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小説だけじゃない。ノーベル文学賞受賞者の作品を電子で読む

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今回は千野帽子さんのコラムをご紹介します。

ノーベル文学賞の全集?

昭和の世に数多く存在した文学全集には、ノーベル文学賞の全集というものがある。しかも、ふたつ出ている。
ひとつは、今日の問題社が1940年から1942年にかけて刊行した《ノーベル賞文学叢書》(全18巻)。日中戦争から太平洋戦争にかけての戦時色の濃い時期にも、こういう企画があったのだ。

もうひとつは、主婦の友社が1970年から1976年にかけて刊行した《ノーベル賞文学全集》(全26巻+別巻1巻)。明らかに1968年の、日本人初のノーベル文学賞受賞(川端康成)を受けての企画だろう。

文学賞の全集というと、受賞作を全部集めた文藝春秋の『芥川賞全集』や新潮社の『川端康成文学賞全作品』を想起する人がいるかもしれない。でもノーベル文学賞は原則として「受賞作」というものがない。作品というより作者に授与する賞なので、《ノーベル賞文学叢書》と《ノーベル賞文学全集》の双方に収録されている古い時代の受賞者も、選ばれている作品が違っていたりするのが楽しい。

電子で読むノーベル賞

僕は拙著『読まず嫌い。』で、スイスのノーベル賞作家カール・シュピッテラーの『少女嫌ひ』(1907)というミリタリー少女萌え小説を取り上げたことがある。このすばらしい作品を読めたのも、今日の問題社の《ノーベル賞文学叢書》に訳載されていたおかげだ。

そんな古い時代の本を、と思うかもしれないが、この全集は10年ほど前に本の友社から復刊、じゃなくて復刻されている。同社はこういった古い企画を復刻する事業で知られていたが、惜しいことに2015年に活動を停止した。今後はこういった復刻事業は電子書籍の分野に取って代わられるのではないだろうか。

と書いて、そういえばノーベル文学賞作家の作品って、電子でどれくらい読めるんだろう? と検索してみた。  
《ノーベル賞文学叢書》も《ノーベル賞文学全集》も大きくて分厚い本なので、持ち歩きにくい。電子で読めるのはありがたい話だ。電子で読めるノーベル文学賞作家の作品のなかから、自分用のメモのつもりで、いくつかここに書いておきたい。

小説だけじゃない

日本では過去の受賞者がふたりとも小説家だったり、今世紀に入ってからはやはり小説家の村上春樹がノミネートされているのではないかという憶測があったりして、ノーベル文学賞を小説の賞と思っている人が多いかもしれない。でもこの賞は、詩歌やノンフィクション、哲学・思想の著述をなした人にも与えられてきた。
まずは本稿執筆時最新の受賞者の作品。『ボブ・ディラン自伝』には生い立ちや恋愛も語られているが、個人的に興味深いのは、政治・社会情勢へのコメントや、下積み時代の回想、アルバム制作の現場の話だ。僕はボブ・ディラン(2016年受賞)の音楽はピンとこないのだけれど、ここに書かれている内容はおもしろい。1960年代以降の米国文化に興味がある人なら、僕よりもっと楽しめるだろう。

選考委員らは彼の自伝「Chronicles(邦題:ボブ・ディラン自伝)」のみならず社会状況や宗教、政治、そして愛をとりあげた彼の音楽を評価したという。伝説のシンガー、ボブ・ディランの半生が、今、自らの手によって明かされる!

伝説のフォークシンガー、ボブ・ディランの自叙伝。彼の音楽人生に大きく影響を与えた数多くのミュージシャンにも言及。当時の社会情勢に対する彼の思いも細かく描写されている。

ヘッセ(1946年受賞)の『幸福論』にはアランやラッセル(1950年受賞)の『幸福論』と違って、統一した主題があるわけではない。晩年の2冊の随想集から13篇を選んだもの。回想記があり、散文詩のような断章がある。

多くの危機を超えて静かな晩年を迎えたヘッセの随想と小品。はぐれ者のからすにアウトサイダーの人生を見る「小がらす」など14編。

チャーチル(1953年受賞)の『第二次世界大戦』とアレクシエーヴィッチ(2015年受賞)の『チェルノブイリの祈り』は、それぞれ世界史的な未曾有のできごとをめぐるノンフィクション。

じつは前者はまだ途中までしか読んでないのだけど、先の大戦をきわめて立体的に知ることができるし、チャーチルの個人的な視座(日本の戦争は外交言語上の意思疎通マターだったのでは、とか)がおもしろい。訳文はやや読みにくいが、そこを気にすると損。

強力な統率力と強靭な抵抗精神でイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導き、戦時政治家としては屈指の能力を発揮したチャーチル。抜群の記憶力と鮮やかな筆致で、本書はノーベル文学賞を受賞。第1巻から4巻までの豪華合本版。

※本電子書籍は、「第二次世界大戦 1~4」の合本版です。

1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か.本書は普通の人々が黙してきたことを,被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント.汚染地に留まり続ける老婆.酒の力を借りて事故処理作業に従事する男,戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者.四半世紀後の福島原発事故の渦中に,チェルノブイリの真実が蘇える.(解説=広河隆一)

哲学の著作ではサルトル(1964年受賞拒否)の『主体性とは何か』とベルクソン(1927年受賞)の『笑い』が目につく。いずれも問題へのアプローチとして乗り越えられた部分もある著作だが、それでも、間違いなく教えられるところが多い。1960年代にサルトルを支持した世代のなかのもっとも若い人たちは、ボブ・ディランも支持していただろう。

それより気になるのが、刊行中の《新訳ベルクソン全集》の最初の2巻が電子化されていること。全巻電子化されるように祈っている。

実存主義哲学者としてはもちろん「左翼」の精神的支柱として有名な著者による、待望の新刊。サルトルが1961年の12月にローマのグラムシ研究所で行なった講演(「マルクス主義と主体性」)がついに刊行された。マルクス主義哲学からバタイユやドゥルーズの問題系へとつながる、主体性をめぐる幻の講演録!

笑い

「笑い」を引き起こす「おかしさ」はどこから生まれるのだろうか。ベルクソンは形や動きのおかしさから、情況や言葉、そして性格のおかしさへと、喜劇のさまざまな場面や台詞を引きながら考察を進める。ベルクソンの著作のなかでもっとも版を重ねたロングセラーを分かりやすい訳文と詳細な解説で読み解く

哲学者であるとともに数学者・文学者であり、仏教にも造詣が深い──ベルクソンの統一的な全体像がわかる、本邦初の個人完訳! 全7巻+別巻の口火を切るのは『時間と自由』として有名な論考。

他国に比べると日本では詩の社会的地位が低いように思われる。僕もその影響を受けて、詩についてはわりと最近までちゃんと考えることがなかった。

ノーベル賞では詩人の受賞が多い。ここでは前出ディラン、ヘッセの他にタゴール(1913年受賞)の詩集が電子化していることに触れるにとどめる(僕にとってタゴールは、いつも気になってる思想家なのです)。

ディランの『タランチュラ』は同時代のヒッピー文化よりは先行するビート文化と直結している。僕のような素人が考える「ザ・(20世紀後半の)現代詩」って感じ。

ひたすら詩人になりたいと願い、苦難の道のりをひとり歩み続けたドイツ最大の抒情詩人ヘッセ。仮借ない自己探求の賜物である淡々とし飄々とした風格は、われわれ日本人の心に深く共鳴するものを備えている。18歳のころの処女詩集より70余歳の晩年に及ぶ彼の全詩集から、その各期にわたる代表作をすべて抜萃し、ノーベル賞に輝く彼の小説に勝るとも劣らぬヘッセの詩境を紹介する。

もちろん小説もある

以下、電子で読めるノーベル文学賞受賞作家の小説(と戯曲)について、駆け足でご紹介。

少年も老人も冒険に出る

キプリング(1907年受賞)は、英国文学が植民地帝国主義の夢をまだ素朴に追い求めていた時代の最後の世代に属する作家。『少年キム』は帝政ロシアと大英帝国の諜報合戦にまきこまれたインドを舞台に、少年が姿を変え身分を変えて大活躍する活劇、

 いっぽうヘミングウェイ(1954年受賞)の『老人と海』では、キューバの82歳の漁師が荒ぶるカジキマグロと死闘を繰り広げる。

少年キム

19世紀後半、大英帝国は黄金時代を享受していた。ところが英領インドを目指すロシアの南下に伴って「グレート・ゲーム」(闇戦争)が勃発。激しい謀報活動が繰り広げられる。インドの豊かな自然を舞台に、次第に戦いに巻き込まれていくインド生まれのイギリス少年キムの成長を描く冒険小説の傑作。

老人と海

数カ月続く不漁のため周囲から同情の視線を向けられながらも、独りで舟を出し、獲物を待つ老サンチャゴ。やがて巨大なカジキが仕掛けに食らいつき、3日にわたる壮絶な闘いが始まる・・・・・・。原文を仔細に検討することによって、従来の活劇調の翻訳とは違う「老人」像が浮かび上がる! 決して屈服しない男の力強い姿と哀愁を描いたヘミングウェイ文学の最高傑作。

童心の世界

先述キプリングの『ジャングル・ブック』は昨2016年に新作映画が公開されたので思い出した人も多いだろう。僕も去年初めて全訳を通して読み、『ライオンキング』や『ジャングル大帝』あたりとどうしてもごっちゃになってしまっていた。

メーテルリンク(1922年受賞)の(小説ではなく戯曲だけど)『青い鳥』とスタインベック(1962年受賞)の『赤い小馬』は、題名がコンビになっている。前者は幸福を求める幼い兄妹の幻想劇、後者は少年の自立という米国文学が強迫的に反復するテーマを展開した連作短篇集だ。
大江健三郎(1994年受賞)の『芽むしり 仔撃ち』は、作者お得意の「四国山中の共同体が日本から独立して動くが、最終的に解体する」という型のハシリとなった。少年というものをここまで無垢な被害者として描いたせいで、この作品にハマる人とぴんと来ない人にはっきり分かれるだろう。この点で後年の尾崎豊を思わせる。

青い鳥

貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルはクリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、その言い付けで「青い鳥」を探しに出かける。ようやく自分たちの家に帰ってきたとき、すべては夢だったことがわかる。メーテルリンクの代表的な夢幻劇。

少年は父親から赤い小馬(pony)の子を贈られ、それを育てることを委(まか)される。愛する小馬ギャビランとの出会いと不幸な別れ。スタインベックの故郷サリーナス・ヴァレーを舞台に一人の少年の成長の過程が、大自然や生き物との交流を通じて生き生きと描かれる。

BLと恋

前述ヘッセの『車輪の下で』、トーマス・マン(1929年受賞)の『ヴェネツィアに死す』はボーイズラブの古典と見なされるようになって久しい。

車輪の下で

周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし、厳しい学校生活になじめず、次第に学業からも落ちこぼれていく。そして、友人のハイルナーが退校させられると、とうとうハンスは神経を病んでしまうのだった。療養のため故郷に戻り、そこで機械工として新たな人生を始めるが……。地方出身の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。

ヴェネツィアに死す

高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて・・・・・・。『魔の山』で著名なトーマス・マンの思索と物語性が生きた、衝撃の新訳。

エンディングにややBLっぽい部分がある川端康成(1968年受賞)の『伊豆の踊子』は、メインの題材は旧制高校生と旅芸人一座の踊子との、恋愛とも呼べない淡い思慕。
世のなかの小説の半分以上には恋愛が出てくると思うのでいちいち挙げているとキリがないが、ゴールズワージー(1932年受賞)の『林檎の樹』とオルハン・パムク(2006年受賞)の『僕の違和感』、ガルシア・マルケス(1982年受賞)の『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』、そして小説ではないがバーナード・ショー(1925年受賞)の戯曲『ピグマリオン』(映画『マイ・フェア・レディ』原作)を挙げておくにとどめます。

伊豆の踊子

孤独な生い立ちの20歳の主人公は、伊豆の峠で旅芸人の一行と出会った。花のように笑い、無邪気に自分を慕う踊子の薫や素朴な人々と旅するうち、彼の心はやわらかくほぐれていくのだった。淡く、清冽な初恋を描いた名作「伊豆の踊子」、「十六歳の日記」など初期の短篇5編を収録。

銀婚式の日、妻と共に若い日の思い出の地を訪れた初老のアシャーストの胸に去来するものは、かつて月光を浴びて花咲く林檎の樹の下で愛を誓った、神秘的なまでに美しい、野性の乙女ミーガンのおもかげ、かえらぬ青春の日の悔いだった……。美しく花ひらいた林檎の樹(望んでも到達することはできない理想郷)の眩ゆさを、哀愁をこめて甘美に奏でたロマンの香り高い作品。

「死」や「夢」など根源的な主題を実験的手法で描き、溢れんばかりの活力を小説に甦らせたコロンビアのノーベル賞作家ガルシア=マルケスの短篇全集。「青犬の目」「ママ・グランデの葬儀」「純真なエレンディラと非情な祖母の信じ難くも悲惨な物語」と題されてまとめられた初期・中期・後期の3つの短篇集所収の26編を収録。巻末の詳細な「作品解題」とあいまって、この作家の誕生から円熟にいたるまでの足跡をつぶさにたどることができる。

強烈なロンドン訛りを持つ花売り娘イライザに、たった6ヵ月で上流階級のお嬢様のような話し方を身につけさせることは可能なのだろうか。言語学者のヒギンズと盟友ピカリング大佐の試みは成功を収めるものの・・・・・・。英国随一の劇作家ショーのユーモアと辛辣な皮肉がきいた傑作喜劇。

今回ノーベル文学賞受賞作家の作品を検索してみて、思ってたより充実しているとは感じた。英語圏ほどではないけれど、日本語の電子書籍も最近は少しずつ充実してきたなーと思います。
けれど、でも古い時代の作品の行き届きも、比較的新しい作品の電子化も、まだまだこれからだと思う。電子書籍だと、版元は物体としての在庫は管理しなくていい。それが強みなので(もちろん電子ならではの面倒が存在することも知っているが)、各社そこのところはどうぞご検討いただきたく!
(千野 帽子)

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