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経典としての『宇宙のオデッセイ2001』(2001年宇宙の旅)

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今回は『2001年宇宙の旅』(アーサー・C・クラーク 著)を取り上げます。

経典としての『宇宙のオデッセイ2001』

300万年前に地球に出現した謎の石板は、ヒトザルたちに何をしたか。月面に発見された同種の石板は、人類にとって何を意味するのか。宇宙船のコンピュータHAL9000は、なぜ人類に反乱を起こしたのか。唯一の生存者ボーマンはどこへ行き、何に出会い、何に変貌したのか……作者の新版序文を付した傑作の決定版!

この小説を初めて読んだのは、今から半世紀近く前の1970年6月14日だった。本の見返しに鉛筆で日付が書いてあるので、たぶんそうなのだろう。ただし白状すると西暦ではなく、45年と昭和で記されてある。そしてもう一つの「ただし」だが、読んだハヤカワ・ノヴェルズのタイトルは『2001年宇宙の旅』ではなく、『宇宙のオデッセイ2001』だったである。奥付は昭和45年5月31日の4版。この本を読んだ二ヶ月前にアポロ13号は奇跡の生還を果たし、二ヶ月後に中学二年生だった私は大阪万博へと旅立つことになる。まさに周辺には未来が充満していた時代なのだった。

 読み始めた私はまず冒頭のヒトザルに戸惑う。SFなのになぜ猿が出てくるのか。しかし猿の調教と毛色の変わった人類史のおさらいが終わってからは、まさに本を握るようにして読み進めることになる。人を月まで運んだ最新技術の結晶たるサターン5型ロケットが、記念碑として描かれていることに驚きながらも、ほぼ宇宙空間で展開する物語に、まだスポンジ状だった私の脳ミソは漂うばかりだった。月へと向かうシークエンスの精緻な描写、登場人物たちの抑えた大人的会話など、スポンジ浸み込みポイントを列挙すれば留まるところを知らない。しかもこういった理解可能な宇宙空間での出来事は、この後のめくるめく展開の前提に過ぎなかったのである。ボーマン船長が乗ったスペースポッドが、モノリスに向かって以降、物語はまったく違う様相を呈す。それを当時の私に、いや現代の私でも果たして理解されたかどうかははなはだ心もとない。


東京近郊のいわゆるベッドタウンに住んでいた中二の私は、まだ映画を見ていなかった。一人で出掛けることを躊躇しているうちに、公開は終わってしまい、すでに観ていた一歳年上の従兄が不思議な顔で「なんかわからなかった」という言葉に、自分にはまだ早いかも、と意味もなく安心したのだった。

 映画制作は現実と競争していたようである。監督のスタンリー・キューブリックがアーサー・C・クラークに、まったく新しいSF映画を作りたいと打ち明けた頃、人類は2人乗りの宇宙船を周回軌道に投入したばかりで、月着陸の実現が数年先だとは誰も思ってはいなかった。

 しかし映画の制作の遅滞に対して宇宙開発の実際が追いついてしまう。映画の公開はどうにか1968年の春に実現し、人類が月に到達する前に間に合わせることができた。その年の12月にアポロ8号は月の周回軌道を飛行し、月面を前景とした漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球の姿をすべての人々に見せてくれる。そして翌1969年7月にアポロ11号の月面からの生放送を人類は初めて味わう。もし映画の公開がそれ以後だったのなら、あの月面シーンがどんなに精緻であったとしても、観客はチープさを感じてしまったことだろう。


映画の公開に少し遅れてクラークの「原作」小説も発表される。ここでカギカッコ付きに書いたのは、これが文字通りの原作ではなく、いわば座付き脚本家としてのクラークが、キューブリックから何度もダメを出された「共同の制作物」だったからである。

 この小説はクラーク以外の誰のものでもないが、キューブリックという巨大な作家のフィルターを通したことは事実であり、そのことをのちにクラークもペーソスを含めて何度も語っている。

 ゆえに映画と小説にはかなりの違いがある。細部を書き込まなければならない小説と、映像ですべてを表現する映画という媒体のあり方以上に小説は多弁であり、映画は寡黙だった。実際に映画を観た人々はその寡黙さ、あるいは難解さに耐えかねて、クラークの小説を読み、その意味を掴もうとする。うがった見方をすれば、キューブリックの映画はクラークの解説書といえる小説によって、映画の金字塔となったのかもしれない。

 こういった評価は後世からの視点である。『2001年宇宙の旅』は、当初、金字塔どころか、MGM映画の屋形骨を壊す要因となったのだ。かつてないほどのプロモーション活動をしていながら、ロードショー公開の期間中は、称賛よりも辛辣な批評の的となった。観客はタイトルにあるように壮大なスペースファンタジーを期待していたのだ。

 やがて当初の喧噪が静まり、映画が歴史になろうとした頃から、その深さを理解しようとする試みと評価する動きが生まれてくるのである。

 私が小説で特に魅了された木星への無人探査体の投入や土星に接近する情景は、映像で表現することが困難であるゆえに映画では省略されている。小説がその筆の描写力をして、星々の神秘性を十全に描いているのに対して、映画は宇宙の描き方に極めて禁欲的なのである。確かに宇宙船などの造詣はほとんど古びていないが、宇宙そのものを描いているのは、地球と月の表面ぐらいである。クラークの小説にある絶景として宇宙は、映画では表現し切れなかった。その判断もまた映画を成功させた一因であるのだろう。


つまり『2001年宇宙の旅』は、小説と映画の相互補完よって成立した事象なのではないだろうか。映画は小説のプロモーションであり、また逆も真なのである。映画という前代未聞のプロモーションに潜む数多くの謎は、小説の中で解かれるのかもしれない。読者は自身の脳裏に創り出すイメージではなく、すでに観た映画の画面を再生しながら小説を読み進める。小説はいわば厖大な映画のパンフレットとなる。

 『2001年宇宙の旅』が日本にやって来た時、ほとんどの人は未来の宇宙旅行を描いた映画だろうと思っていた。その代表といえる宣伝素材は、宇宙ステーションから地球に帰還するオリオン号、今でいうスペースシャトルが発進するイラストである。

 しかし映画は突然姿を消す。映画会社が倒産し配給がストップしたのだ。このために前段で書いたことが逆転する。ビデオ装置が普及していない当時、映画は映画館かテレビ放映で観ることしかできなかった。しかしどの名画座にも『2001年宇宙の旅』が掛ることはない。ここで映画から小説という流れが途絶する。映画は1969年のリバイバル上映以後、10年近く一般公開ができなかったのである。


映画の解説書だった小説は、独立したSF小説として読まれていく。それが当時まぼろしだった映画『2001年宇宙の旅』の「原作」であることに変わりはない。ここで新しいファンが生まれる。何らかの理由で映画を見ていないファンが、小説を読んだことで映画の鑑賞を求めるようになる。その状況を顕著に表したのが雑誌『ぴあ』のイベント「もあテン&ぴあテン」である。1976年に告知され、1977年に発表されたこのイベントはその年に上映された映画のベスト10と、今見てみたい過去の映画ベスト10を選ぶもので、それぞれのベストワンが『ぴあ』主催のイベントで上映される。この「もあテン」でベストワンに選ばれたのが、『2001年宇宙の旅』だったが、それはやがて再上映運動の様相を呈するようになっていく。

 しかし上映は叶わず、主催者はキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』でお茶を濁すが、『2001年宇宙の旅』の代役となるわけもない。このように映画『2001年宇宙の旅』を希求して、70年代は過ぎていく。つまり小説『2001年宇宙の旅』は、メシアである映画『2001年宇宙の旅』を復活させ、そして讃えるための教典となったのである。


そう、私にとって『宇宙のオデッセイ2001』は確かに教典だった。猿から人に進化した過程、来たるべき未来の様相、惑星間飛行の孤独、冷凍睡眠の恐怖、人工知能のありよう、太陽系の深淵、そして大いなる意志の存在、クラークが説くこれらの仮説に魅了された信者は、まだ観ぬ映画『2001年宇宙の旅』をの再来を求めて祈りの日々を続ける。その日が訪れるのは1978年だが、私はすでに大人になっていた。このリバイバル上映の画面は公開当時喧伝されていたシネラマではなく、70ミリ映画だった。それでもインターミッション直後、映画館と同様の暗闇の中に現れるディスカバリー号に威圧されるだけの「余裕」を未だ確保していたのである。


付記:現在発行されている「決定版『2001宇宙の旅』」には冒頭にクラークによる新版序文が付いている。確かにそれはいろいろと意味深いのだが、初めてこの小説を読む人がいるとすれば、その序文は本編の後に読んで欲しい。なぜかはかつて読んだ人すべてが理解していることだろう。(忍澤勉)

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