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青年(新潮文庫)
青年(新潮文庫)
森鴎外/新潮社
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総合評価

46件)
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    外語を知っていることが手柄のように、アルファベットの無いページが無いのではと思うほどで辟易する。20章がこの本の主題かと思えるが、純一の色恋はオマケと言いますか、読者へのサービスと云いますか?硬軟織り交ぜ、私は恋愛小説として楽しく読ませて貰いました。

    0
    投稿日: 2026.07.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    本書は、白紙に等しい青年が成長をしていく過程を描いたものであり、所謂「教養小説」「発展小説」というジャンルに属するらしい。小説内で展開される出来事(上京/未亡人との出会い/失恋?等)よりも、その出来事の中で主人公である小泉純一が何を考え、何に答えを求め(主に西洋の書籍)、どのような問いに苦悩していたかという描写が素晴らしい。100年以上前の作品であり、当然情景描写も議論の内容も(例えば、個人主義や利己主義等。西洋との接触により活発になる議論)全く今とは異なる訳であるが、現代に於いても青年が抱く或いは悩む「自分が思う自己との乖離」は大なり小なり変わらないのではないかと感じる。そしてその答えを、ある意味自らの日々とは距離のある、洗練された書物に求めるという点もいじらしい。 青年とは自分を開示していない真っ白な状態なのではないかと思う。つまり、仕事等を通じて自分を世間に晒したこともなければ、主人公のように、作家を志しながらも活字を世に発表したこともない。世に自分を開示したことがないため、傷ついたこともなく、また傷ついた時に自分がどのように反応するのかも知らない。これが鴎外が言う「生活」との乖離なのではないか。「生活」という言葉に何を投じるかは意見の分かれるところであるが、自分なりに考えるとそれは、日々の衣食住を通じ、いつ訪れるか予測も出来ぬ闇に備えることのなのではないかと思う。その闇に備え、生活にて何かを構築するも、脱構築するも良い。こればかりは、半ば無理やりにでも自分を世に放つことによってのみ、過去/現在/未来が重なる形で見出されるものなのだと思う。 特に印象に残った箇所は以下 ・自分は東京に来ているには違いない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか(p.35) ・「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」(p.50) ・「今のように思想を発表する道の開けている時代では、価値のある作が具眼者に認められずにしまうという虞れは先ず無いね。だから急ぐには及ばないが、遠慮するにも及ばない。起とうと思えば、いつでも起てるのだからね」(p.116) ・思って見れば、抽象的な議論程容易なものは無い(p.146) ・「そうさ。一々の詞を秤の上に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」(p.188) ・純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分の充実を感じたことはない(p.237) ・(解説)「純一が日記の断片」には「そんならどうしたら好いいか。/生きる。生活する。/答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。/一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。/現在は過去と未来の間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。/そこで己は何をしている」(p.324)

    0
    投稿日: 2026.06.06
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    282P 「「そりゃあ地獄も買うことの出来ないような偏屈な奴もありましょう。買っていても、矯飾して知らない振をしている奴もありましょう。そういう奴は内生活が貧弱です。そんな奴には芸術の趣味なんかは分かりません。小説なんぞは書けません。懺悔の為様がない。告白をする内容がない。厳粛な態度の取りようがないと云うのです」「ふん。それじゃあ偏屈でもなくって、矯飾もしないで、芸術の趣味の分かる、製作の出来る人間はいないと云うのかね」「そりゃあ、そんな神のようなものが有るとも無いとも、誰も断言はしていません。しかし批評の対象は神のようなものではありません。人間です」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「そう思い立ってから語学を教えて貰っている教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、この人は巴里の空気を呼吸していた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでいる筈の新旧約全書[* 119]でも、それを偉大なる文学として観察するという事はない。何かその中の話を問うて見るのに、啻に文学として観ていないばかりではない、楽んで読んでいるという事さえないようである。只寺院の側から観た煩瑣な註釈を加えた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵しているばかりである。そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々起っている外交問題とかいうような事に気を着けている。そんなら何か秘密な政治上のミッション[* 120]でも持っているかと云うに、そうでもないらしい。恐らくは、欧米人の謂う珈琲卓の政治家[* 121]の一人なのであろう。その外には東洋へ立つ前に買って来たという医書を少し持っていて、それを読んで自分の体だけの治療をする。殊にこの人の褐色の長い髪に掩われている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアル[* 122]のような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようの思でこの人に為て貰った事は巴里の書肆[* 123]へ紹介して貰っただけである。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「「僕は医者になるのだが、文学好だもんだから、折々出掛けて来ますよ。君は外国語は何を遣っています」「フランスを少しばかり習いました」「何を読んでいます」「フロオベル[* 156]、モオパッサン[* 157]、それから、ブウルジェエ[* 158]、ベルジック[* 159]のマアテルリンクなんぞを些ばかり読みました」「らくに読めますか」「ええ。マアテルリンクなんぞは、脚本は分りますが、論文はむつかしくて困ります」「どうむつかしいのです」「なんだか要点が摑まえにくいようで」「そうでしょう」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「「どうも持って行って見て戴くようなものは出来ません」「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」「余り自由になり過ぎて困ります」「活字は自由でも、思想は自由でないからね」  緩かな調子で、人に強い印象を与える詞附である。強い印象を与えるのは、常に思想が霊活[* 165]に動いていて、それをぴったり適応した言語で表現するからであるらしい。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「「あなたフランス語をなさるのなら、宅に書物が沢山ございますから、見にいらっしゃいまし。新しい物ばかり御覧になるのかも知れませんが、古い本にだって、宜しいものはございますでしょう。御遠慮はない内なのでございますの」  前から識り合っている人のように、少しの窘迫[* 236]の態度もなく、歩きながら云われたのである。純一は名刺を出して、奥さんに渡しながら、素直にこう云った。「わたくしは国から出て参ったばかりで、谷中に家を借りておりますが、本は殆どなんにも持っていないと云っても宜しい位です。もし文学の本がございますのですと、少し古い本で見たいものが沢山ございます」「そうですか。文学の本がございますの。全集というような物が揃えてございますの。その外は歴史のような物が多いのでしょう。亡くなった主人は法律学者でしたが、その方の本は大学の図書館に納めてしまいましたの」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「純一が日記の断片  十一月三十日。晴。毎日几帳面に書く日記ででもあるように、天気を書くのも可笑しい。どうしても己には続いて日記を書くということが出来ない。こないだ大村を尋ねて行った時に、その話をしたら、「人間は種々なものに縛られているから、自分で自分をまで縛らなくても好いじゃないか」と云った。なる程、人間が生きていたと云って、何も齷齪[* 250]として日記を附けて置かねばならないと云うものではあるまい。しかし日記に縛られずに何をするかが問題である。何の目的の為めに自己を解放するかが問題である。  作る。製作する。神が万物を製作したように製作する。これが最初の考えであった。しかしそれが出来ない。「下宿の二階に転がっていて、何が書けるか」などという批評家の詞を見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作が出来るかと反問して遣りたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦[* 251]が他の一面に萌す。丁度 Titanos[* 252]が岩石を砕いて、それを天に擲とうとしているのを、傍に尖った帽子を被った一寸坊が見ていて、顔を蹙めて笑っているようなものである。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「自分の体は愛惜すべきものである。容易に身を委ねてしまいたくはない。事に依ったら、女に遇って、女が己に許すのに、己は従わないで、そして女をなるべく侮辱せずに、なだめて慰藉して別れたら、面白かろう。そうしたら、或は珍らしい純潔な交が成り立つまいものでもない。いやいや。それは不可能であろう。西洋の小説を見るのに、そんな場合には女は到底侮辱を感ぜずにはいないものらしい。又よしや一時純潔な交のようなものが出来ても、それはきっと似て非なるもので、その純潔は汚瀆の繰延に過ぎないだろう。所詮そうそう先の先までは分かるものではない。とにかくアヴァンチュウルに遭遇して見てからの事である。まあ、こんな風な思量が、半ば意識の閾の下に、半ばその閾を踰えて、心の中に往来していたことがある。そういう時には、己はそれに気が付いて、意識が目をはっきり醒ますと同時に、己はひどく自ら恥じた。己はなんという怯懦な人間だろう。なぜ真の生活を求めようとしないか。なぜ猛烈な恋愛を求めようとしないか。己はいくじなしだと自ら恥じた。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「自然主義の功績を称える処には、バルザック[* 293]が挙げてある。フロオベルが挙げてある。ゴンクウル[* 294]が挙げてある。最後にゾラが挙げてある。とにかく立派な系図である。  純一は日本での en miniature[* 295]自然主義運動を回顧して、どんなに贔屓目に見ても、さ程難有くもないように思った。純一も東京に出て、近く寄って預言者[* 296]を見てから、渇仰の熱が余程冷却しているのである。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「それは自分のきのうの閲歴が体だけの閲歴であって、自分の霊は別に空中の道を歩いていると思ったのが始で、それから本に書いてある事が余所になってしまったのである。  あの霊を離れた交を、坂井夫人はいつまで継続しようとするだろうか。きのうも既に心に浮かんだオオド[* 299]のように、いつまでも己に附き纏うのだろうか。それとも夫人は目的を達するまでは、一直線に進んで来たが、既に目的を達した時が初の終なのであろうか。借りて帰っているラシイヌの一巻が、今は自分を向うに結び附けている一筋の糸である。あれを返すとき、向うは糸を切るであろうか。それともその一筋を二筋にも三筋にもしはすまいか。手紙をよこしはすまいか。この内へ尋ねて来はすまいか。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「純一が袴を穿いていると、大村は机の上に置いてある本を手に取って見た。「大変なものを読んでいるね」「そうですかね。まだ初めの方を見ているのですが、なんだかひどく厭世的な事が書いてあります」「そうそう。行き留まりのカトリック教まで行って、半分道だけ引き返して、霊的自然主義[* 306]になるという処でしょう」「ええ。そこまで見たのです。一体先きはどうなるのですか」  こう云いながら、純一は袴を穿いてしまって、鳥打帽を手に持った。大村も立って戸口に行って腰を掛けて、編上沓[* 307]を穿き掛けた。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「しかし恋愛というものを人生の総てだとは思いませんから、恋愛を成就するのが、積極的新人の面目だとも思いません」純一は稍やわざとらしい笑をした。「つまり貧乏人の世帯調べのように、自己の徳目を数えて見て、貞操なんということを持ち出したのです」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「どの男でも幾分か女の要素を持っているように、どの女でも幾分か男の要素を持っている。個人は皆 M + W[* 342]だというのさ。そして女のえらいのは Mの比例数が大きいのだそうだ」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「純一は著作の邪魔なぞをしてはならないと思ったので、そこそこに暇乞をして、富坂上の下宿屋を出た。そして帰り道に考えた。東京新聞が大村の云う小さいクリクを形づくって、不公平な批評をしていたのは、局外から見ても、余り感心出来なかった。しかしとにかく主張があった。特色があった。推し測って見るに、新聞社が路花を推戴[* 391]したことがあるのではあるまいから、路花の思想が自然に全体の調子を支配する様になって、あの特色は生じたのだろう。そこで社主が代って、あの調子を社会を荼毒する[* 392]ものだと認めたとしよう。一般の読者を未丁年者[* 393]として見る目で、そう認めたのは致し方がない。只驚くのは新聞をアカデミックにしてその弊を除こうとした事である。それでは反動に過ぎない。抑圧だと云っても好い。なぜ思想の自由を或る程度まで許して置いて、そして矯正しようとはしないのだろう。路花の立場から見れば、ここには不平がなくてはならない。この不平は赫とした赤い怒りになって現れるか、そうでないなら、緑青[* 394]のような皮肉になって現れねばならない。路花はどんな物を書くだろうか。いやいや。やはりいつもの何物に出逢っても屈折しないラジウム光線[* 395]のような文章で、何もかも自己とは交渉のないように書いて、「ああ、わたくしの頭にはなんにもない」なんぞと云うだろう。今の文壇は、愚痴というものの外に、力の反応を見ることの出来ない程に萎弱しているのだが、これなら何等の反感をも起さずに済む筈だ。純一はこんな事を考えながら指が谷[* 396]の町を歩いて帰った。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」  純一は暫く考えて云った。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでしょうか」「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようという問題になるね。巴里の Institut Pasteur[* 596]に Metschnikoff[* 597]というロシア人がいる。その男は人間の体が年を取るに従って段々石灰化してしまうのを防ぐ工夫をしているのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだろうね」」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「純一の笑う顔を見る度に、なんと云う可哀い目附きをする男だろうと、大村は思う。それと同時に、この時ふと同性の愛ということが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の堺がある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所の交を疎んじて、ここへばかり来る。不断講釈めいた談話を尤も嫌って、そう云う談話の聞き手を求めることは屑としない自分が、この青年の為めには饒舌して忌むことを知らない。自分は homosexuel[* 608]ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽が潜んでいるのではあるまいかということが、一寸頭に浮んだ。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著 「そしてその時間を縮めようとしている或る物が存じている。それは小さい記念の数々で、ふと心に留まった坂井夫人の挙動や、詞と云う程でもない詞である。 Un geste, un mot inarticulé[* 686]である。この物は時が立っても消えない。消えないどころではない。次第に璞[* 687]から玉が出来るように、記憶の中で浄められて、周囲から浮き上がって、光の強い、力の大きいものになっている。本を読んでいても、そのペエジと目との間に、この記念が投射せられて、今まで辿って来た意味の上に、破り棄てることの出来ない面紗[* 688]を被せる。」 —『青年(新潮文庫)』森鴎外著

    3
    投稿日: 2026.04.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    小泉主人公に感情移入するにしたがって、自分の嫌な部分を暴かれるような嫌な気持ちを味わった。 大村青年は『ノルウェイの森』の先輩と似た雰囲気があったように思えた。 頻出するフランス語が瀬戸放浪人との対比なのか、注釈との往復が大変だった。 誘われ行った福住は、坂井夫人は岡村画家と親密な関係を築いていて、ありありと眼前でその光景を見せつけられている。しかも大晦日の夜だった。 もし、この光景を見せつけるために招いたのなら、裏切りでもなく羨むでもないこの余韻はなんだろう。良い気分ではなかった。 読後感?(読後感という言葉は慣れていたないが、余韻としてあまりよいものではなかった)。 とはいうものの、小泉主人公の目線から言えば恋人ではないのに、どうして坂井未亡人の元へと向かったのが、恋愛ではないと言っているくせに、それは情欲のためかとするならば、その裏切りとかそういう感情は、違うだろうと言えるが……。

    0
    投稿日: 2026.04.02
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    100年以上前に世に産み出された作品なだけあって、まず言葉遣いに苦戦する。そして昔の日本の有様に実感がわかない。それでもストーリーはとてもシンプルで、知らない語彙は推測しながら読み進めていっても楽しめる作品である。登場人物たちも魅力的で万人にお勧めできる森鴎外の作品だと思う。

    1
    投稿日: 2025.09.15
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    代表的な教養小説とのことですが、十分に理解できる教養を身に着けたいと感じました。 小説家を目指して上京してきた比較的裕福な家の青年が、下宿先で様々な人と出会うのは人間失格と似ているなと思いました。 男友達に引き込まれそうになったり、なぜか出会う女性殆どから好意持たれたり…。 誘惑に勝つか負けるかというのは、ほんのちょっとの差でしかないのだろうかと感じました。もし自分が似たような境遇になった時に、主人公の純一のように行動できるでしょうか?

    12
    投稿日: 2025.05.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    純一の成長、というよりは、なんでもない日常 のように見えた 上京して、新しい人に出会って、経験が増えたからといって文才が育つわけではないし、 純一はきっと、大きく成長したりはしない これからも不条理な感情を持って、やらなければならないことを後回しにする ただ、流れるように、時が過ぎて行くだけ

    1
    投稿日: 2025.02.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上京した純朴な美青年小泉純一が、医学生の大村や法学者の未亡人坂井夫人との交流を通して世間を知っていく話、のように思えた。特に前半では、キラキラした目のきゅるんとした純な少年、といった感じの描写をされている純一が、坂井夫人に出会ってまんまと(?)「男の貞操」を捧げてしまったあたりから、人間はいかに生きるべきか、自分は真の自由を持っているのか、そんなことを当事者性を持って考えている気がする。大村は純一の精神面の成長に、坂井夫人は身体を持った一個の人間としての成長に寄与している。純一は自分の精神の自由、選択の自由をあえて意識しながらその実、自分の欲望の前に自分は自由ではなくて、あれこれ言い訳をしながらも坂井夫人を訪ねてしまうのを自覚している。それが、坂井夫人を追うようにして行った箱根で坂井夫人が画家の岡村と一緒に夫婦のようにして過ごしているのを目の当たりにして、もうこの生活をやめようと自分で決心し、今こそ文章が書けるような気がしてくる。リルケだったか、詩を書くためには恋をすることや瀕死の病人の手を握ることや、人生の経験を積むことが必要だというようなことを言っていたような(慶應文2008年の小論)記憶があるけれど、それと同じで、上京したてのただ純粋なだけの青年には書けなかったものが、自分の中の葛藤や嫉妬や制御不可能なものや、人生のいろいろなままならなさを知ることが、文学者としてのスタート地点だよなと思った。

    2
    投稿日: 2025.01.21
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    読むのとても時間がかかりました。 私は女であり、歳もそれなりにいってるからか 純一の思考や行動の素直じゃないところにモヤモヤした。 けれどそんな純一の思考や行動を上手く描いてあるなとは感じた。 国府津で宿屋を探していた時に、身なりで何件も「どこも開いておりません」と断られた自分を棚に上げて、やっと泊めてもらえたボロ宿や、そこの女中の見定めとか、夫人を追って箱根に行ったのに、そうじゃないフリするところとか かわいくない奴だなと思ってしまった。

    1
    投稿日: 2024.11.22
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    面白いよと人に勧められて読んでみた。 裕福だから働かなくてもいいし学校にも行っていない主人公の二ヶ月間を綴った話。わざわざ山口から東京に出てきたのに部屋で本を読んでいる時間が多そうで、ものを書けないのはインプットが足りないんじゃないかとアドバイスしたくなる。 坂井夫人に勝手に期待して、期待が裏切られたら腹を立てる、というあたりは、いかにも若者という感じがする。 100年のトーキョーはこんな感じだったのかぁと、雰囲気を感じられる点は面白かった。

    0
    投稿日: 2024.09.17
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    鷗外の作品は、読者の洞察が必要、とドナルド・キーン氏が述べている。 ただ、短編だと、その洞察がいい具合に効いてくるのだが、長編だと散漫になるきらいがあるだろうか。 ところどころに当時の反自然主義文学の匂いがするし、性に対する抑制的な表現も、その表れなのだろう。 鷗外らしく、ところどころに哲学的、思想的なエッセンスが埋め込まれており、それを噛みしめながら読むのがいい。 以下抜粋~ ・(日記について)「人間はいろいろなものに縛られているから、自分をまで縛らなくても好いじゃないか」 ・「利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互いにそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論をまたない。利他的個人主義はそうではない。」

    1
    投稿日: 2023.10.18
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    恋愛それは時に苦しめ、まようものである。 そしてこの小説にはフランス作家、芸術家が記載されている また思想面をみても奥深さを感じた また再読したい

    1
    投稿日: 2023.02.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    漱石らしき人物が登場していることから、かなり漱石を意識しているようだ。 本作の内容も夏目漱石の「三四郎」に比する小説だろう。住んでいるところはどちらも谷根千界隈で、女性に振り回されるところも一緒。 地方から出てきた若者が思い悩むさまが描かれるところも似ている。 ラストが唐突なのは、書くべきことは書いたということなのだろうが、「ストレイシープ」の方が、悩ましさが出ているような気がする。

    0
    投稿日: 2022.12.02
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    夏目漱石の『三四郎』に影響されて書いたとされていますが、正直いって『三四郎』のような深みはないですかね。

    0
    投稿日: 2022.11.05
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    ストーリーや文体はともかくとして、やたらフランス語が出てくるし、同時代の作家のパロディみたいなのも登場するし、文学かぶれの同人誌に載るような作品に感じる。当時の評価はどうだったのかな。 今なら袋叩きにあいそうな描写もあるし、注釈も、その言葉に説明がいる?と思うところも多く、いろいろ時代を感じる。 そもそも、学校へ行くわけでもなく、誰かに弟子入りするわけでもなく、仕事もせずなんとなく東京で部屋を借りて一人度暮らすという身分。資産家の息子という設定でも、そういうのも時代を感じる。いや、そういうご身分の人は、今もいるのかもしれないけど。

    0
    投稿日: 2022.07.10
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    初めての森鴎外作品。まずは著者の文学、哲学・思想についての知識に驚愕。元々東大医学部卒のバリバリの軍医という経歴もさらに驚き、博識すぎ笑 文章自体はそこそこ難解なところが多いけど、思想・心情について的確に描写しているという印象を受けた。田舎の裕福な家に生まれた青年が、普通じゃ嫌だといって小説家になるために東京に出てくる。文学の知識はあるから、作中の登場人物の行動や思想を批評したりして頭でっかち感がある一方、大村の言葉に素直に聞き入るといった受容性の高さもある。自らの哲学がまだ不安定なところで様々な女性との出会いを重ねていき、ありていに言えば「大人としての経験を積んでいく」。 主人公は最後までなかなかモノを書くことから遠ざかっていた。それは最後の方でも少し触れられているが、とりあえず書こうとしているものはあってそれがなかなか進捗しないように思える。その原因のひとつとしては、思想的な迷いや技術の未成熟さがあると思われる。この点は大村との交流を含め、自身の哲学や心情を客観視しながら議論しており、精神的成熟が進んでいる。一方、モノを書く衝動みたいなものが欠けているのも事実。とりあえず東京に来た感、漠然と小説を書こうとしてる感は最初から拭えない。そこで未亡人との箱根での一件では、そうした浮ついた主人公に羞恥心、劣等感、嫉妬、虚無感、憤怒といった種々の感情が巻き起こり、創作意欲を駆り立てる。いわゆる、スイッチが押されたんですね。 要するに、内面の成長と意欲を駆り立てるイベントが、どちらもいい感じに進んで、創作意欲が湧いたみたいです。このイベントが恋愛ごとで、いかにも青年っぽい青く初々しいものです。 現代社会の我々も、勉強やOJTを通して知識や技術を会得しながら、何かしらで自分自身を駆り立てなければならないですね。

    0
    投稿日: 2022.01.30
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    昭和54年2月15日 52刷 再読 時代は明治後期、作家志望の青年小泉純一が、上京して東京の友人、作家らに関わりながら、成長していく青春小説。 装丁の絵が同じで感動。というか、三四郎より青年の読者の方が少ないのでしょうか。 初めて読んだ当時、夏目漱石の「三四郎」に影響を受けて書いた事は知らなかった。続けて読むと、確かに似ています。青年の小泉君の方が、話の流れから美形でちょっと裕福でモテてしまう事はわかりました。 青春日記の様相なので、凄く面白いとはいかないですが、当時の青年の歳上女性への恋心、歳上女性に振り回される様子など、「三四郎」とセットで当時の青春を知る文化遺産だと思います。

    5
    投稿日: 2022.01.16
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    田舎から上京してきた小説家志望の青年の、性愛を巡った内面の変化がじっくりと描かれていた。性愛といっても誰に恋をするというわけではなく、東京で出会う様々な女性や、気の合う男性とのやりとりに何かしらの性愛の欠片を感じ取っているだけなのだけど、そこがリアル。 あとは上野、大宮、箱根などの身近な土地がたくさん出てきて、それぞれの街の大正〜昭和前期あたりの雰囲気が分かって面白かった。

    0
    投稿日: 2021.09.18
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    著者に対して学生時代に読んだ作品から何となく文語調で読み辛いという認識があったために全く作品を手にしていなかったがこの作品を読んでその印象を根底から覆された想いで、むしろ他の作品にも手を伸ばすきっかけとなる作品でした。若き作家が理想とする生き方の青臭さをそれと知りながらもある意味ストイックにその姿勢を貫こうとするも結局は市井の出来事はそんな高尚でないという現実を知ることで本当の意味での文学を現出しうる事に気付くという内容。それ以上に著者の文学への造詣の深さに感服させられた。

    0
    投稿日: 2018.03.26
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     「王子さまモノ」の典型だと思います。語り手の文や、主人公が読んでいる本の内容が、その後の小説の展開を示唆・風刺している場面が、度々ありました。女性の、感性・無意識の好みは、この小説の主人公の様な人が良いのでしょうか。語り手・主人公の日記、どちらも男性の視点ですが(語り手はおそらく)、しばしば女性の視点を経由しての語り手・主人公の視点で小説が書かれています。主人公はこの小説に登場するほとんどの女性に好意を寄せられています。主人公の社会を観る視点は、女性の視点・女性的な価値観を多く取り入れたモノだと思います。また、語り手は、作者の視点・価値観に近いと感じました(なんとなくですが)。人・モノを客観的に観ていると思います。そして、その視点が、かなり主人公の視点と近い位置に在ると思います。社会(主に男性社会)を風刺・批判する描写が多いです。語り手の客観的な視点と、主人公の女性の視点・女性的な価値観を多く取り入れた視点が交じり合って、それを喜劇的・戯画的に描写していると思います。  この小説が書かれたのは、明治初年から約40年後です。この40年間に日本は「富国強兵政策」をある程度達成しています。戦後の1945年から約40年間に日本は「富国強経政策」をある程度達成しています。また、明治45年から約12年後に「関東大震災」が起きています。戦後45年の1990年から約21年後に「東日本大震災」が起きています。両方の地震の間に発達したモノの一つは、「原子力」の発見、それの応用、社会への活用だと思います。オルダス・ハクスリーが、「すばらしい新世界」の前書きに、「われわれが権力を分散し、応用科学を、人間を手段として使うためではなく、自由な諸個人からなる社会をつくるために利用する道を選ばないとすれば、与えられる選択肢は次のふたつだけだろう。」と書いていました。今まで読んできた本の類推ですが、そのうちの一つは、伊藤計劃さんの小説、「虐殺器官」の世界観と類似していると思います。もう一つは、同じ作者の「ハーモニー」の世界観と類似していると思います。女性が色々な意味で「自由」なのは、その社会の文化が発展している事の証明の様な気がしました。  「ひとつは、ナショナリズムに凝り固まった軍事優先主義的、全体主義的な国々が、恐ろしい原子爆弾をみずからの基礎に据え、文明を破壊する世界(あるいは、戦争が限定的なものにとどまる場合は軍事優先主義が永続する世界)。もうひとつは、個々の国家を超越した全体主義の世界で、急速な科学技術の発達、とりわけ原子力革命から生じた社会的混乱をきっかけに現われ、効率性と安定性が追及される中で専制的福祉国家へと発達するユートピアだ。さあ{みなの衆、金を払って、好きなほうを取りなされ!}」

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    投稿日: 2017.12.15
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    美しく若い青年純一の精神を描く1冊。 心のうちを丹念に言葉にし、哲学的な観点からも自己を見つめていくが、まだまだ青く未熟な内面が揺れ動く。思想や考えは大人びているようで、生きることそのものについてはウブなあどけない少年のようでいる。 またしばらく経ったら再読したい。

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    投稿日: 2016.11.27
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    青年の主人公の小泉純一。教養はあるが恋愛には今一歩踏み込めない。モヤモヤを綺麗にまとめている。しかし、ドイツ語やフランス語も所々散りばめられている。

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    投稿日: 2016.05.13
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    中学生の頃には難しく、大人になっても難しかった。 しかしまぁ、昔から、お姉さんはうまい誘い方をされる・・・

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    投稿日: 2015.10.10
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    青年というからには、若さとか情熱とか燃え上がるような恋とかいうものを想定しがちだが、そこはやっぱり鴎外翁。理性的でストイックな主人公に仕上がってます。 ただ、純一(主人公)の青年らしい拙さは、「(芸術のために)恋に憧れているけれど、恋を始めるきっかけが解らないよね」というところかな。 あるきっかけで知り合った美人の後家さんに弄ばれ?て、この恋?に飛び込んで良いのかどうか、途惑っている。 しかも、恋愛の手本をヨーロッパ小説に求めているところなんて、いかにも初々しい理想の高さがうかがえる。 その美貌から、作中何度か恋愛フラグが立っているのに、同性(大村さん)までもが、この美貌とかわゆい笑顔にめろめろになって、「もしかして俺、ホモかも」とか思っちゃうのに、 恋愛に対してイマイチ上手く立ち回れない(理想やら理性やら未熟さから掣肘されて)、 そんな不器用な、『青年』の物語でした。 ただこの純一という青年、あと5年も東京で暮らせば、さぞや立派なプレイボーイになることでしょう(笑) そのころまでに、立派な文芸作品を書き上げられているかどうかは・・・わかりませんがww

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    投稿日: 2015.08.07
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    解説に「この小説は叮嚀(ていねい)に、時間をかけてゆっくりと読まれることを要求している」と書いてる。まさにそのとおりである。 この小説の主人公の青年のように、男女関係における感情を、科学的、文学的、哲学的に見つめて分析するのは、私たち常人にとっては「おかしなこと」としかいいようがない。 私は森鴎外の小説であれば「雁」のほうが好みだ。

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    投稿日: 2015.06.24
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    初森鴎外。ルー大柴の元ネタか(失礼) 純朴な青年が大人の階段を登り始める話。 中勘助みたいな文章そのものの美しさはあまり感じないけれど、 心理描写の生々しさが良い。 哲学について少し知識を増やしてからまた読み直したい。 この時代の「文系」な方々の知識の豊富さに辟易します。

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    投稿日: 2015.03.22
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    森鴎外ってクソ頭良いんだろうなって思わせる作品。よく「あーなんて言えばいんだろう」ってなる脳みそのモヤモヤした物を綺麗に言葉で表現している。さすがです。

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    投稿日: 2014.06.04
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    久しぶりに読んだ。上京した青年の出会いと別れ、と物語構成は教養小説なのに(要するに漱石の『三四郎』的)、主人公が妙に教養をもっている分だけ、教養小説度合は薄め。

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    投稿日: 2014.03.28
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    時は明治。田舎の裕福な家庭に育ったぼんぼんの小泉純一は、上京し小説家を志していた。東京では同郷の小説家や、美術学校に通うかつての同級生の瀬戸、文学を愛好する医学生の大村などとの交わりで次第に東京にも慣れ始めていたが、ある日、劇場で出会った美貌の若き「未亡人」坂井夫人に誘われるまま彼女の豪邸を訪問し、そこで「男」になるのであった・・・。 この物語自体、特にどうという進展がなく、ひたすら主人公が出歩き交流してその時々に考えた様子を描いているだけなのですが、何ともいえなく味わい深い雰囲気を持った作品でした。主人公が訪れる小説家の部屋や、文学会の様子、同郷会の宴会、街々の風景など「明治」という空気を感じさせる「場」の雰囲気がとても良く、そして、そこに登場する遊び慣れた瀬戸や、西洋文学に造詣が深い大村、それに愛なく純一を虜にする坂井夫人といった様々な人物要素の対立軸で、田舎から出てきたぼんぼんの精神を涵養させていく様子はある意味「律儀」な展開の面白さであり、その鴎外特有の和洋をとりまぜた硬質な文体と相まって、なかなかコクのある香りを発散させていました。時折挿入される西洋文学や哲学の評論や引用なども、この雰囲気を盛り上げるのに一役も二役も買っています。 最後は「精神」の修練と愛なき「性欲」の対立項という「青年」ならではの葛藤と展開になり、その衝動と知性に揺れる描写はなかなか面白いものでありましたが、それが「青年」の「文学」に昇華された様もみてみたかった。 それにしても、借家の知人の令嬢で微妙に迫ってくる「お雪」といい、宴会後にこっそりと名刺を渡してきた16才の美しい芸者「おちゃら」といい、箱根旅館の女中の中でも一番美しい「お絹」の微妙な干渉といい、そして誘惑され速攻落とされた美貌の「坂井夫人」といい、「精神」を磨き「文学」を志す!なんていってられないほど羨ましい境遇ですね。(笑)

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    投稿日: 2013.09.01
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    美青年、小泉純一が可愛すぎる。 小説家への溌剌とした思いとプライドから上京して上手く生活が回っていたのに。 坂井夫人の妖艶さに当てられて、彷徨。 そうだよね、恋って怖いもんだよね。 未亡人なんぞに負けるものか、と意気込むのだけど、ぐるぐると負のスパイラル。 近付きたい、でも、近付いてはいけない、でもでも、なんだ思わせぶりなその仕草はー! といったところです。 読むべき所は様々あるのだけれど。 純一の初々しい恋の駆け引き具合にきゅんときてしまう。男をも魅了してしまう笑顔ってどんなもんだー!

    4
    投稿日: 2013.07.24
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    ピカピカに弾力漲る青年・純一の自意識がむず痒くも懐かしく心地よい。身の回りのいろいろに振り回され創作意欲を掻き立てられていた頃の気持ちにしばし立ち返った。(しかし意味もなくフランス語の単語を乱用するのは如何なものか。こういう衒いがまだ特権的に許容されていた時代だったんだろうけれど…)

    0
    投稿日: 2013.05.26
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    煩悶青年のお話。 純一は恵まれた家庭に生まれ 就職する必要がない。 奥さんとのロマンスも うやむやに終わり。 ううん 「三四郎」のカタルシスはない

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    投稿日: 2013.02.25
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    (1966.03.31読了)(1966.03.31購入) *解説目録より* 叡智と教養ある一青年が、真実の生活を永遠の希求として、自己の状態についに満足が得られなかった魂を描いている。若く美しい未亡人や芸者との接触も写され、自らの行動の批判や内省には、新旧いずれにも頼れる権威のない時代の姿が描かれて、今日の世相と一脈通じるものがある。 ☆森鴎外さんの本(既読) 「雁」森鴎外著、新潮文庫、1948.12.05

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    投稿日: 2012.12.15
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    文豪、森鴎外の作品『青年』。 実家の私の本棚から取り出しました。 中学生のころに買って読んだ本です。 一度読んだ本を、今の私がもう一度読んだらいったい何を想うか。 主人公の名前が「小泉純一」。 なんとなく、今は政界を引退した元総理大臣のことを思い起こさせます。 私が本を読むときはあまり主人公のイメージを固めないのですが、 この作品に関しては、元総理大臣の息子(芸能人のほう)のイメージが定着してしまいました。 しかも、純一は地方のお金持ちの家の人。 勉強ばかりしてきた育ちのいい、しかも外見がとてもよいお坊ちゃま。 親の援助で東京に出てきて、「本を書きます」といいながらも なかなか手をつけることをしない。 医師を目指す友人と議論をたたかせたり、 人脈を広げ見聞を広げようと、いろいろな会合に顔を出すが、 たいした収穫も無い。 あげく、偶然であった魅力たっぷりの未亡人にもてあそばれ、 傷心の坊ちゃまは未亡人のもとから逃げ帰る。 自分を傷つけた未亡人へのあてつけで、ようやく 本の執筆を決意する。 「今書いたら書けるかもしれない」 なんなんだ、この男、「小泉純一」。 これが「青年」なのか? こんなんでいいのか?小泉幸太郎!! 解説を読むと、文学的な裏づけがしっかりしていて、 また当時の世の中への風刺がちりばめられている作品 とのことです。 すみません、私が不勉強でした。 結論:私、中学生のころにはこの作品読んでいないと思います。

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    投稿日: 2012.12.03
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    1910-11年発表。西欧語と和装用語が満載の教養小説だが、美男子がもてまくりつつ自分の性欲に悩むという面倒臭い話でもある。当時の高等遊民の風俗や、イプセン、メーテルリンク、ヴァイニンガーあたりの知的インパクトが推し量られる点が興味深い。 「人形食い」という言い回しが出て来て、他でも見かけたような気もするが、面白いなあと思った。少し前なら面食い、今ならイケメン好きと呼ぶところだが、今も昔も特に女性の性向として特化されるのはどういうわけか。もっとも、本作ではあくまで、男性から見た女性の異常性欲という扱いなのに対して、イケメンはむしろ女性同士の隠語のような気がするので、それはそれで、時代の流れと言うべきか。 それにしても、本作はブクログではISBN検索でしか引っかからないし、iPadでは「性欲」は助詞付きで変換できないし(あ、「助詞」もだ)、何とも暮らし辛い世であることよ。

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    投稿日: 2012.08.10
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    なかなか面白かった。道徳についての思い悩みなど自分と重なるところ多し。 先生は「能動的な受動」「歩く耳」と言っていた。小説家になりたくて上京したものの、積極的に話したり書いたりするわけでもなく創作意欲があるとはとても思えない、自分の身の置き場にひどく困っているわけでもない、借りた本も読まずに返す。 適度な世渡り上手と恵まれた境遇ゆえに、切羽詰まることなく、結末でも書けるかどうかは分からないまま切られてしまう。 今の自分にぴったりな作品だった。

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    投稿日: 2012.05.24
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    解説にある通り、夏目漱石「三四郎」に対する森鴎外の作品といっていいと思う。自分としては「三四郎」よりもこの「青年」の主人公の方が自分の感覚に近いような気がして、場面、場面の心情に同意できる。20代の初めってこんな感覚だったなぁ…と懐かしくなったりもした。間違いなく良い作品。

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    投稿日: 2012.04.25
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    思想の話やあたしの知らない人物、外国語がでてきて読みにくかった。あきらかに知識不足。それだけの知識を持った森鴎外はさすがというかなんというか。

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    投稿日: 2011.06.05
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    難しく、まだ良く解らないので時間を置いて再読したい一冊。背伸びしても響かんものだなぁ…と実感。あ、でもほかの方のレビューを見てたら、三四郎を先に読んでみたいなと思いました。

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    投稿日: 2010.11.23
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    田舎の金持ち坊ちゃんが小説家志望で東京に出てくるが、具体的には何もせずうだうだと暮らしてる話。美人の未亡人にふられて今なら何か書けそうだ!てとこで終わってるが、きっと何も書けないでしょう。

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    投稿日: 2010.07.19
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    三四郎に対抗して書いたらしい。 鴎外自作の東京地図を辿りながら主人公が歩いていく場面も 初めだけだし、お雪もおちゃらもキャラが弱いかな。 坂井夫人も初めは強烈だけど、後は印象が薄い。 物語の筋も主人公が文学を書こうとしながらも書き上げられず、 やたらモテるという中途半端な感じだった。 ふらんす後が書いてあっても意味がわかりませんな。 ロシア文学だと訳にフリガナとしてフランス語だったりするからわかるけど。

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    投稿日: 2010.07.10
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    目の描写がよくあるきがする。主人公やお雪、未亡人の目。それぞれの目。 漱石の「三四郎」と比較される事がよくあるかな?発表時期も近いし、内容としても。 横文字混ぜてくるのはまあしょうがないですよね。 男子の貞操について悩んでるの面白い。

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    投稿日: 2010.07.08
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    ニイチェの詞遣で言えば、einsamなることを恐れたのではなくて、 zweisamならんことを願ったのである。

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    投稿日: 2009.05.24
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    森鴎外2冊目はこの『青年』であり、これを選んだ理由はただ目に入ったからです^^ どれが有名な作品かもわかりませんよっと\(^o^)/ でも、そういう境遇で読んだものの、なかなか興味深いものでした。もちろん、時代や環境がまったく違うものの、私は主人公に共感するところが多々ありました。よくこのような青年の心を書くことができると、つくづく感心させられます。あ、私はまだ青年の心を持っていますよーヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

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    投稿日: 2008.02.02
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    2006. 10月頃 過剰な自意識を文章として出されても何も感じない 僕はそんなに自意識過剰でしょうか。

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    投稿日: 2006.12.20
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    小説家志望の上京したばかりの純一の話。女性や、会合で出会った大村や、読書など、その生活の中で体験したことを糧に次第に内面を充実させていく。

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    投稿日: 2006.05.01