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powered by ブクログ300P 昔ながらの宗教が無い中国はカルト宗教が力を持ちやすいらしい。これは本当にそうで、本当のクリスチャンの人は統一教会がカルトだって直ぐに分かるのと同じだと思う。日本は宗教教育が無いから、うちの母がその教育の為にミッション系幼稚園に私を入れたんだろうなと思った。 川島 博之 (かわしま ひろゆき、1953年〈昭和28年〉11月29日 - )は、日本の開発経済学者。工学博士。ビングループ主席経済顧問。元東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。専門は農業からみたアジア経済、開発経済学。東京都生まれ。1977年東京水産大学卒業、1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。1984年3月、東京大学工学博士(学位論文「都市河川汚濁回復に関する研究 」)[1]。 東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経てビングループ主席経済顧問、Martial Research and Management社チーフ・エコノミック・アドバイザー。2011年11月には日本政府行政刷新会議ワーキンググループ(提言型政策仕分け)の評価者を務める。 「中国の政治の中心は北京、経済の中心は上海である。北京の人は政治の話が好きであり、上海の人は商売の話が好きだなどと言われる。その気質は中国の農業の分布が作り上げた。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「百済があった全羅道の中心都市は光州である。 1980年に起きた光州事件を理解するには、この差別感情を理解しなければならない。差別は今も続いているが、その源流は高麗を建国した初代国王の王建が、百済の人間を嫌い、百済からの人材登用を禁じたことにあると言われる。だが、それは後付け理由であろう。本当の理由は、畑作文化圏の人々が気質の異なるコメ作文化圏の人間を嫌ったことにあると考えられる。 日本はコメ作の国である。そして島国であったために、ユーラシア大陸の畑作文化や遊牧文化とはほとんど交流がなかった。そのコメ作文化に混じり気がない。 歴史学者の中には網野善彦のように日本がコメの単作文化であったことを否定する見方もあるが、それは網野が日本しか見ていなかったからだろう。だから日本文化の多様性を強調する。しかし大陸の農業を見て回った後に再び日本を見ると、日本が驚くほど均一な社会であることに気付く。そしてその均一な社会はコメ作の歴史が作り上げたものに他ならない。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「海外に対して自分勝手な主張を繰り返しても民衆が支持してくれる。だから、多くの政敵を抱えながら習近平の政権基盤は安定している。習近平は死ぬまで共産党のトップの座に留まると言われているが、そんな中国の今後を考えるためには、中国人の心の奥底を理解する必要がある。ヒントは歴史の中に隠されている。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「「中国 4000年の歴史」などと言われるが、明確な記録が残るのは春秋戦国時代( BC 770‐ 221年)以降だから、その歴史は約 3000年である。一方、日本で明確な歴史を語ることができるのは飛鳥時代からだから、その歴史は約 1500年である。中国の歴史は日本の 2倍程度の長さがある。 そんな長い歴史を誇る中国であるが、現代の中国を考える上で重要なのは、北宋( 960‐ 1127年)以降である。これは私の考えではない。戦前に活躍した著名な歴史学者である内藤湖南の言い出したことである。 内藤によると、宋は封建制に代えて現代に続く国家統治システムを作り上げた。それは中央政府が官僚を派遣して地方を統治する形態である。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「現在の中国は極端な学歴社会になっている。革命第一世代である毛沢東や朱徳などは、実力で政権を奪取したのだから学歴は関係がない。それは漢の劉邦、明の朱元璋のような存在である。 しかし時間が経過するにつれて、特に文化大革命が終わり改革開放路線になると、指導者になるには学歴が重視されるようになった。現在、中国で指導的な地位につくには、一流大学を出て、早い段階で共産党に入党して出世の階段を上っていく必要がある。出身大学だけではない、卒業順位も問題になる。順位が上位の方が出世競争で有利になる。それは人々に科挙の記憶があるためだろう。科挙の首席の合格者は状元、二位は榜眼、三位は探花などという俗称で呼ばれて、その栄誉が称えられるとともに、出世においても有利に取り扱われた。 アジアを見ると学歴へのこだわりは中国、日本、韓国、そしてベトナムにおいて顕著である。この 4国は、歴史の中で一度は科挙を実施している。日本も明治時代に「高等文官試験」という名の科挙を導入した。そして、その中でも中国と韓国が特に強い学歴社会になってしまったが、それは科挙が実施されていた期間が長かったためと考えられる。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「 この感性の違いは中国系の会社に勤めた経験のある人なら理解できるはずだ。中国系の企業では、新しい部長がやって来るとその人に課長や秘書が付いてくる。そして新たな職場でも、部長は連れてきた課長や秘書とだけ親しくして、それ以外の部下とは積極的に交わろうとしない。 水田が育んだ社会に育った日本人は、新たな任地が決まるとそこで新たな人間関係を築こうと努力するが、中国人はそうは思わない。この中国人の感性は宋の時代に始まった科挙が育んだものなので、そう簡単には変わらない。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「顕粛皇后の肖像画が残っている。なかなか気品のある顔つきをしている。彼女は低い身分に生まれたが、美貌で詩を作る才能が豊かであったために、側室から貴妃を経て皇后にまで上り詰めた。徽宗は芸術家として一流であっただけでなく、皇后に相応しい女性を見る目も確かであったようだ。中国の皇室では皇后の外戚が力を持つことも多かったが、上品で才能に満ちた皇后の周辺ではそのような生臭い事件が起きることはなかった。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「それでも中国の宗教は歴史を動かした。王朝を倒す反乱は宗教と絡むことが多い。新興宗教は瞬く間に広がって、しばしば王朝を脅かすまでに成長した。それは中国人がこれといった宗教を信じていないからだろう。ある宗教を固く信じていれば、すぐに新興宗教の信者になることはない。宗教を信じていない人は新興宗教に弱い。 中国で新興宗教が力を持ったのは大昔の話だけではない。日本が幕末の頃、科挙の試験に失敗した失意のインテリ洪秀全が奇怪なキリスト教団を作り上げた。洪秀全はその教団を元に太平天国という国を作って反乱を起こした。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「○朱子学に基づいた大義名分論を振りかざすために、国際情勢の分析が苦手である。 ○小中華思想を持つために他の国を馬鹿にする。そしてそれを声に出して言う。相手を口汚く罵る。 ○文官優位の体制をとってきたために軍隊が弱い。だから相手が攻めてきた時にほとんど戦うことなく降伏する。 ○いざとなると命が惜しいために、どんな屈辱的なことでも行う。後世に意地を伝えるために切腹するようなことはしない。名誉よりも命の方が大切である。 ○相手が弱いと見ると、手のひらを翻すように態度を一変させる。そして過去を反省しない。 最終章でもう一度検討するが、これらのことは北朝鮮が時に米国や韓国の指導者を口汚く罵ること、韓国が日韓合意を無視して慰安婦や徴用工の問題を蒸し返すこと、米国が日本との関係を改善するように文在寅政権に圧力を加えると、慰安婦問題における裁判所の判断が短期間で真逆に変わること、前任の大統領を逮捕したり自殺に追い込んだりすること、などを理解する上で役に立つ。李氏朝鮮時代に起きた出来事を知ると、現在朝鮮半島で行われていることの理解が格段に容易になる。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「ベトナム人は中国の影響を受けているために商売が上手である。一方、カンボジア人は東南アジア気質で、全てにおいてのんびり屋さんが多い。カンボジアでは、ベトナム系住民が経済的な実権を握っていた。そんなベトナム系住民を、カンボジア人は心の中で恨んでいた。 ポル・ポト政権が虐殺を始めると、カンボジア人に恨まれているベトナム系住民は格好のターゲットになった。ベトナム系住民はベトナムに助けを求めた。それに応える形で、ベトナム軍はカンボジアに侵攻した。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「18世紀の西欧人は遠くを見て投資していた。 100年後に世界を制覇するためには、このような投資が必要なのだろう。我々アジア人は西欧の植民地主義を非難するだけでなく、遠くを見据えて活動した 18世紀のヨーロッパ人から学ぶことは多いと思う。 アドラン司教は宗教家であったとは思うが、それと同時にフランスが海外での権益を拡大するための尖兵でもあった。アドラン司教に資金を提供した資本家もそうだが、西欧人は宗教的情熱と金儲けが渾然一体となって海外に侵出している。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「もし阮福暎がベトナムを小中華としたいと思っていたのなら、フランスの力を借りて国を作るべきではなかった。また、フランスの力を借りて建国したのであれば、息子の教育を伝統的な朱子学によって行うべきではなかった。方針が一貫しない。この辺りがグエン朝の愚かなところである。 朱子学を学んだ明命帝は、ベトナムを東南アジアの中国にしようと考えた。「小中華思想」である。小中華を作るためにはキリスト教の布教は許されない。明命帝はキリスト教の布教を禁じた。最初は建国の経緯もあるから緩やかな禁教だったが、朱子学を学んだために明命帝は決めたことは必ずやり通す。朱子学では「妥協は悪」だ。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「タイは進出してきたイギリスやフランスに対して柔軟に対応している。ラーマ 3世は清との貿易によって利益を得ていたために、通商が国益になることを知っていた。そんなこともあって、タイは 1826年にイギリスと通商条約を結んでいる。また 1833年には米国とも外交上の条約を締結している。 タイは外交が上手とされる。それはチャックリー朝の王様自身が海外の情勢を積極的に学んだためだろう。その傾向はラーマ 3世を継いだラーマ 4世の時代になると、いっそう明らかになる。 ラーマ 4世はミュージカル『王様と私』の登場人物である。後に映画化もされている。作中では、西欧人が見て面白い物語にするためにラーマ 4世を封建的な王に描いているが、実際は大いに異なっている。なお、不敬罪が存在するタイでは『王様と私』の上演、上映は禁止されている。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「そんな時代にラーマ 4世は、西欧がアジアに来た目的は通商とキリスト教の布教であることを見抜き、相手の意に沿うような形で西欧と付き合い、キリスト教の布教も許している。 また、少々相手に都合のよい条件で通商すれば、西欧はそれ以上の要求は持ち出さないことも知っていた。カンボジアやラオスとの国境付近の領土の割譲を要求されたが、そもそも国境線のはっきりしない地域であったためにあっさり割譲している。負けると分かっている武力紛争を起こすことはなかった。それは「柳に枝折れなし」の手法と言えよう。それによって独立を維持した。 ラーマ 5世は即位するとヨーロッパと米国を訪問して、その実情をつぶさに知ってタイの改革を進めた。その治世は日本の明治時代によく似ている。ラーマ 5世は、ラーマ 3世とラーマ 4世が撒いた種を大きく育てた。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「たしかに日本でも源平合戦、元寇、南北朝の動乱、応仁の乱、そして戦国時代があったが、元寇を除けばその全てが内戦であった。そして、元寇は日本にほとんど被害をもたらしていない。 そんな日本では、戦争は職業軍人である武士が行うものと考えられていた。農民が足軽として駆り出されることはあったが、農民がゲリラ戦の主役になることはなかった。 だが、ベトナムでは農民はゲリラ戦の主役だった。元や明が攻めてきた時、また 20世紀にフランス、そして米国と戦った時に、ベトナムは長期にわたってゲリラ戦で対抗しているが、その主役は農民と言ってよい。 昼は農業を行っているが、夜になるとゲリラに早変わりする。そんな戦法に敵は翻弄されると共に、怒りを爆発させて見境なく農民を殺した。「ソンミ村虐殺事件」のようなことは、ベトナムの歴史では頻繁に起こっている。 日本は島国であったために安全であったが、もう一つ恵まれた点があった。それはユーラシア大陸と適度に離れていたことだ。島国でもニュージーランドのように太平洋の孤島では、大陸に起こった文化が伝わらない。またマダガスカル島のように対岸がアフリカ大陸であれば、優れた文化を吸収することはできなかった。 日本列島が海を隔てて中華文明の東側に位置していたことは、何にも増して幸せであった。文化や文明を輸入することはできるが、大陸の国が日本に攻め込むのは難しい。そして攻めてきても失敗する。それは二度の元寇が証明している。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「慰安婦と徴用工の問題がいつまでも解決されない理由は、日本が島国であり世界の常識を知らないことも原因になっている。慰安婦の像が米国やドイツに作られると、日本の世論は過剰に反応する。それが問題を長引かせているとも言える。 本書に述べたように、韓国は特異な歴史を持つ。そのためにあのような特異な主張を繰り返すと思われるが、ベトナムを見て分かるように、韓国の主張に本気で耳を傾ける国などない。それは世界の多くの国が、朝鮮半島のような特異な歴史を歩んでこなかったからだ。 そうであれば、韓国の主張を無視するのが最善である。隣国であるから、喧嘩別れはまずいなどと言い出す人がいるから、この問題がこじれることになる。喧嘩をする必要はない。言いがかりに対して無視するだけである。 この問題を無視し続けても、韓国との経済関係に大きな影響が出ることはない。それは韓国人が、本書が示した歴史が証明する思考回路で、慰安婦問題を取り上げていると考えられるからだ。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「つまり、日本が何も反撃してこないことを前提にして、イチャモンを付けているに過ぎない。日本が、自分も大きな被害を受けることを承知で投資や貿易などの停止を持ち出して、本気で反撃に出れば、韓国はすぐに「反日」を止めるだろう。韓国の経済規模は日本の 3分の 1程度であり、本気で日本が投資や貿易を止めれば、受けるダメージは日本より韓国の方が格段に大きい。」 —『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学 (扶桑社BOOKS)』川島 博之著 「 もっとも人口密度が高い国はシンガポールである。人口密度は 64・ 6[人/ ha]にもなっているが、これはそのほぼ全域が都市であるためである。東京都の人口密度は 55・ 4[人/ ha]で 23区だけに限ると 138[人/ ha]だから、シンガポールの人口密度は区部よりは低いが多摩地区を入れた場合より高くなっている。シンガポールは東京都の一部が独立したような国と考えればよいだろう。 日本より人口密度が高い国を見ると、シンガポールのような小さな島国が多い。人口密度が二番目の国はマルタ、それに、モルディブ、バーレーン、ナウル、バルバドス、モーリシャスが続く。これらはすべて島国であり、人口もそれほど多くない。その中で人口がもっとも多い国はシンガポールであるが、それでも 433万人にすぎない。ナウルに至っては 1万 4000人である。これらと、 1億 2700万人もの人口を有する日本を、同列に比べることはできないであろう。」 —『食の歴史と日本人―「もったいない」はなぜ生まれたか』川島 博之著
2投稿日: 2026.03.20
powered by ブクログ中国とその周辺国の歴史について綴った一冊。 これまで知らなかったベトナムの歴史について知ることができた。
2投稿日: 2025.11.29
powered by ブクログ(audible) 地理や歴史などをメインに極東アジアを話しています。 結構辛辣な箇所も多く、非常に現実的なものだと読んで、実感しています。 歴史的な教訓もたくさあり、非常に勉強になった。 特にベトナム歴史はあまり詳しくなかったので、ベトナムについてかなり勉強になった。 やはり改めて、歴史と地理は繋がっていると実感しました。 #audible #読書 #読書記録 #読書好きな人と繋がりたい #地政学
6投稿日: 2025.10.31
powered by ブクログ中国の概略史くらいは把握しているつもりだったが、中々どうして知らない事ばかりだった。 靖康の変、歴史で習った覚えはあるが、特別重要視して考えたことはなかった。 畑作農民と稲作農民の気質の違いなども面白い。 ただ、他国の歴史についてかなり強い言葉で批判しているので、読み手としては注意が必要か。元とか朝鮮史はボロクソ。ベトナムは、朝鮮に比較して褒められてる部分もあるが場合によってはかなり辛口。 「靖康の変は900年経っても中国人の心に根を張るトラウマ」「現代の中国外交にも秦檜の亡霊が憑いてまわる」 この辺は何度も言及されているが、この本だけで鵜呑みにしていいかわからないので、もっと調べてみたいと思った。
0投稿日: 2023.08.10
powered by ブクログ中国に関する考察(科挙制度、秦檜の亡霊など)は興味深かったが、朝鮮に対するヘイトがあまりに強すぎて少し読んでいて辛かった。(他の国と書き方が全然違う。親でも殺されたのか?)専門ではないにしても、学者ならもう少し公平な視点で論じてほしかった。
0投稿日: 2022.04.28
powered by ブクログ「地政学」に農業の視点を加えるというか、農業が地域の環境とは不可分の関係にあるのだから、農業は、地勢であり、それが積み重なって歴史となる。当然、政治体制にも強い影響を与える。言われてみれば確かにその通りだ。 そして、ベトナムという補助線を引くことによって、中国、朝鮮半島の特殊性がより鮮明に。
0投稿日: 2021.12.26
