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はじめてのスピノザ 自由へのエチカ
はじめてのスピノザ 自由へのエチカ
國分功一郎/講談社
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総合評価

86件)
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    スピノザについては、デカルトのあとにデカルトより突き詰めた人、神即自然 くらいしか知らなかったけど、あり得たかもしれない近代のキーパーソンとしてよむことができておもしろかった 17世紀、近代の始まりかけ

    0
    投稿日: 2025.12.15
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    現代でも、ある時はSNSの場でも繰り返される人の不在を、と身近な所で論じてくれるので自分ごととして問題意識を持つことが容易い けどなんか描写が物足りない 昔の人でそもそも確かな情報が残ってないのか、手引き本だからなのか、途中疑問をもっても、もう少し読みたいとこで終わってむず痒い。 ひとつまえに読んでた岩波新書のジョージ・オーウェルが情報量豊富でかつめちゃ丁寧で面白すぎたから尚の事さらに〜

    0
    投稿日: 2025.12.08
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    國分さんの本はとにかく面白いので、いつか読むだろうと本書も積読しておりました。 スピノザは國分さんの本ではたびたび登場する人物であり、他の人の本でも肯定的に引用されることが多い印象で、どうやら日本人が好きそうな人物です。なぜ現代に肯定的に受け取られているのかを考えながら読んでおりました。 まず代表的な考え方である、「神即自然」。神は自然であると言い切るスピノザ。キリスト教神学が支配している時代で、この考え方を提示できるのはすごいです。。。自然信仰が馴染んでいる日本人にも受け取りやすい考え方でしょう。 國分さんは本書の初めにスピノザの凄さを伝えるためにこのように述べています。 「哲学者とは、真理を追求しつつも命を奪われないためにはどうすればよいかと常に警戒を怠らずに思索を続ける人間です」 つまり、スピノザは命を奪われてもおかしくないヤバい哲学を掲げた人物ということです。その生涯では認められることはなかったようですが、その考え方は今の現代人に突き刺さるものがあります。 「人が無理なく自分らしい力を発揮できることが自由である」というスピノザの自由は、現代の私たちに自分らしく生きる希望を与えてくれるものであると感じます。その上で、その力を発揮するために、自分が刺激されるような状態を作ることが有益である、つまり精神的な余裕や学ぶという行為を肯定する考え方は、完全に同意です。 今こそスピノザに学ぶべし、に納得しました。 なお本書は単独でももちろん面白いですが、國分さんの名著『中動態の世界』の副読本としてもお勧めです!

    0
    投稿日: 2025.11.25
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    とても面白かった。何年も前からぼんやりと考えては、うまく考えが進まなかったことを、ずっと前の時代の哲学者がかんがえていたのだなあ、と感慨深かった。 スピノザの本質概念の転換のところがとくに面白く、いろんな人のいろんなあり方のそのままを肯定しよう、というやっと今になって広がってきた考えをそんなに前から考えていた人がいたのかあ、とびっくりしたし、スピノザの考え、いいなあ!と思うと同時に、哲学者の考えが難しいから全部賢い人のいうことだし、わからないけどなんか正しいんやろうなあ、みたいに思っていたのが、対比する哲学者の考えを知ることで、あー、そっちの理屈は肌に合わないわあ、とか、それは偏ってるんじゃないの、的な、畏怖を超えた目線をいろんな哲学者の言っていることに対して持てたのが収穫だった。 意思の概念への疑い、という考え方もものすごく面白く、また気が楽になった。この目線、もっと広がってほしい。 p124抜粋 「意志教」の時代 意志の話をしましたので、最後に少し現代社会について考えておきたいと思います。というのも、現代ほど、「意志」「意志決定」「選択」といったものが盛んに言われる時代も珍しいと思われるからです… …意志なるものを信じて疑わない現代社会を見ていると、何か私は信仰のようなものを感じます。 意思とは普遍的概念ではなく、古代ギリシャ哲学にも無かったらしい。 東洋哲学ではどうだろう…やっぱりあまり、意思を全面にというよりは、鍛錬とか孝行とか社会の中の自分みたいな考え方のほうが確かに強い印象がある。 ハンナアーレントによれば、意思の概念はキリスト教哲学の文脈からアウグスティヌス(紀元後4-5世紀)らの時代に見出されていった、らしい。その影響下に私たちも知らぬ間にいるということなのか…。 ちなみに、読みながら調べたところ、孔子や孫子が、アリストテレスやソクラテス、プラトンよりもさらに古い時代の人と知り、心底驚いてしまった。 私たちが孔子の影響を現代でも強く感じるということは、西洋の人たちの生活文化にも、アリストテレスやプラトンの思想の影響が強くあるのだろうし、そりゃあやっぱり考え方が西洋とは違うわけだよな、と妙に納得してしまった。 ともかく読みやすく、興味深い本で、この著者の本をまた読んでみようと思う。

    0
    投稿日: 2025.10.15
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    國分功一郎はスピノザの哲学を、やや象徴的に「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」の哲学と形容する。 実際に、近代哲学の在り方を規定したのはスピノザではなくデカルトだ。現在の社会も、多かれ少なかれデカルト的な考え方に則って成立している。 本書はそういった「近代的な」発想とは異なる、スピノザ哲学の概念を紹介する。 各章ごとに①組み合わせとしての善悪(↔︎一般的観念としての善悪)、②力としての本質(↔︎形相としての本質)、③必然性としての自由(↔︎自由意志としての自由)、④自己変容としての真理(↔︎客観性、明晰性としての真理)といった具合だ。 これらの概念は新鮮というよりむしろ、現代社会において通説的になりつつある概念というように感じられた。 どれも煎じ詰めれば個人の尊重や個性の重視、人間の意識の複雑さ、成果主義からプロセスの重視へといった、近ごろよく聞くような話である。 この本自体がNHKの「100分de名著」のテキストが元になっているらしいし、おそらく時代の要請に応える形でスピノザに注目が集まっているのだろう。 「おわりに」で引用されたドゥルーズの言葉、『哲学とは概念を創造する営みだ』が印象深い。 300年以上前にスピノザが創造した概念が、現代社会に生きる我々が自己や社会を分析するツールとして新たな意義を獲得する。そう考えるとなかなかロマンのある話だ。 国家論に触れる箇所も興味深かった。 スピノザは社会契約説に賛成しつつ、契約を一度きりのものではなく日々の生活の中で絶えず更新される反復的契約と捉えるそう。 國分功一郎の本を読むのは初めてだが、読みやすさや分量、本題と傍論のバランス、どれを取っても新書として素晴らしい出来栄えだった。 いい新書は演劇のように楽しめるものだ。

    8
    投稿日: 2025.10.06
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    「エチカ」というスピノザの著作について、その存在を知ったのは、わたしの場合やはりPodcastからだった。 知ってからもルソーの「エミール」とよく混乱した。カタカナのエで始まるなんか短い名前の本っていう括りだからかな。 本で、活字で、ちゃんと読む…というのは、わたしにとってはとても意義がある行為なんだな、と今回改めて感じた。 たぶんもう「エミール」と間違えたりしないと思う。 さて、そんなわたしにとっては 「暇と退屈の倫理学」以来2冊目の國府功一郎さんのこちらの著作、17世紀オランダの哲学者、スピノザが残した「エチカ」についての解説本である。 「NHK100分de名著」に新たな1章を書き加えて全体を再構成したものらしい。 タイトルにあるスピノザという名詞に少しビビったが、めちゃくちゃ読みやすくて、文体もやさしかった。 とりあえず、「エチカ」にもスピノザの他の著作にも、この中に出てくるデカルトにも、そのままズバリの濃い状態の哲学書で摂取したわけでないわたしが、この本を読んでみた感想。 スピノザの哲学って東洋思想みたいだな、ということ。 「エチカ」はどのように生きるか、どのように自由に生きられるか、という問いについて書かれたものなのかな、と理解した。 その中で、神の存在について、自然も人間も宇宙も何もかも全てが神である…、國府先生のシーツの例えがめちゃくちゃわかりやすかったんだが、 個人における出来事、人間の個性でさえ、大きなシーツ(神)にたまたま寄った皺のようなものだというところ。 大きなネットワーク自体が神そのもの(宇宙そのもの)で、そのネットワーク上にいるわたし自身が神の一部である(梵我一如)みたいなことを想像した。 それにしてもこれは確かに17世紀のヨーロッパではなかなか勇気のいる定義だったろう。 自由意思についての考え方も、これまたシンプルに因果論に通じると思ったし、 真理について…、 これは飲茶さんの「史上最強の哲学入門-東洋の哲人たち」にあった、積み上げ方で築いていく西洋哲学に対して、東洋思想はいきなり「これが真理だ!」と言きってしまうというところに、スピノザが言っていることは近いような気がした。 どんなカタチにせよ、神の存在を前提としている部分が東洋思想とは決定的に違うが、デカルトがうちたてた近代哲学とはOSが違っているという國府先生の主張もよくわかる。 善悪の定義や、本質についての捉え方が問いの真っ只中にいる凡人のわたしにとっては興味深く面白かったので、 この本を補助線にして、「エチカ」読んでみようかな、という気持ちになった。 難解ながらも自分なりに何か掴めるかもしれない。 しかし、やはり哲学沼はめちゃくちゃ深そうだなー。

    2
    投稿日: 2025.08.25
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    善いものと悪いものを分ける、自分の行動は自分の意志で決定している、自由は制約を受けない。現代で当たり前に考えられている認識を疑うことができた。組み合わせによる善悪、中動態の存在、制約の中で力を発揮できる自由。これから何度も読み返すだろう名著。

    3
    投稿日: 2025.07.29
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    すごい平易な言葉で説明されてるっぽいのにむず〜、何度も寝落ちしかける でも面白いので進む時は進む そしてまたしばらくして読み始めるとどこまで読んでたかわからなくなり1章分くらい意図せず振り返ることになる 107p 受動と能動 一般的には行為の方向性を指すが、スピノザはその行為が誰の力を示しているかで判断する 親の虐待への復讐心で戦争に走る青年は結局のところ親の力を示しているので受動 お〜と思ったけど、一般的にもそうじゃね? 脅されてお金を出すのが能動とはもともと思えぬ p45 それ自体として善も悪もない これはそう 最近仕事のチームメイトのやる気のなさ後向き発言にやられてるが、組み合わせなんだろうな〜、そのチームメイトは私がやりやすいと感じている別の同僚とはうまくやってるので、まあ、組み合わせなのだ だからその同僚が悪ではないのだ、人の多面性とも言えるのかも p101 強制、本質が踏みにじられている状態 これもそう 同じチームメイトに今私の本質は踏みにじられてられている 私は改善/変化が好きだが、彼は属人/現状維持を好む 変化の方がパワーがかかるが、そこに冷や水を浴びせられることでより負荷がかかる 疲れちゃうよね〜、コナトゥスもしょんぼりだよ p106 能動とは自らの力を表現すること 最近まるでこれができない 休日すら「休みの日の過ごし方の正解とは…」と自分の外に力を求めている コナトゥスがやられてるからかもね〜、くそ〜 真理の獲得は自己の変容が必要つーのも、その前で説明されてた「自由意思」についてクソ長い本を読書会で読み続けてやっと「ああそういうことか」と腹落ちしたのを思い出す セキスペもこないだ落ちちゃったけど、きっとまだ変容までいけてなかったのかもな〜くやし

    1
    投稿日: 2025.07.24
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    【神即自然】 ・神は無限である→すべては神の中にある。神は宇宙のような存在(自然) ・神すなわち自然は外部を持たないから、他のいかなるものからも影響をうけない→自分の中の法則だけで動いている 【コナトゥス】 ・個体を今ある状態に維持しようと働く力 ・スピノザは、コナトゥスをそのものの本質と考えている。すわなち、物の形ではなく、物がもっている力を本質と考えた。 【変状する力】 ・刺激に対する反応の仕方も時と場合に応じて大きく変化する・ ・変状(affectio):刺激による変化。あるものが何らかの刺激を受けて、一定の形態や性質を帯びること。 ・欲望:刺激によって変化した状態が、自分にあることをなすように働きかけ 【本質】 ・人間は多くの刺激で刺激されうる状態になることが豊かであるとする ・死は、私の本質を支えていた諸々の部分の関係が変化して別々のものになること ・神は、自然であるだけでなく、実体(=実際に存在している)であるとする。すなわち実際に存在しているのは神だけであり、万物は神の一部が一定の形態と性質を帯びて発生する個物、すなわち変状したもの(=様態) ・属性;人間には精神に対応する「思維」と物体に対応する「延長」という2つの属性があるが、これらは同一のものとした。これはデカルトの心身二元論への反論。 ・一人一人のコナトゥスを尊重することが社会の成立に必要。社会契約説が、安全のための社会契約を行なったという一回きりの契約を主張するのに対し、スピノザのそれは、反復的契約説と国分は論じている 【真理】 ・真理は真理自体の基準である。なぜなら真理の真理性を真理の外側に示すのはできないから。 ・デカルトは、だれをも説得できる公的な真理を重んじたのに対して、スピノザは自分と真理の関係を問題にしている。 ・スピノザは、認識することによって主体が変容すると述べているというように私的性格を強調している。 【神の存在証明】 ・スピノザは、神の存在を理解するためには、精錬のあゆみ、すわなち主体の変容を必要とする、とする 『エチカ』 ・ethica:倫理学を意味するラテン語。 ・スピノザの死後に刊行された。 ・定義、定理などの断章で構成される 第一部:神について 第二部:精神の本性および起源について 第三部:感情の起源および本性について 第四部:人間の隷属あるいは感情の力について ・自然界には完全/不完全の区別はない。これらは人間が自分のもつ一般的観念と比較することからうまれる ・善悪はそれ自体として善/悪であるものはなく、それぞれの組み合わせできまる ・第四部定理八証明「我々は我々の存在の維持に役立ちあるいは妨げるものを(・・・)言い換えれば(・・・)我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。」 ・スピノザ的な倫理は、いわゆる道徳の既存の超越的な価値を強制するのと異なり、個別具体的な組み合わせを考慮することを要求する、すなわち、実験することを求める。 第五部:知性の能力あるいは人間の自由について 「自由/不自由」 ・自由:与えられた条件のもとで、自分の力をうまく発揮できること ・不自由:強制された状態。外部の原因に支配されていること。 「能動/受動」 ・能動:自らが原因となって何かをなすこと。すなわち自由。  また下の「原因/結果」の解釈から、自らの行為のおいて、自分の力を表現しているときに能動。他人の力をより多く表現しているとき、受動。 「原因/結果」 ・原因:同時に表現の関係でもある。すなわち神という原因が、万物という結果においてみずからを表現している ・スピノザにおける自由は、必然性や能動性と結びついている。それは自発的、すわわり、何者からも影響を受けずに、自分が純粋な出発点となる、ということではない。すなわち、自由意志というものは存在しない。

    0
    投稿日: 2025.06.29
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    p70刺激への反応を高めてあげることでいろいろな豊かさを享受できる 「多くの仕方で刺激を受ける」のが賢者 暇りんに影響 p91反復的契約説:契約を日々更新し続けて相手の権利を尊重する p113「スピノザの自由とは自発性ではない」「自分が自発的に何かをしたと思えるのは、単にその原因を意識できていないから」 p127「意志教」行動の原因が意志であると考えられ過ぎているので、依存症患者などが必要以上に自己嫌悪に陥ったり蔑視されたりしている。意志以外にも行動の原因はあると考えれば楽になる人もいるのではないか。 デカルト「我思う故に我あり」 p143「真の観念を獲得するとそれが真だとわかるよ」 「組み合わせとしての善悪」 自分がどうやって力を発揮するのか、の手掛かりになるかも 哲学をただ学ぶだけでなくそれを生活で使いこなすことが大切

    0
    投稿日: 2025.06.21
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    自由についての章が面白かった 哲学というより純粋な論理学みたい スピノザがすごくとっつきやすく思えている 錯覚かもしれない 明快な文章でさくっと読めてしまうものだから、スピノザもデカルトもするっと読めるような気がしてきてしまった 錯覚だな

    1
    投稿日: 2025.06.07
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    「哲学」=「難解」 というイメージがわき起こる。が そのイメージを「ちょっとわかりやすいかも」にもっていってくれる國分功一郎さん ありがとうございます。 「スピノザ」ちょっと気になっていた哲学者。國分さんが書かれていたので手に取った。 とはいえ 初回は途中で挫折。積読になっていたが再度トライでの読了。  今私の中にあるキーワード  ・善と悪は組み合わせで決まる  ・それぞれの個体の形ではなく持っている力に注目する ・自由とは…  ・賢者とは楽しみを知る人… 読み終えて  なんか…ドキドキとワクワクが混ざったような感じがしている。 とっても大事なこと…もしかしたら宝物を見つけられるかもしれない…みたいな  またしばらくしたら読み直してみたいと思う

    7
    投稿日: 2025.05.11
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    スピノザの診察室という本から、スピノザ哲学とはどんなものだろうと手に取った本です。 スピノザの診察室のセリフにもあったようにとにかく難しい印象でした。 しかし、例え話や現代の身近な話に置き換えて説明してくれるこの本は楽しく読めました。 印象に残ったのは必然性に従うことこそ自由であり 足や手は可動域に限界があるが、その範囲を動かすこと自由に動かしていることになる。 という、スピノザ哲学の自由という概念に関しての例え話は心にスッと入ってきました。 哲学系の本は考えた気にさしてもらえる。かりそめな思考かもしれませんが、その感覚だけでも充実感がありました。

    10
    投稿日: 2025.04.22
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    すべてスッと理解できたかというと固い私の頭には難解な部分もあった。 これがOSが違うということ?と思いながらなんとか読み切った。 「すべての個体はそれぞれに完全であり、善悪はない。」 「善悪は物事の組み合わせで決まる。」 確かに! 「自由の反対の概念は”強制”」 なるほど… 哲学と向き合って自分の頭に刺激を与えてもいいかもしれない。

    1
    投稿日: 2025.04.08
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    デカルトの心身二元論への批判が、スピノザの根本にあるという。神は無限だから、宇宙そのものが神である。実体である神の様態が個々のもので、人間の精神も身体も神の様態なので、二元論にはならない。デカルトやライプニッツのア・ポステリオリな神の証明は、極めて論理的だが、意外なことに、同じデカルトにはア・プリオリな証明がなされていて、神の証明には神についての私的な精錬が必要だという。スピノザも真理は私的なもので、主体の変容を要求するものだという。近代の基礎となったい言われるデカルトの思想にも実はこういう観点があったのだ。スピノザの神の証明は、神はいかなる存在であるかの描写に過ぎないという。神の証明には私的な精錬を必要とするということを表しているのだろう。 後、善悪、自由、能動と受動、意思と意識についても述べられていた。現代は意思教に陥っているという。AIについての著者の見解も面白かった。AIは複雑なアルゴリズニズムというだけに過ぎないという。AIには心はないので他人への想像力はないのだ。 そうそう、スピノザの人物像がなかなか興味深い。結構強かでたくましい。

    54
    投稿日: 2025.03.31
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    03 自由、善悪、神即自然の概念、、、 これまでの考え方が吹き飛ぶような 新しい革新的な思考体系 國分さんがいうように OS自体を変えないと理解できない 魅力的な思考方法だなと思いました まだまだ勉強!

    1
    投稿日: 2025.03.31
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     国分さんの解説するスピノザの思想は、万人に寄り添ってくれるような思想で、自分にとってはすごく心強い考え方であった。  特に印象に残っているのは、自由であるとは能動的であり、能動的であるとは自分の力が表現できている時であるという。また、スピノザは自由を度合いで考える。完全な自由になることはできないが、人間は生まれてから体の使い方を覚え、言語を覚え少しずつ自由になってきた。大人になってからもそれは同じで、自分の力を最大限に表現できるコトを模索していかなければならない。  完全な自由は存在しないが、その自由の度合いを高めることはできるという考え方はすごく勇気をもらえた。今の情報社会では、他人と比べて自分にないものを求め、少しでも自由になろうと終わりなき追求をしてしまうが、答えは自分の中にあり、自分に合った方法で少しずつ自由になろうよという考え方に救われた。  いつかスピノザの『エチカ』も読破してみたいなあと思った。次は国分さんの『スピノザ』を読んで、スピノザ理解をもっと深めたい。

    1
    投稿日: 2025.03.20
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    哲学書を初めて読んだが、理解しやすく面白かった。 現代では自分の意志で選択することが重要視されているがそもそも意志なんてものはないというスピノザの考え方を知り、心が軽くなった。

    0
    投稿日: 2025.02.14
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    字面を辿るだけなら平易だが,一つ一つのエッセンスに思考を巡らすと時間が溶けていく.スピノザ哲学に基づく倫理学を用い,自由という概念を明文化する.これが正解というものではなく,自由という概念の一つの捉え方・解釈であり,我々はその考え方も取り込み,昇華させ,自身の考え方を創出することで初めて,血肉になる.血肉になるのはきっと老いて後だろう.

    1
    投稿日: 2025.01.30
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    これはいわば、自由を求める者たちへの指南書だ。 スピノザは言った。「物事それ自体に善悪は存在しない。善悪を決めるのは組み合わせだ」と。目から鱗でした。例えば、毒キノコはそれ自体が悪いのではない。人間と掛け合わせると悪い作用が働く。動物が食べても問題はない。すべては組み合わせなんだ、と。さらに人間は無意識と意識でできているから、真の自由は手にすることができないと言う。だからこそ己の真理、己の美学を探究する必要がある、と。 自由を手にすることはできない。限りなく自由に近づくには、自分に合った組み合わせを見つけなければならない。自分にとっての真理とは、自身が変わっていくことで生まれるのだから、という話だった。 最適な組み合わせを見つけるには、試行錯誤するしかない。その試行錯誤をするために、今日も歩むのだ。

    1
    投稿日: 2025.01.10
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    ▼元々100分de名著だったもののようです。スピノザ入門。スピノザさんは17世紀のオランダの哲学者。ユダヤ人ながらユダヤ教から破門されているそうで、それは彼の考える思想のせいだそう。「エチカ」が有名ですね。 ▼正直に言うと、「神」の有無を巡る議論はよくわかりませんでした。(こちらがに関心が無いせいかもしれません) ▼おもしろかったのは、「個人の自由と幸せと社会」みたいな事柄ですね。  つまりは各位各個人の尊厳が他人様との交流の中で安全に保たれているのが、それが幸福な自由の条件だ、みたいな話。  一見、すごく、「自由」という言葉と反している気がしますが、これはこれで納得ができる。つまりぢゃあ、完全に他者と関わりがない状態が、「幸福な自由」と言えるかということになります。  ほどよい関わりで充足している中で、自発的に?能動的に?動けることが「自由(幸福)」なんでしょうね。 ▼そういうなんか、「ほどほど」みたいなバランスが大事、みたいなのはすごく腑に落ちましたね。あと、人間の「体」や「精神」がどこまでのことをなしえるのか、ということを、我々はわからなくて生きて死んでいく、みたいなのも面白かったです。 ▼あと、へ~、と思ったのは、ヨーロッパなどの地域で17世紀、つまり1600年代、というのが、その後につながる科学が勃興したんだそう。それを支えたのが哲学である。中世が終わらんとする胎動ですかね。1500年代がルターであり活版印刷だったりすると思うので、そこから革命とナポレオンの18世紀へと「繋ぐ」時代だったのでしょう。中世的な、平たくいえば「迷信」みたいなものが、きっと欧州では密接に「キリスト教」と関わっていたはずで、そこから脱出するというか離陸するために、「自分とはなんなのか」「神とはなんなのか」みたいなことからはじめないといけなかったんだろうな、と。そういう流れに「我思う故に我あり」のデカルトがいたり、スピノザがいたりした。その中で、結局、「自分以外の他人様や社会とどう関わっていくのか」「その中で幸せとか自由ってどう感じるのか」みたいな、資本主義社会になっても不変な項目だけが、21世紀の日本でも「活きた言葉」として読まれているんですね。

    10
    投稿日: 2024.12.30
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    今まで読んだエチカ解説本の中では一番わかりやすい。 語彙も平易で、読みやすい工夫が凝らしてある良作。 しかし、根本のエチカが難解なので、まだまだ小生の努力が必要である。

    1
    投稿日: 2024.12.08
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    著者が「OS自体を入れ替えなければならない」というように多少注意が必要なスピノザの哲学を非常にわかりやすく解説した図書。とはいえ、自然界にはそれ自体として善いものも悪いものもない、組み合わせによって良し悪しが決まる、という考えは好き。能動と受動や自由意志など、言われてみれば…という指摘が多かった。

    1
    投稿日: 2024.11.30
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    『エチカ』のエッセンスを、近代社会のとは異なる価値観として捉えて論じていく。現代人の常識からは、まさにOSの入替を要求される内容である。 本質というとガチガチに固定された不変の形状という認識であるが、スピノザは個々人の活動能力を高める力であるという。人間を画一的に定義するのではない、人間に対する寛容さ、温かな眼差しを読み取ることができる。 近年徐々に広がりつつある個人を尊重し認め合う風潮は、スピノザ的な感覚なのではないかとも思う。 一旦は読み通したが、各章を自分なりにまとめ直したいと思える良著。国分さんの文章は主張が押し付けがましくなく、読みこぼしてしまう読者にも優しく手を差し伸べてくれる度量の広さがあり、読書を楽しくさせてくれる。

    5
    投稿日: 2024.11.02
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    ありえたもう一つの近代。 國分さんの、哲学者が作り出した概念を体得し、それをうまく使いこなせるようになることという言葉に、スピノザを学ぶ生き方が見えた気がしました。  学ぶことで、少し楽に生きることができます。

    1
    投稿日: 2024.09.29
  • これ読んで「スピノザ面白い」と思うだろうか?

    いま脳科学研究においてスピノザの哲学があらためて見直され始めている。 そのことは本書でも指摘されている。 だけど、はじめて彼の思想に触れる入門書としてこれはどうなんだろうか。 一言で本当につまらない。 「組み合わせとしての善悪」とか「力の表現としての能動」といったキータームで概念を解説するだけのありがちなテキストになっている。 これだったらペパンの『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』の方が数倍いい。 スピノザを幻想批判者として、何より受動を能動に変える、喜びの最上級を目指した哲学者だと簡潔に紹介している。

    0
    投稿日: 2024.09.27
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    ・1回通読。学びつづけることに対して背中を強く押してくれる良書 ・受け取れる刺激の幅を広げるもの、例えば精神的な余裕、学ぶことが有益である。ものを知り、自分を知り、自分が変わる。真理、神の存在を悟るためには、主体の変容、自己精錬が必要。これらの考え方は、腹落ちかつ目から鱗な金言 ・神即自然、自由意志の否定などの表面だけ見てると、決定論的構造主義的な考えに偏ってるような印象を持つけど、上述のような主張を見るに、実存主義的な考えも併せ持っていると思った。そういうところはニーチェにも通ずるところを感じた

    7
    投稿日: 2024.09.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ちょっと難しかったなぁ 哲学書って「それって当たり前じゃね」って思うことが多いけど今回もそんな感じだったような気がする コナトゥス、エイドスの話は覚えておこうと思った

    0
    投稿日: 2024.08.10
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    少し難解だった点がいくつかあったが、スピノザの概念について浅くではあるが理解できたと思う まだ早い気もするがいつかエチカを読んでみたい

    1
    投稿日: 2024.07.23
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    眠い時に読んではいけない本だった… 引用の後に書いてある筆者の解説を読むと「エチカそのまま読んだら絶対理解できない!」ということはわかったので、頭が元気な時にもう一回読みたいです…

    0
    投稿日: 2024.06.14
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    とても噛み砕いて、例えも多用されており、わかりやすい説明だった。ほんの少しだけ理解できたような気がする。スピノザは難解なので何回も挑戦していくしかないと再認識した。

    0
    投稿日: 2024.06.13
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    Audibleにて。 依存症について調べていくとここに行き着く。真の自由、完全に独立した意志による行動選択などないとする考え方。中動態につながるのがコナトゥスか。  「人間がやがてAIに取って代わられるのではないか?」という不安は、合理化を進めた末に動かなくなっていった精神活動に対する自信の無さから生まれたもの…というのは面白い。人間がAIに近づいていくというのもいい得て妙だ。  合理化の果てに自由な発露手段を失った精神が、それでもその円環から抜け出せず、窒息しそうになっている。  優しさと、各種自己対象を見つけづらくなった社会構造の背景には、「全てのものを神は内包する」と捉えられず、神を私物化しようとした人の歴史が横たわっているように思う。  これを「傲慢」と一言で片付けるのは簡単だが、それでは何も解決しない。まずは見つめ直すことから始めなければ。 コナトゥス 事物が生来持っている、存在し、自らを高めつづけようとする傾向を言う。 エソロジーとエチカは同じ「エートス」=個人のあり方を語源としている。競走馬とシマウマにおける形状の同質性と本質の違い。 前者は分類学、後者を見るのがエソロジー。見かけ上の異同に惑わされないという意味ではトポロジーに近い考え方かも。

    2
    投稿日: 2024.05.04
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    正直なところ、優しく教えてくれてるのにその内容は難しく結局のところなんだったのかわからない。 感動もあまりできなかったので何も身についていない。 國文先生に関心があってスピノザにはあまり興味がなかったことに気づいた。 でももっと深く知ったら自分の中で何か変わる気がするので、時間のある時にもう一度読みたいです。

    1
    投稿日: 2024.05.02
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    基本、哲学で言ってる意味がよくわからんことがあるが、こういった易しく教えてくれる本があれば理解できた気がしてくる笑。 デカルトとの摺合せなんかも面白かった。 スピノザの概念として一部。 組み合わせとしての善悪→解りやすい 力としての本質→これも解りやすい・現代に必要な気がする 必然性としての自由→易しく教えてくれました 主体の変容をもたらす真理の獲得→わかった気がする 認識する力の認識→なんとなく理解できた 哲学をうまく使って人生を豊かにしたい。

    16
    投稿日: 2024.04.29
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    めちゃくちゃ分かりやすかったです。 ドゥルーズの入門書がどれも難解過ぎて、一度スピノザを理解したらドゥルーズの世界観を理解しやすいんじゃないかと思って読んでみたら大当たり。檜垣先生の『ドゥルーズ入門』(ちくま新書)が格段に読み進められるようになりました。 自分も、デジタルよりアナログを信仰しているので、スピノザの汎神論はぶっ刺さりました。

    3
    投稿日: 2024.04.05
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    すごく易しく書いてくれてあるのに、一度読んだだけでは理解できなかった。 理解できるようになりたいと思わせるのもスピノザ哲学の魅力なのかも。 何度も読み直したい。

    1
    投稿日: 2024.04.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・「エチカ」を読んでみたい。 ・スピノザの哲学の出発点にあるのは「神は無限である」という考え方。 ・「『いま、自分はこの物について確実な認識を有している。確実な認識とはこのような認識のことだ』、そのように感じることができるのは、何かを確実に認識した後のことだとスピノザは言っている」これは数学を学んでいてその通りだと感じる。 === ●位置: 289 神は絶対的な存在であるはずです。ならば、神が無限でないはずがない。そして神が無限ならば、神には外部がないはずだから、したがって、すべては神の中にあるということになります。これが「汎神論」と呼ばれるスピノザ哲学の根本部分にある考え方です。 ●位置: 294 すべてが神の中にあり、神はすべてを包み込んでいるとしたら、神はつまり宇宙のような存在だということになるはずです。実際、スピノザは神を自然と同一視しました。これを「神即自然」と言います(「神そく自然」あるいは「神すなわち自然」と読みます)。 ●位置: 297 神すなわち自然は外部をもたないのだから、他のいかなるものからも影響を受けません。つまり、 自分の中の法則だけで動いている。自然の中にある万物は自然の法則に従い、そしてこの自然法則には外部、すなわち例外は存在しません。超自然的な奇跡などは存在しないということです。 「神」という言葉を聞くと、宗教的なものを思い起こしてしまうことが多いと思います。ですが、スピノザの「神即自然」の考え方はむしろ自然科学的です。宇宙のような存在を神と呼んでいるのです。 ●位置: 368 そのことを指摘したスピノザは、すべての個体はそれぞれに完全なのだと言います。存在している個体は、それぞれがそれ自体の完全性を備えている。自然の中のある個体が不完全と言われるのは、単に人間が自分のもつ一般的観念、つまり「この個体はこうあるべきだ」という偏見と比較しているからであって、それぞれはそれぞれにただ存在しているのである。このことはいわゆる心身の「障害」にも当てはまります。「障害」というのも、マジョリティの視点から形成された一般的観念に基づいて判断されているにすぎません。個体それ自体は、一個の完全な個体として存在しているのです。 ●位置: 374 自然界に完全/不完全の区別が存在しないように、自然界にはそれ自体として善いものとか、それ自体として悪いものは存在しないとスピノザは言います。印象的な一節を引用してみましょう。善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。例えば、音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない。(第四部序言) ●位置: 393 自然界にはそれ自体として善いものや悪いものはないけれども、うまく組み合わさるものとうまく組み合わさらないものが存在する。それが善悪の起源だとスピノザは考えているわけです。 ●位置: 468 コナトゥスは、個体をいまある状態に維持しようとして働く力のことを指します。医学や生理学で言う恒常性(ホメオスタシス) の原理に非常に近いと言うことができます。たとえば私という個体の中の水分が減ると、私の中に水分への欲求が生まれ、それが意識の上では「水が欲しい」という形になります。 ●位置: 493 このエイドス的なものの見方は、道徳的な判断とも結びついてきます。人間について考えてみましょう。たとえば男性と女性というのも、確かにそれぞれ一つのエイドスとしてとらえることができます。そうすると、たとえばある人は女性を本質とする存在としてとらえられることになる。その時、その人がどんな個人史をもち、どんな環境で誰とどんな関係をもって生きてきて、どんな性質の力をもっているのかということは無視されてしまいます。その代わりに出てくるのは、「あなたは女性であることを本質としているのだから、女性らしくありなさい」という判断です。エイドスだけから本質を考えると、男は男らしく、女は女らしくしろということになりかねないわけです。 ●位置: 499 「力」こそ本質とする転換それに対しスピノザは、各個体がもっている力に注目しました。物の形ではなく、物がもっている力を本質と考えたのです。そう考えるだけで、私たちのものの見方も、さまざまな判断の仕方も大きく変わります。「男だから」「女だから」という考え方が出てくる余地はありません。 ●位置: 670 神のもう一つの定義を紹介しなければなりません。神は自然であるだけでなく、「実体 substantia」とも呼ばれます。実体というのは哲学で古くから使われてきた言葉ですが、その意味するところは決して難しくはありません。実体とは 実際に存在しているもの のことです。神が実体であるとは、神が唯一の実体であり、神だけが実際に存在しているということを意味しています。実際に存在しているのが神だけだとすると、私たちはどうなってしまうのでしょうか。 私たちは神という実体の変状である というのがスピノザの答えです。つまり、神の一部が、一定の形態と性質を帯びて発生するのが個物であるわけです。個物はそうやって生じる変状ですから、条件が変われば消えていきます。しかし個物は消えても、実体は消えません。 ●位置: 694 私たちを含めた万物は、それぞれが、神が存在する 様式 であると考えられます。そもそも自然は無限に多くの個物からなっているわけですから、神はそれら個物として存在している。個物は神が存在する仕方であり、その存在の様式なのです。これこそ、個体が様態と呼ばれるゆえんです。この論点はさらに敷衍することができます。個物が、神が存在するにあたっての様式であるとしたら、それぞれの個物はそれぞれの仕方で、神が存在したり作用したりする力を 表現している と考えることができます。 ●位置: 699 人間の存在は「神は人間みたいな仕方でも存在できるんだぞ」と、水の存在は「神は水のような仕方でも存在できるんだぞ」と、太陽の存在は「神は太陽のような仕方でも存在できるんだぞ」と、それぞれの個物が神の力を表現していると考えられるわけです。個物が「神が存在し・活動する神の能力をある一定の仕方で表現する」というのはそういう意味です。 ●位置: 706 スピノザの言う様態について、ジョルジョ・アガンベン(一九四二~ ) というイタリアの哲学者が面白いことを言っています。個物、すなわち様態は名詞ではなくて、副詞のようなものだというのです(『身体の使用』上村忠男訳、みすず書房、二七六頁)。 ●位置: 709 私たち一人ひとりを実体だと考えるならば、一人ひとりが名詞のような存在だということになるでしょう。これはアリストテレスやデカルトなどの考え方に対応しています。ところが、スピノザの考えでは実体は神だけです。私たち一人ひとりは、神の存在の仕方を表現する様態でした。ならばこんな風に考えられます。ちょうど副詞が動詞の内容を説明するようにして、私たち一人ひとりは神の存在の仕方を説明しているというわけです。rapidly(速く) とかslowly(ゆっくり) とかclearly(はっきり) など、副詞は名詞とは異なり、主語としては存在できません。それは動詞や形容詞などのありさまを説明し、表現するものです。ならば、確かにスピノザの言う様態は、神にとって副詞のようなものだと考えることができます。ただし、スピノザは様態を幻想のようなものと考えているわけではないことには注意しなければなりません。 ●位置: 725 スピノザの属性概念は、デカルトの「心身二元論」(精神と身体(物体)をそれぞれ独立したものとする考え方) への批判として捉えることができます。デカルトは精神と身体を分け、精神が身体を操作していると考えました。巨大ロボットの頭に小さな人間が乗って操縦しているイメージですね。それに対しスピノザは、精神が身体を動かすことはできない、というか、そもそも精神と身体をそのように分けることがおかしいと考えました。精神で起こったことが身体を動かすのではなくて、精神と身体で同時に運動が進行すると考えたのです。これを「心身並行論」と言います。 ●位置: 731 たとえば怒りに駆られた時、怒りの観念が確かに精神の中に現れますが、同時に体が熱くなったり、手が震えたりします。落胆すると、その観念が精神の中に現れますが、同時に体の力が抜けます。それらは私という様態の中で 同時に起こっている ことです。 ●位置: 735 スピノザはそれを批判しました。同じ一つの事態が、思惟の属性と延長の属性の両方で表現されているにすぎないと考えたのです。これを神の側から見てみましょう。神という実体が変状して様態が生まれます。その様態は思惟の属性においても存在するし(たとえば人間の精神)、延長の属性においても存在する(たとえば人間の身体)。思惟も延長も、いずれも神の属性であるからです。そして先に見た通り、その それぞれ が神の力を表現している。「個物は神の 属性 をある一定の仕方で表現する様態」とはこの事態を意味しています。 ●位置: 775 一人ひとりが自由に生きられることこそ、社会が安定するために一番必要なことです。ですから、コナトゥスは自分本位の原理ではないかと考えるのではなくて、人々が共同で安定して暮らしていくためには一人ひとりのコナトゥスを大切にすることが必要だと考えなければならないのです。 ●位置: 784 スピノザは確かに契約説の立場を取っていますが、一度きりの契約という考え方をしません。毎日、他人に害を及ぼすことがないよう、他人の権利を尊重しながら生活していること、それこそが契約だというのです。 ●位置: 797 一人ひとりの権利が蹂躙され、コナトゥスが踏みにじられる、そのような国家は長続きしないというのがスピノザの考えでした。一人ひとりがうまく自らのコナトゥスに従って生きていければこそ、集団は長続きする。なぜならばその時に人は自由であるからというわけです。 ●位置: 808 スピノザはそのようには考えません。制約がないだけでは自由とは言えない。そもそも全く制約がないことなどありえないというのがスピノザの出発点になります。 ●位置: 816 腕や足を自由に動かせるというのは、それらの条件を超え出るということではありません。その条件のもと、 その条件に従って、腕や足をうまく動かせる時、私たちはそれらを自由に動かすことができている。自分に与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮できること。それこそがスピノザの考える自由の状態です。 ●位置: 821 自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは 自由である と言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは 必然的である、あるいはむしろ 強制される と言われる。(第一部定義七) ●位置: 859 自由の定義を読み解く上での二つ目のポイントは、自由の反対が「強制」であることです。 ●位置: 867 本質が踏みにじられている状態さて、強制とはどういう状態か。それはその人に与えられた心身の条件が無視され、何かを押しつけられている状態です。その人に与えられた条件は、その人の本質と結びついています。ですから、強制は本質が踏みにじられている状態と言えます。あるいは外部の原因によってその本質が圧倒されてしまっている状態と言ってもいいでしょう。 ●位置: 870 この自由の反対としての強制のことを考えると、いつも、『エチカ』で紹介されているあるエピソードを思い起こします。親の叱責に耐えきれなかった青年が、家を捨てて軍隊に走り、「家庭の安楽と父の訓戒との代りに戦争の労苦と暴君の命令とを選び、ただ親に復讐しようとするためにありとあらゆる負担を身に引受ける」という話です(第四部付録第一三項)。 ●位置: 876 『エチカ』によれば、復讐心とは、憎しみの感情から害悪を加えた者に対して、同じく憎しみの感情から害悪を加えるように人を駆り立てる欲望です(第三部諸感情の定義三七)。この青年は親に対して直接に復讐を果たすことができない。だからその代わりに自分の心身を痛めつけている。そのような状態にある時、この青年はかつて受けた虐待という外部の圧倒的な原因に、ほぼ自身のすべてを支配されています。彼の行動の全体がこの復讐のためにある。これこそ「強制」の状態、自由とは正反対の状態に他なりません。外部の原因によって存在の仕方を決定されてしまっている状態です。 ●位置: 886 スピノザによれば、人は自らが原因となって何かをなす時、能動と言われます。私が私の行為の原因である場合、私はその行為において能動であるわけです。これは次のように定義されています。我々自らがその妥当な原因となっているようなある事が我々の内あるいは我々の外に起こる時、言いかえれば〔……〕 我々の本性のみによって明瞭判然と理解されうるようなある事が我々の本性から我々の内あるいは我々の外に起こる時、私は我々が 働きをなす〔能動〕と言う。(第三部定義二) ●位置: 905 ふつう原因と結果は、前者が後者をひき起こす関係にあるものだと考えられています。ところが、『エチカ』の哲学体系においては、原因と結果の関係はそこに留まりません。原因は、 結果の中で自らの力を表現するもの として理解されているのです。どういうことでしょうか。個体とは神の変状でした。神という実体が一定の形と性質を帯びることで個体になる。その意味で、存在しているすべての物は、 神をその存在の原因としています。他方、前章の「様態」の説明のところで見た通り、どの個体も、 神の力を表現している と言われるのでした。存在するすべての物は、神が存在する仕方、すなわち様態であるからです。 ●位置: 912 存在するすべての物は神の本性あるいは本質を一定の仕方で表現する〔……〕。言いかえれば〔……〕 存在するすべての物は神の能力を──万物の原因である神の能力を一定の仕方で表現する。(第一部定理三六証明)ここでスピノザが用いている「表現する」という動詞は、「説明する」とも言い換えることができます。自然界に存在する一つひとつの物は、神の力を説明していると考えられるわけです。 ●位置: 916 たとえば、神すなわち自然には、水のようなさらさらで透明な液体を作り出す力がある。あるいはまた、ものを考えて哲学という営みをもたらす人間のような存在を作り出す力もある。神すなわち自然には実に豊かな力があります。その中に存在している一つひとつが、それぞれの仕方で、「神にはこんなこともできるよ」「自然にはこんな力があるよ」と説明してくれている。そしてそのような万物を作り出した原因が神なのでした。すると、原因と結果の関係は、同時に、表現の関係でもあることになります。 神という原因は、 万物という結果において自らの力を表現している ことになります。 ●位置: 929 私は自らの行為において 自分の力を表現している時に能動である。それとは逆に、私の行為が私ではなく、他人の力をより多く表現している時、私は受動である。先の軍隊に走った青年の例を思い出してください。復讐に燃える彼は、ある意味では非常に活発に活動するように見えるかもしれません。しかし、彼を動かしているのは、かつて親から受けた虐待への復讐心です。つまり、彼の親こそが彼の活発な活動の原因になっているのです。彼の本質はこの圧倒的な外部の原因によって踏みにじられている。彼の行為はいずれも、彼の力というより、彼の親の力を表現しているのです。 ●位置: 944 スピノザの能動/受動の概念ならば違います。スピノザはその行為が誰のどのような力を表現しているかに注目します。銃で脅してくる相手に私がお金を手渡すという行為は、その相手の力をより多く表現しています。その相手には、他人に金を差し出させるような力がある(といっても、それは大部分が銃のおかげですが)。私の行為はその相手の力を表現しているわけです。 ●位置: 973 完全に能動にはなれない私たちも、受動の部分を減らして、能動の部分を増やすことはできます。スピノザはいつも度合いで考えるのです。自由も同じです。完全な自由はありえません。しかし、これまでより少し自由になることはできる。自由の度合いを少しずつ高めていくことはできる。実際、私たちは自分たちの身体の使い方も分からない段階から、そうやって少しずつ自由になってきたのではないでしょうか。こう考えると、スピノザの哲学が本当に実践的であることが分かります。何か完全な自由を実現しようとするのではなくて、一人ひとりが少しずつ自由になっていくことをこの哲学は求めているのです。 ●位置: 1,015 例えば人間が自らを自由であると思っているのは、すなわち彼らが自分は自由意志をもってあることをなしあるいはなさざることができると思っているのは、誤っている。そしてそうした誤った意見は、彼らがただ彼らの行動は意識するが彼らをそれへ決定する諸原因はこれを知らないということにのみ存するのである。だから彼らの自由の観念なるものは彼らが自らの行動の原因を知らないということにあるのである。(第二部定理三五備考) ●位置: 1,066 一つの行為は実に多くの要因のもとにあります。それらが協同した結果として行為が実現するわけです。つまり、 行為は多元的に決定されている のであって、意志が一元的に決定しているわけではないのです。けれどもどうしても私たちは自分の行為を、自分の意志によって一元的に決定されたものと考えてしまいます。繰り返しになりますが、それは私たちの意識が結果だけを受け取るようにできているからです。 ●位置: 1,073 スピノザは意志が自由な原因であることを否定しました。しかし、私たちが意志の存在を 意識する ことは否定していません。確かに私たちはそのような精神の力を感じるのです。 ●位置: 1,098 現代ほど、「意志」「意志決定」「選択」といったものが盛んに言われる時代も珍しいと思われるからです。意志を巡る現代社会の論法というのは次のようなものです。──これだけ選択肢があります。はい、これがあなたの選択ですね。ということはつまり、あなたが自分の意志で決められたのがこれです。ご自身の意志で選択されたことですから、その責任はあなたにあります。この論法が全く疑われないわけですから、純粋な自発性としての意志など存在しえないという、ちょっと考えれば分かることですら共有されません。このように意志なるものを信じて疑わない現代社会を見ていると、何か私は信仰のようなものを感じます。 ●位置: 1,139 現代社会では、意志がほとんど信仰のように強く信じられていることは分かっておいていただきたいと思います。その信仰を解除すれば、私たちはもう少しだけ自由になれるのではないか。 ●位置: 1,171 実に、光が光自身と闇とを顕わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。 ●位置: 1,186 真理の基準は存在しえない、もう少し正確に言えば、真理の外側にあって、それを使えば真理を判定できる、そのような真理の基準を見出すことは原理的に不可能だということです。 ●位置: 1,194 真理が真理自身の基準であるとはどういうことでしょうか。それは真理が「自分は真理である」と語りかけてくるということです。言い換えれば、真理を獲得すれば、「ああ、これは真理だ」と分かるのであって、それ以外に真理の真理性を証し立てるものはないということです。 ●位置: 1,267 スピノザは最初に挙げた「真理は真理自身と虚偽との規範である」という文言の直前でこう述べています。あえて問うが、前もって物を認識していないなら自分がその物を認識していることを誰が知りえようか。すなわち前もって物について確実でないなら自分がその物について確実であることを誰が知りえようか。(第二部定理四三備考)どういうことでしょうか。 「いま、自分はこの物について確実な認識を有している。確実な認識とはこのような認識のことだ」、そのように感じることができるのは、何かを確実に認識した後のことだとスピノザは言っているのです。 ●位置: 1,287 ように認識はスピノザにおいて、何らかの主体の変化と結びつけて考えられているのです。自らの認識する能力についての認識が高まっていくわけですから、これはつまり、少しずつ、より自由になっているのだと考えることができます。 ●位置: 1,414 スピノザの考える真理の特徴は、それが主体の変容を求めることでした。ある真理を獲得するためにはそれに見合うだけの主体へとレベルアップしなければならない。真理を獲得した者は自分がそれを有していることを知ると同時に、その確実性を疑うことができないというのがスピノザの考えであったことは前章で見ましたが、なぜスピノザがそのように考えられたのかといえば、真理の獲得と主体の変容をセットで考えていたからです。

    0
    投稿日: 2024.03.12
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    先日読んだ夏川草介さんの『スピノザの診察室』がとても面白かったので、他のも読んでみたいな〜と思って手に取りました ってそっちかーい! スピノザの方に広げるんかーい!っていうね これが書きたかっただけだろ!って? 失礼な!こんな小さな笑いのために一冊読むようなまねしませんよぼかぁ! いやほんとほんと ほんとにスピノザに興味持ったんです 純粋な気持ちです で、図書館でパラパラっとスピノザの著作をめくってみたんですが、ちょっと難しそうだったので、題名からして入門書感バリバリのこちらを 國分功一郎さんて聞いたことあったし 結果大正解!すごく分かりやすく面白かったです 内容はね、めんどくさいんで書きませんけどね 「哲学」なんてねどうしょうもなく分かりづらいのよ、世知辛いのよ とっても分かりやすいうえに思わず膝を打つ話も多かった 繰り返しになりますけど内容は書きません けどね 夏川草介さんを読んでスピノザに興味を持った人が手にする最初の一冊としては超絶オススメです!ってことが伝えられればいいのかなと思うのです! そうです!我思う、ゆえに我ありです! ってそれデカルト!

    70
    投稿日: 2024.02.12
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    スピノザの概念が実例を交えてて分かりやすい。 後半のデカルトとの関連性も面白い。 最後の方に語られる実践編についても聞いてみたい。

    0
    投稿日: 2024.02.08
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    「あなたへのおすすめ」のなかに、本書の著者である國分功一郎氏の最近の本の名前が挙がっていたので、その前に、有名と思われるこの本をまずは読んでみた。 スピノザという17世紀のオランダの哲学者のことは全く知らなかったが、著者による解説を読む限り、とても魅力的な説に聞こえる。 「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」というキャッチコピーも秀逸。 とある漫画の、炭素の代わりにケイ素が生命の主要材料として使われる、もうひとつの「ケイ素生態系」を、ふと思い出した。 P5 やや象徴的に、スピノザの哲学は「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学である、と言うことができます。

    30
    投稿日: 2024.01.27
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    実践的な哲学!完全/不完全、善/悪の判断基準は自分の中の指針にしていきたいなと思う。より善く生きることは「活動能力を増大」させるという考え方も面白い。いろんな刺激を楽しめるようになるために、自分と善い組み合わせのものを探すために、新しいことに挑戦するのは大切だと感じた。

    0
    投稿日: 2024.01.19
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    思考を深めるにはとても良い本。小難しさ感がありそうで、ちゃんと理解できる。 生き方・考え方について深い洞察が得られる。

    0
    投稿日: 2024.01.04
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    例えば、腕なら可動域の範囲で動ければ自由、腕の自由とは360度動くことではないように、なんでもあり、の状態が自由というわけじゃない。 なぜ今17世紀のスピノザ?という問いには、17世紀は近代社会の基礎(OS)が選択された時代、デカルトが選択された側、スピノザは選択されなかった側だけど、もし、スピノザ的倫理学を近代社会の基礎に置いていたら、今の社会の見え方が全く違ってくるかもね?というお話。

    5
    投稿日: 2023.07.23
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    平易な語り口で 著者20年の研究「スピノザ哲学」入門を 書いてくれていますが、それでも難解でした。 デカルトが唱えた哲学を発展させ、近代思想・西洋哲学はずーっと エヴィデンスを必須とする思考回路を発展させてきた。ところが、デカルトを批判したスピノザ哲学には 「人類が選ばなかったほうの近代思想」の まだ見ぬ姿があるかもなのだよ、となんとも魅力的な看板が 著者によって掲げられましたが、 そこに期待しつつ読み進めても、書いてあることは結局 私の理解できるものではなかった。。。 においすらしなかったよ泣 新世紀エヴァンゲリヲンにて、 人類が選んだ知恵の実 以降の人類の酷で不安で 戦闘&排除に駆り立てられる宿命は 決して回避/解決されることなく、 生命の実 を受け継いだ存在を決して 理解できない、戻れないしやり直せない、 って話に近い結論なのかなあ。 モヤモヤ。 選ばれなかったスピノザ哲学は  オワコンなのでしょ? 人類が捨てた選択肢でしょ、 それだけのことでしょ?と終始 モヤモヤ思いながら読み終えました。

    7
    投稿日: 2023.07.22
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    岩波文庫のキャンペーンで「エチカ」が対象になっていたので、コレを読む前に解説本としてこれを読んだ。 まず薄くて良い。解説もわかりやすい。このままエチカを読んでみる

    3
    投稿日: 2023.07.14
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    スピノザを扱った本としては例外的に読みやすいのではないだろうか?近代とは思考のOSが異なるというその本質が飲み込めたような気にさせてくれる。コナトゥス、自由、変状など、確かに身の回りに当てはめても説得力のある解説だと感じた。

    3
    投稿日: 2023.04.15
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     NHK出版「100分de名著」の改訂版。スピノザは一応「エチカ」のみ既読だが、例によって内容はほとんど忘れてしまっているため、薄くて内容もやさし目の本書で復習を目論んだのだが、流石はプロの研究者、本書を軽く通読するだけでエッセンスが理解出来てしまう。僕なんぞが「エチカ」を100回読んでもここまで明快に整理することはできないだろう。やはり素人は専門家の知見を大いに活用させてもらうべきだ。  面白かったのは「自由」を扱う第3章。既視感のある内容だなと思ったのだが、これはダニエル・デネット『自由の余地』における自由意志を扱う議論と相似である。デネットでは、人間が本来「無意味」であるはずの自然界にカント的「理性(理由・意味)」を見出してしまうのは、「意味論エンジン」としての脳が因果関係の連鎖に対して過剰に意味を付与してしまうこと、そして因果連鎖の中でも直接自分が関与する因果関係のみを認識する「直感ポンプ」としての脳の働きにより、自らが起因となって因果関係を発動したというユーザーイリュージョン(©︎トール・ノーレットランダージュ)が生じてしまうことが原因とされている。本書でもほぼ同様の論理構成が取られており、自由意志を科学の分野に回収しようという「自然主義」とスピノザ哲学の相性の良さがよくわかる。  ただ、デネットがハードな決定論を回避し望ましいレベルでの自由を確保しようとするアプローチは必ずしも明快とは言えない。本書でも、全てを意志に還元しようとする「意志教」を批判しながら、完全な自由意志は存在しないがメタレベルの「意識」でなら自らの行為をコントロール可能、という「穏健な決定論」が提唱されているが、肝心の意識が行為に及ぼす影響については具体的な記述に乏しく、やはり納得感は得られなかった。このままだとやはりラプラス・デーモンには逆らえず、人間は「コナトゥス」という名の傾向性に押し流されるだけの存在だということになってしまうのでは…。  ただそれ以上に興味が惹かれたのは「真理は真理自身と虚偽との規範である」という、真理の「宙吊り構造」をこれ以上もなくストレートに表現した第二部43定理備考を論じるくだり。ここから『エチカ』が個別具体を重視する「実践」を説く書物だという結論に繋げる構成は流石の説得力。僕は『エチカ』を読んだ時、追及対象と方法論が相似形をなしているという意味で「実践的」だなあ、と思ったのだが、全く別の意味で「実践」の二文字が出てきたことに不思議な驚きを禁じ得なかった。

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    投稿日: 2023.03.21
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    「一つの行為は実に多くの要因のもとにあります。それらが協同した結果として行為が実現するわけです。つまり、行為は多元的に決定されているのであって、意志が一元的に決定しているわけではないのです」 現代が「意志教」になっていることへの警句を著者はスピノザを通して語ってくれている。

    1
    投稿日: 2023.02.03
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    哲学についての知識をもたない読者にも読むことのできる、たいへんわかりやすく書かれたスピノザの入門書です。 著者は、デカルト哲学を基盤として発展していった近代科学の発想とは異なる考えかたが、スピノザの思想に見られると述べて、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」についての展望を切り開こうとしています。そこで著者がとりあげるのは、自由についてのスピノザの考えかたです。スピノザは、自分の存在を維持しようとする力をコナトゥスと呼び、さまざまな条件のもとで自己の変状を通じて自己の表現がなされることに自由を見いだそうとしていたと、著者は説いています。そして、個人の「自由意志」にもとづく、現代にひろく流布している自由についての考えかたとは異なる発想が、そこには存在するということを明らかにします。 さらに著者は、スピノザの思想が現代の読者にとってわかりにくいものになっている理由についての考察をおこない、その真理観についての解説へと議論を進めています。デカルトにとっての真理は、明晰判明に理解されるものとみなされていますが、こうした真理観は「方法的懐疑」の立場に立つデカルトが、自分自身を説得するための「証明の論理」だったと著者はいいます。これに対して、スピノザにとっての真理は、「観念の洗練」という歩みを通して、主体の変容とともに受け入れられるものだったと著者は論じています。そして神の存在証明にかんする考察をもとに、デカルト哲学においてもスピノザの真理観へとつながるような可能性が含まれていたことを明らかにし、スピノザの思想をいまあらためて学ぶことの意義を示そうとしています。

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    投稿日: 2023.02.02
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    デカルトとスピノザの思想の関係が、やさしく的確な言葉で整理されていてありがたい。また、本質を形ではなく力として捉えなおすという視点は、ニーチェやフロイトにはじまる理性批判の流れを見通しやすくするものだと感じた。

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    投稿日: 2023.01.10
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    己自身が己自身である限り向き合わねばならない限界/不自由というものがある。私は発達障害者でありアルコール依存症である身だが、その身であることを受け容れた上で、その中で呑まないことなどを条件/制限として生きるしかない。その「ままならなさ」を踏まえると私にも自由な生き方、あるいは國分が「コナトゥス」という言葉で伝えるように「よい」生き方というものが見えてくる。ごく現実的な幸福論。だが、ならば心地よさがすべて善なのかということでもない。そのあたりの議論がこの本の論理を敷衍されることでどうなるのか? 興味を抱いた

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    投稿日: 2023.01.05
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    読みやすい。 國分さんの『中動態の世界』の話がスピノザを主題に語られている。 理解とは主体の変容を伴っている。 本書では触れていないが、徹底的にロジカルで反駁のしようのない「数学」が一番、その考え方になじむのは不思議だ。 自由意志概念のラディカルな見直しも。 デカルトとの対決を通して、もう一つの近代についても言及する。

    0
    投稿日: 2022.12.16
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    【星:4.0】 哲学者「スピノザ」について分かりやすく説明している。 この本を読んでいると「スピノザ」について興味を持って欲しいという著者の思いが伝わってくる。 とは言ってもどうやらこの「スピノザ」の考え方自宅が難しいからだろうが、哲学初心者の私にはピンと来なかったところがあるのも確かである。 この本を手に取ったきっかけが「哲学で分かりやすそうな本を読んで哲学に興味を持つ」だったのだが、その目標は概ね達成できた。

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    投稿日: 2022.11.28
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    スピノザを「汎神論」として学んでしまうと、どうしても神のことばかり考えたスピリチュアルな人だと思いがちだ。だが、実際にはそういうことではない……ということがよく分かる一冊だった。スピノザについてぼやっとしていた所がはっきりできたので良かった。

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    投稿日: 2022.11.25
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    かなり自分と考えていることと近くて、すっと読めた。 自分は密教的なのかもしれない。 たしかに、他者を説得しようとあんまり思ってないもんな。だからいけないのでは…? 真理について、いかに客観的に他者を説得するかに重きを置いたデカルトと、真理に向き合う主体にフォーカスしたスピノザ、現代の基本はデカルトだが…というところで、完全に自分が現代に適合できてないことに気がついた。

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    投稿日: 2022.11.06
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    〈よさ〉について考えるにあたりスピノザのエチカにぶつかったため、入門書として読了。 神即自然の考えはショーペンハウアーの言うところの盲目的な意志やドーキンスの利己的な遺伝子論とも通ずるところがあり、用意に理解できた。 またここ3日ほどの自主論考と近しい部分がたくさんあり「17世紀にやっとんかーい!」という気持ちになったが、自分が見当外れなことをやっていなかったことに少しの安心を覚えた。 本書は近代合理主義に支配されている我々に、感得するに至ったひとにしか分からない真理のあり方というもうひとつの真理のあり方を提案する。 私にはまだそのような真理の感覚は感得できていないらしいが、本書は契機になりうる。そんな予感がしている。1日で2度読んでしまった。

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    投稿日: 2022.10.28
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    思考においてエビデンス偏重をしているのではないかと言う側面と、その対称としてスピノザによる体験としての真理、主体の成長を伴う確信などについて。 医学においては経験や理屈偏重の治療に対する反省でエビデンス至上主義みたいな時期があり、今はいずれも尊重している印象がある。触れる機会も多いので、個人的にはエビデンスは血の通わない冷たいものという印象ではないのですが、学問によってイメージは違うのかなと感じました。誰が考えても自明に正しいものにはそもそもエビデンスという発想もないので。 自由意志、コナトゥス、変状、属性、神の捉え方など最後まで興味深く読ませていただきました。

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    投稿日: 2022.09.23
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    17世紀、社会の分岐点となった時代に生きた哲学者、デカルトとスピノザ。人類が歩んできた近代はデカルトの思想を中心に発展を遂げた。(全部を疑い万人に理解されるものだけが真理であるというエビデンス絶対主義) スピノザの思想は現代を生きる我々と「思考のOS(考える前提)」が異なり、わかりづらい部分も多い。 作者は丁寧な解説でスピノザの思想を精読していき、ありえたかもしれない、もう一つの世界のあり方について考える。 閉塞しきった現代社会を打ち破る可能性はそこに秘められているか。 思考の前提を疑い、過去の思想を読み直すことで、異なる考え方、物事の捉え方が出来るようになり、もっと柔軟に生きていけるような気がしました。 面白かったです。

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    投稿日: 2022.07.08
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    コーチとして活動する中で、共感する考えがとても多いので、引用交えてnoteにしました。 https://note.com/design_iweuew/n/n3667d56bfe1f

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    投稿日: 2022.06.21
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    めちゃめちゃ分かりやすいしおもしろい *自由について たとえば今日ぼくはテニスをしたけど、それは自分が今いる会社に入ったからで、というかそもそもテニスができるからで、でもそれはそもそも○○なのが原因で、あのときだれだれにこういわれたからで、じゃあそれはそもそも、、とたどると、(テニスに限らず)文字通り自分の"全て"の意志が宇宙的な因果関係に回収されて消え入りそうな気持ちになるんだけど、、 そうやってあれこれ考えてる自分の"意識"は確かに自分のものとしてあって、絶対的ではないんだけど影響力を持っている。と、アンカーをしっかり落としてくれてなんとなく腑に落ちる *神について スピノザが考える"神"の定義が、いままで聞いたどんな神さま云々の話よりしっくりきた。それは実在する、しないというよりかは、定義付けとか、世界への視点の変え方、みたいな話で受け入れやすい 國分さんの本とにかくわかりやすいのでもっと読もうと思いました

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    投稿日: 2022.05.22
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    文學界での若様との対談から國分先生の著作に興味を持ったリトルトゥースへ。「中動態の世界」の中にもスピノザさんの主張が取り上げられる箇所が多くあるので、ぜひ本作から読んでみてください。

    0
    投稿日: 2022.03.15
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    とっても面白く、わかりやすかったです。 スピノザの倫理学のロジックをしっかりと理解できたつもりになりました。 「物の本質は「力」である」、「自由意志は存在しない」などなど今までのものごとの捉えかたをひっくり返されるような内容が次々とでてきました。 自分であれやこれや考えながら、概念を自分のものにしていきたいと思います。

    0
    投稿日: 2022.02.12
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    自由とは自発性のことではない。 我々は何かを理解するプロセスにおいて自身の認識する「力」を認識する。自らの行為において自分の力を表現できているとき自由であると言える。 自分が受け取れる刺激の幅を広げてくれるものは何か?自分が何をしているときに楽しいと感じるのか。自分のコナトゥスをうまく働かせて活動能力を増大させる組み合わせを実験によって見つけながら生きているとき自由である。 僕にとっては、やはり学びがこれまでの世界を違ったものに見せてくれる、まさに刺激の幅を広げてくれるもの。強制されることなく学び、他者に証明することはできない自身の変容を経て真理に到達する。近代科学OSでは走らせることのできなスピノザ哲学を知ることでもっと自由になれる。 #読了 #君羅文庫

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    投稿日: 2022.01.04
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    自由についての章が私にとって1番印象的であった。自由とは何か、自分が誰からも何からも制約を受けずに思い通りに出来ること、曖昧にそんな風に思っていた。そんな自由など獲得できるのかという思いがあったが、スピノザの視点を知り少しずつ獲得して行けそうな楽な気持ちになった。

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    投稿日: 2021.09.23
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    哲学者・国分功一郎によるスピノザの倫理学入門書。Eテレ『100分de名著』の増補改訂版とのこと。 冒頭から『組み合わせとしての善悪』『物がもっている力を本質と考える』と、今の社会にこそ必要ではないかという物事の捉え方が説かれていて、ここまででもう読んでよかった。 「はじめに」で「思考のOSが違う」と言うように、今の状態で全部理解し移行するのは難しいかもしれないけど、スピノザ哲学のインストールによって生きやすくなるように感じる。 元々はオードリー若林が著者と文學界で対談するということで興味を持ち衝動買いした本。ここ最近の言動の根底に流れているもの、その一端を感じられたような気がする。

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    投稿日: 2021.09.18
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    ・スピノザとデカルトのosがちがう。デカルトは近代哲学的な証明主義。我思うゆえに我あり。疑いを前提とした思想。スピノザは主体性の変容。わからん。 ・神は完全なものであるからして、外部的ではない。無限である。わしらは全員神の中にいる。万物は神の容態のひとつ。 ・善悪がない。全ては組み合わせ…相対的。活動能力がたかまることが良いこと。完全性を高めること。 ・各個体はそれぞれに完全である。 ・意志は無から有を産むこと。合理性がない。自由意思など存在しない。なんらかの原因が影響している。 ・意志を信仰のように扱っていないか。 ・自由とは能動的であること。自らが原因であるようなことを作り出すこと。自らの力が表現されている行為。

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    投稿日: 2021.09.07
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    「エチカ」についてわかった気にさせてくれた。 荘子の「万物斉同」の考え方を思わせる善悪の考え方、同じく荘子の「道」に近い「神」の考え方は日本人にも馴染みやすいと思う(個人的には科学とも親和性高いと思うんですよね)。そして近年の神経科学の知見にも通じる意志と意識の関係についてもとても面白かった。「自分が」そう思っていることも、思わされているに過ぎないと疑わなければならない。 「コナトゥス」についてはなるほどな、というところ。エチカも読んでみます。

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    投稿日: 2021.08.20
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    読了。スピノザなんて名前ぐらいしか知らなかったけれど、こうして読んでみるとかなりまともなことを言っているし、同時代の哲学者とは少々毛色の違う人のような気もした。 特に意志の自発性が書かれているところは必読。この自己責任社会にあって、スピノザが投げかける意志の問題はとても深い。 また、組み合わせとしての善悪の話や、「完全・不完全とは?」といった内容が書かれている部分はハッと気付かされるものがある。 そして、この本を読んでから著者の他の本や記事、動画などを観ると一層理解が深まると思う。

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    投稿日: 2021.08.16
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    息子が持っていたのを借りて読んでみた。 高校の倫理の学習では全く学ばなかったスピノザでしたが、非常にわかりやすい(ということは筆者の主観によって要約されたり割愛された部分もあるのかな?)解説で、興味深く共感的に読むことができました。17世紀までに作られたメインストリームの思想とは違うオルタナティブなスピノザは、現代社会でこそ活用できるものだと感じました。

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    投稿日: 2021.08.14
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    哲学者スピノザのエチカという書物について、魅力的である反面とっつきにくいところを、スピノザを研究する著者が噛み砕いて紹介してくれている入門書です。 本書では、冒頭でも述べられていますが、普段考えているこうであろうというものの見方とは少し異なった見方をしていることが多くあります。そのために発見や、なるほどというものも多く面白かったのですが、以下はその中でも一番惹かれたものについてです。 〜完全と不完全について 一部抜粋〜 それぞれの個体はただ一つの個体として存在しているにすぎず、すべての個体はそれぞれに完全なのだ。 この考え方を読んだ時、なんてやさしい考え方なんだろうと思いました。私たちは建設中の屋根がない家を見て不完全だと言うけれど、それは家=屋根ありという偏見がもたらしたものとの照らし合わせにすぎず、屋根のない段階のものもそれはそれで完全(な状態)だとも言ってらっしゃいます。 世間では近年自己肯定感という言葉が知られて、やれ自分は自己肯定感が低いとか、それをいかに上げてハッピーになろうとか、自分を愛そうとか言われています。自己肯定感の低い私は今まで自己肯定感を高めることを幾つかやってきましたが、なかなかハードルが高くて続かず、余計に落ち込んだりしました。でも今回のすべての個体がそれだけで完全だという考え方はただ完全な状態なだけなので、とてもすんなり受け入れられました。ここで自己肯定感を高めるために1日3回自分は完璧なんだ!生きてるだけで偉い!と言いましょうなんて言われると「いや、もっと理想はあるし、ここがだめだし、完璧じゃないし‥」など思ってしまいそうだし、ありのままを受け入れよう!と言われても「ありのままに不満があるから受け入れられないんじゃないか」とか思ってしまうと思います。 同じニュアンスではあるものの、私にはこの言葉が一番やさしく、楽に自分に馴染みました。ときどき思い出したいです。

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    投稿日: 2021.08.05
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    スピノザ、私は大いに笑うことと今後自活していくのに必要なだけ働いて夜は哲学を研究することを望む。 なぜ人々は隷属を誇りとするのか? 活動能力の増大 力が増大すると喜びは満たされるが、力にと組み合わせがある。 本日は力である。コナトゥス。 多くの仕方で刺激されうる状態にしておく。 私たちは神という実体の変状である。 自由=自分に与えられた条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮すること。 自らを自由にする。 行為は多元的に決定されるのであって、意思のみによって決定されるのではない。 認識するということは、自らの認識する力を認識することでもある。

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    投稿日: 2021.06.25
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    簡単に読めるように書いてくれているけど、それでも私には難しいところもある。スピノザの自由には共感する。わかったと思うと、手のひらをすり抜けていくみたいにふわふわして、あれっ?わかってなかった、ということを何度も繰り返して、なんとなく掴めたと思う。 國分さんの文章が私にはとても読みやすい。

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    投稿日: 2021.05.02
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    ねたみ分析、欲望、自由へのエチカ、意思と意識、能動と受動、そしてデカルトの存在証明と流れていく、國分功一郎さんのわかりやすさにいつも助かります。途中のカッコの文章が丁寧で優しく気配りのあるコメントがあり個人的に好きです。また國分功一郎さんの本を読んで癒されたいです。

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    投稿日: 2021.03.16
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    ■著者が扱っているメインテーマ 現代人の思考のOSを書き換えるスピノザ哲学とは? ■筆者が最も伝えたかったメッセージ 普遍的価値観を外に求めるのではなく、自らの内を土台に考え、 そこから相対化させる考え方。 ■学んだことは何か 当たり前だと思っている物事の考え方に囚われる必要はなく、 別の考え方を自らが作っていくことだって出来る。

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    投稿日: 2021.03.14
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    17世紀の哲学者で倫理について論じたスピノザ。 彼が書いた「エチカ」をわかりやすく解説してくれている本書。 分かりやすく書いてくれはいるものの、後半1/3くらいはついていけず、よくわからないまま終わってしまった。。 とはいえ、エチカで論じられている内容はとても救いのある内容なので、もうちょっと根性が出ればじっくり勉強するのもいいと思った。 主な論旨 ・あらゆる個体は完全である。(不完全と見るのは偏見でしかない) ・善悪は「組合せ」の問題である。 ・人には「コナトゥス」という自分の存在を維持しようとする力が本質的に備わっている。 ・コナトゥスは人によって性質が異なるが、「活動能力が高まる」ことを希求する。 ・外部からの刺激を受けてコナトゥスは反応を変状させる。 ・力が増すとき、人は喜びを感じる。 ・だから多くの刺激を良く受け取り、喜びを増やせる状態を目指すのが賢者である。 ・自分にとってマイナスな行動をするのは外部に支配され、自分の活動能力が踏みにじられているから。 他に良いなと思った考え ・魚は水の中を泳いで生きるという必然性にうまく従って生きることが出来た時にこそ、その力を余すことなく発揮できる。 ・不自由な状態、強制された状態とは、外部の原因に支配されている事である。ならば自由であるとは、自分が原因になる事ではないでしょうか。 ・自らの行為において自分の力を表現しているときに能動である。私の行動が他人の力をより多く表現しているとき、私は受動である。

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    投稿日: 2021.03.13
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    講義のような語り口調でとてもわかりやすい。 スピノザの思想の概要を知るにはもってこい。 デカルトとライプニッツも一緒に読むと良さそう。 「自由意志はない」と言う説が新鮮。 確かに自分では気が付かない遠因があって、その行動をとっているということは自分でもあったし、他人の行動に感じることもある。 本当の自発性を発揮してゆくというのはむずかしいな。 デカルト以降の近代思想に対し、スピノザは選択されなかったもう一つの近代思想。 哲学者それぞれの「神」の捉え方を色々比較すると面白そう。

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    投稿日: 2021.03.13
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    かなり読者の知的レベルを低く見積もった本。無理やりなスピノザ擁護やリベラル道徳のお説教が散見される。読みづらいエチカを頑張ってかみ砕いているのは確かだが。

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    投稿日: 2021.03.10
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    とても面白かった。スピノザについて私が知っていたのは『エチカ』の人で、若くしてコミュニティから追放されたということだけだったけれど、もっと学んでみたくなった。

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    投稿日: 2021.02.21
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    すごく面白かったな。スピノザという人のエチカを読んでみたくなった。でもここで感じたことは、この国分さんという人がわかりやすく解説してくれたからなんだろうな。 こういう哲学の本を読んでいて、どう自分の人生に活かすのかということを説明してくれている本にはまだあまり出会ってないのだが、この本はちゃんと触れてくれている。ただしあくまでも触れているなんだよな。 この国分さんに、もっと詳しくそういうテーマで書いてもらえたものがあるならぜひ読んでみたい。 最後の方で、AIが人間に近づいているのではなく、人間がAIに近づいている、そういう存在としか見られなくなっているというくだりは、膝を叩くような思いだった。

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    投稿日: 2021.02.06
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    読了。100分で名著が面白かったので。大変読みやすい。國分さんはスピノザの思想の翻訳者のような立場で書いているので、読者はさらに自分の言葉で思考できる。

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    投稿日: 2021.02.01
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    おもしろかったよ。 「トリカブト自体は悪くない」 「個物は神の属性をある一定の仕方で表現する様態である」 「神は無限であり外部がない」 「精神が身体を動かすことはできない」 「神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、は必然的に存在する」

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    投稿日: 2021.01.28
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    年末年始の読書その4 『はじめてのスピノザ』國分功一郎 「100分de名著」のテキストをベースにしつつ、スピノザの主著『エチカ』冒頭の最難関箇所、神の存在証明に言及した第5章を増補したスピノザ入門の決定版です。 改めてゆっくり読んでいます。 これはオススメの一冊。 第5章は、真理に到達するには主体の変容が必要で、変容は私的なものだから「描写」されるって方向で書かれています。 ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』 にもう一度チャレンジしてみたくなりますた。 この数日、親鸞論を読んでいたら、ふとスピノザのことを思い出してしまって、年末に買ったこの本をこれを再読。した次第。 プラトンの『メノン』(ソクラテスの対話のお話の初期)をお正月に読んでから、そのあたりのことをうろうろしています。 そのあたり、とは、神といってもいいし、仏といってもいいのですが、存在の前提となる「平面」というか「可能性条件」というか、「存在根拠」というか、そういうものを巡って展開される言葉たちの身振りに対する興味がわいてくるのです。 そんな前提とか条件とか根拠なんてものが、あるわけはない、と言ってみたくなるのもたしか。 神も仏も物理的にはいるわけがない、そんなことは分かっています。 だが「より良く生きる」ということを「世迷い言」といって済ませる気にもなれないのです。 親鸞における悪と信、一遍における名号と遊行、スピノザにおける神もしくは第三種認識、プラトンにおける想起もしくはイデア…… でも、年末年始の「暇」だけのせいでもなく、そんなものについて考えてみようと思います。 道元と日蓮、そして空海あたりも回遊してみようかな。

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    投稿日: 2021.01.18
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    中動態や責任の生成に、スピノザ哲学で横串を刺している感じ。組み合わせと活動能力を尺度としての善悪や、自由についての考え方が新鮮で興奮した。

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    投稿日: 2021.01.17
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    2021/1/4 めーちゃくちゃ面白かった。スピノザはただただ難しいという印象で遠ざけていたけど、かなり身近な存在にしてくれる一冊。難しいところは國分先生自身が「自分も理解に苦労した」と目線を同じにして教えてくれる。 スピノザの出自から思想、現代への落とし込みまで網羅。特に4章のAIに関する箇所は勉強になった。 『エチカ』下巻ちまちま読もっかなー。

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    投稿日: 2021.01.04
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    「100分で名著」で見ていると思うが、まったく記憶にない。そして、本書も3日ほど前に読み終わっていたのだが、これまた、ほぼ記憶に残っていない。そんなこともあろうかと、読みながら気になったところをツイートしているのでそこから拾ってみよう。引用文については最初からあきらめていて、軽く読み流して、著者の解説を読んでいる。「賢者とは楽しみを知る人、いろいろな物事を楽しめる人」うーん、どんな文脈でこのことばが出てきたのか。「優れた教育者は、生徒のエイドスに基づいて内容を押し付けるのではなく、生徒に自分のコナトゥスのあり方を理解させるような教育ができる人」うーん、これまた、エイドスとコナトゥスの意味が分からくなっているから、まったく何が言いたいか分からない。これを読んだときには理解していたはずだし、感動してツイートしたはずなのだけれど。「どんなものも光をあてないと見えない。しかし、ただ一つだけ光をあてなくても見えるものがある。それは光だ。光は光だけで自らを顕わすことができる。真理もまたそれと同じだ。」うーん、これは何となく理解できる。しかし、光もまた、何か照らすものがなければ見えないということがありそうな気がする。あぁ、とにかく、もう1回さらっとでも読み直さないと、何が書いてあったか、まったく思い出せない。もっとも、読みながら、これってふだんから自分が考えていることだな、というような感想をもっていたから、もうすでに身についているのかもしれない。もちろん、自分で勝手に考え出したことではなく、テレビで見たり、他の本で読んだりしているうちに自然に身についているということだけれど。

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    投稿日: 2020.12.10
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    國分さんの「スピノザ」の入門書ということで、なにも考えずに(?)、ポチった。(これは中動態的?) 後書きとかをパラパラと眺めていると、NHKの「100分de名著」に短めの1章をつけ加えたものだった。「100分」は、比較的、最近、読んだばかりなので、しまったと思ったが、復習をかねて読んでみたら、印象的なエピソード以外は、ほとんど覚えていなかった。。。。。 衝撃 今回、読んで、もうちょっと頭に定着するといいな。 今回、追加となった第5章は、デカルトとスピノザの類似性をのべたもの。しばしば、対比的に論じられる2人なのだけど、実は、デカルトのなかにスピノザ的な読みの可能性があるというのは、ちょっとスリリング。 國分さんのこの2人の関係については、「スピノザの方法」が詳しいとのこと。こちらはまたハードル高そうな本だな〜。

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    投稿日: 2020.12.06