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新訳 茶の本 ビギナーズ 日本の思想
新訳 茶の本 ビギナーズ 日本の思想
岡倉天心、大久保喬樹/KADOKAWA
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総合評価

23件)
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    茶の本のビジュアルブックを読んで、訳わからなかったので新訳を購入。解説を読んでやっと少し理解できた。 西洋への怒りのすごいこと(笑) 茶道をTeaismと訳したことに、信念を感じる。 外から見た日本の美徳が浮き出されている。 でもまだ落とし込めてないので、もっと分かりやすいやつを読む予定。

    2
    投稿日: 2023.10.05
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    もうかれこれ20年以上前から読みたかったのだがようやくご縁により読むことができた 元々は「茶の心」は岡倉天心が西洋人に「茶」の精神を理解させるために英文で書いたものだ (天心は幼いころから家業の関係で英語に携わることが多く、また語学センスが素晴らしかったようだ) そして勘違いしていたが、決してお茶の指南書、概説書ではなく、日本の精神や文化を広めるための書といえよう そして天心は詩人であった! ユーモアもあり、皮肉も批判もするが、良いものは良いとし、平和と精神文化を追求する 非常に読ませる文章のセンスに驚いた シンプルな言葉で読みやすいものの、真意をくみ取り自分の中で咀嚼するには難解な本かもしれない しかしそれが醍醐味であり、浅ましい考えを嫌うであろう天心の意図かもしれない 深すぎてレビューが書きづらい もう抜粋形式で雑に行きます ◇天心曰く、「茶」とは… ~茶の哲学は、唯美主義にとどまるものではない 人間や自然に対するもろもろの見方をあらわしている点で倫理や宗教と結びついている 清潔さを強調する…衛生学、単純質素なものに安らぎを見出す…経済学、宇宙とのバラン感覚を養う…精神の幾何学~ (発想力が深いのです) ◇天心の西洋批判 ~西洋から「野蛮国」とされる日本及び東洋 戦争に勝ったときだけ文明国という お互い批判するのではなく足りないところを補い合おう~ …といいつつも天心は明らかに西洋より東洋の方がすぐれているとしている(笑) ~日本は武士道(戦いと死)よりももっと深い文化(平和と生に導く文化)として茶がある~ ◇茶の魅力 ~ワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識も、ココアのような抜けた幼稚さもない 茶はなんとも微妙に人をひきつけ、その魅力には抵抗できない 茶道は美を見出してもそれを包み隠しておくたしなみであり、あからさまな表現を避けて暗示するにとどめておく術だ~(この表現力の素晴らしさ) ◇茶の歴史 茶の三段階 発展の順番から…「団茶」、「抹茶」、「煎茶」 ・団茶…固形の茶を煮立てる ・抹茶…粉末の茶を泡立てる ・煎茶…葉のまま茶を浸す それぞれ中国の時代を表す 唐(団茶・古典派)、宋(抹茶・ロマン派)、明(煎茶・自然派) しかしこれらを経て、13世紀モンゴルの侵略により宋文化は破壊される さらに17世紀には満洲族が侵入し異民族支配(清朝)となり抹茶は忘れさられた 唐や宋の茶の精神がすたれ、茶は日常的な飲み物になってしまう 日本へはおそらく遣唐使が持ち込んだのが始まりか 中国ではすたれてしまった宋の文化を日本が継承ができたのだ ◇禅と道教 茶の湯は禅の礼法から発展 そして道教を根底とする 道教「この世に生きる術」として論じるのが常 私たち自身を問題とする この世をありのままに受け入れるのであり、儒教や仏教とは違って、嘆かわしいこの世の暮らしにも美を見出そうとする 酢の味見をする3人のものと言う宋の例え話が面白い 釈迦、孔子、老子 酢の壺を人生の象徴とし 孔子…すっぱい(実際家) 仏陀…苦い 老子…甘い つまりこの世の一切は相対的な存在であって、絶対的に固定されるものなどない すべては絶えず移り変わっている だからこそ目の前の現実をかけがえのないものとして受け入れ、茶を味わえという 暮らしの細々とした事柄のうちに偉大さを見出す (現代人に必要な教訓だ) ◇茶室について 茶室は「すきや」であるのだが、 数寄屋であり、単なる小家屋であり、好き屋であり空き家という(面白い) 余計な装飾を排し、何らかの要素をわざと未完成のまま残しておくことによって想像力は仕上げの働きを果たすことができる というある意味異端の建築だ しかしながら深い芸術的配慮に基づいたものでありどんな豪勢な宮殿や寺院建築にも負けない入念さで細部が仕上げられている さらに外部の自然環境と合わせて一体化に見るべきと強調する 現代のエコロジー的思想にも通ずるものがある 芸術鑑賞や花、東洋の思想まで…幅広い熱い哲学も紹介されており、 はっと気付かされる大切なメッセージがたくさんある(書ききれません) 最後に天心の最後の恋について書かれている 50歳くらいの頃9歳年下のインド在住の女性に恋するのだが まぁとにかく今までの力強い行動力、指導力、確固たる考え… そのような偉大な人物とは思えないほど、愛に嘆き、喜び、赤裸々に弱さをさらけ出す 解説者も「異様ともいえるほどだ」と言うが 世間にさらされた天心はなんと思うのだろうと心配してしまった(ここ必要かなぁ…) 「茶」が世の中に与えた影響は数知れず、建築から住居、芸術、日常生活…あらゆることにあてはまるという そして「茶」の精神というのは謙虚さや質素、自然との共存…など 日本人だけでなく、自然界に生きる人にとって大切なことであり、物質的に豊かな社会になればなるほど 決して忘れてはならない日常に組み込まれる精神なのだと感じた そしてこの精神は中国やインドをはじめとする偉大かつ精神世界を大切にする東洋文化から引き継ぎ、 日本で育まれた大切なものとして、私たちは守っていかなくてはならないのだろう 背筋が思わず伸びてしまう 襟を正し、正座をしたくなる そして日本人であることを誇りに思う 素晴らしい1冊だ

    21
    投稿日: 2023.05.21
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     お茶を始めたので読んでみた。「茶の本」と「東洋の理想」(序章と終章)が解説とともに収められている。  岡倉天心は東京藝大や日本美術院の礎を作った美術評論家である。英語に巧みで、アメリカの美術館で東洋部の顧問をするとともに、日本や東洋の文化をプロモーションしていた。「茶の本」は茶道(原文では Tea ceremony ではなく Teaism らしい)を東洋独自の美と調和の精神の結晶として紹介し、西洋の文化とは別の価値を持つものとしている。  「茶の本」を茶道思想のスタンダードになる教科書的読物だと思っていたが、どちらかといえば天心独自の見解を開陳したものだった。茶には老荘思想、道教、禅の考え方が背景にあり、それこそが東洋を貫く哲学であるとする。  文化に造詣が深く、審美眼も確かな人が書いたものなので、独自の見解がスタンダードになっても特段支障はないのだろうと思うし、西洋圏の人が読む入門書としていいと思う。ただ、日本で生まれ育った者としては、チェリーピック的なところも目についてしまった。  「茶の本」は東洋の平和的な理念が強調されるのに対し、「東洋の理想」は日本の対外膨張を肯定するような色を若干帯びている。天心は「アジアは一体(Asia is one )」 とは言っているが、東洋の盟主は日本であるべきとは言っていないし、国粋主義的なところも見られない。 それでもやはり後の大東亜共栄圏構想に利用されてしまった。  実は「東洋の理想」(1903年出版、1942年邦訳出版)のあとに「茶の本」(1906年出版、1929年邦訳出版)が書かれていて、そこには「現代世界において、人類の天空は、富と権力を求める巨大な闘争によって粉々にされていしまっている。(略)東と西は、荒れ狂う大海に投げ込まれた二匹の龍のように、人間性の宝を取り戻そうとむなしくもがいている」とあるので、人間同士が争うことに対してはむなしく感じており、否定的だったのは間違いないと思う。  本書の半分は解説だったが、解説つきの本を最初に読めてよかった。時代背景や美術史的な動向の解説もなしに、英語の原文など読んでいたら、全く分からなかったろうと思う。

    2
    投稿日: 2023.02.23
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    岡倉天心原文the book oftea 1906年M39米国発表。 日本の茶道を欧米に紹介する目的だったが日清戦争 に続き最強ロシアとの戦争1904-1905にも勝利したことにより本書にも注目が集まる。死の術武士道だけではない生の術茶の道を通じての日本の美意識、東洋的と西洋的思考の違いを。解説で恋多き天心さんを知ることも出来ました。

    1
    投稿日: 2021.07.21
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    岡倉天心(1863(文久2年)~1913年(大正2年)/本名は覚三)は、福井藩士の次男として横浜に生まれ、東大文学部を卒業後、文部省に入り、美術行政を担当する。1886~87年、東京美術学校設立のためにアーネスト・フェノロサと共に欧米を視察し、1890年に東京美術学校(現・東京藝大美術学部)の初代校長に就任。1898年に東京美術学校を排斥され辞職してからは、インド訪遊を経て、1904年以降ボストン美術館の仕事で頻繁に米国に滞在したが、晩年には茨城県五浦に隠遁し、1913年に日本にて永眠。 子どものときから学んだ英語と、優れた国際感覚をもって、日本・東洋の文化を内外に訴え、本書収録の『茶の本』は1906年にフォックス・ダフィールド社(ニューヨーク)から出版された『The Book of Tea』、『東洋の理想』は1903年にジョン・マレー書店(ロンドン)から出版された『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』の、それぞれ邦訳である。中でも『茶の本』は、新渡戸稲造の『武士道』、内村鑑三の『代表的日本人』と並び、明治時代に日本人が英語で日本の文化・思想を発信した作品として夙に有名。 本書では、『茶の本』と『東洋の理想』(序章・終章のみ)の新訳に、訳者による、各章の「解説ノート」と90頁に亘る「エピソードと証言でたどる天心の生涯」が加えられており、作品についての理解を大いに助けてくれている。(角川ソフィア文庫は、岩波文庫や講談社学術文庫に既に収められている作品を新訳で出すものが少なくないが、充実した解説や参考資料が付されていることが多く、とても有用である) 『茶の本』は、1章:茶碗に満ちる人の心、2章:茶の流儀、3章:道教と禅、4章:茶室、5章:芸術鑑賞、6章:花、7章:茶人たち、という章立てとなっており、茶道を、道教、仏教(禅)、建築、華道などの関わりから捉えて、日本の文化・美意識・価値観を幅広く解説しようとしている。 出版後百余年を経て、日本人の我々が読んでも気付かされることが多いが、私が最も心に残ったのは、6章で、「死を栄光とする花」である桜は、「さようなら、春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです」と語りかけながら消えてゆくと語ったあとで、最終章の7章で、「美しく生きてきた者だけが美しく死ぬことができる」のだとして、千利休の最後の茶をとりあげて、「顔に笑みをたたえて利休は未知の世界へと旅立っていった」と締めくくられているところである。茶の達人の生死は、花の生死と等しく、人間と自然は究極的に合一する。。。これこそ、茶(と禅)の心ということであろう。また、死は生の完成であり、至高の芸術であると言え、利休の最期はまさにそうした典型であり、いわば、希代の茶人の最大の「茶事」であるとも言えるのだ。 茶~禅・老荘思想を柱に日本文化の本質を語った、現在でも読む価値の大きい古典である。 (2020年12月了)

    2
    投稿日: 2020.12.02
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    「茶」を切り口に古代中国の道教思想から現代生活様式まで、作者の好きなように語った一冊。岡倉天心のやりたい放題ここに極まれり、で、意外と悪くない。

    1
    投稿日: 2020.08.10
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    忘れがちな日本の良さを再認識することができ、「茶の本」「東洋の理想」はとてもよかった。 ただ、最後は必要だったのかな?天心にとって基子は何だったんだろう。

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    投稿日: 2019.09.03
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    ”岡倉天心が英語で書いた本の和訳。新渡戸稲造の『武士道』で植えつけられたサムライの国 ニッポンのイメージ払拭も狙っていた? 明治開国前後で西洋化していくことへ対抗して古来日本に注目した感覚が、いま21世紀に未来への指針を提示しているのだという。 茶の歴史、茶室の作法、茶人 を説明しながら、禅の心、道教(老子)の教えがちりばめられている。 7章の「利休の最後の茶」の話にはグッとくる。辞世の句「よくぞ来た 永遠の剣よ!」 <キーフレーズ> ・利休は庭に降り立つと、一本の木をゆすり、庭一面に、秋の錦を切れ切れにしたような金と朱の葉を撒き散らした。 (p.86)  ※利休と息子・少庵の露地掃きエピソード。求めたのは、美しく自然らしいこと   そしてこの禅問答。利休の内なる激しさも感じた。 ・作品の質よりも作者の名前の方が重要なのだ。すでにもう何世紀も前にある中国の批評家がこう言っているほどだ。「人々は耳でもって絵を評価する」。このように本来の芸術鑑賞のありかたが損なわれてしまったことが、今日、どこを向いても、えせ古典主義的駄作につきあたるようになってしまった原因といえる。(p.111)  ※うむ、手厳しい。しかし、スカッと小気味よい論評 <きっかけ>  2017年3月 人間塾 課題図書”

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    投稿日: 2019.08.15
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    茶道の本ではありません。 茶道にほとんど触れずに茶道の考えを解説しています。 そのことで日本の文化を浮きだたせています。 1.この本を一言で表すと? ・「茶」を通した日本文化の精神の解説 2.よかった点を3〜5つ ・茶の哲学は・・・倫理や宗教と結びついている(p17) →茶は単純に語れるものではなく、様々な背景が結びついたもの。 ・生きる術を授ける宗教(p50) →過程が重要ということ。茶を飲むことよりそこに至る過程が重要。人生も死という結果よりそこに至る過程が重要ということ。 ・美しく自然らしい清潔さ(p85) →常にまわりの環境を見て自然らしさを考えなければいけないということ。 ・完全そのものより完全を追及する過程を重視(p92) →結果そのものより過程が重視。普段の自分自身の生活でも取り入れたい考え。 2.参考にならなかった所(つっこみ所) ・「道教」が頻繁にでてくるが、それほど「道教」は普及していたのか? ・儒教を批判的にとらえているが、なぜ? ・煎茶が一般的になり、抹茶が特別なものになった現代は「茶道」の精神がかけ離れたものになった? ・天心の恋愛遍歴は茶の精神に反しないのか? 3.実践してみようとおもうこと ・花を愛でる ・美しく自然らしい清潔さ ・質素でありながら洗練された部屋 4.みんなで議論したいこと ・現代の日本に「茶道」の精神はのこっているのか 5.全体の感想 ・これまであまり理解していなかった「茶道」の精神を理解するのに役に立ちました。 ・「エピソードと証言でたどる天心の生涯」は天心がどんな人だったのかよくわかりました。自由奔放な恋愛をしているのが意外でした。

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    投稿日: 2018.12.30
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    和訳文が現代的な日本語で読みやすく、また本文と同じくらいのページ数を割いて詳細な解説がなされている。訳・解説の大久保喬樹さんは同じ角川ソフィア文庫の「武士道」の和訳もされており、そちらが分かりやすかったので、数ある茶の本の中から本書を買うに至った。茶の本の訳は青空文庫でも読むことが出来る。それでも、680円を払って本書を買う意味は十分にあった。

    0
    投稿日: 2018.06.28
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    訳者の解説が加わり、本書の半分くらいが岡倉天心の言葉でしょうか。 芸術鑑賞の章は新鮮な見解で目からウロコ。 「琴馴らし」の話も印象的。

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    投稿日: 2016.07.01
  • 入門にはピッタリです。

     書籍説明にあるとおり、「茶の本」と「東洋の理想」の他に、「エピソードと証言でたどる天心の生涯」が収められています。読むきっかけは、Eテレの100分de名著で紹介されたことですが、岡倉天心の名前は知っていても、彼がどのような人物でどのような思想の持ち主だったかは、全く知りませんでした。私の様な人は「エピソード…」の方から目を通した方が良いかもしれません。  さて、この本は、明治時代、今から100年前、英語で執筆された日本文化論です。つまり最初から外国人向けに書かれた本であるということです。この本には原文は載っていませんが、大久保喬樹の訳とわかりやすい解説が掲載されています。  「茶の本」に関して言えば、当然、お茶の話です。でも、そこから始まり茶碗、茶器、そして花、絵、茶室と展開していき、いつしか芸術論に行き着き、利休の死を語って終わります。そこには「自然との共生」という老荘思想、そして禅を土台とした理念があったようです。私自身は、もっと老子、荘子を勉強する必要があるなと痛感いたしました。  天心の日本を中心としたアジア主義というものが、軍国主義につながったという主張もあるようですが、あの時代に早くも物質文明一辺倒の西洋文明に警鐘を鳴らしていたということが重要なのだと思います。今もし生きていたら、どんな主張をなさるのでしょうか?それとも、嫌気がさして、やっぱり隠遁してしまうでしょうかね。

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    投稿日: 2015.05.24
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    ・茶を飲むという日常の行為を、芸術の域にまで高めた茶道。  ほとんど何も置かれていないままの茶室。室町時代末期~安土桃山時代、千利休によって完成されました。  明治の思想家、岡倉天心は、茶室と人との関わり、宗教、そして茶室の一輪の花にも注目しています。  「花を摘むのも手当たり次第ではなくて、心に思い描く芸術的造形にしたがって、注意深く一枝一茎(いっしいっけい)を選ぶものであり、  もし、必要以上に切ってしまうようなことがあれば、恥じ入るほかはない。  西洋では、花の展示が、富の見せびらかしの一部であり、つかの間の遊びであるように思われる。  これら多くの花は、騒ぎが終わった後、どこにいく運命なのか  色あせた花が、ごみの山の上に、無情にも散り出されている眺めほど、痛ましいものはない……」  「茶人は、花を選びさえすれば、責任は果たしたとして、あとは花が、花自身の物語を語るのにまかせる。  暑い、夏の日。  昼の茶会に呼ばれていってみると、ほの暗く、涼しげにととのえられた床の間に、一輪の百合の花が、釣り花瓶に生けられているのに、出会うかもしれない。  露に濡れたその花の様子に、人生のおろかしさに微笑んでいるかのようだ」        (岡倉天心)  茶や、花に通じる人々は、無闇に花を摘み取ることはありません。 花を人と同等に扱い、花に対する尊敬の念をもって、接しています。 しかし、西洋などからくる近代化の波によって、花の扱いが大きく異なっていると、天心は述べています。  自然をできるだけそのままに、『やはり野に置け』というのが、花に対するもっとも叡智な人の態度なのだと述べているわけです。  これまでの近代の西洋の建築は、かちっとしていて、人間の作った直線的で、シンメトリーな構図を最優先させてきました。しかし、当時の数奇屋(茶室)などは、わざと柱の角に皮を残したり、曲げたりして、周囲の自然との調和を目指しています。  自然災害の多い日本では、感覚的に、自然には勝てないということを、分かっていて、逆にそれをうまく、取り込んで先取りしなければ生きていけませんでした。そして、そういったことが、日本の文化を作っていったのだと思いました。  現代では、エコロジーの考え方によって、より自然に寄り添っていくようなあり方が、見直されつつあります。  明治維新の直前に生まれた天心は、近代化が始まる中に生きてきた人なのですが、いずれこの近代化の動きは、行き詰まりに達することを見通していました。  そしてその時にこそ、東洋の伝統文明、また日本の伝統文化の考え方というのが、再び意味を持つことになるのだと予見しています。  天心が伝えようとしていたのは、茶道の芸術性と、茶人の自然と共に生きていく、という源流そのものにもあるのだと思いました。  

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    投稿日: 2015.02.04
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    日本がインド、中国の文化を昇華し、そのようなことができたのはそもそも東洋の理念ということが共通だからであるという天心の信念には唸らざるを得なかった。そして、陶器や書画など様々な芸術に茶人の息吹が潜んでいるということから、文化の形成にいかに茶人の業が影響を及ぼしたのか、ということに気づかされた。

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    投稿日: 2014.03.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「茶の本」というタイトルですが、それだけでなく日本文化のこれまでとこれからに対する著者の思想を伝える本でした。 (当時の時代背景を考えると仕方ない部分もあるのかもしれませんが)東洋文化を賞賛するあまり西洋文化に対して過剰に批判的になっている印象を受けました。 また、著者の歴史認識についてですが、それが正しいのかどうか知識不足から判断できません。ひとつの見方として受け取っておきたいと思います。 日常の些細な美を見逃さない態度はぜひ身につけたいと思いました。 が、全体としては一読では理解が追いつかなかったので、また時間が経ったら読み返してみたいと思います。

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    投稿日: 2013.09.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    古都 金沢の、旅の道中で読み進めた事もあり、 とても味わい深く受け止められた。 日本を追われながらも、誰よりも強く、 日本文化の素晴らしさとイデオロギーを 欧米諸国に対して突きつける天心の 短くも含蓄ある言葉の数々。 “謙譲の心で芸術を鑑賞する。” 鑑賞者の心得を説いた、「芸術鑑賞」の章が印象深い。

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    投稿日: 2013.07.01
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    この本では、茶道を通して日本人の持つ価値観が説明されています。 茶道では自然との融和や現在の瞬間をとらえる感性を大切にする。それは姿を変えた道教であり禅である。日本ではそれが芸術や宗教だけでなく、身近な暮らしの要素にもなっていることが面白い。

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    投稿日: 2013.04.26
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    お茶をする人であれば必読。入門的な書き方だが簡潔な分だけ分かりやすい。 禅よりは老荘寄りの思想が表れている。

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    投稿日: 2012.04.17
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    偶然につけたNHKのEテレで梅原猛さんのインタビュー放送をやっていた。震災にまつわる話が中心だったが、話の中で度々出ていた言葉が「草木国土悉皆成仏」(涅槃経の言葉から最澄が云い始めた言葉と伝えられるが、真偽のほどは不明)。草木や国土のように心をもたないものでもことごとく仏性があり、仏となりうるのだという意味。この言葉は仏教からの言葉ではあるものの、梅原さん曰く、要するに草木や風物も命があり、自然のなかで生きることにおいて人間と等しく、人間は自然の上に立つものではなく、人間は自然と共生すべきことに帰結するのだと。そこには仏教の思想を越えた自然観、宇宙観があるのだとも。   このような話を聞いていると、先般読んだ岡倉天心の「茶の本」(大久保喬樹訳)もまさに同じ論旨であることに思いが至る。この本の主題は、茶道に限らず日本人の美意識はどこにあるのかという日本文化論の基本。西欧文化は人間中心であり、自然よりも人間が上に立つという思想。対して日本では人間と自然との共生が基本にあるというのだ。西欧文化がいかに誤っているかを指摘しながら、未来の自然破壊への懸念にまで及んでいるところなどは実に先見性があると云っていいだろう。岡倉天心が明治維新前に生まれた人物であり、この本は日本における文明の黎明期に書かれたものだから凄い。   後になって原子力のような自然を超越するエネルギーが開発されるとは岡倉天心とて夢にも想像しなかったろうが、もし生きていたらさぞかし驚愕したに違いない。自然は人間が征服すべきものとするのか、自然との共存の中で人間は生きるとするのか、今この時代はまさにそれが問われているわけで、原発に対する賛否の問題もまさにその点にあるのだと思える。   最初にヨーロッパ・アメリカが、そして日本が続いた西欧文化の波。今またBrics諸国、とりわけ第二位の経済大国になった中国、さらには続く国々が人間の我欲に従って自然に立ち向かおうとしている。せめて日本は日本人が培ってきた精神文化の基本に立ち返るべきだと思うのだが、地球規模から見るとこれも焼け石に水ということなるのかも知れない。後々の世代のことを思うと恐ろしいことなのだが・・・。

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    投稿日: 2012.03.13
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    この新訳はかなり読みやすいからおすすめ! 「茶の本」全編はもちろんのこと、「東洋の理想」の序章&終章及び岡倉天心の生涯が収録されているので、岡倉天心入門書としては最適です。 お茶ってすごい美しいんだなぁ、もはや哲学。いや宇宙。ってことが感じられる本です。 まさに暮らしの哲学。 そう思うのは、「暮らしの手帖」編集長の松浦弥太郎氏が某雑誌で「暮らし」の本の頂点のキーブックとして、本書を選んでいたかもしれない。 日々の暮らしの中に、芸術がある。ライフ即アート。 毎日を美しく過ごそうと思う、襟を正される本です。

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    投稿日: 2011.02.09
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    お茶の歴史や、当時の西洋と東洋の微妙な関係を読みました。 勉強になることが多くて、特にこの本に対して意見とか感想がうかばない。東洋にはすばらしい哲学と茶の精神があることを学びました。

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    投稿日: 2010.03.14
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    先日伊勢神宮に行ってから、日本的な美意識に興味が沸々と。岡倉天心の茶の本が新訳で出ていて、なかなか評判がよろしいらしい。 茶道の本質は不完全ということの崇拝ーー物事には完全などということはないということを畏敬の念を持って受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでも何かしら可能なものを成し遂げようとするこころ優しい試みが茶道なのである。 この一文に、西洋と東洋の美意識の違いがエッセンスとして凝縮されている。これは美意識のみならず、一神教を軸とする西洋の精神文化の持つ論理、構造性、に対応する東洋からの回答ともいえる。不完全性を受け入れた諦めの先にこそ、軽やかで自由なこころの境地があるということだ。 またこういうのもあった。チャールズ・ラムの言葉として本文中に引用されている。 「善きことをなすにあたってはひそかにこれをおこない、たまたま表にあらわれるにまかせることをこそ無情の喜びとする。」茶道とは美を見出してもそれを包み隠しておくたしなみであり、あからさまな表現を避けて暗示するにとどめておく術だからである。それは自分というものを、つつましやかに、しかし徹底的に笑いのめす気高い奥義であり、その結果として、ユーモアそのものであり、悟りの微笑なのである。 またそこに岡倉天心は汎神論的な神秘の輝きを見いだす。茶とは神の飲み物、天の甘露であると。そして中国で勃興した茶の文化がモンゴルの襲来に酔って中国では衰退してしまったものが、日本という国で生き残り継承発展されて行ったと。 私たち日本人にとって茶道は単に茶の飲み方の極意というだけのものではない。それは、生きる術を授ける宗教なのである。茶という飲み物が昇華されて、純粋と洗練に対する崇拝の念を具体化する、目に見える形式となったものであり、その機会の応じて主人と客が集い、この世の究極の至福を共に作り出すという神聖な役割を果たすことになる。(中略)茶の湯は、茶、花、絵などをモチーフとして織りなされる即興劇である。部屋の色調を乱すような色、動作のリズムを損なうような音、調和を乱すような仕草、あたりの統一を破る酔うな言葉と行ったものは一切泣く、全ての動きは単純かつ自然になされる。茶の湯が目指したのはこのようなものである。そして、この企ては不思議にも成就されたのである。その全ての背景には微妙に哲学が働いている。茶道は姿を変えた道教なのである。 引用が多くなって申し訳ないが、この新訳での現代的な言葉遣いの効果も相まって、岡倉天心の言葉が現代の西洋と東洋という大きなパラダイムを橋渡しするための高度に現代的な批評となり得ているところに驚きを禁じ得ない。そしてその本質、茶道とは霊的な儀式、儀礼であり、さまざまな象徴言語を用いて神人一如な世界への参入と捉えている所など、西洋・東洋が最も深い歴史的レベルで繋がる、霊的な源流へと茶道が通じていることを物語っているのだ。

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    投稿日: 2009.04.10
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    こんなに芸術を愛し、日本を愛する国際人がいたとは…! 戦後において西洋追随ではなく東洋の素晴らしさを忘れず、 時代に流されなかった天心は立派! ただし他文明を差別化した表現が少々気になった。 芸術の在り方が、あまり納得いかない。 「芸術とは自分の内から湧き出るものを表現すること」 って私は思うけど、 彼に言わせると私は 「近代西洋の自己中心的な考えに染まりきっている」 らしい。

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    投稿日: 2008.03.12