
おんな城主 見参!(おんな城主 直虎)
おんな城主 見参!
その女性こそ、「井伊直虎」。
幕末の大老・井伊直弼の先祖にして、徳川家康の重臣・井伊直政の養母である。
時は戦国。遠江(静岡県西部)・井伊家は親族の男たちが皆死んでしまい、御家断絶の危機にあった。その井伊家を救うべく立ち上がったのは、尼になっていた当主のひとり娘・おとわ(のちの直虎)だった!
──みずから運命を切り開き、戦国を生き抜いた直虎、その激動の生涯を描く。
2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』を完全小説化。全4巻刊行開始!
今もっとも旬な武将
2017年も早1ヶ月。昨年度は真田丸一色でしたが皆さんは如何歴史に触れていますか?今年の大河ドラマ「井伊直虎」をご覧になっている方も多いと思いますがこの人物を知っていた人は少ないのではないでしょうか。井伊といえば「井伊の赤備え」で有名な井伊直正。幕末期に「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼。どちらも有名ですが、今回紹介させてもらいます井伊直虎がいなければ井伊直正も井伊直弼も存在せず、別の人が彦根藩主となっていたかもしれない重要な人物なのです!
浜松の井伊谷
井伊家は彦根が出身ではなく、元々は浜松から少し離れた山里の井伊谷出身です。現在の浜松市北区引佐(いなさ)町です。実は仕事の関係で浜松市に住んでいた事があり、引佐町へ行ったことがありますが本当に里といった感じの場所でした。今でも自然豊かな場所でした。この地にある伝説があり井戸の近くに容姿麗美な男の子の赤ん坊がおり、その子供が成長して井伊共保(ともやす)と名乗るようになったと言われております。家紋の㋼もその名残とか。時代としては1010年頃。戦国時代の荒野を駆け巡る赤備えが現れる600年も前の事となります。井伊家の問題は、この開祖となる井伊共保を含め資料が少ない事。『寛政重修諸法度』にて井伊家の開祖の話が出て来ますが、1789年頃ですし、関ヶ原で武功を得た譜代重臣ですから概ね作り話と誇張して徳川家に尽くしたと書かれている事は想像がつきます。それにしてもこの重要人物である井伊直虎はほとんど資料には名前が残っていません。
おんな城主
この時代女城主は珍しいわけでもなく、例えば有名なのは立花宗茂の妻「誾千代」や信長の叔母にあたる岩村城の城主直など戦国の世では武家の娘は幼い事から武芸を嗜む家も多かったので、例え大名家の姫だからといって大人しく茶道華道をならうのは江戸時代になってからです。中には自身の甲冑も持っていて戦場に出た女性もいるようです。瀬戸内海の鶴姫伝説など実際に着用していただろうと思われる女性体型の甲冑が奉納されています。そんな背景を加味すると、きっと直虎も幼いころから武芸・馬術・槍術などの稽古に励んでいたのではないでしょうか。この井伊谷という里ではそれがとても似合う場所です。
直虎も最初は女性として生活していましたが、祖父と父は戦場で討ち死に。男兄弟も毒殺や暗殺。元許嫁の直親も諫言により誅殺されてしまい井伊家を継げる者がおらず出家して尼になることも許されず次郎法師と僧名を名乗り還俗して直虎と名乗ります。野球で言えば中継ぎピッチャーのような重要な役目。月日が経ち井伊家を直親の子が告げるまでの期間ですがその時代こそ戦国時代の最盛期!今川軍や武田軍に度々井伊谷を攻め立てられる事になるのです。その後、直親の子供が成長し井伊家を継ぎ、名を直政と名乗り、皆さんが知っている「井伊の赤備え」となるのですが、そこにたどり着くまでの茨の道を一人の女性が男性の名を名乗り井伊家を守り抜く話こそ、2017年度の大河ドラマ「井伊直虎」なのです。
この人物に関しては非常に資料が少ないのでどのような展開になるのか非常に楽しみです。きっと「女城主 井伊直虎」の作者も苦労をしながら本を執筆したと思います。そんな苦労を踏まえて、直虎の苦労話を読んでみませんか。(ライトブルー)


