
円城塔が幻視した構造体「伊藤計劃」(屍者の帝国)
円城塔が幻視した構造体「伊藤計劃」
思えば不思議な作品である。90%以上が円城塔によって書かれた作品であるにもかかわらず、伊藤計劃作品の一本として扱われ、読者もほとんど違和感を覚えることがない。では円城塔は不満なのかといえばそんなことはないだろう。徹底して伊藤計劃に擬態して書くことに務めたわけだから、ここまで成功し受け入れられたことに満足しているはずだ。
当方は、最初期からの円城塔読者を自負するものだが、円城にかくも見事な文体模写の才能があったことには驚いた。いや文体ばかりではない。まさに伊藤計劃に心身ともになり切った完璧な仕事だった。だが、実際のところ伊藤計劃になり切るための資料は決して多かったとは言えない。残された草稿はわずか三十枚。一時はリライトすることも考えたというが、結局伊藤による草稿は冒頭にそのまま置かれ、それに続く形で円城のパートが書き継がれていった。そのつなぎ目はほとんど識別できない。
こんなことが可能であったとは。たとえどれほどの親友だったとしても、頭の中まで共有していたわけではないのだ。しかも伊藤と円城の作風は正反対と言っていいほどに異なる。
いや、本当に正反対なのだろうか。ひょっとして私たちが勝手にそう思い込んでいただけで、案外二人のスタイルには地続きの要素があるのではないだろうか。実際、じっくり内容を分析してみれば、伊藤らしさの一方で円城らしさも随所に感じられる。ならば、あえて伊藤計劃を離れ、円城の側から本作品を見返してみれば、どうなるだろうか。
もともと円城は、幾何学的図形をまず提示し、その構造に合わせて物語を書き進めていく、という他に例を見ない独特のスタイルを持つ作家としてデビューした。『Self-Reference ENGINE』は、キャラクターでもストーリーでもなく、構造が主役となった前代未聞のSF小説であり、文学史上ここまで独創的な作品はまれである。最近はより分かりやすいスタイルにシフトしつつあるが、それでもコンセプトが先行することには変わりがない。おそらく円城は、あらゆる物事を幾何図形として読み解くことができる。絶対音感の持ち主がすべての音響を譜面に書き起こすことができるように。
彼女のこめかみに埋まった弾丸。鯰文書の謎を解き明かす老教授の最終講義。床下の大量のフロイト。異形の巨大石像と白く可憐な靴下。岩場を進む少年兵の額に灯るレーザーポインタ。反乱を起こした時間。そして、あてのない僕らの冒険──これはSF? 文学? あるいはまったく別の何か? 驚異のデビュー作。
だとすれば、円城には、「図形としての伊藤計劃」が見えていたのではないだろうか。ここに手持ちのデータをインストールすれば、物語が駆動するような、そんな複雑精緻たる構造体が。その場合、円城の取った手順は、それまでの自作とほとんど変わらなかった、ということになる。
そして面白いことにこのスタイルは、情報を流し込むことによって屍者を再稼働させる、本書の中で描かれた方法とほぼ同じである。かくして伊藤計劃は甦り、再び物語をつむぎ始める。
そう考えると、一見腐女子趣味的な改変に見えるアニメ版のストーリーが、実は円城の方法論に忠実に寄り添ったものに見えてくるのが面白い。アニメ版では、主人公ワトソンと語り手役フライデーを親友同士とした。ワトソンは早世したフライデーをどうしてもよみがえらせたくて、屍者の技術に手をつける。再び動き始めたフライデーは、『屍者の帝国』の物語を記録し始める。ワトスン=円城、フライデー=伊藤という見立ては、実際に牧原亮太郎監督の意図するところであったようだ。
『屍者の帝国』は、伊藤と円城の合作であるが、同時に甦った伊藤計劃の駆動記録であり、円城による伊藤のポートレイトでもある。そうしたいくつもの要素が重なり合った構造体。だからこそ本書は独創的なのであり、変わらぬ輝きを保ち続ける。これまでも、これからも。(高槻 真樹)



