
あなたの「憑き物」落とします(姑獲鳥の夏)
あなたの「憑き物」落とします
「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うかい?」。昭和27年の夏、三文文士の関口巽(せきぐちたつみ)は東京は雑司ケ谷にある久遠寺(くおんじ)医院の娘にまつわる奇怪な噂を耳にする。しかも、密室から煙のように消えたというその夫・牧朗は関口の旧制高校時代の1年先輩だった。
私が「姑獲鳥の夏」を初めて読了したのがほんの1週間ほど前のことで、季節は1月末。いわば真冬の時期だが、私には確かに夏に現れる姑獲鳥の鳴き声が聞こえた。姑獲鳥とは作中に登場する妊婦の妖怪だ。だが、それはあくまで作中で名前が出てくるにすぎず、実際のところこの妖怪が現れて退治するというようなファンタジー要素は一切ない。現実的で、はっきりとした形を持った、ある種妖怪よりも恐ろしいものを、「京極堂」こと中禅寺秋彦は姑獲鳥、と呼ぶのだ。
中禅寺秋彦は東京の外れで古本屋を営む男で、語り手である関口巽の旧友に当たる存在だ。まずこの作品を読んで見て驚くのは、中禅寺の博識さである。その内容は本の知識に限らず、政治や文化、宗教、近代科学など実に多岐に渡っている。加えて中禅寺は初見の者に対しても分かるように言い換える能力に非常に長けている。関口が理解できるように紐解いていく様は作者の頭の良さが伺えるし何より内容がすっと頭に入ってき易い。ミステリー以外でも言えることだが、小説はどうしても作者の書きたいことが先行してしまい読者が理解できずに置いていかれてしまうことが少なくない。だがこの作品はきちんと読者と歩幅を合わせつつ、それでいて中禅寺の語り口によって完全に読者を作品の中に潜り込ませてしまうのだ。舞台は戦争が終わった昭和、と私が生まれていない時代にも関わらず、その手法により私は自分が作品の中の一部分のように感じられた。
また、月並みな表現になってしまうが登場人物も実に豊富で個性的だ。中禅寺はもちろん、関口の先輩にあたる探偵・榎木津や刑事の木場、物語の軸となる久遠寺家の人々……重要じゃない登場人物なんていない、とでもいうように全員が遠慮することなく前に出てくる。特に前述した探偵の榎木津礼二郎は中でも群を抜いて突飛なキャラクターで、彼の破天荒な行動が周りを巻き込みながらも解決の糸口になっている。他のキャラクターも生き生きと、人間らしく動いている様子が読んでいて思わず目を惹かれてしまう。
そして何よりこの作品の1番の魅力は、やはり謎解き、作中でいう「憑き物落とし」だろう。いくつかの怪奇現象が少しずつ線になり最終的にひとつの答えに結びつく。中禅寺は古本屋ともう2つ、神社の神主と拝み屋という顔を持っている。拝み屋とはいわば陰陽師で、すがりつく者を蹴落とすかのように中禅寺は憑き物を落としていく。知らなくてもいい真実、という言葉はきっと彼の辞書には存在しないのだ。この魅力はきっと読んでみないと沁みてこないだろう。中禅寺は「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と作中で関口に言うが、事実が丸裸になった時、この拙い書評を読んでくださっているあなたもまさにその通りだと頷いてしまうに違いない。
私は、心の中には誰しも妖怪を飼っていて、それはいいようにも悪いようにも傾いていくのだと、この作品を読んでひしひしと感じた。現にこうして文章を書き連ねている中でも、私の中の妖怪は何度も何度も暴れて回る。こうじゃない、そうじゃない、駄駄を捏ねるさまをもし中禅寺が見たら何が憑いていると言うのだろうか。中禅寺が登場する百鬼夜行シリーズはこの「姑獲鳥の夏」から始まり今も続く長期ミステリーだ。もし私のこの堅苦しい文章を読んで「読みにくい作品なのかなあ」「こんな容量のある小説を読むのは気がひけるなあ」と思った方がいたら、漫画版を強くおすすめする。漫画版は原作シリーズのファンである作者が相当念入りな下調べの元描いているだけあって小説と同じような世界観を楽しむことができる。ぜひ私がそうだったように、これを読んだ方にも一度怪奇の中に迷い込んでもらいたい。(尾瀬)


