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「殺しの烙印」だった頃(無限の住人)

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今回は『無限の住人』(沙村 広明 著)を取り上げます。

「殺しの烙印」だった頃

無限の住人(1)

父を殺し、母を攫(さら)った剣客集団『逸刀流(いっとうりゅう)』に復讐を誓う少女・浅野 凜(あさのりん)は、「百人斬り」の異名を持ち、己の身体に血仙蟲(けっせんちゅう)という虫を寄生させることで不死の肉体を持った剣士・万次(まんじ)を用心棒として雇い、逸刀流の統主である宿敵・天津影久(あのつかげひさ)を追う旅を始める――。

もうじき実写版が公開される。まあ三池崇史監督作品なので、それなりに楽しめるものにはなるだろう。おそらくは相当にふざけた展開になるとは思うが。個人的には鈴木清順監督版で見てみたかった。盟友・木村威夫美術監督亡き今、あのきらびやかな清順ワールドの再現は困難だろうが。気付けば九十歳を超え、なお健在であることに驚かされる(※)。

 開幕当初、この物語は間違いなく時代劇版「殺しの烙印」(67)だった。刀と手裏剣が融合したような、奇想天外な得物を駆使して、不死の剣士卍(万次)と、エキセントリックな「逸刀流」の剣士たちの闘いが繰り広げられる。なんといっても甲冑の巨人・黒衣鯖人、そして美貌の無敵女剣士・乙橘蒔絵の存在感が忘れがたい。このシンプルにして絶大なインパクトあふれる設定は、蒔絵や浮世絵など日本画の構図を大胆に取り入れつつも、極めて映画的な世界観を提示することに成功していた。


 鈴木清順の「殺しの烙印」では、アドバルーンを使った暗殺など、ホラ話そのもののエピソードが次々と現れ、観客を唖然とさせた。映画表現は時代とともによりリアルな表現を求め、荒唐無稽を排する方向に向かって来た。だが、そこに敢然と反旗を翻したのが鈴木清順という映画作家だった。映画は確かに、作品内でのリアリズムを一定水準に保つ必要がある。だがそのリアリズムは私たちの現実とまったくかけ離れていてもかまわないのだ。映画の内部で整合性が取れていれば。

 清順は後に後日談となる「ピストル・オペラ」(2001)を江角マキ子主演で制作。まばゆいばかりの極彩色の美術の効果もあって、より一層『無限の住人』の世界に近いものに仕上がった。こちらも殺し屋たちがナンバー1の座を賭けて闘う、ただただ荒唐無稽な物語。「むげにん」ファンなら観ておいて損はない。

 『夢限の住人』は、初期にはそうした形で非リアリズムの美学を貫く方向に展開し、熱狂的な支持を集めた。これもまたひとつの「殺しの烙印」の子供たちなのだろう。2008年に製作された真下耕一監督によるアニメ版もこの非リアリズム的な世界観に徹底して寄り添い、すばらしい完成度となった。アニメ作品なのに、戦闘場面でわざわざ画面を揺らして手持ちカメラで撮影しているかのような効果を作り出すなど、凝った展開に唸らされた。

 おそらく三池版もこの初期ストーリー部分のみを映画化することになるだろう。構図の美しさ・見せ場の面白さを盛り上げるために、リアリズムを犠牲にしてしまう思いきりの良さこそが、映像表現としっくり合う。

 だが金沢篇以降、完結に至るまでの『無限の住人』の物語の大半は、そうしたホラ話的に飛躍した唯美主義世界とはかけ離れた、よりリアリズムに振った物語になってしまう。初期には曖昧だった時代背景は江戸中期に固定され、強大な力を持つ剣士たちが、泰平の世の中で浮き上がり邪魔者扱いを受け、お互いに潰し合う羽目に陥る。

 作者・沙村広明の考えが途中で変わったためで、これはこれで力作ではあるが、竹に木を継いだようなちぐはぐさは否めなかった。こうなると主人公の不死設定も奇想天外な刀剣デザインも、ストーリーのスピードを殺す枷となってしまう。万次に生体実験を繰り返し、不死の秘密を解き明かそうとする蘭学者を登場させるなど、初期設定をとことんリアル世界の中で展開しようと奮闘した跡はうかがえるが、ただうまくいったとはとても言えまい。いったん設定した作品内のリアルのゲージは、勝手にいじってはいけないのである。

 それでも最終的には万次の相棒である凜の敵討という当初の設定に回帰する形できれいに着地させた踏ん張りは大いに讃えたい。終わりよければすべて良し。その手ごたえを足掛かりに、より気軽なコメディ『波よ聞いてくれ』に取り組んでいるのは、喜ばしいことである。そしていつかまた、シンプルなアクションにも再挑戦してもらいたいと思う。(高槻 真樹)


※追記 鈴木清順監督の逝去が報じられた。あと一本撮ってほしかったものだ。冥福を祈りたい。

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