
総合評価
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powered by ブクログ二項対立の逆をいけばそれっぽく響く。普通はこれでうれしいでしょ。でも僕は逆にかなしかったんだ、的な。そんな表現ばっかりで、陳腐だな、と思ってたけど、徐々に新しい物差しが見え始め、わくわくした。
1投稿日: 2016.10.03
powered by ブクログ主人公の医者の男に腹が立つので読むのをやめてしまいました。が、プラハの春に関連することがちょっと分かるかも。
1投稿日: 2016.09.28
powered by ブクログ*ブログ感想あり* http://blog.livedoor.jp/marine0312/archives/52148074.html
1投稿日: 2016.06.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これは小説の顔をした哲学書ではないだろうか。「恋愛小説」と銘打ってあるが、それを期待して読むべきではないと思う。 さて、本書はニーチェの「永劫回帰」という概念から出発する。そして物語を通じて我々は「重さと軽さ」について登場人物たちの人生に触れる形で考えていくことになる。 冒頭で問いが投げかけられている。 「重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?」(p9) これについての答えは明確には出されていない(なんとなく著者は重さを肯定的に見ているように感じるけれども)。しかし我々がそれを考えるヒントなら、作中の二人の女、テレザとサビナの人生という形で提示されている。テレザが重さを、サビナが軽さを象徴しているのだ。 冒頭、重さについて。「その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。」(p9) 軽さについて。「それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。」(p9) まさにこの通りにテレザはトマーシュという愛の重荷に苦しみしかし耐え続けて生きて死に、サビナは裏切りの旅路の果てに限りなく軽くなった。 物語のラストの方ではっきりとこう書かれている。 「テレザとトマーシュは重さの印の下で死んだ。彼女(筆者注:サビナ)は軽さの印の下で死にたいのである。彼女は空気より軽くなる。これはパルメニデースによれば、否定的なものから肯定的なものへの変化である。」(p344) テレザ(とトマーシュ)はトラックに押しつぶされて死んだ(重さの印)。サビナは火葬されその灰を撒布されて死ぬのだった(軽さの印)。 おそらくはテレザとトマーシュが死ぬことになる直前、彼らは人生の終点で悲しみと、そして幸福を味わっていた(「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」p395)。これが重さの末路だった。私には肯定的なものだとは思えないが、確かに彼らは真実味を帯びた、地に足付けた太く濃い人生を生きて何がしかのはっきりと重みを持ったものを得られたとは思う。
4投稿日: 2016.05.09
powered by ブクログ人間のキッチュ俗悪をすべて暴いた。資本主義、共産主義、恋愛、国家、宗教、動物…そして、本当に最後の一二ページで、降りるところまで降り切ったことを描き、救いをもたらす見事さ。圧倒です。
3投稿日: 2016.04.27
powered by ブクログ人生において"重さ"に悩む重い女テレザと、"軽さ"に悩む軽い女サビナの対称性が面白い。私はどちらかというとサビナによりシンパシーを感じた。束縛を嫌い自由で軽やかでありたい一方で、あまりの軽さゆえに虚無感を覚えることもある。その微妙な心情の揺れに共感できた。 ただ一点、面白い小説だったけど、プラハに関する知識が自分に全然なかったことが悔やまれる…。
1投稿日: 2016.04.24
powered by ブクログスタンダールの恋愛論に通ずる小説。 重さと軽さの対比がテレザとサビナで表現されていて、思わず唸ってしまう。 トマーシュのテレザへの愛も、重い女テレザのトマーシュへの想いも納得。 サビナの自由を愛する性格にも納得。 自由と愛ってなんだろな。
1投稿日: 2016.03.06
powered by ブクログクンデラの云う「軽さ」とは何か。重さと軽さを比較するとき、重さとは人々が重荷と感じることであるという。その場合の軽さとは「自由」に他ならないだろう。登場人物達は自由、すなわち軽さを求めるが、その世界は空虚で、軽さに触れた人々の心はとても不安定だ。自由を束縛された人々が追い求める軽さとは何なのか。そのテーマを様々は形で徹底的に追跡した奇跡的な作品ではないかと思う。
2投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログ恋と性愛のちがい、そして誇りというものの頼りなさ。それらを描写することへの一切の容赦がない。最高です。テレザの献身、トマーシュの捨て身、サビナの裏切り、フランツとシモンの信仰、そしてカレーニンと老いた夫婦だけが手にする完全な愛。すべてが詩のようにできたお話ですね。作中に作者の意見が入っているのにはちょっとびっくりしました。サンテグジュペリのことを思い出します。きっと、また読み返すと思います。
3投稿日: 2016.01.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
プラハの春前後が舞台。 小説のような、エッセイのような…。これは恋愛小説なのか? 翻訳が微妙。誤字(変換ミス?)もいくつか目についた。 違う訳を読むべきだったかも。 「人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。……しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。……彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。」(156頁)
1投稿日: 2015.12.15
powered by ブクログ対照的な、テレザとサビナ。彼女達には幸せを感じる芯の部分に「重さ」を据えるか「軽さ」を据えるかの違いがあるようにみえます。 ですが両者とも「重さ」には責任が伴い、「軽さ」には空虚さが伴う事を自覚し、苦しんでいる所は共通します。 対して、トマシュとフランツ、男性2人は、無責任な方が、愛に気付いたときに「重い」最後を迎え、 完璧なタイプの方が、自ら崩壊して哀れともいえる死を遂げます。 しかし2人とも政治的にスポイルされ死んだようなもので、本音のトマシュはソ連の傀儡となった国家に反動したのだし、大人しい学者のフランツはヨーロッパの安全な所にいる自分に嫌気がさしたのかデモに参加して危険な目にあうのですから。 4人それぞれの考えや生き方が自分自身の一部にあり、読むのに時間はかかりましたが深くて楽しい小説でした。
3投稿日: 2015.10.08
powered by ブクログ題名に惹かれて読んだ。が、思っていたような内容、すなわちただの恋愛小説ではなく、男女それぞれの人生観や、幸福についての著者の考察が多分になされていた。正直に言って読みづらく、わからないまま読み進めた。最後まで読んでふと最初のほうを読み返すと少し分かりそうな気がしたので、再読したい。 “一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それは全く生きなかったようなものなのである。”
0投稿日: 2015.09.16
powered by ブクログ一読しただけでは言葉にできない。でもすごく深いのはわかる。カラマーゾフと並んで一生付き合っていく本になると思う。存在の重さと軽さ、それからキッチュ。おそらく当時のプラハの状況があったからこそこういった人間存在の根源みたいな部分がより浮かび上がりやすくなっていて、それを「恋愛」という営みが助長している。そういう意味では精一杯わかりやすいシチュエーション、設定を使って最も困難なテーマを描き出していると言えるのかもしれないけれど、それでも難しい。まだそれぞれの生き様を生き様として外から見ることしかできていない。
1投稿日: 2015.05.25
powered by ブクログある出来事を偶然と捉えて暮らすトマーシュ、同じ出来事でも運命と捉えて暮らすテレザ。前者は人生の無意味さや軽さに苦しみ、後者は人生に意味を持たせその重さに苦しむ。 サビナとフランツの話がお気に入り。個人的には、サビナの偶然と思いながらもどこか運命にすがりたいような気持ちが1番共感できるように思う。
1投稿日: 2015.04.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「理解されなかった用語集」が衝撃で、その章で一回本を閉じた。 「これは傑作だぞ、すぐに読んだらもったいない。すごくつまらない小説を読んだらその口直しにしよう」と温めて、それから一年くらいかけて読んだ。 全編通して、女は重いなあと感じる。子供っていう内在的な他者を抱えているから、どうしたって重くならざるを得ない。サビナは軽やかだけど、それは意図的な軽やかさで、一見真面目人間のフランクのほうがよっぽど軽い。 女である身としては、トマーシュの軽さに憧れる。人に付随する権威・影響力を脱ぎ捨てて、見知らぬ女性との関係に没頭できる洒脱さ。でも、テレザのどうしようもない重さも、それはそれで純真で美しく見える。彼女の、存在全てをかけて一瞬一瞬を生きる切実さに、結局トマーシュは救われる。 この小説を読むと、価値観がかき回されて、読後は誰の生き方の何が素晴らしいのかわからなくなってしまう。なんとなく分かるのは、人は何かに引き留められているということ。重力に似た、関係性という重石を引きずって生きている。
2投稿日: 2015.04.23
powered by ブクログ「プラハの春」に巻き込まれた人びとの人生をそれぞれの視点で語ります。実際に著者自らが経験した時代の悲劇なのでリアルですね。繰り返してはならない歴史です。
0投稿日: 2014.12.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
[ 内容 ] 本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。 「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。 たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか? 甘美にして哀切。 究極の恋愛小説。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
1投稿日: 2014.11.01
powered by ブクログ今まで読んだ小説でマイベスト3に入るくらいの作品。一応小説の体裁を取っているが、ほぼ最初に結末までは提示され、作者の俯瞰した視点から、時間軸を自由に行き来しながら登場人物達の人生や心模様、歴史や哲学が騙られていくので、登場人物達はまるで僕らであったり、神話的人物であったりする。それにしてもここまで、人間というもの、愛や人生、世界について深みをもって描かれている小説があっただろうか?そして全体を覆うこの静謐と悲しみにただただ涙腺が緩む。
1投稿日: 2014.10.04
powered by ブクログ今月の猫町課題図書。1987年に映画化されて有名になったクンデラの代表作。初読。 トマーシュとテレザの物語を中心に、愛と性の様々な側面を同時並行的に描く。性愛的友情を標榜して奔放な女性関係を楽しむトマーシュと、そんなトマーシュを束縛しようとするテレザ、愛を Kitsch なものにできないサビナ、サビナに永遠にあこがれるフランツ、無垢の愛を示すカレーニン。人生は、あるいはセックスは、歴史は、二度と繰り返すことのできない一度きりの軽いものだと言いつつも、著者は「重さと軽さ」「心と身体」の 2章 x 2 に象徴的なように、多相的に(あるいは犬のように)物語を繰り返す。 ところどころで考察される恋愛観にはハッとさせられることもあったが、そんなに凄い小説だとは思わなかった。それぞれの視点から(しかし、絶対的存在としての著者のナレーションで)繰り返し描かれる構成と、時系列的なエンディングを中ほどにもってきて、「繰り返し」を示唆した最終章の構成が面白いと言えば面白いが、いまどき普通か。プラハの春(チェコ事件)を背景としたことで政治的な読まれ方をしているのも、世間的な評価が高い一因かもしれない。
3投稿日: 2014.09.28
powered by ブクログ恋愛小説ではあるが、ただの恋愛小説ではない。小説としての完成度が高く、人や思想や想い、歴史に信念、いろいろと考えさせられる。 カレーニンの最後に涙したが、フランツの最後に心が動かないのはなんでだろう?
1投稿日: 2014.09.27
powered by ブクログ「存在の耐えられない軽さ」という表現は作中に二回ある(p.156,324)。そのどちらもがサビナについて。サビナは「重さ」を厭う(p.147)が、重荷が消失した時、裏切りの対象が無くなり(「すべての裏切りのゴール」)、それ故にその「軽さ」(≒「空虚さ」)は耐え難いものとなる。それでもサビナは最後まで「軽さ」を求める(p.344)。まさに冒頭の問い「軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?」(p.9)が明確な答えを持ち得ないという点に、サビナの苦難の根源はあり、生涯を通して両極を行き来することとなっている。 「幸福とは繰り返しへの憧れである」(p.374)と、テレザは言った。テレザとトマーシュを「繰り返しに基づく生活で包」んでいたカレーニン亡き後、幸福の象徴としての繰り返しは「となりの町へときどき一緒に出かけ、そこの安ホテルに泊まった」(p.157)ことだったのではないだろうか。彼女にとって、繰り返しは幸福であり、それは適度な「軽さ」である。「軽さ」と「重さ」との間を彷徨するサビナには、晩年の二人(幸福な繰り返しの只中で終わりを迎えた二人)が、どう見えただろうか。
1投稿日: 2014.09.22
powered by ブクログ2014年9月の課題本です。 http://www.nekomachi-club.com/report/14678
1投稿日: 2014.09.08
powered by ブクログ1984年発表、チェコの作家ミラン・クンデラ著。時代背景に「プラハの春」の時期のチェコを、ストーリーに四人の男女の恋愛・愛人関係を据え、著者の思想が語られる。 非常に衝撃を受けた。まず、恋愛小説と銘打ってはあるが、これは明らかに一般的な恋愛小説ではない。恋愛を通して語られる哲学の本だ。のっけからニーチェの永劫回帰が語られ、私(著者)が小説を見ているといった体裁をとっている。更に、登場人物達は著者に心理的に分析され、その分析は共産主義や神にまで及び、小説論と呼べる箇所すらある。 このような思弁的な文章は通常、小説としてはタブーだ。仮に書くとしても、何かしらメタ的な要素(入れ子構造だとか)を含ませてぼやかすであろう。それを本小説では初めからネタばらししてしまっている。このようなことが可能なのは、著者が相当な知識と洞察力を持ち、「こう書かざるを得なかった」という必然性が感じられるからだろう。 しかし小説的な要素が全くないかと言われるとそうではない。時系列をうまくいじったり、当時のチェコの現状を告発したり、暗喩的な小道具を配置したり、小説的技量も優れている。したがって、哲学書と小説の中間としか言いようがない(そういう意味ではサルトルに近い気もする)。 存在の耐えられない軽さ、読み終えて何となくは理解できた気はする。人生は永劫回帰か一回限りか。「軽さ」と「重さ」、どちらを是とするか。その明確な答えは小説には用意されてはいない。唯一言えるのは、その問いの中で人間は一生掻き回される(それは恋愛などの個人的な領域においても、そして国家などの大きな領域においても)、ということだけだ。
1投稿日: 2014.04.15
powered by ブクログ再々読。何度読んでも本当に素晴らしい。人は己の存在の軽さにも、重さにも決して耐えられるものではない。それを克服するには存在の絶対的同意が必要であり、キッチュなものの中へ潜り込まなければならない。しかしキッチュの俗悪さを認識している人にとってそれは受け入れ難い行為なのだが、皮肉なことにそうした人ほど己の軽さや重さにも自覚的なのである。そして最後に塵に変える時、誰もがキッチュなものとして他者の記憶に留められることになるだろう。それでもカレーニンは微笑んでくれる。それは無条件で与えられる、絶対的肯定そのものだ。
6投稿日: 2014.03.22
powered by ブクログ大学時代にタイトルを知ってから4年位経って、ようやく読み終えた。 恋愛小説の形をとった哲学書のように感じました。 いきなり冒頭からメインテーマが語られます。存在の重さと軽さについて。 表面的には「重い」女=テレザ、「軽い」男トマーシュの葛藤にもとれるんだけど、根はもっと深くにある。国家の喪失、表現の自由の喪失、個の喪失。個人が誰とでも置き換え可能なほどにどこまでも「軽く」なっていく中で、恋愛とは個の承認を意味する。だからテレザはトマーシュが自分だけを愛してくれるよう願う。一方で、トマーシュは職業にも通じる使命と好奇心から、不特定多数の女たちに個を見出し続ける。でも愛しているのはテレザだけ。 うーん、難しい。。読んでると「重さ」と「軽さ」は対極に位置しているようにも、紙一重のようにも思える。そして、そのどちらが良いのかわからない。 哲学的テーマを惜しげなく散りばめているので、時間をおいて何度も読みたい作品。
1投稿日: 2014.02.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
愛について。性について。 ある男女の人生を通して、またそれぞれの目線から、 物語は進んでいきます。 自分は、読解力が未熟である以上に、 愛や性の経験が登場人物達に遥かに及ばないので、 どこまで理解できたか自信があまりない。 でも楽しく読む事はできました。 (時間はかかりましたが。。) 個人的には、 テレザを好きになって、トマーシュに憧れて、 トマーシュを嫌いになって、サビナを気持ち悪いと思って、 フランツに親近感を感じて、サビナを好きになって、 トマーシュを許せて、 物語の最後には全員に共感できた気がします。 恋愛偏差値の高い小説ですが、 そうでない人(僕みたいに)にもおすすめです。
0投稿日: 2014.01.27
powered by ブクログ小説が偶然の秘密に満ちた邂逅によって魅力的になっていると避難すべきでなく、人間がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのために人生にから美の広がりが失われていくことをまさしく避難しなければならないのである 「強制収容所」とは昼も夜も絶えず人が並んで暮らしている世界である。残酷さと暴力は単に二次的な特性で、決して不可欠なものではない。強制収容所とはプライバシーの完全な破壊である。それは見物する価値のある、何か例外的なものではなく、それどころか逆に、そこに人間が生まれてきて、そこから逃げるのには大きな努力がいる基本的な、与えられた何かである。 本当に重要な問いというものは、子供でも定式化できる問いだけである。もっとも素朴な問いだけが本当に重要なのである。問いにはそれに対する答えのない問いもある。答えのない問いというものは柵であって、その柵の向こうへは進むことが不可能なのである。別な言い方をすれば、まさに答えのない問いによって人間の可能性は制限されていて、人間存在の境界が描かれているのである。 約束とその保証のなさ(ここにこそ名人芸が存する)の間のバランスが彼女はとれていない。約束しても保証のないことを明らかにしないで、あまりにも簡単に約束する。別の言葉でいえば、誰のものにでも簡単になるように思わせる。それで男たちが約束されていると思ってことを要求すると、テレザはわざとつれなくする。男たちは彼女が意地の悪い女だと解釈する以外なかった。 やったことは芝居でしかなかった。でも他の可能性はなかった。行動か芝居かの選択はなかった。選択できたのは、芝居をするか、何もしないかであった。人が芝居をするのを余儀無くされる状況というものはたしかに存在する。
0投稿日: 2014.01.24
powered by ブクログ一回きりの人生は軽く、耐えがたいものなのだろうか。ニーチェの言うように人生が限りなく繰り返すものであるとしたら、人生は重いものとなるが、そもそも重さと軽さとはどちらが肯定的で、どちらが否定的なのだろうか。 この繰り返しと重さ・軽さに関する問いが中心に据えられ、語り手による地の文と、物語のプロットによって検討されていく。 例えばトマーシュは浮気を繰り返し、テレザは同じ悪夢を見ることを繰り返し、サビナは転居を繰り返す。夢あるいは幻想の場面と現実の場面とが重ね合わされ、それらも繰り返しを演出する。こうして人生の一回性への疑問が呈される。 「幸福とは繰り返しへの憧れである」ということばも投げかけられる。 歴史は繰り返す、ということばがある。あるいは一度目は悲劇、二度目は喜劇として繰り返す、かもしれない。 語り手があまりに前面に出てきていて、説明的なところもあるが、繰り返しというテーマの提示と、物語の中でのできごとの繰り返しという構造は、とても綿密に練られたものだと感じた。 この本一冊だけで文学的読解の教科書になりそう。
0投稿日: 2014.01.19
powered by ブクログこれまで、名作と呼ばれる小説をほとんど読んでいない自分に気づき、海外の作品を中心に、意識して読むようにしています。 この小説は以前読んだ読書本の中で紹介されていたので、読んでみることにしました。 舞台は1960年代後半のチェコから始まります。 外科医の男性が、「いくつもの偶然が重なった」結果、女性と出会います。 離婚を経験している彼は戸惑いながらも、その女性と暮らし始めます。 この二人と、個性的な芸術家の女性との3人の恋愛を中心に、話が展開していきます。 そして物語に大きな影響を与えるのが、いわゆる「プラハの春」と呼ばれる政治的・軍事的な事件。 僕は名称だけしか知らなかったので、ソ連とチェコとの間で、人々の言論・行動を規制するようなことが行われたということを、認識することが出来ました。 物語の展開を楽しむというだけではなくて、登場人物の行動・思考を通じて、題名にある「存在の軽さ」を始めとするさまざまな概念について、著者の考えが提示されるという形の小説です。 正直、著者が何を言わんとしているか理解できない部分が多々ありましたが、概念を深堀して考えるということ、そしてそれを小説という形で提示しているのを読んで、文学というものの奥の深さを、垣間見れたように感じました。 やはり、得るものが多いですね。名作を探す旅、しばらく続けようと思います。
0投稿日: 2014.01.10
powered by ブクログ永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか? 小説なのに哲学的で、考えさせられた。 愛について。 トマーシュのような男性は多い。愛していない女と寝ることができて、それでも愛しているのはテレザだという。 テレザの重さとサビナの軽さ。私はサビナ寄りだと思う。テレザのように偶然が重なった運命のために、まっすぐで重くいることは私には出来ない。軽くいることへの憧れ。 テレザのトマーシュへの愛とカレーニンへの愛の違い。動物への愛は無償の愛に限りなく近く、母親のもつ愛と似ている。(テレザの母親はテレザに対して愛は持ち合わせていなかったが) 愛にも重さや軽さがあり、種類がある。 ニーチェやデカルトの思想哲学や、「プラハの春」でのチェコの歴史的背景など、教養がないと理解できない部分が多々ある。 私がどれだけこの本を理解できたかは定かではないが、小説の読み方に正解はないのだと思う。何を感じとるかは、ひとそれぞれでいい。なにかが心に触れて、感動したり得るものがあるなら、その人にとっていい本だ。 テレザが手に抱えているトルストイの「アンナ・カレーニナ」はロシア文学。不倫の話。意味があって「アンナ・カレーニナ」なんだろうから、いつか読もうかな。 ☆あらすじ☆ 本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミ ラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちま ち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。 「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ド ン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テ レザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。 たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本 当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極 の恋愛小説。
1投稿日: 2014.01.10
powered by ブクログこの作品好きだなぁ・・・!感情を論理的に語っていくクンデラの言葉に読んでて魅了されたし、社会の状況が個人の関係に及ぼす影響も語られていて良かった!作品のなかでキャラクターの造詣について語られていくのにはドキドキした!
0投稿日: 2013.11.21
powered by ブクログハンガリー動乱のときはイムレ・ナジは銃殺刑になったが、プラハの春のときはドゥプチェクがソ連に連行されたものの、手なづけられて国へ戻ってきた。チェコ国民の失望は、欺瞞と偽善に対する憤慨へと変わる。クンデラは国民と社会全てを「俗悪なもの(キッチュ)」と表現した。外科医の男とトルストイ「アンナ・カレーニナ」を愛読する女、それに因んで名づけられた犬。そして物語の間ずっと流れてくるベートーベンの音楽。美しい物語を被せても俗悪な臭いは消えない。この小説をもっと力弱くしたのが「ノルウェイの森」。そっくりな場面がある。
0投稿日: 2013.10.15
powered by ブクログタイトルにも表れているように、多分に理屈っぽい小説だ。物語の時間の進行も、直線的に流れて行くことはない。行きつ戻りつしながら、また時おりは夢が現実に混入したりしながら、全体としてはたゆたうように終息に向かって行く。「軽さ」に価値が置かれているのだが、物語世界はかつてのチェコの政治状況の中で重く暗い。チューリッヒへの脱出を果たしながら、プラハに戻り、さらには辺境の村へ。トマーシュとテレザの生は、はたして重かったのか、あるいは「存在の耐えられない軽さ」の内にあったのだろうか。奇妙で不思議な読後感の小説だ。
0投稿日: 2013.09.26
powered by ブクログニーチェの永劫回帰の思想が冒頭で出てくる。この世界が、自分の一生が、寸分違わず繰り返されるとしたら…。その自我の、愛の存在論の思想が根底に流れ続けている。登場人物は(特にサビナは)その「軽さ」に悩む。自らの存在の耐えられない軽さに。そして最終章が愛犬カレーニンの章であったところが印象的。命あるものの存在はすべて相対的となり、良い・悪いの外にある価値観<軽さ・重さ>に考えが及ぶ。
0投稿日: 2013.08.24
powered by ブクログ共産主義の描写がいい。特に映画のところ。恋愛の話はつまらんかったけど、また読まなきゃって、近いうちにまた思う気がする。今思っている気がする。
0投稿日: 2013.08.19
powered by ブクログ(2000.08.31読了)(1998.11.21購入) (「BOOK」データベースより)amazon 本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。
0投稿日: 2013.08.12
powered by ブクログクンデラの名を覚えたのは、若いころ読んだ池澤夏樹さんの書評。「不滅」を激賞していた。僕自身はクンデラの短編を読んだことはあったが。 テレザの母親。若い頃は美人だったが、考えが足りず、下品で羞恥心がなくプライバシーを認めない彼女の在り方は、ロシアの侵略により秘密警察国家になったチェコの暗喩だろう。 トマーシュの持つ、流れ着いたテレザを受け入れたイメージはオイディプスを連想させる。作家がそれで何を言いたいのかは分からない。テレザに責任のない彼女の不運だろか。ES MUSS SEIN!というベートーベンのモチーフも時々顔を出す。幸福と言えないチェコの生活を選んだ二人のBGMということか。何故か、世紀末風な退廃的なイメージが浮かぶ。登場人物のことを考えている作家の思考が綴られ、第6部の大行進など、小説というより評論だよな。良き社会を求める運動がキッチュ=俗悪をもたらすという諦観。全面的には認めがたいのだが。 中間部はトマーシュのかつての愛人ザビナの話。トマーシュとテレザの話は暫く語られず、その後の二人の急な最期が告げられる。 漁食が止まないトマーシュ。彼の元からチェコに戻るテレザ。トマーシュは彼女を追って生活も地位も捨てる。互いに気付かず傷つき合って、愛し合っている二人。そして何とも言えないあっさりした終わり。 思っていたような小説ではなかった。映画の予告編のようなエロチックさも殆ど無かったし。普通ならボロクソに貶したいような欠点が多い小説だとも思う。それでも忘れられない作品になるだろう。それは、つまり事実の重さに繋がっているからだと思う。 但し、20年先、30年先にこの作品に価値が残っているかは判らない。
1投稿日: 2013.04.13
powered by ブクログ軽さと重さ、男と女、私とあなた、愛と軽蔑、神と人、そういう幾つもの(おおよそ人生のうちで問題となるであろうすべての)相反するものが、始まりから終わりまで、至るところで壮絶なせめぎ合いを続けている。だから無防備なままでは近寄り難い。そして作中の時代背景とも相俟って、何とも言えない「息苦しさ」が行間にまで充満している。それなのに今でもコンスタントに読まれ続けているのは凄い。 「人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。…」 始まってすぐに訪れるこの文脈に、まず驚いた。 これと同じことは自分でも以前考えていたことがあって、箸の持ち方から自転車の乗り方、言葉の話し方、車の運転の仕方、果ては子どもの生み方まで生きるために必要なことには全て何らかのお手本があり、教えてくれる誰かがいて、多かれ少なかれ練習の機会も与えられていた。それなのに生きることそのものが一度きりのぶっつけ本番で、事前にレクチャーもなければ渡されるテキストもなく、せめて心の準備をする時間さえ与えられていないのはおかしな話だと思っていたことがある。 それはつまり「一度きりなのだから無駄にするな」という「重さ」なのだと思っていたけれど、そうではなく、「練習する価値もない」という、「一度は数のうちに入らない」という「軽さ」だったのかも知れない。 それから、上述のような「相反するものの対決」とでもいうべき構図で世界を捉えていることにも共感した。実際の世界はもっと複雑なのかも知れないけれど、少なくとも物語というのは、そういった2つの概念(生と死、とか、男と女、とか、私とあなた、とか)がぶつかりあって、互いを主張しあって展開しているのではないだろうか。少なくとも、それがはっきりしている物語は面白い。 終盤の、「小説は著者の告白ではなく、世界という罠の中の人生の研究なのである。」というくだりは、正にここ何年か考えていたこととがっちりはまった箇所でもあった。 人生が「一度きり」で、そこに再現性がないからこそ、皆が物語を造り、読み、そこにある「可能性」に思いを馳せる。そして生きることの「重さ」を笑い飛ばして「軽く」したり、忘れ去られてしまいそうな「軽さ」に「重さ」を与えたりするんだろう。 なんだかこの小説には、出会うべくして出会った気がする。私にとっては、まさに"Es muss sein!"だった。
1投稿日: 2013.04.03
powered by ブクログ深くて重くて哲学的なお話でした。チェコの歴史的背景を知ってから読んだ方がいいかも。歴史も人生も一度しか決断できない、二度と繰り返すことはない、というところが印象的でした。いろいろあっても、トマーシュとテレザは深く結ばれていたということがカレーニンの微笑の章で分かった気がします。映画も見てみたいです。
0投稿日: 2013.04.01
powered by ブクログ「もちろん、おっしゃる通りです」と、トマーシュはいって、悲しげな顔をした。 「でも?」と部長は彼の考えを読みとろうとした。 「恥をかくんじゃないかと思うと怖いのです」 「誰の手前?君は自分のまわりの人たちが君をどう思ってるのか問題にしなければならないほど、彼らを高く評価しているのかね?」
0投稿日: 2013.03.28
powered by ブクログまず一行目からニーチェについて語られてげっそり。あれおれ小説買ったんですけど? 読み進めてもエッセイなのかなんなのか謎の作者目線語りというある意味で禁じ手みたいな文体。小説を書きながら自分の小説を自分で解説しちゃうみたいなね。どうなんそれ。読者に誤読の権利があるとか書きながらそれを極限まで否定する文体じゃねえの? そして神を信じるヨーロッパ基盤でいろいろが語られるから、神を信じるって公言するとカルトと同視される日本ではぴんとこない、あるいは、いまさらっぽい価値観の提示とも感じる。と、ここまで貶しつつ、読み終わっていま、けっこう感動している。終章カレーニンパートの奥深さよ。っていうか誤読を先回りする文体もキッチュと戦うためなんだ。質問するか疑うかでしか戦えないから、読者も信じずにいるんだよ、きっと。キッチュは社会学におけるドミナントストーリーみたいなものなんかな。高名な医者から牧歌的田舎トラック運転手へと移るトマーシュのキャリアは、なんとなくヘッセの車輪の下を彷彿。そしてこの小説は1984年に書かれた模様。1984年といえばオーウェルのnineteen eighty-four! 政治的小説って扱いをされそうな点が似ていて、しかしそういう表層だけでなく、より実質的本質的に扱っている主題も近いんじゃないでしょうか。問いを共有していても結論が違っていそうだけど。アプローチも違うけど。やはり「存在の耐えられない軽さ」のほうが現代ってかんじです。「そうでなければならない!」という観念自体と戦う、すると僕らはまったく武器を喪って野うさぎ。「誰もが誰に対しても力を持たない」。さあどうする? 袋小路の自由。
0投稿日: 2013.03.27
powered by ブクログ実を言うと、帯に「恋愛小説の傑作」とあったのが目について読むのをためらっていたのだけれど、読みだしてみれば、恋愛小説を読んでいるという気はしなかった。むしろ人間の分かりあえなさとか、愛の虚しさとか、社会の虚飾と欺瞞についての皮肉とか、そういうことについての本だったような気がした。 面白いか面白くないかでいえば面白いし、テーマとしてとても重要なことが描かれているようなのに、読んでいてなかなかうまく入りこめなかった。難解というのとは少し違うのだが、読む方に教養を強いるようなところがある。無教養な読者には少々辛い。本文中に作者がやたらと頻繁に顔を出して、「これは私が書いた小説であって、ここに出てくる人物はあくまで小説の登場人物なのだ」というようなことをくどくどと念押しするのでなんか感情移入しづらい。 そんなこんなで「面白いんだけど、なんか合わないというか、わたしがこの小説の読者にはふさわしくないんだろうなあ……」などと思いながら読んでいたのだけれど、最後まで読めば、肝心のトマーシュとテレザの愛の行く末についてはひどく胸を打つものがあった(中盤までのトマーシュには非常に苛々させられたのだが)。最後の最後で、恋愛小説の傑作という帯も理解できないではないかと思い直した。つくづく、帯やあらすじは先に読むものではないなと思う。先入観が邪魔をする。 不勉強で歴史にとんと疎いものだから、共産圏とそれを取り巻くヨーロッパ社会で何が起きていたのかということの、片鱗なりと垣間見られたように思う。そのうち同時代の別の小説も読んでみたい。
0投稿日: 2013.03.20
powered by ブクログ浮気男トマーシュが好きになれませんでした。 テレザは何故彼を嫌いになれなかったのか。浮気症の男を好きでいられる自分素敵、と思っているからなんじゃないかなと邪推しながら読みましたが、当たっているようなあたっていないような・・・と、もやもやした気持ちで読み終えました。 愛って何だろう。 トマーシュの愛はなんだろう。 石鹸でごしごし洗うくらいなら、最初からしなければいいのに。それで賄えていると思っていたからこその髪の香りのショックなんじゃないの? 現実でこういう男の人いそうだな、という感覚が好きになれなかった理由かもしれません。 もう少ししつこくてもいいから世界情勢の詳しい情報を教えて欲しかった・・・。
0投稿日: 2013.03.01
powered by ブクログ警句的な言葉が多すぎて、思わず、ナニ様?と思ってしまった。 エライ作家様なんだろうけどね。 好きなのは犬が死んで行く、ラストのあたりだけ。 こういうスタンスで書く作家は、正直好きじゃないなぁ。
0投稿日: 2013.02.15
powered by ブクログ「一度は数のうちに入らない、ただ一度なら全然ないことと同じである」 プラハの春を背景に、恋愛の悲哀を描いた作品。随所にクンデラの思索が散りばめられていて、水面下での上下運動がすごい。酸欠になる。時系列も章ごとに独立した印象で、主要な登場人物は少ないにもかかわらず、それ以上の広がりを持って迫ってくる。 トマーシュがオイディプスを引き合いに出して、共産党員を批判するところが好き。
0投稿日: 2013.01.05
powered by ブクログ光と闇、細かさと粗さ、暖かさと寒さ――世界は二つの極に分けられる。 そしてそのあらゆる対立は肯定的なものと否定的なものに分けることができる。 ただ、軽さと重さではどちらが肯定的なのだろうか。 この、冒頭で投げ掛けられた問いが、この小説のすべて。
0投稿日: 2012.12.03
powered by ブクログ最終的に泣いた。毎日を連ねて、振り返って、また連ねて、繰り返して繰り返してたくさんのものを重ねないと「しあわせ」がなんなのかなんてわかりっこない。私は二十年ちょっとしか生きてないけど。 トマーシュとテレザが手を繋いでいられた理由は、愛のひとことで十分なんだろうな。二人と、カレーニンの幸せはああいう形で、それ以上も以下もない、最高のものだった。厳しい時代に対して彼らは常に受動的だった。彼らにのみ限定することなく、人は現在に対していつも受動的で、皮一枚隔てたところからの過去と、自分の頭の中でしか能動的になれない。作中でトマーシュは何度も、テレザと出会った経緯を振り返る。彼は彼女が、《与えられたもの》だと、繰り返し述べる。偶然は、視認できない前方から我々の身に飛来する。だけどそれを大切にできるのは、能動的な気持ちがあるからなんだよな。みたいな。 トマーシュめっちゃ駄目な男じゃんって感じだけど、好きだ。テレザも好きだけど、トマーシュにはなんか、惹かれる?憧れる?彼は二面性とか表裏とか無く、連続した点で構成された人間だと思う。球。一方テレザは、彼女が鏡と向かい合うエピソードが印象に残っている所為もあるだろうが、平で、ゆらゆら揺れる水面みたいだと思った。でもテレザも、表とか裏とかはないんだよね。全部一緒に仕舞ってあって、だから内面に潜っていける。ああ、こうやって打ち込んでる間になにか腑に落ちたような感触があったけど、文章として救い上げられない悲しさ。 悲しくて幸せだ。蛇足を切り捨てていけば、感想はこれに尽きる。幸せで悲しいとはちょっと違う。悲しくて幸せ、っていうのもちょっと違う気がするけど、他の語彙がない。 この本はずっと持っておきたいものリスト入りだなあ。絶対に読み返すと思う。結構日数かけて読んだから途中忘れてるし。ていうか英語でも読みたい原文は無理だ。と思いつつ、この本を読むうえで千葉氏の訳文に助けられた部分は大きい。翻訳小説嫌いっていう人は嫌いな文章だと思うけど、なんていうか、余地・余裕のある文章だ。良い隙間がある。かっちりしているようで、かっちりしてないというのか。文章で理解するというより、絵で理解する感じ。こういうルームがあるから翻訳小説を読むのが好き。 読んでる途中、これむらむらする感じだわ、って言ったんだけど、最後までむらむらする感じだったな。むらむらっていうのも他の単語を思いつかないから暫定的にそういってるだけだが。性欲とか本能とかもこの話の中で大きな部分を占めるワードではあるけれど、エロいわけじゃない。スリルもスピード感もない。淡々としている方だと思う。だから、逆に焦りのようなものを感じながら読んでいたのかな。最後の方はそんな感じだった。 誰かに何かに圧し掛かられる人生なんかやだわー、自分の身ひとつで足取り軽く生きてたいわ、って思ってるけど、大切なものがある人生が一番だよね。大切なものを持っていく力とか根性とかないけど。40歳くらいになったら自分以外のものも責任持って抱えられるようになるのかな。そうなったらいいな、と思いました。 これとは別にがちがちの感想文みたいなのも打ってたんだけど、考えが纏まらないなりに纏まったのはこっちだけだった。変かもしれないけど、この本を読んで意欲とか向上心とかが蘇ってきた。クンデラの他の本も読みたいな。その前にプラハの春周辺の歴史について勉強する。
0投稿日: 2012.11.22
powered by ブクログミラン・クンデラが最も好きな小説家になりました。 軽いものを重く語るやり方と、重いものを軽く語るやり方。後者はときに不謹慎とそしられます。(今なら東日本大震災をコメディとして描くなどがそれにあたるかも)でも、人生には不可避な重い経験があり、それを筆の力で軽く描くことこそ文学の力なのではないかと考えさせられました。 傑作です。
0投稿日: 2012.09.06
powered by ブクログおもしろいと思えるところもあったが、全体に今の自分には難しかった。 個々のストーリーは、新しい視点を持たせてくれるような箇所もあり、おもしろかったが、全体の流れやタイトルの意味などをつかめないまま読み終わってしまったので、またいつか読み返したい。
0投稿日: 2012.08.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
全体を通してとても静かだけど、人間の考えに圧倒される内容。 いい意味での日本映画を観ている様だった。ハリウッドではない。 今まで考えてきたけど言葉にすることができなかったものを言葉にしてくれたような小説だった。 かゆいところに手が届いた、と感じた。 文章が難しく、理解はできていないが、今の段階ではそれでいいと思った。 恐らく一生読み続けることになりそうな本の1つに加わった。 そして一生をかけて理解をしていく価値のある本だとも思った。 幸せとは繰り返しを望むことである これはほんと「かゆいところシリーズ」
1投稿日: 2012.05.19
powered by ブクログプラハの春を舞台にしたチェコスロバキアの傑作恋愛小説。 不思議な小説だった。作者の意見が突然出て来たり、哲学的な内容だったり、神学的だったり。 重さと軽さについての哲学的な内容がとても面白かった。 しかも、しっかり恋愛小説になっててた。 でも、今の自分にはちょっと難しかったから、また読んでみたい!
1投稿日: 2012.05.03
powered by ブクログ読むのがつらい、エネルギーが必要。。。 ストーリー展開が遅く、描写が重ねられているものの、年齢を重ねることによる暗黙知なども要求してくるので、解釈が必要で気軽に読めない 難しすぎる。一旦寝かせる
0投稿日: 2012.04.30
powered by ブクログ冒頭、ニーチェの永劫回帰から始まるこの小説は、ひどくいじわるなものだった。何を言いたいのかわからないが重要そうに見える、思わせぶりな記述が満遍なくちりばめられている。比喩のひとつひとつも何かを暗示しているようで、読んでいて心休まる時がない。「さぁ、集中しろ!」と著者に言われているような気分だった。そういう意味では、哲学書を読んでいる時と似たような気もちだった。(←あんまり読んだこと無いけど)この気もちは、村上春樹を読んでいる時と同じような感覚かもしれない。 「テレザとトマーシュの対比」 トマーシュは、強い者として描かれている。テレザは、弱い者として描かれている。両者は、どうやらソ連とチェコの関係を写し取っているようだ。永劫回帰を持ち出しながらも、「チェコの歴史はもう一度繰り返すことはない。ヨーロッパの歴史もそうである。チェコとヨーロッパの歴史は人類の運命的未経験が描き出した二つのスケッチである。歴史も個人の人生と同じように軽い、明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、羽のように軽い、耐え難く軽いものなのである。」(p283)と述べる。 テレザが、トマーシュという重荷を背負いながらも最後安息を得たように、チェコは、ソ連という重荷に苦しみながらも最後平和を見るだろう。・・・この作品は、こういう、意外と楽観的な小説に見えた。それではサビナは?重荷を避け、裏切りを信条として生きたサビナは、何を表しているのだろうか?私にはわからなかった。 「共産主義というテーマ」 私は、社会主義・共産主義をテーマにした小説や映画が好きだ。映画なら「ぜんぶ、フィデルのせい」「グッバイ・レーニン」など。(もう一つ好きなのがあったはずだけど思い出せない)小説なら「1984」「イワン・デニーソヴィチの一日」あと小説じゃないけど「ワイルド・スワン」も好き。 なんでこんなにこのテーマに惹かれるんだろう?たぶん、平等な社会という素晴らしい(ように思われる)夢を追いかけながらも、恐ろしいシステムを作り出してしまった人間の業の深さ、その中でなお生きようとする人間の美しさ・・・要は人間の良い面・悪い面がこのテーマの下では最も露わになる気がするからだと思う。 社会主義・共産主義小説としては『存在の耐えられない軽さ』はいまひとつだった。ソ連の侵攻はこの小説の一つの核なのだが、どこか第三者的に描かれている気がする。また、生への執着(「イワン・デニーソヴィチの一日」からはこれがとても感じられて、とても勇気づけられた)も登場人物からはあまり感じられなかった。ポスト・モダン的?と言うのだろうか。どこか冷めたような人物たちは、一時私のことをとても惹きつけたけれど、今の私にはあまり合わないみたいだ。 さて、明日から新社会人である。私の人生は一回限りで永劫回帰はしないらしい。ので、ぼちぼち働きたいと思う。勉強もできればいいなーとりあえず、一年後に私が、「次の首相はやっぱり石原慎太郎だよね!」とか言いだしていたら袋だたきにしてほしい。
1投稿日: 2012.04.01
powered by ブクログ彼はいった。「嘆願書を大統領に送ることより、地面に埋められているカラスを掘り出すことのほうがはるかに大切です」
0投稿日: 2012.03.08
powered by ブクログ〈外科医トマーシュは毎夜女性との逢瀬を重ねていたが、ある日、真に愛する女性テルザに出会う。 しかしそんな2人に「プラハの春」を境とした共産主義の影が覆い始める…〉 著:ミラン・クンデラ 小説とはここまでできるのか!と「百年の孤独」以上の衝撃を受けた‘20世紀最高の恋愛小説’。 一方で‘軽さ’と‘重さ’を軸に哲学的なエッセンスに溢れています。 軸といってもそれは多義的で、恋愛、性、体制、仕事、そして生きること… ‘軽さ’と‘重さ’はそれぞれに立場を変えていき、トマーシュ、テルザ、そしてトマーシュの愛人の1人画家のサビナに影響しています。 そして最後の、手紙から繋がる二つの流れ。 私は最初が(小説の中の)現実で、後者が夢のようなものだと理解した瞬間、涙が止まりませんでした…。 他の人はどう解釈するでしょう? ともすれば人生でベスト1な本。 絶対に再読します。
0投稿日: 2012.03.05
powered by ブクログ人生との対峙、重さと軽さ、幸せの置き所、哲学的。 このテーマを多種多様な視点とテーマで著者が語り続けるような。 小説でストーリーっぽいと思いきや突然著者が顔を出したり 技術的にもちょっと変わっているというか。 愛する人の隣でしか眠ることができないという男性と 実際に出会ったことがあるので他人事とは思えなかった。
0投稿日: 2012.03.02
powered by ブクログ型破りな書き方にまずびっくりした。でもすぐ慣れた。 四人の男女のたった一度きりの生き方を、特に恋愛の価値観について描いている。 共感できる部分が多々あった。サビナとフランツの、合わさることのなかった川。軽くなっていくのを止められないサビナと、重くなっていくのを止められないテレザ。 動物への愛と人への愛。 いろんなすれ違いや後悔があっても、最後の瞬間まで幸福であるよう努めたいと思った。 私の人生は、たくさんの偶然や社会の波によって軽々と変えられてしまうようだから。
1投稿日: 2012.02.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
選択の難しさ、不可能さというのが印象に残った点です。本文中にもあったけど、人生も、歴史も決して繰り返すことはできない。 でもこの小説は繰り返していて、そして文学には繰り返すことの出来る力がある。物語の「筋」は、どちらかといえば喜劇には分類されないけど、最後は平和なシーンで終わっている(もちろん、二人はその後トラックに轢かれて死ぬことがあらかじめ読者には分かっているのだけれど)。それを見て、この物語はどうやら希望の物語らしい、と思いました。
0投稿日: 2012.02.12
powered by ブクログ「存在の耐えられない軽さ」を初めて読んだときって、 重さ、が絶対だって簡単に思ってたけど、そんなことないのかな? 永劫回帰の中で重くなっているって、本当に言えるのかな? ああああああああ、自分がキッチュなう、な気がする。
0投稿日: 2012.01.21
powered by ブクログ84点。書き出しからニーチェの永劫回帰についての記述があって、まさにそれがこの小説のアルファでありオメガであると個人的には思う。よく「ニーチェ的」だと言うときそれはいくつかの誤解を生じる原因になることが多い。 ニーチェは手近な意味にすがろうとするルサンチマンに満ちた弱者をこそニヒリストと呼んだ。つまり「人生には意味がないから今の生活がつまらないのではなくて、アンタは今の生活がつまらないから意味にすがっているだけではないの」と。 「ニーチェは俺を代弁している」と強いシンパシーを表明する人は今言ったように本末を転倒しつつ勘違いし、安易な意味追求や物語追求を手放さない。そしてこの文庫本背表紙のあらすじも同様で意味追求に走っていて、本文の内容とはかけ離れている。これこそ筆者が本文中で批判している「キッチュ」なもの!だと思うのだが。 この小説は物語の形を借りて考察を進めていくというタイプの哲学的小説で、これも筆者が本文で述べているとおり、登場人物は考察を進めるための道具にすぎない。主な登場人物は4人、そこに「私」がガンガン介入して物語をまわす。 筆者は4人を使い『存在の耐えられない軽さ』についての考察を進めていくが、表題は言い換えれば『自己の存在の無意味さ』についての考察、だ。 筆者の主張はポジティブなものに自分には思える。愛は不可能で人生に意味はない。そんなことはわかっている。しかし何とかそれらを享受可能なものとして生きようとするならば、安易な意味追求や物語追求ではなく寧ろそれ自体と向き合い認識し露呈させ突き抜けよ。あらゆる理由づけも希望も捨てて「偶然や無意味」を肯定せよ、と。これってかなり明るいでしょ。 《意味や目標はないが、しかし無のうちへの終極ももたずに、不可避的に回帰しつつあるあるがままの生存、すなわち永劫回帰。これがニヒリズムの極限的形式か。すなわち無が永遠に。》(権力への意志) 振り返って自分は意味どころか権力にも固執していて、ニーチェはもちろんフロムやアドルノといったフランクフルト学派的にも強く批判される弱者でしかないことがよくわかったのだ。
0投稿日: 2011.12.22
powered by ブクログ久しぶりに読み返して、殆ど答えの出ているような問いと全く検討もつかない問いが二つ。 物語とは(解釈とは)須らく俗悪なものでしかないのか。 エクリチュールの産出性がそこに明示されていたとしても尚、私たちがキャラクターの存在を誤謬せずにはいられないのは何故か。
0投稿日: 2011.12.15
powered by ブクログ難しかった。 時間軸も視点も変わるし、訳も堅い。登場人物にあまり共感できない。 前半はしんどくて読むのをやめようかと思ったが、後半はイッキ読み。特に第6部。「存在の耐えられない軽さ」をつきつけられる。鬱展開で、難しくてよく分からないけど、なぜか泣けてくる。 もう一度読みたい一冊。
0投稿日: 2011.11.22
powered by ブクログ存在の耐えられない軽さを目指したサビナは死後、自身の灰が散布されることを望んだ。空気より軽くなること。これは存在の隙間ない忘却に他ならない。一方、存在を残したものたちは死後、碑文を残すことで俗悪なものにかえられた。残されたものたちに忘却されるまで、等しく俗悪なものであり続けるのならば、これは限りなく無いに等しい。故に、一度はものの数には入らない。だが、それがどうした。人生とは今であることを改めて思い知らされる。
0投稿日: 2011.10.05
powered by ブクログ一ヶ月くらい前に買って、前々から読みたいと思っていた名作 買ったのは渋谷のSPBS あすこはまた行きたいなあ てか編集ワークショップ行きたかった!…行きたかった!! 東京にいればなあ そんな愚痴はさておき、書いていきます 長くなるので要注意 目次 はじめに 本書の概要 題名について トマーシュ テレザ サビナとフランツ サビナ サビナ2 最後に はじめに 本書は実はかなり読んで驚いた作品である どう驚いたかと言うと著者の意見がそのまま文章に入っているのだ 「どんな作品でもそりゃ著者の意見が入っているのは当たり前だ」と言うかもしれないけれど、多くの場合は登場人物に語らせる だが、本書は本当に著者が自分の意見を著者として物語中で文章にしているのだ そんなのアリなのか? でも、これは名作であり、先を読ませてしまう力がある というのも著者が登場人物たちの物語を紹介しているという形の小説だからだ 自分の意見を混じえつつおとぎ話を話しているような…って分かりにくいかw 本書の概要 さて、本書の主要な登場人物は5人で物語は4つの視点から描かれる ・トマーシュの視点から見たテレザ、サビナ、息子シモンとの物語 ・テレザの視点から見たトマーシュとの物語 ・サビナの視点から見たフランツとトマーシュとの物語 ・フランツの視点から見たサビナとの物語 の4つだ 舞台はプラハの春前後のチェコスロバキア 著者のチェコ出身であることが色濃く分かる作品である 僕はプラハの春についてほとんど知らないが、本書で分かったことはプラハの春は良かったがその後のソ連軍の侵略?によって闇の社会主義時代が訪れたということ 本書はそんな激動の時代を背景に、 自由恋愛主義の医者トマーシュ 田舎娘で依存的なテレザ 画家で破壊的に奔放なサビナ 堅苦しい毎日の中で一体感の高揚を求める学者のフランツ 社会運動に情熱を燃やしながら父トマーシュとのつながりを求めるシモン 彼ら5人の人生模様でもある この中で主人公と言って良いのはトマーシュだろう 何らかの形で皆、トマーシュとの関係があるからである テレザはトマーシュの妻であるし、サビナは愛人だ フランツは唯一直接的には関わらないが、サビナの愛人であるため、間接的に関わっている シモンは登場回数は少ないが言わずもがなだ 本書はトマーシュを中心とした彼ら5人の人生と恋愛とが著者によって語られている 題名について 本書の特徴の一つに題名がある 「存在の耐えられない軽さ」 一体どういう意味であろうか 上述したように本書では著者の語りがいくつか入るが、どれも重要な概念の説明のために入れられている まずニーチェの「永劫回帰」という考えだ 著者曰く、これは「われわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろう」という考えである そして、それは裏返せば「一度で永久に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、~略~、無意味なもの」であるということでもある ということは「永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある」となる ここにおいては耐えがたい重さをを背負っていないわれわれの人生は素晴らしい軽さとして現れるうる しかし、著者は、本当に重さ=恐ろしいことで軽さ=素晴らしいことか?と問う 著者は言う 「もっとも重い荷物というものはすなわち。同時にもっとも充実した人生の姿なのである」 「それに反して重荷がまったく欠けていると、~略~、その動きは自由であると同様に無意味になる」 では、「そこでわれわれは何を選ぶできあろうか? 重さか、あるいは、軽さか?」 この問いは元々ギリシアの哲学者パルメニデースのものらしい そこでパルメニデースは軽さが肯定的で、重さが否定的だと答えているようだ さて、どちらが正しいのか?それが問題であり、本書を貫くテーマでもある 始めの4ページとちょっとを使って著者はこのことを言及する そして、最後に「重さ・軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だ」と言ってトマーシュたちの物語を語り始める そう本書は人生における重さと軽さを問いかける作品なのだ 題名の「存在の耐えられない軽さ」というのはそういうことだ 一回きりしかない人生の軽さ、心と身体の二重性、理解されなかった言葉(他者性)それらについて、チェコスロバキアという厳しい自由の少ない状況を舞台にして本書は語るのである *** トマーシュ 自由恋愛という信念をどうしても捨てきれないがテレザのことは間違いなく愛しているトマーシュは、手術の腕が良い有能な医者でありながら社会主義政権下で自分(個)のやり方を変えられないために、医者でいれなくなってしまう 状況が悪化する中で、最後の最後には自由恋愛(何という軽い言葉だろう)もできなくなってしまい、彼は最後にテレザと田舎で静かに暮らすことになる しかし、彼はテレザに向かって言う「僕がここで幸福なことに気づかないかい?」 「テレザ、使命なんてばがげているよ。~略~。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」 (使命とは手術をすることである) そう彼は気分が軽くなって、自由で、幸せなのだ ここで著者は軽さを肯定しているのだ *** テレザ テレザは、トマーシュの自由恋愛に振り回されて、不幸な人生を送っているように見える ただ、彼女はトマーシュが彼女のことを愛していることは知っている 嫉妬の炎がそこで安心することを許さないだけだ ここでは軽さが彼女を苦しめる 田舎娘である彼女の人生は母親の存在からして惨めと言って良いものであったし、その永続性から抜け出したい何の使命もない彼女は、トマーシュの元に行くことで、それまでの人生と決別する 彼女とトマーシュの愛は確かなものだが、自由恋愛という軽さに翻弄されて、彼女の幸福感は儚いものである 最後、田舎で暮らすことになった変わることのない暮らし、トマーシュの自由恋愛の無い暮らしの中で幸せを感じるが、トマーシュの使命を自分があきらめさせたことから、後悔を抱く そこで、発せられたのがトマーシュの上述の台詞だ 「テレザ、使命なんてばがげているよ。~略~。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」 彼女はこの台詞を信じて、悲しいが幸福になる 曰く「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」 彼女は軽さに翻弄されたが、それでもその軽さがトマーシュを救ったのだ *** サビナとフランツ サビナとフランツにおいてはまた別の事情になってくる この二人において重要なのは二人のすれ違いである 愛人でありながらお互いがお互いを理解できない悲しさとでも言えるものが二人の間にはある と、言うのもサビナはトマーシュと同じように軽さを愛するものだからだ トマーシュとの違いは、トマーシュが恋愛においてそれが前面に出ていたのに比べ、サビナは人生全般でそれを貫いているところだ 軽さを求める彼女は裏切り続ける 彼女の求める美は、間違いとしての美なのである 彼女は子ども時代から絵を描いていたが、小市民的・禁欲的な父親に厳しく躾けられ(少年に恋をすることさえも禁じられた)、その反発から父親の嫌いなキュビズムを愛した そして、父を裏切ることは彼女にとってポジティブなことであり、「隊列を離れて未知へと進む」裏切りの中に彼女は美を見出したのだ この父親への裏切りは決定的なものでその後の彼女の人生は、最初の裏切りが引き起こした連鎖的裏切りの人生となる 彼女もそんな人生をどこかで終わらさなければと思うが、彼女はもう自分の裏切りの人生を変えることができなくなっていた 「彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは主にではなく、存在の耐えられない軽さであった」 *** サビナ サビナが嫌悪するものにキッチュ(俗悪なもの)がある 本書曰く ヨーロッパ的一神教的信仰である存在との絶対的同意がある これは神という絶対的存在を同意すると言うことである そして神聖なる神が糞をするわけがないということへの同意でもある つまり、存在との絶対的同意の美的理想とは、「全ての人が糞など存在しないかのように振舞っている世界」であり、それをキッチュと呼ぶのだ サビナはキッチュが嫌いであるが故に共産主義を嫌っていた その建前、虚妄、欺瞞を信じていることを表明しなければいけない社会を嫌っていた (サビナが日本を見たら嫌悪を表していただろう) またアメリカ的幸福のモデル(とそれを利用する政治家)も嫌っていた 「芝生を賭けていく子供に全人類と感激を共有できるのは何と素晴らしいんだ!」この絶対的モデルに基づいた共感をキッチュと呼び彼女はそれを嫌ったのだ そして、だからこそ彼女の美は間違いの中に生まれる 美のモデル(全人類とこの絵が美しいという感激を共有できるのは何と素晴らしいんだ!)を裏切ることに美を見出すのである そうやって裏切っていった先、アメリカの地で彼女は息を引き取る 土の中に降ろされるのではなく、火葬されその灰を撒布されることを望んだ 「テレザとトマーシュは重さの印の元で死んだ。彼女は軽さの印の元で死にたいのである」 (これはテレザとトマーシュが結局静かな田舎暮らし、何も変わらない、昨日と今日が変わらない生活の元で息を引き取ったから述べているのだろうが、僕はそうは思わない。少なくともトマーシュは自由恋愛とは別の意味で軽さを手に入れたと思うからだ。もちろんサビナという絶対的軽さを伴った人生と比べるとやはり「重い」と言わざるを得ないが) *** サビナ2 その上で、僕はサビナの生き方に好感を持つ 彼女の一途なまでの破壊的裏切りの人生 「隊列を離れて未知へと進む」裏切りに僕も美を見出したいからだ *** 最後に 本書は何度も言うように著者の説明というか紹介というか、とにかく、著者によって舞台も思想も登場人物も語られている形式の作品である だから、フィクションと現実の境目があいまいになる感覚に捉えられる 「もしかしたら本当にこの登場人物たちはいたのではないか?」と思わせられるのだ また難しい概念の説明が入ることによって、登場人物たちの心情が分かりやすくなるという効果もある 本書は、読ませ方という点でも素晴らしいし、何よりこのタイトルにある様な人生を考えるのに役立つ一冊でもある
0投稿日: 2011.10.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
訳は、理解できたけど、名訳とまでは言えない感じ。 著者さまはきっと、話の反らせ方が、抜群にうまい人で、 そのおかげで、物語世界に幅が出ている。 物語世界の幅の出し方としては、 1.時間軸を伸ばす(ex『肝心の子供』、『失われた時を求めて』) 2.場所をでかくする(ex『俘虜記』、『パルムの僧院』) 3.話題の幅を広げる(ex本作、『ゴットハルト鉄道』) などなどがあるのだと思うけど、上記したようにこの作品は3が抜群。 ニーチェやスターリンの息子がひょいひょい出ている。 そのおかげで、本作では〈語り手〉と〈登場人物〉がうまく距離をとっている。 語り手はしばしばメタフィクション的な語りも挿む。 恋愛を、メタフィクションをまじえながら書くこと、 恋愛とその外部(政治、歴史)を書くこと、 このふたかけらの矛盾を橋渡しする難しさを、 よくも悪くも教えてくれる作品。
0投稿日: 2011.10.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
デッサンのように描き直す事の出来ない線が人生だとしたら。 落ちてくるのは、重さか、軽さか。 …単純なラブストーリーなんかじゃない。 かと言って革命の話と言い切る事も出来ない。 生きる重さ、死ぬ軽さ。 死者ですら新しい死者にその場所を譲らなければならない。 最初に読んだのは大学生の時。 それから何度と無く読み返しているのは、この作家が 好きだからなのかな。 映画にもなったけれど(映画も観たけど) 原作があるものは常に小説を超えられないね。 (この作家の作品は特に映像には出来ないと思う。) サヴィナの生き方がね、個人的には…うん。 この登場人物達の中なら誰の生き方が良かったのか…つい 考え込んでしまうけれど フランツだけは私には無いパーソナリティだなと思う。
0投稿日: 2011.10.01
powered by ブクログこの映画を何度も観た。 学生時代、まだ人生の何たるかも漠然としていたころに。 よく分からないけど心に突き刺さる映画で、何度でも観たくなった。 よく分からないけどバックに流れていたヤナーチェクも何度も聞いた。 あれからかれこれ20年以上。 もう人生も半分きたので、もう一度原作をしっかり味わいたいな、と。 学生時代には分からなかったことがもう分かるんじゃないかな。
0投稿日: 2011.09.07
powered by ブクログテレザとトマーシュの恋愛には強い絆が感じられて、憧れます。 ラストにトマーシュが、どんな低いところの話しをしてるんだい?と言うところは多くの犠牲を払ったテレザとの関係がトマーシュにとって大切なものだとわかり、感動しました。 メタファーやキッチュ等のたくさんのディティールも、新しい言葉の意味と視点を吹き込んでくれて、特に目眩のくだりは忘れられません。 ハタチ前後から繰り返し読んでいますが、何度読んでも気づきがあり、感想が違って、ずっと読み続けられる本だと思います。 背景のプラハの春を知れば、また違った風に読める気がします。
0投稿日: 2011.08.12
powered by ブクログ小説の一文目で作品が面白いかどうか分かるというのは私の中で定説なのだけど、この作品はまさにそう。 軽さと重さ。その両極に常に揺れ動くのが恋愛というものじゃなかろうかしらん。
0投稿日: 2011.07.21
powered by ブクログやるせなくて、悲しくて、切ない気分になる恋愛小説。 哲学的な挿話が各所に入る。その辺りは少しだけ踏ん張らないと耐えられない重さがある。 作者クンデラが敬愛する作家ムージルの影響がある。いわゆる可能性感覚について言及していたり、ニーチェの永劫回帰の思想を冒頭に持ってきている辺りとか。あるいは、分析的な箇所とか。 タイトルと、タイトルに沿ったテーマがあまりにも秀逸。 人間の存在、あるいは人間の存在意義の軽さを意識すると、その軽さに耐えられず、いたたまれない気持ちになる。 この悲しさが、心にじわりと、優しく染み込んできます。
0投稿日: 2011.07.18
powered by ブクログ人生を変えた一冊。 和訳だけどこんなに完璧で悲しく切ない恋愛小説があるのだなーと関心しました。 映画も見ました。 私はテレザ派です。 彼女の弱さというものに滅茶苦茶共感できました。 ペトシーンの丘の話、野兎、技師との話、テレザの夢の話、カレニンの話・・・全てが好きです。
0投稿日: 2011.06.27
powered by ブクログ【粗筋・概要】 1970年前後のチェコ、スイスのジュネーブを舞台に、外科医のトマーシュ、その妻テレザ、愛人のサビナなどの性愛を通して、軽さと重さ、心と肉体、男と女などのテーマを描いた思索的な小説。亡命作家ミラン・クンデラの1984年発表の代表作。 【感想】 ミラン・クンデラの作品は十年前から知っていて、身近にあったのだけど読まずにいた。小説なのに作者が出しゃばってくるイメージがあって、避けていた。しかし、この作品を読んでもっと早く読んでいれば良かったと思うぐらい、数ページ読んだだけで凄く面白いと思った。 確かに、作中人物ではない「私」が語り手の領分を大幅に逸脱して、作中いろいろ語り出すのは、私のイメージ通りであった。けれども、その風変わりな語り手である「私」の独特の言い回しが良い味を出している。 正直、第VI部「大行進」と第VII部「カレーニンの微笑」はよく理解できなかった。でも、それは難解とはやや違う印象を受けた。私は難解だったり意味不明な文章を読むと苛々するのだけれど、この作品ではそれがなかった。読み返したときにそれが自分なりに解釈できればいいな、と思った。 ☆x4.5
0投稿日: 2011.06.26
powered by ブクログこれによって、自分が嫌うものに共通しているらしい性質を名づけることができたのでした。それが、私だけの言語だとしても。 kitschなものは嫌い。
0投稿日: 2011.05.17
powered by ブクログメタファーが異次元。大抵薄っぺらいメタファーしか使わない本ってチープな印象しかないけれども、この本にはチープさは一切感じられない。必読。
0投稿日: 2011.05.08
powered by ブクログこれまで読んだことのない種の本であり、読み進めるのに非常に時間がかかる。このジャンルを何と呼ぶのか分からないけど、日常で感じるほんの一瞬の疑問や気付きやその他の感情を、その一瞬で終わらせてしまわずに、深く掘り下げて、意味を見出し、その実体を理解するために、言葉で表せられるようなレベルまで落とし込む、という作業を丁寧にやっている書き方。そうやって活字になってみても、時々1回読んだだけでは理解出来ない文章に遭遇し、その時は2度3度と同じ行を行ったり来たりするので、進まない。難解な言い回しにぶち当たったときに、読み飛ばすか、そこに留まるかはその本の面白さ如何なので、この本は読み飛ばす率90%の私にしてみれば、かなり面白い。 私が普段ふと感じることを、私には思いつきもしない一風変わった形で表現されるのが、新鮮で心地よい。そのため、気になる素敵な文章にたくさん遭遇し、ページの角に折れ目がつく回数は今までで一番おおかった。 しかし残念ながら、本書の部分は理解できても、全体が理解出来なかった。もう少し精神的に大人になって再読したら、また違った感想がもてるはず。
0投稿日: 2011.05.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一応恋愛に区分してみましたが、恋愛を題材に人間を考える哲学的な、普遍的な人生についての文学だと思います。 目下の悩みごとへの、何らかの解決の糸口を得られるかもしれないと思って手にとりました。 最初のこのお題がでてきたのが紀元前だと知ってびっくり。ギリシャに行ってみたい度合いがアップ。 どんな選択をしても、もう片方はわからない以上、どんな人生の選択も"比較の結果行えるものではない" には納得。岐路に立った時、比較しているような気になっている。考えうることは考えていいと読後の今も思ってるけど、これをわかっておくのは軽く生きるのは難しい私にとって大切だ。 一度しかなかったのは無いのと同じ。 ただ生き、死んでいくもの。でも軽さを軽いまま生き切ることは逃げを伴うのだとサビナの章を読むと感じます。キッチュなものへのこの感覚は、大いに共感。 私には(所詮軽いのだけど) 軽くあろうとするのは幸せだと思えない。 軽さを貫こうと思えば貫ける選択を与えられている中で行うコミットメントの重さ・・。 幸福であることは相対的なものではなく、絶対的なものなのだと再認識。相手がある選択の場合でも、相手も選択しており、相手の幸福をこちらから勝手に不幸にしたとか考える必要もなし。(特に相手が強い場合は。)幸福を追求して悔いたりしないように生きなければ。 「重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。」
1投稿日: 2011.04.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
重さと軽さについての世界観を4人の人物から表現する。哲学的な内容だがすっきりしている。究極の恋愛小説と言われる本書は登場人物の設定をそれぞれ対極的に表現することで分かり易くしていると思う。
0投稿日: 2011.02.27
powered by ブクログhttp://d.hatena.ne.jp/heitarosato/20101231/1293802557
0投稿日: 2011.02.03
powered by ブクログ熟読。これは…クリティカルヒット! 人生で読んだ小説の中でトップ5に絶対入る。影響を受けた、というより、共感したもの。きっとまたどこかで出会うはず。 たぶん、最近ニーチェについて勉強したこともあってか、怖いくらいに心揺さぶられる。 読んでて、テレザと重なる。 以下、読書メモと引用。 ニーチェの思想の影響がそこかしこに。 すなわち小説が偶然の邂逅によって魅惑的になっているとして非難すべきではなく、人間関係がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのためにその人生から美の広がりが失われていることをまさしく非難しなければならないのである p68 テレザの夢→優越願望と対立願望。テレザは対立願望に支配された他の女たちを怖がり、また、軽蔑している 161 これらはテレザが子供の頃から頭を悩ませている問いである。 本当に重要な問いというものは、 子供でも定式化できる問いだけである。 もっとも素朴な問いだけが本当に重要なのである。問いにはそれに対する答えのない問いもある。答えのない問いというものは柵であって、その柵の向うへは進むことが不可能なのである。別な言い方をすれば、まさに答えのない問いによって人間の可能性は制限されていて、人間存在の境界が描かれているのである。 191 多くの人たちは未来に逃げ込むことによって自分の苦しみから逃れる。時間の軌道に、その向うでは現在の苦しみが存在を止める線を、想像して引く。
0投稿日: 2011.01.26
powered by ブクログ読んでから、映画も観てみた。 映像化も、なかなかよくできていて、小説でもやもやしていたところが、映画ですっきりしたような気がする。 映画の解釈は、違うのかもしれないし、ストーリーも多少変わっている。 映画を観てよかった。小説の味わいが深くなった気する。
0投稿日: 2010.12.21
powered by ブクログダニエル・デイ・ルイス主演で映画化された頃に一度読んだものの全体像はつかめず断片的なモチーフだけところどころ印象に残るという不完全燃焼だったのでいつか改めてちゃんと読もうととっておいたら20年ほども経ってしまいました。ストーリーより人物とその人物の世界観や感じ方を描いた作品。前よりは理解の度合いは増えました。
0投稿日: 2010.11.26
powered by ブクログチェコの時代背景とトマーシュとテレザ。 2人を囲む人物も魅力的。 そうでなければならない、人間の使命とは。 哲学的な内容なので最初は難しい評論の問題を解いてる気分になったけど、途中から慣れたのかすんなり読めました。 クンデラの考え方がふんだんに盛り込まれていて面白かった。 わたしは「めまい」の表現が好き
0投稿日: 2010.11.19
powered by ブクログ高校生のときに買ったが、当時は「ユーロインテリ好みの衒学趣味な糞恋愛小説」と断定して読みさしにしてしまった。源氏物語もそうだけど、文学の世界では、どうしていとも簡単に女を次から次にベットに連れ込むことだけに長けた男がもてはやされるのだろうという反感もあった。8年を経て(26歳秋)また読み直してみたところ、男の孤独に立脚する哀しみや、女たちの自己愛の醜さなども読み取れるようになって、反感は、共感へと変わった。まるで渇いた土に水が染み渡るようにするすると文章が理解され、のめり込む事ができた。年の功だろうか。 筆者を始めとするチェコの芸術家には、祖国を蹂躙したロシア、東方正教に対する憎悪や怨嗟がその創作意欲になる場合が多い。「ドストエフスキー、トルストイなにするものぞ」というような。この小説も、プラハの春を弾圧された当時のチェコを舞台にしており、時代背景を理解してから読むとさらに示唆に富んだ読書になるだろう。
0投稿日: 2010.11.10
powered by ブクログ2010.10.09 ・人間がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのために人生から美の広がりが失われていくことをまさしく非難しなければならない ・誠実さが我々の人生に統一性を与え、それがなければ人生は何千もの瞬間的印象に分かれてしまうだろう ・非計画的な美しさ。間違いとしてのう美しさ。 ・結婚に憧れる女の子は当人が何も知らない何かに憧れ、名声を求める若い男の子は、名声とは何かを知らない。われわれの行為に意味を与えるものは常にわれわれにとってまったく未知な何物かなのである。 ・一人一人の女を違ったものにする百万分の一の差異に夢中になるのである。 ・唯一の政治運動があらゆる権力を持っているところでは、われわれは突如として絶対的に俗悪なものの帝国(キッチュ)に身をおくことになる。 ・人間の真の善良さは、いかなる力をも提示することのない人にのみ純粋にそして自由にあらわれうるのである。 トマーシュ、テレザ、サビナ、フランツ。
0投稿日: 2010.10.09
powered by ブクログここ1年くらいで自分の好きな小説とはどういうものかやっと分かってきた。 私の好きな小川洋子も江國香織もそう語っているように、その物語は「発見される」のだ。 作者の恣意によって作り上げられたのではない、物語。 (作者の恣意によって構成されたものが必ずしも嫌いというわけではないが、世の中にはあまりにもフェイクが多いと思う。) この小説の斬新な(と私は思った)点は、語り手が自らの正体(小説家、創作者としての自分)をあけっぴろげにする点である。 「もし著者が読者に、登場人物が本当にいたと信じこませようと努めるなら、それはばかげたことである(p52)」 なんと挑発的な! この下りはこう続く。 「その人物は母親の身体から生まれたのではなく、二つの暗示的な文のうちの一つ、あるいは、一つの根本的状況から生まれたのである。(p52)」 またこうも語られる。 「小説の人物というものは生きた人間のように母親の身体から生まれるのではなく、ある状況、文、メタファーから生まれるもので、その中にまるでクルミの殻の中のようにある種の基本的な人間の可能性が収められている。(p280)」 ミラン・クンデラは彼らを「発見した」。 この小説の二重性は、プラハの春前後のチェコという現実の世界を舞台としていながら、そこに登場する人物たちが「フィクション」であることを作者が告白すること。 言い換えれば語り部が「作者」であることを告白することにある。 この小説は「フィクション」でありながら「ノンフィクション」なのだ。 彼はそれを「ばかげたこと」と言い切るが、だからこそ逆にトマーシュや、テレザ、あるいはサビナ、フランツ、シモン(彼に至っては物語の途中で「作者」によって名前が「与えられた」)が生きていたということを信じることができる。 もしこの小説が「共産主義への糾弾」と称されるなら、ミラン・クンデラはこう叫ぶに違いない。 「私の敵は共産主義ではなくて、俗悪なもの(キッチュ)なの!(p322)」 【追記】 最近「メタフィクション」という言葉を知りました。 なるほど・・・、「存在の耐えられない軽さ」はメタフィクションと呼んでもよいのだろうか?
1投稿日: 2010.10.04
powered by ブクログごめんなさい、よく分かりませんでした。チェコの現状を告発した本ではないはず(発刊が84年だから)。序章やタイトルにもあるように、存在の重さ軽さが問題なんだろうけど、本の最後にあるように恋愛小説には読めなかった。メインは第Ⅵ章以降ではないのかな。キッチュ("Kitsch", 俗悪さ、と訳されている)がキーワードか。キッチュの前では、人間の存在性など大したことはない、なのか。そうならば、告発本じゃないか(共産主義のKitschに触れているから)。うーん、やっぱり良く分からない。別の作品も訳されているみたいだから、読んでみようか。理解できなかったから評価はしない。
0投稿日: 2010.08.31
powered by ブクログ誰しも一度は悩む、自己確立と自己 実現をテーマにした物語だと思った。 命は大切で何よりも優先するべきであるという常識のすぐ隣で、自分の存在意義を見つけられない。 言葉にすると軽すぎる現実が、恋愛だけに生きているような男女の向こうに見えた。 私には、感情移入できた物語。
0投稿日: 2010.08.28
powered by ブクログ読み終えてから、事前に「プラハの春」についてウィキペディア程度の知識があった方がよかったなあと思った。 チェコ人作家の小説で、舞台は概ねチェコ。チェコで民主主義的解放の運動「プラハの春」が起こり、そこにソ連軍が攻め入ってそれを封殺するという歴史的事件がこの小説で描かれている背景になるのだけど、そこに何がしかジャーナリスティックな想像力をめぐらさずとも、一応はありふれた恋愛小説として読める。 哲学的な文章。基本的には三人称で進むけど、たまに「私」として著者ミラン・クンデラが解説者的な立場で登場するのに驚く。 「(主人公の一人)トマーシュの言動の理由はこうであるはずだ」とかいうことをわざわざ「私」が言うのである。「私」の想像上のお話にでてくる「私」の想像上の人物の言動に対して、あえて「私」が顔を出して親切に読者にわけを教えてくれるのである。なかなか複雑な構図だ。 哲学的な文章ではあるけど、こうして説明過多なぐらいに言葉を重ねることで、ほとんど”わかるように”して書かれた小説であると思う。暗示的なシーンを暗示的なまま放り出すということがほとんどない。この小説を読むということは、読者が意識的にミラン・クンデラの自作自演についていくということだと思う。
0投稿日: 2010.08.16
powered by ブクログこの数年間で読んだ本の中で間違いなくベスト5に入る傑作。 何度でも読みなおしたい広がりと深さがあり、読むチャンスに恵まれた幸運に感謝。 極めてヨーロッパ的な作品であり、ヨーロッパ的な価値観(知識・教養など)がないと楽しめない部分があるのも確かではあるが、それを差し引いても十分に楽しめる。 美、政治、音楽、死、性、神学など様々なテーゼについての考察は、文字による芸術である小説ならではだと思うので、映画でどこまでこれらのテーゼを映像による表現出来たのかが気になる。
0投稿日: 2010.06.23
powered by ブクログ究極の恋愛小説。 下手な恋に身をやつすより、これを読みたい。 恋愛という枠の中で漂っているなら ぜひこれを。 私にとって文句なしのべスト恋愛小説。
1投稿日: 2010.06.13
powered by ブクログ家で衛星放送をいれたら映画でやってた。みてて面白かった。他の恋愛小説は付き合いまでが勝負だがこの小説は付き合ってからの動きが歴史的動きと連動して書いてあってリアル。
0投稿日: 2010.05.25
powered by ブクログ小難しい上に翻訳ものなので一年くらいかかってしまった。 独特のテンポに、持ってまわったような理屈っぽい言い回し。 でもところどころで「幸福とは繰り返しの憧れである」とか、 膝を打ちたくなるようなフレーズに出会う。 それもそのはず著者はプラハの革命の前線で 激しく弾圧されながら創作を続けてきたらしい。 この本も長いこと本国で発禁されていた。 生命をかけて書いた本。 人生の重さと軽さがもっと分かる歳になったら また読み返したい。(妻)
0投稿日: 2010.03.15
powered by ブクログこれを読んだことある?ってきかれて, 「あります!浮気男の話です!」 って解説したら職場の人(女子)に嫌がられました。 でもたぶんそうだと思うの・・・。 束縛される重さと執着されない軽さについて考える話 ・・・だと思ったんだけど違うのか・・。 ちなみに職場の人たちには,とても良いので読んで! 感動します!(最後)って言ったんだけど,冒頭の 一言のせいで読んでもらえない気配だし・・・。
0投稿日: 2010.03.01
powered by ブクログ文体や書き方はもちろん好きなんだけど、 話が悲しくてでも最後に救いが見えて、 カレーニンがいとしくて、とても泣けて、 ものすごくいい本を読んだなあと思った。
0投稿日: 2009.12.07
powered by ブクログ恋愛にまつわるだいたいすべてのパターン プラハの春からソ連侵攻で揺れるチェコを舞台に、奔放な女性と真面目な女性の間でひたすら軽く生きる男。政治、宗教、社会、仁義、ライフステージ。人を型にはめようとする様々な力と、それを相対化しようとする個との間で生まれる多彩な恋愛模様。 知識
0投稿日: 2009.10.03
powered by ブクログ2011.7月に再読。 ジョセフ・クーデルカ「プラハ1968」2011.5.14~7.18(6.19(日)鑑賞) P290 地球が爆弾で震撼しようが、祖国が毎日新たな侵略者に略奪されようが、すべての隣人が連行され処刑されようが、これらすべてのとことは、たとえ認めることはできなくても耐えることはできる。しかし、たった一つのテレビの夢に暗示さRていた悲しみには耐えることができなきなかった。 (下記2009/8/7 なんて、どうでもいい文章を書いているんだ!驚愕。) 最近は、いとちんに借りた本しか読んでいないですね。 こちらも、その類です。 恋愛で思い悩み苦しみぬいた日々のなぐさめになりました。 「存在の耐えられない軽さ」って、ずっと頭の中にキャッチーなグッとくるフレーズとして私の中にありましたけど、読みたい読みたい思ってて、このタイミングで手にとれてよかったです。 クンデラのこの作品は、楊逸の『時が滲む朝』に通ずるものがありました。 つまり楊逸の場合の中国の民主化運動っていうのは、あくまで私にとって外の国で起った漠然とした騒動のイメージしかないわけで、そこに文学作品を通じて当時のリズムが伝わってくる感じがあったわけです。 その経験に似ていて、1968年のプラハっていうのは一体どのようなものであったのか、っていうのは、68年的なるものに少なからずの関心を持つ者として見過ごすことはできないけれど、やはりイメージがわかない。だけど、クンデラの描写から何となく当時の雰囲気が伝わってくる部分はあって、それって漫然と小説を読むというだけではない面白さがありました。 松岡正剛がクンデラについて書いていて、さすがやな。言い得てるなあと感じました。と、同時に落ち込みます。
0投稿日: 2009.08.07
powered by ブクログ-そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか?重さか、あるいは、軽さか?(中略)確かなことはただ一つ、重さ-軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである- 小説を並行して、ジュリエット・ビノシュがテレザを演じた映画「存在の耐えられない軽さ」を観たのは大学生の頃だったか・・・。小説の「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた」という出だしから3・4ページにやられ、映画のトマシュとテレザの出会いのシーンとラストにやられ・・・小説で伝う「軽さ」が、映像では「透明感」をもたらしていた記憶が、再読して鮮やかによみがえりました。改めて、時間を超えて存在感を増す名作と実感。映画と小説、ぜひ両方ともみてよんでみて!
0投稿日: 2009.07.29
powered by ブクログ「僕にどうしてほしいんだい」 「あなたに年とってほしいの。十歳年をとってほしいの。二十歳年をとってほしいの!」 それによって、あなたが弱くなってほしいといいたかった。私のように弱くなってほしいと。 なんだか難しい本。 歴史的背景や小難しい理屈が多く挟まれていて、よく意味がわからない箇所が少なくなかった。 でも、ひどく魅力的だった。 理屈はわからずとも、登場人物の感情は生々しいし、時にはなぜか泣きそうになった。 また繰り返し読もうと、最後まで読む前に決めていた。
0投稿日: 2009.06.15
powered by ブクログこれほどの素晴らしい文学作品のレビューを適切な語彙でレビューすることなんてとても難しいですが、幼稚な日本語で綴ってみようかと思います。 「プラハの春」のチェコやそこに住む人々のお話。 実存する二人の関係性の変化を、軽さや重さという修飾語がいかに働きかけてそれの変化を促進したり、抑止したりするのか。 恋愛小説なんて生易しいものではなく、僕が常日頃から感じている人間(男女)の関係性を変化させる衝動の、核の部分を的確な言語で言い表していて驚嘆させられます。 浮気や愛人といった、日本では同年代で毛嫌いされるような事象についても的確な形容詞で言い表している。 正直ほんとにこの一冊は衝撃であり、高校生にはまだ早いが僕と同じような年代の人にはぜひ一読を勧めたい。 まどろっこしくて、複雑に絡み合った事象を紐解いて適切な言葉に置換してしまう作者には敬意を表したいと思う。
0投稿日: 2009.04.29
powered by ブクログタイトルが自分を呼んでいたので購入。 25年間に200人を抱いた男のインモラルで少し悲しい話。 総じてあまり面白くないです。
0投稿日: 2009.04.20
