
石井光太さん『“むき出し”の人間は美しい』

アジアの障害者やイスラム世界の性から、ストリートチルドレンや東日本大震災の遺体安置所ルポまで。気鋭のノンフィクション作家・石井光太さんのデビュー作『物乞う仏陀』がついに電子書籍化!作品が生まれた背景や石井さんのノンフィクションへの熱き想い、独自のスタイルなどじっくりお伺いしました。
―処女作の『物乞う仏陀』は、今振り返ると、石井さんにとってどのような存在でしょうか。

自分が書いたものには、自分自身の何かが、必ず晒されてしまいます。自分の恥部を見るようで、正直恥ずかしい。だから、振り返りません。最後の原稿チェックが終わった後、本という形になって出版社から送られてきても、いまだに封筒に入ったままです(笑)。ただ、この『物乞う仏陀』は僕にとっての最初の本であり、これが僕のすべてと言ってもいい。この作品があるから今の僕がある。出発点であるという意味でも、僕のすべてと言えます。
―“物乞う人々”をテーマにした理由は何ですか。
誤解を恐れずに言えば、面白い、知りたい、と思ったからです。大学1年生のとき、初めて海外に行き、初めてアジアの路上で物を乞う人々をみたとき「これだ」と思いました。彼らと実際に触れ合い、語り合ってみたい。そこから見えるもの、僕にしか描けないものを書いてみたいと。そしてそれは、「絶対に面白いはずだ」と。根拠はないけれど、確信はあったんです。
僕は、物心ついたときから、物を作ることを仕事にしたいと思っていました。映画なのかテレビなのか本なのかはわからなかったけれど、父親が舞台美術家なので、その影響もあったんだと思います。特に活字は好きで、高校時代から毎日本を読み名作を模写し、短編小説を書いて応募したりしたこともありました。
そんな中、これだと思うテーマに出会ったわけです。僕にしか書けないものを書こう。書くからには、絶対に面白いものを書いてやる!それで上手くいかないはずはない!…今思うと本当にふざけた話ですよ。もし今、当時の自分と同じことを言う人がいたら、ひっぱたくかもしれない(笑)。けれど、目標を定めた僕は、怖いもの知らずでした。「このテーマを描ききるためには、どうしたらいいのか」。毎日それだけを必死に考え、実践しました。
まず、外国語はもちろん、アジア諸国の情勢を調べ、宗教についても猛勉強しました。早朝から1日3冊は本を読み、短編小説やエッセイを模写し、自分なりに何か1本、必ず書いて、夜中に就寝。その繰り返しです。一方で資金も必要ですから、ちょっと危険なアルバイトをしたりしながらお金を貯め、全財産はたいて海外に行く。戻ってきたらまた書く力をつけるための訓練をする。だから僕、観光旅行って人生で一度もしたことがないんです。実につまらない学生生活ですよ(笑)。
―ノンフィクションという手法を選んだのはなぜですか。

“物乞う人々”というテーマを、読む人にどう伝えるのがベストなのか。それを突き詰めて考えた先には、ノンフィクションしかなかった。シンプルな理由です。また、誤解を恐れずに言うなら(今日はこの言葉ばかり言っていますね…笑)、僕はそれまで、ノンフィクションを読んでいて面白い!と思ったことがなかったんです。知識や理屈ばかりが先に立って、どうしても入り込めなかった。
何を面白いと思うかは人それぞれです。僕の場合は、フィールドワークに惹かれたんです。たとえば民俗学や人類学は、その部族の中に入り込んでその中でフィールドワークしますよね。外側からの情報だけでなく、体験した人、触れた人、暮らした人にしかわからない何かがある。そこに距離がないんです。そこが圧倒的に面白い。僕が読者なら、物乞う人々と語り合ってもらいたい。暮らしてもらいたい。一緒に寝てもらいたい。恋愛やセックスだってしてもらいたい。そういう本を読みんでみたい。だから、僕が面白いと思う距離感で書く。それが僕のノンフィクションのスタイルです。
―確かに、石井さんのノンフィクションは、対象との“距離感”が特徴的です。
ただ、その距離感の取り方はとても難しいんですよ。実際に、彼らの暮らしに長く深く関わるにつれ、情が生まれてきます。こちらは、部外者としていつか去らなければいけない立場で、かつ伝える側として客観的でなければいけない。何より、彼らが直面している問題を僕ひとりでは当然解決できません。自分の無力さを痛感する瞬間です。
だからと言って、貧困告発だとか、正義とか理屈を述べるのは何かが違う。物を乞い、障害を持つ人々を可哀想だと思うのは簡単です。けれど、彼らと関わり、共に笑い、語り合う日々の中で、僕は彼らを人間として美しいと感じました。その日の食にも困っているのに、お金はいらないからセックスがしたいという売春婦や、笑顔で遊び相手を探す眼をつぶされた物乞いの男の子、飢餓状態でガリガリなのに恋人とちちくり合うカップル。誰かと一緒にいたいという気持ちは誰だって同じだし、もう、“むき出し”の人間そのものなんですよ。でも、それこそが人が生きる姿なんじゃないかと愛おしかった。
本の中にも書きましたが、タイで車椅子の女性と恋に落ち、セックスを試みたけれどできなかった僕自身のふがいなさや、同世代で気が合った地雷障害者との別れの辛さ。そんな、脳みその理論だけではどうにもならない、僕の感情や彼らのむき出しの美しさを、そのまま綴り、記録しよう。それが『物乞う仏陀』という作品なんです。
―現実と、事実と、感情と。それらのバランスの取り方が難しいですね。

衝動を持つことは大切ですが、感動をそのまま書いたって読む人には伝わらなし、理屈や建前だけではつまらない。そのバランスをうまくとらないといけません。書くときの僕は幽体離脱しているようなもんです(笑)。理論的な自分と感情的な自分を俯瞰して見ている。彼らと暮らしているときもそう。一緒に嘆いたり笑ったりする自分と、書き手として一歩引いている自分。こんなやつ、恋愛するには最悪な男です(笑)。
ただ、僕は思うんです。理屈じゃないけど泣けてくる、理屈じゃないけど切ない。そういう気持ちこそ、一番素晴らしい読書体験ではないかと。だから、僕の本を読んで「知識として学びました」なんて言われると、ぶん殴りたくなります(笑)。感動や楽しさは理屈や知識じゃないだろ、って。もっと近い距離で一緒に何かを感じてほしい、と。だから、中学生や高校生から「人生が変わりました」なんていう熱い感想をもらうと飛び上がるほどうれしい。本当に人生そのものが変わらなくたって、知らなかったことを知り、新しい価値観に出合う。それを脳みそじゃなく、心で感じてもらえたら、それが一番うれしいんです。
世界平和や大義名分とかじゃない。僕がただ「面白い」と思うもの、知りたいことは、まだまだたくさんあります。本や新聞を読んでいても、テレビを見ていても、そこらへんを歩いていても、常にゴロゴロ転がっている。これからもそれらをすくいあげ、取材し、僕が読みたいと思うスタイルで書いていきたいと思っています。
Text / Miho Tanaka(staffon)
Profile
石井光太 ノンフィクション作家

1977年東京都生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに執筆するほか、TVドキュメンタリ、漫画の原作、写真発表も手がける。主な著書に『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』『レンタルチャイルド―神の弄ばれる貧しき子供たち』(ともに新潮社)、『絶対貧困―世界リアル貧困学講義』(光文社)など。東日本大震災直後に被災地入りし、遺体安置所をめぐる極限状態に迫ったルポタージュ『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)は、2011年のベストセラーに。

