
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
仮面をかぶって、一番純粋にやりたかったことが、妻を痴漢することだったり。 一生懸命変装したにも関わらず、近所の女の子にすぐに仮面だと見抜かれて動揺したり。 コメディだった。
0投稿日: 2025.10.16
powered by ブクログ“孤独というやつは、逃れようとするから地獄なのであり、進んで求める者にはむしろ隠者の幸せであるらしい。” “美とは、おそらく、破壊されることを拒んでいる、その抵抗感の強さのことだろう。再現することの困難さが、美の度合いの尺度なのである。” 安部公房さんの巧みな比喩表現に唸らされ… 難解な文章や展開を繰り広げながらも たまに読者目線におりてきてくれる 緩急ある構成で点の物語から 次第に面の物語へと姿をかえていく… 初めて安部公房さんの作品を読んでみたが 手記という描き方も気に入ってしまった!! 事故で蛭のような火傷により 顔という社会の接点を失ってしまう主人公 仮面を通じて社会との接点を持とうとする 膨大な思考は 主人公を少しずつ狂気の世界へといざなっていく… 人は素顔という不完全な仮面をかぶり 社会と関わり合い表層的な部分でしか お互いを判断していない それに対して主人公は 完全な仮面をかぶった自分は 本質にたどり着いた特別な存在として位置づける… 心が離れてしまった妻に誘惑していくのだが 次第に自分が創りあげた仮面に対して 嫉妬を抱くこととなる 妻に誘惑することで観えてきた本質的な世界_ 物語の8割は顔についての 考察にあてられているが… ラストで一気に本質的な部分を 読者に畳かけてくる!! すべて計算して描かれたのだと思うと… 安部公房さんの凄さを感じてしまい 鳥肌が止まらなかった!! また解説が大江健三郎氏とは…!! ラストまで目が離せない エンターテイメント作品で 今は読み終えて 満足感でいっぱいです
0投稿日: 2025.08.11
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4/6 他人の顔 阿部公房 強い女性の手のひらで転がされる男という構図が大好きなので本作も大好物。男性のあらゆる努力を水泡に帰す最後の手紙は鳥肌もの。素晴らしい。最後の事件は自暴自棄の結果なのか。
0投稿日: 2025.04.06
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主人公が自分で作った仮面(顔)を被ることで、普段自分では起こさないような行動をとり、仮面(顔)に体を乗っ取られたようになった場面が印象的だった。顔がその人を表すという言葉がありますが、そうかもなと思いました。
0投稿日: 2025.03.27
powered by ブクログ読み始めと、途中と、読み終わってからとでは 印象が違って、すごく疲れた そしてもう一度読みたくなった 顔が仕事上の事故でケロイド状になってしまった主人公 妻から拒否されていると悲観する そこから始まった計画 完璧な仮面を作り、それを被ることによって 仮面に乗っ取られていく それははたして他人なのか? そして妻への計画は成功するのか? 主人公がみた映画の内容がまたなんともいえず 主人公と重なり、さらに切なさを重ねる 主人公も妻も、不器用で、人間らしく いじらしい
36投稿日: 2025.02.16
powered by ブクログ主人公の行動一つ一つが世界の不幸と照らし合わせて合理化しているのが怖い。けれどその言葉が一瞬一理あると見せてるのがさらに恐怖心を煽る。 原爆の件も自分は原爆経験者の彼女のように顔や心を傷つけられ白鳥のように飛び立った気になってる、他人の顔して演じたゆえに裏切られただけなのに飛躍してひたすらみんなの同情と喝采が欲しいゆえに複雑に空回りながらそうだと言わせようとしている。 しかし、どんな顔してもしたらダメなこともあるって気付かされた。 この本を読むに辺り、少し前の友人の言葉を思い出した。 「人間は物事を簡潔に導く」 けれどその中は深淵で顔もなくてでも複雑。簡単に導き出した逃げのようなもの、或いは意志みたいものを無下にした結果は深淵のなかでは複雑に永遠に絡まっていて殻になって空っぽになりながらのたうち回ってる。必死に言い訳した言葉を自分では投げかけ簡潔にしている。行動すらも簡潔にして無下にする。 それがこの本の顔と言えよう
16投稿日: 2025.02.05
powered by ブクログ顔は通路。 覆面は他人との関係を、素顔のとき以上に普遍的なものに高めてくれるのではあるまいか… 顔なんかで人は判断されない と思いつつも、おまえのことを考える時にいつも浮かぶのは顔。その表情。 匿名性と、その実存と、それもまた本人に過ぎないと言う事実。 夫婦には仮面が必要…? 主題はとてもおもしろく好きなものだったけど、読むのに時間かかったなぁぁ
1投稿日: 2024.08.10
powered by ブクログ仮面をつくるところまでは面白く読んでたけど、いざ動き出してからの思想というか言い訳というかで「ちょっとまて」と思って中断。 もう少し精神的余裕のある時に再読しますすみません。
0投稿日: 2024.07.01
powered by ブクログ思弁的かつ実践的な葛藤が描かれていて難しかった。手記という体裁(読者=妻にたいし“おまえ”)で、欄外の注や末尾の追記など小説という枷からも外していくような印象をもった。顔認証やVR(顔を覆うデバイス)も登場した現在、主人公の仮面に対する懸念も現実味をおびてきた。
1投稿日: 2024.03.27
powered by ブクログ最初の方と終盤は特に面白く読めたが、主人公の手記のていなので、ずっとくどくどとひとり語りを聞かされている感じで中盤は結構つらかった。 『箱男』よりはとっつきやすかった気もするけど、それでも面白さをちゃんと理解するのはまだ私には早かったのかもしれない。
2投稿日: 2024.03.11
powered by ブクログ人はみな他人の顔を求めるものだと思う。 SNSで友人を作るのが当たり前になっている現代は、出版された時代と比べてもかなり「自分とは別の顔」が普及した世の中になっている。 のみならず、コスプレやメタバース、ゲームのアバターなど「自分以外の自分」で自己表現ができる機会は多い。 化粧や整形の普及もあって、顔がもたらすアイコン的特性自体も強くなったかなとも思う。 本書の主人公は、他人の感情などまるで見ていない。妻・同僚の感情や思いやりに無頓着で、被害者意識で利己的な屁理屈と哲学をこねながら延々と同じ場所をぐるぐる回っている。結果として仮面と自己の同一性は歪み、現実との通気口となるはずの仮面は現実逃避の道具となってしまう。 現実の抑圧を発散するためにSNSで認証欲求を満たすのも大概にしておけと、60年前には既に警告されていたのかもしれない。 他者の存在なくして自己はあり得ない。他者の存在を無視した仮面もまた空疎なものに成り果ててしまう。
1投稿日: 2024.02.08
powered by ブクログ中野スイートレイン で ベースの吉野さんとサックスませひろこさんと馬場さんが演奏した曲 映画の挿入歌ということで 原作を読んでみた。 想像以上に面白い作品 私は奥さんは一目で見抜いていたと思った。 附箋 ・思考を一時中断させようと思うときには、刺戟的なジャズ、跳躍のバネを与えたいときには、思弁的なバルトーク、自在感を得たいときには、ベートーベンの弦楽四重奏曲、一点に集中させたいときには、螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、なによりも精神の均衡を必要とするときである。←これも結局聴き手本人の気持ちの持ちようなのかもしれない ・姉の髢 →「髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。 この主人公 何をしでかしたのだろうか まさか人を殺めたりしないよね
1投稿日: 2023.08.27
powered by ブクログ現代(令和)におけるVtuberとかにも応用できる、予見してるなぁとか思った。 自分の行動の動機や選びとる選択、何に起因し何に向けてるのか、日々の自分を内省せざるをえなかった。
2投稿日: 2023.05.09
powered by ブクログヤマザキマリさんが阿部公房を紹介してたのでよんだ。 本当は砂の女を読む予定だったけどなかったので。 文学的な文章は慣れてないので読みづらかったけど、とりあえず読み切ってよかった。 人の本質は顔だけじゃないという本人だけれど、顔に対してのコンプレックスや偏見を一番感じとっているのが自分でもがいているのが読んでいて痛々しい。 もし自分だったら、、こんなくどくどと言い訳せず 整形技術も上がっている時代なので整形するだろう。 ただ、仮面を作っている過程が具体的でなおかつゾワゾワするような感覚になった。 また読んでもっと深く理解したいと思った
2投稿日: 2022.10.31
powered by ブクログ失踪シリーズに挙げられるが、個人的に安部公房作品でも砂の女と並び傑作。 顔を失った男の自閉した内省・思考の流れが滑稽で面白い。読んでいくうち主人公と同化し沈み込んでいく引力がある。 作品世界が非常に狭く、読後は疲労も残り要体力。
3投稿日: 2022.10.30
powered by ブクログ顔という不確かなものを科学者らしく科学的に分析し、再現するとともに、顔の本質について思索を深めていく過程が多様な比喩表現で描かれ興味深く読める。 だからこそ、最後の妻の手紙によって、主人公のこれまでの行動が全て無に帰されるところは読んでいるこちらまで顔が熱くなってしまった。 人間関係一般に一貫した法則性を見出そうとする試み自体が無理のあるものなのに、主人公はそれに気づかない。 主人公は顔に価値を置くことを無意味と言いつつ、周囲の人間がそれを認めないからという理由で仮面を作る。しかし本当は主人公自身が自分の醜い顔を認められないのである。
1投稿日: 2022.08.24
powered by ブクログ顔を失った男のあがき。 精巧な仮面で手に入れた他人の顔。 心の平静を求めた外見への追及はむしろ、 男の孤独と剥き出しになった心をつまびらかにする。 安部公房の独特の比喩表現がたっぷりで、どこまでもひたすらに暗い作品。
1投稿日: 2022.08.21
powered by ブクログ安部公房の、昭和39年に刊行された長編小説。 フランスでも高い評価を得た作品で、 日本では映画化もされているそう。 顔に蛭が蠢くような醜いケロイドを負ってしまい "顔"を失った男が、 妻の愛を取り戻すために仮面を仕立てるという ストーリー。 科学者である主人公が研究を重ねて "他人の顔"である仮面を作り上げていく過程が とても興味深く、面白い。 またその中で彼が自身に問い続ける "顔"というものの意味、概念について 深く深く考えさせられる。
1投稿日: 2022.08.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1964年 安部公房 NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/n5b914960a0f9 以前読んだ時よりハマったなー。けっこうこの仮面男に共感しちゃう部分があって、思いのほか楽しめた。こんな話だったか……やっぱ、テキトーに読んだだけでは、覚えてないもんだなー。 「怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心をつくり出す」 顔を失うということが、どれだけ大きいことか。普段あまり考えることもないけど、読んでたら、確かになーと納得。人間って、けっこう微妙な顔の変化を認識しゃうから、こんな大きな変化はとんでもないだろうな。 素顔……なにが自分の本当の顔なのか、真偽の程が怪しくなってくる。その素顔はホンモノか。自分も、仮面をつけているのかいないのか。そう思うと、世界は仮面だらけに見えてくる。
0投稿日: 2022.03.27
powered by ブクログ中学時代に読んで以来の再読。 顔にダメージを負うだけで自分が自分でなくなってしまうのには十分なのに、顔を差し替えても自分のままでしか居られない。 考えてみれば当たり前のことだけどかなり辛いことだとおもった。
0投稿日: 2022.03.08
powered by ブクログ10年ぶりくらいで安部公房。子どもたちが中学生のころ「第四間氷期」と「砂の女」そして、いくつかの短編を読み返している。今回は、文学を読み直そうと、おそらく自分が本格的に文学に入りこんでいった1冊目の本に当たる本書を手にした。最初は高校性のころに読んだ。いまから40年前。古い文庫で字が小さい。しかもほとんど会話がなく、文字がつまっている。読みにくい。読み始めは「おまえ」というのが親友のことかと思ったりしていた。(いま読み返すとまったく印象が異なる。「おまえ」は妻でしかない。)ということは、他人の顔を仮面として主人公が身につけるということしか、ストーリーは頭に残っていなかったわけだ。そして、物語にひき込まれていくのにそれほどのページを要することはなかった。ストーリーの本筋からははずれるかもしれないが、このコロナ禍で読み返すことには意味があった。科学的にどうかは分からない。しかし、安部公房であるからには、そのあたりは信頼できるであろう。「目は口ほどに物を言う」とはいうが「表情の機能は、顔の下半分、唇の周辺に集中している」と本書にはある。それをいまや皆マスクで覆っている。そのことの意味は何か。そして、源氏物語の時代をあげて、当時は女性は顔を覆い隠し男性に見せなかったという。顔に意味を持たせるのはもっと近代に近づいてからだろうという。それはどうだろう。それならば、顔の表情というか、顔色の変化を見極める能力は身についてこなかったはず。それとも、言葉を持つ前に身につけた顔色をうかがう術が、言葉の発達によって一時覆い隠されていたのだろうか。本筋にもどろう。嫉妬である。自分の妻を、顔を取り換えた自分が誘惑する。その誘いにあまりにも安易に乗って来る妻に嫉妬する。こんな設定をどうして思いつくのだろうか。こんなねじれた設定でしか示すことのできない感情を引き出したかったのか。小説というのは本当におもしろい。しかし、何もかもが中ぶらりんのままである。主人公が妻に向けて書いている大量のノートの中のどこまでが事実でどこまでが妄想なのか。そして、妻は結局あらわれない。解説で大江健三郎が言うように、妻からの手紙も、主人公自身が書いていたものかもしれない。もちろん、安部公房が書いたものであるのは間違いないのだが。これを高校生の僕はどう読んだのだろう。高校性のころの自分に感想を聞いてみたい。ただ、その後、安部公房をすべて読んでいったわけだから、まだ嫉妬の感情をそれほど知っていたわけでもない当時の僕も、この話が「きらい」ではなかったのだろう。
0投稿日: 2022.02.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
妻の手紙が秀逸。古女房は、もはや母親であり、母親は出来の悪い息子のやってることは、何でもお見通しなのだ。 全体としては、主人公の延々と続く泣き言、嫉妬、妄想にうんざりしながら何故か読み続けてしまう。読み続けるうちに、不意に気づく。彼のように思考の渦に巻き込まれて、混沌として、訳の分からないことをしてしまう。そんな人、存外ありふれているのではないだろうか。
1投稿日: 2022.02.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
顔って何だろう、と言うことを考えて考えて考え抜くとこうなる、という話に思う 読んでると自分が同じ仮面を被ってる気になってくる。 感情的になったり、後からそのことを反省したり、言ってることは突飛だったり極端だったりするけども、心の動きがとても人間的でリアルなので余計に気持ちが悪い笑
0投稿日: 2021.12.19
powered by ブクログ研究所に勤務する僕は実験中の爆発事故で顔一面に大やけどを負い、ケロイド瘢痕を隠すため顔全体を包帯で覆う日々を過ごす。人間同士のつながりの窓である「顔」の復元を考え、特殊ゴムを使用した覆面を思いつく。見放されたと感じている妻にも別人として迫るがその結末は意外にそっけない。愛というものは互に仮面を剝がしっこすることか。そのために仮面は必要か?
0投稿日: 2021.11.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
構成と言葉の選びに馴染みがなくて、仮面作成中のとこらへんは読むのを何度も諦めかけたけど、後半仮面ができてからは展開が気になって、一気に読めた。 普段小説は、登場人物の言動に共感や尊敬しながら読書を進めるタイプだから、この本はそれが難しかった。 一度では解釈しきれなかったし、深夜読み飛ばしてしまった文もあると思うけど
0投稿日: 2021.09.05
powered by ブクログ顔という社会の接点を失い、仮面を通じて社会との接点を回復しようとするなかで、仮面の裏側いにる「ぼく」は誰でもない他者の視点で顔(不完全な仮面)を被った人間の本質を暴いていこうとする人間風刺。 結局人は素顔という不完全な仮面を被り社会と関わり合い、表層的な部分でしかお互いを判断できない。それに対し、完全な仮面を被った自分を本質にたどり着いた特別な存在と考えますが、本質を見抜かれていたのは自分。 とても、ブラックユーモアたっぷりの人間風刺で面白い作品です。考察の部分が多く、展開が少ないですが退屈せずに読ませるところはさすがです。
1投稿日: 2021.07.13
powered by ブクログ液体空気の爆発により、顔を喪失してしまった男が主人公。妻から拒絶されてしまったことをきっかけに、プラスチックで他人の顔を作り上げ、そのプラスチックの仮面をかぶった生活を試みる、という内容。男は妻に受け入れてもらえるか、思い悩む。 顔を変えることによって、人格が変わり、新たに作られるような部分が面白い。顔の受け取られ方で、性格は形づくられてしまうのだろうか…
0投稿日: 2021.04.30
powered by ブクログ「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと? 1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。 液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、 「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、 妻の愛を取り戻そうとする。 主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ、 混沌とした迷い、仮面をつけた自分がなにをすべきか という決断までノートに手記を書き続け、手記の 中で妻の「おまえ」に語り掛ける。最後に、その 手記を妻に読ませる。「ぼく」の浅薄さと悲哀が 鮮やかに浮かび上がってくる結末に、あっと 思わされた。 昭和中期の泥臭い雰囲気がたまらなく良かったです。 モノクロか初期のカラーテレビの色を感じさせます。 結末には関係ない箇所ですが、デパートの描写で 「どこの売り場でもかならず陳列台一つがヨーヨー のためにあてられており、そのまわりに子供たちが ダニのようにへばりついている。」(P145) 悪意も嫌悪もなく、デパートにいる子供をダニに 例えるなんて令和にはありえないのかもしれない。 文章で昭和中期にタイムトリップできる。 しかし、さんざんノート3冊逡巡した結果が 「やっぱり性欲」となったのはちょっと ヽ(・ω・)/ズコー でしたよ…、うん。
4投稿日: 2021.03.18
powered by ブクログ難しい。再読しないと。 仮面の陰に隠れてこそこそするのではなく、仮面ははっきり仮面だと分かるものでないと意味がない、という妻の手紙が見事。仮面を見破っていた妻は、仮面に隠れるような卑小な男は捨て、仮面を演技として使う男の前には共演者として現れる。 素顔が仮面か、仮面が素顔か。
1投稿日: 2020.12.28
powered by ブクログ長編。書きつけられた何冊かのノートの内容、という形式。顔がただれた研究者の男は、精巧な仮面の作成にとりかかる。妻とのつながりを取り戻すため、失われた他者への通路をまた開くために。 ____________ 文章がくどいし、クサくて読んでいて気持ち悪くなってくる。最初に安部公房を読んだときの衝撃はいったいどこにいってしまったのやら。浮世離れした比喩といっしょに怪しげなよくわからない論理で主人公の独白がつらつら書き綴られているのはかなり読んでいて苦痛。題名に顔とあるだけあって顔に関する考察がかなり長い。 文章中の表現も同じような言い回しが多用されるので安部公房構文なるものがおぼろげながらわかってきた。「〜以上は、〜でなければならない」「〜なのではいけない、〜でこそ〜なのだから」みたいな逆説的な内容の、排中律で、理由を倒置しているみたいなやつ。 個人的には短編の方が好きだ。短編のあの面白さは一体どこへ消し飛んでしまったのか。長編は「方舟さくら丸」と「けものたちは故郷をめざす」はかなり面白かったが、この小説を最初に読んでいたら安部公房を好きになることはなかっただろう。 この小説には、他の作品のあらゆる要素、安部公房が普段考えていてテーマにしていたであろうあらゆる要素が入ってきており、安部公房の思想が全て詰まっている感はある。表情、他者への通路、見る見られる、のぞく、社会の中での孤独、自分の消失。輪っかになったヘビ、というのも出てきた。変なことを数式化してそれっぽく言っていたりするのも健在だ。安部公房の思想理解という点では重要な作品だろう。 特にこの小説がかなり独りよがりで気持ち悪く書いてあるのは、主人公のおかしさを強調するためのものなのだろうか。だとすると、その試みは成功していると言っていいが、普段の安部公房も少なからずこんな感じなんだろうなという気もする。 すべて内緒ごっこであり、妻はあわれな夫の相手をしてあげているだけなのでは、とぼんやり最初から思っていたが 予想が当たった。妻の手紙に救われる。なんて常識的で読みやすい文章なんだ。こういう文章が書けるなら最初から早く書けよ、という気持ちにさえなる。ここから考えるとやはり、わざと気持ち悪く書いていたのだろう。 ていうか、他者への通路=顔のことだったのだなぁ。昔どこかでこのフレーズだけ聞いて感動して覚えていたのだが、この作品が出自なのだろう。 解説で自分が思っていたこと(短編のほうが面白い、安部公房の長編はわかりにくい、この小説はバランスが悪くて面白くない、失敗作だ)を大江健三郎がすべて、そして、きれいにうまい文章で書いている! 大江健三郎すごい! ありがとう! さらに、その上で読解をし、つまらないという感情のその先に進もうとしているのがさらにすごい。解説だから何かしら褒めなくてはならないのだろうが、フランスでも良い賞取っているみたいだし、大江健三郎の言うように一見そうとは見えないが、それなりの隠れた緻密な構成があるのかもしれない。 『愛の片側』って映画本当にあったら面白いのでは。観てみたい。
0投稿日: 2020.12.16
powered by ブクログ顔を失くした男の自己回復と、 他者との交流の窓を回復する目的であったはずの仮面が、 いつしかただ別の素顔を得るだけになる。 執拗に繰り返される自問自答と顔に纏わる考察が、 必死になればなるほど迫害的で妄想的な意味合いを強め、 ひどく歪んだ自己愛的な主観へと埋没していく様が怖いが、 それは蛭の巣窟になったからなのか。 それとも妻が指摘することが真実なのか。 男とその妻という形式を借りた、 これまた安部公房が描き続ける普遍的な人間の実存をめぐる物語に仕上がっている。
6投稿日: 2020.10.31
powered by ブクログマスクをしていないと、奇異な目を向けられる昨今において。 主人公はもはや妄想観念的な執着心でもって仮面を作り出そうとする。 しかし、この執着心やら孤独感とはどこに源泉があるのだろう。 顔、なのだろうか。 P.74『怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心えおつくり出す。』 こだわりの強さ、情緒交流の乏しさ。 そこに、恐るべきボディイメージの歪みと疎外感が加わる。 P.80『流行と呼ばれる、大量生産された今日の符牒だ。そいつはいったい、制服の否定なのか、それも、新しい制服の一種にすぎないのか』 これは昨今でもまったく同じ現象を容易に思い浮かべられる。量産型女子大生とか男子大生とか、就活スーツ、或いはカジュアルオフィス、クールビズ等々。 そこに根底に流れる疎外感と自尊心の欠如がさらに妄想分裂的心的態勢へ退行させる。 P.82『ぼくに必要なのは、蛭の障害を取り除き、他人との通路を回復することなのに、能面の方はむしろ生にむすびつくすべてを拒否しようとして、やっきになっているようでさえある』 このジレンマはマスクをすることで、他者と交流を試みて、しかしマスクという符牒がなければ交流できないという現在の我々のもどかしさとも重なるようだ。 次第に、人格が徐々に交代する。 しかし、これはマスクへ投影された自己像であって、そもそも欲求の投影をはじめから試みていた事もわかる。 それは妻への攻撃であり、この主人公の性的欲求と攻撃性が未分化な未熟な人格構造の投影でもある。 この物語が読みにくいのは当然でもある。 妄想性障害。 奇妙な数式と論理。訂正不能な認知がこの病理を想起させる。 もっと詳しく生育歴を調べたいものだが、二重の父性など元来から葛藤深い人格構造のようでもある。 そして、彼の知能は抽象的思考優位のようでいてその実具体的思考の域を出られていない事も妄想的思考たらしめている。 数学のような体裁であるが、しかし実際は算数の域を出ていない、というべきだろうか。 いずれにしても、読みにくく了解不可能な物語である。 解説(大江健三郎)のアンバランスさ、とはまさに。
3投稿日: 2020.05.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
妻の立場だったなら、「顔だけが変わったからって、あなただって気付かない訳ないでしょう」と思う。骨格、肉付き、爪の形、仕草だって、「あなた」だって気付かせるに十分すぎるくらいだと思うから。けれど人って、失われたと思うものに程執着するし、「顔」って常に外界に向けて公開されてしまうものだから、主人公がここまで執着して苦悩してしまうのも無理がないし私もそうなると思う。妻も主人公の悲しみ苛立ちを受け止めようと、また一部道徳的な自己戒律から仮面をかぶって暮らしていたんだと思う。その全てが見えなくなるほどに苦しんだ主人公を非難はできないけれど、妻からすれば、私の気持ちをくもうともせず自分のことばかり憐れんで、侮蔑的な目で私のことを観て勝手に粗ぶって付き合いきれないし次は何しでかすかわからない怖い。。と思うのも当然…。苦悩が性格をゆがめて、覆面効果が暴力性を強化し、怪物みたいだと嫌った見た目にふさわしい心と行動を作り出してしまったのかなぁ。心理学的に考察された論文がありそうだから、そんなのも読んでみたい。
2投稿日: 2020.05.14
powered by ブクログ良くも悪くも男性はこういう思考に陥りやすいのではなかろうか。しかし妻の気持ちもわからぬではない。一度刺さったハリネズミのトゲはそう簡単には抜けない。ならいっそもっと深く差し込んで見る必要があったのではないか?
1投稿日: 2020.04.20
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安部公房にはまりました。顔を通して人間を認識する主人公と、そうではない主人公の妻ということでしょうか。最後の妻の手紙を読むと、全てはただの被害妄想による独りよがりの空回りだったのかなとも思ってしまった。顔というアイデンティティの存在意義とは。。
0投稿日: 2020.03.29
powered by ブクログ顔を作る工程の医学的SF。手記という形式の文学的比喩表現の応酬による渦巻くドロドロとした心情の描写。「おまえ」の予想外の態度。どこに到達するかわからないストーリー。良い意味で読み疲れるタイプの小説だった。
2投稿日: 2019.09.22
powered by ブクログ読了:2019.1.9 1951年「壁」で芥川賞を受賞した安部公房の1968年の作品。(これが50年前の作品とは…!) 顔を失い、コンプレックスに押し潰されまいと、本人はあくまで理論的に、はたから見れば内省的で鬱屈した子供のような自尊心でそれっぽい言葉を並べながら、自分の顔と向き合っていく話。 文章は妻に宛てられた手記として進んでいく。 普通の小説と違い、風景や行動の描写が非常に少なく、ほとんどが自分の感情・意識・感じていること・それをコントロールすることなどの説明が多い。また、素直じゃないことから来る感情の矛盾や回りくどい説得やプレゼンのようなこちらへの働きかけに、はじめは非常に読みづらかった。 ただ段々とこの文章から頭にイメージする作業に慣れてくるとぐんぐん引き込まれていった。 そして、くどくどしたものが仮面の完成と共に解放され、肉肉しい解放感と困惑を必死でコントロールしようとする。その様は読んでいてとても気持ち良かった。相変わらず言葉で自分を説得しようとはしているものの、そうだよ、素直になればいいんだよ、冷静なんて装わないで必死になれよ、楽しめよ、ってかんじでした(笑) そして、ストーリーが8割進んだあたりで山場が来る。今までずっと主人公のオナ◯ーに付き合わされてきた私たちの形成逆転。この気持ち良さったら! 安部公房ってこーゆー文章のひとなのかなぁって諦めかけてた頃にこれは、本当に騙された感(笑) やられたわぁ。すべては計算されてたんだ。 手を差し伸べられたことに気付かなかったことに落胆し、そこでまた素直になればいいのに、そこは主人公。ほんとにこいつは…。 最初から最後までこんなに手を抜かず一生懸命に生きてるのに、悩んで悩んで自己肯定できる材料を搔き集めるためにこんなに必死なのに。 それなのに、こんなに応援したいと思えない奴っているかね?(笑) 私は、この主人公がとても嫌い(笑) コンプレックスのくせにそれを認めず、延々と「コンプレックスに思う必要はない。なぜなら〜」って話をしてる。でも実は延々と自分を説得し続けなければいけないほどに囚われている。 でも、昔は私もそうだったから、主人公の堂々巡りの言い訳の作業にとても共感してしまう。 自分のそういうところが大嫌いだったから克服しようとした。(比較的できるようになったと思う) 自分で自分を嫌悪する部分がモロに出ている主人公だから、私はこの人が嫌いなんだと思う。 今まで生きてきた中で「自分とは考え方違うけど理解はできる。この人すきだなぁ。」って人間にはたくさん会ってきたけど、「すげえ共感するけど、そーゆーとこ大嫌い」ってこともあるんだなぁってこの主人公を見る自分を見てそう思った(笑) ◆内容(BOOK データベースより) 液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男…失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき…。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、“顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。
8投稿日: 2019.01.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
仮面と素顔。 テーマは好きだけど… ストーリーとして本当に面白いのは最後の2割くらいと思ってしまった。
0投稿日: 2018.09.02
powered by ブクログ少なくとも20年ぶり、ひょっとしたら40年ぶり位の再読かもしれません。 顔をテーマに、阿部公房さんが書き続けた人間の存在の曖昧さや、自意識と社会/他者の関係を描いた濃密な思考実験小説です。 全編、自己愛が強く他人を理解しようとしない一人の卑小な男の手記として構成されます。300ページにわたってひたすら続く綿密かつ膨大な考察、壮大なる精神的自慰です。 その余りの密度に長く読み続けられず、思いのほか読了に時間がかかりました。 しかし、良し悪しとか好き嫌い以前に、これほど圧倒される作品に出会えることもまず無い経験です。
1投稿日: 2018.05.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
互いに愛し合っているのに、悲しいまでに行き違う、夫と妻。 顔の火傷、仮面といった小道具を使ってはいるが、結局そんなものあろうとなかろうと二人が心を通わせることはなかったということではないのか。 騙したつもりで妻を冷笑し続ける男と、従順に抱かれた妻。一瞬でも感じた夫の愛が、自分への蔑みだと知った時の妻の絶望。妻が仮面との最初の逢瀬の別れ際に差し出したボタン。なぜ、このボタンの意味がふたりの間でこれほどまでに食い違うのか。結局のところ男はどこまでいっても繰り返される行き違いに絶望したのか。 『だが、この先は、もう決して書かれたりすることはないだろう。書くと言う行為は、たぶん、何事も起らなかった場合だけに必要なことなのである。』
0投稿日: 2018.02.25
powered by ブクログやっと読み終わった。時間かかりました。終わり間近まで主人公の幼稚な自分勝手さかげんにムカついて仕方なかったけれど、最終的に妻にもげんなりした。元々夫婦間はうまくいっていなかったのに、顔を怪我したからと思い込んだ40男にも憤るけど、騙されたふりをしつづける妻にも同情は出来ないなぁ。どうしてダメなのかって多分どれだけこの男に説明しても絶対に理解してもらえないと思うけど。話の通じない相手って小説のなかでもわかるものなんだなぁ。かかわりたくないタイプ。自己評価高すぎる。最後は苦笑しかなかったです。
0投稿日: 2018.02.14
powered by ブクログ表紙はグレーっぽい、階段?建物?顔?みたいなものです。 ある男の独白が延々と続く。最初はアリバイだの罪の告白だのがなんのことやら分からずに読んでいて、徐々に分かるようになってくる。 その湿っぽさと妙な理屈、卑屈さ傲慢さか、なんとも気持ち悪くて、そりゃこうなるわな、の結末。 ぞっとする。このざらざらした読後感が安部公房だなぁ。
0投稿日: 2017.07.21
powered by ブクログ実験で顔を失った主人公は仮面をすることでどうにか立ち直ろうとするが妻からは拒絶させる。顔を失うと心も塞ぎがちになってしまう。そんな考えさせられる作品です。
0投稿日: 2017.05.20
powered by ブクログ人間の力だけで全くの人工の「顔」を作る。 見た目、物理的な顔だけでなく、 表情などの顔が介する概念、精神的なものまで
0投稿日: 2017.04.24
powered by ブクログ実験中の不幸な事故によって、顔全体 蛭の巣のようなケロイドに覆われてしまった主人公。 顔を常に包帯でぐるぐる巻きにし、不気味な包帯男とならざるを得なくなった彼は、それまであまり重要視していなかった「顔」について思い巡らすように。 欲情を妻に拒絶された彼はますます「顔」の必要性を感じ、ついにある計画を思いつく。 他人の「顔」を作成し、他人として妻を誘惑してやろうと…。 計画は予想以上にうまくいき、他人として接近した夫にやすやすと身体をゆるす妻。他人の自分に激しく嫉妬し、妻の不貞に怒りながら、欲情し逢瀬を重ねる彼。 ケロイドの自分は拒絶されたのに、他人の「顔」を被った自分は受け入れられる…自ら進めた計画ながら、彼の自我は苦しむようになり… 妻に全てを告白し、他人の「顔」を捨てる決意をするのだが… いつも夫というものは、妻など簡単に操縦できると思っていて、その実 妻の手のひらで踊らされているのかもしれない。妻は何でもお見通しで、夫の芝居に付き合ってあげているのだ…。
0投稿日: 2017.03.12
powered by ブクログ安部公房の思考実験小説の金字塔でもあり、ノート等記録型の長編小説の代表でもある作品。 安部公房の思考実験というと、日本では「箱男」の評価がやたら高いが(安部公房には海外にも小説のニーズが有る)、あれで挫折した人は、こちらを読んでみると良い。 もしも自分が他人の顔になれる仮面を手に入れたら、一体どう振る舞い、どういう欲求を生じるのか。液体窒素で顔がただれてしまい、常に包帯が必要となった主人公が、画期的な人工表皮技術から、他人の仮面を作る。 割りと読みにくいタイプの、ノートの手記を記すタイプの安部公房だが、「箱男」よりも断然読みやすいのは、視点が常に主人公に固定されており、文章も本当にメモ的なものが挿入されたりしないこと。また、世界観も現実離れしたものが少ないことから、「密会」のような引っ掛かりも少ない。 一方で、文章はやはり安部公房なので、やたらと比喩を使いまくることと、仮面の作り方を科学的に非常に詳細に書いているので、苦手な人は苦手かもしれない。 ただその比喩にしても「(ヨーヨー売り場には)子供らがダニのように群がっていた」なんていう、口語では使うが、作家が文章として使ったら編集者が血相を変えて飛んできそうな、直接的でわかりやすい比喩も多いのだ。 物語全体も、大きな暗喩として読むことも出来るし、それが妻にばれていたとしてもそれはそれで良いのだ。別にそういう読み方をしなくても良いだろう。変に教訓を得ようとすると、一転してつまらない作品に変わってしまうのだから。
1投稿日: 2016.10.23
powered by ブクログ物語の筋は難しくないしシンプルなのだけど、織り込まれる思想や理屈がなかなか難しく、時間を置いて繰り返し読みたいタイプの小説。そうすることでようやく少しずつ理解が深まるような…。 実験中の事故で顔一面に蛭のようなケロイドが残り、自分の顔を喪失してしまった男。 失われた妻の愛を取り戻すために、他人の顔をプラスチック製の仮面に仕立て、それを着けてある計画に乗り出す。 “顔”というものの重要性を普段は意識しないけれど、人を判別するために顔は最大の要素になる。ということは、身体のあらゆる部位のなかで、いちばんのアイデンティティーの塊が顔だ、とも言える。 その顔を失ってしまった主人公の男の、もうひとつの顔を得るための行動はとても奇異だし、その後の行為に至るまでの思想もとても極端だ。 でも、アイデンティティーを喪失した人間の心理は、その本人にしか解らない。奇異なやり方で自分を取り戻すために躍起になっても、おかしくはないのかもしれない。 事故で顔を失うという物語上の設定はメタファーとも言えて、顔がある普通の人間にも、顔のことで苦しむ心理は一部共通しているのかもしれない。 顔があっても気に入らず整形を繰り返す人もいるし、分厚い化粧で素顔を隠す人もいる。 だけど中身は果たしてどうなのか。整形や化粧という“仮面”を着けることで人格にも影響は及ぶだろうけど、本質的な部分はなにも変わらないかもしれない。 実際的なものだけではなく、嘘とかおべっかとか、そういう仮面も人間は便利に使うし、それ無くしては人と人が触れあう社会のなかで生きていくのも難しい。 本物の顔の他に、誰しもが仮面を必要とする。 誰にもばれないような“他人の顔”の仮面を得た場合、それを着けて周りの人の態度が変わったとしたら、その顔に嫉妬したり優越感を得たりするのだろうか。 興味はあるけれど、恐ろしすぎて試したくはない、と思った。
5投稿日: 2016.09.20
powered by ブクログ登場人物3人。極端に閉鎖された世界で完結する内省的な小説です。 陰気な世界観にはまります。 久々の安部公房でした。 結局男って自分勝手でワガママな生き物です。
0投稿日: 2016.01.28
powered by ブクログ安部公房の小説の始まりはいつも唐突感がある。しかし終盤になり、その世界観が妙に現実味を帯びてシニカルに思えるから不思議だ。 本作は科学実検で「顔」を失った者の話だが、彼の問は「素顔」と「仮面」との哲学的なものながら、思考回路は妄想的であり策略的な非常に俗世そのものである。例えは悪いが「透明人間になったら女風呂を覗くかどうか」のような低俗で嫉妬に富んだものである。それを高度な心理描写に昇華しているのは筆者の構成力と言葉選びの妙だろう。 ラストもなかなかの緊張感と意外性がある。50年以上前の本とは思えない先鋭性と先進性を兼ね備えた作品である。
0投稿日: 2015.11.23
powered by ブクログりゅうさんに借りる。 なんか、よかった。まったくうまく言葉にはできないんだけど、いまの自分とはまってた。もちろん、劇の方が全然おもしろくて読みやすいんだけど。顔って、化粧って。男ってこうだよな。とかとか。 からっぽの自分と、なんとなく合わせているつもりになっているけど見透かされてるであろう自分と、主人公が重なりすぎて。 それさえも笑って一緒にいてくれてる人を、主人公みたく気付かずに傷つけているんだろうなって。思った。
0投稿日: 2015.10.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
瘢痕ケロイドにより顔を失い、「他人の顔」をかたどった仮面を装着して生活することを試みる男が主人公。この特異な人物設定にもまず惹かれるが、しかし本作においてより重要な位置を占めるのは、作中で主人公に「おまえ」と呼びかけられる人物、つまりは主人公の「妻」である。しかし、こう書いたものの、この人物がほんとうに存在するかどうかはわからない。直接的なセリフはほとんど登場せず、物語のラストで手紙をしたためてありったけの感情を吐露するあたりが唯一の人間性を感じさせる場所であるからである。個人的には、この妻とされる人物は、主人公が顔面へのコンプレックスを募らせるあまりに創り出してしまった架空の存在であり、仮面をかぶった主人公から見た「本来の自分」に位置するような人物なのではないかとも思う。じっさい、「解説」ではあの大江健三郎が、「手紙は(中略)仮面の男自身が書いたものではないか、とさえ疑われる」と記している。手紙などを含め、妻の存在こそが「仮面」であり「他人の顔」そのものなのではないか。そう考えたほうが自然に思える。そして、このような他人を創り出しさえしてしまう仮面の役割は、現代人が抱えている両面性、多面性のようなものをみごとに象徴している。われわれはすべて、仮面をかぶっていると同時に演じられており、また他人も同様に、仮面をかぶっていると同時に、仮面によって日日形成されているのである。
0投稿日: 2015.07.27
powered by ブクログそれほど長い作品でもないのに、 思いのほか読破するのに時間がかかってしまいました^^; 実験で顔一面火傷を負ってしまい、 見るも無残なケロイド跡が残ってしまった主人公。 日毎に離れていく妻の愛情を繋ぎとめるため、 他人の顔の仮面をかぶり、妻を誘惑しようと試みるお話。 色々病んでいて、読み進めるのが億劫になります(笑) 妻への歪んだ愛情。顔がなくなると心までなくなってしまうのか。 主人公が粘着質で、言い訳めいた言葉を何度も繰り返すのが、 正直気持ち悪かったです。 でも不思議と嫌いになれない小説。
1投稿日: 2014.12.08
powered by ブクログ人間の存在の不安定さを描く安部公房の長編小説。液体空気実験の爆発で顔を失った男が、妻の愛を取り戻すため別人の仮面を作って妻を誘惑する手記。顔が象徴する人間性について深く掘り下げた名作です。みんな短編が好きっていうけど、僕は長編も好きですわ。
0投稿日: 2014.06.22
powered by ブクログ『恐怖が恐怖を支え、足をなくして地面に降りられなくなった小鳥のように、ぼくはただ飛びつづけなければならなかったのである。(p281)』 抽象的な事物で比喩できる才能はやはり達者と言うべき。
1投稿日: 2014.06.06
powered by ブクログ1964年発表、安部公房著。研究所の事故により顔一面にケロイドを負った主人公。妻との愛を取り戻すため、仮面を作って自己の回復を図る。文章の大半が、妻へ宛てた手紙という形態で書かれている。 安部公房らしい哲学的な小説だった。終盤まではあまりストーリーが展開せず、主人公が仮面を通して、社会と個人の関係性をひたすら炙り出そうとする。よって(おそらく安部公房の中でも)読みやすい小説ではないのだが、存分に論理的思索に耽ることができる。 「仮面」というテーマ自体はありきたりなのかもしれないが、ここまで病的に深く抉った小説はまず見当たらない気がする。顔という通貨、仮面と覆面、国家の仮面、仮面が一般化した世界というSF的妄想、日本社会の中の朝鮮人の立場、社会の柵と痴漢。これ以上言うことが見当たらないくらい、仮面についての考察が網羅されている。 それらを通り越した時、主人公はようやく具体的な行動をとる。そしてラストの、顔についての興味深い映画の説明と薄気味悪い終わり方。不穏で切ない余韻が残った。
0投稿日: 2014.04.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大好きな作品。 何度も読み返してる。 主人公のこころの描写、思考。 何度読んでも新鮮です。
0投稿日: 2014.03.21
powered by ブクログ「モンスター/百田尚樹」の顔に関する肉体的精神的価値の類似 動物の世界にも顔の美醜はあるのだろうか 唇に皿状のものをはめたり、顔全体に刺青を施した、 昔の民族にも顔の美醜はあったのだろうか 現代人の個性は顔なのだろうか
0投稿日: 2014.02.06
powered by ブクログ冒頭は核心部分から始まる。そして過去を振り返っていく。化学実験により顔に致命的な大怪我を負った主人公が妻の愛を取り戻すため、他者の仮面をかぶり妻を誘惑する。とまぁ書くとあれなんですが、仮面の出来は決して素晴らしいものじゃないことが少女に正体を見破られていることからわかってしまうのですね……妻はわかっていながら見過ごすと。顔って言うのはやっぱり一番に目に入るし印象に残る。顔は言うなればアイデンティティ。安部作品はアイデンティティの崩壊をいろんな目線で書いてる気がする。名前をなくす壁にしろ、箱をかぶる箱男にしろ、自分をいつのまにか見失う燃えつきた地図にしろね。2013/418
0投稿日: 2013.12.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
化学実験で顔を失った男。 顔のない人間は誰とも共感を持ち得ない孤独な差別対象となる。 男は、精巧な仮面をつくり、妻の愛を、そして自分を取り戻そうともがく。 201「≪仮面だけの自由≫は、何をおいても、まず不法行為でなければならなかったのだ。」 204「断っておくが、空腹や、乾きのように、性そのものに飢えていたわけではない。仮面がひかれていたのは、あくまでも、性の禁止を犯すことだったのである。」 ぼくは、仮面の男になって、妻を犯す。 妻の不貞行為を見る腹黒いぼくと、妻を犯している仮面の男。 男のなかの二面性それぞれと妻、といった三角関係に苦しむのである。 この内容は、妻に向けた男の手記である。 妻はこれを読み、男に手紙を残す。 彼女は、最初からわかっていたのだ、仮面をかぶった男が自分の夫だということを。 268「あなたに必要なのは、私ではなくて、きっと鏡なのです。どんな他人も、あなたにとっては、いずれ自分を映す鏡にしかすぎないのですから」 顔は、単なる記号にすぎない。任意の数字nとなんら変わりない、それなのに、人間は、任意の記号nに醜美を求め、その内面までも推測する、それはとても滑稽なのだがあまりに日常的に行われすぎて「ごくごく普通のこと」として認識されている。 顔をなくした男は、仮面をかぶることによってなにができただろうか。 「良いことも、悪いことも、何一つすることは出来なかった。ただ、街を歩きまわって、あとはこの尻尾をくわえた蛇のような長ったらしい告白を書いただけ」だった。 …男は、再び仮面をかぶり、空気拳銃を持ってぼくを捨てた妻の向いそうなところへ足を運ぶ。 拳銃の安全装置を外し、近づいてくる女の靴音に耳を澄ます。 尻尾をくわえた蛇は、腐った水から脱皮したのだ。その結末に死があろうと、自ら選んだのだから、はるかにましなのだ。 「…ともあれ、こうする以外に、素顔に打ち克つ道はないのだから」
0投稿日: 2013.09.19
powered by ブクログ顔一面蛭の巣のようなケロイド跡がある主人公。妻の愛を取り戻すために仮面を作るが…。もうせつない…全てせつないが妻の手紙が最高にせつないし、主人公が観た映画の内容もせつなすぎて印象に残る。
0投稿日: 2013.08.07
powered by ブクログ秀逸な作品は、読者の想像の範囲内で話が展開して、またオチもそうでなくてはいけないと思う。それを文章の力で読者をどこまで入り込ませられるか、じゃないだろうか。 そういう意味で、この作品は私が思う秀逸な作品だ。 読みながらずっと思っていた。 攻殻機動隊S.A.C 2nd GIGの中の『顔』は、この作品がモチーフかな、と。 “ゴーストは、脳殻ではなく皮膚、特に顔に刻まれた皺に宿る” ラストあたりなんかは、本当に凄い文章力。 『愛の片側』という映画も効いているし、最後の二行も凄い! 文章力が格好良すぎてシビれた。
1投稿日: 2013.06.03
powered by ブクログ怖すぎる。人間に対する深い哲学と、優れたSFの手腕と、様々な理系的知識と、それらを統括する文学的才能によって生み出された作品。事故で顔が醜くなってしまった男が、四苦八苦しながら仮面を作って、妻の愛を取り戻そうとする。筋は簡単なのに、とてつもない重量感。SFのような設定なのに、身に迫る安部公房の哲学。病的なまでに細かい描写のせいで、本全体がボリューミーになっている感じがしたが、緻密でとても丁寧な物語だと感じた。 どうして安部公房はSF風味の話を書いても、SFっぽくならないのかが不思議。SFというよりむしろ、読めば読むほどリアリティーが増す。こんなこと、ありえないのに。やっぱり社会や人間というものを鋭く捉えて、それを作品として昇華させていた人だったんだな、と感じた。
0投稿日: 2013.04.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とにかく読みづらい作品でした。 主人公が妻にあてて 様々ないきさつを手紙の用に書き綴った形で 話が進んでいるのだけど それが叉主人公の言い訳や片寄った思想が 尚更読みにくさに拍車をかけてます。 たぶんそれも味の一つと思いますが とことんそれにはまり込んでしまったようです。 内容を理解しようと心を入れこんで読み過ぎると 主人公の言葉を鵜呑みにしてしまいそうになり 正常な考えがとんでいっちゃうし 理性的にとらえようとすると 主人公の顔に対する執着や思想が 理解できなくなるし。 うっとうしささえ感じるし。 よんでる人なら誰でも想像着くことが 主人公に想像できなかった事が 終盤にかけてのスパートの役目を果たしてくれました。 でも読むのに疲れました。 1960年代にこんな現世みたいな考え方するなんてねぇ。 やっぱ安部 公房ってぬけてたんだなぁ。
0投稿日: 2013.03.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
顔を事故で失い仮面をつけるようになった男が、妻に向けて大学ノートにメッセージを書いた、という設定の話。いったい誰に向けて書かれているのか、謎解き的な気分を味わえてワクワクする。 主人公が仮面を作るときの突っ走り具合に驚いた。化学的な説明とか、妻に向けて書く内容ではないと思う。 でも主人公の心情を酌んだら苦労を妻に吐き出したくもなるだろう。「顔」が社会的に果たしている役割について考えさせられる作品。
0投稿日: 2013.03.11
powered by ブクログ内面を外面のように描き出しつつ、それはあくまでも内面だったというオチ。それでも内面を描き切っている。 夏目漱石「こころ」
0投稿日: 2013.03.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
安部公房でなければ恐らく手に取らない類の本。 鬱な内容なんだろうなと訝っていましたが、 思わぬベクトルに、良い意味でこっぴどく裏切られてしまいました。 不穏漂う空気、妄想、狂気、独自の仮面哲学でギッチギチな主人公。 けれど、なんだかんだ足掻きつつも理性に逆らう事ができず、 妻への想いも、行ったり来たりな思考も、陰鬱でマニアックなひたむきさも、 読めば読む程、何やらだんだん滑稽な事の様に思えてきてならず、 一旦その滑稽さにハマるともう何もかもが可笑しくって、たまらなくって。 勿論、そう易々と可笑しがってばかりもいられぬモチーフに、 度々ぼんやりと思考を巡らせてしまうのですけれど。 やっぱりこの感触と読み応えは長編ならではですね。 ラスト数ページが印象的でした。 流石。
3投稿日: 2013.02.26
powered by ブクログずーっと主人公の内面の葛藤の独白、気分上がったり下がったり上がったり下がったりに付き合わされるんだけど、飽きずに読みきれたのは、その文章の濃厚さというか、独特の比喩を効果的に使った、心情の表現力というか。。顔を失った男の心情なんてわかるわけないのに、たまにものすごくわかるような気になってしまうのです。 終盤に出てくる、主人公が観た、戦争で顔を半分失った少女の映画のくだりがなんかやたら綺麗で怖くて頭から離れません。少女とおっさんの違いはなんだったのだろう。
0投稿日: 2013.02.05
powered by ブクログ面白かった。話のテーマそのものが重くて生々しい上に、暗いし話は回りくどいし(それが構成上の演出でもあるのだが)、とにかく陰鬱でねちこい話で、主人公があまりに陰険で自己中心的なもので、読んでいて境遇の気の毒さよりも「なんだこいつ」感が勝ってしまったのだけど(しかし主人公がそういう精神状態に追い込まれたのは、やはり境遇に追い込まれた部分が大きかったのだから、あらためて考えるとわたしは感情移入力の低いというか、冷たい人間なのかもしれない……)、しかし面白かった。 中盤までずっと陰険な話だったのに、読み終えてみれば嫁のきらきらした眩しい印象がいちばん鮮明に残っているのはどういうわけだろう。そしてやっぱり美文。
0投稿日: 2013.01.22
powered by ブクログ1964年作の長編小説。 生理的物体としての「顔」を事故によってケロイド状に破壊されてしまった男が、他人の顔を型にして作り上げた「仮面」を被ることによって、失った妻の愛を、ひいては妻の愛に反照されていた自己の存在証明を、回復しようとする物語。 形而上的な実存の眼差しの、形而下に於ける媒介となる「顔」。「顔」という形而下的存在を以て――他者の意識によって対象化された何者かとなることを通して――、眼差しの相互交換者としての存在証明が与えられ、世界という意味連関の一部であり且つ同時にその構成者としての資格が付与される。「顔」の喪失は、世界内に於いて与えられる自己存在の布置の喪失であり、則ち世界そのものからの疎外である。 "とつぜん、ぼくの顔に、ぽっかりと深い洞穴が口をあけた。・・・。なんでもいいから、ぼくは顔の穴をふさぐ栓がほしかった。" "見られることが、見る権利の代償だとでもいうのだろうか?" "それに道行く人々は、互いに他人であるはずだのに、まるで有機化合物のように、しっかり鎖をつくって、割り込む隙など何処にもない。検定済みの顔を持っているというだけのことが、そうも強い靱帯になりうるのか。" "自分がつくり出す顔ではなく、相手によって作られる顔・・・・・・自分で選んだ表情ではなく、相手によって選ばれた表情・・・・・・そう、それが本当なのかもしれない・・・・・・、人間だって、被造物でいいわけだ・・・・・・そして、その造物主は、表情という手紙に関するかぎり、差出人ではなくて、どうやら受取人の方らしいのである。" ところで、当該意味連関に於いて「顔」を持つということは、抽象的に「何者か」になるということである。眼差しによって、抽象化された、名指し可能となった、則ち断片化された、「何者か」になるということである。であればこそ、それは同時に、無数の眼差しの乱反射の中で、真に何者でも在り得ない。そういう存在様態に束縛されることになる。 「顔」を喪失することによって、男は却って「素顔」という虚構の観念に憑かれてしまった。世界には眼差しの暴力性によってその虚像が結ばれた「仮面」しか在り得ない。「素顔」と云う「仮面」ばかりである。我々は、剥げども剥げどもその下から無限に現れ続ける「仮面」を永久に剥がし続けると云う、それ自体ひとつの「仮面」を被るようにしか存在し得ない。それは、眼差しが「仮面」を映しあう合せ鏡の無限運動"鏡の沙漠"だ。眼差しの対象化という暴力によってその全体性を喪失することを代償に獲得した、常に決定されることのない存在証明。匿名性の証としての「名前」、「素顔」としての「仮面」。 "光というやつは、自身透明であっても、照らしだす対象物を、ことごとく不透明に変えてしまうものらしいのだ。" "ぼくがいなくても、少しもその輝きを変えない、自若とした居間の明り・・・・・・まるでおまえと、そっくりだ・・・・・・" "・・・、顔を失った罪、他人との通路を遮断した罪、他人の悲しみや喜びに対する理解を失った罪、他人の中の未知なものを発見する恐れと喜びを失った罪、他人の為に想像する義務を忘れた罪、ともに聴く音楽を失った罪、そうした現代の人関係そのものを現わす罪である以上、この世界が一つの監獄島を形成しているのかもしれないのだ。" この暴力性が、何よりもまず当の自己意識から自らに発している眼差しに内在しながら、なおそれを自己否定・自己超越しようとする自己関係的機制こそ、実存を孤独の地獄に突き落とす。 "まるで監獄の中だと思ったりした。監獄の中では、重苦しくせまてくる壁も、鉄格子も、すべて研ぎすまされた鏡になって、自分自身をうつしだすにちがいない。いかなる瞬間にも、自分から逃げ出せないというのが、幽閉の苦しみなのである。ぼくも、自分自身という袋の中に、厳重に閉じ込められて、さんざんもがきまわっていたものだ。" それでも、逆説的に、「仮面」ならざる"素顔"をその不可能性を承知の上でなお絶望的にも希求せずにはおれない人間もいる。 "本気で、他人に出会うことを願うのなら、誰もがまず、あの[発育のおくれた娘の未分化な]直観に戻っていこうと努める以外にはないのではあるまいか・・・・・・" 疑問を一つ、「顔」の喪失の「名前」喪失との本質的な違いは何だろうか。 □ 男の手記の最後を締め括る、惰性態の呼吸が止まらんばかりの言葉。 "だが、この先は、もう決して書かれたりすることはないだろう。書くという行為は、たぶん、何事も起こらなかった場合だけに必要なことなのである。" 鋭利に刻みつけられた、言語による裂傷。
0投稿日: 2012.12.29
powered by ブクログ安部公房の文章がたまらなく好きなんですけど、 ストーリー云々なしに文章だけで言ったら、 この本が一番好みです。 とても読みやすく引き込まれる文章でありあがら、 ぐさぐさ刺さる感じが良いですね。 こういう文章書きたいな、 真似したいなと心底思いますが、 まぁ、実用的な文章でもないので、結局、使うこともく、 たまに読み返してはその文章力に悶えています。
0投稿日: 2012.11.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公の、妻に向けての手紙という形だけど、ずうっと言い訳くさくて、無駄に長いししつこいし、言ってることがコロコロ変わるのでイライラするしストレス溜まる。顔のせいではなく、そういうカスっぷりを描く技術があまりに高いのは事実。だから喜劇として捉えれば星3つってとこ。
0投稿日: 2012.11.19
powered by ブクログ顔の持つ意味。 他者、とくに身近な人との関わり方。 きっと女性より男性が、 そしてプライドの高い男の方がより、 他者からどう見えるか、どう感じられるか、 それを強烈に意識しているのだろう。 しかし、相手の気持ちを、想いを汲み取ることはない、 汲み取ろうとすることもできない、 それが手記という形をとることで卑屈なまでの男の思いが、 嫌になるくらいに描かれてる。 顔を失うことが実際にどんな恐怖なのかは 想像するしかないけれど…。
0投稿日: 2012.10.06
powered by ブクログ安部公房の本は、『砂の女』、火星人のやつ(タイトル忘れた)、『カンガルー・ノート』に引き続いて確か4冊目。個人的にこの人の本は噛み砕くのに手こずるのだけど、比較的読みやすかった印象。ケロイド瘢痕によって、人前に顔を曝すことが出来なくなった男が仮面作りに励んでめっちゃ自意識に囚われる話。妻に、暴露ていることがわかられつつも、演技をしているんだと思われ、また自身にもその演技に乗っかることを求められてるんだと勘違いされ、勝手に幸せを感じられるも、違うと分かった時に罵られる感じ…ああ~男ってバカァ~女って怖ぁ~もっと優しくしてや~って思って面白い。
0投稿日: 2012.08.23
powered by ブクログ一時期、安部公房にはまっていた時期がありまして、 この作品では、科学は万能ではないことを読後に感じました。 また、顔の持つ意味についてもいろいろ考えさせられました。 作品は、顔に怪我を負った主人公が精巧な仮面を作り、別人として 妻に接近するという「本当かよ!」的な展開をみせていきます。
0投稿日: 2012.08.11
powered by ブクログ顔を失う苦悩はとても想像できないけど,それがリアル過ぎるくらいリアルに描かれてる。 「顔」 について考えさせられた,というか作中で男が色々考えてるからひたすらそれを追ってる感じだった。情報量多くて読むの大変だったけど読んでよかった。
0投稿日: 2012.06.10
powered by ブクログ『人は見た目が9割』なる新書が、かつてブームになったことがあった(不肖ながら、私は未読だが)。「9割」という数字に対しては各方面から批判を浴びたようである。だがそれでも、外見がその人の印象を決める大きな要素であるということは、認めざるをえないだろう。 主人公は「顔」を亡くした男だ。「顔」の喪失は、いうまでもなく、外見の大きな変容となる。ましてや、「顔」である。他者からみた「顔無し」の印象はいかばかりのものか? 人間がコミュニケーションをとるうえで、顔の存在は大きいようだ。「目は口ほどにモノを言う」ともいう。つまり、目のわずかな動きが感情を表す(相手が読み取る)のである。ムスクルス・ツィゴマティクス・ミノールを両側に引っ張ると、笑うことはできても微笑めない(『壁 第二部 バベルの塔の狸』参照)。このように、細やかな変化でさえ、他者への影響は大きく変わる。それが顔によるコミュニケーションだ。 「顔」がなくなれば、こういった細やかなコミュニケーションはとれなくなる。孤立化は必至だ。 ならば、「顔」を再生させれば、再び正常なコミュニケーションがとれるようになるのだろうか? この思考実験を実証するために、男は「顔」を再生させた。ただし「他人の顔」で。つまり、「顔無し」のコミュニケーション不可能性と「仮面」のコミュニケーション可能性をまとめて実証しようとしたのだ。 では、実験方法は?――不倫である。「仮面」男が「顔無し」男の妻を寝取る。「仮面」男が妻をモノにできれば、実証成功だ。「顔無し」はご退場願うおう。むろん、そう容易く割り切れるものではない。なぜなら、実際は、寝取りと寝取られが同一人物なのだから。つまり、この実験はそれ自体が男の嫉妬を掻き立てるものなのだ。なんともいびつな三角関係だ。 実験の結果はどうなったのだろうか…? そう、男は完全に勘違いしていたのだった…。
2投稿日: 2012.06.06
powered by ブクログ途中から嫌な予感しかしない。おっさんが空気読めないのは「通路」が壊れてるせいなの? 顔を醜いケロイドで覆われ、コンプレックスに溺れたおじさんの迷走の記録。ダイエットに取り付かれる自分を見ているような錯覚。 これまでの積み重ねで得た「社会的に安定した立場」と、突然の事故で押し付けられた「ケロイドに覆われた顔」。私は、前者が主人公の本質の証明で、後者は主人公に付随する、無意味な記号のひとつだと考える。たぶん、多少とも情を持つ人間ならそう考えると思う。主人公を取り巻く妻や研究室の人々もそうだったはず。ここには優しさよりも無関心が働いているのかもしれないけど。 だけど、本人はそういうわけにはいかない。 顔に包帯を巻き、そのことで得られる利権を力説し、自分は顔なんかどうとも思っていないこと、「自分を恥じて顔を隠している」わけではないことを全力アピールしなきゃいけなかった。(後々彼が痴漢に走るのも、覆面の利点を証明するためだった気がする) それで、「顔なんか気にしてる低俗な奴」てレッテルを周囲の人間に押し付けたかったんだろなぁ。 髢の一件もそうだけど、自分がくだんないコトに捕われていると思われたくないんだろうな。そういうプライドの高さが、仮面をつけたときの派手な性格に現れてるんだと思う。私自身が見栄っ張りなので。 能面のくだりで、表情は頭蓋骨の形そのものから来るという考えと、見る側によって変わってしまうのだという考えが交錯する。 どちらも真実なんだろうけど、主人公は見る側の問題、外見ばかりに捕われているように見える。問題点が自分の中にあることを認めたくないんだろうなぁ。 だから、「他人との通路を修復する」と大義名分を掲げながら、最も身近な他人、妻への復讐というよく分からない方向へ突進していく。 そして鼻高々に復讐の顛末を記したノートを作成、妻から呆れられる。 妻もなくしプライドもずたずたの主人公は、なおも言い訳しながら行動に出る。行動しなかった矮小な自分を捨て、まだ妻に否定されていない「禁止を破っちゃえるワイルドな」痴漢へ…って、結局しょうもないじゃないかw しかしおっさんは、しょうもない自分を受け入れるのだった、てオチ、なのかな。またしても、目的が手段に食われてる。 解説では、妻の手紙は妻が書いたのではないかもしれないと仄めかしているけど、私はなんとなーく、そうは思わない。 その方がエンターテイメント的だし、最後の場面でも都合がいいとは思うけど(女の足音=妻で実質的な復讐)、それ以外に、妻の手紙が捏造である必要ってないのでは… 妻の匂いが偽装工作ってのもいやだし、このおっさんには一生しょぼく生きてほしいw お話としては惨めなおっさんの言い訳として捕らえたけど、「顔」についての考察、見るものと見られるもの、乗り越えたくなる禁止の柵など、安部作品ではお約束のキーワードはもちろん重要だと思う。 一回読んだだけじゃ物足りないので、また時間があるときに読み直したい。
3投稿日: 2012.05.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【考えさせられる1冊】 ケロイドで悩む男の心情描写は、著者が自己体験に基づいたかのように、詳細で且つリアルである。顔というものが、人の身体の中で重要視されているのかを再認識させられる。最終部で、妻が夫に綴る文章は、「顔」=「変わるもの」、「心」=「変わらないもの」を表現しており、妻が愛していたのは、変わらないものであるというものであった。その時に自分に問う。もし、自分の愛する人が、今までの顔が潰れ醜くなってしまった時、私は本の中同様「心」=「変わらないもの」と捉え、愛し続けることが出来るのだろうかと。。。答えが「No」なのであれば、少なくとも自分が愛する人に対して、「顔」という条件が入っているという証拠なのではないだろうか。 顔の重要性を考えたことがなかった私にとって、新たに考える軸をくれた作品であった。
0投稿日: 2012.04.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『他人の顔』は、安部公房の小説である。 化学実験の失敗による爆発が原因で、顔の前面に大やけどを負った主人公が、顔を失ったことによって消滅しつつある妻の愛や社会的地位を取り戻そうという目的で「仮面」を作り、それを被って街に出る。 「顔」というものは、確かに身体全体のごく一部分に過ぎない。しかし、実際の役割は非常に大きく、「社会と個人との通路」なのである。その「顔」を失った人間は、果たしてどのような存在であるのだろうか、という思考実験的なテーマに沿って描かれている。 物語の流れは緩急の差が激しく、前半の長々とした準備期間の描写から一転、後半の畳みかけるような仮面の活躍には驚く。 安部公房の、深く鋭い観察と、それを的確に言語へと落とし込む文学性が織りなす、卑近であり遠大である「非ユークリッド的」小説であると感じた。
0投稿日: 2012.04.13
powered by ブクログ感想*液体空気の爆発で顔一面ケロイド瘢痕となり、妻の愛を取り戻すため仮面を仕立てて妻を誘惑する男の自己回復のあがきを綴った安部公房の有名な長編。物語としての展開はあまり無くて、妻への手記として長々弁明をしている話。人間失くしたものについて考えないようにしようとするほど執着してしまうものなのかなということと、素顔と化粧、覆面と仮面の方向性の違いと、ガン患者たちとも違い顔がないという悩みが社会と共有できない孤独なんていうのに興味深かったけど、いかんせん主人公がとても陰鬱で理屈屋!!(笑)なので妻からの手記にとても共感してしまった。。誰しも持っている「顔」と関わって生きている人間の存在の不安定さや曖昧さについて考えてみるのも面白いですね。しばらく読み返したくないけど…(笑)
0投稿日: 2012.04.01
powered by ブクログまさに「狂気」だよなぁ。 ケロイドにより顔だけでなく心すら ゆがみを生じてしまった男の悲劇です。 特に、ある事実が露呈してしまってからの 崩壊のさまは筆舌に尽くしがたいです。 哀れさが文章に乗り移っていて。 そして決定的なある「もの」により 彼は完膚なきまでに打ち砕かれ… でも人の心もそうなのかもしれません。 それを本中では「仮面」に置き換えて… なんか人事ではないなぁ。
0投稿日: 2012.04.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
実験により顔に傷を負った男。自分から妻が離れていくと子を感じた男は他人の顔を自分の顔に装着し生活を始める。男の正体に気が付いているのは変装用に借りたアパートの管理人の娘だけ。妻を誘惑し自分と仮面の自分と妻の三角関係に悩む男。男の手記を読んだ妻の手紙に隠された秘密。
0投稿日: 2012.02.15
powered by ブクログ私たちの生活は顔に支配されている。 そんな妄想、でもとても現実的な指摘に、 自分の生活を振り返らずにはいられない。 初恋の人を思い出す時、一番に思い浮かぶのは顔である。 誰かを思い描く時、そこには決まって顔が出てくる。 目が見える私には、視覚から逃れられることはない。 こうして、見える、という体験をしてしまったからには。
0投稿日: 2011.11.30
powered by ブクログひとつのことについて、こんなにも深い思考をめぐらせるとは。とってもフィクションなようで、実はものすごくリアリスティック。安部公房、おそるべし。
0投稿日: 2011.11.21
powered by ブクログ素顔が仮面なのか、仮面が素顔なのか。 誰でもない他人になれるのか、紛れもない自分なのか おもしろかった、最後がよかった
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ事故によって顔に深刻なケロイドを負った男性が、まったくの他人になるため仮面をつくり、仮面の人物として自分の妻と逢引きをする話。 クライマックスまで細々とした描写が続きますが、最後には大どんでん返しが待ち受けています。 それも、これまでの記述の意味を逆転させるだけでなく、一点に縛り上げていた鎖を引きちぎり自由な考察の空へと羽ばたかせる効果があります。 大変面白い作品でした。
0投稿日: 2011.07.02
powered by ブクログ高校の卒論で扱った小説 心の襞をめくって覗かれるような感じがします ぬるっとした風が一瞬吹いたような
0投稿日: 2011.06.03
powered by ブクログ主人公は学者というだけあって物事を論理的に、筋道だてて理解しようとする。時間軸もととのっており、そのせいで主人公の仮面に自分の存在の保証を求める態度から仮面の自由へと魅せられていく変化は理解しやすい。その中で特に印象に残ったのは主人公が妻を強姦しに行く妄想をするシーンだった。そこだけは一見実際に起こったことなのか、主人公の創造なのかわかりづらく読みながら悪い夢のような印象を受けた。仮面によって主人公の屈折した欲求が現れたとみるのは安易すぎるだろうか。ここでは最後に妻によって触れられるように行動しなかったことに意味があるのではないだろうか。なぜ行動できないのか。思想と行動の一致を考えるのなら、彼がそれを行わなかったのは彼が望まなかったというだけのことで、頭に浮かんだだけで本来的に望みはしなかったのだ。仮面という自由を手に入れても彼は本当にそのような行為を望むことはできなかった。それがどういう意味か。主人公は他人の眼に映る自分の顔を描いて、仮面にのめりこんでいく。でもそれはただ映っているだけで、決して他人を描けていない。他人の心理描写が少なすぎる。常に関心は他人の目を介した自分にしか向かっていない。そこを妻にも「鏡でも覗いていろ」と指摘されるのだ。仮面に臨んでいた他人の回復と、他人の破壊ともとれる強姦は一致しない。だから主人公はそれを行動に移せなかったのではないかと思う。 そしてたぶん、この後も彼は行動に移すことはできないように感じる。
0投稿日: 2011.05.19
powered by ブクログ初期の作品なので荒削りだが、一貫した著者テーマをすでに感じさせる作品。リアルな陰惨さと、男女の愛憎を表現し、顔について、深く、またぼかして表現している。雨の日に読むと、楽しめたり、喰われたりしてしまう、鮮烈な作風。
0投稿日: 2011.05.12
powered by ブクログ久々の小説。面白かった!延々と続く「顔」についての考察がとても興味深かった。 完璧な匿名とは、完璧な集団に、自分の名前をいけにえとして捧げてしまうことである。それは、自己防衛のための、知能的なからくりというよりは、むしろ死に直面した個体がしめす本能的な傾向なのではあるまいか。ちょうど、敵の侵略に際して、民族、国家、同業組合、階級、人種、宗教等々の集団が、まずまっ先に忠誠という名の祭壇を築こうとするように。個人は、死に対して、つねに被害者だが、完璧な集団にとっては、死は単なる属性にしかすぎないのだ。完璧な集団とは、本来的に、加害者的な性格をおびるものなのである。完璧な集団の例としては軍隊を、完璧な匿名の例としては兵隊を、それぞれあげれば、まず理解には事欠くまい。
0投稿日: 2011.04.04
powered by ブクログ顔の分析や仮面の加工工程は、理系っぽくておもしろい。 仮面の独り歩きや妻の行動に対する主人公の葛藤は、文系っぽくておもしろい。 一読で2つの味が楽しめる一冊。 ついでに、話の展開が登場人物たちの手記に頼っているところは箱男っぽいけど、こういう形式も好き。
0投稿日: 2011.03.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人の精神構造と人間性を非常にうまく表現した作品。作者の想像力にも感服する。ストーリーに惹きこまれた。仮面を被ることで人間の暴力性が露呈。顔についての社会の通用性を描き、最後でストーリがひっくり返る構成も気に入った。
0投稿日: 2011.02.28
powered by ブクログ液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛を取り戻すために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、"顔"というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、曖昧さを描く長編。 戦後派。 非現実的な世界を描く中に現実の不条理を浮かび上がらせる超現実主義的な手法をとり、社会の中での人間の実存を追求した。シュールレアリズム。 代表作 赤い繭、壁ーS•カルマ氏の犯罪、砂の女、他人の顔、箱男、方舟さくら丸
0投稿日: 2010.12.23
powered by ブクログ多分、再読する事で評価が変わるのでは無いでしょうか。難解すぎます。事故により顔を失った主人公が、妻を振り向かせるために、苦労して造った本物そっくりな『仮面』を被る。そこからの物語の描写が殊にこの小説のテーマである『顔の必然性』を事細かく書かれています。顔が無いのであれば、国籍なども判らなくなるのでは無いのだろうか。では一体顔とは何なのだろうか。その様な人間としてのあいまいさを問うている作品なはずです。とにもかくにも難解すぎます。
0投稿日: 2010.10.26
powered by ブクログ切ない夫婦の物語。 外見偏重主義を疑い、 人をを信じる強さを持たなければいけないと教えてくれた1冊。
0投稿日: 2010.10.12
powered by ブクログ安部の作品は、いくつも読んでおり、これも大昔に読んだことがあるのを、今回再読。 顔如何によって個体が不安定になりうることがよくわかるが、小説としては長すぎるような感じ。解説で大江も書いているが。。
0投稿日: 2010.10.11
powered by ブクログ20100913 血の滲むような文章だ。一文一文が噛みしめるに値する濃さ。 最近、新潮社の文庫版が作者撮影写真を用いた新装丁に次々改められているらしい。「他人の顔」は旧装版しか見当たらなかったけど、読み潰しそうなので古いのを買ってきた。新装版が出たらそれも買おう。文字の小さい「箱男」も本当はほしかった。
0投稿日: 2010.09.16
powered by ブクログ事故で顔をケロイドに覆われた主人公が、仮面をかぶり自分の妻を誘惑するまでの主人公の心情を描いた作品。 何よりも興味深いのが、仮面を作り妻を誘惑するという行動の描写に焦点をあてるというよりも、仮面を作りながら計画を練る主人公の心情の描写に多くのページが割かれていると言う点である。 ただ単に出来事を追うという感覚ではなく、主人公の思考の変化を自分が主人公になったような感覚と共に追うような作品。 ページ数は決して多くないが、かなり読み応えがある。
0投稿日: 2010.06.27
powered by ブクログ※読む前の方は厳禁 ※単なる私の見落としだとしたら失敬 ◆読書後に残る疑問◆ 「磁場の歪み」のトリック ー「妻の手紙」の書き手は、妻か、それとも?ー 「私だって、あの最初の瞬間・・・あなたが、磁場の歪みだなどと言って、得意がっていた、あの瞬間から、すっかり見抜いてしまっていたのです」という妻の手紙に、疑問を抱かなかっただろうか。 そう、『あの瞬間』とやらが存在しないのである。 読破直後、おや?と思い簡単に文章を2度見返したが、磁場の歪みを得意がる『現実の』場面が一切見つからない(見落としか?)。しかし恐ろしい発見。代わりが見つかったのだ。ぞっとするような、『仮想の』場面が。 それは、主人公が仮面を被り、いよいよ事を実行しようと妻に声をかけ、にこりともされず凝視されるシーンの直後。 ”p211 おまえの一瞬のためらいによってぼくらの間に生じた、磁場の歪みの意味を、くわしく問いただしてみるゆとりもなく” ゆとりもなく、という言葉の上に点をおいて強調させたい。 そう、磁場の歪みの意味を聞かずに、バスの発着場の場所を尋ねているのだ。主人公の頭の中に浮かんだだけの言葉なのだ。 さて、そしてそのまた直後の欄外注は物語の結びを既にこうほのめかす。 p211(欄外注:この磁場の歪みという表現は、じつに当を得ている。どうやらぼくは、その瞬間の重大な意味を、薄々ながら予感していたらしい。・・・略・・・しかしその予感さえなく、もしここの数行がまったく欠けていたとしたら・・・思っただけでも、ぞっとする・・・ぼくは、鈍感の罪によって、滑稽の刑を宣告され、すること、なすこと、すべてが笑いの種になるばかりで、この手記も仮面の記録ではなく、単なる道化の記録となってしまうことだろう。道化もいいが、道化を自覚しない道化にだけはなりたくないものである) 末尾に関する皮肉溢れる明らかなる暗示がある。読破後にここを再度確認させる意図が汲み取れる。 すると当然疑問が残るわけだ。妻は、「磁場の歪み」について手紙に書けるはずはないのだ。主人公の仮想を読み取っていることになる。では、あの手紙の書き手は一体誰なのか?非常に不可思議なことになってくるが、答えは検討がつく。主人公でも、妻でもない。主人公の仮想を読み取れる者、すなわち、仮面の男である、と。 解説で大江健三郎がこう記す。 「妻の手紙のはたす役割は弁証法的な触媒の効果とでもいうほかにない性格のものである。この手紙は、実際のところ、他のノートと動揺に、仮面の男自身が書いたものではないか、とさえ疑われる程だ」 大江氏は、疑問の理由を特に述べずにこう記しているが、これは「磁場の歪み」が仮想の場面で成されたというトリックからの考察ではないだろうか。 つまり妻の手紙は、仮面の男自身が書いていたという真の解釈が導き出されるのだ。 すると、最後に、何が起こったのか。事はどう解決されたのか。 妻に拳銃を向けて、素顔に打ち克ったと解釈するのが普通(というか第一の解釈)だろう。 しかし、このトリックがある以上、実際は妻ではなく、主人公に拳銃は向けられたという第二の解釈に、作者の意図があるのではないだろうか。 だとすると、 p211の「道化もいいが、道化を自覚しない道化にだけはなりたくないものである」という部分、 これが主人公の真の願い、すなわち素顔に打ち克つ方法なのか。 いやん、安倍さん、テクニクシャン。 こういう部分が最高に楽しい作家だ。 んー、しかし結局、私では一度普通に読んだだけじゃわからん。考察本が見つかるまで(「顔」についての考察は沢山あるのだが)、ひとまず、これはひとまず図書館に返そう。次の人の為しおりをp211に挟んだ状態で。 ------------------------------------- 何故か、この文が記憶に残る。 蜜をとかしたような雨まじりの風が、今夜もせがむようにして、窓を枠ごとゆさぶりつづけている。 2010年2月10日 朝4時
0投稿日: 2010.02.10
powered by ブクログSFとしても楽しめる。安部公房の作品の中では一番好きかも。男の『顔論』に圧倒され、思考の迷路に迷い込まされる。一度塞がれてしまった他者との通路は、もう二度と開かれることはないのでしょうか。そんなことはないと、私は信じたい。
0投稿日: 2009.12.18
