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リア王
リア王
シェイクスピア、野島秀勝/岩波書店
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総合評価

34件)
3.5
5
7
14
3
0
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初めてシェイクスピアを読んだ。 リア王と姉妹もグロスター親子もどっちもどっちという感じ。なるほど悲劇やなあ。 (大竹しのぶさんの『リア王』を観劇するための予習として読みました。舞台はとてもよかったです)

    2
    投稿日: 2025.11.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    四大悲劇のひとつ。3人の娘に土地を分割しようとした王が、おべっかの使えない末っ子を信じられず、長女と次女にだけ分割。末っ子を追放。その後長女と次女に冷たくあしらわれ、末っ子の性格の良さに気づくも⋯。 最後はみんな死ぬんかい。 と大筋はよく分かるも、読み手の問題だが、登場する様々な人物のやりとりを咀嚼しきれず、読みづらい印象を受けた。 個人的に四大悲劇の面白かった順は1位ハムレット2位オセロウ同率3位マクベス、リア王という感じ。もはやマクベスは思い出せないが。

    0
    投稿日: 2025.08.04
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    350P ウィリアム・シェイクスピア イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。 リア王 by シェイクスピア、大山俊一 【エドマンド】 正しいことをしていながら 悔やまなければならないとは、私の運命は何と意地悪なのでしょう! これが父の手紙です。これで父がフランス側の利便をはかるスパイであることがわかります。おお天よ! こんな 謀叛 があろうとは! しかもその発見者がこの私であろうとは! 【オールバニ】 おおゴナリル! 君は荒々しい風が君の顔に吹きつける 塵 ほどの 価値もない。わたしは君という人間の人柄が恐ろしい。 生みの親、 大本 を ないがしろ にするような性格は、 それ自身の枠内にとどめておくことは大変にむずかしい。 自分の 生命 を養っている樹液の本、大木の幹から 自分を引き裂き、切り離せば、枝葉は枯れ 萎むに決まっている。 かくして 薪 になり、 果 は 焚かるるなり。 【オールバニ】 英知も美徳も心 悪しき者には 悪しざまに見える。 汚れた人間は汚れた味しかわからない。君らは何ということをやったのだ! 虎だ、娘ではない、君らは何ということをしでかしたのだ! 父親を、心の優しい老人を……首根っこの 鎖 で引き回される熊でさえ、 手を 舐めて大いに敬意を表するだろうこの老人を…… 何たる野蛮、何たる極道! その年寄りを気違いにしてしまった。 わが弟のコーンウォルがそのようなことを黙認したとは考えられない。 老王にあれほどの大恩ある男として、王侯貴族として! もし天がこれら非道の 罪人 どもを 非道 い目にあわせるために、 しかと目に見える形で天使たちをすみやかにお 遣わしにならないようなら 必ずや起こる、 すべての人類が 獰猛 な動物となり、互いに相手を食い合うようなことが。 ちょうど深海の怪物のように。 【ゴナリル】 グロスター、 謀られたのです。 戦いの定めによれば、あなたは名も知れぬ 輩 などを 相手にする必要は毛頭なかったのです。あなたは負けたのではありません、 ペテンにかけられたのです、 騙されたのです。 ある。『リア王』は王リアの「自己発見の歴史」と見る批評家もいる。簡単なものから複雑なものまで実に千差万別である。そして言えることは、これらの見方のいずれもが、たしかに『リア王』の一側面を捕え得ているということである。さらに大まかな言い方をすれば、『リア王』はこれら多くの問題点、視点のすべてを含んだ巨大な複合体というようにも言い得るかもしれない。そういう意味では、『リア王』のような大作では、いかなる批評、解説も不当な単純化にすぎず、『リア王』という巨大なエネルギーの 坩堝 に投げこまれる一要素にすぎないといえるかもしれない。 『マクベス』のパラドックスは門番のいう「ぼかし屋」の論理であり(二幕三場七行)、『マクベス』の悲劇はこれに悪乗りした男の悲劇である。『マクベス』あたりになるとジェイムズ王朝も相当に板に付いたという感じだ。しかしジェイムズ王朝人としての作家シェイクスピアの最も重要なポイントは、シェイクスピア自身はこの「ひねり」に悪乗りするようなことは決してなかったということだ。エリザベス朝人シェイクスピアだろうが、ジェイムズ王朝人シェイクスピアだろうが、彼にはいつも 人間性 の背骨が一本しっかりと通っていた。そのことが同時代の数多くの作家たちとシェイクスピアとをはっきりと区別していた。

    0
    投稿日: 2024.10.23
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    シェイクスピア作品を読んでみたくて手に取った一冊目。 何か壮大なものを感じながらも、自分の読解力では情景をイメージしにくく、ピンとこなかった。 悲劇というか、リア王も因果応報だろうなと思い、特に共感もできませんでした。

    0
    投稿日: 2024.06.01
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    今まで読んだシェイクスピアの戯曲の中では、ダイナミックで波瀾万丈。深い。でも戯曲は読みにくい。人物一覧を繰り返し参照しながら読み進む。

    0
    投稿日: 2023.10.29
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    リア王は立派な王だと思って読んでみたが、少しも立派ではなかった。いわゆる一人の父親であり、遺産を娘たちに分与する資産家に過ぎなかった。 リア王以外に立派な人がいたかは難しい。遺産を拒んだコーディーリアか、王に苦言申し上げたケント伯だろうか。でも、結局、いなかったのかもしれない。立派さに力点をおく作品ではないから。強いて言えば、あの嵐が立派だったのかもしれない。 序盤は話がぶつぶつして煮え切らないのが、グロスター伯の目が潰れた辺りから、急速にまとまっていく展開だった。最後は悲劇ということらしいのだが、そして、誰も居なくなったわけでもないので、喜劇になりそうな気もする。まぁ、リア王にとっては悲劇だとしても。

    2
    投稿日: 2022.12.31
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    「風よ、吹け、お前の頬ははちきれろ、荒れろ、吹け。("Blow, winds, and crack your cheeks! rage! blow!")」(第三幕第二場) シェイクスピアの四大悲劇の1つ。 その悲劇の内、最も悲壮、最も大規模と言われる。 ブリテン王リアは年老い、領地を3人の娘らに分配しようとする。 上の2人の娘ゴネリルとリーガンはここぞとばかりにおべっかを使う。末娘で最もかわいがられていたコーディーリアは、深い孝心を持つにも関わらず、姉らのようにふるまうことをよしとせず、そっけない受け答えをする。これに激怒したリアは、姉2人に領地を与えたうえ、末娘を勘当する。彼女の心立てに感銘を受けたフランス王は妃として娶ることにする。 一方、リアはまもなく、姉娘らからひどい仕打ちを受けるようになり、供のものを減らされた上、追放同然に放り出される。 荒野で、リアは暴風雨と闘う。それが冒頭の引用部分。 苦悩に沈むリアは発狂する。 リアの窮状を知ったコーディーリアは、父を救おうとフランス軍を率いてブリテンに向かう。父娘の絆は再び結ばれたが、しかし、武運つたなくフランス軍は敗れ、リアとコーディーリアは捕虜となる。挙句、コーディーリアは絞殺され、リアは息絶えた娘を胸に抱いて絶命する。 何とも救いのない話である。 娘たちも腹黒いのだが、陰に暗躍するものがもう1人いる。 リアの元側近グロスター伯の庶子であるエドマンド。 父伯爵に嫡子エドガーが謀反を企てていると吹き込み、追い払わせる。一方で、既婚者のゴネリル・リーガンの両方を誑かす。グロスター伯はエドマンドの奸計が元で、リーガンの夫コーンウォル伯に両眼をえぐり取られる。 エドマンドは野心家で、どこか『オセロー』のイアーゴも思い出させる。欲得ずくだけではない。彼には明確な悪意がある。単に自身を引き上げるのではない。他を引きずり降ろして自身がその場を占めるのだ。その相手に向けられる、冷ややかな確固とした悪意。 もう何だかどこまでも悲惨である。 最終的にはゴネリルもリーガンも死ぬ。エドマンドもコーンウォル公も非業の死を遂げる。 ゴネリルの夫のオールバニ公だけは心底悪人ではなかったようで、彼がこの後のブリテンを統べていくようである。 何だろう。リアはどこで間違ったのだろう。 頑固で癇癪もちの性格が災いした? 姉たちの甘言を信じて王国を手放してしまったのがよくなかった? かわいがっていた末娘の本心を見抜けなかったのが不運だった? でもコーディーリアも変に意地を張るのもおかしいし、さらには邪だとわかっている姉たちに老父を委ねるのは軽率じゃないか? 本当の孝行娘なら止めるべきだったのでは? つらつら考えているうちに、でも何だかこれは必然だったのかなぁとも思えてくる。必然というか、運命というか。人生、思った通りに進まないことなんかよくあることではないか。 リアは娘に、グロスター伯は息子に、完膚なきまでに打ちのめされる。 正しい心の子どももいたのに。取り立てて愚かでも悪人でもないのに。 子どもの育て方を誤ったといえばそうなのかもしれないが、それにしても手ひどい。 嵐。嵐。嵐が吹き荒れる。 その中にリアは立つ。 負けるとわかっていても。勝てぬとわかっていても。 止める道化の言葉も聞かず。 それが死すべき身の人間に宿るわずかな尊厳だとでもいうように。 痩せた身体が、荒野にそびえ立つ。 *1948年初版、斎藤勇訳版

    4
    投稿日: 2022.01.10
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    塵、糞、粕、粗末な喜劇。前回、ギリシア神話の悲劇「オイディプス王」に最大の賛辞を送っただけに、青ざめるほどのつまらなさを感じた。そもそも悲劇とは何か。例えば、東日本震災を悲劇と見るとき、平穏に暮らしている人々の上に突如として不幸が襲ったために、悲劇として見る見方が成立する。対し、囚人を閉じ込めた監獄の天井がある日突如として落下し全員くたばったところで、これは喜劇である。これに当てはめれば、リア王は喜劇でしかない。また、例えば、男が自分の真上に高くボールを投げあげて、そうしてから男は自分が老体であることに気付いた。男は落下してくるボールを受けきれずに広い額に当たって動転、尻もちをついた。これはやはり喜劇である。そのまま死んでしまえば喜劇でないにしろ、絶句である。その絶句は、呆れでしかない。リア王はこの、呆れでしかない。で。悲劇でないから、作品が糞であるとかそういうことでは当然ないから、ひとつひとつ指弾していかなければならない。そのゴミ具合を。たくさんあって書くのも面倒臭いが、例えば何故コーディリアは王を愛したのか。作品からは、純朴の者が単に純朴さ故に父を愛した、という程度にしか把握できない。その設定だけでは昨今のライトノベルと同等である。3姉妹において対比される光であるにしろ奥行がない。宇宙から来た美少女が、とにもかくにも醜悪なじぶんを愛してくれる、それだけしかない。同様に、リア王にしても愛される背景が描かれていない。親と娘の信愛が無条件で成立している、とする作品は砂粒の数ほど存在するが、あくまでもそれは俗悪なもので、大衆に愛されるのかも知れないが、世界文学であってはならない。リア王がそれであるなら、ではちゃんと書け、としかわたしには出てこない。この話が、仮に世界の縮図であるなら(少なくともオイディプス王はそうだった)、せいぜい日本のバブル期の巨人の星がアニメ史上最高視聴率を獲得した時代にしか通用しないだろう。まだある。リア王は自ら狂人であるというし、読者もまたリア王は狂っているとためらいなく書くが(amazonなどを見る限りでは)、そんなに狂っているだろうか。会話の筋は通っている。単に幼稚なだけではなかろうか。狂人というより愚者である。終始王には道化が付きまとう。道化は狂人かも知れないが、わたしのなかでは彼の役割は預言者である。王も道化も狂人というならば、単純にキャストが被っている。ではわたしの読みに従って、愚者に預言者が付き添う、としたらどうだろう。オイディプス王では、懸命な王に預言者が助言をするが王は許せず突き返した、そして悲劇に繋がるわけである。そこを愚者に置き換える。愚者に預言者が預言を与えても愚者は何も解さない。道化は道化のままである。道化の役割も今一つとしか思えない。誰ひとり劇のなかで輝かない。喜劇にすらなっていない退屈なものだった。

    1
    投稿日: 2018.03.07
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    シェークスピアは、部分的にしか読んでませんでした。あらためて、悲劇作品を通じてシェークスピアの天才を垣間見た感じです。

    0
    投稿日: 2016.04.28
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    シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。 この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。 実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。 結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。 人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。 「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。 本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。

    0
    投稿日: 2016.03.22
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    初めて手にしたシェイクスピアでした。10代のはじめに読んだのかな。 正しい人が、したたかな人に陥れられる、厳しい現実を感じながら読んだのを覚えています。

    0
    投稿日: 2016.01.13
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    リア王は自分を裏切った娘を罵倒するシーンがあってその言葉が「ここまで言うか」って思うほどひどいんです。だけど、リア王の台詞や現代の小説にはない表現がされていて思わず読んでしまいました。小説ではないので読みにくいかもしれませんが、慣れると面白いです。

    0
    投稿日: 2015.12.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ブリテンの王であるリアは、高齢のため退位するにあたり、国を3人の娘に分割し与えることにした。長女ゴネリルと次女リーガンは言葉巧みに父王を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な物言いに、立腹したリアはコーディリアを勘当し、コーディリアをかばったケント伯も追放される。コーディリアは勘当された身でフランス王妃となり、ケントは風貌を変えてリアに再び仕える。 リアは先の約束通り、2人の娘ゴネリルとリーガンを頼るが、裏切られて荒野をさまようことになり、次第に狂気にとりつかれていく。リアを助けるため、コーディリアはフランス軍とともにドーバーに上陸、父との再会を果たす。だがフランス軍は敗れ、リアとコーディリアは捕虜となる。ケントらの尽力でリアは助け出されるが、コーディリアは獄中で殺されており、娘の遺体を抱いて現れたリアは悲しみに絶叫し世を去る シェイクスピアの四大劇曲の一つ。

    0
    投稿日: 2015.04.22
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    有名な四大悲劇のひとつ。解説によると、4つの中でも一番悲劇らしい。 コーディリアの「Nothingで真実の愛を全てわかって」というのは甘えんぼな気がする。お姉さんたちの言葉はまぁ大げさだけど、だからって疑うのも難しい。 普段の行動や状況から、相手のことを考えて察するのは素敵な思いやりだけど…みんな悲しい嘘はいいっこなしな世の中になればいいのにね。 いい子も愚か者も死んでしまうけれど、悪い人たちもやっぱり、最後は悪事がバレてみんな死ぬ。それなら私は、不器用でもいい子で終わりたいなぁ。

    0
    投稿日: 2014.12.26
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    悲劇中の悲劇。 訳し方が下手と言ったらあれかもしれないけど、原文をそのまま訳しすぎて、言葉の意味が成り立ちにくくなっているような感じを受けた。 最後の方は良かったけど、それまではとても上手く訳されてるとは言えない。 解説で、なぜコーディーリアとリアが殺されたのか、ということを書いていたのだけれど、その理由は“摂理”らしい。普遍性ではなく宇宙性。興味深い。 確かに、ただの勧善懲悪な話ではないのには、何かしらの意図があるのだろう。

    0
    投稿日: 2013.07.12
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    リア王と言うと嘘つき娘と正直娘の話しのように思われているが、実はもっと深い「人間の性」が引き起こす悲劇として描かれている。 権力への執着は、人間にもともと兼ね備わったものであるし、それに加え男女の愛憎も、この権力争いの中に織り込まれている。 ラストで、ほとんどのキャラクターが死んで行く悲劇を観て、観客の感じるものは人間の愚かしさであり、またそれが自分の中にもあることへの戦慄であろう。 悲劇の救いとなろうと予想された、末娘のコーディーリアの愛情や、リア王の家臣のケントの忠義さえも、この悲劇の中に飲み込まれていく。 詰まるところ、救いのない悲劇である。 どのようにして、この悲劇を回避すべきかは、観客に投げ与えられるのだ。 権力の魔性の恐ろしさは、愛情や忠義すらも無力なものにしてしまう。 シェークスピアは、まずはこの人間の本性に秘められた恐ろしさを、ニヒリスティックに観客に伝えたかったのかも知れない。

    0
    投稿日: 2013.03.31
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    シェークスピア四大悲劇の一つにして最高傑作と呼ばれることもあるリア王。他のものに比べてだいぶ世界観が大掛かりで、登場人物や話の筋も重厚。にしてもシェークスピアはなんでこうも最後で主要人物皆殺しにしたがるかなぁ。。。(あらすじ割愛。ググればでてくる) 元ネタありだが、悲劇にしたのはシェークスピアのオリジナルらしい。老齢・狂気・裏切り、なかなか濃い話だった。 マクベスのほうが好きだけど、まだ一回目で話の筋追うので精一杯だったからもう一回くらいは読んでみるかな、数年後。

    0
    投稿日: 2013.03.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    遺産分配の際に自分への愛を上手く伝えられないコーデリアを相続から外すリア王。フランス王と共にフランスに旅立つコーデリア。遺産分配後に2人の娘ゴネリス、リーガンに冷たくあしらわれるリア王。グロスター伯爵の元に身を寄せるが・・・。グロスター伯爵の庶子エドマンドの陰謀。陰謀により追放されたエドガー。ゴリネルの扱いに気がふれるリア王。リア王に追放されながらも忠誠を貫くケント伯爵。エドマンドにより追放されるグロスター伯爵。伯爵のために復讐を行うエドガー。上陸したフランス軍を率いるコーデリア。

    0
    投稿日: 2013.01.20
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     この戯曲はシェイクスピア中でももっとも心を刺す台詞の多い作品の一つである。  四大悲劇のハムレットの結末と同じく、救いはないのだが、そこはかとなくマクベスのような狂気もある。 また、この岩波のリア王は解説もまたたっぷりあって、脚注も本文の下に添えてあり、目に入らざるを得ないようになっているのだが、これはヘンリー四世の訳者が「まずは本文を読んで、解説はそのあとで」というようにいっていたのと対照的である。また、マクベスの訳者は当時のイギリスでの観劇者たちの理解は現代の文字をじっくり追う読者にまったく劣らないものだった、それは原文の言葉の絶妙な使われ方によると言っていた。が、このリア王の訳者はシェイクスピア劇は観るものでなく、読むものであるという意味に近いことを言っている気がする。こういう個性の洪水のような解説があるのもおもしろかった。

    0
    投稿日: 2012.12.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    常識として知っておくべきかと思って読んだ、ロミジュリ、ハムレットに次ぐシェイクスピア3作目。 残念ながら、深く物語の中に入り込むことはできなかった。初演されたという1605~1606年といえば、ちょうど日本では江戸幕府が開かれた頃だ。しかし以前アメリカ人に源氏物語を説明しようとして、現代語と古語はかなり違うと話したら、「僕達がシェイクスピアの時代の文を読むのと似たような感じだね」と言われたので英語圏の人から見たらそういう認識なのだろう。確かに事前知識無しで源氏物語のストーリーに引き込まれた、という人もなかなかいないだろうから、私と物語との距離は空間よりも時間の隔たりによる物だと思う。 読み終わってますます思うのは、シェイクスピアは人を殺して話を切り上げるのが好きなのではないかということだ。今まで読んだ作品にしてもこの『リア王』にしても、いくら悲劇とは言え、特に死ななくてもよいのではないかと思う人が死んでいる。またその死に方も、それまでの過程も昼ドラ並みのドロドロ感。キリスト教の教えにより自殺(日本なら切腹という手段があったが)が嫌われ、また仏教的な「輪廻」や「来世」という考え方もないからか、肉食的な争いだと思うのは気のせいだろうか。また世界史で学習したように王はあくまでまだ地位であり、日本での、神と同義語であった天皇の存在とは異なる。権力者に取り入るのはどこの世でも同じだが、複数の人間が天皇の命を、といった設定の話はまだ少なくとも私は聞いたことがないし(あるのかもしれないが)、仮に帝位を降ろさせたところで自分が天皇になれるわけではないのだ。そこが空間的に日本との違いを感じた部分であった。 私にとって、読む前の『リア王』の認識は、『赤毛のアン』でアンがマリラに向かって『コーデリアと呼んでくださらない?』と言った、そのコーデリアが出てくる話、というかなりズレたものだったが、空想好きで、思ったことがつい言葉や行動に出てしまうアンがリア王を読んで、孤児という自分の身の上をコーデリアに重ねていたのだということが分かったのは読後の収穫だった。有名な作品ほど、そして古い作品ほど(シェイクスピアやゲーテ、ひいては聖書など)引用されることが多く、やはりそういった作品に一通り目を通しておくのは、いつ・どこの作品を読む上でも重要なことであると思った。

    0
    投稿日: 2012.06.17
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    シェークスピアの4大悲劇の一つにも数えられ、確かに話し全体を見てみると悲劇であったが、所々に我々人類社会に生きる者に対して、というと大げさかもしれないが、教訓というか警鐘というか、何か伝えようとしている、あるいは皮肉っているようにも読め、非常によい作品であったと思った。。

    0
    投稿日: 2012.03.10
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    悲劇の、ラストに向かって雪崩のように突き進んでいくさまって、カタルシスだなあ・・・。リア王は、なんだかギリシャ悲劇っぽい。オイディプスとか。それにしてもなかなか卑猥な表現が豊かで、時代もあるのだろうけれど、シェイクスピアって大衆向けだったような気がしてならない。

    0
    投稿日: 2011.08.10
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    三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇。

    0
    投稿日: 2011.07.06
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     とりあえず訳注、読みやすい構成だったし文章だとわからない細かい舞台の仕草とか宗教上の比喩とか教えてくれるのはありがたかったんだけど、後々の展開までネタバレするのはやめて! こちとらあらすじもロクに知らずに読んでるんだよ! 訳者の想定より無教養なこっちが悪いのかもしれないけどさぁ。  また読めば理解が深まって印象が変わるのかもしれないけど、初見では虐げる者が虐げられる者に変わっていった印象。リア王にあんまり同情できなかったのは読みが甘いせいなのかな。自分から権力手放しておいて偉ぶってたらそりゃ嫌われると思うんだけど。  リア王は末娘コーデリアを虐げ、残った姉二人に虐げられる。グロスター公は庶子エドマンドの前でエドマンドの母親との情事を語るという無神経な振る舞いをするが、後にリア王への忠義を見せ両目を抉られる。姉二人はエドマンドに弄ばれる。コーデリアは終始父思いだが、しかし父にねだられて唱えた愛の言葉は、いささか言葉足らずだったのは否めない。  善と悪、加害者と被害者、賢者と道化が移り変わる。なるほど、普遍的で面白い。

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    投稿日: 2011.06.25
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    ●高慢だったリア王が、2娘に虐げられて自身の短慮を知り、卑屈になっていく様は衝撃的だった。立場や環境の変化が、こうも短期間に人の本質を変容させるのか。言い換えれば、幼稚ともいえるような本性が露顕したものが、苦難を経て今あるものを受け入れる心境に成長したのか。 読了日:2011/06/22

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    投稿日: 2011.06.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    シェイクスピアの名言は、たくさんあるよね。 シェイクスピアの本を、小説で読みたいと思った時期もあったけど、 きっとこういう演劇台本のような形だから、 名言が背景とともに美しく浮かび上がるんだろうね。 人間の想像力の力に、乾杯!

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    投稿日: 2011.03.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    エドマンドにはめられ逃亡中のエドガーと、娘2人に命を狙われコーディーリアへにしたことを後悔して狂いはじめるリア王、それぞれ物語りの裏と表が進行していて、展開がとてもドラマティックな印象を受けた 作中何度も繰り返される'nothing'の言葉の意味。無から生まれる有。つまりコーディーリアの愛、という解釈、この「リア王」のテーマはそこなのだろうか わたしは、作中でもでてくる「運命の女神の歯車」がきれいに一周したイメージを抱いた。つまり最初に権力も知恵もあった者、有体に言えば勝ち組が、中盤では他人の策略に落ち、落ちぶれるが、最後には本質を取り戻す。 不変なものはなにひとつない(nothing)、運命の本流に流されるまま物語は転がる、そのなかでたったひとつぶれない無言で(nothing) 示すコーディーリアの愛情、それに気づくリア王、しかし最後に舞台に残る者はだれもいない。壮大なトラジェディ。 なんて全然シェイクスピア詳しくない自分ですが、さまざまな学者さんのすばらしい解釈が溢れるなか恐れ多くも感想をここに投下 4大悲劇全部読み終わりました。喜劇読むぞー たのしみ!

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    投稿日: 2010.12.03
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    前読んだリア王より表現がくだけてたので分かりやすいなあと思いました。 細かく解説もついているので置いてけぼりにならない!

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    投稿日: 2010.10.29
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    「リア王」も「ハムレット」も「オセロ」も「ロメオとジュリエット」も……、誰でも知っているシェイクスピアの戯曲は、それなりに読んだつもり、だけど、私は「戯曲」という文学形式を些か苦手としているかもしれません。ともあれ取り急ぎ、代表として、リア王を挙げます。(マクベスとかハムレットとか、幽霊が出て来たり魔術が出て来るほうが好きかも)。これもまた、純然たる「悲劇」だ。ただ、どうして末娘はいい娘なの?どうしてお姉さん(たち)には邪念がつきまとうの?シンデレラしかり(継母という事由を差し引いても)、「美女と野獣」しかり、オオクニヌシノミコトしかり(あそこはお兄さんたちだけど、あれは酷すぎる)、想い出せばいくらでも出て来る。長女の私には納得できぬ。と、些かの個人的トラウマを含めて「リア王」に代表していただきました。

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    投稿日: 2009.05.17
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    グロスターが惨いことに… あずみの『きく、無惨』を少し思い出しました。 個人的にはなんだっけ、〜マンドのお兄さん(エドガーかな?)がスッキリポイントです。

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    投稿日: 2008.04.25
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    なんで気付かないんだ、と思わせるような変装のオンパレード。 なんて悪いんだ、という上の姉二人やエドマンドはいっそすがすがしいですね。 シェイクスピアにありがちですが、最後物語が急速に収束するにあたって人が死ぬ死ぬ。 Nahum Tateによる改作・ハッピーエンドリア王読んでみたいかも。

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    投稿日: 2008.04.20
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    三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェイクスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇(表紙より)。

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    投稿日: 2008.02.17
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    これは劇でもやったことがあるかなり印象的な作品です。 私はシェイクスピアのこの容赦のなさが好きなんだろうな。

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    投稿日: 2007.10.13
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    シェイクスピアの作品の中で『リア王』が一番好きだ、なんて言ったら通の人にばかにされるかもしれないけど、糞ったれな中坊のこころに届いたのは確かにこの作品だった。

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    投稿日: 2004.10.01