魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章―(新潮文庫)
米原万里(著)
/新潮文庫
この作品のレビュー
平均 4.0 (88件のレビュー)
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【感想】
本書は、日露の同時通訳の第一人者である米原万里さんが、通訳業の中で感じた異文化の「非常識」を綴ったエッセイである。「非常識」という感覚は、その前提に規範化された「常識」がある。常識から逸脱し…た際に感じる違和を「非常識」と呼んでいるのだが、しかし、異文化という枠の中では、その「常識」がそもそも形を成していない。日本人から感じてみれば素っ頓狂な行動が、実はその国の中で標準的、ということは往々にしてあり得る。そうした非常識さを列挙し、私たちが当然のように感じているアタリマエに「冷や水」を浴びせてみよう、というのが本書の趣旨である。
数々のエピソードのうち私が一番印象に残ったのは、7章「○○のひとつ覚え」での日露米のシンポジウムの話だ。
モスクワでのロシア経済改革に関するシンポジウムの打ち合わせでは、シンポジウムに参加した日本側の学者や専門家は皆英語の優れた理解力を持ち、大多数はロシア語の文献の読解力も持っていた。ロシア側から参加した学者や専門家も皆英語をものし、多数の者が日本語堪能であったという。ところが、アメリカ側からの参加者は、『ジャパンアズナンバーワン』の著者エズラ・ボーゲルを除いて、ロシア語も日本語もかじったことさえない様子なのだった。しかも、それを恥じ入るどころか、他国からの参加者が英語ができて当たり前という態度だった。
筆者はこれを見て、「彼ら(アメリカ側の参加者)は精神的に不幸である」と述べている。
外国語を学ぶということは、単に新しい語彙を増やすだけの作業ではない。その言語が話されている国の文化を学ぶことである。だとすれば、英語の話者はマジョリティであるがゆえに、他国の言語=文化を知ろうとせず、想像力が貧しいままになってしまう。
そして、これは現代の日本にも同じことが言えると思う。日本の文化が発掘され世界での影響力が大きくなるにつれ、日本人は「やっぱり日本の文化が一番面白い」と思うようになり、他国の文化に目を向けなくなっている。これでは、国際語すら学んでいない貧しい民になってしまう。他言語を学ぶ意義を忘れず、日本の娯楽の豊富さに慢心しないようになろう。あらためてそう思える一冊だった。
――しかし、「国際語」を母語とする国民は、その分外国語を学ぼうとするインセンティブが弱く、実際、かなりの知識層の人々でさえ、外国語を学ばない人が多い。学ぶとしても、同格の「国際語」をかじる。ところが、「国際語」は、前世紀の帝国主義的世界分割にいち早く参加した同じキリスト教文明圏の国々の言語なのだ。地球上の多様な文明を反映するものになっていない。これは、彼らの精神を、とくに異なる発想法や常識に対する想像力を貧しくしている、という意味で不幸でもある。その不幸が彼らだけにとどまっていないのが、もっと大きな不幸である。
―――――――――――――――――――――――――――――
【メモ】
・ある国や、ある文化圏で絶対的と思われてきた「正義」や「常識」が、異文化の発想法や価値観の光を当てられた途端に、あるいは時間的経過とともにその文化圏そのものが変容をとげたせいで、もろくも崩れさる現場に何度立ち会ってきたことだろう。一方で人間は常に飽くことなく絶対的価値を求めてやまない動物なのだから困ったものである。
・時折したたかな商人たちのとんでもない眼のつけどころには心底驚かされてしまう。異文化の人々の中に分け入り、潜在的需要や潜在的供給力を発見する精神の自由で逞しい、それでいて敏感なあり方にほとほと感心させられるのだ。未知のものに対する好奇心と同時に、時代と場所が変わろうとも人間の本質はそう変わるものではない、という人類の普遍性に対する信頼が根底にあるような気がしてならない。
・どうも気を抜くと、意識という代物は、それも年をとるほどにそうなのだが、ついつい馴染みの可能性に飛びついて、未知の可能性を排除してしまう傾向がある。そして、この人間の意識の保守的特性が、もっとも著しくあらわれるのが言葉なのではないだろうか。
言葉そのものが、そもそも保守的であることを宿命付けられた存在である。われわれが過去だけでなく現在と将来について語るときに用いる言葉は、その語彙も文体も文法も、遠い遠い過去にできたものなのである。だから事物を命名した時点の言語共同体の価値観をいやがおうでも引きずっているのである。
そのうえ言葉は、誕生した遠い過去から現在に至るまでの間に、その言葉の担い手である言語共同体によって蓄積されてきた、その言葉にまつわる諸々の経験に基づくイメージや観念を張り付かせてしまっている。というのも言葉は事物そのものではなく、あくまでも事物を表す記号に過ぎない。だから、われわれは言葉を読み取ったり、聞き取ったりするときに、意識のほうは、その言葉が表そうとする概念やイメージを喚起するようになっている。その喚起されるイメージが習慣化してしまうのである。
・思えば、この商売を始めて以来、100回以上も崩壊前のソ連邦を訪れている。通訳として、実に様々な思想、信条、党派の人々に同行した。そして面白いことに、共産党系や社会党系の人々の多くは、ソ連を訪れて失望し、自民党系の多くの人々が、「なんだ、それほどひどい国じゃあないではないか」と結構ソ連を見直したりしたのである。奇妙だが、当然といえば当然のパラドックス。
人間の判断が、いかに事前に形成されたイメージに左右されるかを物語る好例ではないだろうか。事前のイメージに縛られて、それを裏切る現象が眼に入らなくなるという弊害もあるが、逆に、事前のイメージとの食い違いが、大きなインパクトとなって、実際以上に印象に刻まれてしまうという傾向を、われわれの心は持っている。
・どの言語においても、他言語に訳される情報は、その言語によって担われている情報の数百分の、いや数千分の一にも満たない。つまり、ひとつの言語を知るか知らないかによって、その人の情報地図は全く異なる様相を呈すのである。
そのうえ、どの言語も、その言語特有の発想法とか、世界観を内包しているものだ。
英語やフランス語などの「国際語」を母語とする人々は、その言語が「国際語」になっていく背景に、多くの植民地を有していたという血生臭い過去を引きずっているにせよ、その通用範囲が広いという意味で、幸福である。
しかし、「国際語」を母語とする国民は、その分外国語を学ぼうとするインセンティブが弱く、実際、かなりの知識層の人々でさえ、外国語を学ばない人が多い。学ぶとしても、同格の「国際語」をかじる。ところが、「国際語」は、前世紀の帝国主義的世界分割にいち早く参加した同じキリスト教文明圏の国々の言語なのだ。地球上の多様な文明を反映するものになっていない。これは、彼らの精神を、とくに異なる発想法や常識に対する想像力を貧しくしている、という意味で不幸でもある。その不幸が彼らだけにとどまっていないのが、もっと大きな不幸である。
・どうやら、初級を徹底的に身につけること、これが言語を身につける基本のようだ。ところが、人間の脳味噌にはなるべくサボろうとする機能が自動的に備わっている。あるパターンを新たに習得する労を惜しんで出来合いの類似パターンで間に合わせてしまう機能がオートマチックに作動してしまうのだ。近接する言語の学習においてはこれがしじゅう作動する。主観的にどんなに頑張って抵抗しても、この機能を停止させるのはほとんど無理。自動制御モードになっているから、そのモード自体をプログラムし直さなくては不可能なのだ。そして、その言語との姻戚関係が遠ければ遠いほど、手元に類似パターンがないため、この省力装置は作動しない。つまり、脳はより謙虚にその言語に接し、新鮮な発見をし、その言語を突き放して、根源的に構造的に究明しようとする無意識の意志が生まれやすいのではないのだろうか。要するに、言語間の距離が遠ければ遠いほど、言語間干渉は起こりにくいのである。続きを読む投稿日:2024.05.31
国際問題・近現代史の話七割、下ネタ二割、その他異文化交流小咄一割、といった感じのエッセイ。
米原万里さんの本、過去にブクログに「読んだ」と登録していたのは一冊だけだった(『旅行者の朝食』)。もう少…し読んでいたような気がしたのは、他の方のレビューや家族の所有本などでよく見かけるから、勝手に顔見知り気分になっている著書が多かったせいかもしれない。
『旅行者の〜』の洒脱さに比べると、本書はちょっとギトついた印象。でもタイトル→裏表紙の紹介文→まえがきの導入がうまく、あとがき→解説も軽やかで、焼き肉をくるむサンチュのように(ロシア料理で例えられなくて申し訳ない)、ともすると胃もたれを引き起こしそうな本編の重みを和らげてくれた。
以下、備忘メモ。
・中ソ関係が最悪だった六〇年代、七〇年代を通しても、一九四五年に中国東北地域に初めてソ連軍が進行してきた(ソ連による日ソ中立条約の一方的破棄ということになる)ときの戦車や戦闘機が、神聖なものとして維持されていた。ソ連軍は、日本の中国支配からの解放軍として記憶されている。続きを読む投稿日:2024.07.02
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