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ミドリさんとカラクリ屋敷
ミドリさんとカラクリ屋敷
鈴木遥/集英社
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総合評価

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    ミドリさんの人間的な魅力が凄すぎてとても面白かった。面白かったし読みやすかったが図などがないとわかりにくい事柄もたくさんあり、理解しきれないまま読み進めた(でも面白いからOK)ところが多く、消化不良ではある。 ご近所野幌の開拓の頃のことも少し知ることができ、興味とワクワクが詰まった一冊。

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    投稿日: 2022.07.20
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     ミドリさんと屋根から煙突の伸びる素敵な家。屋根も柱も建具も庭も、何もかも手を抜かず美しい。ものを作る楽しさとはこういうものなのかと思わせる。  書かれていることは美しく、豊かなのだが、微妙に構成が悪い。情報量が少ないというかとっちらかっている印象があり、もったいない。  実際に作者が知った通りの時系列にとらわれずに、ミドリさんの故郷、生い立ち、なぜこんな家を作ったのか、住んでいる人、など章ごとにまとめたほうが読みやすいんじゃないかなぁ。  あと、フィクションの児童文学として読んでみたい。  ある小学生が、帰り道に「いつもと違う道を通ってみよう」と歩き出す。すこしずつ見なれぬ場所が出てきてわくわくしていたが、やがて「知らないところ」に居ることに気づいてしまう。不安な中、見たことがあるものがないかとあたりを見回すと、そこには屋根から電柱が伸びる、奇妙な家を見つけた。  ふらふらとその家に進んでいく小学生。そこでその子は、ミドリさんと呼ばれるおしゃれなおばあさんと出会い、思いもよらぬ経験をするのだが、それはまた別のお話。

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    投稿日: 2016.09.18
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    平塚にあった、屋根から電信柱が突き出ている風変りな家の持ち主、木村ミドリさんの一代記? ミドリさんや身内の人たちの言動や生き方など痛快なんだけど、主題が何なのかよくわかんなかった。ユニークだったり進取の気性に富むのって、わりと血筋によるのかなと思ったり、同類は結びつき会うんだなと思ったり。

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    投稿日: 2016.07.03
  • もうこのまま朝の連ドラにでもしていいんじゃないかと言う話だった。史上最年長100才のヒロイン

    平塚市には電柱柱が突き出したお屋敷がある。木造二階建てで屋根は入母屋造り。曲がり屋と言うL字の形の作りになっていて立派な庭があり、そこここに色々な意匠が盛り込まれている。二階はみどり荘と言うなのアパートになっていてそのオーナーが主人公木村ミドリさん今年100才。最近ぶらり途中下車の旅に作者共々出たそうだ。 作者の鈴木遥さんが高校生の頃たまたま見つけ、大学進学で地元を離れる前についにこの屋敷の話を聞きたいと訪問したのが出会い、電信柱が飛び出した家が奇天烈なら、作ったばあちゃんはもっと強烈だった。「あんた、そんなに建築好きなら建築家になりなさい」と言われた鈴木さんは古い街並の研究を始め、3年後にまたミドリさんの話を聞きに戻る。 ミドリさんは北海道新潟村生まれ、両親はともに新潟県で生まれ子供の頃に新潟村の開拓に北海道に渡ったこの木村家と母方の武田家は成功を収め、ミドリさんの実家も曲がり屋のお屋敷だった。もともとの曲がり屋は厩をつなげ外に出ずに馬の世話ができるようにしたもので子供の頃背が高く電信柱と言うあだ名のついたミドリさんは手綱も着けずに馬に乗って遊ぶお転婆だった。大家族の木村家から養子に出され新聞配達の手伝いをしたら無くしてしまい、新聞が無くなったからもういいやと実家に戻ってしまう、わずか三日。親もおおらかでじゃあそうかとそのままもどったらしい。 ミドリさんの実家は原生林伐採が許可されていたらしく家には職人集団が住んでいた。材木だけただで渡して後は自分で作らせたそうで子供の頃から職人仕事を見たミドリさんは独学で建築を学んでいく。実家の仏間は開店扉になっており、押し入れはほかの部屋につながる。からくり屋敷と言うより忍者屋敷だが抜け道はいざという時のために作っておくもんらしい。近くに林業試験所ができそこを手伝い重宝されたことが木村家、武田家の発展の礎らしい。明治44年東宮殿下(大正天皇)がこの林業試験所に来ることになり父親が橋を造った。林行橋、そのままだ。滞在中の8月31日にミドリさんの兄が誕生し、次郎となるはずが東宮殿下が悠(ひろし)と命名したと次の日の新聞に出た。聞いてません!ということで戸籍上は悠だがみんな次郎と呼ぶ。学校の先生は悠と呼ぶが次郎は返事をしない。なかなかのもんだ。 昭和8年、ミドリさんは近所に住む本間吾市と結婚した。この旦那こそが後に電信柱の突き出た家を作った張本人で、なんとなく木村姓になったというあたりこちらもただもんではない。結婚した二人は札幌市月寒に引っ越ししリンゴ農園をはじめた。近くに陸軍歩兵第二十五連帯があり、戦争が始まると木村家は借り上げ官舎第一号になった。この家にも人が集まり、間借り人の佐藤三男さんは後に佐藤水産という会社を立ち上げいまでもミドリさんには毎年海鮮の詰め合わせが届く。木村家ではよくできたリンゴを詰めて税務署長に持っていく。そのひとりが後の総理池田勇人で農園の経営が思わしくなくなった時に池田のすすめでミドリさん夫婦は関西ペイント東京事業所の独身寮の住み込み管理人に募集した。朝9時集合に64組があつまりなかなか進まない。木村夫妻は勝手に抜け出しちゃんと昼飯を食ってきたがようやく夕方5時に木村夫婦に内定が出た。ちゃんと準備はしている。夫はヘリンボーンの背広、ミドリさんは一番上等な着物にキツネの襟巻き銀黒狐。写真を見ると今でもオシャレなばあちゃんなのだ。「派手すぎるのはダメ、地味でもダメ、野暮ったい服もダメ。髪は長からず短からず、長い髪で料理を作ると衛生上悪い」「怖じ気づいてはダメ、聞かれたら最後まで濁さずに返事する。勝負事では必ず目を見る。目をそらしたら負け・・・」 ミドリさんが平塚に家を買ったのもカンぺつながりで寮に魚をおろす人が土地を買わないかと持ちかけてきた。下調べは入念でござを引いて1日すわり先ず日当りを確認する。建築付きの夫婦は毎日作戦会議を練る。電信柱が家の中に入ったのは隣の家が土地を手放し増築した時、「電柱は家の中に入れたい」「外だとみっともない、家の中に入れれば収まりがいい」こういう夫にミドリさんも信者と化す。「電柱を中心として家を建てると、風が吹いても台風や地震が来ても倒れない丈夫な家ができる。これが一番丈夫なつくり。」そんな家は他にはない。実際には電信柱の間は壁にかこまれてるのでそこはどうなんだと聞いてみたいとこではある。L字の短い方に電信柱を挟んで増築し今度はこちらが長いL字になった。最初から人に貸すことを考えているのに作りは贅沢で各部屋の風呂にはタイル絵がふんだんに書かれていたりする。そしてこの家にもからくりは存在する。いざという時のために逃げ道は作っておくもんなんだそうだ。

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    投稿日: 2015.09.19