ぱくりぱくられし
木皿泉(著)
/紀伊國屋書店
作品情報
木皿さんの作品は、言葉が生きて泳いでいる感じ。新しい感覚の出会いが私の宝物です。仲 里依紗(女優) 「木皿ドラマ」の台詞の数々はどのように生まれたのか―― 伝説のドラマ「すいか」に通じる幻のデビュー作「け・へら・へら」シナリオも収録。「すいか」「野ブタ。をプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」「富士ファミリー」『昨夜のカレー、明日のパン』『さざなみのよる』『カゲロボ』・・・・・・木皿泉の最新エッセイ集。読み返してみると、脚本家としての、あるいは小説家としての木皿泉の源泉はここにあるのだなぁと改めて思う。我々の作風もまた、節操がない分、偏見もなく、何もかも詰め込んだ、ごった煮のようなものだからだ。こうあらねばならない、というのは私たちにはない。それは人は日々変わってゆくものだと思っているからだ。 「思いのほか長くなってしまったあとがき」よりラジオドラマ「け・へら・へら」 著者自身によるあらすじ智子は入社9年目のOL。なぜか小さな島の集団見合いのツアーに参加することになりました。その出発日、今は会社をやめてキャッチセールスをする安江と偶然会い、一緒に行くことになってしまいます。幸せをさがしに出かけた二人でありますが、なにしろ何も無い田舎。日頃考えないこともつい考えてしまうほど時間がありあまるわけです。宿舎での夕食前の退屈な何時間かを、二人がいかに時間潰しするかというのがこのお話であります。宿に居る目的は、一応は結婚です。しかしそれはあくまでも一応であって、本人達は中々その気にはなれません。居る理由がはっきりしないまま、でもそこに居なければならない。それは、とっても切ないことです。なんだか人生にも似ています。そこに居る理由を見つけられない二人は宿舎を逃げ出します。逃げて何処へいくのか。島の中を何処へ逃げても同じことです。島を地球に置き換えても同じです。その事は主人公達もよーく知っています。それならば、楽しい時間潰しをしたい。これは、そういうお話です。
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この作品のレビュー
平均 3.8 (19件のレビュー)
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シナリオライター木皿泉の夫婦対談、エッセイ、妻の妻鹿さんのデビュー作のラジオドラマシナリオが収められた、ファン必読の本。
夫/弥生犬、妻/縄文猫と名乗り、自身の作品の台詞を冒頭に置き、時事の話題などを…古今東西の本から文を引用したりしながらの対談。
懐かしいゴーストライター問題やSTAP細胞問題などが取り上げられている。
信頼しあっている夫婦ならではのテンポの良い会話。夫/弥生犬さんの博識に驚かされる。
エッセイは妻鹿さんが書いている。主に日常や自身の思い出のおはなしなのだが、彼女ならではの出来事の切り取り方だなーと思い、だから私は木皿泉の世界が好きなんだ、と再確認。『掌の葉っぱ』『硬い殻をやぶってみれば』『恨みや嫉妬は小さく折りたたむ』が特に好き。泣いた。
最後のラジオドラマは今の時代に収録された意味を考えた。続きを読む投稿日:2020.02.06
このレビューはネタバレを含みます
自分では何ともできない、縦軸のうねりの中にいると思えば、訳の分からない大きなものに身を委ねるしかないわけで。委ねて初めて「この世にいていいんだ」と思える。
レビューの続きを読む
そんなに都合よく、何かが劇的に変わってくれ…たりしないです。きっと次の日も、チマチマ字を書いているのに決まってますって。
確かに9.11の同時多発テロの時も、飛行機がビルに突っ込む映像を見ながら仕事してましたね、我々は。
次の日が締め切りだったからね。これで世界は変わると思ったけど、やっぱり締め切りは延びませんでした。
ラッキーっていうと、つかの間のイメージなのに、幸せの方は永遠に続いてもらわにゃあと思っている。
でないと幸せは呼べない、みたいな?
ギャンブルも、ずっと勝ち続けないと幸せを呼べない。あれは自分の運とか能力を確認したいんじゃないかな。私はずっとラッキーだって。あるいは、運じゃなくて俺には能力があるって。
「いいときはつねに未来は決定しているように見える」
いい時は見えないんですよ。問題が。世の中が変わっていることとかも。
私は、そんな時代より、今の時代の方が好きだな。皆で考えようとしている方が、はるかにいい。
病院の検査と同じですね。悪い所を見つけられたらラッキーみたいな。とことん悪くなる前にね。
明治30年代に(社会主義者、革命家の)堺利彦という人が、家庭についての細々したことを書いた「新家庭論」という本を書いている。借金の仕方から朝昼晩の食事のこと、犬猫の飼い方まで、何でも書いている。そういうことをないがしろにしては、国は変わらないという信念があったんでしょぅね。
エアコンの温度をめぐって不満爆発寸前の夫婦だっているでしょう。でも、ローンもあるし、子供の学校もあるから、そうそう自由に動けない。狭い家なのになぜ掃除しないのかとか、狭いのはそっちの稼ぎが悪いからだとか。で、最後はエアコンなんてなかったらよかったのに、とか言うんですよ。
そう、なかったほうがよかった、というのはあるんでしょうね。
でも映像で家族の幸せみたいなのを繰り返し見せられるからなあ。
昔は我慢は美徳でしたが、今はばかばかしいというか、損ですから。
表向きは我慢しなくてもなんだって選べる世の中ってことになってます。
でも、選べるってことは一方でなにかを背負い込むってことでもあるんですよ。
不思議ですね。男の人が隠そうとしているところが、実は女の人がキュンとくる所だったりするんですから。
ダンディズムもいいけど、時々弱いところをのぞかせてもいいんじゃないですか。
たしかに、ニヒリズムは生活に根差してない分、いきすぎるとろくなことにはならないですからね。
思春期の男の子が猟奇的な犯罪に走ってしまうこともある。
「怪物と戦うものは自らも怪物になることに気をつけよ」
みんな、最初にイメージがあるんですね。
食べる前から山ほど情報があって、だから体が味わう前に、これ違うって最初から拒否してしまうんじゃないかなあ。
テレビのチャンネル争いがなくなったことで、家族のコミュニケーションもなくなったかも。
不便がプラスにカウントされることもあるんじゃないでしょうか。
自分の無能さを認めたくないんですよ。でも結局締め切りが過ぎて、無能なまま書くしかないんですが。
村上龍
「私がマジョリティを嫌悪するのは、真の多数派など存在しないのに、 ある限定された地域での、あるいは限定された価値観の中でのマジョリティというだけで、危機に陥った多数派は少数派を攻撃することがあるからだ。そしてマイノリティと言われる人々も、その少数派の枠内で、細かなランク付けをして、少数派同士で内部の少数派を攻撃することもある」
でも、どんなことも今のままなんてあり得ないんじゃないかな。
そう思えることを、我々は希望と呼ぶんじゃないですか。
戻れるって言われても、どこまで戻ればいいのか、よくわからないなあ。この人と出会わなければよかった、ということになると、これをしなければよかったってことになって、それを延々と考えてゆくと、結局、生まれてこなければよかったってことになりませんか?
人生ってぶち切ることなんかできないでしょう。連綿とつながっているものなんだから。
アメリカ先住民のプエブロ族の人たちは自分の死ぬ日がわかっていて、その日をすごく大事にしているそうですよ。自分の人生のピークがわかっているから充実感も得られるという。
そろそろ最後の日かなと友人たちを招いて、楽しい話をして大いに盛り上がって、で、死んでゆくという。その日のためにお金をためたりしてね。
人が自分の過去について語っている時・・・・・・自分が「どういう人間だと思われたいか」という現在の欲望が強いバイアスをかけている。
私たちは自分に才能なんてないということを知っている。それが大きな武器になるんじゃないかな。自分を大きく見せようと誰かの借り物で武装している人は、借り物の者しか作れない。でも、自分をダメだと認められる人は、自分を心から肯定できるということでしょう?
なぜか、みんな、完璧な自分というものを目指してしまうんですよね。
コラーゲンを飲んで、美魔女になるみたいなことですか?
おばさんはね、今の自分は仮の姿だと思っているんです。だから、ちょっと頑張れば、美魔女と呼ばれる本来の自分になれるはず、と信じているんです。
書くということは、自分に才能がないと気がついてしまうことです。でも、大丈夫。そのことさえ引き受けることができれは、怖いものは何もありません。
鴻巣友季子 孤独という状態は宇宙が生まれた時からあるものでも、寂しいという『気持ち』はヒトが発明したものだろう。
人間は何か心の収まりがつかないとき、精神に漠たる空白を感じたとき、気持ちが剥き出しになってスースーしたとき、そこに『寂しい』という語を絆創膏のようにあててまもってきたんじゃないだろうか。
生きていれば、うれしいことも悲しいことも、波のように繰り返しやってくる。でも、それらは、自分のせいではない。有頂天の時もどん底の時も、そのことを思い出して、ちゃんと元の場所に戻ること。『道を踏み外さない』とは、そういうことだと思う。
でも、それが重圧になる。いやぁ怖いですよ、ほめコトバは。
だいたい今は、意味をつけすぎているかもしれません。それで、みんなどこかで傷ついている。
「グローバリゼーションとは、この世の最終権力を国民国家から多国籍業に移すことだ」池田清彦
※電気店で貯めた17000円分のポイントを期限切れで失ってしまったんですけど、その時店員さんにあほやなあっちて言われたんですよ。その時、そうか、今の時代は損をした人間は蔑まれるんだと気づいたんです。そういうところから、自由になりたいと、私は思うわけです。だから、時々、あえて損をするようにしています。
自由はもういいから、とにかく孤独はいややということですか。
オレのこと認めてくれ、って思っても、その前に自分が誰かを認めないとダメなんじゃないかな。
「量より質だ」ということは、それなりの量をやらないと気づけないですから。
経費を節約するために、作家の書いたものを編集者が目を通さずに出版されていく。
やがて本もネットと同じように、安くて便利だけど、すべてが本当かどうかわからないものになってゆくということですよね。
多分、コトバはもう消費しつくされてしまったんでしょうね。CMとか、政治家の演説とかを考えても、信用できるコトバを私たちはもう持っていないんじゃないかな。
若者の貧困を取りあげた番組で、そこに映っていた部屋にあるものがリッチすぎると問題になっていました。映像を見る能力が、昔と比べると段違いに高くなっているんですよ。
SNSは、つながっている気分を味わうためのものだと割り切った方がいいような気がする。ネットの中に、すべてがあると思うのは大間違いだと思う。
こだわり:なにかを大切にする、という面だけでなく、当たり前とされている何かに対して反抗する気持ちのようなものも含まれている
お店にディスプレイされていたものを持って帰り、包みを開けたとたん、古びたもののように思えるのはなぜだろう。
非日常だったものが、日常になってゆく。
ダンナも出会ったときは、おろしたてのパリッとしたシャツみたいに思えたものだが、今はよれよれのTシャツのようである。しかし、その馴染んだ感じが何ものにもかえがたいと思えて、不思議なものである。
慣れるということは無関心になることのように思えるがそうではない。
時間がたつうちに、間に何もなくなってぴったり寄り添う感じなのである。
誰かの世話を焼くということが面倒だと、私は一体誰に教え込まれていたのだろう。
実際にやってみると、書く仕事や家事よりもはるかに楽しい。
今は何でもお金を出せばやってくれる。
お墓参りだって1万6千円ぐらいで、私がやるのより丁寧な仕事をしてくれるらしい。
しかし雑草をむしっている時に首筋に感じる直射日光や、草と土から立ちのぼる日向のにおいはわからずじまいだろう。
自分が生きているという実感は、やってみなければ自分のものになってくれない。
(昔、船頭さんがなんでも海に捨てていたのを見たことがあって)
社会を海とするなら、自分の恨みや嫉妬をそのまま打ち捨てるような人にぶつけているさまは見苦しいものである。
やがて、それは自分に返ってくるだろう。
そもそも、恨みや嫉妬は見苦しいものである。やがて、それは自分に返ってくろだろう。
そもそも恨みや嫉妬はごみではない。
それらもまた、自分から生まれてきたものである。
ならば、できるだけ小さく折りたたみ、再エネルギーとして有意義に使える日まで取っておくべきではないか。
私たちは、ゴミなら道理はわかるのに、自分の気持ちになるととたんに、そんな簡単なことさえ見えなくなってしまうらしい。
昔学園ドラマの脚本を書いていた頃を思い出す・・・。
自己責任などと言われ始めたころだった。現実の学校には、テレビドラマで見るような熱血先生や仲間はもうおらず、教室は見知らぬ者たちが通り過ぎてゆく街中と変わらな場所になりつつあると、ふいに気づいたのだった。
彼女とは友人なので、この後も何度も会えるだろう。
それはなんと幸せなことだろう、とつくづく思う。
ほとんどの人は、会えばそれきりで、だから、ありがとうは言える時に言っておくべきだなと思う。
わんわんとうるさいほど鳴くセミの声もまた、はかないのだが、生きてどうしたいとかこうなりたいという余分なものが一切なく、只今を「生きている生きている」と鳴いていて、命というものを強烈に感じさせてくれる。
・・・私たちはいずれこの世からいなくなってしまう。そんなことを考えた日は、人にやさしくできたりするものである。
私は考えた。人生がうまくゆけばいいが、もし何かにつまづいたりしたら、私はきっとこの道を選ばせた誰かを恨むんじゃないだろうかと。外のせいにして生きていく人生は絶対にいやだ。
私を裏切った人たちのことを、「いなくなってしまえ」と思う日もあったが、考えてみれば私がそんなことを思わなくても、いずれその人たちも私も死ぬ日が来るのだと気づき、なんだか無駄な感情だなあと思うようになった。その後、私の知らないところで、私を助けてくれていたということを知った。人はずっと同じところにとどまってはいないのである。怒りの中にとどまっている私もまた、そこから抜け出してゆくだろう。弥生犬のように、満ち足りた顔で、みんなの幸せを願うのが、自分自身が幸せになる一番の早道なのである。続きを読む投稿日:2024.05.18
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