
夏への扉は未来(あした)に通じている(夏への扉)
夏への扉は未来(あした)に通じている
ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から2番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ! そんな時、〈冷凍睡眠保険〉のネオンサインにひきよせられて……永遠の名作。
本の感想といっても人さまざまで、性別や生まれ育った環境や、世代はもとより、生まれた国や読み手の人種によっても反応がちがってくる。
とはいえ、北米で名作や古典として定評があるもののほとんどは、ヨーロッパや日本でもロングセラーになっていることが多い。逆もまたしかり。SFのようなマニアックなジャンルでさえ、それに変わりはない。
でも……でもね、本国では評価されていないのに、日本でだけ突出して売れ、古典としていまも高い人気を誇っている、英米のSF作品がわずかながらある。
その代表格のひとつが、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』なのだ。
舞台は近未来のアメリカ。人間の代わりに家事を処理するロボットを開発したダン・デイヴィスは、巨万の富をつかもうとしていたが、信頼していた同僚と恋人に騙されて、職を失い失意のどん底に陥っていた。手元に残されたのは、手切れ金がわりの高額の小切手と、長いつきあいの愛猫ピート。なにもかもが嫌になった彼は、この悩ましい現代に別れを告げて別世界に旅立とうと考える。
ちょうど開発されて、商業利用が可能となった冷凍睡眠によって、未来に逃れるのだ。気心の知れた少女にささやかな品を残し、ピートとともに30年後の世界へと旅立つが、彼が目にしたのは、冷凍睡眠中に起きた謎の事件と、予想外の状況だった。これはいったい、どういうことだ……
これが書かれた時代がいつかなんて、気にしなくていい。
話がシンプル過ぎる? いいじゃないか。
ストーリーは確かにシンプルである。でも、たとえばバックグラウンドに描かれている架空のアメリカ像には、巨匠ハインラインならではのダークな要素も色濃く描かれている。閉塞的状況を抜けた社会で、前向きな発明家が騙されてもへこたれずに、未来を求めて戦う。
彼が飼っている牡猫ピートも、飼い主に負けていないポジティヴ・キャットである。飼い主と一緒に暮らしていた田舎家には、猫が通れる出入り口が11あった。冬場、凍てつくように寒い外に出るのは、猫も苦手だ。でも、ピートは11の扉のなかにきっと“夏への扉”があると信じていて、ダンに全部開かせる。ここでいう“夏”は、“未来”や“可能性”を意味していると考えていいだろう。
さて、未来で目覚め、過去の謎を解こうとするダンとピートを待っている結末やいかに?
翻訳されてから半世紀。新訳版も出て、いまだに翻訳SFのベストに鎮座する名品。マニアも、ビギナーも、SFを読んだことない者も、ラノベしか読んだことがないあなたも、先入観なしに手に取ってもてほしい。
ダンとピートが、ポジティヴな未来へと誘ってくれるはずだから。そして、そこが、この物語がずっと愛されている理由なのだ。
余談になるけれど、この作品に触発された難波弘之氏の名曲「夏への扉」がある。作詞をした山下達郎氏自身もカバーしているので、興味のある方は、お聴きになるといいだろう。(尾之上浩司)


