
侮りがたいアニメ版(すべてがFになる The Perfect Insider)
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。
侮りがたいアニメ版
すでにたくさんの方が優れた分析を寄せておられる。屋上屋を架すこともないので、本稿では、一昨年放映されたアニメ版との差異を中心に語ってみたい。
私自身、アニメを先に見て関心を持ち本書を手に取った。とはいえ、ふつうアニメファンの多くはミステリなど読まないだろうし、ミステリファンはアニメなど見ないだろう。実際、ディスクセールスは惨敗に近いものであったと聞く。
しかしながら、このアニメ版が実によくできていた。未見の方はぜひチャレンジしてみてほしい。なにしろ全11話、そして各エピソードには「白い面会」から「無色の週末」まで、本書各章とまったく同じタイトルが振られていたのだ。内容もほぼ各章の中身と同じだが、一部の回想シーンなどで『四季』シリーズのエピソードが挿入されたりもしていた。可能な限り原作に寄り添おうとするスタッフの意気込みを感じる構成と言えよう。
だが原作は、全体としては動きに乏しく会話の多い展開で、アニメに向くのだろうかと不安を感じる人も多いだろう。ミステリ映画では定石の「証拠をさりげなく画面の隅に映しておく」などといった伏線の張り方が、アニメでは難しい。すべてを絵で描かなければならないわけだから、強調しすぎればバレバレになるし、あまりにさらりと扱うと埋没して気付くのは不可能になってしまう。もともとミステリは、アニメに向いた表現ではないのだ。
ところがそうした難題を乗り越え、非常にうまく処理していた。むしろ原作の弱点を、アニメの得意表現でカバーし、穴を補強してさえいたのだ。後から原作を読み、アニメの画像を思い浮かべながら比較してみると、巧妙さがよく分かる。
全編ほぼ真賀田研究所の内部で事件は展開していくのに、小説を読んでもほとんど内部構造が分からない。建物のセキュリティが重要なポイントになるというのに、である。エレベーターの問題、ゲートの問題は、活字だけではぴんと来ないことも多いだろう。だが、わからなくなった時にアニメ版の該当箇所を参照してみれば、「そういうことか」と膝を打つはずである。
中でも重要であるはずの、真賀田女史の居室がどんな形をしているのか、原作では、そっけない描写しかなかったのは意外だった。アニメ版では、無菌室のような密閉性が強調して描かれており、強い印象を残す。
時に読者を混乱させる理系的・抽象的会話もハードルとなりがちだが、そこであえて、会話の中身をビジュアルに変換してみせる演出は見事だった。特にクライマックスでの、「すべてがFになる」の謎が解き明かされるシーン、犀川と真賀田四季の電脳空間での邂逅シーンは、アニメならではの盛り上がりを見せてくれた。このシーンを見るためだけでも、アニメ版を作った価値はあったというべきだろう。
そして本書の最大の難点とされる「天才が天才に見えない」という問題。これはSFも含めて小説全般が抱える課題でもあるのだが、どちらかというとSFの方が健闘しているかもしれない。テッド・チャンの「理解」(『あなたの人生の物語』収録)などは、天才表現の頂点を極めた一例だろう。賛否両論あるが、トマス・M・ディッシュの『キャンプ・コンセントレーション』も、これに続く。
ミステリで描かれる天才は、多くの場合「いやみな秀才」ではあるかもしれないが、なかなか「常人の理解を超越した存在」に感じられる領域までたどり着けない。もちろん一般読者が困惑しない範囲内の表現にとどめたからこそ本書はベストセラーとなり得たわけで、そのあたりのさじ加減は実に難しいと言える。
アニメ版も動機を納得させるところまではたどり着けなかった気がするが、ラストの電脳空間シーンで印象的な幻想表現を積みかさね、天才が見ていたかもしれない光景をかいま見せてくれた奮闘ぶりは称賛に値するだろう。
小説版単体で評価するなら、驚愕のトリックは確かにすばらしいが、プロットの補強にやや荒が感じられた。ただそこはアニメ版でかなり満足させてくれるので、原作に物足りなさを感じた向きも、騙されたと思ってぜひ一度見ていただきたい。思いがけない発見がきっとあるはずである。(高槻 真樹)



