
担当編集者推薦!矢野隆『山よ奔れ』
担当編集者による推薦と裏話
2008年に『蛇衆』で小説すばる新人賞を受賞し、デビューした矢野隆さんは、時代小説・歴史小説・伝奇小説と呼ばれるジャンルの作品を一貫して発表してきました。一部、ゲームや漫画のノベライズ作品がありますが、これらの作品世界も伝奇小説と呼ばれるのにふさわしいものです。
闘うとは何か。男の生き方とは何か。正面から訊くのは気恥ずかしいような真摯な問いかけを、作品を通じて繰り返し発信している、今もっとも熱い作家のひとりだと言えるでしょう。また、夢枕獏さんや今野敏さんがものしてきた「格闘小説」を継承することのできる、数少ない若手作家でもあります。
これまでに、光文社からは、『勝負!』『覇王の贄』の二冊の矢野さんの著作を刊行しました。
『勝負!』には「ガチ!」とフリガナが振られています。さまざまな時代の、さまざまな立場のふたりが、素手で真剣に殴り合うというテーマの短編連作集。一冊を通じて浮かび上がってくるのは、人間同士の殴り合いがもたらす興奮と感動、恐怖、そして疑問です。その疑問とは、こうです。
なぜ闘わずにはいられないのか。
『覇王の贄』は織田信長が連れてきた最強の剣豪・新免無二斎と、信長の家臣たちが連れてきた腕自慢とを闘わせるという趣向の連作集です。戦乱のなかに生きる武将たちが、何を信じ、どう成り上がろうとするかが、眼前の決闘と二重写しで迫ってきます。
鉄火場で命のやりとりをする作品を続けて刊行するなかで、矢野さんに別のタイプの作品を書いていただきたくなりました。それは、戦乱と権力争い、差別と支配が根強い時代に、庶民はどう生きていたのか、です。それも、できれば、矢野さんの出身地の福岡県周辺に材を取っていただきたい。ご相談する中で立ちあがってきたのが、「山笠を小説にしたい」という矢野さんの思いでした。庶民の祭である山笠が、権力者の意向で邪魔をされたら、どんなことが起こるのか。そして、それが、権力者たちも新時代の風にさらされ、進む道に悩んでいた幕末の時代だったとしたら。それが、矢野さんの構想の出発点だったように思います。

博多祇園山笠といえば、日本を代表するお祭りのひとつとして、聞いたことのある方も多いでしょう。でも、具体的なことは知らないかもしれません。京都の祇園祭の山鉾巡行と混同していたりとか、岸和田のだんじり祭と同じように猛烈なスピードで地車を引き回していると思っていたりとか。博多のお祭りということに限ってもどんたくのほうが印象に強いかも知れません。かくいう私も、本作の企画が動き出すまで、よくわかっていませんでした。実際には、山笠は高さ3〜4mほどで神輿のように担ぎ上げる(「舁(か)く」といいます)「舁き山」と、高さ10mほどで、飾り立てて商店街などの人通りの多いところに展示しておく「飾り山」の二つがあるのでした。どうやら昔は10mのものを担いでいたようですが、今は二つに分かれたのだそう。
本作の執筆が始まる前、2015年の夏、矢野さんと追い山笠(町ごとの舁き山を担ぎ、駆け抜けるスピードを競い合う行事)の見学をご一緒しました。7月15日午前4時59分から、8つの山笠が櫛田神社を順次スタートし、5kmの道のりをハイスピードで駆け抜けるという、祇園祭のラストを飾る大イベントです。午前2時過ぎに櫛田神社の路上に陣取った我々でしたが、前日の夕方からずっと飲みながら祭りを楽しんでいたことが災いします。次第次第に混みあっていく中、座り込むこともできない猛烈な人ごみの中で、朦朧としながら待ち続けるしかありませんでした。身じろぎもできないほどだったのです。車道に出たら山笠に潰されそう(!)だし。

追い山笠がスタートしてからは、舁き山のスピードと勇猛な掛け声、舁き手に掛けられる水、見学者の挙げる歓声によって目を(そして酔いも)醒まされました。ですから、酔いも醒めて、有益な取材ができたはずです、たぶん。この経験は、作中の追い山笠の臨場感にも繋がっているのですから。
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本作『山よ奔れ』にも、今までの矢野作品と同じく、生きることと闘うことについての強烈なメッセージ、問いかけが込められています。けれど、それは、特殊状況におけるものでも、武士や格闘家などの身分や職業によるものでもなく、庶民の暮らしに根ざしたものです。主人公は大工で、町内では知らない者のいない山笠のヒーロー・九蔵。彼が、新しい日本をともに作ろう、と意気盛んに誘ってくる侍たちに何と答えるのか。それは、この作品の肝であり、お祭りをとおして描かれる、名もなき庶民のたくましさに裏打ちされたもののように思えます。
(光文社文芸図書編集部 鈴木一人)







































