山女日記
湊かなえ(著)
/幻冬舎文庫
作品情報
こんなはずでなかった結婚。捨て去れない華やいだ過去。拭いきれない姉への劣等感。夫から切り出された別離。いつの間にか心が離れた恋人。・・・・・・真面目に、正直に、懸命に生きてきた。なのに、なぜ? 誰にも言えない思いを抱え、山を登る彼女たちは、やがて自分なりの小さな光を見いだしていく。新しい景色が背中を押してくれる、感動の連作長篇。
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商品情報
- シリーズ
- 山女日記
- 著者
- 湊かなえ
- 出版社
- 幻冬舎
- 掲載誌・レーベル
- 幻冬舎文庫
- 書籍発売日
- 2021.11.11
- Reader Store発売日
- 2021.11.11
- ファイルサイズ
- 2.6MB
- シリーズ情報
- 既刊2巻
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この作品のレビュー
平均 3.8 (284件のレビュー)
-
あなたは『山ガール』と呼ばれたことがありますか?
国土の約75%を占めると言われる『山』。全国各地、どこに出かけても私たちが『山』を見ないことはありません。圧倒的な広さを誇る関東平野にあってさえ遠く…に富士山をはじめとした山々の姿を見ることができます。
では、この国にはいったい幾つの山があるのでしょうか?「日本山名総覧」という書籍によると、国内の山の総数はなんと16,667もあるのだそうです。都道府県平均で354にもなるという『山』の数。私たち日本人の暮らしには『山』は切っても切れないものなのだと思います。
そして、”人は、なぜ山に登るのか?”と言われる通り、そこに『山』がある限り、そんな『山』の頂へと登ってみたいと思う人は後をたちません。昨今の『登山ブーム』によって『山』へとさらに多くの人たちが向かうようにもなりました。それは、年齢、性別に関係はありません。『山』に登りたいと思う人に条件などないからです。それは、『若い女性』にも言えることです。2009年頃から使われ出した『山ガール』という言葉。『山ガールが集うウェブサイト』も隆盛を極めるなど『山』へ向かう『若い女性』は増え続けているようです。
さて、ここに、そんな『山ガール』たちが『山』へ向かう姿を取り上げた物語があります。八つの短編、八人の女性たちがそれぞれの理由で、それぞれの『山』へと歩みを進める姿を描くこの作品。そんな女性たちが『山』を登る中に、己と向き合っていく姿を描くこの作品。そしてそれは、そんな『山』と向き合う時間のその先に、本来の輝きを取り戻していく女性たちの姿を見る物語です。
『午後一一時、新宿駅バスターミナルに集合。ここから夜行バスで長野駅に向かう…まだ、誰も来ていない。いつものことだ』と思うのは主人公の江藤律子。『数メートル先にいるおばさんたちのグループ』を見て『あの人たちも山に向かうのだろう。「山ガール」とは言えそうにないけれど』と思う江藤。しかし『さ来月には三〇歳になるわたしも、他人のことは言えた立場ではなない』と思いもする江藤は、『今回の登山のために、リュックも靴も…全部新品、有名メーカーのもので揃え』ました。勤務先の『丸福デパート、初夏の催しは「アウトドアフェア」』という中に『ダナーの登山靴に』『うっかりひと目ぼれしてしまった江藤は、『登山靴であるということを深く考えないまま、買うことを決め』ました。そんな中に、『江藤さんも登山するの?』と『一つ年上の牧野しのぶ』に声をかけられ、登山が趣味という牧野にさまざまに指南を受け、『同じフロアの同期三人で山に行くことにな』ります。『せっかくなら「日本百名山」に行きたい』という江藤の希望もあって『新潟県にある「妙高山」と「火打山」を続けて登る、縦走』をすることになった三人。そして、決まった予定の一方で『山に登って価値観が変わるのだとしたら、それに結論を委ねてみたい』と江藤は『結婚をするか否か』というその思いを胸にする中に『同じデパートに勤務している』婚約中の野村堅太郎と彼の田舎へ挨拶に行った時のことを振り返ります。温かく江藤を迎えてくれた彼の両親に安堵する中、『二階をね、リフォームしようと思うの』と母親が語り出し『作り笑い』をしてその場をやり過ごした江藤は、『帰りの新幹線』で堅太郎を問い詰めます。『いずれは、帰ろうかな、って思ってる』と語る堅太郎に『それって、詐欺じゃん』と詰め寄る江藤。そんな江藤に、堅太郎は『俺、長男だし…何か、間違ってるかな』と語ります。『山に登ったくらいで、人生の決断を下すことができるのだろうか』と思う一方で、『人生は長い。結婚相手は堅太郎でなくてもいいはずだ』とも思う江藤。そこに、『おまたせ、りっちゃん』と芝田由美が『売り場に立つのと同じメイク』、『普通の運動靴』で現れました。『完全に山を舐めている』と思う江藤は、『どうして、舞子は由美なんか誘ったのだろう』と思います。しかし『あとは、舞子か』と見回す江藤に『舞ちゃん、行けなくなったんだって…熱が出たみたい』と、由美がケータイを見せてきます。『なんで、わたしには連絡してこないんだろう』と言うと、『りっちゃんに怒られるからじゃない?』と返す由美。『文句の一つは返すだろうけど、それを由美に言われるのは癪にさわる』と思う江藤は、由美のことを『あんたはわたしが最も軽蔑するようなことをしている人間』だと思います。そして『このままこの場で解散しようか』と迷いますが、『山小屋の予約も入れているし…』という現状を踏まえ、『じゃあ、行こっか』と由美に声をかけ、バスへと乗り込みます。『ダナーの靴を履くために山に登る。それでいいではないか』と思い直す江藤。そんな江藤が由美と登る『妙高山』への『登山』の中で『ゴール』という言葉の意味を考えていく物語が始まりました…という最初の短編〈妙高山〉。登山の雰囲気感満載の物語の中に、江藤のこれまでとこれからの人生を浮かび上がらせる好編でした。
“真面目に、正直に、懸命に生きてきた。なのに、なぜ?誰にも言えない思いを抱え、山を登る彼女たちは、やがて自分なりの小さな光を見いだしていく。新しい景色が背中を押してくれる、感動の連作長篇”と内容紹介にうたわれるこの作品。2014年に単行本として刊行されたものに、山と渓谷社が発行している登山専門誌「山と渓谷」に掲載された短編を追加した構成となっています。「山女日記」という書名に「山と渓谷」という専門書の登場となるこの作品はもう直球ど真ん中の登山小説です。”人は、なぜ山に登るのか?”といった哲学的な言い方をされることもある通り、『登山』は単なるスポーツや趣味という次元を超えて何かしら人を惹きつけるものがあるように思います。中高年を中心とした登山ブーム、そして『山ガール』といった言葉の登場もあって、社会的にも独自の立ち位置を得ているようにも思える『登山』。〈妙高山〉、〈火打山〉、そして〈槍ヶ岳〉…といった『山』の名前を短編タイトルに冠した八つの短編が連作短編を構成するこの作品では、『登山』をする女性主人公たちがそれぞれの短編に主人公として登場し、『山』へと向かう姿が描かれていきます。私もかつて『山』へと向かった過去があります。『登山』と書かないのはそんな大それた『山』に登る前にさまざまな事情から足を遠ざけざるを得なかった過去があるからですが、そんな私でも冒頭から気持ちが昂ってくるのを抑えられなくなるくらいに、この作品は『山』の魅力に満ち溢れています。
そんな作品の魅力はどこからどうご紹介して良いものやらかなり迷いますが、やはり『登山』という側面を外して先に行くわけにはまいりません。”大学生のときにサイクリング同好会の仲間と山に登るようになって、社会人になってもしばらく一緒に登っていた”とおっしゃる湊かなえさん。そんな湊さんは、結婚を機に『山』を離れたものの、『山』への思いが捨てられない中に”幻冬舎の編集さんが「一緒に登りましょう」”と声をかけてくれたことをきっかけに再び『山』へと向かい、この作品執筆へと至ったことをインタビューで話されています。八つの短編には、主人公たちが『山』へ向かう姿が記され、リアルな『山』が語られていきます。では、四つ目の短編〈利尻山〉からそんな『山』へ向かう主人公たちの姿を見てみましょう。
・『登山口までは十五分。その間に、朝食用のおにぎりを食べておかなければならない。かぶりつくと、ひと口目から昆布の歯ごたえを十分に感じた。さすが利尻昆布の産地だ』。
→ 『利尻山』に登られた方はそうはいないと思いますが、一方で高級食材で有名な『利尻昆布』は誰もが知るところです。縁のないはずの土地がこの表現で一気に身近に感じられます。
↓
・『利尻山の標高は一七二一メートル。利尻富士とも呼ばれる、均整のとれた美しい姿をしているのに、今は厚い雲に覆われて、山頂どころかすそ野までその姿を隠している』。
→ この短編で『登山』することになる姉妹は家族の『イベントでは必ず雨が降る』という『ジンクス』を抱えています。これをどう作品に絡めていくのか、このあたりにも期待が湧きます。
↓
・『利尻山の登山コースは二種類、上級者向けの沓形コースと中級者向けの鴛泊コースがある。車は鴛泊コースの登山口、北麓野営場に到着した。雨はやや小ぶりになったように感じるけれど、他の登山客の姿はない』。
→ 一般者向けの小説として書くなら『上級者向け』、『中級者向け』という記述まではいらないと思いますが、『山』を愛する方の読書を意図する湊さんの細やかさをこんなところにも感じます。
↓
・『登山口が二合目というのはどうなのだろう。富士山だって五合目まで車で行けるのに。標高二一〇メートル。あと、約一五〇〇メートルを日帰りで登り下りしなければならないとは』
→ ハイキングとは違う『登山』を強く感じさせる表現だと思います。上記した通り『厚い雲に覆われて』という山行にさらに不安を掻き立てます。
↓
・『水場があり、姉はそこで靴裏をごしごしとこすりつけて洗い出した…外来種を山に持ち込まないためだ。他にも、利尻山にはここ特有のルールがある。1、携帯トイレを使う。2、ストックにキャップをつける。3、植物の上に座らない、踏み込まない』
→ これは、『利尻山』へ実際に訪れたからこそのリアルな表現だと思います。大自然と共存する中の『登山』を感じさせます。
↓
・『森林限界を超えているので、白いガス以外に視界を遮るものはない。道もごろごろとした岩が階段状になった登りやすそうなものになっている…晴れていたら、どんなにすがすがしい景色が広がっていたことか』。
→ 高度が上がってきたことを『森林限界』という言葉で表す湊さん。一方で、『必ず雨が降る』という家族の『ジンクス』を背負いながらの『登山』は、なかなか美しく晴れ渡った清々しい景色を見せてはくれません。この先、どんな行程が待ち受けているのか、これから読まれる方には主人公の『登山』の行く末に是非期待いただきたいと思います。
そんなこの作品では、上記した三つの山と〈利尻山〉の他にも〈白馬岳〉、〈金時山〉と国内の山々を舞台にした物語が描かれていきますが、アクセントとして海外の山がひとつだけ登場します。それがニュージーランドにある〈トンガリロ〉です。『ウェリントンから乗った長距離バスは、終点のロトルアまで二時間以上も残したところで、私と吉田くんの二人だけになってしまった』、と始まる物語は、読者にえっ?という思いを抱かせます。『登山』がお好きという方でも、海外の『山』に登られた方はグッと数が少なくなるのではないかと思います。国内の『山』とはまた違う、現地の人たちも登場する中に国際色を感じる物語、海外の『山』が描かれるこの短編にも是非ご期待ください。
しかし、人が『山』へと向かう姿をリアルに取り上げたこの作品は、決して『登山』のガイドブックというわけではありません。あくまで湊さんの小説です。湊さんというと”イヤミス”という言葉が同義語のように思い浮かびます。私は湊さんの作品は大好きですが、一方で”イヤミス”は大嫌いです。お金を払って嫌な思いなどしたくはありません。そんな私が湊さんの小説に求めるものは小説への真摯なまでの向き合い方、エッセイ「山猫珈琲」にもお書きになられている通り、漢字かな使いに至るまで読者を向いた細やかな気配りの先にある上質な心地良い読書の時間です。できれば、そこから”イヤミス”要素を取り除いていただければというのが私の常日頃の願いで、だからこそ私の好きな湊さんの作品は「絶唱」、「ブロードキャスト」、そして「花の鎖」といった”イヤミス”とは無縁の作品群になります。そして、この「山女日記」は”イヤミス無縁”の作品群に属するものです。物語には、それぞれに主人公の女性が登場します。三つの短編からご紹介しましょう。
・〈妙高山〉: 主人公・江藤律子は、結婚の挨拶に訪れた彼の田舎で、彼がやがては実家に帰るつもりであることを知り『詐欺だ』と感じます。そんな江藤は『山に登って価値観が変わるのだとしたら』『結婚するか否か』という自身への問いに答えを出したいという思いの先に〈妙高山〉へと向かいます。しかし、同行する由美が隠すある秘密を知る江藤はそんな由美を不快に思います。
・〈火打山〉: 主人公・美津子は『バブルの雰囲気が』残っていると言われる四〇代の今を、『結婚しなくていい。子どもが欲しいとも思わない』という中に生きています。その一方で『お見合いパーティに』参加したところ、神崎という男性と出会い、彼の趣味である『登山』に同行することになりました。しかし、そんな美津子は何かしらの思いを胸に秘めていることを匂わせます。
・〈金時山〉: 主人公・梅本舞子は、劇団の『下っ端団員』をしながらアルバイトで生計を立てている大輔に連れられ箱根へと向かいます。『好きな人』ではあるものの『結婚は考えていない。彼の夢や将来を背負える自信がない』と思う舞子。当初、『富士山』行きを希望するも、『別の山に』と大輔に否定されて向かう箱根。そんな行き先の『登山』に待つものは…。
このように、この作品では全ての短編に何かしらの事ごとに思い悩む女性主人公が登場します。
『山は考え事をするのにちょうどいい』。
そんな風に言われる通り、『登山』は『自分の世界に入り込む』時間ができることで、自分自身に向き合うには格好の時間とも言えます。この作品では、上記したようにそれぞれに悩みを抱えつつ『山』へと向かう主人公の姿が描かれていきます。そして、この作品が凄いと思うのは、八つの短編が見事なくらいの強い結びつきを見せてくれるところです。あまり書きすぎるとこれから読まれる方の楽しみを奪いかねないので最小限にしたいと思いますが、一例として冒頭の短編〈妙高山〉の主人公・江藤律子について簡単に触れてみます。
・〈妙高山〉: 『結婚するか否か』に悩む律子
・〈火打山〉: (背景として登場)火打山山頂で『日本海側に向かって』『○○○○○○〜』と叫ぶ様子が描かれる
・〈金時山〉: (背景として登場)律子のその後が描かれる
これはほんの一例です。ある短編で主人公を務めた人物が他の短編で背景として登場するだけでなく、ある短編で脇役だった人物でさえ、巧みに他の短編に予想外な形で登場します。そう、この作品は思わず相関図を書きたくなるくらいに八つの短編が強固な結びつきを見せていきます。そして、そのベースには、『山』があり、そこには”イヤミス”とは無縁の清々しいまでの読後感の物語が待っていました。
『私は単純に山の景色が好きなのだ。この山はどんな姿を見せてくれるのだろう、頂上からはどんな景色が見えるのだろう』。
『山』へと向かう女性主人公たちの姿を追った八つの短編からなるこの作品。そこには、それぞれの事ごとに思い悩む日々を送る女性たちの姿がありました。一度は聞いたことがある有名な山々の登場に、自然と胸が流行るのを感じるこの作品。短編間を巧みに繋いでいく人の関係性の奇跡に心昂るこの作品。
“私でも行けそうかなと思えるような、もっと山に親しめるようなものがあってもいいんじゃないかなと思”った、とこの作品執筆のきっかけを語る湊さん。そんな湊さんの『山』への深い愛情を強く感じる傑作だと思いました。続きを読む投稿日:2023.07.17
いろんな女性の心の中を覗き込んでる感じで面白かった。
山登りは一歩一歩足を前に出すことに没頭しながら最後は壮大な達成感が得られる。投稿日:2024.06.06
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