の中に入れておいたもんだ』と施術を終えました。『ヒロキ、一本』と巻き煙草を青年からもらった万次郎は、『薬局で痛み止めと化膿止めを買って、それを飲んで』とツキヨに伝え、メモを渡します。そして、薬を買って『竜宮城』へと辿り着いたツキヨに『今日はゆっくり休みなさい』と言うママ。『一週間単位で「お商売」をしてゆく子』や『長期休暇のあいだだけのバイト』という子など『入れ替わりの激しい女の子たち』が働く『竜宮城』。そんな中で『戻るところがなくなって居着く』『ツキヨのような女はママにとってはあまりありがたくない』のだろうと感じてもいるツキヨ。そして、翌日再び万次郎の元を訪れ『昨日よりいいみたい』と言うツキヨがたまたま出会った万次郎とヒロキという二人の男性との関わりを深めていく先に『光は、どこだ』という人生の選択を見る物語が始まりました。
全10章から構成された「光まで5分」というこの作品。『台風が三つ、沖縄本島を逸れた』と始まる冒頭を読むと、これって桜木紫乃さんの作品なの?という思いに一瞬囚われます。釧路生まれの桜木紫乃さんの作品というと、デビュー作の「氷平線」にも代表されるように北海道の風景を色濃く作品中に取り込んで文字の上に北国の情景をふっと浮かび上がらせるような描写が何よりもの魅力です。しかし一方で、どの作品も北海道ばかりだと、またか…という思いが湧くのも実際のところだと思います。そんな桜木さんは、同じく作家の花村萬月さんにこんなことを言われたとおっしゃいます。『桜木、お前ちょっと北海道以外の場所を舞台に書いてみなよ。人間、前向きな失敗も必要だと思うよ。楽になるはずだから。沖縄なんかいいんじゃない?』北海道の申し子のような桜木さんに沖縄というのはなんとも極端な発想だと思いますが、そんな花村さんのアドバイスに従って出来上がったのがこの作品ということになります。そんなこの作品には『エンジンを切ると、船がゆっくりと漂い始めた。縞模様や蛍光色、玉虫色の魚がガラスの下を通り過ぎてゆく。南国の魚の彩りの良さは、ここに住む人間には珍しくもなんともない』といういかにも沖縄の風景が思い浮かぶような表現が登場します。これが他の作家さんの作品なら恐らく何も感じないのかもしれませんが、あの桜木さんが書いているということを思えば思うほどに希少感の高まりに読者の好奇心が刺激もされます。しかし、私がこの作品から感じたのは、”沖縄なのに沖縄じゃない、どこかいつもの北国の空気感が漂っている”、ということでした。この違和感は、桜木さんの次の言葉からも裏付けられます。『書き始めて驚いたのは、わたしには暑さを表現する語彙が極端に少ないということだった。沖縄を書いているはずなのに、どこか肌寒い』。本文中には『北の島と南の島は、空から落ちてくる雨の粒も違えば、海の色も獲れる魚も、人も砂もなにもかもが違う』といったように北国と南国を対比させるような表現も多々登場しますが、そんな風に北国を意識すればするほどに沖縄が沖縄になりきれないようにも感じてしまいます。この辺り、あくまで感覚の問題なのかもしれませんが、この作品には桜木さんならではの沖縄の光景がそこにまず広がっている、こんな風に感じました。しかし、これは決してマイナスな意味ではありません。桜木紫乃さんという作家さんの世界観がまずそこに存在するという意味でとても貴重だと思いました。
そして、もう一つの魅力はいつもにも増して詩的な表現が頻出することでしょうか。『暮れ惑う折り紙みたいな空へと視線を移した』、『さびれているというのとは少し違った。呼吸の痕が残っている。まるでするりと人影だけをどこかへ移した景色だ』、そして『寄せては返し、返しては寄せて ー ツキヨの内側へとなだれ込んだ悲しみは瞼の裏でヒロキの瞳の色に変わった』といったように、本文中のそこかしこに見られる詩的な表現は、相変わらず鮮やかにそれぞれの場面を美しく彩っていきます。しかし一方で、こうやって抜き出してみてもやはり沖縄の風景がそこに浮かび上がらないことにも気づきます。とても魅力的な表現ではありますが、こういったところにも上記した桜木さんならではの沖縄をこの作品に感じさせるところなのかもしれません。
そんなこの作品は、北国で生まれ、『十五の年から暖かいところへ南へと流れて』、『道ばたで寝転がっていても死なない土地、と思ったことが、ツキヨがこの島に居着く理由になった』と沖縄で暮らすようになったツキヨが主人公として描かれています。そんなツキヨは『金がなければ体で払い、払いきれないときは逃げるというのが、ツキヨの生きる方法だった』と、那覇の路地裏にある『竜宮城』という店で体を売って生きています。客には『二十五』と説明するも、実際には『三十八』になっているツキヨは、『何が嬉しくて何が悲しいことなのか忘れたころ「竜宮城」のママに拾わ』れたと認識してもいます。桜木さんの小説には女性主人公が多々登場しますが、彼女たちはどこかそこに影を色濃く感じさせる存在でもあります。この作品の主人公のツキヨも幼い頃に『ふたりの遊びは義父の「おねがい」から始まった』というまさかの児童虐待を繰り返す義父の存在が語られます。そんな『娘のツキヨが夫と秘密の遊びをしていることに気づいても知らぬふりを通した』という母親の元で育ち、義父の死後家を出て今を生きるツキヨ。そんなツキヨが元歯科医という万次郎と、青い目をしたヒロキと出会い、生活を共にする様が描かれていきます。しかし、三者三様に垣間見える色濃い影は三人が集まることによってさらに色濃くもなっていきます。そんな三人の生活には希望や光というものは全く見えません。全員が全員その日を生きること、日々生きることを”こなしている”ようにしか見えません。未来や希望、さらには幸福といった言葉から縁遠い世界をただただ生きる三人の登場人物たち。しかし、そんな三人を描いているにも関わらず、読み終えて感じるのは単に悲壮感に包まれる物語ではなく、どこかそれでもわずかに光が差すのを感じる物語です。この物語の中でツキヨの境遇に大きな変化が訪れるわけではありません。しかし、彼女の感覚のほんの僅かな変化、人との関わりの中で得られたほんの少しの感情の安らぎ、それが絶望しかなかったツキヨの人生に小さな灯火が灯るのを感じさせてくれるのだと思いました。そしてまた、この作品の舞台が沖縄であることも、この感覚に影響を与えていると思います。凍てつくような北国の感覚ではなく、どんよりとはしていてもどこか湿り気のある、南国の雰囲気を纏った物語が、決して沈むことのない独特な読後感を生むのかなとも感じました。
『光まで、五分かな』というヒロキの言葉が書名の元になったと思われるこの作品。その言葉に暗示される『光』とは、あるものによって作り出された『光』を直接的には差すものです。決して本当の『光』でもなければ、その意味合いを考えると闇の世界を思わせるものでさえあります。そんなこの作品では、『光』を求めて彷徨い続けるツキヨの人生が描かれていました。『答え』のない人生を、それでも生きる他ないツキヨ。しかし、それはツキヨも私たちも同じことだと思います。私たちの誰もが『答え』を見つけられない人生を生きています。その人生の中で何を幸せと感じるのか、何を生きがいと感じるのか、そして何に『光』を感じるのか、それは人それぞれです。「光まで5分」というこの作品、それは短いようで長い人生の中に、人生の『答え』を見つけ出そうとする人間がもがき苦しむ様を感じさせるものかもしれない、そんな風に感じたとても桜木さんらしい作品でした。続きを読む投稿日:2022.04.13
桜木ワールドの作品である。裏の世界、落ちぶれた人間の世界を描く作家と言ったら、桜木氏という感じの作品だ。どんな世界にも、そしてどんな人にも、その人なりの救いはある。
投稿日:2023.10.20
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