
過去よりも未来の方がきっといい(夏への扉)
過去よりも未来の方がきっといい
ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から2番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ! そんな時、〈冷凍睡眠保険〉のネオンサインにひきよせられて……永遠の名作。
発明にかけては天才的な、けれども経営には決して向かないお人よしの技術屋、主人公のダンは、婚約者と親友に裏切られ、コールド・スリープ(冷凍睡眠)させられて30年先の未来(この本では未来が2000年!)で目覚め、未来の世界を生きることになります。
住むところもなく、財産もすべて騙し取られていたために、職探しから始めなくてはならず、どうにかこうにか、過剰生産された新車を叩き壊すという職にありつけるのですが、この未来で、過去に自分が考えていた発明品が実用化されているのを知り、何とかもう一度発明をと奮い立ち、自分が起こしたはずの会社に雇われることに成功します。
そして、この未来の世界では軍の機密レベルのタイムマシンが開発されていることを聞きつけ、ある目的のためにタイムマシンを利用することを思いつき、未来へ行くのか過去へ戻るのかわからない不安定なタイムマシンで飛ばされた先には……。
というような、なんともはらはらさせてくれるお話ですが、1956年に考えられた未来の道具が現実に今あるものだったりするのが、自分が未来人になったようでちょっと楽しかったりします。
なにより、主人公ダンの性格がとても良くて、発明バカで世間知らずで、お人好しで、騙されて痛い目にあわされてもくさることなく常に前向きなところは、見習いたくなります。
どれぐらい違っているのかなと、新訳版と旧訳版とどちらも読んでみたのですが、ダンの性格に関しては昔からの訳の方が合っているような気がします。私の頭の中のイメージではダンは星野源さんのような人のような気がするので(あくまでもイメージなのですが、昔の訳の方が少しおだやかな感じで、新訳版は全体的に読みやすいけれど、言葉が今風になったからなのか少し荒いような気が)。
何もかも失った(愛猫のピートさえ!)ダンが、自分の技術力で這い上がっていくさまはとても痛快で、読んでいてダンを応援したくなりますし、本当はもっと復讐とかするのかなと思ったら、そこは女性にとっては一番残酷な形で遂げられてしまうし、話は急展開して、最後はとても暖かい気持ちになりました。
この本自体が『夏への扉』そのものなのかもしれません。
「もしぼくの息子の時代になってタイムマシンが完成したら、あるいは息子が行きたがるかもしれない。その場合には、いけないとはいわないが、けっして過去へは行くなといおう。過去は非常の場合だけだ。そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。」
ハヤカワSF文庫P367
これが書かれた当時にハインラインさんが考えた未来(2000年)をとっくに通り過ぎてしまい、さて、未来は本当に日に日に良くなっているのかどうか…これからどうなっていくのか不安しかないような気もしますが、悲観していても仕方ないから、今日より明日はもっといいと、前向きにならんといかんなと勇気づけられた気もします。
そして、ピートが歳を取って、いつか長期のコールドスリープに…というくだり(この訳は、新訳版ではロングスリープとなっていますが、私は長期のコールド・スリープの方がしっくりくるような気がします)は、人間より先にいなくなってしまうであろう動物と一緒に暮らしていたら、誰しも避けられない現実で、でも永い眠りの果てに再び目覚めて…という世界もあるような気もするし、こんな風に考えたられたらいいなと思えました。
人々は、優しく彼に膝を提供してくれこそすれ、決して蹴飛ばしたりなぐったりはしない世界、十全な平和の世界だ。
ハヤカワSF文庫 P368(この文章も昔の訳の方が好きです)。
読み終わってみれば、確かに猫を愛するすべてのひとたちへという意味もわかったような気がしました。
もう少し歳をとったピートが、いつか目覚める世界がそんな世界であったらいいなと心からそう思います。(uririn)


