
総合評価
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powered by ブクログ恋愛小説の傑作と聞いて読んだが、人の存在とは何かを考えさせられるエグい作品だった。一回きりしかない人生の軽さが突きつけられる一方で、そのやり直しができない人生での選択の重さを考えさせられる。恋愛小説として読めるし、人生を考えたい時にも読める一冊。
1投稿日: 2026.01.29
powered by ブクログ『チ。』の魚豊先生の生涯ベストの本とのことで(更新された?)手に取ってみました。 哲学系かな?と思ったら、ストーリーが展開されて掴めるような掴めないような、不思議な読書感。 ハッとするような、書き留めておきたいような核心を突く部分があったり、気が抜けない面白さがありました。多分本質は掴めてない気がする…。 知ってるか知らないか、の オイディプースの話興味深かった。 いいなと思ったところ↓ P112 「人がまだ若いうちは、人生の曲はまだ出だしの数小節のところなので、それを一緒に書き、(トマーシュとサビナが山高幅のモチーフを交換したように)そのモチーフを交換できるが、もう年がいってから出会うと、二人の曲は大なり小なりできあがっていて、一つ一つのことば、一つ一つの対象がそれぞれの人の曲の中で何か別な意味を持つのである。 もしサビナとフランツのあらゆる会話を注意深くたどるとすると、二人の間の誤解から大きな辞典を作ることができるであろう。われわれは小さい辞典で満足するとしよう。」 →樹木希林を思い出した。 P169 「傘がぶつかりあった。男たちは礼儀正しく、テレザとすれ違うとき、傘を頭上高くあげて、その下を通り抜けられるようにした。しかし、女たちは避けなかった。じっと正面を見つめたまま、誰もが自分の弱さを相手が認めて、避けるのを待っていた。傘の出会いは力の測り合いであった。テレザは最初のうちは避けていたが、自分の礼儀正しさにけっしてなんのおかえしもないことを理解してから、他の女と同じように傘を手にしっかりとにぎりしめた。何回も激しく相手の傘とぶつかったが、誰も「失礼」とはいわなかった。たいていは何のことばもなく、二、三回「ばかったれ」とか、「くそ!」と、いうのを耳にした。」 →なんかわかる。 P264 「愛はメタファーから始まる。別なことばでいえば、愛は女がわれわれの詩的記憶に自分の最初のことばを書き込む瞬間に始まるのである。」
1投稿日: 2026.01.27
powered by ブクログ難しすぎw なんというか哲学的すぎて、早く次の本に行きたくて後半爆速で読んだ。 カレーニンの死のくだりが感動的だったかな。あとはトマーシュが女癖悪すぎてなんでテレザはこの男に一生を捧げるのかわからん。
0投稿日: 2026.01.24
powered by ブクログ非常に面白くて、この本に出会えてよかったと思う!言い回し、表現が面白く、時代も場所も違う物語だった。語り口がコロコロと変わるのも面白い。もちろん理解できない部分もたくさんあった。ぜひもう一度読みたい!!! 印象的な言葉を書き写しておく↓ 人生はたった一度限りだ。それゆえわれわれのどの決断が正しかったのか、どの決断が誤っていたのかを確認することはけっしてできない。 歴史も、個人の人生と似たようなものである。 ただ一度なら、全然ないことと同じである。歴史も個人の人生と同じように軽い、明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、羽のように軽い、耐えがたく軽いものなのである。 (試行錯誤ができず、意味が確定しないので、判断が宙に浮く、軽すぎる。) 人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。(動物の方が幸せ、と説かれる。また、最後に描かれた田舎での日常でトマーシュとテレザが同じような日を繰り返しているよころ、繰り返しているように錯覚できるところで、永遠ではないけれど幸福を感じられる) (トマーシュは、女と関係する自由、外科医として働く自由を捨てて、田舎でテレザと2人で暮らしている時が、結局1番幸福だった) → 引き受けた重さの中でしか、安らぎは生まれないということも伝わる (トマーシュが、窓拭きの仕事をしながら毎日のように女性と関係を持っていた時期、この時期も彼は自由(=軽さ)を享受していたけれど、テレザとの関わりは薄く、軽薄な日常だった。多くの女と関係することについて、セックスまで持ち込むことができることに対する達成感と、それぞれの女の性行為中の反応の違いを見ることが、外科医として手術をするのと同じように、面白いことだと感じるようだ。嫉妬するテレザ鬱陶しくおもって消し去りたいとも思うが、それでも手放さず、同情し続けて、テレザのことを思うんだよね) 誰が正しいかじゃなくて、どの矛盾を引き受けるかという話…! 私の今の彼氏との関係については、今はまだ軽くて、お互いの自由を尊重しあっている。軽すぎて、空気が抜けるように、実感がない時もある。お互いの自由を尊重した上でのこの関係だし、重さの芽は出始めてる。重さは、一緒に過ごす回数、不安を越えた経験、勝手に増えるから今を楽しもう。一緒に、お家でまったりする時間が楽しみだね。(繰り返しへの憧れ!)
0投稿日: 2026.01.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
プラハの春に参加していた作者が、(おそらく)自身の経験を元に、その時代の中で愛し合う男女を描いたクンデラの代表的な小説。トマーシュとテレザの深いけど苦しい愛、トマーシュとサビナの良好で軽い愛、フランツとサビナの始まりと破局、他にもトマーシュと元妻、息子等、人間関係が多岐に渡って描かれている。 特にトマーシュとテレザの愛は多面的に描かれていて読み応えがあった。本当に愛しているけど、トマーシュは女漁りをやめられないし、テレザもそれは分かっている。読んでるこっちは「そんな男やめなー?」て思うけど… 一人ひとりの人間の精神の深さ、意外性が緻密に描かれているところは好きなんだけど、比喩が多いしそれが私の直感と噛み合わないので咀嚼するのに結構疲れた。重さと軽さに関しての話もそういう比喩の中で語られていくので頭に入らなかったな〜。
0投稿日: 2025.12.24
powered by ブクログ冬が訪れると思索に耽るフリをしたくなり、久々にクンデラの代表作を再読。「存在の耐えられない軽さ」の登場人物それぞれの視点で「人間とは何か?」という問いが立てられていて、改めて小説の醍醐味が凝縮された1冊と感じました。何度読んでも咀嚼できないパートが多く体力が求められますが、思い入れが強い1冊なので、今後も本書を大事にしていきたいです。
1投稿日: 2025.12.12
powered by ブクログチェコの大変な時代。 哲学的な部分は完璧に理解しようとしたら 難しいので斜め読みした。 トマーシュがチャラい。 何故かデルタの匂いって フレーズが頭から離れなかった。 サビナは帽子を被って興奮する。
0投稿日: 2025.12.10
powered by ブクログ2025.10.26読了。 人生とは。愛とは。これらを哲学的側面から記した普遍的な小説。人生のあらゆる出来事は自らの意味づけ次第である。 パルメニデスは重さを否定的、軽さを肯定的なものとして捉えたが、果たして重さと軽さはどちらが「よい」のであろうか。 軽さは私たちを羽ばたかせる、しかし重みのない人生は無意味ではないか。 日本語では、「軽い」という単語からは、軽薄、浅はかとかいったネガティヴな連想がされがちのように思える。もしかすると、地域や言語によって軽さ重さ論争の答えは異なるのかもしれない。 重さは私たちを重みにより限りなく地面へと近づけさせ、それへの耐久という試練を与える。しかしそれゆえに私たちの人生は意味を付与されるのではないだろうか。明確な理由を言語化できないけれど、私は「重さ」のある人生を生きたいと思う。重みのあるものにはどこか安心感があり、「軽さ」を纏って生きるにはこの世は不確実で不安すぎる。 カミュの異邦人と同様、読む年齢や置かれている環境によって、捉え方が変わる気がする。 人生の歳月を経たときに改めて読んでみたい小説。
1投稿日: 2025.11.04
powered by ブクログ一度は数のうちに入らない、印象的な言葉とともに物語が始まる。主人公の医者トマーシュと恋人テレザ。トマーシュには愛人サビナもいる。トマーシュは様々な女性と関係をもつ。とはいえトマーシュはこれまでの原則を破り、テレザとの仲を深くする。チェコの民主化運動に翻弄されつつ、様々な人物の人生の重さ・軽さが描かれる。故郷というか拠り所のないサビナの軽さや、重い荷物を持ち生活を感じさせるテレザなど、生きる上で重さや軽さがあるな…と感じさせられる。正しい読み方かは不安だが…
0投稿日: 2025.10.02
powered by ブクログ愛と性は別であると考えて、短期間に複数人の女性と交際を繰り返すトマーシュ。浮気と本気の線引きがあり、彼なりの優先順位がある。トマーシュの強さとテレザの弱さのアンバランスの描写が、読んでいて苦しかった。 生き方の異なる2人が居れば、弱い方が耐えられない気持ちになるのは自然なことだと思う。 親しい人から、自分は替えがきく存在なんだと感じた瞬間に私は冷める。だからテレザに共感はできず私はサビナに憧れる。自分を大事にしてくれる人を見つけ、自分の居場所を自分の力で見つけて生きたい。 男女の性の価値観の違い。それによって生じる問題が政治的抑圧を背景に展開されていて物語に惹き込まれた。序盤以降は読みやすかった。
1投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
久しぶりに本を読んだ身としては難しかった。 人生は一度しかないから比べることができない(意訳)は確かにな、と思った。
0投稿日: 2025.08.09
powered by ブクログ著者のミラン・クンデラが巧妙なのは、同じ人間の中に「重さ」と「軽さ」を同居させていること。 トマーシュは政治的信念については妥協しない重厚さを持ちながら、恋愛においては徹底的に軽やかだった。 彼の性的な「軽さ」は、一人ひとりの女性との関係に深い意味や責任を求めない。でも、それは彼なりの一貫性でもある。 興味深いのは、彼がテレザとの関係においてだけは「重さ」を感じていたこと。テレザは彼にとって唯一、軽やかに扱えない存在だった。 つまり、トマーシュは自分なりの価値基準を持っていた。政治的信念は重く、性的関係は軽く。そのバランスが彼という人間の核心だったことだ。そして、その矛盾を抱えた姿に、どこか共感を覚えた。 しかし彼が本書で本当に書きたかったことは、理想が先走って、個人の現実が踏みにじられていく世間への問題提起だったのだろう。それに気づくと改めて「重さ」と「軽さ」の意味を考えることになる。
2投稿日: 2025.08.01
powered by ブクログ難しいから、なかなか理解出来てないとは思うけど、読めてよかった。 愛ということについて普段深く考えることはないがトマーシュとテレザのやるせなさは感じられた。 共感するというよりはそんな考えもあるのね、と思った。 時間経ったら再読しようと思う。
0投稿日: 2025.07.31
powered by ブクログ冒頭、ニーチェの引用で始まる恋愛小説 天才かよ ニーチェ様の登場で「こっちは恋愛小説って聞いていましたが?え?」から初めて頂けてしまう。帯見直したってばよ
1投稿日: 2025.07.24
powered by ブクログ”光と同じように闇にも彼は惹かれる”(p.120) 遠い国の、遠い時代で起きた、プラハの春という出来事。力のある者が躊躇せずその力を行使する出来事の一つである。 その間を生きた男女のぶつかり合いの物語。プラハの街を無機質に進むソビエト軍の戦車の裏のどこかで、このような生が営まれていたのだろうか。
1投稿日: 2025.07.18
powered by ブクログ静謐な文体で紡がれる哲学的小説。 自分という存在、そして今生きているこの人生は耐えられないほど軽いのか。それとも重いのか。この先ずっと、自問自答しながら生きていくことなりになりそう。
1投稿日: 2025.07.16
powered by ブクログ冒頭からニーチェの「永劫回帰」を持ってくるあたり、クンデラ氏の「自分の世界の様式」を表現し思索し実行している良作である。 永劫回帰から小説の主題である「存在の耐えられない軽さ」へ落とし込み、物語を通して深掘りしていく作品である。 人生も環境も自然も宇宙もあらゆる森羅万象が永遠に永遠に繰り返され、それらを乗り越える勇気(超人)へ至るとニーチェは言う。ニヒリズムではあるが、もう一度、同じ人生を歩みたいかと問う視点と、一度っきりの人生を全て奇跡的な偶然と捉え、その軽さの中で人生を歩みたいかと問う視点の両者の視点が読者をという「存在」という重さと軽さを同時に味わうことができ、深く思索することができるであろう。 私は思うのだ、重さも軽さもバランスだと。人によってその比率は異なるだろう。だが、変容し適応し、自分が生きるという人生で、どう生きたいのか問いを立て続けれ自分の人生という最後の刹那に結論が出るのであろう。良作である。
0投稿日: 2025.05.13
powered by ブクログ2025年4月21日、グラビティの読書の星で紹介してる女性がいた。「クンデラ、実は読んだことがなかったので」 表紙が大人っぽくて惹かれた。
0投稿日: 2025.04.21
powered by ブクログかなり良い評判ばかりなので読んでみました。 小説というより哲学でした。 私にはまだ早かった、理解しようとできませんでした。ただし、登場人物がどんな人物で、何に苦悩し、何を訴えようとしているのかはわかりました。 哲学が好きな方はガチっとはまりそうな内容。
0投稿日: 2025.03.24
powered by ブクログ冒頭からニーチェの永劫回帰が出てきて哲学的な内容。一度しかない人生の軽さ、選択の難しさ、人に対する愛と動物に対する愛の違いだったり考えさせられました。
7投稿日: 2025.02.23
powered by ブクログ哲学的で難解で、最初はおもしろくないなと読み始めたけど、中盤を越えたあたりから気付くとこの世界に入り込んでいた。存在の重さと軽さ、愛と性は別物であると複数の女性と浮気する外科医トマーシュ、やがて再婚する相手であるテレザと切れないサビナの人生もまた自分の存在について心を掻き乱す。テレザの愛犬カレーニンの最後の章は涙が出た。カレーニンだけがこの苦しさを癒してくれた唯一の存在だったから。
14投稿日: 2025.01.27
powered by ブクログ愛とは何か。存在とは何か。 当時の歴史的背景を知らないので理解が及ばない箇所も多かったが、読むたびに味が出てきそうな作品。
1投稿日: 2025.01.15
powered by ブクログ存在の耐えられない軽さ、素晴らしい本だったな 久しぶりに読後の余韻を深く感じている気がする 人生の必然性と偶然性、私たちはどちらに導かれていくのかそしてそのどちらに抗って生きいているのか 何も求めずにはいられない人間が自分がこれさえあれば生きていけるというものは何なのか 第二次世界大戦でドイツの侵攻によって、その後もプラハの春で自由化の動きをみせるがソ連の軍事介入によって制圧されたチェコスロバキアの時代の中で語られるからこそこの物語がもつ哲学がとんでもないメッセージ性を持っていた気がする
2投稿日: 2024.12.22
powered by ブクログ動乱のチェコで繰り広げられる、心震える男女の愛。 愛や誤解が招く幸も不幸も全て描き、読者に、世界にそれを問う。「Muss es sein?」 「一度は数のうちに入らない」が、人生に二度はない。そんな人生を我々はどう過ごすべきか。一瞬一瞬を大切に、重く扱い生きるのか。それとも過去を捨て軽やかにに生きるのか。 答え合わせのない暗中模索の人生のゴールは見つからないかもしれない。けれど、その日を信じて、僕らは「そうでなければならない」行動を続けるしかないのである。
2投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログメモ→https://x.com/nobushiromasaki/status/1825014622451323325
2投稿日: 2024.08.18
powered by ブクログ私がこの作品を読もうと思ったのは「プラハの春」以後のプラハの雰囲気を知るためでした。この作品ではプラハの知識人たちが負うことになった苦難の生活の雰囲気をリアルに知ることでできます。また、この作品の中盤以降は特にこうしたソ連による支配に対する著者の分析が小説を介して語られます。これはかなりの迫力で息を呑むほどです。
1投稿日: 2024.08.18
powered by ブクログ小説というより、一種の哲学書に近い感覚だった。結構な行数を不明瞭な視点(作者自身?)の思考に割かれているように思う。相当に人を選ぶが、ところどころに見過ごせない示唆がある。 ただ本当に人を選ぶ。心や時間の余裕がない時は余計に読めない。
2投稿日: 2024.07.20
powered by ブクログとにかくタイトルがかっこいい。 時系列が前後するのと哲学的な描写、夢描写も混じり難解。半分も理解できていないかも。女性たちの心の描写はわりと理解できたが、ドンファンであるトマーシュがテレザと結婚したのはよくわからなかった。図書館で借りたのでいったん返してしまったがまた読み直したい。 チェコのことは全然知らなかったので政治的な部分はたまに調べつつ読み、勉強になった。 動物の統治の概念は他のキリスト教圏では難しいだろうなと思った。
1投稿日: 2024.05.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
プラハの春とは、1968年のチェコにおける民主化・自由化運動である。作者のクンデラはこれを文化面で支えた作家だった。だが、この運動はソ連の介入によって鎮圧され、その後「正常化」の時代が始まる。この時代にクンデラは数々の弾圧を受け、1975年フランスに亡命した。これが本作の背景として描かれる。 この作品は風変わりな小説である。小説家はふつう、登場人物の行動をあれこれ解説したがらない。むしろ、解説のいらない文章を書くのが小説である。ところが本書では、作者であるクンデラ自身がたびたび表に顔を出す。これは恋愛小説に仕立てたクンデラの思想であり、あるいは思想について書かれた恋愛小説である。 外科医のトマーシュはいわゆるドンファンで、女とすぐに寝てしまうプレイボーイだ。ただし、どんな女とも一定の距離を置いた。妻とも別れた。軽さこそ彼が人生に求めるものである。だが、テレザは例外だった。彼女と恋に落ちてしまい、部屋に泊めるどころか結婚までしてしまう。トマーシュの人生にテレザが重くのしかかる。 ロシア軍が彼の国を占領したとき、二人はチューリヒに亡命した。だが、スイスにはサビナがいる。サビナはトマーシュが言うところの「性愛的友情」で結ばれた関係だ。テレザは彼女に嫉妬する。それで一人でプラハに戻ってしまう。トマーシュは重荷から解き放たれ、束の間の開放感を味わうが、長くは続かなかった。テレザには自分しかいない。これは自分にしかできないことだ。悩んだ末トマーシュは、テレザを追って占領下のプラハへ帰る。 この小説は、トマーシュ、テレザ、サビナ、フランツの可笑しくも悲しい恋愛模様を描いているが、トマーシュの物語について言えば、軽さと重さの間で引き裂かれた人生と言えよう。あるとき、トマーシュが新聞に投稿した批判文が当局の目に止まり、撤回するか職を追われるかの選択を迫られる。外科医は彼の天職であり、自分に課された使命だった。だが、彼は撤回を拒否して、みずから窓洗いという最下層に落ちる。彼にとっては、それが重荷を下ろすことなのである。 限りない軽さを追い求めるトマーシュに、運命が皮肉な決断を迫る。ある日、自分からはもう会わないと決めていた息子が接触してきて、恩赦を要求する嘆願書にサインしてくれと頼んできた。サインをすれば息子との関係が再び始まってしまう。サインしなければ彼は臆病者の烙印を押される。しかし、「サインすることはお父さんの義務ですよ!」という一言で、サインをきっぱり断る。ここでも彼は〝Es muss sein!〟(そうでなければならない)の重さから逃れようとする。 このように、トマーシュは絶えず軽さを求めるにもかかわらず、その先でまた彼を重たい決断が待っている。窓洗いとしての休息も、二年しか彼に安らぎを与えてくれなかった。追いかけてくる〝Es muss sein!〟。あらゆる重さから逃れたいトマーシュ。二人はプラハを出て田舎に引っ越す。その村には二人を知る者もいない。トマーシュはそこでトラックの運転手になる。 テレザは、トマーシュがこのようになってしまったのは自分のせいだと悔やむ。すべては彼が自分を追ってチューリヒを出たときから始まっていたと。そして、ここから先はもうどこへも行くことができない。それなのにトマーシュは、自分はここにいて幸せだという。自分も彼女も、何の使命も背負っていなくて幸せだと。だが、読者は雄弁な語り手から聞かされているのである。このあと二人を乗せたトラックが崖から転落することを。 トマーシュは本当に幸せだったのか。彼の決断は正しかったのか。作者は言う。一度限りの人生では、正しい決断というものは存在しない。いろいろな決断を比較するための、第二、第三の人生はないからである。 永劫回帰の世界では、一挙手一投足に耐えがたく重い責任が課せられる。しかし、そうではないわれわれの世界では、すべてが重さを失って空気のように軽くなり、無意味で現実感を欠いたものとなる。まさに、Einmal ist keinmal. (一回なんて、なかったのと同じ)なのである。
5投稿日: 2024.05.04
powered by ブクログ何度か読むのを中断しては復帰しを繰り返して、ようやく読了できた。面白かった分難しかった...! 存在の耐えられない軽さ、の理由がなんとなくわかった気がする。そしてこのタイトルが全てに通づる重要なワードでもある。 トマーシュで表すなら、外科医としての姿は重さであり、様々な女性と寝る姿は軽さだろう。そしてトマーシュにとっては何より、その重さに耐えることができなかった。 このように4人の登場人物たちは、隣の芝が青く見えるように、自分にはない重さ/軽さに惹かれあったのだと思う。そういう意味ではサビナの軽さのほうが、この本に則している気もした。 歴史的背景がわかったほうがより面白いと思うので勉強してから改めて読み直したい。
1投稿日: 2024.05.03
powered by ブクログすごく哲学的な小説で読むのにかなり時間がかかった。村上春樹っぽい本だった。チェコで起こったプラハの春とその後の旧ソ連による抑圧が、恋人たちの苦悩とともに描かれるんだけど、主人公たちの恋愛も駆け引きも犬の存在までも全部が暗喩的で読解にかなり力量が試される気がした。亡命した著者だからこそ書ける垣間見える共産主義体制の姿や同時代に起こっていたカンボジアを取り巻く出来事が随所に散りばめられていて、そういう一瞬一瞬が興味深かった。
1投稿日: 2024.03.26
powered by ブクログあ、この感じ分かる…って思うフレーズに、時々出会えることもある。 けど、全体として、多分私は、この本のことほとんど理解できてないんだろうなぁ…っていうのも分かる。 点としてはなんか分かる部分もあるんだけれど、線でつながらない感じ。 年をとって、賢くなれば、分かるようになるのだろうか。
2投稿日: 2024.03.19
powered by ブクログすごい時間かかってしまったので、覚えていたり、いなかったり。 最初からいきなり哲学っぽいのが来てびっくりしたけど、そこを乗り越えてからは面白かった。 架空の登場人物でありながら、本当にいそうな厄介さを持った人たちがこねこねと考えながら関係を続けていくのを読み進めていくのがおもしろい。 境遇も性格も似通うところはほとんどないのに、まず「わたし」がいて、わたしの支配の及ばぬところの、「あなた」がいる、そのままならなさについてあれこれと考える端々にたまにものすごく共感してしまう感じがあった。かも。
3投稿日: 2024.03.14
powered by ブクログちょっと難しかったです!私が世界史苦手で翻訳小説を読みなれてないのほんとよくない でもたった1回きりの人生は無に等しいかどうかを考える本としてはとても面白かった この登場人物達のような人生は歩みたくないけど、でも登場人物たちの獲得した繋がりの重さを羨ましいとは思う
1投稿日: 2024.02.27
powered by ブクログミランクンデラ「存在の耐えられない軽さを読んだけど、色欲サイコパスの男とメンヘラガールの自己正当化話だなこれ、みたいな。 ただ、それぞれの奇行じみた行動の理由付けがキチキチなされてゆくので共感してしまうタイミングがあるし、終わり方ずるいよね。
0投稿日: 2024.02.26
powered by ブクログ2024/1/6読了。 愛についての人間の価値観、あり方、その厳しく、虚しく、しかし幸福な描写が印象に残った。愛に対するひとつの回答。
0投稿日: 2024.01.06
powered by ブクログミラン・クンデラが2023年に亡くなったので追悼読書.年を締めくくる読書となった. 映画は封切りの頃にみていて,私が若すぎて理解不能で,隠微で退屈だった記憶だけが残こる. さて,1968年のチェコの政変の背景なしには,この作品は成立しない.1989年のビロード革命まで続いた共産党の独裁下での,主人公たち4人の繰り広げる愛と性の物語.それはある意味,不幸の連続である.それぞれの行動,思想(思惑)がぶつかり合い,混じり合い,なかなか一筋縄ではいかない.途中で(作者が?)挟み込む哲学的考察を理解するのは時に難しく感じる.それでも結末には清らかな感情が漂い,読んでよかったと思わせる本であった.
2投稿日: 2024.01.03
powered by ブクログ大大大好きな本。昔は恋愛とか自意識に責められ辛くて読めなかったが、やっと22歳になって読めるようになった。 地獄のような生活から出てくるこのタイトルがすごい。 結局この本は同じことをいろんな例えで言っているのだ。人生は一回きりでやり直しも繰り返しも起きない。もし何かが一回しか起きなかったのであらば、それは起きなかったことと同じ。こんなに耐え難く辛い人生も、実は1回しかないし、耐え切れないほどの軽さだったのだ。 この軽さは実は幸福なのである。 最後に好きな言葉。 ⚪︎ 地球が爆弾で震撼しようが、祖国が毎日新たに侵略され略奪されようが、すべての隣人が連行され処刑されようが、これらすべてのことは、たとえ認めることはできなくても耐えることはできる。しかし、たった一つの、愛する人の悲しみの原因になることは耐えることができなかった。 ⚪︎
2投稿日: 2024.01.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「思想の氾濫」 面白い。難しい点もあった。ただ、この本に書かれている人物の人生を構築する価値観は、詳細的すぎてここに、まとめることはかなり難しい。 ただ、多角的に真実を突いている名著であることは間違いない。
1投稿日: 2023.12.22
powered by ブクログこれは、恋愛小説なのか?哲学書なのか? 本書は今までに読んだことないジャンルの小説と感じた。 登場人物の心情を事細かに語る恋愛小説が展開されていくのですが、途中著者が主人公の心情がもう理解できないとのコメントを吐露するのです。 メタ恋愛小説的な構造が展開され、読者である私は虚をつかれるのです。 最初から哲学書として本書を読んでいたら、また違った心構えで読めたかもしれません。
2投稿日: 2023.10.25
powered by ブクログチェコを主な舞台に3人の男女の関係が対比され続ける小説。 一回読んで終わりというタイプではなく、何度も読み返すような本。一回だけだとよくわからないことも多い。 軽さと重さはどちらが良いのか、男女、共産主義などが対比されるのでやや難解
1投稿日: 2023.10.20
powered by ブクログタイトルからかっこいい。 一回読んだら終わりという作品ではなく、生涯傍らに置いて節目に読み返せば、また違った印象をうけそう。哲学的で?な箇所も味わい深い名作。
9投稿日: 2023.09.18
powered by ブクログ登場人物の心情描写を機械的に分析し、冷たさすら感じさせるほど淡々と綴る文体。基本的に彼ら彼女らの欠点ばかりが強調され、誰に対しても感情移入がしにくい。ジャンルとしては恋愛小説に分類されるらしいが、そのような描写を期待して読むことはおすすめしない。哲学的テーゼに触れるための媒体としても、哲学徒である私からすれば物足りず、終始どのように接すれば良いのか判断しかねる作品であった。 身も蓋もないことを言ってしまえば、作者はおそらく恋愛小説以外のもの(例えば論理的なミステリーなど)を書いてみればさらに良いものができるのではないかと、私などは思ってしまった。 評価の軸を変えれば、高い評価も可能ではありそうだ。
0投稿日: 2023.08.21
powered by ブクログ感想 愛は誰のものでもない。だが私の人生には必要。愛がない人生をどうやって渡り歩けば良いのか。しかし与え続けなくてはいけない。
2投稿日: 2023.07.14
powered by ブクログ「人間というものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以後の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである」 ご冥福をお祈りします。
2投稿日: 2023.07.13
powered by ブクログ10年おきぐらいに気になって読み返し、そのたびに新たな発見がある。 哲学的ながらも文学として心地良いテクストで、気がつくと没入して読んでいる。 人生の最後にどういう心境で読むことができるか、自身の価値観が映し出される名作。
2投稿日: 2023.04.30
powered by ブクログ存在の耐えられない軽さ 1.動機 読者レビュー「読んでみたら?の外国文学」にあったためです。 外国文学は、年に一冊読むか?読まないか?です。 結論、出会えてありがとうございます の書籍となりました。 2.舞台 ソ連に侵攻されたチェコが舞台です。 著者の故郷です。 チェコが開放されて、解禁となった著書であると後書きにありました。 3.主人公 外科医。応援でたまたまチェコへ。 外食先のレストランで1人のウェイトレスと出会います。 そのウェイトレスは、彼が読む書籍が、自身と馴染みのある同じ書であったため、彼に惹かれます。 そして、2人は、ソ連侵攻後に、夫婦となります。 4.書籍より 「人生のドラマは重さというメタファーで表現できる。その重さに耐えられるか?または下敷きになるか?勝つか?負けるか?」 「人間の真の善良さは、いかなる力も提出することのない人にのみ純粋にそして自由である。」 5.読みおえて ①国家と市民 ②共産主義と民主主義 ③母と娘 ④男と女 ⑤理性と欲望 ⑥残された人と亡命した人 ⑦人間と動物 ⑧生存と死 読み返すことで、これらの構造があること、さらに複数のテーマが重曹的に展開されていることに気づきます。 チェコで侵攻を体験し迫害を受けた著者だからこそ描けた世界。 そして、この日本語訳が、解釈を読者に委ねてくれる幅を持たせてくれているのでは?と思えるほどの深い書でした。
26投稿日: 2023.03.19
powered by ブクログ何度も読みたい作品 オススメされて読んだが、この小説をきっかけにミラン・クンデラにはまった。 数年経ってもう一度読んだとき、今と違う感想を抱くんだろうと思う。 是非手にとって読んで欲しい
2投稿日: 2023.01.31
powered by ブクログ思っていたよりも中欧であることが大きな要素としてあった。 皆の考えが説明されていて、哲学してるのが面白く、興味深かった。トマーシュ、サビナ、フランツとかの考えることは割にわかる部分もあるけど、テレザさんは分からないところが多い。 作者の視点というか存在があるのもおもしろかった。タイトルに惹かれてずっと読みたかった本
2投稿日: 2023.01.07
powered by ブクログ5章めぐらいまで延々主人公とその周囲の恋愛・性愛生活を語るので、「可憐で一途な妻と、しなやかで奔放な愛人を持った上に、街中の女性達と恋しちゃう知識層自由人な僕☆彡」な話かと被害妄想してしまって、読みながらこのブルジョワジーめ!ぺっ!ぺっ!て唾吐いてたけど、そういう話じゃなかったです。すみません。主人公と奥さんがプラハを去って田舎に引っ込んだ時に、労働者階級思考でバリバリにシャデフロってしまってごめんなさい。 重さと軽さの話は、哲学や宗教の知識が乏しいので正直ちゃんと理解できていない。ただ、日本(というか仏教圏?)には諸行無常(軽さ)的な考えがあって、自分も直感的に理解できるけど、西洋(キリスト教圏?)では意識の根源にあんまり根差してない考え方なのかもしれないな〜と思った。人間は自然の一部だからそんなに重い存在じゃないよていうオリエント的思考派と、偉い神様が作ったんだから人間の存在は重要(重い)なんだよ派というか。イエス様(イエス様のお父様?)のうんこの話でゲラゲラ笑ってしまって、これもごめんなさい。 政治的な面では、著者は社会主義や共産主義と、社会主義や共産主義の皮を被った独裁(監視社会)や衆愚政治の違いをしっかり分かってそうだなという印象。カンボジアの話はあ〜西欧の人ってこういうとこあるよねという感じ。著者はフランスに亡命してたのにフランス人をこういう役回りにしたのは周囲への皮肉もあるのかな。サビナも亡命者のレッテルを貼られるのにうんざりしてたし。 他にも人間は他人からの視線を欲してる話とか、ちょくちょく面白いなと思う考え方があったので、また読み返して考えてみたい。 主人公も奥さんもメンヘラで最初は読みながら疲れてたんだけど、最後のダンスのシーンがあったかくて切なくて、こんなラストにされると嫌いな話だと言えなくなってしまう。読んでる途中はなんでこれが恋愛小説の傑作と言われてるんだろう?って感じだったんだけど、テレザがトマーシュの愛の形に気がついたくだり以降は、トマーシュは結局自分が浮気することで傷つくテレザ最高にかわいそカワイイ〜!ってなってて、テレザはフラフラ飛び出していく自分を名誉も仕事もかなぐり捨てて絶対追いかけてくれるトマーシュしゅきぴ…となってたのかなぁ。プラハの春を舞台に自分の人生と生命ベットして大恋愛したメンヘラカップルの話だから、やっぱ恋愛小説の傑作なのかもしれないな〜と思いました。
1投稿日: 2022.11.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
メタファーが出てくるとすぐに解説してくれて読みやすかった。 VI章前後で話の雰囲気がガラリと変わった感じがした
1投稿日: 2022.11.12
powered by ブクログ:トピック ・存在の耐えられない軽さ ・キッチュ ・ニーチェの方へ ・存在の耐えられない軽さ 「人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。」(p.156) 「存在の耐えられない軽さ」という語句が登場するのはこの箇所だけだ。重さと軽さについての言及は作中の至る所に見られる。しかし重さや軽さよりも重要なのは「耐えられない」の方だろう。私の解釈では、存在の重さや軽さは生き方によって決まるが、それに「耐えられる=意味を見出せる」かどうかとは別問題である。 引用した場面で、主人公格の一人であるサビナが人生の無意味さに直面し、そのことに絶望している。彼女は裏切りという存在の軽さに属する生き方をしていたが、それは他者の反応に意味を見出すものだ。つまりサビナは与えられる意味に依存して、自ら意味を見出す=自己に向き合うことをしなかった。だからサビナは、裏切った男の反応が得られかった時に存在の「耐えられない」軽さに陥ってしまったのだ。 一方で、主人公であるトマーシュとテレザが存在の重さに到達していたことが、ラストシーンの「悲しみは形態であり、幸福は内容であった。」(p.395)という一文からわかる。悲しみは存在の重さに属するが、そこに積極的に意味を見出すことで、人生は耐えられないものではなくなる。悲喜交々の自己という存在に向き合う者に、幸福は満ちるからである。 本書はニーチェ哲学を下敷きに東欧革命などの世界史的な事象を織り込んだ、比較的難易度の高い小説である。しかしそのタイトルである「存在の耐えられない軽さ」に着目すれば、【生きる意味は他者ではなく自分に見出せ】というシンプルなメッセージが読み取れるのではないかと思った。 ・キッチュ 「ヨーロッパのすべての信仰の背後には、宗教的であれ、政治的であれ、創世記の第一章があり、世界は正しく創造され、存在は善であり、従って増えるのは正しいという考えが出てくる。われわれはこの基本的な信仰を存在との絶対的同意と呼ぼう。[…]以上のことから、存在との絶対的同意の美的な理想は、糞が否定され、すべての人が糞など存在しないかのように振る舞っている世界ということになる。この美的な理想を俗悪なもの(Kitsch)という。」(pp.314-5) 本書を読んで得た予想外の収穫が「キッチュ」という概念の理解だった。私がこの語を認識したのは現代美術について学んでいるときで、大きな子犬の彫像がキッチュであると言われてもいまいち理解できていなかった。しかし本書を読むと、確かにその子犬は糞などしないような見た目だったことが思い出される。つまり醜悪なものや嫌悪感を抱かせる事象から目を背け、きれいな表面だけを見せるのがキッチュさなのである。それはキリスト教道徳が存在を絶対善である神によって創造されたものであるとすることの必然的帰結なのだ。要するに神様は糞などしないし、神様に作られたきれいなものであるはずの存在も糞などしないのだ。 さらに本書のタイトルである「存在の耐えられない軽さ」へつなげるならば、まさにこのキッチュという存在の全肯定が存在の軽さを生むのである。サビナの自己を全肯定し気に入らない他者を否定し裏切るという生き方は、キッチュそのものだったといえるだろう。なぜなら裏切りには、自分と他人のきれいな部分しか受け入れない側面があるからだ。そしてサビナはキッチュを嫌悪していたとも書かれており、同族嫌悪という著者クンデラの一流の皮肉に唸らされたものである。 ・ニーチェの方へ 「じゃれている雌牛ほど感動的なものはない。テレザはそれを同情をもって眺めて、人間というものは、サナダムシが人に寄生するように、牛に寄生して、ヒルのようにその乳房に吸いつくのだと独りごとをいう。[...]人間は牛の寄生虫であると、人間の動物誌の中で非人間はそう定義するであろう。」(p.360) ここが本書の中で最も衝撃的だった箇所である。家畜と人間の関係性への視点を真反対にひっくり返されたように感じた。人間が動物を支配しているという当たり前の関係が逆転しているような描写は、著者クンデラのニーチェ解釈が現れている部分である。ニーチェが晩年発狂し鞭打たれる馬に泣きついたというのは有名な話だが、クンデラはそれをデカルトを許してもらうため、つまり動物を機械と見做して人間を支配者だとする考えから立ち去るためだったのではないかと述べる(p.363)。この解釈に従えば、確かに人間は牛を飼っているのではなく牛に飼われているようなものだろう。そしてこのような考えはかつて異端だったかもしれないが、近年では菜食主義やヴィーガニズムなどの潮流も生まれており、肉食をする者たちの方が非人間であるとされそうな予感もする。こういった価値転覆は歴史の常であり、例えばフランス革命では絶対王政という当たり前が崩壊し民主主義が到来した。ニーチェはキッチュの時代に発狂してしまったが、ニーチェの方へと向かっている現代に生きていたならば、あるいは発狂することはなかったのかもしれない。人間ではなく動物たちのためのキリストとしてニーチェは罪を贖い、そして復活しようとしているのではないかと、つい妄想してしまう。
3投稿日: 2022.11.07
powered by ブクログ本当に自分達が考えるものは人生の重荷なのだろうか、反対に人生の軽さって何なのだろう。多くのレビューや解説を読んで思ったのが、この重さや軽さというものは常に人間の人生の中で天秤にかけられるものではないだろうか。そこに歴史を変えるような事なんかが関わってくると余計に一瞬一瞬の選択の正しさみたいなものにこだわってしまう。ドラマチックといえば語弊があるかもしれないが、戦争は全ての私たちの経験を色濃く残していくようなものなのだと思う。でもそんな状況でも、もっと軽く生きてごらんって事ですよね?それがこの本の意味なのだろう。
1投稿日: 2022.09.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この一冊は恋愛小説であり、エッセイであり、思想書であり、歴史書でもある。こういう類の稀有な本を読むときの感動は、時間と場所を超えて感情や価値観の芯を揺さぶってくる、どきりとさせられる文章に出会ったときに生じる。
2投稿日: 2022.07.31
powered by ブクログチェコスロバキアの「プラハの春」を背景とした描いた、優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザを取り巻く恋愛物語。ニーチェの永劫回帰の考え方が盛り込まれており、非常に哲学的で、メタファーを多用した難解な小説である。一度ではなかなか理解し難い文章だが、恋愛の軽さと重さ、人生の軽さと重さなど、深く考えさせられるものとなった。
16投稿日: 2022.07.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
冒頭から永劫回帰の話とか始めるので身構えたけどその後は思ったより読みやすくて、とても面白かった。ウクライナ侵略もあってタイムリーでもあり、ロシアと共産主義に蹂躙されるチェコの描写は心が痛む。息苦しい話なんだけど、作者が登場人物の解説をしているような趣なので距離を取って冷静に読み進めることができるし、とにかく対比を繰り返しながら話が進むから分かりやすい(時系列は前後するが)。 最後のほうに出てくる、神学と糞の話、ヨーロッパの思想は創世記に基づく存在への絶対的同意から生まれているという話が好き。 ストーリーには重さと軽さという対比が常に付きまとう。一度は数のうちに入らない、というドイツの諺が紹介され、人生は一回限りの体験の連続であって必然的に軽く、無いも同然なものだというテーゼから始まる。 「重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?」 トマーシュは軽さを追い求めるサビナと同類なのに、テレザへの同情によって重さに引きずり落とされていく。でも天職である外科医や愛人たちとの営み、息子も捨てて、偶然に偶然が重なっただけのテレザを選び続けることは、トマーシュにとっては重さからの逃走だった。重さに押しつぶされて死んだときもトマーシュは幸福だったというのは皮肉なのか希望なのか?これは人によって読み方も感想も違いそう。 でも対照的にフランツが眼鏡の女の子を置いて行ってキッチュな行進へ向かったすえに絶望のうちに死ぬことを考えると、やはり少しだけ肯定的に描かれてはいるように思う。最後にはダンスするシーンへ回帰することを考えても。私自身はとても重たい人間だから、そう思いたいだけかもしれないけど…。人生には多少の錘が必要なんじゃないか、それは自分で選ばなくてはいけないのではないか…みたいなことを個人的には考えた。
2投稿日: 2022.06.17
powered by ブクログ今回のロシアのウクライナ侵攻を見て、過去の二つの出来事を想起した。 一つは、1939年のナチス・ドイツによるチェコスロバキア進駐であり、これについてはサルトルの『自由への道』に描かれていたのを読んだことがある。 もう一つは、1968年に起きた「プラハの春」だ。 こちらは、「人間の顔をした社会主義」を標榜するドゥプチェク第一書記の改革をソ連が軍事侵攻して鎮圧した事件だ。 『自由への道』はかなり長いので、今回は、「プラハの春」が描かれているという本書を手に取った。/ ソ連軍に拉致され、志を折られたドゥプチェクに共感するテレザの気持ちはよく分かるような気がするが、トマーシュのことがよく分からない。 彼は、プラハの春がソ連軍の戦車によって蹂躙されたことなどまったく意に介していないように、ひたすら愛欲に生きている。 彼の生き方は、戦時下のパリで愛欲に溺れる『失われた時を求めて』のシャルリュス男爵を想起させる。 それは、一つの犬儒主義※1ではないか? 自由と民主を断念して、ひたすら銭儲けに走る現代中国の人々とどこが違うのか。/ だが、トマーシュが新聞に掲載した体制批判的な文章が体制側の目にとまり、撤回を迫られると、彼は医師という自らの地位を棄て去ることを選び、ガラス拭き職人となる。 にもかかわらず、彼は反体制の闘士にはならずに、彼の女好きにますます拍車がかかるだけなのだ。 むしろ、彼のシニカルな人生においては、この選択だけが彼らしくもないものに見える。/ さらに、トマーシュを見ていると、カミュ『シーシュポスの神話』のドン・ファンを想起せざるをえないのだが、政治犯の恩赦を求める署名を依頼されて、テレザの安全を守るためにそれを拒否するとき、カミュの典型からも逸脱して行く。(この辺り、クンデラはトマーシュという人物の陰翳のある造形に見事に成功しているようだ。)/ ここで僕は、どうしてもサルトルの実存主義を想起してしまうのだ。 トマーシュは、一度選んだだけでは済まされず、何度も何度も新たに選びなおすことを余儀なくされる。 人は、選んでも選んでも、常にまた新たに選びなおすことを求められるのかも知れない。 それは、ひょっとしたら、現在のロシア軍の将兵にあっても、同じことなのかも知れない。/ 他の登場人物、サビナやフランツの生き方も、極めてシニカルである。 土地や国などという重さには背を向けて、彼らは軽さを選んでいるかのようだ。 彼らの生き方は、天安門事件でアメリカに亡命した胡平の 【「私はよく亡命者を移植された木に例えます。移植されたことのない木は自分に根っこがあることに気づきません。移植されて初めて自分の根に気づくのです。家を離れて初めて家を恋しく思い、望郷の念が起こるものなのです。」】 (翰 光『亡命』)/ の望郷の念や、同じく亡命者であるナボコフの 【幾世紀もがすぎされば、学校の生徒たちもぼくらの革命騒ぎの話を聞いてあくびをするようになるだろう。あらゆるものが消えさるだろう。けれど、ぼくの幸福感は、いとしいひとよ、ぼくの幸福感だけは残りつづけるだろう。】(「ロシアに届かなかった手紙」(『ナボコフ全短篇』))/ に見られる意志としての幸福とも違っている。 むしろ、彼らは風に吹かれて転がっていく回転草の軽さを、波間を漂うクラゲの自由を自ら選んでいるかのようだ。/ ロシアとウクライナとの戦いと並行して、もう一つの戦いが行われている。 それは、プーチン政権とロシア国民、ルカシェンコ政権とベラルーシ国民の戦いであり、それはまたパレーシア※2と犬儒主義との戦いでもある。 ロシアとベラルーシの国民が政権の暴力に屈し、犬儒主義を選択するとき、世界は果てのない戦争の時代へと突き進むだろう。 次は、ジョージアであり、また、台湾かも知れない。 独裁者の野望は止まる所を知らない。/ だが、ロシアで、また、ベラルーシで、パレーシアを行う者(パレーシアステース)が次々に現れ、やがて街路を覆い尽くすとき、プーチン・ルカシェンコ政権は倒れ、戦争は終結するだろう。 どちらへ転ぶかは全く分からないが、ちっぽけな一個人である僕としても何かをしないではいられない気持ちだ。/ 『独裁者が成功するのは 膨大な数の民衆が うんざりし あきらめた時だけだ』(マイケル・ムーア「華氏119」)/ ※1 犬儒主義: ここでは、ギリシアのキュニコス派の「有徳な生活を理想とし、社会的慣習に束縛されない自由を志す」思想のことではなく、より一般的な「冷笑的な態度をとること」の意味で使用しています。/ ※2 パレーシア: 【パレーシアとは「すべてを語る」ということです】(ミシェル・フーコー『真理とディスクール パレーシア講義』) 【パレーシアステースは、パレーシアを行使する人、真理を語る人のことです。】(同上) 【パレーシアとは、危険に直面して語るという勇気と結びついているのです。】 (同上)/
2投稿日: 2022.04.08
powered by ブクログ歴史的な知識についても鮮明に記述しパンパンに詰め込みながらも小難しいやと読み手を退屈させず、飽く事無く魅了させ、頭をいじくられるような文章を書けるのが凄すぎる。政治的な背景は確かに追って探求すべきかもしれないが、癖の強さと生々しさにおいても素晴らしいし、こんなにも皮肉で虚空を彷徨い、そして最後のページを閉じた瞬間に光を視るようなラブストーリーは他にないだろう。小説というより神話と言うとしっくり来る。もはや伝説とも称えたい。
1投稿日: 2022.02.09
powered by ブクログまず、"歴史の中心"であるヨーロッパで様々な被害を受けていたチェコの特殊性をこの本を読むことで少しは理解できるのではないだろうか。そういういった特殊な環境であるからこそ、左翼的な思想がや偶然の出会いというものが際立っているのではないか。 人々は往々にして、自分の人生に意味づけを行ってしまう。だからこそ、そのナラティブを強調する選択肢を選んだり、過去の選択を正当化したりしてしまうのだ。しかし、全ての事象は一回しか起こらないのだから、軽く決めるしかないのだろう。 "テレザ、使命なんてくだらないものだよ。ぼくには使命なんてものはない。だれにだって使命なんかないんだ。そして自分が自由で、使命なんかないと気付くのはとてつもなくこころが安らぐことなんだよ" この引用が象徴しているように、重い選択からおりることによって、真の幸せと愛を得られるのではないだろうか。 一方で、迷わない選択も提示しているのが面白い。トマーシュが論考を撤回しないのがそれに当たるのだが、論稿の内容が責任をしっかりとした形で提示しているのも面白い。"こうでなければならない"選択もあるのだろう。
1投稿日: 2022.01.22
powered by ブクログもっともっと読み込みたい。単なる偶然の連続が生んだ結果で、“そうでなければならない”運命ではなかったとしても、そんな偶然も大事にできる人でありたいと改めて思わせてくれる本。”恋愛小説の最高傑作”という帯の一文は、合わない… 「重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか」 「人間はただ一つの人生を生きるのであるから、仮説を実験で確かめるいかなる可能性も持たず、従って自分の感情に従うべきか否かを知ることがないのである」
2投稿日: 2022.01.20
powered by ブクログ人間はただ一度の人生を送るので、何を望んだらいいか決して知り得ない。 無のためのスケッチ。一度だけ起こるとは、一度も起こらなかったことと同じである。 一緒に眠ることと愛し合うことは違う。 自分の住んでいる土地を離れたいと願う人間は幸せではない。 目を閉じると闇という無限が広がっている。 未来に逃げ込むことによって自分の苦しみから逃れる。 重さや軽さなど生きる上では関係なのではないか。その人の匙加減が大切。
2投稿日: 2021.09.18
powered by ブクログインパクトのあるタイトルなので、ずっと気になっていた本をついに読んだ。 あらすじは梗概通りなので繰り返さないが、思わせぶりなタイトルが示す、「存在の軽さに耐えられない人は誰か?」というと、筋書き的には、とても「軽い」プレイボーイの彼氏(トマーシュ)を持って、始終ノイローゼ気味の恋人(テレザ)なのだろうし、映画版の開設でもそう書いてあるのだが、作中で、「存在の耐えられない軽さ」というフレーズが登場するのは、P156 のサビナ(トマーシュの愛人)の場面だけだった。(見落としたのかもしれないが。) 歴史の大きなうねりに比べれば、個人の人生も、その中の恋愛も、取るに足らない「軽さ」ではあるのだろうが、本人にとっては十分に「重い」。 大変技巧的な小説で、時間軸も行ったり来たりするし、夢の中の話が、そうとは明記されない形でいきなり登場するので、途中で読み返すこと多々。(ペトシーンの丘の自殺志願者のための銃殺広場のシーンとか、終盤の、トマーシュが飛行場に出頭する場面とか。) 共産主義の暗部が、これでもかという次元で生活の隅々に行き渡っていて、自由のありがたみが身に染みた。。
8投稿日: 2021.08.22
powered by ブクログ難解。 芸術的な文学だったように思う。 小説であるものの、チェコと共産主義の社会事象とさまざまな哲学が入り乱れて書かれている。 どのように生きるか、綺麗事なしにどろどろした内面的な部分に問いを突きつけられるような作品。 折を見ては噛み砕き、さまざまな時間的、内的変化の後にまた読みたい。
1投稿日: 2021.08.21
powered by ブクログ男と女の物語は地球上どこにもあるけれど、文学上の創作上の高尚とも思える比喩が普遍になって、やっぱり卑近に戻ってきたという感想だ。 「永劫回帰」などと、のっけから難しいと思わせるのが文学で、トマーシュがドンファンで、恋人となったテレザがかわいそう、と同情するのが普通でわかりやすいのか? このふたりのお国がチェコだから運命の歯車が狂ってきた? チェコ、遠い国の運命は北朝鮮の拉致事件が明るみに出てしまった今の日本でものすごくよくわかるということ。 あれかこれか、あのときああすればこうならない。 と、思っているひとが多いかもしれない。 運命? なにがどうなって、こうなってくるのか。 あなたがわるい、いやわたしがわるい。 でもだれにもとめられない。その時は選んでいるのだろうから。
2投稿日: 2021.08.17
powered by ブクログロシア革命の只中で、愛を、自らの生を掴もうともがき正直に生々しく生きた男たち女たち。 読後、そのタイトルが強烈に立ち上る。
1投稿日: 2021.07.19
powered by ブクログ難しかった。でも、読了後になんだか心地の良い切なさのような不思議な感触を残してくれて、挫折せずに読み切れて良かったと思う。 人生は一度しか生きられない、そんな自分の存在の軽さとどう対峙すればいいのか、そしてどうすれば無欲な愛が実現できるのかと、考えさせられた。
2投稿日: 2021.07.08
powered by ブクログ恋愛小説っていうかもうほぼ哲学書 テレザの心と身体の章はかなり共感できて理解が深められてすきだった 理解されなかったことばの小辞典が突然始まるのとか、大行進の白昼夢感とか、最終章がカレーニンの微笑であることとか、読み始めはとっつきづらかったけど入り込めたあとはあらゆる点でストライクな唯一無二の小説だった ところどころ抽象的ですごくむずかしかったけど、 すきな表現や言葉が本当にいっぱいあったな -- 人間というものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以後の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである。 テレザと共にいるのと、ひとりぼっちでいるのと、どちらがよりよいのであろうか? 比べるべきものがないのであるから、どちらの判断がよいのかを証明するいかなる可能性も存在しない。人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。しかし、もし人生への最初の稽古がすでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか?そんなわけで人生は常にスケッチに似ている。しかしスケッチもまた正確なことばではない。なぜならばスケッチはいつも絵の準備のための線描きであるのに、われわれの人生であるスケッチは絵のない線描き、すなわち、無のためのスケッチであるからである。 Einmal ist keinmal(一度は数のうちに入らない)と、トマーシュはドイツの諺をつぶやく。一度だけ起こることは、一度もおこらなかったようなものなのだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それはまったく生きなかったようなものなのである。
2投稿日: 2021.04.29
powered by ブクログプラハの春で揺れ動くチェコを舞台に、時代に翻弄される人々の欲望と思想を描いた哲学的な文学作品。 帯に恋愛小説って書かれてましたけども。これは恋愛小説ではないよ。ぜったい違う。 作者が描きたかったのは愛とか人生とか、たぶんかなり幅が広いテーマだったはずで、だからこそ互いに面識がない登場人物たちでも深く掘り下げて書いたんだろうし、章の途中で作者の自分の考えをガッツリありのままに書いたのではないかと思うんだよね。 だからこそ、感想も一言ではなかなかまとめられない。 トマーシュとテレザをみていると運命的な愛というものがもしかしたらあるのかもしれないなぁと思ったり、トマーシュとサビナをみているとフェチで通じ合う絆の深さを思い知ったり、サビナといろんな男たちの間には文化の違いを尊ぶフリをして搾取する構造のようなものを感じたり。 いろいろと深かった。深すぎた。もうちょっと語れるようになるためにはニーチェを真面目に読んだほうがいいし、私には教養が足りないと思った(まる)
3投稿日: 2021.04.26
powered by ブクログいわゆるプラハの春を背景としながらも男女を描いた小説である。また、終わりのほうでは飼い犬の安楽死も描いている。ソ連が占領して、どのように人々が対処されたかを丁寧に描いているので、ドキュメンタリーよりも読みやすいと思う。しかし、プラハの春について、全く知らない学生は、あとがきが小説の背景を書いているので、そこから読むのがいいと思われる。
1投稿日: 2021.04.04
powered by ブクログ原題 Nesnesitelná lehkost bytí 「耐えられない存在の軽さ」というのは、サビナ(とフランツ)のパートに出てくる。あらゆるものを〝裏切り〟続けた後に残る自分、としての抽象的な表現として、それでいてなんか具体的に想像できる。とても軽いのに水中に沈んでいくような…めっちゃ個人的な感想だけど。 プラハの春を無理矢理押さえ込んだ、騙し討ちのような武力弾圧。歪んだ環境下で何が正しい選択か、確信を持てないまま続く選択。この国ではちょっと想像が難しい。 それでも恋愛観は、個人個人でそれぞれだけど、個人個人でそれぞれ揺るぎないのが救いかな。いや、揺るぎまくっての変遷というか…相手の考えてることなんて絶対にわかんないし、俯瞰で語られるといかに点でしか繋がってないことを思い知らされる。 ペトシーンの丘は、重さと軽さの境界線みたいなものなんだろうか。わからない。いつかわかるかな。
1投稿日: 2021.02.14
powered by ブクログ途中、何度もつっかえて、挫折しそうになったけど、読み終わってみたら、あれ、結構面白かったかも?と思った。また読み返したい一冊
1投稿日: 2021.02.06
powered by ブクログ「われわれは忘れ去られる前に、俗悪(キッチュ)なものへと変えられる。俗悪なものは存在と忘却の間の乗り換え駅なのである。」 死の匂いが常に纏わりつく。四人の男女を中心とした恋愛と平行に、存在とは、愛とは、哲学的思考が繰り返される物語。その繰返しはくどいとも感じたが案外すんなりと読めた。人生にハッピーエンドもバッドエンドも無いのだろう、人の命は一度きりで比較なんてできないのだから。
1投稿日: 2021.01.04
powered by ブクログ「20世紀恋愛小説の最高傑作」という触れ込みはあまりに狭小だと感じるほど、哲学性が強く深い作品だった。 ニーチェの「永劫回帰」というモチーフを補助線に引き、クンデラ氏独特の深い語彙選択をもって、存在の「重さ」と「軽さ」、それが人間の認知や幸福観においてどのように作用されるかを鋭く洞察する。 著者の極度に深い編集感覚が織り成す哲学こそが、この本の面白さじゃないでしょうか。 (事実、恋愛小説ではあり得ない量のメモをとりながら読み進めました。笑)
2投稿日: 2020.12.27
powered by ブクログあらすじ プラハの春に起こる二人の男女の愛の物語。お互いの事を一番大切に思いながらも、過去の辛い経験や自分の精神的弱さから、お互いにすれ違ってしまう。チェコ民主化の流れで、二人に数々の事件が起こり、さらに複雑化していく関係。最後に待ち受ける結末は、いかに! 感想
1投稿日: 2020.12.20
powered by ブクログ各章で主要な登場人物である男女四人それぞれに視点を移しながら、背景にある1968年の"プラハの春"とソ連の軍事介入という歴史的事件によって、人生を大きく左右される四人の遍歴を描いた恋愛小説作品です。 ヨーロッパを舞台にしたベストセラーの恋愛小説というプロフィールからは、大人の恋愛ドラマを楽しむ作品を期待する向きもあろうかと思います。ところが実際には、冒頭のニーチェの永劫回帰についての考察をはじめとして所々で挿入される哲学的な語りや警句、物語や人物に対する直接的な言及など、作者自身による饒舌な語りが頻繁に割り込むメタフィクショナルな手法や、通常なら避けるであろう時間の前後による登場人物のネタバレ的な重要な事実の事前開示、"プラハの春"に関連する政治思想の話題など、多様な要素によって構成される複雑な作品となっています。シンプルな恋愛小説を想定するならば少なからぬギャップがあり、中途で放棄するケースもありえそうです。 前述のような要素以外にもシニカルにも感じさせられる著者の語り口調もあって、全体を通して作品としての敷居の高さを感じさせられました。しかし、それにも関わらず物語の終章に到達した時点では、主役である男女二人への思い入れは十分に深まるとともに、「愛とはいったい何か」といった問いを陳腐に感じさせない幕引きには、感じ入るところが多くありました。時間を置いて再び読み直したい作品のひとつです。 以下は参考までに、主要四人の登場人物について簡単な情報を書き残したものです。 ---------- 【トマーシュ】…医者。十年前に離婚しており妻子・両親とは絶縁状態。若いテレザを妻として迎え入れるも、プレイボーイぶりは変わらず連日にも渡る浮気が状態化している。 【テレザ】…勤め先の飲食店で偶然見かけたトマーシュに惚れ、実家を飛び出してプラハにあるトマーシュのもとに押し掛けて結婚に至る。トマーシュの浮気は黙認状態。のちにカレーニンという子犬を手に入れる。 【サビナ】…離婚歴のある独身女性であり、画家。トマーシュとは以前からの知己で、肉体関係をもつ。テレザには週刊誌での仕事を紹介する。 【フランツ】…妻子ある大学教授。不倫関係にあるサビナを崇拝する。
11投稿日: 2020.09.26
powered by ブクログ途中、寝ぼけながら読んでいたらテレザとサビナを混同してわけがわからなくなってしまった、これはおれがわるい。
1投稿日: 2020.07.07
powered by ブクログ実は恋愛小説が読みたくて間違えて(というか帯に「恋愛小説」って書いてあるんだから集英社のせいであり私に罪はない。罪無くも自らを罰する境地には達していない)この本を買ったので、作者による物語からはみ出た解説や頻繁に前後する時系列など、普通の小説らしからぬ技巧に内心うんざりしながら読んでた。まず主人公格の男が超絶モテて複数の美女と寝つつ奥さんを深く愛する辺り、どうやって心情に入り込めばよいのか途方に暮れた。 難しいので、副読本(?)として映画版を観た。おかげで物語が自分に溶け込んでくれたような気はする。何なら結局すごく感動した。そのうち小説をどうしようもなく読み直したくなるのだろう。勿論、あくまでそれは色々削ぎ落した映画だけが溶け込んだだけかもしれない。以下はそれを前提としての感想です。 チェコが自由化をしようとしてソ連にぶっ潰された1968年の「プラハの春」を背景に、身軽でモテる外科医トマーシュ、愛に生真面目なテレザ、奔放で立ち止まることがなくそれ故に悩む女サビナ。それぞれが自分や相手の人生の重さ・軽さに悩み、それでも対峙してゆく様が非常に心を揺さぶられた。 一回ぽっきりの人生、死んだら終わり。そんな吹けば飛ぶようなちっぽけな存在である自分自身を地上に繋ぎとめてくれるものはなんだろう。『存在の耐えられない軽さ』に、どう対峙すれば良いのだろう。 この小説を読んだ上で答えを一つ提示するとするならば、ただ誰かの重さを、ぎゅっと大事に抱き留めることなのかなと思う。……すごく月並みな回答になったな。でも、私はそんな生き方に辿り着くことができるだろうか。 恋愛小説という狭い枠組に閉じ込めるのはもったいない小説なのかも知れないけど、愛に溢れた物語だなと感じた。特に終わりは哀しくも胸を打つ。
2投稿日: 2020.05.17
powered by ブクログ高校生のときにだいぶ背伸びして買ったこの本、5年に1回くらいのペースで定期的に読み直すのがルーティンになっている。昨今の #stayhome の煽りを受けてこの春、久しぶりにまた手に取った。 10代、20代、30代と読む中で、どんどん「おもしろい」と感じる箇所が増えていく。正直、高校生のときはこれを読んでいた片想い中のクラスメイトの気を引くことしか考えていなくて、内容なんて全然わからないし何も伝わってこないけど、とりあえずわたしも最後のページに辿り着いたぞという報告を彼にすることが第一のそして唯一の目的だった。哲学を専攻していた大学時代に読んだときは、哲学を専攻しています私、というアイデンティティをより隙のないものにする努力の一手法として「ミラン・クンデラ」の力を拝借したようなものだ。 そして今回。少なくともこれまでのような不純な動機はなんら持たずに、まぁ暇だしちょうどいいじゃないか、程度の軽いモチベーションで読み始めたわけだけれど。トマーシュ、テレザ、サビナ、フランツの恋模様がこんなに活き活きとエネルギッシュな熱を帯びて伝わってきたのは今までにない経験だった。不純な動機による「なんとしてでも読まなくてはいけない」が一切ない中で、それでも純粋に読みたいと思ったのは全く初めてのことだった。 とは言っても、わたしの脳はまだこの小説の恋愛小説としての部分しか認識することしかできず、後半の「俗悪(キッチュ)なもの」という表現を多用した社会情勢批判(なのかどうかすらいまいちわかっていない)は正直まったく意味不明だった。今まで歴史や地理に興味を持たなさすぎた。もしこの先の人生でそれらに興味を持つようなことがあれば、40代、50代でまたこの本を読んで「ただの恋愛小説じゃないよねこれは」などと得意げに言える日が来るかもしれないけれど、現時点では非常に想像し難い。 なかなかいい気分でいったん本棚にしまう。
4投稿日: 2020.04.24
powered by ブクログ難しい。頭に内容が入ってこなかった。 永劫回帰するものなら、ある一つの行動も繰り返されなければならないから重さを持つが、人間の生は一回限りのものだから、ある一つの行動をすごく頑張っても手を抜いても一回限りで過ぎ去り大した影響を持たない、そんな受け止め方をした。
1投稿日: 2020.04.09
powered by ブクログp.9.その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。 p.9.確かなことはただ一つ、重さー軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。 人生は俳優が稽古なしで演じるようなもの。もしくは絵のない線描、無のためのスケッチ。つまり予測がつかない、やり直しも効かない。 p.28.での「同情」という言葉の説明が面白い。ラテン語から派生する言語の「同情」は、com-(同)とpassion(受難)という語から形成されより良い立場の者がそこまで下りていく、苦しんでいる人の気持ちに加わるということを意味し、愛とはあまり共通のものを持たない。それ以外の言語で「同情」というと感情という名詞から形成されより広い意味を与える。不幸を共に生きるのみか、その人と喜び、恐怖、幸福、痛みなど他のどんな感情も共に感じられる意味である。因みにチェコ語は後者。トマーシュはテレザに「同情」を感じるようになるのである。 p.38.自分の住んでいる土地を離れたいと願う人間は幸福ではない。そこでトマーシュはテレザの亡命したいという願いを罪人が判決を受け入れるように受けとめた。 テレザがトマーシュのところにやってきたときに脇に抱えていたアンナカレーニナ。アンナがブロンスキーと出会ったプラットホームはラストに彼女が汽車に飛び込むそのプラットホーム。そのようなシンメトリックな構成は非常に「小説的」構成のように思われる、と筆者はいう。しかしそれは「虚構」という意味ではなくて人間の生活はまさにこのように構成されているのだと。 アンナにとって恋の誕生は駅と死という忘れがたいモチーフに結び付けられた。人生はソナタのようでありモチーフは繰り返し発展し繰り返す。 (→映画の中の「6」という数字は) テレーザにとっては本、ベートーベンの音楽、6の数字、自分が昨日座って本を読んでいた黄色いベンチで今日トマーシュが腰掛けていたという偶然性が彼女の恋を突き動かし人生の終わりまでつきることのないエネルギーの源になった。 トマーシュの嫉妬はテレザにとってはノーベル賞をとったような驚きと喜びだったが、テレザの嫉妬はトマーシュにとって重荷であるという違いは男と女という一般論に置き換えられるのか? サビナにとって p142.世の中には、ただ暴力によってのみ実現することのできるものがある。肉体的な愛は暴力なしには考えられないのである。 フランツが重い椅子を持ち上げて筋肉自慢をするのをグロテスクだと思うサビナ。その力は常に外に向かっているて内側に向かうことはなくサビナに使われることもない。それは真実で正しいこととサビナは理解しながらもフランツをセクシュアルライフから失格させるのである。 p.144.自分のプライバシーを失う者は、すべてを失うと、サビナは考える。そして、それを自分の意思で放棄する者は異常である。そこでサビナは自分の恋をかくさねばならないことを苦にはしない。逆に、そうしてのみ、「真実に生きる」ことができるのである。 ソ連に侵略されたとき、プラハの女たちはミニスカートを履いて国旗を運んでいた。何年も禁欲生活を強いられているソ連の兵隊の対する性的な報復だった。その惑星には信じがたいほどエレガントな女たちがいて、ロシアではどこを探してもこの五、六世紀のあいだみたこともない、長いきれいな足で歩きながら拒否を表明していた。 p.220.知っていたか、知らなかったか?は根本の問題ではない。知らないからその人が無罪? というのなら、玉座にいるばかは、ばかであるがゆえに、あらゆる責任から解放されるのであろうか? p.240. 自分でもう少したったら書くという期待を警察に与えて時間を稼いだ。そして、次の日すぐ辞表を提出した。社会の最下層に自発的に降りた(当時、他の分野の何千という知識人たちもそこに降りた)瞬間に、警察はその人への権力を失い、その人への興味を失うと、トマーシュは(正しく)判断した。 p.247.トマーシュにはとりわけ大きなお店から注文がきたが、会社はしばしば個人のほうへも派遣した。当時は人びとはチェコのちしきかいきゅうの集団迫害をまだ連帯の幸福感のようなものと感じていた。かつての患者たちは、トマーシュが窓を洗っているのを知ると、彼の会社に電話をかけ、彼を名指しで注文した。そして彼をシャンパンやプラムブランデーで歓迎し、十三の窓を洗ったという伝票にサインして、二時間も、彼とおしゃべりをしながら、健康を祝って乾杯を重ねた。トマーシュは次の家なりお店に上機嫌で出かけていった。ロシアの将校の家族が国中に居を構え、ラジオからは追放された放送局員に取って代わった内務省の職員の脅迫的な報道がラジオからきこえるなかを、トマーシュはプラハを千鳥足で歩き、まるでお祝いの席からお祝いの席へと歩いているように思えた。それは彼の壮大な休暇であった。 p.263.メタファーというものは危険である。愛はメタファーから始まる。別な言葉でいえば、愛は女がわれわれの詩的記憶に自分の最初のことばを書き込む瞬間に始まるのである。 テレザはトマーシュにとってメタファーであった。編んだ籠に入って流されてきた赤ん坊のような。 p.280.わたしの小説の登場人物は、実現しなかった自分自身の可能性である。 ↑ ニーチェの永劫回帰論と重なるし、映画の中のトマーシュのセリフ「残念ながら人生は一度きりだしやり直しはきかない」(的な)にも重なる。 p.295.そういえばかつての患者たちも彼をもう呼ばなくなり、シャンパンで迎えることもなくなった。ランクが下がった知識人の状況はすでに例外的なものではなくなり、何か永続的な、目にするのが愉快でないものとなった。 映画の中でサビナがアメリカに渡ってからのファッションがヨーロッパらしいものからアメリカ的それになってるヒントが320ページにあった。 「知らなかった」ことは、罪になるのかならないのか、もまたテーマの一つ。オイディプス王の話と、キリストの言葉「彼らを許せ。なぜなら彼らは自分が何をしているのか知らないのである」という言葉。 重さと軽さの対比は、トマーシュとテレザがトラックの重みに押しつぶされて死んだことと、サビーナが火葬され骨を撒布されることを望んだことでまた比較される。 p.374.人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。 トマーシュが歳をとってしまったことに気づいたあと、トマーシュが小さな野兎になる夢を見るテレザ。野兎は力を持たない。 p.393-4.テレザは踊りながらトマーシュにいった。「トマーシュ、あなたの人生で出会った不運はみんな私のせいなの。私のせいで、あなたはこんなところまで来てしまったの。こんな低いところに、これ以上行けない低いところに」 トマーシュはいった。「気でも狂ったのかい?どんな低いところ(低いところは太字)について話しているんだい?」 「もしチューリッヒに残っていたら、患者の手術ができたのに」 「そしてお前は写真が撮れたね」 「その比較はよくないわ」と、テレザはいった。「あなたにとって仕事はすべてよ。でも、私は何でもできるわ。私にとっては何でも同じよ。私は何も失ってないわ。あなたは何もかも失ったの」 「テレザ」と、トマーシュはいった。「僕がここで幸福なことに気づかないのかい?」
1投稿日: 2020.03.25
powered by ブクログわたしがクンデラと出会った作品。たしか先に映画を見ていて原作があることを知り、図書館で手に取ったのが始まりだった気がする。内容には本当に驚かされた、今まで読んだことがない語り口、哲学的な節もあるがそれはあくまで事象を説明するためのものだと思った(逆のように描かれているが)とにかくいろんなものが多重的にからみあい、最後には昇華する感覚。クンデラ一発で好きになった。
1投稿日: 2019.10.01
powered by ブクログ2019年9月8日(日)にamazon.co.jpで注文し、9月10日(火)に到着。10月の文学カフェ@中津話ぶり家のために購入。
1投稿日: 2019.09.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
積読本消化キャンペーン中。教養のために読んどかねばと思って買ったものだったが、10年くらい積読してたような。何をきっかけに知ったのか忘れたが、「ソンカル」とラフに略しているのをどこかで見て、気に入ってそう呼んでいた覚えが。 (感想)ラストの虚無感が良い。トマーシュが政治的に利用されたくなくてどんどん落ちぶれていったのを悲劇的な感じでもなく淡々と描いていて、本人の主観的にはそれほど不幸でないというのが救いのようでもあり、それを救いと考えるのが偽善なようでもあり…なんかやるせない感じ。ただ本人はもともと強い政治的なポリシーがあったわけでもなく、何が正解かわからないままその場その場で迷いながら判断していくだけなんだけど、自分の思想に酔って過激な行動をしようとして結局なにも成し遂げられない人々(フランツやシモン)に比べると好感度が高い。まあ恋愛方面の浮気性なキャラとの折り合いがやや複雑だけど。 テレザは完全にメンヘラだったな。途中よくわからない自殺幇助ボランティアみたいな人々が出てきてびっくりしたが、妄想だよな。ただ、娘の足を引っ張る母親とか、テレザが田舎から抜け出したくてガツガツしているところとかはなんかリアルで、トマーシュに依存する心理は納得感があった。最後のほうで「自分がトマーシュの足を引っ張ってた」と反省するのもつらい。
1投稿日: 2019.08.18
powered by ブクログこの小説は、そもそも人生はどれだけ重みがあるのかを疑う。 まず人生のはかなさ。物事は偶然から進んでいって、人が出会い、事は生じる。 そして準備もリハーサルも、見直しや調整もなく、一発限りのぶっつけ本番。間違いとか正解とか、答え合わせ自体存在しえない。だから軽いのか。 次に、動物の中の人間の特異性。 汚い物とか、恥ずかしいものや行為、プライバシーという領域を持つ人間。肉体的行為と精神的行為の間にあるずれ。そんな中で人を愛するということ。人間は他の動物と違う。だから幸せになれないのか。 そして、時代背景。 ソ連支配下の東欧。 プライベートがないぐらいに共産主義が広まっていく。人々の平等をうたって、個々の唯一性は軽んじられていく。使命とか運命なんてないっていって終える結末。それはシステムの外に、もしくはシステムの影響力が極力小さいところに避難すること。システムが大きくなって、個人がかき消される社会に生きること。一人間の存在意義ってあるのか。 対して、今私たちが普段見るドラマや歌や会話には、自分の人生の使命や運命、唯一無二の存在であることを見つけるような言葉やストーリーがあふれている。それを追求できる社会をありがたく思わないといけないなと思った。 同時に、どの時代にも社会にも共通する、人を愛するということ、人と人とが関わりあうことから生まれる単純ではない関係性。 人間って何ってことに立ち返る機会を与える本でもあると思った。
2投稿日: 2019.06.19
powered by ブクログ私の一番好きなクンデラ作品 文化相対主義だとかなんだとか とにかく個人の裁量に委ねられる時代 いくらでも自分の代わりがあり 嘘、仮面を纏わずには生きていけない時代 私たちは耐えられないくらいの存在の軽さにさらされている それを、例えば私たちは自由の刑に処されているとサルトルは言ったけど それに対するクンデラのメッセージが込められてる。私たち一人一人の存在は重い方がいいのか、軽い方がいいのか? 全て運命で定められた重厚な生と、何一つ縛られない完全な自由の元にある軽やかな生と、どちらが私たちにとって幸福なのか。 飛ぶように軽やかな自由をこよなく愛する放蕩者トマーシュに対して唯一彼を地面へと引きずり下ろし、地に足をつけさせ、真実な生の重みになったのはテレザへの愛。 なんだかんだ極端なこと言って 最後には生真面目なテーマ持ってくる 好きなんだよなあ、この恋愛小説。
1投稿日: 2019.04.24
powered by ブクログページを開くと共産主義が垂れ込める東欧の暗さが流れ出てきた。予期していなかったから驚いた。 「存在の耐えられない軽さ」というこの言葉自体にめちゃくちゃ惹きつけられるのはどうして? 心理描写がとてもとても巧み。トマーシュ、テレザ、サビナの心の中、問題意識がどれも面白い。(トマーシュの浮気の理由はどんな欲求やねんって感じでウケつつ面食らった。サビナの一生の悲しさには鬱々としてくる。テレザの「裏切りに快感を覚える」のもなんじゃこりゃ!?というかんじ。) でも私が今まで抱いたことのない感情がそこにはたくさんあった。そしてそれが手に取るように克明に分かった。 哲学的な恋愛小説だから、恋愛について考え込んでしまった時にもう一度読みたいな。 20221101 再読。ここまで理屈こねてる恋愛小説って他に見たことない。本当に面白い。カレーニンいとしい。
1投稿日: 2019.02.11
powered by ブクログいきなりニーチェの永劫回帰から始まる。 哲学書の流れでこれ読みたいってなったんだっけw忘れちゃった。 一度しかないものは、無いのと同じ? では人生は全て本番のないリハーサルで無いのと同じなのだろうか 自分の住んでいる土地を離れたいと願う人は幸福ではない テレザの母親は、誰の身体でも同じという世界の人 恥ずかしがる権利なんてない そこから逃げたのに、トマーシュは浮気を続けて、テレザの身体と他の女の身体を同じように扱った 人の知るところとなった恋は重いものとなり、重荷となるのである。(サビナと離婚後のフランツ) サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。 神は殺人を考えに入れてあったが、外科は考慮の外であった。 俗悪なもの(キッチュ)という言葉が後半多用されるけど、これの感覚はいまいち掴みきれず。 誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線で生きていたいかで4つのカテゴリーに分類される。 1多数の無名の目による視線。有名人 2数多くの知人の目 3愛してる人たちの眼差し 4そこにいない人びとの想像上の視線(もっとも珍しい) カンボジアに行ったフランツが、ここへ来たのは現実は夢以上であり、夢よりずっと大きいことを意識するためであった!と気づいたところ、良かった。 われわれは忘れ去られる前にキッチュなものへと変えられる。キッチュは存在と忘却の間の乗り換え駅。 テレザはトマーシュの愛を確かめるために、彼をこんなに低いところまで連れてこなければ行けなかったのか
1投稿日: 2019.01.04
powered by ブクログ「人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。」 ニーチェの永劫回帰から始まって、ここに辿り着く。小説の構造自体がこの憧れた繰り返しに倣う。 Einmal ist keinmal 一度は数のうちに入らない と引用されるドイツ語の諺が、タイトルとイコールになり、ダンスの夜に幸福の内に終わる、その後を知っているからこそ尚更、幸福を感じる、というのは最初の引用の通り。ケッサク。
9投稿日: 2018.11.24
powered by ブクログ夫婦や家族の愛情、友人、職場仲間、芸術、キャリア、信条など、大切だと思われることがいとも簡単に崩れたり裏切られたりする。重大だと思っていたことが、とても軽く扱われることが、実際にも少なくないと納得することがまず驚き。本書で重く扱われていることは、侵攻してきた国の戦闘機の爆音や監視の目などだが、これも最後には吹き飛ばされる。最後に残るのはともに過ごした時間で、これが意味あるものということなのだろうか。
1投稿日: 2018.09.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
タイトルにひかれて借りてみた。 冒頭からいきなり「たった一回限りの人生の、限りない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?」という問いがたてられています。直球です。哲学書のようなタイトルですが、中身は恋愛小説です。たぶん…。 存在の耐えられない軽さとは一体なんなのか?生きることは一回限りしかない、未来を予測することはできないし、実際に比較検討して進む道を選ぶことはできない。考えてみればあたりまえのことですが、普段はとくべつに意識しません。 作者はこのような人生のもつ性格が軽さを生むといいます。偶然でできているから軽いのか?重いのか?そういえば、愛情とは偶然が必然になることだ、と以前どこかで読み、なんか、なるほどなあっと納得したのを覚えています。軽さと重さに対する意識は、偶然を必然と感じる人間の感性の中で生まれるのかもしれません。 人間がそこを目指して進む目的はいつも隠されているものである。結婚に憧れる若い女の子は当人が何も知らない何かに憧れ、名声を求める若い男の子は名声とは何かを知らない。われわれの行為に意味を与えるものは常にわれわれにとってまったく未知な何物かなのである。
1投稿日: 2018.09.04
powered by ブクログジュリエット・ビノシュの出てた映画も好きだった。ミランクンデラは一時期ハマって、単行本で持ってたけど、2冊ほど残して処分してしまった。この作品は、もう15年近く友達に借りパクられてて手元にない(笑)。 軽さという性質は、自由、超越あるいは悟りに近いものだと思う。究極的には面積も重力もない、点。
1投稿日: 2018.05.31
powered by ブクログ哲学的思考が要求される箇所も多々あり、理解するのが大変でしたが、色々と共感できる部分が多く、例えば、『こうでなければならない!ものは存在しない』という部分は特に心に突き刺さりました。
1投稿日: 2018.05.21
powered by ブクログずっと読んでみたいと思っていた作品。当時の私の心境では読む力が足りなかったかな。エネルギーと、時間があるときに読みたい。
1投稿日: 2018.03.22
powered by ブクログ導入から、とっつきにくさにちょっと身構えてしまう感じ。そもそも恋愛が抽象的なものだから、それを表現するための言葉もついそうなってしまうのは必然か。でも、一番好きなところは、最後のペットとの離別シーンだったりします。
1投稿日: 2017.11.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
チェコスロバキアのプラハの春の時代。比較的スイスイ読めた。自分は軽さに憧れがあるが、運命や使命が欲しいしそれらに突き動かされたい重さ側の人間かなーと思った。 小説中の好きな言葉↓ 『すなわち小説が偶然の秘密に満ちた邂逅によって魅惑的になっているとして非難すべきではなく、人間がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのためにその人生から美の広がりが失われていくことをまさしく非難しなければならないのである。』 目を開いていたい。
1投稿日: 2017.07.02
powered by ブクログ恋愛小説というジャンル分けは少し違うような気がしないでもない作品。物語は正直、あまりドラマもないしどうでもいい。ところどころ出てくる人生、愛についての表現にハッとさせられる。基本的には近代批判の延長のような議論なのだが、それをしっかりクンデラ自身の言葉で表現している点は好感が持てるし新鮮だった。 軽さと重さの話も分かるが、天国というのが牧歌的の代名詞で人は犬は今でもそこに生きているという叙述が印象的。人は進歩という果実を手に入れてしまい天国から追放された。それと一緒で人間同士の愛には未来、可能性を考える視点が入り込む。巡り巡ってスタートラインに戻ってくるような、動物と人間のあいだに成り立つようなそんな愛は、幸福なのだ。ただし、禁断の果実を口にする楽しさはない。それは軽さと重さが表裏一体なようなものなんだろう。
1投稿日: 2017.06.24
powered by ブクログ新しい職場の先輩に薦められ。読むのは二回目、今度は日本語で。日本語訳の方がドライな印象。薦めてくれた先輩は30回以上繰り返し読んだらしいが、ロマンチストなのだろうか。何度読んでも摑みどころがない感じ。
1投稿日: 2017.06.11
powered by ブクログ高校生の時、Z会の月刊誌の扉などに採り上げられていたのが本書だった。当時はこの本が出されてまだ10年くらい。プラハの春からも20年程度しか経ってない。ハンガリーの改革もプラハの春もワレサ議長の試みも、全てソ連に押し潰され、当時の欧州知識人には自由と抑圧が大きなテーマになっていたに違いない。この本を読むにはそういう同時代性が欠かせず、最近になって書かれた書評に「ピンとこない」という声が目立つのもやむを得ない。 軽さと重さの意味を求めて筆者は三人のチェコ人、重い女テレザ、軽い女サビナ、遍歴するトマーシュの人生を旅していく。軽い女はスイスからフランス、アメリカへと逃れ、自由な世界を謳歌するが、二人の死を知って墓穴に落ちる土を思い、人生の軽さを痛感する。一方のトマーシュとテレザは、愛故にスイスからプラハに戻り、転向を拒否して更に転落するが、落ちるに連れ二人の思いは純化していく。 愛犬カレーニンの死を二人が見送るラストシーン。結局、二人の姿に共感できるかどうかなんだろうけど、よくわからなかった。知識人も女も複雑で難しい。
1投稿日: 2017.05.07
powered by ブクログこちらは以前一度途中まで読んだ。途中まで読んで魅力が感じられず断念した。 今回読み直してみて、やはりよくわからないというのが正直な気持ちだ。 この作品に描かれる改革運動プラハの春に関しての知識に乏しいところも一因だと思う。 自己肯定感に乏しく弱い手レザと束縛を嫌い浮気性なトマーシュ、奔放な画家サビナ、主要な登場人物はこの三人で、余りに多く人が出て来て混乱するというわけでもないのに、すっきりともしない。 これは登場人物に魅力を感じられず、寄り添うことが出来ないためかもしれない。 恋愛について物語は進行しており、内容が難解で理解出来ないわけでもない。ただ、物語の進行に伴い描かれる人生観のようなものに共感出来ない。そこがこの作品の面白さのひとつではないかと思うのだが、そこに共感出来ず、かといって反感を憶えるほどでもないところも愉しめなかった原因だと思う。 作中に出てくることに、聖書で人間は他動物を支配するとある。確かに旧約聖書で、神が他の動物を支配するために自分に似せて人間を創るのだが、この考えが好きになれない。ここに共感出来ずに何故キリスト教徒なのかと尋ねられると返答に困るのだが、そこでない全体としてのキリスト教徒に信仰を感じたからとしか言えない。 他の動物の協力と犠牲なしに生きられない人間が、何を持って他動物の支配者だなどと言えるのか。そこにキリスト教や聖書が、人間中心に人間に都合よく出来ていることが表れている。人間のためにあるのが宗教であるので、問題ないと言えばそうなのだけれど。 人間は自分たちの勝手で他動物を、食べるためや毛皮を取るためだったりするために命を奪う。それでいながら絶滅しそうな動物を保護する。そこが人間の素晴らしさと考えるひともいるだろうが、わたしには傲慢に感じられる。 何故人間が殺して構わない命と、護らなくてはならない命とを分類するのか。随分傲慢ではないか。 人間の考えで殺して構わない命に振り分けられた動物は、堪ったものではない。 それなら寧ろ、生きるために必要なら手当たり次第殺します、ごめんなさいと言うほうが余程殊勝ではないかと思う。 作品そのものについてより、それに伴うことへの感想になってしまったが、これがわたしの感想だ。
1投稿日: 2017.03.06
powered by ブクログ二項対立の逆をいけばそれっぽく響く。普通はこれでうれしいでしょ。でも僕は逆にかなしかったんだ、的な。そんな表現ばっかりで、陳腐だな、と思ってたけど、徐々に新しい物差しが見え始め、わくわくした。
1投稿日: 2016.10.03
