
総合評価
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powered by ブクログ4年前、ロシアとウクライナの戦争が始まったタイミングで読んだ「タ暮れに夜明けの歌を」(奈倉有里)のなかで紹介されていて、(素晴らしい名著です)必ず読みたい!と思いながら時は過ぎ。。カラマーゾフの兄弟を読んで、亀山郁夫先生の講座聞いて、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本をいくつか読み、この度新訳が出たタイミングでやっと読むことができた。まだ戦争は終わっていない。 これは...これはこれは…!! 大好物なものだらけ。モスクワを舞台に、悪魔達が暴れ回る。首がとび、人々の気が狂い、書類は消えて、ネコは酒を飲む。。 「そう、要するにこれが地獄です。」 並行して語られる、ナザレの人イエスの処刑の物語。翻訳メモにもあったが、この物語の語り手が悪魔になったり、気を狂わされた人の夢になったり、巨匠と呼ばれる人物の作品となったりする非常に凝った構成で、そこもすごく良かった。 悪魔に対しての神、としてのイエスという訳ではなく、「人間の欠点の中で最も重要なもののひとつは臆病」ということをあぶり出す仕掛けのように読んだ。 空を飛んだり、月へ向う階段を登っていったり、地下への階級を下りたり、果てしなく遠い地底からやってくる死人を見下ろしたり。 高低差を感じる場面が多くあり、躍動感にふり落とされそうな感覚になった。それがまた非常に楽しい、、、 「悪魔の大舞踏会」がもう、本当に本当に素晴らしくて、マルガリータの目線で足をガクガクさせながら読んだ。 純粋にこのめちゃくちゃで残酷で、なのに可笑しくて少し悲しい物語を楽しんでから、巻末の訳者による翻訳メモとあとがきを読む。 この作品に込められた1930年代当時のスターリン批判がどのように描かれているか。 ロシア人特有の言い回し、「悪魔は知っている」の意味。 エルサレムの物語の背景。 プリムス・コンロ、共同アパートなどソビエト連邦時代のこと。←スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの「赤い時代の人々」を読んでいたときにたまに出てきたような気がした。 実際のモデルとなった建物の話。 更に更に、今回の新訳の底本とした1990年版と、1973年版との違いまで、丁寧に説明してくれている。 これを読んでからまた読み返すとまたまた新しい読み方が広がって、、 ロシアに行きたい。パトリアルシエ池のほとりに行きたい。戦争なんか早く終わってほしい。
1投稿日: 2026.08.12
powered by ブクログこれまで知らなかったが、ウクライナの作家による有名な作品とのことである。 『巨匠とマルガリータ』の題の通り、「巨匠」とマルガリータが再会し共に暮らすようになるまでを描いているが、その過程でウォーランドとその配下の悪魔たちが街を引っ掻き回しめちゃくちゃにするエピソードが複数描かれる。「巨匠」とマルガリータの登場も、序盤から暫く待たねばならず、個人的にはこの過程が本当に必要なのか疑問に感じてはいたが、このエピソード(段階)の要不要などどうでも良くなるくらい物語が面白く引き込まれた。翻訳メモに曰く、この作品が長い時間をかけて書かれたために物語に矛盾が生じているとのことだが、それも気にならなかったほどである。 総計700p超えとボリュームのある1冊なので時間のあるときに読むことをおすすめする。
4投稿日: 2026.05.13
powered by ブクログ作品発表時のソ連の国情、文壇などの知識がないと難解か。長い解説を先に読んだ方がいいかもしれない。2026.3.31
1投稿日: 2026.03.31
powered by ブクログ1930年代のある春のモスクワの公園で、詩人のベズドームヌイと編集長のベルリオーズは黒魔術の教授を名乗る悪魔ウォーランドに声をかけられる。ベルリオーズはウオーランドに死を予告されるとその通りになり、殺人を訴えるベズドームヌイは精神病院に送られる。話は変わって古代エルサレムでのイエスの裁判と処刑の一日が描かれる。イエス処刑後に恐れ慄くピラト総督と密告者ユダ。更に話は戻って悪魔は二足歩行する巨大な黒猫ベゲモトらを手下に従え演芸場に現れて魔術を行なう。悪魔ウオーランドがばら撒く金や洋服や宝石に目が眩んで狂喜乱舞する観客たち。混乱する街の人たち。一方ベルリオーズは精神病院で巨匠と名乗る作家に会う。巨匠はピラト総督の本を書いている。そして愛する妻マルガリータは彼が病院にいることを知らない。 悪魔はマルガリータを魔女にして悪魔の舞踏会に招く。巨匠とマルガリータはどうなるのか! 無茶苦茶な話である。善悪、幸不幸、夢と現実、その違いとは何だろう。「すべての理論についていえることですが、ひとつの理論は他の理論にとって価値があるのです」と悪魔ウオーランドは言う。世の中は何でもありなのだ。何も否定されない。 「人間の欠点の中で最も重要なもののひとつは臆病だ」「原稿は燃えないのです」スターリンの弾圧に怯える俗人たちにブルガーコフは臆病を克服せよ!という。原稿は燃えない、闘え!と叫ぶ。 作者ブルガーコフは自作が弾圧を受ける中、政府に手紙を書いた。自分の作品がこの国にとって不必要ならば海外移住を許可してくれ!ダメならモスクワ芸術座の仕事を斡旋してくれ!そしてスターリンから直接電話をもらって芸術座の仕事に就くというたまげた人なのだ。 混乱する社会を描き、社会に振り回され、びくつく人たちを笑い飛ばし、秘密警察を手玉にとって遊ぶ。何が本当で何が嘘なのか。登場人物も誰が実在で誰が夢幻なのかわからなくなる。 「いつかのたった一度の月夜のために二万もの月夜を苦しむのですね」イエスの処刑を指示し後悔に打ちひしがれるピラトを、巨匠と悪魔はイエスと話し合って約2000年の後悔から解放する。巨匠はピラト総督に「お前は自由だ!あの人がお前を待っている」と伝える。すべては最後に許されるものだ。そして最後に巨匠は悪魔の力を借りてマルガリータへの愛を貫く。だから、臆病になるな。すべてのことに価値があるのだと。これ、壮大なファンタジーでしょう。
10投稿日: 2026.02.28
powered by ブクログ猫の絵のカバーが愛らしく、手に取る。 物語は1930年代のモスクワと、「ナザレの人」がポンディオ・ピラト総督によって処刑される、約2000年前を描きながら進む。それがラストには交錯し、綺麗に混ざり合って終わる。 壮大なファンタジーの中に、ユーモアから神学論までが散りばめられている。 悪魔が現れ、その手下の、表紙のような可愛らしい猫ではなく、太った嘘つき猫が活躍し……タイトルの巨匠が現れるのは読み出してからかなり先で、マルガリータが現れるのは第二部まで待たなければならない。 それでも人がどんどん消えていく場面などは、スターリン時代の旧ソ連を暗示するようで、ただのファンタジーとは読めない。笑える場面の下に、どこか拭えない暗さ、陰のようなものがある。 読後に面白かった、だけでは終わらない時代の、歴史の靄が残る。 そもそもこの作品は著者が1940年に死ぬまで書かれ、生前は発表されず、死後26年後にやっとソ連では発表された、検閲ありで、という。いまだに未完でもあり、また新しい完全版が今後発表かもしれないとの、訳者の言葉が。 話は大きく個人的な問題に変わるが、新品のこの本を手にして、ちゃんと買う前に確認したつもりだった。 しかし家に帰って開いてみると、本の中のページの一枚が折れ、しわくちゃになっている。ペリペリとそっと開いてみると、そのページの紙だけがいびつに大きく、本からひょっこりと、不恰好にはみ出している……。 うーん、これは経験したことある人も割と多いのかもしれないが、本や雑誌で稀に存在する事象。テンションが下がり、読むのも後回しにしていた。 ふとネットで調べてみると、いるわいるわ、同じ体験をした人。そして……ん? もしかして「福耳」と呼ぶのだろうか? こういう本から紙が飛び出たりするミス……それなら、なかなか味のある名前を付ける人もいるもんだ、と妙に納得。 圧制下の中でこの作品を書いた著者への敬意と、大きすぎてしわくちゃで、それでも何とか読める「福耳」ページ。 しかしこんな不恰好な福耳って(笑) 本当に忘れられない一冊になった。
217投稿日: 2026.02.25
powered by ブクログ翻訳はうまい なかなか難儀な作品だ。 前半は文学協会の編集長が、謎の外国人(=悪魔)の予言どほりに路面電車に引かれて死んでしまふ。そんなドタバタで始まる。 そこが魅力的に映るかどうかは人しだいだ。私はかういったサスペンス調が平坦に感じられて、近代文学としてはかなり退屈な方だった。 要するに、この小説は通俗仕立てで、悪魔はモスクワにあらはれるし、魔法は使ふし、巨匠とマルガリータの大恋愛も街角でばったり出会った一目ぼれといふ、ラヴロマンスもびっくりの粗雑さだから、そこが問題だ。 宗教小説の側面もある。あひまあひまに、ナザレのイエスの挿話がさしはさまれるが、ただの小道具で、結局は第1部はパニック小説としての側面しかない。奇想といひつつ、予想できてしまふ。
2投稿日: 2025.11.05
powered by ブクログミハイル•ブルガーコフ著、石井信介訳『巨匠とマルガリータ(新潮文庫 ; フ-61-2)』(新潮社) 2025.10発行 2025.10.30読了 ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』は、幻想文学としての魅力、政治的風刺としての鋭さ、宗教的問いかけとしての深さを併せ持つ、まさに20世紀ロシア文学の傑作である。その中でも、私が最も心を揺さぶられたのは、巨匠とマルガリータの恋の物語だった。 彼らの愛は、体制の抑圧や現実の苦しみを超えて、幻想の中で輝き続ける。これは、ただの恋愛ではない。魂の救済であり、創造の再生であり、自由への祈りでもある。 巨匠は、イエス・キリストとポンティウス・ピラトを描いた小説を執筆したことで、ソビエト体制から迫害を受け、精神的にも社会的にも崩壊してしまう。彼は名前を捨て、作品を焼き、孤独の中で生きることを選ぶ。一方、マルガリータは、そんな彼を愛し続け、彼を救うために自ら悪魔の力を借りて魔女となる。彼女の行動は、愛のための犠牲であり、信念のための飛翔である。 マルガリータの飛行シーンは、幻想的でありながら、彼女の内面の解放を象徴している。彼女は社会の規範や道徳を超えて、愛する人のために空を舞う。その姿は、抑圧された現実からの脱出であり、愛がもたらす自由の象徴でもある。彼女が悪魔の舞踏会に参加する場面も、単なる奇想天外な描写ではなく、愛の力がいかに現実を変えるかを示す寓話のように感じられた。 この物語において、恋は単なる感情ではなく、世界を変える力として描かれている。巨匠がマルガリータの愛によって再び創造の力を取り戻し、彼女の献身によって魂の救済を得る過程は、読む者に深い感動を与える。彼らの愛は、体制の暴力や社会の冷笑を超えて、幻想の中で真実として輝く。 ブルガーコフは、この恋を通じて、創造と信念の尊さを描いている。巨匠が「原稿は燃えない」と語る場面は、創造の力がいかに不滅であるかを示す象徴的な言葉であり、マルガリータの愛がその力を再び呼び起こす。彼らの恋は、文学と信仰、幻想と現実の境界を越えて、読者の心に深く刻まれる。 また、彼らの恋は、イエスとピラトの物語とも呼応している。ピラトが2000年の苦悩の末に赦されるように、巨匠とマルガリータもまた、愛によって救済される。この構造は、宗教的な救済の物語と、個人的な愛の物語が重なり合うことで、作品に深い哲学的な厚みを与えている。 私はこの物語が、愛の力を信じることの大切さを教えてくれたと感じた。現実がどれほど冷酷であっても、創造と愛があれば、人は再び立ち上がることができる。巨匠とマルガリータの恋は、幻想の中で描かれながらも、私たちの現実に希望を灯す光となる。 『巨匠とマルガリータ』は、読むたびに新しい発見がある作品だ。そしてその中心には、愛がある。幻想を超え、時空を超え、体制を超えて、ただ一人を想う心。その純粋さこそが、ブルガーコフが私たちに託した真実なのだと思う。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I034309361
1投稿日: 2025.10.30
