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カラマーゾフの兄弟(下)(新潮文庫)
カラマーゾフの兄弟(下)(新潮文庫)
ドストエフスキー、原卓也/新潮社
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総合評価

225件)
4.4
111
62
24
4
1
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    現代の小説で語られる問題提起の原型がここに全て大集結してるな、という感じがする、とんでもない小説だった。 昨日の夜、読み終わった直後は、気持ちを全くまとめられる気がしなくて、一晩寝かせた(笑) 一日経った今、感想を綴りたい!! まずびっくりなのは、こんだけ長いのにここまでは実は第1部だったようで、本当は第2部に続く予定だったけど、ドストエフスキーさんはその前に亡くなられてしまったとか。 でも、もうこの1部で物語として完璧だと思う。本当に。 人間社会のテーマって他にある?って思うほど、全てがここに詰まってるという気がする。 いろんな世界の流れを感じているドストエフスキーさん、プーチンをも予言してるかのようで、怖かった。(今のロシアを見てドストエフスキーさんは何を思うのかな…) 人間から神を奪い自由を与えると、神以外にひれ伏すことができる対象を探すのが人間。でもそれはものすごく困難だから、自由を与えられた人間は結局全く自由になれていない。では何が正解? というようなことを書かれていて、 何なの?この人間の根本?なんでこれをこんなに面白く書けるの?やっぱり本当にすごいんだ…やっぱりすごいんだ…19世紀にこれを書いてたんだ。朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』に、この部分が繋がる。 しかもエンタメやサスペンス要素になりがちな殺人とか、犯人探しってところをも、ドストエフスキーさんは思想小説にする!!人の死を、殺人を、人間の暴力的な部分を、彼はエンタメとして「消費」してもらうように読者へ提供しません!!!なのに?だから?面白い。とんでもなく。 私は、もうドストエフスキーさんにひれ伏したい。ひれ伏す対象(=神)は彼に決定でも良いのでは(笑)「ドストエフスキーさんにひれ伏したい」はパワーワードだと古典専門の某インスタアカウントの方にも言ってもらえたので!!(笑) 無神論者の落とし穴、信仰深い人の落とし穴。 どっちの人の立場からも、『ポリフォニー』という技法を使って、登場人物それぞれのイデオロギーや意識を書きまくるんです!!とにかく書きまくるんですよ!!!長いんです!!長いんです!! でもそれが私はたまらなく好きだった!!沢山の思想が私に覆い被さってくる感じ。様々な方向から延々と覆い被さってくる。重いんです。押し倒されるんです。何なら押しつぶされそうになる。でもそれが快感に繋がるんです。理解したい、受け止めたい、読み続けたいという中毒症状が出るんです。(変態と呼んで) こんな読書体験、死ぬまでに出来て良かった。 そして最後に!多分ドストエフスキーさんが、子供という存在を何よりも尊重していて、「子供にはなんの罪もない」ということをはっきりと書かれているんだけど、それが信心深い登場人物(ゾシマ)の独白にも、無神論者の登場人物(イワン)の独白にもはっきりと現れるところが、印象的だった。そして最後の弁護人のところ。子供はどのようにして育つのか?親とは何か?父親とは何か?これをグサグサ刺すように書くんです。 私の価値観を変えた川上未映子さんの『夏物語』にも繋がるものがあって、この「子供という存在をどう捉えるか」というとこに、私は今回の『カラマーゾフの兄弟』でも一番感銘を受け、ここがこれからの私の価値観に一番影響を与えるであろう箇所だった。 全部読んだ。読み切った。バンザイ。 そしてまたいつか読み返す。

    7
    投稿日: 2025.10.08
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    三兄弟の苦悩が身に染みてわかりました ドストエフスキーが晩年に書き残した想い 続きの第二作が是非とも読みたかったです

    0
    投稿日: 2025.09.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とうとう往年の名作を読み終えた満足感がある。 いろんなテーマが複雑に絡み合っていて、核となるところを掴みかねるが、、 1 信仰の形。神はほんとにいるのか? 答えについては示されていないという理解 2 愛憎の形。男女の愛憎、家族間の愛憎はかなり複雑に絡み合っている。愛の裏返しが憎しみであることをドラマチックに描いているため、登場人物の態度がコロコロ変わる 3 罪と罰について。ドミートリイは父親殺しにおいては無実ではあるが、基本的にはどうしようもない奴であり、結果それが彼を冤罪の裁きに導く。真実がレンズで捻じ曲げられる怖さも付け加える 4 アリョーシャという男。周りが狂ったやつばかりなのに1人まともであり、皆から信頼されている。これは修道院での教育が大きく影響している描写がある。そのため、神はいないとしてもその教えの中で良い人間性が形成されるという、神の不在に対するひとつのアンサーとして機能している。 非常に多層的なテーマを、父親殺しの犯人探しというキャッチーなストーリーで見せていて文学作品として評価されるのは納得の内容。ただ長いし、もってまわった言い回しが多いし、読了してどこが面白いかまで言及するにはかなりスキルが必要! 正直お腹いっぱいでロシア文学は暫く読みたくないなってのが正直な感想。読書体験としては非常に有意義でした。

    2
    投稿日: 2025.09.04
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    本書(下巻)は、第4部・エピローグ 冒頭は少年たちの物語(コーリャという少年が、やたらアリョーシャをリスペクト)少年の話は、現代の子どもたちの人間関係にもちょっと通じるところがあり、感情移入してしまいました。メインの父親殺しとは違う、味わいがあります。子供の純粋な心が書かれているところ、良いです。 1番の読みどころは、父親殺しの謎解きとなる、アリョーシャの兄イワンとスメルジャコフのやりとりでした。息を呑むような展開。 ドミートリイ(ミーチャ)の父親殺し裁判は、大変混乱を極め・・・ 最後は、少年たちの物語で未来への希望を抱かせる終わり方でした。 今まで、人間が追い詰められたときの、ぎりぎりの精神状態が描かれていたので、幸せすぎる終わり方にちょっと違和感。 後書きを読むと、この『カラマーゾフの兄弟』は第一部で、第二部が書かれる予定であって未完の作品ということが分かりました。何となく、納得。 第一部であったとはいえ、読了できて大満足でしす。昔も今も、女性とお金の問題は大変なことになりますね。読み取りはまだまだ浅いとは思いますが、山頂にようやく辿り着けたときの達成感で、久しぶりに自分を褒めたい気持ちになりました。ずっと、自分にはこの小説、最後までいけないと思っていたので。ミステリーの要素あり、男女感、お金の問題あり、透明感感じる少年の物語あり、裁判の場面では検察側と弁護側の論理を読者に考えさせる要素あり、何層にもわたる重厚感ハンパない小説。ドストエフスキー、カッコいいです。

    29
    投稿日: 2025.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    長い長い旅でしたね。3ヶ月くらいかかったかな? 価値観に強い影響を与えられたと言わざるを得ない。 子供の教育については色々考えちゃうんですけど、アリョーシャに語られるってのが非常に心に響きますね。それがやっぱドストエフスキーのすごいところですわ。 あ感想書く。 下巻は主にミーチャの尊属殺人についての裁判ですね。ミーチャはずっと父を殺してないと言い張っているが(状況的にミーチャが疑われて当然なのである)、感情的な性質から起こした様々な暴力的な出来事のせいで市民からそれを信じてもらえない。 しかし決定的な証拠がないため、裁判は無実にもなり得る、といった具合。 でまあ上巻中巻の長い前置き故に読んだ人はわかるんやけど、誰がどう見てもミーチャは有罪。しかし親しい人はミーチャの嘘がつけない性質を知っているためにミーチャは無実だと信じ切っている(召使にスメルジャコフってのがおって、ミーチャが殺してないとしたらこいつしか殺せない)(でもこいつは当時病気持ちで殺せるはずがないと市民は信じている)(前代未聞の括弧が連続するという事態が起きてしまった、ここからこの小説がどんだけ長いかをわかってくれ)。 まあ実際スメルジャコフが嘘ついとったので殺した犯人はスメルジャコフなんですが、これには色々事情がありましてその証言が聞き入れてもらえないんですよ。次男イワンしかこの事実を知らないのだが、イワンが妄想を見てしまう重病にかかっているため聞き入れてもらえない的な。おまけにスメルジャコフ自殺するし。 で!弁護士が色々頑張ってすごい逆転裁判!かと思いきや有罪は覆らないってまでが裁判のオチ。 何が面白いってこの展開は内面に触れる上で重要であるだけで、物語の本筋ではないということ(主観ね、違うと思っても気にしないで)。 アリョーシャが、兄が無実であることを最初からわかってて、しかも有罪って判決されることをわかっていることが面白いんです。 信心深く、正直であるためにみんなから愛される主人公アリョーシャが、何もかも、ましてや精神的な部分すらも見抜いてしまっていることが私には非常に面白かった。 内面を見抜きながらも、一切その人のことを馬鹿にしていない姿勢に深い尊敬の念を抱くばかりです。 物語のオチとしては、この事件がロシア中に知られ、様々な憶測が飛び交う中、アリョーシャが最後に子供達に個人的な考えを述べます。この考えがおそらくドストエフスキーが最も伝えたかったことなのではないでしょうか、と考えてしまいますね。 そのくらい、オチまでの流れがしっかりしていた。そして、最後のアリョーシャの言葉は大変響く。それもこれも、上巻、中巻と長い間キャラの性質について深掘ったためであり、それが最後のアリョーシャの言葉に繋がるのである。 愛もテーマにあると思うが、子供の教育が最もドストエフスキーの語りたいところだと、オチでそう思った。 いやー、面白かった。 反省した。 これは今日色々考えちゃいますね。 1番心に残っている言葉は、アリョーシャの「人間の魂にそれほど多くのことを求めてはいけない。」 これです。シンプルやし、言い尽くされたような言葉でもあると思われるが、アリョーシャが言うのが良いんです。これは本当に、忘れてはいけないことだと、個人的に思いましたね。 非常に読み直すのが楽しみな作品の1つです。

    1
    投稿日: 2025.08.10
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    100/10 パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか? 人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。 ”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか? 自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑

    3
    投稿日: 2025.07.24
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    やっと読み終わった… たぶん亀山訳の方が読みやすいんじゃないかと思うけど、内容的に、どこに向かっているのかわからなくなりがちだったり、人物が一筋縄ではいかない、常に信用できそうなのはアリョーシャだけど、他の人は性格がつかみにくく、少なくともたいていの人が読み慣れている"小説"でのような役割が理解しにくい、等々がやはりすいすい読み進められなかった原因なのかな。新潮版は訳としては標準的で、やはりこの小説は訳文以前に出会うタイミングの問題が大きいのかも。ドミートリーなど、読んでいる間は、後半は意外と好感が持てたりするのだけど、ちょっと読みさすとなぜそんなふうに思っていたのかわからなくなったりするのは、それだけこの小説世界の描写がよくできてるということだろう。読み直しが楽しみだ。

    2
    投稿日: 2025.06.06
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    何か罪を犯すということは、(たとえだれかに罰せられなくとも)自分で自分を罰してしまう、ほんとうに苦しい( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` ) 罪を犯して罪悪感で死ぬほど苦しむという夢を,この本を読んだ後は何回も見るようになった(i_i)

    2
    投稿日: 2025.05.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    やっとこさ読了…かなり労力の要る読書だったけれど、頑張って最後まで読み通せて感無量。色んな要素が多過ぎて、本当に理解するのに時間を要してしまったような… 上巻を思い出してみるとイワンのキャラが複雑で(精神を病んだから?)ちと戸惑った。上巻では神の論説、下巻では悪魔との議論。神を信じるって一体どういう事なんだろうね。 ミーチャの裁判のところがサスペンスっぽくて好き。 そしてエピローグ、ここを読むために今まで頑張ってきたんだと思えるほど心に沁みた。涙。 より良く生きたい、なんて思う。 また数年後に再読する!

    2
    投稿日: 2025.05.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    酷い親を持った子の思想形成のパターン、として読んだ。 何を拠り所に生きていくか。 ドミートリーは純粋さと情熱、イワンは知性と思想、アリョーシャは敬虔さと素直さ、スメルジャコフは狡さ。 最後のアリョーシャの演説でふと涙が出てしまった。 「いいですか、これからの人生にとって何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。」(p653)

    1
    投稿日: 2025.04.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    書きたいことが山ほどあるので忘れないうちに箇条書きで残すことにする✒︎ ・下巻の裁判のシーン、めちゃくちゃ面白かった。長々と書かれているけどスラスラと文字が入ってきて不思議に思うくらい。 ・今の時代だったら杵の指紋から犯人を特定する形になるんだろうけど、まだ証拠を証拠として扱えない時代...。こういう結末を迎えた事件も多かったんだろうな。 ・この長さになるとつい上巻の内容を忘れがちなんだけど、中下巻にもちゃんと全て関わってきていて感嘆した。マジでどうやって書いたんだろう。 ・ミーチャの罪が確定するところや、無罪であっても有罪であっても罪を受け入れるシーン、各個人の良心の呵責を見ると、本質は《罪と罰》で描かれていたものと同じだなと思った。 ・解説でドストエフスキーの生涯を知り、この本ができた経緯を知れた。 ・論理的思考が故に自己対峙すると危うくなるイワンの姿は哲学者そのものだなと感じた。 ・上中巻は宗教的問いが多めだったけど、下巻は少なく感じた。が、人は信仰を捨てるとたちまち不安定になり、イワンみたいになるのかもとは思った。そのため信仰とは不安定なものでありながら、人の根底に根付いているもので完全に手放す事はできないのかもと思った。 ・今回は小説として読んだけど、哲学書として読んだらまた違う感想を持つのかも。特に信仰がもたらす生活への直接的な影響は、もっと当時のロシア情勢を、キリスト教を深く学ばないと完璧には理解は出来なさそうだ。

    2
    投稿日: 2025.04.12
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    学生の頃に途中で諦めてしまったが、社会人になってから再度読み直した。 学生の頃は理屈家だったので、大審問官の章が説明になっていないじゃないかとイライラしてたんだけど… 社会人になった今、 ・この世は愛している/愛していないの二元論では無く、不完全な愛というものが存在すること ・理性では人間の倫理に触れられない。その役割を担うのは唯一宗教であり、信仰である、ということ がかなりジワジワと実感できるようになってきた。 明瞭な理屈無しに他者を抱擁できる宗教は偉大すぎるなと ただ、人間の倫理は誰が作るべきか、という問いは依然として自分の中に残っている。 ドストエフスキーは人間の理性を信じず、神を信じている。ただそれはか弱い人間にとっては救いになる一方で、多くの人間の自立を妨げているように思う。 ニーチェ程では無くても、せめてカミュくらいの温度感で人間の理性で倫理を形造り突き進む風潮の方が、活気ある社会になりそう。

    1
    投稿日: 2025.04.07
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    カラマーゾフとともに育ちました。 高校生の頃は20歳のアリョーシャを随分大人に思っていましたが、気がついたらとうに年上になってます… 私の棺に入れてほしいくらいの愛読書です! この本が書かれた19世紀末の混沌とした時代と、同じくらい現代も混沌としていますが、 読むたびに、神の存在を信じよう、信じたいというドストエフスキーの願いが聞こえるような気がして、魂が揺すぶられます

    0
    投稿日: 2025.03.01
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    神秘的な客の章が好きなのです。 あれこそ罪と罰なのだなと思った。 罪を犯したあとの苦しみで人はどうなるのか? を書いている。 ぞっとするような、後悔の想いが自分を縛りつけて身動きができなくなってしまう。恐ろしいね。

    1
    投稿日: 2024.08.29
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    人類史上最高文学と称される「カラマーゾフの兄弟」 高野史緒さんの「カラマーゾフの妹」を先日読み、原作であるこちらももう一度読もうと思い飛ばしながら読んでいった。 実際にしっかりと読破したのは時間を持て余していた3年位前のコロナ禍の時。俗に言われる「カラマーゾフを読んだ側の人間」に40歳を越えてやっとなれた。 中学生の時、20才頃、2度挫折した経験がある。読みにくいし言葉が分かりにくく物語は長いし正直つまらなかった。そもそもカトリック、プロテスタント、ロシア正教会等のキリスト教の知識が多少ないとあまり理解できない作品で、知識が未熟だった時分では到底読んだ側にはいけなかった。 この作品が人類史上最高文学と定義付けされているのがなんといっても「大審問官」のパート。 この「大審問官」のパートが無ければただの古典文学、ただの物語になってしまうだろう。 無神論者のイワンが何故神に疑問を抱くのか?神童のような聖人の弟アリョーシャにその真意を自作の物語にのせて話すという場面。その物語とは秩序を守るために人を火炙りの刑にしている異端審問官がキリスト本人に人間の本質を提示し信教への疑心と疑念を紛議するという物語。 幾つもの人間の性質的な問いと哲学をキリストに投げ掛けている。 自分もこの場面が「レ・ミゼラブル」のジャメールの投身自殺の場面と並び私史上最高文学の場面だと感じている。 内容は人間とは不完全な(完全にはできていない)生き物、なのに何故キリストは人間に自由を与えたのか?という問い。自由だけでは人は生きていけない。人間は弱く卑しく作られているため自由に耐えられる性質を持っていない。 さすれば自由の中では何かに支配されなければいけない。慈愛の精神だけでは人々は生活できない、だから食料(パン)を与え神秘を募り(奇跡)権力で秩序を守る(権威)。それが人間に必要なのだと語気を強める。 富と食を分配し威光を魅せ権力で治安を維持するという共産理論をキリストにぶつけるという話。 このイワンの語るキリストと異端審問官の物語はキリスト教という神に対しての矛盾と共産社会主義国家ロシアの深い信念が見えてくる。 このイワンの物語の内容が凄く理解できてしまう。 信仰心を主とする理想主義だけでは人は生きていけないと強く感じさせられてしまう。また同様に科学を主とする共産主義という思想論だけでも人は生きていけないとも思う。 日本でも民主主義という民主政体をとっているものの、ある一定の人々の結束により組織化し、その特定の人が民意を支配する為に法を形成し統治しているのではないだろうかとも思えてしまう。 自由を謳えばそれは自由ではないと証明している様に感じ、世の中は基本的に自由という不自由さで埋め尽くされているのかもしれない。 イワンが突き詰めすぎて精神崩壊していくのもよく分かる。 自由という物は本来人間にとって平等で然るべしと思われるが、どうしても不平等さが際立っている様に感じる。人によって価値観の水準の優劣が見え隠れするからだ。 結局人間はやはり不完全な生き物で実体のない定義のない自由というものに苦しめられ、しかしそれでもその中でも自由を求めてしまうものなのだと実感してしまう。 自由っていったいなんなのだろう?深すぎてよくわからなくなる。 「カラマーゾフの兄弟」長い物語で親子間の軋轢、金と権力、女性の奪い合い、信仰論と無神論、殺人事件、ミステリー等が詰め込まれた作品なのだが、物語の中盤の「大審問官」は人間の愚かさ、弱さ、醜さの問いが詰まっている最高傑作。 またいずれ読むであろうがその時はまた新たな気付きがあるかもしれないし、気付きたいとも思っている。

    97
    投稿日: 2024.07.12
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    よくやく読み終わった、疲れた。下巻は父親殺しの容疑をかけられたミーチャの裁判の模様が描かれていた。実際の犯人はフョードルの召使で彼の私生児であるスルメジャコフであったが数々の証拠からミーチャの犯行であると判断され有罪となる。次男のイワンはミーチャの脱獄を計画し、三男のアリョーシャも協力する。話の最後は町の少年イリュウーシェチカの葬式の場面で終わる。 全体を通してカラマーゾフ家の歪んだ人間関係がとても印象的。 裁判の中で検察と弁護士両方の意見が述べられたが圧倒的に弁護士側の方が読みやすかった。

    1
    投稿日: 2024.05.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ついに読み切ることができました!読みたいなと思いつつもなかなか手が出ていなかったけれども、読めて良かった。充実した読書時間を過ごせたし、ドストエフスキーの他の作品も読んでみたくなった。私の読書の世界が広がりそうな予感がして嬉しい。 下巻では、庶民や大地を肯定するところが印象的だった。ノブレスオブリージュ的な考えだろうか。農奴解放後の混乱という当時の時代要請だろうか。ドストエフスキーのお父様の事件とのリンクだろうか。特に庶民の底力を見た気がするが、判決についてはもう少し説明が欲しかった。ここは読者が想像の翼を広げる余地を残してくれたのだろうか。 また、ミーチャが、自分の悪いところや滑稽なところを認めていき、最後はこれまで自分が裏切って、そして法廷では裏切られたカーチャとも和解するところも印象的だった。やはりミーチャの中には、心の奥底では誠実でありたいという願いがあったことをより強く印象付けられた。 加えて、検察と弁護人の演説はどちらもすごく面白く、ぐいぐい読み進められた。ただ、人の一生を左右する刑罰についてこんなにも印象論ベースで語られるのかと怖くなり、「疑わしきは罰せず」の重要性を感じた。 イワンとスメルジャコフについては、未必の故意という非常に面白いテーマについて取り上げられていて、なるほど未必の故意でこういう小説が出来上がるのか、と興味深く読んだ。でも、あのイワンの行動でスメルジャコフにゴーサインを出したと意図に反して解釈されるというのは、悲し過ぎる。

    2
    投稿日: 2024.03.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上巻はめちゃくちゃ読み進めるのが遅かったけど、下巻は面白くていっき読み。 父フョードル殺しの罪で裁判にかけられるミーチャ。読み進めるうちに次男のイワンとコックのスメルジャコフのやり取りから真相が明かされる。真相が読者に明かされたにも関わらず、裁判は意外な方向へ。検事と弁護士のやり取りも非常に面白く読めた。とはいえ、神や来世の有無などもテーマになり、頭の整理があまりできていない。 人間の一生について突き放されたり、生きるうえでのちょっとした解釈が出そうになったりと読んでて感情が乱高下する。

    1
    投稿日: 2024.01.04
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    文句無しの名作。 これぞ、昔聞いたキャッチコピーの(読まずに死ねるか作品)。 多分、若き日に色々な日本の文豪達のと出会い、感銘受けたおかげで此処に辿り着いた感があります私の場合。 芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外、太宰治、三島由紀夫、坂口安吾等々、学校の図書館から40年後、先人たちのいざないがこの凄い物語に誘導してくれたんじゃないかなと。 ずっと気になってたんだけど、遂に手に取りましてあっという間に読了。 レビューするのがおこがましい位なので、感動し興奮した気持ちだけ此処に記しました。 また違った方の翻訳でも読み始めたので気持ち的にどう変化するか楽しみでもあります。

    1
    投稿日: 2023.10.13
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    上巻を読み始めてから1ヶ月以上が経ってしまったのだけれども、ようやっと読了。個人的には大審問官の中巻がおもしろかったなぁ。 上巻の冒頭でアリョーシャの死について描かれているのだけれども、なんというか読み通したあとでも意味が汲み取れてない。もう一回読めばわかるのかしら、 推理小説として読めばトリックはおもしろい。けれどもピースがうまくはまらないんだよなー。スメルジャコフとイワンの関係は推理小説的ではないから。 罪の告白と、何が本当の罰なのかというのは、罪と罰にも共通する事柄のように感じた。

    1
    投稿日: 2023.09.30
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    2021/1/28 読了。 ※以下、ドスドエフスキー作品の観賞の仕方としては、かなり誤っていると思われますので、ご注意下さい ************************* 『罪と罰』『悪霊』『賭博者』も読んだが、ドストエフスキーを読んでいると、ロシア人はどいつもこいつもダメ男、クズ男の面倒くさい連中ばかりに思えてくる。「こんなだからダメなんだよ、ロシア人」という声が聞こえてきそう。 主人公はじめ登場人物達が、物語の中で悩み、苦しみ、悲しんでいるシーンに来ると、読んでいる此方も辛くなるが、ドストエフスキーに関しては、大半の登場人物に共感不能。寧ろ作中で失敗し、苦しみ、破滅してくれた方が、ハリウッドのアクション映画で憎たらしい悪役が、カッコ悪くやられていくようなカタルシスすら感じられる。そういう意味でストーリーは面白い。だから星4つ。 更に余談。'21年、プーチン大統領は、ドストエフスキー生誕200年行事で、ドストエフスキー博物館を訪れ、メッセージノートに「ドストエフスキーは天才的な思想家だ」とか書いたそうだが、「ロシアは強いぞ偉大だぞ」とやっている方が、ロシアをダメ出ししているような作品をお気に召すとは少々考え難く、(本邦の政治家先生方がロクに本を読んでなさそうなのと同様に)実は1作も読んだことがないんじゃないかと、密かに疑っている。

    1
    投稿日: 2023.09.17
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    盛りだくさんだな。 中盤以降になって、おや、これはミステリーでもあるな!と思い当たった。 スメルジャコフはクリスティの「カーテン」を思い出す。 もう少しドストエフスキーの作品を読んでみないとな。

    2
    投稿日: 2023.08.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    カラマーゾフ家の悲劇。上・中・下巻からなる長めの小説だが、これでも本当は二部構成の内の第一部にすぎないらしい。 この第一部では、カラマーゾフ兄弟が長男のミーチャとその父フョードルの間の、ある女性を巡る争いに焦点が当てられている。 ミーチャは、この争いの最中に起きたフョードル殺害事件の被告人となってしまい、彼の無罪を主張する兄弟と1人の女性の努力虚しく、最終的には有罪となってしまう。 しかし、これではあまりにも雑すぎる。 この小説の醍醐味は、宗教や人生の価値観に対する哲学的な問いを読者にもたらしながら、事件をめぐるミステリー性や、兄弟が三男アリョーシャの純真さが世俗の人々を癒していく過程を楽しむことができると言う点で、純文学的な要素とエンタメ的な要素がうまく融合している点にあるのではないだろうか。 私がこの本の中から得た問いの中に、「どう生きるか」というものがある。 大雑把にいうと、不安と孤独を抱えながら真の「自由」に生きるか、良心や生活を外部に委ねて楽に「自由」に生きるかである。 イワンの話では、この二つの生き方しか人間世界には存在せず、それに絶望した彼はカラマーゾフ的な堕落しか、人生の最後に待ち受けるものはないと語った。 また、それに対し弟のアリョーシャは、その話の中でキリストも行っていた、接吻という形で人生に絶望した彼を無条件に受け入れ、許した。 (罪と罰でも言えたことだが(そしてミーハーな私はこの2作しかまともに読んでいない…)、愛はこの作品の中で、特別の地位を与えられているように感じられる。他の作品も読んでみないことにはわからないが、愛はドストエフスキーの作品の根幹を成すものなのかもしれない。) 大抵の人がそうだろうが、私はイワンのように真面目な人間でも、アリョーシャのように純粋な人間でもない。ミーチャのように素直な人間でもないし、フョードルほど貪欲なわけでもない。 このような人は、フョードルのように嫌われることも、ミーチャのように破滅することも、アリョーシャのように人々から好かれることも、イワンのように精神を病むこともないだろう。 つまり、当然の結果だが、私は彼らとは違う人間であり、対立を恐れなければ、違う生き方や価値観を選ぶ権利があるということだ。なので、元も子もないことを言うと、私はそもそもイワンの話に共感しかねている。 長くなってきたので簡潔にまとめると、私はそもそも、自己の人生に大きな価値を見出すこと自体が誤りであると感じている。これは命を神からの贈り物と考える、キリスト教的な価値観と対立しているように思われる。この時点で、真の「自由」に耐え難い不安や孤独を感じることもないし、楽な「自由」のために良心や生活を外部に委ねることもない。「まあ、なんとかなるさ。」と毎日をそれなりに生きていくことに、なんの疑問も感じないのだ。 もちろん、これは快楽に溺れることを意味するものではない。一日一日を大切に、それでいて謙虚に生きることを旨としているに過ぎない。 この生き方は、上の四人のどの価値観にも適合しないように私には思われる。 難解かつ退屈で、一般的に苦行とも呼ばれているカラマーゾフの兄弟を読んだ後に、このダラダラと長くて面白みのない感想をここまで読むような、酔狂で我慢強く、暇な人間はほとんどいないだろうが、公開記念がてら最後に一つだけ書き残す。 「君たちはどう生きるか」

    2
    投稿日: 2023.08.02
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    暴力的なまでに、 人間という存在の葛藤を暴いている! 人間は、神と愛を信じる良心的な存在なのか。 それとも、神は不在であり、我々はエゴイスティックな生き物なのか。 どちらかに傾けば、片方の声が聞こえてくる。 それ故、私たちは一喜一憂しながらも人生を謳歌するのだ。 我々は皆、「カラマーゾフの兄弟」である。

    3
    投稿日: 2023.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ①長い。 ロシアの本は読んだことがなかったが、他のものもここまで冗長なのだろうか 読み終わってみると、初めの家族会議シーンでこれから起きる事態の材料と予言がほぼ揃っている。 その点は圧巻と言える。この会議の記憶が薄れないうちにスピーディーにオチまで読み終える方が楽しめそうだが、理解しようとして読むととても時間がかり忘却してしまう。 時間がかかる訳としては、 1.スコトプリゴニエフスク町のキャラクター紹介のために主人公があらゆるところに出没するはめになるが、キャラ紹介でほぼ前半を費す。長い。 2.ロシア正教の教えと、ひと口話がサンドイッチみたいに挟まっているので、ミステリーの筋がなかなか進まない。 正教の話では新約聖書の内容を知っている前提で話をされるので、知らない身としては、引用元の部分を聖書で探して読まなくてはならなかった。大審問官も荒野の悪魔について知っていなければ何のことかわからない。読解に時間がかかる 3.イワンの悪魔、裁判シーンも長すぎる。 分量が半分ならよかったのにと思えてしまう。どちらもとても良いのに、長すぎることで慣れてしまう、鮮味が文を追うだけの惰性で腐っていくのが悲しかった。 ②ミステリーとしては弱い 賢い人とはちょっと話しても面白い、のくだりで で、スメルジャコフとイワンが話している時点で、もはや怪しすぎて犯人がある程度読めてしまう。 思想のプロとコントラ、国家間で侵略し拡大する宗教。などの要素で総合的に点を稼いでいるが、ミステリーとしては、犯人が明かされても、だろうな…と言う感じである。また、動機に行間があり読者間で解釈の違いがかなり出そうだと感じた。 ③オチているようでオチていない イワン、リーザの悪魔的な思想の終着点がどのようになるかを期待して読んでいたので、2部構成予定なのは存じているが、それでも未解決に感じた。オチのド派手さを期待する人種としてはかなり不完全燃焼だった。 イワンは、30歳になったらもはや生きていたくないみたいなことを上巻で言っていたので、6年後に何かあった、と、13年後の2部で何か語られたりしないだろうか。あれでオチているとしたらなんだか薄味に感じてしまう。 おそらく第二部でリーザに関しては何か書く予定だったかもしれないが。 また、コーリャも、エルサレムよりもしわたしがあなたを忘れるならば つまり、大切なものを見変えたりしたら罰してください、みたいなくだりが初対面時にあったので伏線であるように感じる。 初めの家族会議で1部の内容全てに近く語られている作品なだけあって、絶対1部は2部への伏線まみれに違いないのではないか。これで付け足す必要のない作品とか批評した方が信じられない。 未完の大作である、という事実が、この長距離走をアレクセイと共に駆け抜けた疲労とともに気持ち悪い読後感として残った。 この世には2種類の人がいる、カラマーゾフ を読んだものと読んでいないものだ、みたいなことを言ったらしい村上春樹さんへの憎たらしさがつのった。

    1
    投稿日: 2023.04.19
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    上、中、下を3週間ほどで読了。 10年以上前に読んでいて今回は再読だが、結構記憶がぼんやりしていた。 今回読んで、より理解を深めたところもあるし、以前ほど楽しめないところもあった。 特に前回読んだ記憶はとにかく上巻を抜けたらひたすらに面白かった覚えがあったのだが、今回読んでみて冗長なところが結構多いと感じた。 それでも底抜けに面白いシーンもあったりするので、なんだかんだ楽しんだが。 『カラマーゾフの兄弟』は未完成で、後にアリョーシャが皇帝暗殺に関わるテロリストになるという話があったらしい。それは実際にあったアレクサンドル二世暗殺事件からの影響らしいのだが『最初のテロリスト カラコーゾフ』あたりに詳しくその事件の顛末が書かれているらしいので、どこかのタイミングでその本も読みたい。

    2
    投稿日: 2023.03.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読み終わるのに本当に4,5年かかった シンプルに長いよ 話が ・ゾシマが亡くなったあとのシーン、腐臭がし出して民衆が手のひら返して批判しだしたのめっちゃ印象に残ってる 人間を感じた ・子どもが苦しんだりそのことで親が悲しむシーンシンプルに胸糞悪い ・血を分けたから父親というわけではない 父親を父親たらしめるのはその役割を果たしてこそ  子どもに愛してもらえる理由もそこにある というところ 共感する ・苦しいときには誰も手を差し伸べてくれなかったくせに、ことが起きたら有罪だと切り捨てるのはお前も罪があるだろみたいなところ ここもめちゃ共感するし、現代に通ずるものがあるよね 新たな加害者や被害者を出さないためにも社会ぐるみで、また個人単位でもでできることがあるはずよね この百年くらい人間は何をしていたんだ

    1
    投稿日: 2023.03.04
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    初めて読んだドストエフスキー。ロシア文化や宗教、時代背景などはほとんど知らずに読んだので、よくわからない箇所もあったが、下巻はするすると読むことができ、面白かったです。

    2
    投稿日: 2023.02.18
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    基本的に登場人物は殆どがプライドが高い。誇り高いとは別で、侮辱や屈辱をなによりの怒りとしている印象。 農奴制度による格差や権利の問題を、カラマーゾフという卑劣漢たちの欲で包んだ濃い本でした。 一読しただけでも価値ある経験になった。 再読するときは、「大審問官」の部分を掘り下げたい。 ラスト意外な展開でお気に入りの章、心温まり愛に溢れて読んで嬉しくなった。 カラマーゾフ、万歳。

    2
    投稿日: 2023.02.01
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    裁判シーンが白熱。丁寧な人物書き込み。法廷小説としても面白い。結局イワンが真の犯人でドストエフスキー本人と重ねたのか。スメルジャコフが本当に良い役回りをしている。アリョーシャとコーリャの第二部が書かれなかったのが残念でならない。

    2
    投稿日: 2023.01.22
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    ・ここまでが第一部で未完だったとは…たしかに「これだけ期待をもたせてここで終わるの?」とは思ったけど。 解説によると「書かれなかった第二部では、アリョーシャ・カラマーゾフが修道院を出て、リーザとの愛に傷つき、革命家になって皇帝暗殺の計画に加わり、断頭台にのぼることになっていたという説もある」とのことで、第二部、読みたかったなぁ…。 ・私にはキリスト教的世界観は一生理解できないわけだけど、「キリスト教的世界観を外から見て感じ入る」という体験も貴重ではあるのかな、とも思う。「愛のむきだし」に感じたのと同種の静かな興奮・気持ちの昂りを覚えるし、語られる言葉の熱量に思わず涙する。この種の感情をおそらく「敬虔な」と表現するのだろうけど、これは古典日本文学からは得難い貴重なものだと思う。

    2
    投稿日: 2022.10.12
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     読み終わってうれしいような悲しいようなところが正直なところですが、未完で終わるののがよかったようにも思えます。

    1
    投稿日: 2022.09.23
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    「少年たち」の章、続編への布石か。「兄イワン」の章、「神がなければすべてが許される」という自身の思想にイワン本人が押し潰されている。スメルジャコフの悪意、憎悪は彼を指導したイワンを圧倒して立場が逆転。彼が首を吊るのはご都合主義的、そんなタマじゃない。悪魔との対話は何言ってるのかわからず退屈。「誤審」の章、くるみの挿話は感動的。カテリーナの言動に人間の不可解さを見る。結局、フョードルとカテリーナが事態をややこしくした張本人のような。論告は長すぎ。最後のアリョーシャの演説の場面はこの小説の締めくくりに相応しい。この小説を読むたび、真人間になろうとの思いが湧いてくる。

    2
    投稿日: 2022.08.16
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    約2ヵ月半かけて、全作部読み終わった。長かった。また数年後に読もう。きっとその時は、さらに理解して気づけることもあると思うから。とにかく今は、世界の傑作と言われている作品を、全て読み終えた自分を褒めてあげようと思う。

    4
    投稿日: 2022.06.13
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    15年越しの積読を歯を食いしばって乗り越えたが、私の教養レベルでは最後まで評価不能だった。読後に100分de名著の力を借りて、ようやくその奇書ぶりを理解。 カネはカラマーゾフ兄弟に憑依して父を殺し、スメルジャコフとしてロシアを殺し、大審問官の姿を借りて神をも殺す。 それらの闘争の和解が第二部の構想にあったはずで、だからこそ第一部のラストはコーリャという歪で消化不良なキャラクターを交えた不穏な大団円で締められている。その不気味さくらいは私にも感じ取れた。 このラストを「感動のフィナーレ」と呼ぶ人とは分かり合えないし、世の中のカラマーゾフ読みの大半は「カラマーゾフを面白いと言えてこそいっぱしの教養人」という結論ありきで読んでいるに過ぎないと思う。

    1
    投稿日: 2022.04.14
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    「カラマーゾフの兄弟を読破した側人間になりたい」というだけの極めて不純な動機で読み始めた本作だったがその初期衝動だけでこれだけの大著を読み通せるわけがない。単に面白かったから読んだ、それだけのこと。 不死がなければ善行もない、ゾシマ長老の説法、大審問官、フョードルとドミートリィの確執、スメルジャコフとイワンの不思議な絆、フョードルの死をめぐるミステリー、ドミートリィとカテリーナ、グルーシェニカの三角関係、少年たちとアリョーシャの掛け合い、法廷での危機迫る証言、検事と弁護士の白熱の舌戦。これら全てが単独のテーマとして10本の小説が書かれていてもおかしくはない。まさに総合小説。 キリスト教のあり方をテーマとして扱っている点が現代を生きる日本人には馴染みにくいとされがちだがそんなことは全くないと感じた。同じ宗教を信仰していない分、切実さが少し異なるだけでドストエフスキーのメッセージはひしひしと伝わってくる。信仰の対象を持っていようといまいと罪を携えて神の前に立つ人間の心中がどうあるかをこの小説を読むことで追体験できる。 エピローグのアリョーシャが子供たちにかけた言葉には思わず涙がこぼれた。少年時代から大切に保たれた神聖な思い出をたくさん集めて人生を作り上げればその人は救われる。今この瞬間の素晴らしい出来事がずっと続くことなんてあり得ない。でも、大切に取っておいた思い出のひとつひとつが優しく、同時に強く燃える炎となってその人の心を温めてくれる。 結論。世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。

    8
    投稿日: 2022.04.10
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    通勤電車でちまちまと読み進め、上巻から半年くらいかけて読み終わった。取り掛かっている時間が長かっただけに、読み終えた際の喪失感も一入だった。 半年近くかけて読んでも面白さが持続する長編小説、なんていうのはそう多くないのではないか。小説は時間をかければかけるほど、感情の揺さぶりが希釈され、感動が小さくなるものだと思っている。だから、時間をかけると飽きとの戦いになったり、話の粗探しを始めたりしてしまう。しかしながら、この本に関していえば、感情の揺さぶりが薄まってもなお十分なパワーを持っている。半年の間、この話を読んでいて退屈な時間は少しもなかった。 ひとつの長編小説としてもすばらしいけれど、場面場面を切り取っても、それぞれが完全なものとなっており、短い話の寄せ集めとして見たとしても、すべてが面白い。というか、細部が完全だからこそ、その総体としての一個の長編小説が、まったく間伸びしたところのない素晴らしいものになっている、ということかもしれない。 その長さや、ドストエフスキー特有の、捲し立てるような文章の熱量から、勢いでどんどん読み進めてしまいそうなものだけれど、毎朝通勤電車の10分くらいの時間でゆっくりちまちま読む、というのもありだと思う。

    3
    投稿日: 2022.04.08
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    タイトルを回収する衝撃的な結末、ミステリーとしての面白さは然る事ながら、様々な角度から作品を楽しむ事が出来る濃密さがある。作者は二部作のつもりで書いていたようだが、続編はどの様な物語になっていたのか興味深い。

    1
    投稿日: 2022.03.11
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    感想とか評価のレベルには至らず、とにかく読み切ったという達成感。上巻の最後の大審問官から突然話が面白くなってきて、サスペンスありの恋愛ありの話になって、読むスピードが上がりました。この長さも読んでいる時には納得。確かにこの話をするためにはこのページ数、文字数は必要だと思うのだけど、とにかく長かった。今度読む時にはもう少し内容を考えながら味わいたい。

    2
    投稿日: 2022.02.02
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    大学生の時に挑戦し挫折。 2010年にも読んだ記録はあるが人間関係と名前が頭に入らず内容についての記憶は薄弱。 3度目の挑戦は、同時進行で登場人物相関図とキーワードを書き留めストーリーの経過を把握しつつ何とか1か月で完読。 テーマは父親殺し。肉親同士による恋愛と金を巡る愛憎や「父フョードルを殺したのは誰か」を裁く審問を通じて露になるカラマーゾフ一家と彼らを取り巻く人々の欲と心理の葛藤。 翻訳文独特の読み難い文章はハードルが高く乗り越えるにはとにかく忍耐が必要。「神は存在するのか」などの宗教論争や「善と悪」「理性と欲望」など二面性がコロコロ入れ替わる心理描写などのパートはどう頑張っても消化不能で、理解度は50~60%程度かと感じるが、少しはロシアとドストエフスキーに近づけたと自覚し、学生時代からのやり残しを一つ解消。 別の翻訳版でもう一度読んでみよう。

    1
    投稿日: 2022.01.26
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    徹夜で読む気なんてなかったのに、読み終えて時計を見たら早朝だった。これが偉大な古典文学マジックか… この話は2〜3回は読んでるはずなのに、イリューシャのお葬式で、アリョーシャがイワンの死を予感してる台詞に今回はじめて気づいた…あの意地っ張りな天邪鬼は死んじゃうの? ドミートリーは流刑の判決に従うの?それとも弟たちの望み通り逃亡するの? 普通の人間なら逃亡するけど、ドミートリーのモデルになった流刑囚の運命に従うなら、ドミートリーは逃亡を拒否して流刑を受け入れるのかも…普通の人間ならしないけど、ドミートリーならありえる…グルーシェニカに振られたら、ドミートリーは悄然としてシベリアへ行くだろうな。しかし、この恐ろしいまでのトラブルメーカーは一体何なんだ?

    2
    投稿日: 2022.01.26
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    言葉は偉大だ。発する事で他者に想いを述べられる。逆に発しない事で魂の矜持を誇示できる。貴方にだけは届く。それだけを信じて苛烈な運命に立ち向かい、狂い、絶叫し、胸を張る誇り高き人生達が、私の胸を掻きむしった。強く生きようと誓った。

    4
    投稿日: 2022.01.15
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    とにかく読み切った。 大長編ながら、父親殺しの犯人は誰なのかというミステリの要素が軸となっていて、最後まで読み飽きない。登場人物の会話が多いからか、100年以上も前の作品なのに、臨場感もたっぷり。 犯人は、やはりと思えるものだが、もはやそれは問題ではない。裁判の場も、二転三転。 古典的名作と思って敬遠してきたが、こんなにも面白い小説だとは知らなかった。

    2
    投稿日: 2022.01.10
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    アレクセイの人への対応が素敵すぎる 苦悩がなかったらたとえどんな喜びがあろうとすべては一つの無限なお祈りと化してしまうことだろう。それは清らかではあるけどいささか退屈だよ。 読み終わった達成感半端ない

    2
    投稿日: 2021.12.04
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    とにかく重厚な内容で、読むのに1ヶ月以上を要した。 ここまで人間のエゴが剥き出しの本は初めてで、良い意味で衝撃を受けた。名著と言われるのに値する。

    2
    投稿日: 2021.11.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1879年 新潮文庫 訳 原卓也 NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/n342af2fc455e?magazine_key=m95e2f346041d 【下巻】約660ページ〈第四部〉 コーリャ少年、イリューシャに会いに、そこで俗人版アリョーシャにも会う、医者が来る、コーリャとアリョーシャの話、イリューシャ危ない、去る、アリョーシャはグルーシェニカに会いに、その後ホフラコワ家へ、リーズと話、刑務所へ、ミーチャと話、グルーシェニカと話、イワンと話、別れてそれぞれ帰る、イワンは三度スメルジャコフと会う、事件の真相、イワン家に帰る、悪魔の悪夢、スメルジャコフが首吊ったと知らせるアリョーシャ、裁判始まる、証人喚問、最終弁論、検事イッポリートの論告、弁護士フェチュコーウィチの弁論、協議、判決は明日に延期。 〈エピローグ〉 アリョーシャ、カテリーナの所へ、次にミーチャのいる病院へ、カテリーナ来る、グルーシェニカも来る、その後イリューシャの葬式へ、少年達へ語るアリョーシャ。

    1
    投稿日: 2021.10.28
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    やっと、読み終わった。ほぼ一ヶ月。 何十年前に読んでいたのでほとんど忘れていて、初読み状態。 長年に渡って論じられてきた奥の深い文学であるが、こんなにもエンターテーメント性がある作品だとは思わなかった。親殺し&幼児虐待&女心と秋の空。あらすじは複雑。盛り上がりは抜群。 噛めば噛むほど味が出るというわけで時間がかかってしまった。 19世紀末の文学の特徴、自然主義的洞察からリアルを超えて暴き立てるような描写と、わき道にそれてこれでもか、これでもかと言わぬばかりのくどくどしさ。 加えて私の実家のごたごたが同時進行、身につまされ、TVでは「若貴」が派手にやってくれて、どこんちも大変だなーと思いつつ、「カラマーゾフ」は文学だから味わえばいいのだなと妙に納得したのだった。 親が子を産む。当たり前のこと。(もちろん産まれない人も、産まない人もいる。)産めば親にはなるが、育てるのが親とは限らない。育てなければ親ではないかというと、血のつながりでは親であり、DNAはしっかりつながり、結果は原因があり逃れられない。 私にはこの血のつながりが哀しくて仕方が無い。人間は一人では生きられない生物、種の存続を否定はできない。突然変異はほとんどないのだから、無いに等しい。ああ、でも異なり、違いたい! ドストエフスキーは実際の事件からヒントを得たのだろうが、昔も今もこんな事件はありふれている。今日的に読み応えがあるということである。 しかし、文学的に優れていてももうこんな本はしばらく嫌だ。 私の感想は一面(物語として)からのみ見ているのだ。思想については感想は書かない。

    3
    投稿日: 2021.09.11
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    20代の時に読むが、文字やストーリーが重厚。 想像力を必要とする。 30代以降で再読を試みるも難しい。 こういう本はホント若いうちだけだなと思った。

    1
    投稿日: 2021.08.30
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    恥ずかしながら、最後の最後まで面白く読むことはできなかった、、、 歴史/宗教/思想/ロシア社会などを理解していないと、面白いと感じることはできないのかなと思った。解説を読んで、読むべき観点を知った。 最後のイリューシャのパートはとても良かった。

    1
    投稿日: 2021.06.16
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    約半年がかりでついに読破。いやぁ、長かった。 下巻は一番スリリングで、のめり込んでしまって最後は一気読み。イワン兄さんあんなにクールだったのに。。。 最後の裁判での判事対弁護士の論議バトルは手に汗握る、法廷で直に観覧してる生々しさや白熱の空気感が感じられたよ。うーん、有り体な感想は心の内にしまっておいて、こういう破滅的な人生観って今の時代にも脈々と流れる不滅な価値観なのだろうな、というコメントで結びといたします。

    3
    投稿日: 2021.06.09
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    この作品を読むコツは時間をしっかり作って一気に読むことだと思う。二回目以降の再読についてはメモをとりながら少しずつじっくり読んだ方が楽しめそう。 自尊心と破滅願望とは表に出さないだけで多くの人が持っている気がする。自尊心が大きすぎると破滅を招く(行き着くところは自殺?)から、人間は自分は周りから愛されているということを認識して謙虚に生きないといけない。愛し愛されることで人間らしくいられる。『誰かに愛される』ということに関しては神がやってくれているので自分は愛すだけでもいい、愛されている存在(自分も含め)は尊い、ということかな? 二回目はまた時間をあけて上巻からじっくり読みたい。

    2
    投稿日: 2021.05.31
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    とうとう下巻である 注)軽くネタバレ有 これまたアクの強いコーリャ少年の新登場 自尊心が強く、知性はあるものの突拍子もないふるまいをしたりと、度の過ぎたブラックユーモアを好む傾向にある またことさらクールにみせたり、マウント取りに行ったり、知ったかぶりしたり、大人をからかったり馬鹿にしたりさえする …と、まぁハッキリ言えば子供らしさを欠いたかわいくないガキだ 元二等大尉(以前カラマーゾフ長男ミーチャが大衆の面前で、腹を立て引き回すなどの暴行を加えた)のスネギリョフの息子のイリューシャ君 上巻でのイリューシャ君は父のスネギリョフの「仇をとるんだぁ!」と一人で悔し涙をこらえて頑張っていた少年だ コーリャ少年との関係は、イリューシャ君はどうもコーリャ少年にとても憧れているようだ が、コーリャ少年は持ち前の嫌らしさでイリューシャ君を教育という名の「シカト」みたいな態度を取ったり、複雑奇怪な行動をとり、とうとう父親を「ヘチマ」とからかわれたイリューシャ君がキレてしまいアリョー少年にペンナイフで脚を刺してしまうのだった そしてイシューシャ君は結核で残念ながらもう先は長くない そして一筋縄でいかないコーリャ少年はカラマーゾフ三男の好青年アリョーシャのみを慕っているみたいだ(みんな大好きアリョーシャ君) というわけでアリョーシャはイリューシャ君のお見舞いにコーリャ少年らと一緒に行くのであった (またこの厄介な少年に対してアリョーシャが大人で善良な立派な態度をみせるのだ 決して卑屈にならず遣り込めるわけでもなく上手に少年の心を導こうとする) ここはイリューシャ君の悲しい死と絶望を通して、コーリャ少年の成長、父スネギリョフら人間臭さがガッツリ描写されている コーリャ少年は子供らしさを少し取り戻せた そしてアリョーシャは少年たちに別れを告げ、イリューシャ君が葬られる石のそばで少年らにお互いのこととこの日のこと、イリューシャ君のことを忘れずにいよう…と熱く語る そうアリョーシャは彼らのためだけではなく、自分の悪い部分を牽制するために、この純粋な皆の気持ちを忘れないでいたいと切望するのであった 一方、上中巻でアリョーシャと両想い(うーんまだ正式な恋人なのか微妙な関係なので…)の足の不自由で小悪魔的な少女リーザ 彼女はかなり情緒不安定だが、なかなか頭の良い少女だ 個人的にリーザは好きだが、アリョーシャがなぜリーザを気に入っているのかはちょっとよくわからない ここでのリーザは病的な負のエネルギーが炸裂する 家に火をつけたい欲求やみんながどれだけ貧乏でもアイスクリームは誰にもあげない意地の悪さ(笑) 悪事の限りをつくしたい!人間は犯罪が好きなのよ! そう言ったかと思うと、アリョーシャに救いを求め、自殺してしまいそう!と訴えるリーザ そんなリーザに理解を寄せるアリョーシャ そしてリーザの悪魔の夢の話を聞き、自分も同じ夢を見るという アリョーシャの中にも負のエネルギーがあるのだ だからアリョーシャはリーザに惹かれるのか… いよいよ父親殺しの長男ミーチャの公判 われわれはみなすべての人にたいして罪がある 俺はみんなの代わりに行くんだ と流刑囚の覚悟とその中でも喜びを見出せる そして神を愛している… とずいぶん立派になったミーチャである とする一方、次男のイワンがミーチャに脱走を進めている ミーチャの弱い心はすでに脱走に傾いている(というか大好きなグルーシェニカと離れたくないから心は決まっている) イワンはミーチャが父親を殺したと思っている…とミーチャは思っている しかしアリョーシャはまったくそう思っていないのを聞いて、ミーチャは救いを見出す 一方アリョーシャはそんな兄ミーチャの想像以上の深い不幸な心を知り、心が激しく痛むのだ ここでとうとうイワンが精神が崩壊する 真実に近いところを把握しているアリョーシャはイワンを全く責めないどころか、同情さえしているのだが、イワンには伝わらない イワンはアリョーシャの勘繰りに対し(怯え…なんじゃないかなぁ)、絶交だと言い放つ 歪んだ心とある種二重人格の精神から徐々に自らを追い詰め気が病んでいくイワン ミーチャの脱走も、複雑な罪滅ぼし的な感情が焚きつけた計画だ そして父親殺しの真犯人を知ったイワンはとうとう気が狂ってしまう(理由を書くと完全ネタバレのため伏せるにする) この真犯人を知る場面からイワンが気がおかしくなってしまう描写はなかなかのサスペンスである 追い詰められていく様子とイワンの心の乱れがじっとり広がってなかなか不気味に仕上がっている 昔の「ジキルとハイド」のようなモノクロサイレント映画を見ているようで、かなりの見せ場だ さて、フョードルおとんの私生児スメルジャコフ そう忘れてはならない!ある意味彼もカラマーゾフの兄弟なのだ その役目を充分感じる存在感だ 彼のイワンに対する歪んだ好意とカラマーゾフ家に対する憎しみの複雑な感情 そしてスメルジャコフはイワンがプライドが高く、名誉もお金も女も大好きで、平和に満ち足りた生活をし、誰に頭を下げたくない… 誰よりも大旦那様(フョードルおとん)にそっくりだと言い放つ スメルジャコフの本心がはっきり表れるのはここくらいだ 彼の心の奥底は我々の想像を越える暗闇と憎しみが広がっている 自身の不遇な出生や世間に対する激しい憎しみが見え隠れし、カラマーゾフの血の「暗」の部分をガッツリ持っている そしていよいよミーチャに最後の審判が下される うーん 下巻の後半残念ながら法廷での検事と弁護人の証言や尋問、弁論などのやり取りが多く、カラマーゾフの面々の登場がちと少ない そこが物足りなかった しかしながら相変わらず一人一人の個性あふれるキャラクター達の多様な人間性と、単純に善悪などで計り知れない人の心の微妙さを見事に描いている 個人的にドストの好きなところだ そして残念ながら 未完…(それなりに完結してるようにも感じるが…)である もっとも気になるのはアリョーシャ! ところどころカラマーゾフの血を窺わせる描写があった どうもこのままいくとアリョーシャはテロリストになる…⁉︎なーんて解説もあったりして私達を脅かす だってみんなアリョーシャのことを大好きなんだもの(他のメンツが疲労感を覚えるほどアクが強かったので、アリョーシャに何度癒されたことか…) でもアリョーシャ自身も、自分はカラマーゾフの血が流れている!と口にしているからなぁ… 他にも アリョーシャとリーザとの行方は(うまくいななさそう) イワンは回復するのか(しなさそう) ミーチャは脱出できるのか(ちょっとどうでもいい ごめん) あれほど描かれたコーリャ少年が引き続き出てこないはずもない…(出てくるだろうなぁ) と妄想するしかないんだけど… ちょっと悶々としてしまう というわけでかなりの大作であるが、思ったよりも読みやすかった ただ理解の足りない部分も多いので、いつか再読が必要であろう そして、読み応えあり過ぎて最後には消化不良になった(汗) 数年前まさかドストエフスキーを読むことができるなんて思っていなかったのでそういう意味では満足度は高い ドストエフスキー作品がなぜ素晴らしいのか、自分なりに少し理解できた気がする (まだまだすこしだ…)

    38
    投稿日: 2021.02.25
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    『罪と罰』を挫折したので、この『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて、自分の成長を感じ、嬉しかった。自信、体力、集中力がついたと思う。ドフトエフスキー節がおもしろかった。一回ではなかなか理解出来ないので、再読したい。また『罪と罰』にも再チャレンジしたい。

    4
    投稿日: 2021.02.16
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    いや、むずいわ 途中から文字追ってるだけだった、、、 この身、朽ち果てる前にもう一度読んでみたいと思った本。

    2
    投稿日: 2021.02.06
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    父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに終末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。

    1
    投稿日: 2021.01.27
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    続編がある予定だったことを解説で知った。その後が気になるのであったら読んだだろうけど、なくても全く問題ないほど完成された作品だと思う。イワンが好きだな。アリョーシャは今後の成長が楽しみだし、ミーチャはなぜか憎めない。それにしてもカラマーゾフの兄弟というタイトル、ぴったりで良い。

    3
    投稿日: 2020.12.31
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    やはり非常に読みやすかった。 こっちの翻訳版で読み直して正解だった。 第一部だけでも本当に完成されていると思うし。 第二部があったらどうなっていたんだろうと想像するのも楽しい。

    1
    投稿日: 2020.12.18
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    何ヶ月もかかって、人生で初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。『罪と罰』もすごかったが、こちらはそれにもまして感動した。

    1
    投稿日: 2020.12.05
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    世界最高の文学作品として色々な所で名前が挙がっているのでいつかは読もうと思いつつも、挫折率が高いという声に臆しなかなか手を出せずにいましたが、そろそろ行けるだろうと挑戦してみました。 上・中・下通して2ヶ月ほどかけて読み終えた感想としては、面白かったけど作品の半分も理解できてないんだろうなという感じです。 作品の核と言われている「大審問官」を始め、日本人としてはなかなか馴染みのないキリスト教(ロシア正教)の話が主題の一つとして随所に書かれている上に、登場人物の話がやたら長く、その話さっき聞いたよ!?というのがちょこちょこあるので、噛み砕きながら読み進めるのに随分苦労させられました。 気軽に読み返せる作品ではないですが、いつかまた体力がある時に、頑張ってみようと思います。

    1
    投稿日: 2020.11.19
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    読了 2020年10月11日 16:07 @上野公演 富と情欲を愛し、それと引き換えには我が子に何も与えず、むしろ奪おうとさえする父、貧困ではあるものの施しを良しとはせず、病気の妻と不具の子を抱えながら、一生懸命息子のことを愛する父。一方は父が命を侵され、一方は父親のために戦った子が病に侵される。 同じ悲劇でも自己の利益を求めた結果と愛のある家族では趣が違う。 近代化へ突き進もうとする時代の大きな葛藤に答えようとしたのだと思う。

    0
    投稿日: 2020.10.11
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    以前読んだのが結構前なので再読。フォローしている方のレビューを見て、久しぶりに読みたくなった。 舞台は帝政ロシアで、成り上がりの貴族である父フョードルと、三人の息子の物語。一応主人公は三男のアリョーシャということになっている。 あらためて読んでみて、不死、神の存在、美、情欲、愛、堕落、善と悪など、重いテーマをガッチリと組み込んだ、卓越した小説だと感じた。それらを物語るための舞台として、ロシア正教会修道院というとっても厳かな、神や愛を語るにはもってこいの場所が素晴らしい。加えて、修道院で奇跡を体現する偉大な長老の存在や、貴族で道化の親父フョードルに、放蕩無頼な長兄ドミートリィ、冷徹な哲学家の次兄イワン、そして純粋無垢な修道僧の末弟アリョーシャ、という人物の書き分けがとても巧みで、それらがあってこそテーマが光るのだと感じた。彼ら以外にもスメルジャコフ、グリゴーリィ、カテリーナ、グルシェーニカやら名脇役たちもスポットライトを浴びて輝いている。 彼らの性格や哲学の違いが、ドストエフスキーの圧倒されるような、人物の対話を生み出している。この「対話」が深いし、重い。それに対話は往々にして主人公アリョーシャを介して行われるのだが、このアリョーシャという人物が対話の聴き手、つまり受け皿としては、少しの偏見もなく、純朴で、物語を動かす潤滑油として大変優秀な存在になっている。話の面白さはピカイチで、キャラ立ちも筋書きもとてもしっかりしているといるうえ、細事にわたる、それでいて怒涛のような描写は息をつく暇もないくらいで、何度読んでもその熱量に圧倒される。 初めて読んだときは中巻のゾシマ長老のところで大号泣した記憶がある。その後何度か読んだがなんともなかったのが不思議なところだ。小説を読んで号泣したのは後にも先にもこの一度きりで、自分の変なスポットにうまく刺さったんだろうなと思う。 上巻はカラマーゾフ家の歴史の説明から始まり、修道院や実家などでの場面で、各人物の紹介がなされる。カラマーゾフ家は少々複雑で、ここでは詳しくは説明しないが、すべて一癖あるキャラクターばかりで、読むたびに違う発見がある。今回読んで気に入ったのは上巻の長兄ドミートリィの魂の告白シーン。詩や事件によせて、恋愛にまつわる自らの置かれた窮地を弟アリョーシャに説明し、同時に心情を吐露するのだが、これがとても面白く、激しく、抒情的で心を打つ。ドミートリィは作中では無頼漢、卑劣漢のように描かれる。だがただ単に理性より行動の人で、結果として激情にかられて過ちを犯し、責め苦を負い、自らをも蔑むわけだが、彼の告白と洞察は、ピントがずれているときもあるものの、大変野性味・知性味溢れるものだと思う。あとは上巻では、イワンの大審問官も見どころだ。 下巻は検事と弁護士の論告が見物だが、弁護士のフェチュコーウィチが父親殺しを聴衆の感情に訴えて打破しようとするところが(素晴らしいが)少々残念だ。僕としてはイワンにもっと活躍してほしいところであるが、彼が頑張ったらドミートリ―の運命が変わってしまうかもしれないし、ドミートリ―のモデルになった人もやはり彼と同じ運命になったというから、物語の落とし所としては丁度いいのだろうか。 読んでて思ったのはこれドミートリィが主人公じゃないのかというくらい彼に紙片が割かれているなってこと。彼は父親殺しの嫌疑をかけられるわけで、その言動を逐一追わなくてはならないから当然かもしれないが。あらためてイワンやアリョーシャをもっと深く掘り下げるような第二部があればと思ってしまう。とくにイワンの成分が少なすぎる。短いがパンチは効いている、だけどもっと読みたいと思う。 ドストエフスキーはアリョーシャが活動家になる続編を書くために、この導入ともいえる第一部を書いたというが、彼が亡くなって続編が日の目を見なかったことが悔やまれる。でもドストエフスキーは実はカラマーゾフしか読んだことがないので、まだまだ楽しみがあると思って、これから彼の他の小説を読んでいきたい。 それにしてもどうやってこれだけ複雑に入り組んだ、完成度の高い小説が書けたんだろう。ドストエフスキーは神がかり行者ならぬ、神がかり作家としか思えない。

    4
    投稿日: 2020.09.22
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    中編はこちら。 https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4102010114#comment 【ロシア人名を覚えるための自己流三原則】 ①個人名(洗礼名)+父称+名字  フョードルお父ちゃんの息子たちの父称は、フョードルの息子という意味の「フョードロウィチ」 ②愛称や名前の縮小がある。  アレクセイ⇒アリョーシャ、リョーシェンカ、など。 ③名前も名字も、男性名と女性名がある。  男性名だとアレクサンダー、女性名だとアレクサンドラになる。  母がスメルジャーシチャヤなので(呼名だけど)、息子はスメルジャコフになる。 一人の人間に対していろいろな呼びかけが出てきますが、お互いの立場や親しさにより変わります。  ●愛称によりお互いの立場や親しさが分かるようです:  アレクセイ⇒アリョーシャ(一般的な愛称)、リョーシェチカ(ミーチャお兄ちゃんが呼んでいたので、目下を可愛がる?)、アリョーシカ(卑称的な愛称らしい)、アリョーシェチカ(グルーシェニカちゃんが呼ぶので甘ったれたニュアンス?)  ●名前+父称は畏まった呼び方⇒カテリーナ・イワーノヴナ(彼女は名字が不明です)  ●名字は一般的な呼び方⇒カラマーゾフ 【物語】 ※※※ネタバレしています※※※ 下巻は、中巻でミーチャお兄ちゃんがフュードルお父ちゃん殺人容疑者として逮捕されてから2ヶ月後。 アリョーシャくんは、ミーチャお兄ちゃんといざこざを起こしたチェルノマーゾフ家を訪れ、今は生死を彷徨っているイリューシャ少年を見舞い、学校友達を呼び寄せている。 アリョーシャくんのお使いアリさんっぷりは相変わらずのようで(笑)、少年たちを取りまとめたり、ミーチャお兄ちゃんを巡るカテリーナさん及びグルーシェニカちゃんの間を行き来したり、モスクワから戻ってきたイワンお兄ちゃんの様子を心配したりしている。 そういえば、イワンお兄ちゃんは最近悪魔氏とお話しているらしい。イワンお兄ちゃんは悪魔氏に自分自身が考えたくないこと、認めないことを指摘されて錯乱している。さらにミーチャお兄ちゃんの面会や、カテリーナさんへの愛慕に悩んだり、真犯人かもしれないスメルジャコフくんを問い詰めたりしているから、心身支離滅裂になりつつある。 アリョーシャくんは言う。「イワンお兄ちゃんは自分が殺人事件が起きるかもしれないと思いつつ立ち去ったことで、自分自身を責めているんでしょう?でも、殺したのはイワンお兄ちゃんじゃないよ。違うんだ。ぼくはイワンお兄ちゃんにそれを言うために神様から遣わされたんだ、ぼくはこの言葉をぼくの一生をかけて言うよ、いいね?犯人はお兄ちゃんじゃない」 …、…、いかん、読者の私がグッと来た。人には、誰かがそう伝えてあげるべき言葉がある。それを伝えることでその人が救われるということを理解している誰かがいる。自分のすべてを込めて相手に伝える、そこにはまさに”神”の存在があるのだろう。 しかしイワンお兄ちゃんはアリョーシャくんの「何かあったら、まず僕のことを思い出して」というその想いを拒絶してしまう。 頭が良いはずのイワンお兄ちゃんはいまではスメルジャコフくんと悪魔氏とに翻弄されてしまっている。スメルジャコフくんも病床にあるんだけど、イワンお兄ちゃんに「自分が旦那様を殺しましたよう」って言って言うんだ。 …ちょっとまて、さらっと殺人告白したよね?! …という読者の思いとは裏腹に、なんの証拠もないし、むしろイワンお兄ちゃんが翻弄されちゃってるし、挙げ句にスメルジャコフくんは首吊り自殺をしてしまいました。 そして物語は裁判へ。 次々呼ばれる証人たち、そして証人たちの言葉を総括する検事イッポリートと弁護士フェチュコーウィチ。終盤は彼らの大演説。法廷は大盛りあがり、読者も大盛りあがり。 自分のすべてを暴かれ、自分が人々に何をして来たのかを見せつけられたミーチャお兄ちゃんは最後に言う。 「父の血に関しては、僕は無実です。僕は放埒ですが善を愛しています。僕は今日の裁判でいままで知らなかったことを理解しました。もしも慈悲をかけてくださったらもっと立派な人間になります。でもたとえ有罪になっても自分の復讐心を消して神に祈ります。でもどうか、寛大なご処置を…!」 【人物紹介】 ※※※ネタバレしています※※※ 人間関係が混乱してきたというか、「え?あなたたち繋がってたの?」という感じになってきた(笑)ので、整理整頓を兼ねて。 ❐フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ  カラマーゾフのお父ちゃん。スコトプリゴーニエフスク市(家畜を追い込む町、という意味)の俗物的な田舎地主。中巻で何者かに撲殺され、下巻ではミーチャお兄ちゃんが犯人として裁判にかけられる。 ❐ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ミーチャ)  フョードルお父ちゃんの長男。 下巻後半は、ミーチャお兄ちゃんの裁判。 もともとのミーチャお兄ちゃんの性格と評判からしてこの裁判はかなり不利。しかもミーチャお兄ちゃんは伊達男のような新調した装束で現れ、証言者たちに対しても余計な野次を飛ばす飛ばす。 そんなミーチャお兄ちゃんは強盗殺人を否定している。「おれはフョードル親父をブッ殺してやりたいとは言ったが、やってはいない。ましてや金のためにはやらない。おれはたしかにカテリーナの金でグルーシェニカと散財した卑劣漢だが、泥棒じゃねえ」ということ。 しかしこの事件で自分自身の言動を公表され、本人も覚えていないような話を蒸し返され、勝手に心理を推し量られ、それは子供時代にまで遡り、そしてまだやっていないのにこれからやるかもしれないことまで決めつけられる。そして証言者たち、裁判の傍聴人たちが自分をどのように思っていて、そして自分は彼らにどんなことをしてきたのかを思い知った。 ドラマチックな裁判の割には、下った判決はすべての罪状に対して「有罪」。ミーチャお兄ちゃんは父殺しで泥棒で二股かけて人のお金を使い込む男と評価されたのだ。死刑がないので、求刑はシベリアの炭鉱で20年の労働。 ミーチャお兄ちゃんは純粋で正直で直情型で世間の本当の厳しさを知らなくて誇り高い。彼のような人がシベリアの炭鉱でただの強盗や詐欺師たちと一緒にいられるのだろうか? ❐イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ワーネチカ。あまり呼ばれないけど)  フョードルお父ちゃんの次男。頭脳派…だが考えすぎで錯乱状態。 実はミーチャお兄ちゃんのことを軽蔑していて、ミーチャお兄ちゃんを知る人物で、フョードルお父ちゃん殺人犯人だと最初から信じたのは彼だけだったらしい。 それでもイワンお兄ちゃんはこの殺人には自分自身に罪があると思っていた。 スメルジャコフくんを問い詰め、殺人を告白させた!と思ったのだが、悩みは増すばかり。 ミーチャお兄ちゃんの元婚約者カテリーナさんとは実は相思相愛なのだが素直に受け取れない。 脳がパンクして悪魔氏とおしゃべりするようになり、本来は信頼しているアリョーシャくんのことさえ避けている。 そして罪悪感のあまりにミーチャお兄ちゃんをアメリカに脱出させる計画をたてるのだ。 裁判に出てきてスメルジャコフと自分の罪とを語るのだが、あまりにも支離滅裂だったためにむしろミーチャお兄ちゃんの破滅の道を作ることになる。 このイワンお兄ちゃんの脱走計画は、カテリーナさんとアリョーシャくんに引き継がれ、ミーチャお兄ちゃんの唯一の希望となって残るのだ。 スメルジャコフによると「大旦那様に一番性格が似ているのはイワン様」ということ。 ❐アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称アリョーシャ)  フョードルお父ちゃんの三男。 フョードルお父ちゃんを殺した犯人をスメルジャコフだと確信している。 もともと人々から共感を得ていたので、裁判でも彼の言葉はミーチャお兄ちゃんを有利にさせるかと思えた。 裁判の後でも、ミーチャお兄ちゃんの心身を救おうとしたり、人々の間を繋ごうとしたりしている。 アリョーシャくんはミーチャお兄ちゃんに伝える。「ミーチャお兄ちゃんはフョードルお父さんを殺していないのだから、十字架は必要ないし、心構えもできていないでしょう?ミーチャお兄ちゃんは苦しみにより新たな人間を生み出したんだ。この先どこに行こうと、その人間のことを覚えていればそれでいいんだよ。どこにいっても、それはミーチャお兄ちゃんの復活の助けになるよ」 アリョーシャくんの言葉と気持ちは真っすぐで迷いがない。優しいがか弱くはなく、人々から信頼されるのは、彼がしっかり自分を持っているからだろう。 ❐スメルジャコフ  フョードルお父ちゃんの召使いだったが、実は私生児だと言われている。 裁判ではスメルジャコフ論が論じられる。 検事は、癲癇持ちで知能薄弱で臆病なのだがカラマーゾフ一家のでたらめな生活や、彼らの哲学神学に振り回された小心者だという。 弁護士は、自分もカラマーゾフなのに召使いという立場を恨み、こんな立場にさせたロシアの農奴制度を恨み、疑い深く野心的で、社会に対してもカラマーゾフに対しても復讐心を持っているという。   ❐悪魔氏  最近イワンお兄ちゃんを訪ねてくるらしい。 イワンお兄ちゃんは悩む。あいつは俺自身の嫌な面を具現化したかのようだ。あいつは俺が生み出した幻だ。だがそうだとすると俺は狡猾で卑劣なやつなのだろう。それならあいつが本当に存在していたならいいのに。「神がいなければ宇宙最強は人間だろ。だが神がいなければどうやって人間は善人になるんだい?どうやって人間同士を愛するんだい?ああ神の世界は素晴らしいねえ。わたしだって神を信じたくなるよ。だがわたしが神を信じたら神がなくなってしまうだろう?(※悪魔だから)」なんていうからますます混乱してしまう。 アリョーシャくんは、悪魔の言葉は悪魔のものであってイワンお兄ちゃんのものではないよ、と告げるが、混乱したイワンお兄ちゃんには届かない。 ❐カテリーナ・イワーノヴナ・ヴェルホフツェワ(愛称カーチャ)  ミーチャお兄ちゃんの元婚約者。 ミーチャお兄ちゃんがグルーシェニカちゃんを選んだので捨てられた立場なのだが、ミーチャお兄ちゃん裁判では自分が好奇の目に晒されることも厭わず無実を勝ち取るために証言台に立った。だが、イワンお兄ちゃんの狂乱を見たカテリーナさんは最初の証言を翻してミーチャお兄ちゃんを「親殺しの無頼漢」と糾弾する二度目の証言を行う。 ミーチャお兄ちゃんの有罪を決定させたのは、このカテリーナさんの二度目の証言のためだった。 裁判の後、まわりの評判も気にせずイワンお兄ちゃんを保護して看病するのはカテリーナさんだった。 ミーチャお兄ちゃんのたっての願いで面会に行く。二人はまるで愛が続くかのような素振りを見せ、そして別れる。互いの心には互いが傷跡のように残り続ける。「愛は終わったわ」と宣言するが、だがその終わったことが、起きたということが、大切なのだ。彼らはどんな形であっても、互いを一生愛し続けるという言葉を交わし合い、別れる。(←居合わせたアリョーシャくんが、こういう場面に慣れていなくてどぎまぎする様子がちょっとかわいいのだが) ❐グルーシェニカ(本名アグラフェーナ・アレクサンドロヴナ・スヴェトロワ) なんだかんだあったけれど、ミーチャお兄ちゃんに愛を誓った。その直後にミーチャお兄ちゃんは逮捕されてしまった。だから付きそうと誓った。 ミーチャお兄ちゃんの逮捕でグルーシェニカちゃんは強く美しくなった。だが同時にミーチャお兄ちゃんの敵に対しての攻撃性も激しくなった。 ❐ラキーチン  私は彼をアリョーシャの友人で神学生だと認識していたのだが、アリョーシャくんは彼とは別に親しくないと言っていた。私が上巻で読み間違えたか。 下巻では、カラマーゾフ事件を利用して出世を目論んだり、上流階級未亡人に取り入ろうとしたり(※両方失敗した、良かった)、なんかゴシップ記者のようになっている。 あっちこっちに顔出しなんでも知っていて弁も立つ。裁判の証人として立ったときにはロシアの市民制度や農奴制度についての熱弁を振るい各種喝采。 …しかし、証言にあたり馬鹿にしていたグルーシェニカちゃんとは実は親族関係で、いままでも散々お金をたかっていたことがバレて笑い者に。 ❐チェルノマーゾフ一家 ・父ニコライ・チェルノマーゾフ  カラマーゾフ兄弟上巻で、ミーチャお兄ちゃんと一悶着があった元二等中尉。ヘチマに似た男と評される。人に馬鹿にされる人生だったため自ら道化師として振る舞っている。下巻では愛する息子のイリューシャが結核で死にかけていて、ニコライ父ちゃんは狂乱に陥っているのだ。 ・母アリーナ・ペトローヴナ ・娘ワルワーラ・ニコラーエヴナ、ニーノチカ・二コラーエヴナ ・息子イリューシャ  13歳。結核をこじらせて死の床にある事がわかった。 イリューシャ少年は身体だけでなく精神も苦しんでいた。父親の騒動、同級生なかでも尊敬するコーリャ少年との確執、さらにはスメルジャコフに唆されて野良犬に対して酷いイタズラをしてしまったこと。(←スメルジャコフ!ここにもちょっかい出してたのか!) アリョーシャくんは、彼の学校友達を家に呼び寄せ、裁判の合間に最期まで彼に付き添い、友人たちにも彼を忘れないようにというのだった。 ❐コーリャ(本名ニコライ・イワノフ・クラソートキン)  役人の息子。 下巻は13歳のコーリャ少年がアリョーシャくんと知り合うところから始まる。 コーリャ少年は、チェルノマーゾフ家のイリューシャ少年の学校友達で、かなり大人びているというかこまっしゃくれているというか(笑) アリョーシャくんはコーリャ少年のことを「素晴らしい天性を持っているのに、変な考えで歪められているのが悲しい。物事を素直にみたり、自分のためでなく相手のためを考えられればもっと良くなるのに」と言う。そんなふうに自分を一人前扱いするアリョーシャくんを尊敬するようになる。 なおコーリャ少年に変な考えを吹き込んだのはラキーチンのようだ。あんたここにもちょっかい出してたのか! ❐ホフラコワ夫人、娘リーザ(フランス風だとリーズ)  上巻で、リーザちゃんは衝動に駆られてアリョーシャくんと可愛らしい婚約をしたんだが、どうやら衝動にかられてリーザちゃんから破談にしたらしい。でもアリョーシャくんはそんなリーザちゃんを気にして訪ねてきている。 最近はイワンお兄ちゃんもリーザちゃんを訪ねてきているらしいが、支離滅裂さの影響を受けてしまっていて、自己破滅的な心境に陥っている。ちょっと心配だ。 ❐フェチュコーウィチ  ミーチャお兄ちゃんの遣り手弁護士。 ❐イッポリート  ミーチャお兄ちゃん裁判の検事。 下巻終盤では、彼らの最終弁論が熱い! 裁判は感動的な人間愛でなく、正義をロシアに轟かせようというイッポリート検事と、 われわれはこの地上にしばらくの間しかいないのだから、良からぬことをではなく良い言葉を語り善い行いをしよう、というフェチュコーウィチ弁護士。 ❐わたし  「カラマーゾフの兄弟」の語り手。ミーチャお兄ちゃん裁判を傍聴していたらしい。結局あなたは何者だったんだ。 【人間の二面性】 下巻では人々の二面性が垣間見られる。 裁判で顕になるのは、ミーチャお兄ちゃんの無邪気で高邁な性質と、下劣で卑怯な性質とを併せ持ったその複雑な精神。それはまさにカラマーゾフ的といわれるものだ。 カテリーナさんは、自分の恥になることでも毅然として証言してミーチャお兄ちゃんを救おうとするのも彼女であり、しかしそのミーチャお兄ちゃんを「親殺しの卑劣漢」と糾弾するのも彼女だった。カテリーナさんは、生涯の最後の叫びとして言うような告白を魂をかけて叫ぶことのできる女性だったのだ。 イワンお兄ちゃんは神を信じているのか、本当に信じられないのか。 スメルジャコフは臆病な精神薄弱者なのか、深い恨みと野心でカラマーゾフと通してロシア社会とを破滅させたいと思っているのか。 【アリョーシャくんの演説】 下巻ラストは、亡くなったイリューシャ少年の葬儀の後に、アリョーシャくんから少年たちへの演説。 イリューシャ少年のことを覚えていよう、彼の愛情、そして自分たちが彼の周りに集まったことを。 自分たちが愛情を持ったことを思い出せば、その上に人生が作られるなら、この先何が起ころうと、大いなる悪から守ってくれるかもしれません。 そして僕たちを善良な感情で結び付けてくれたイリューシャ少年のことを忘れないでいましょう。 【続きは?】 「カラマーゾフの兄弟」は二年間かけて完成させたという。 …えーー、読みとるほうがもっと長く掛かるよ(笑) そして1860年代を舞台にしたここまでの話は第一部であり、本当はこの後1880年代を舞台にした第二部が書かれるはずだった。しかしドストエフスキー他界により叶わなかった。そのためドストエフスキーにとってこの段階での「カラマーゾフの兄弟」は未完となる。 確かに、主人公と言われるアリョーシャくんがあまり主体ではないので(アリョーシャくんは、登場人物たちを繋げるような役割な気がする)、第二部で行動を起こし、この第一部はその行動の根拠となる話だったのだろうかとも思う。 ミーチャお兄ちゃん脱走計画はどうなったのか?イワンお兄ちゃんは正気になったのか、ううん両方希望は薄いな(-_-;) 最後の最後でアリョーシャくんを慕うコーリャたち少年がやたらに持論を述べていたので、彼らとアリョーシャくんはまた出てくるんだろう。 もしかしたら、語り手とアリョーシャくんが直接会話するようなこともあったのかな。 あとがきの解説によると、アリョーシャくんがグレてしまうようですが、この一部でゾシマ長老やアリョーシャくん自身の言葉を忘れなければ、真っ直ぐな途に戻れるのだと思うのだけれど。

    20
    投稿日: 2020.09.22
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    (20/3/19自ツイート転載(一部書き換えあり)) 2019年度内で読了 長かった~(;^ω^)  内容を1ツイートでコンパクトに書くのは無理~w とはいえ長い感想書けるほどの文章力もないわ~ww  でも、主にイワンが提示する真面目なテーマには考えさせられたし、「身も蓋もないエロ親子の痴話喧嘩」という俗な物語しても面白かったよ~

    2
    投稿日: 2020.07.26
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    物語は法廷サスペンスとなる。4部で特に気になるのは魔性の少女リーザだが、彼女の語る“パイナップルの砂糖漬けを食べながら”の話はとてもいい。あきらかに彼女は続編のヒロインとして準備されていたのだが、いったいアリョーシャとどういうドラマを繰り広げる予定だったのだろう。この物語では不完全燃焼な役割で終わってしまったのがとても残念だ。 法廷のやり取りは緊迫して意外性に溢れるのだが、検事と弁護士の最終弁論が長すぎるのが残念。テンポを悪くした。 子供達へのアリョーシャの演説がこの大長編を締めくくるが、皆の愛情と信頼にみちた心の結びつき中での救いを強調し、現実世界の苦しみを超えた調和の世界を予言する。ここにイワンの提示した、神学問題への素朴な回答があるのだと思う。 それにしても、この演説が続編では皇帝殺しやナロードニキの革命の序曲になったのだろうか? 続編がないのがやっぱり残念だ。(未練がましいわたし)

    3
    投稿日: 2020.07.21
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     読んでる途中から忙しくなって結局かなり時間がかかってしまった。長編だからか登場人物に感情移入しすぎて、途中から読んでて辛くて、何度も溜息をつきながら読んでた。でも、いろんな要素が詰まってるし、内容も引き込まれるし、本当に読んでよかった本。第二部があったら、また全然違うメッセージ性があったんだろうな。    イワンが「信仰はない、愛なんて分からない、全ては許されるんだ、合理性を求めるべきだ」って思ってたはずなのに、絶望の中で愛に背けず、愛故に自らを破滅させた部分が刺さった。大審問官を聞いたアリョーシャが「兄さんもその老人と一緒なんでしょ?」って言ってたこととか、イワンがアリョーシャに「どうしたら身近なものを愛せるか分からないんだ」って言ってたこととか思い出した。そんなこと言ってても、最後には愛とか良心とか神とか強く持ってるのがイワンなんだなぁと。  イワンの愛は、自らが罪を背負おうとしすぎてて、罪の所在の真実からは遠ざかってるなと思うけど。カテリーナの愛も、真実とは遠い効果を生み出すものだった。愛による行動が、真実を遠ざけることが往々にしてあるものだなと思った。人間は絶望の淵で本当の愛に気づくことが多いし、絶望的な状況であるが故に決定的な影響を及ぼしてしまうのだなと。  イッポリートの真相解説は、中巻で読者が、ミーチャが犯人だと仮定したときに考えるであろうこととかなり近いと思う。それを、既に読者が真実を知っている状況で、しかもミーチャの運命を決める裁判の場面で、検察側の主張として並べ立てるのは、「お前らだって前はこう考えていたんだろう?」って言ってるみたい。  裁判の件を読んで、人の内面を全て理解するなんて不可能だし、それをはき違えて、何かを狂わせることが多々あると、強く思った。裁判という場では、堂々と他人の行動や言動の内面的理由を並べ立てることが、正当化される。第三者は、推測でしかないのに、あたかも真実であるかのように話す。それを当然の権利としている。推測が合理的に思える話であればあるほど、間違っていた時にタチが悪い。心理学は両刃の刀っていうのに共感した。真実であったとしても、人の内面を第三者がまくし立てることを正当化するなんて、裁判にかけられてる人間を侮辱しているように私には思えるけど。真実が無罪であるなら尚更。冤罪を免れるには仕方ないとはいえ、そもそも罪がないのに何故引っ掻き回されなきゃいけないんだ、っていう。  「なぜ我々は自分の想像通りに仮定し、仮定した通りに想像しなければならないのか。」っていう言葉も印象的。先入観に左右されるものだよな。  あとこの裁判みたいに、なんの根拠も見つからなくて訳が分からなくなったら、信じたい方を信じるだけで根拠も正義もありはしないなと思う。  ミーチャの「人は誰しも罪を持っている。」の件も結構共感できる。不条理を生む社会の仕組みを黙認せざるを得なかったり、抗議しようにも無力さを抱えていたり。だから不条理を被る人に対して罪がある。常に意識してたら精神的に辛いだけだと思うけど、何事に対しても謙虚さを持とうっていう精神は大事だよなと思った。  何を考えても結局、根本で信仰にぶちあたる。この本では神を信じない=信念がないとみなしている気がしたけど、この本で本当に大事にしている信仰の根幹と無宗教の人々が各々で持つ信念は同じだと思う。何を考えるにしてもその人がもつ信念とか、人はどう信念を持つべきかっていう議論になる気がしちゃう。永遠の議題。  カラマーゾフ的というのが崇高な心と卑劣な心の両極を顕著に持ち合わせているということなら、多くの人間に当てはまるものだよな、と思う。  最後の場面でのアリョーシャと子供達の会話に、メッセージ性を感じるなぁ。あれで締めくくるなんて、予想とは全然違かった。ドストエフスキーの温かい部分が感じられる終わり方だなぁと思う。

    6
    投稿日: 2020.06.11
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    この作品を読む「以前」と「以後」で、 考え方、感じ方が変わると言えるほどの 強度を持つ作品だった。 主人公アリョーシャは、 他の登場人物よりも目立たず、 一般的な人物であるように思うが、 その計り知れない善良さが、 周りの登場人物の人生を 結果的に良い方向に導いていく。 神が存在することによって罪があり、 神が存在しなければ罪はないと 信じる人も多い。 アリョーシャは、神を強く信ずるが故の その善良さによって、罪の有無が決まることを 作品を通して教えてくれたように思う。 どの社会や時代でも、罪があるのは 誰かが決めたからだと思い込んでしまうが、 その根源は、やはり「善良」であるかどうか、 だということがわかった。 この作品は、人間が持つ複雑さへの寛容と、 善良に生きることの大切さを伝えてくれた。

    1
    投稿日: 2020.05.30
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    上・中・下巻足かけ約2ヶ月くらいけかてやっと読破。 上巻に1ヶ月くやい費やしたかも。 この緊急事態宣言が出たからこそ、読めたのかもしれない。 父親殺しがテーマだけど、宗教、恋愛、病、児童虐待、親子いろんなことがてんこ盛りの小説で、読むには読んだけど、ドフとエフスキーの言わんとしたことがどこまで理解できたかは疑問。 作者はアリョーシャが主人公としてるけど(続編が書かれる予定だったらしい)ドミトリー、イワン、アリョーシャそれぞれが主役だった。 結局、父を殺したのは藪の中でスメルジャコフなのか(多分そうであろう)ドミトリーなのか判然としない結末。 でも、ドミトリーはカテリーナが最後に裏切って出した手紙に今回の犯罪計画が(酔っ払って)書かれていたとして有罪になってしまう。 そのドミトリーの弁護士の言論が作者の考えと思えてしかたなかった。 サイドストーリースネリギョフとその息子のイリューシェチカ(病で死んでしまう)も興味深かった。

    1
    投稿日: 2020.05.28
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    スメルジャコフがイワンの心に潜む父への殺意を見透かして追い詰めていくところが残酷。 唯一真実を知るそのスメルジャコフが自殺したときには、ドミートリイももはやこれまでかと思ったが、イワンの勇気ある告白に胸を打たれた。 検事イッポリートと弁護人フェチュコーウィチとの法定での対決もすごく迫力がある。 ドミートリイ、イワン、アリョーシャ、それぞれが実に個性的に描かれていて、ドストエフスキー氏の筆力に脱帽してしまう。 「カラマーゾフ万歳!」の意味を味わうためには、もう1回読まなければならないだろうなあ。 このボリュームで第一部の予定だったというのだから、驚かずにはいられない。

    0
    投稿日: 2020.05.27
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    上中下で約1ヶ月を要した。 裁判でのやり取りは見物ではあるが、やはり宗教の真髄は理解が難しい。 ただ、まずは読みきったということで達成感はある。また何年か後に読み直すことで、理解が深まるかと思う。

    0
    投稿日: 2020.05.23
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    感想はこちらに書きました。 https://www.yoiyoru.org/entry/2020/04/18/000000

    2
    投稿日: 2020.05.10
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    大好き!!!登場人物の豊かな個性と繊細な描写の裏に張り巡らされた伏線と主に神と罪に関する哲学的な思想の3つを主な軸として構成された立体的な作品。頭結構使った分すごく楽しかったし、登場人物たちが繰り広げる議論や彼らの思想が本当に興味深かった! 世界観の緻密な設計と無神論vs有神論の上巻interestingなАлёшаとexcitingなМитяの中巻 不平等な結末ともうひとつの悲しい出来事を通して神の存在を問う下巻 何度も読みたい!

    3
    投稿日: 2020.05.02
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    カラマーゾフの兄弟の締めくくり これまでのドロドロとした人間模様が、最後、子供たちとアリョーシャの美しくキラキラとした、平和な会話で締め括られる。 ドストエフスキーは、人間の醜く、直視したくない部分を散々理解しつつも、最後は人間の善意というものを信じずにはいられなかったのかもしれない。 ドストエフスキー、最期の、魂の一作。

    2
    投稿日: 2020.03.19
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    5月の読書会の課題本だったが、コロナ禍で中止。晩年のドストエフスキーによる大長編。全四部+エピローグという構成になっている。様々なバージョンが出ているが、新潮文庫版は全三巻。最終巻である本書は、第四部とエピローグを収録しており、巻末には簡単な解説と年譜が載っている。学生時代以来の再読となるが、改めて最近流行のフロイト主義的な解釈は間違いだと確信した。本書のテーマは「父殺し」などでは断じてない。

    1
    投稿日: 2020.03.18
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    まるで思想と思想の殴り合い、しかも各々の思想の強度が高い。キリスト教にも興味が出てくる。また、まるで実在する人物に思えてくるほどに人物の描写が的確で、魅力的に描かれていると思った。サスペンス的要素もあり、ストーリー展開にもぐいぐい引き込まれた。文章自体はどちらかと言うと平易であるため、詩情とかそういうのを感じる場面は少ないが、人々の関係性や異なる思想とかが交錯し、どこか立体的な像というか、面白さが立ち上がってくるような小説なのではないか。こういうタイプの小説を読んだのは初めてかもしれない。非常に緻密な作りになっているような印象。それにしても作品自体の長さと内容の濃密さから読み終えた達成感が大きい、世界的名作と呼ばれている所以を体感できた。批評も多く書かれていて、そちらも興味深い。

    3
    投稿日: 2020.01.16
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    三島由紀夫の仮面の告白で引用されてるけど、主人公のお兄ちゃん(名前忘れちゃったなロシアの名前難しい)が美についての葛藤を弟に告白するシーンが好き。「ソドムの理想を心に抱いてる人間が、同時に聖母の理想をも否定しない…人間の心は実に広い、広すぎるよ、俺はできることなら縮めてみたいよ、」このセリフがとても好きー!ドストエフスキーの悲しいくらい人間的な文体がいい、

    1
    投稿日: 2020.01.09
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    ようやく全巻読破。 本小説については評論され尽くしているので、率直な感想のみ記す。 所謂カラマーゾフ一家のお家騒動が一応の話の中心ではあるのだが、これほどまでにスケールが大きいのは、一族を取り巻く人があまりにも多いのに加え、信仰、自由、愛といったそれぞれ論ずるには大きい問題が絡められているからだろう。さらに、そこへ当時のロシア社会の現状も関係してくる。 有名な「大審問官」の章も然りだが、自由とは何なのか、信ずるものは何かが、物語全体を通じて問われているような気がする。 自分的には裁判での弁護人の演説がドストエフスキーの世界観を、検事の演説がロシア社会の現実を代弁しているのではないかと直観的に思った。だが、検事の演説も、作者の世界観を言い表しているのかもしれない。 いずれにせよ、文学史に残る傑作であることには異論はない。 今度は岩波文庫版も読んでみようと思う。

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    投稿日: 2019.06.23
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    ついに読了。 …しかし、さすがに一読しただけでは消化不良です。いや、大きな筋は追えましたし、なるほど圧倒もされました、また、難解は難解ですが何ともニヤニヤしながら読んでしまう箇所(複数)があるかと思えば、「えっ!マジ!」と声を出しそうになる箇所もあり…楽しみました…が、読み終わった途端にもう一度、今度は別の訳者の訳で読み直したくなりました。但しエネルギーがいるので少し時間を置いてから。

    0
    投稿日: 2019.05.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    するどいメッセージと偉大なる感情を感じられる、いい読書体験だった。 ドキュメンタリー感がありながらも物語としてまとまっている。他では読めない。 あとがきと反するが、未完作品だということには納得がいく。

    1
    投稿日: 2019.04.20
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    読破。ストーリーは追えたけど、この物語の真髄を理解できたかと言われれば自信がない(絶対にできていない)。またいつか読み直したい作品。

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    投稿日: 2019.02.02
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    上中下を読み切るのに丸一月を要した。面白くないわけではないが、喉越しが良くない。演劇的な台詞に不慣れなのと、宗教に対する依存性と言うか考え方が日本人だけ違うからなんだと思う。『赦す』ってのが心で理解できない。 でもロシア文学に少しだけでも触れられた嬉しさは充分にある。 ロシア人の思う社会主義と外国から見る社会主義は何か違う気がした。 根本はキリスト教の教えがあって、平和的な思想なんだと。

    1
    投稿日: 2018.11.11
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    帯にある「上巻を読むのに1ヶ月、中下巻を3日」その通りでした。 海外文学が得意ではない私が偉そうな助言をしてみると 「分からなくても最後まで読め!」に尽きます。 ロシアの農奴制や、ローマ・カトリックやロシア正教など 日本人の私達にとっては馴染みのない文化や思想が重要視されており、随所に散りばめられています。 その時点で躓くと話が見えないのが常ですが、下巻に於いて華麗な程に全ての伏線を回収していて驚きました。 ややこしい程の大人数が登場し、人物ひとりひとりに確固たる信念があるにも関わらず捨て駒ではなく最後に全員綺麗に纏め上げる。恐ろしく計算し尽くされた完璧な文章だと感じました。 まず真実の物語(事件発生時のリアルタイムでの登場人物の動向)が描かれているにも関わらず、 裁判に至るまでや裁判での弁論で、様々な人々の感情に基づく台詞の数々(ヒステリーを起こす女や、譫妄症の証言など)が飛び交いどんどん何が真実か分からなくなっていきました。 正にドストエフスキーの術中に嵌められた気分です。 解説にもありましたが、ドストエフスキー自身が幼少期の苦しい思い出や父の惨殺、自身の癲癇などに苦しんでおり カラマーゾフの兄弟それぞれに自己を投影している部分があったように思います。 その中でアリョーシャという絶対善の弟に彼なりの「魂の救済」をかけて描いたのではないか、と感じました。

    0
    投稿日: 2018.09.24
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    ほとばしる情熱、感情。 ドミートリイの裁判の結末は。 カーチャとグルーシェニカや、スネギリョフって誰だっけ等忘れるところもありましたが。 カラマーゾフ家の発言が少なかった。どこに行っても、どんなにみすぼらしくなっても、カラマーゾフはカラマーゾフだろう。

    0
    投稿日: 2018.09.15
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    「カラマーゾフの兄弟(下)」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1978.07.20 517p¥560C0197(2017.03.11読了)(2000.08.11購入)(1991.01.25・26刷) 以下は読書メモです。 下巻を読み始めました。 ドミートリイの裁判が始まるのかと思っていたら、第十編は、少年たちでした。上巻の第四編の続きのようです。 第十編の途中まで、何の話が始まったのか? という感じでした。いじめに遭っていた子供を、いじめていた子供たちが見舞う話になっています。 アンドレイが仲立ちをしたようです。この話はどこかでまた続きがある? やっと第十一編兄イワンを読み終わりました。 イワンが旅先から戻って、ドミートリイにあったりアンドレイにあったり、スメルジャコフにあったりして情報収集をしています。悪魔まで登場しています。 その中で、大変な事実がわかりました。でもその情報源が消えたので、どうなるのでしょう。 ドミートリイは、無実を主張していますが、シベリア行きは覚悟しています。グルーシェニカは、ついてゆくのでしょうか。 第十二編誤審を読み終わりました。 法廷での裁判の様子が記されています。証人たちの証言で、ドミートリイに有利なのも不利なのもありますが、イワンとグルーシェニカとカテリーナが修羅場を演じています。譫妄症やらヒステリーやら凄まじいですね。 最後に検察官と弁護人によるまとめがあって、陪審員による評決結果が告げられました。 残るは、エピローグのみです。どうなるんでしょうか。 エピローグと解説を読み終わりました。 エピローグでは、アンドレイがドミートリイとカテリーナを和解させようとしています。人の心はなかなか定まらないようです。 最後は、第十編の少年たちとアンドレイがまたしても登場して締めくくっています。 『カラマーゾフの兄弟』は、未完という話もあるのですが、とりあえず完結しているようです。アンドレイを主人公にした続編が予定されていたということのようです。 宿題の一つが片付きました。 『罪と罰』と同様興味深い内容の物語と思います。宗教の世界、大人の世界、子どもの世界と物語は多岐にわたっています。三冊に分けてそれぞれの物語にしても十分読めそうです。 一番読みたくないのは、大人の世界の部分でしょうね。お金が絡む話がいっぱい出てきますので。貴族の世界は、労働が主の世界ではないので、男と女のスキャンダルと相続をめぐる泥試合、お金を浪費するギャンブルやお酒を飲んでのどんちゃん騒ぎといったところなのでしょうか。悪魔の活躍する場はたくさんありそうですが、神の登場する余地はあまりなさそうです。 裁判は、陪審員制となっているようですが、上告審はなさそうですね。 【目次】 第四部 第十編 少年たち 第十一編 兄イワン 第十二編 誤審 エピローグ 解説  原卓也 年譜  江川卓 ●愚劣ないたずら(48頁) パンの柔らかいところにピンを埋めこんで、そこらの番犬に、つまり空腹のあまり噛みもしないで丸呑みにしてしまうような犬にそれを投げてやって、どうなるかを見物しようというわけです。 ●神は必要(83頁) 僕は神にたいして何の異存もありませんよ。もちろん、神は仮説にすぎませんけど……でも……神が必要だってことは認めます、秩序のために……世界の秩序とか、その他もろもろのために……また、かりに神がなかったら、やはり考え出さなければならないでしょうしね ●永遠の神(239頁) もし永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要がないって。 ●ロシア的(352頁) おそらくいつの日にか、わが国およびヨーロッパの一流の学者が、ロシア的犯罪の心理を研究することでしょう。 ●カラマーゾフ的天性(361頁) ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵とを、両方いっぺんに見つめることができるからであります。 ●眠れなかった(433頁) わたしの知っているさる婦人が、夜通し庭でスピッツが吠えていたので、眠れなかったと、ひどく愚痴をこぼしたことがあります。ところで、あとでわかったのですが、かわいそうな犬が吠えたのは、一晩を通じてたった二、三回だったのです。 二時間ずつ眠っていた間、その人はぐっすり眠っていて記憶がなく、目を覚ました瞬間だけ覚えているのですから、夜通し起こされていたような気がするのです。 ●思い出(493頁) これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。 ●イワンの大審問官(507頁) 人間は良心の自由などという重荷に耐えられる存在ではない。彼らはたえず自分の自由と引き換えにパンを与えてくれる相手を探し求め、その前にひれ伏すことを望んでいるのだ。だからこそ、われわれは彼らを自由の重荷から解放し、パンを与えてやった。今や人々は自己の自由を放棄することによって自由になり、奇蹟と神秘と権威という三つの力の上に地上の王国を築いたのだ ☆ドストエフスキーの本(既読) 「貧しき人々」ドストエフスキー著・原久一郎訳、岩波文庫、1931.02.28 「罪と罰 上」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.05 「罪と罰 下」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.25 「地下生活者の手記」ドストエフスキー著・中村融著、角川文庫、1952.08.15 「白夜」ドストエフスキー著・小沼文彦訳、角川文庫、1958.04.15 「白痴(上)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30 「白痴(下)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30 「悪霊 上」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.11.30 「悪霊 下」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.12.05 「賭博者」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1979.02.20 「罪と罰(上)」ドストエフスキー著・工藤精一郎訳、新潮文庫、1987.06.05 「罪と罰(下)」ドストエフスキー著・工藤精一郎訳、新潮文庫、1987.06.05 「カラマーゾフの兄弟(上)」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1978.07.20 「カラマーゾフの兄弟(中)」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1978.07.20 ●ドストエフスキーについての本(既読) 「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20 「ドストエフスキイ」埴谷雄高著、NHKブックス、1965.11.20 「ドストエフスキーのおもしろさ」中村健之介著、岩波ジュニア新書、1988.03.22 「ドストエフスキー『罪と罰』」亀山郁夫著、NHK出版、2013.12.01 (2018年6月13日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに結末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。

    0
    投稿日: 2018.06.13
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    ようやく、ようやくの読了。 他の読書と並行していたので、何年もかかってしまいました。 ドストエフスキーは前のめりになって、燃え盛るように登場人物に語らせるのですが、 (紙に食いつくように、ガリガリとペンを走らせる彼の姿が見えるようです) それがドストエフスキー自身の台詞ではなくて、それぞれの登場人物の、 各個の哲学をもって語らせるのが、本当に面白い。 登場人物の姿を借りて、彼自身が語っているのではないのです。 ドストエフスキー自身が、憑依型の役者のようなところがあるのでしょう。 あとがきで『カラマーゾフの兄弟』は未完であるということが書かれていました。 また小林秀雄が「未完とは思えないほど完成された小説だ」と言ったことも。 しかし私には、アリョーシャの中に滾るようなエネルギーを感じていて、 それが未だ発散されずに物語が終わってしまったような感覚を覚えています。 登場人物が多いだけに目立たない部分ではあるかもしれませんが、 彼の天使のような振る舞いのなかに、グツグツと煮えたぎる何かを感じるのです。

    3
    投稿日: 2018.03.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    3か月近くかかったとはいえ、大した苦も無く読み切れたのは、波乱万丈のストーリー展開とキャラクターの魅力だと思う。 ごめんなさい、キリスト教に関する話とか、古典文学の辺りはななめ読みで雰囲気しか読んでいません。 『なぜって、俺はカラマーゾフだからさ』というドミートリイのやさぐれた開き直り、 アリョーショの前で散々、ゾシマ長老のありもしないでたらめのエピソードを持ち出して貶めた後、『イワン、俺が嘘っぱちを並べたてていたのに、どうして止めてくれなかったんだ、イワン……嘘つきと言ってくれなかったじゃないか?』『そのうち自分でやめるだろうとわかっていましたからね』こういうぐだぐだながら軽妙なやりとりも良い。  本当は大審問官などきちんと読まなければならないのだろうが、今回はこれで・・・また再読したい、とは思うが・・・。

    0
    投稿日: 2018.03.10
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    いわずと知れた永遠の名作。 ミーチャ。イワン。アリョーシャ。この三人で全ての人間が説明できるのではないかと思うほど。 アリョーシャに憧れながら、イワンのような自分が悲しい。

    1
    投稿日: 2018.02.23
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    世界的文学作品というのはどういうものなのか?フラットな気持ちで読んでみた。冷静に見ると、形としては滅茶苦茶なところがあるし物語の流れもスマートとはいえないと思う。サスペンス的な要素を含む話の骨格の周りに沢山の視点と物語がある。流石の文量なのでそれぞれに厚みがあり世界がある。百年以上前の小説に「萌え」をみたり。親子、兄弟、恋愛、友情。お腹いっぱいの作品。一言で言うのは難しい。読んだ。印象を持った。というのは財産だろう。読み応え、という点では間違いなく一級品。ドストエフスキーの別の作品も読んでみようかなと思うくらいの読み応えはあった。読むのが大変だった。が、また読み返したいなと早くも思う不思議な作品。

    1
    投稿日: 2017.12.18
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    ようやく下巻読了。内容のせいもあり、結構しんどかった。ロシア正教はじめ当時のロシアのことを伺い知ることができる。 また、普遍的に魂が震えるような場面もある。 流石傑作。最後の終わり方は素晴らしい。

    1
    投稿日: 2017.12.17
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    検事イッポリートと弁護士フェチュコーヴィチの対決。「全体の状況を見ると被告が有罪としか思えない。しかし、個々の証拠を精査すると決定的な事実は何一つ出てこない。」 この部分だけを法廷劇として切り取っても凡百の小説より遥かに面白い。 秩序とは、家庭とは、刑罰とは、良心とは。それぞれのテーマについて検事と弁護士が持論を展開し、聴衆に訴える。ディベートの手本になる題材とも言える。 前半、リアル中二、コーリャの青臭い生意気さにイラっとさせられるが、そのあと読み進めて、中二病が完治していないイワンが、悪夢で昔の黒歴史を暴露されて恥ずかしさで死にそうになるシーンには苦笑してしまった。 再読してよかった。

    1
    投稿日: 2017.10.08
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    裁判の検事と弁護士のやりとりはすさまじかった。彼らの主張がほとんど綺麗に対になっているのが、彼らには明らかになってない幾つかの事象に対する解釈の違いのせいだすると、たとえばスメルジャコフの告白を記した語り手とはどういう立場なのか、が気になる。

    1
    投稿日: 2017.09.10
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    (01) 解法をほぼ無限に有する傑作なテクストで、テーマとモチーフ、ドラマとロマンス、エピソードとアレゴリー、ミステリーとヒストリー、コミカルとシニカル、どうつまんでもおいしいのが本書である。 さしあたり人物の魅力ということなら、兄弟の主人公たちはともかく、いつも泣いたりへらついたりしているけれど漢(おとこ、そして無頼漢)な一瞬がキラキラしているスネギリョフ、悪意のない虚言で煙に巻きなんだかコロコロしている住所不定のマクシーモフ、カテリーナやリーザへと達する兄弟の恋路にいつも関門の様に立ちはだかりしかし自分の恋路にはキチンと段取りを踏むホフラコワ夫人などなど、登場するたびにしでかしてくれそうで嬉しくなる人物にも事欠かない。 沸騰し狂騒し罵声する声たちがありとあらゆる場面で登場(*02)し、それはポリフォニーとも評されるが、情景を口やかましく彩る様を読んで見つめるとき、読書することの幸福を感じるとともに、発せられ読者に読まれてしまった、声、セリフ、一句、一語、それらのいちいちが、登場人物ではないかという眩暈にあてられてしまう。その意味で無限の解法がここにある。 (02) 場に登り、場に発せられたものは何なのか、という前にそのものがどこから生まれたかを考えてみたい。 セリフの過剰に隠れてはいるが、地の文として目に飛び込んできて印象的なのは、口づけと笑いである。口づけの多様と作用、笑いの矛盾と唐突には、いつもいつも驚かされる。このキスとラフは、口の方法と形であって、長広舌を補いつつ、饒舌に対しての反射の様に現れる。 この口、人間の顔面の下部を占め、食べると飲むに欠かせない機関として働き、言語の様な意味から悲鳴の様な無意味までの音声を発し、臭い息やスカトロジーなどに暴露され機関的な意味での内面の昇降口ともなる、口が問題の端緒でもある。 目の描写についても冴えをを見せており、太陽が映りこむ水玉などのアレゴリーも豊富ではあるが、本書においてやはり問題となるのは、顔の穴としての口腔ということになるだろう。それは人格の欠格にも対応する。スメルジャコフが向かったのが料理であったこと、その名が放つ異臭は、ゾシマ長老の腐臭とも共鳴しあうこと、これら悪臭の避けられなさは鼻孔という穴に由来している。 もちろん、19世紀ロシアはヨーロッパの先進性に対し後進性を見せており、その後進は、著者によって、ロシア性、カラマーゾフ性などとしてからかわれながらも引き合いに出され、批評にさらされた。つまりは文明の突出に対するヘコみとしてのロシアであり、大陸的な穴や欠損が卑しくも意識されていた時代であることは見逃せない。 また、ミーチャの蕩尽は痛快であるが、読者は、それぜったいだめ、という世話焼きな半鐘を鳴らす一方で、頁を隔てた向こう側で使われるルーブル(*03)は読者の財産ではないため、どんどん使っちゃえ、という焚き付けに加担もしている。このミーチャの行動は、ポトラッチとして理解される。つまり、蕩尽による名誉の保全であり、近代的には人格的な欠損を金で補い、箔を付ける実践として理解される。穴埋めというなら正しくその通りであり、彼はいつも埋めなければと切迫している穴を(好んで?)抱えている。 地獄や悪魔は穴の内容であり、ヒステリーやアフェクトは穴の修繕あり、扉や封筒は穴の容態であった。口、穴あるいは孔のアレゴリーには事欠かないが、ミステリーの肝となる、誰がフョードルを殺したか、という穴はエピローグの円団の時点でどのように満たされたであろうか。 本書の卓抜は、この作劇上の要点となる犯人は誰という穴に、神の不在というという問いを掛け合わせた点にある。やったのかやらなかったのか、いたのかいないのか、いるのかいないのか、曖昧をさまよう譫妄状態(*04)や、不問に付される情況、フィニュッシュの直前にある寸止め状態に、この作品の命脈を賭けたこと、そこに現れた深淵は尊い。 (03) 財産の保管と宗教の保護とに関わる土着性という点でも本書は興味深い考察となっている。ヴェーバーがプロテスタントと資本主義を考察するのは、本書ののちの話であるが、蓄財と散財とが先述の先進と後進とに対応し、ミーチャの散財や、カテリーナの善行と金銭に現れた感覚をロシアやカラマーゾフの美質として、プロテスタントのけち臭さに対置させたところは、面白い。 ほぼ同様な構図が、医学、心理学、細菌学、法学、神学に対する著者の見地にも現れている。啓蒙的な近代の学問をセットで小馬鹿にしており、在来の神秘や土着を踏まえたところに新時代の精神を築こうとしている。この文学的で政治的な態度は日本の近代化で現象されたことと比較しうる。 (04) 読み返すと、ありとあらゆる文脈に伏線や複線が張られていることが分かる。どうとでも読める、どちらとも読めるという具合に。それはリニアなのか、非リニアなのか。 しかし、明らかに回収されていない伏線というのもある。有名なのが、13年後(*05)を描いた第2の小説の件である。 感触として、第1の小説が余した残り半分を示唆しつつも、結果的にはその後半を欠損としたことに著者の最大の遊びがあるようにも思われる。書かれそうで書かれなかったところに、読者を置き去りにしてしまった(*06)こと、本書のテクストを読む限り、この欠損は意図的であったという感触を持っている。その理由は既に記すことができたようにも思う。 謎めかすこと、おそらくドストエフスキー以降は、映像文化の台頭とともに、文字による物語はやや衰退していくが、その文字文化の精華として本書が示した謎めかしは、今後まだまだ楽しく読み解かれるだろう。 報道マニヤ、事件マニヤが本書にも現れはじめ、マスコミの予感がしている。この20世紀を圧倒する情報社会の前夜において、書かれたもの、報じられたものどもが、神に対したときに、とてもじゃないが信じられたものじゃないことを、とっくに、そして遠くに著者は見抜いていた。 (05) ある階段の13段目にいるミーチャのはるか下、アリョーシャはまだ1段目にいるとされている。主人公であるアリョーシャは、ありとあらゆる場面に存在しなくてはいけない。場面とは事件のある場であって、事件の場には必ず癖のある人物が配置されている。主人公であるアリョーシャは、神がかり行者ともされるから、彼の業や修行は、このあらゆる場面に立ち会わなければならないことにある。 したがって、アリョーシャは忙しい。事件の前後となるとなお忙しく、彼が歩き回る場面場面で次々と業が課せられるから、タスクは累積的に彼の背にのしかかる。だから、特に前半の場面転換では、次なんだっけ、今なにしてたっけ、という健忘がしばしばともなわずにはいられない。彼が階段を上れずに踏みとどまっていること、それでもこの物語の中で数段は上れたかもしれないこと、これは西欧のビルドゥングスの伝統を踏まえた上で、どのように考えるべきであろうか。 おそらくアリョーシャは、物語の中で一度も汽車や馬車を利用していない、メッセンジャーや代理人にはなるが彼自身が誰かを使役することはない。そこにこの天使の踏みとどまりと善の理由がある。疾走する馬車や突き進む戦車は、太陽にも絡んで、物語中で重要なアレゴリーとなるが、天使の羽が、彼にのしかかる厄災をいくらかでも軽くしてくれていることを祈りたいものである。 (06) 「私」という審級が問題になる。マンの「魔の山」の「私」は超歴史的な存在ではあった。カラマーゾフの「私」は誰なのだろうか。カラマーゾフ家、特にアリョーシャを讃える伝記作家のようでもある。特に「誤審」の法廷では、この作家も傍聴していたようでもある。「私」は、カラマーゾフ家と同じ町に住み、周辺の人々のその後にも精通している。 この「私」のほかにも、超時間的、メタ的な存在をほのめかす記述が散見される。不思議な場面で、その人物がのちのちまで覚えていたとする説明がなされるときがたまにある。それは過去に遡る視点が目指すべきタグやポイントになっており、複線の交点のようでもある。逆デジャヴとでもいうようなこの表現は注目に価する。

    3
    投稿日: 2017.07.30
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    2017年1月31日読了。 裁判の描き方異常じゃない? これを書けるのは凄いし、ラストは未完とは思えない完璧さ。

    0
    投稿日: 2017.04.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

     話しの流れとしては「父親殺しで長兄が逮捕、本人は犯行を否定する。異母兄弟スメルジャコフが真犯人だと主張、スメルジャコフは犯行を匂わせる遺書を残して自殺する。次兄のイワンはスメルジャコフから預かった、犯行の時に強奪された金を持ってる。三男のアレクセイは、長兄が犯人でないと主張するが、元長兄の婚約者が殺しを決定付ける書類を持って証言」・・・で、犯人はだれ?・・・そこでネットで検索(ここまでの流れも確認のためネット検索)回答として「第十一篇 第八において、スメルジャコフがイワンに、犯行を自白している」ということらしい。 参照URL:https://oshiete.goo.ne.jp/qa/901974.html  素直に面白かったと言えないのはわたしの学のなさなのか?この小説を面白と感じる感性がないのか?

    0
    投稿日: 2017.03.31
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    おもしろい。奇人変人オンパレードだけど、カテリーナが比較的理解出来るか。登場人物はとにかくみんなよく喋る。イワンと弁護士の弁論は圧巻。結末は意外といえば意外だった。もし逆の結末だったら、文学的評価は違ったのだろうか? 続編が読みたかった。

    4
    投稿日: 2017.03.11
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    ドストエフスキーの絶筆。人気である理由が納得できるし、熱狂のうちに読了した。 『罪と罰』から『白痴』『悪霊』『未成年』と読み進めた今初めて、カラマーゾフ流の極端な心理の動揺や、ヒステリー以外に名づけようのない各階級の女性陣の書簡の真意が、自然と理解されるだけでなく、そのことが、そうでなければ再び重たかったであろう頁めくりを押し進めた。 もっとも、そうでなければという仮定は小説の性格上あり得ない、小説とは人間のいくつもある側面のうちのごく一部をデフォルメして、そのキャラクターが経験する世界を描くものだから。逆に言えば、ドストエフスキーの後期長編は、定冠詞付きの小説だと言うことができる。 ほとんどのことはすっと頭に入ったけれど、一つ疑問が残るとすれば、この物語の主人公は誰か、ということ。私はイワンに一票入れたいのですが、、、絶筆にならず、第2部まで書かれていれば、アリョーシャだったのかも知れない。 また、トルストイと比較して異なる点として、明確に登場人物に裁きを与えている点が興味深い(それが誤審であることによって、本来的に人が人を裁けない、あるいはそもそも良心の裁きに対する優位性を説こうとしたのかもわからない)。

    1
    投稿日: 2016.11.19
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    2016.8.1.読了とにかく長かった…。何かのエピソードが起こるたびに前哨戦の長いこと長いこと。そして、事件が起こるまでにほぼ上 中巻を要し、覚悟していたが本当に忍耐を要する本だった。でも、とりあえず読み終えたということで満足感を覚えたが最後の終わり方…未完だったんですね?に中途半端に放り出されたような気分になった。

    0
    投稿日: 2016.08.13
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    やっと読み終えることができた。ぶっ続けて下巻まで読んだので、よくわからないところは飛ばした箇所はあるけど達成感がある。 ミーチャの判決が有罪になってしまったのが、少し残念かな……と。それを受け入れている感じがするのも日頃の振る舞いからそう思われても仕方がない、といったことなのかなと。 ドストエフスキーの小説は罪と罰に続いて二作目だけど重厚感たっぷりで、一つのストーリーを太く、矛先が複数の場所に向かうかのような感じでどういう展開に行くか全くわからない。 世界最高傑作と言われる小説を読み終えて満足です。

    1
    投稿日: 2016.07.24
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    中巻の後半からおもしろさが増してきたので、下巻を一気に読み終えてしまった。カラマーゾフの兄弟は本当に名作だ。久しぶりにこういったいい本を読んだ。 カラマーゾフ家の、金の亡者で道化者の父親フョードルや愛に愚直な長男ドミートリイや頭脳明晰で思想家の次男や善良な修道僧の三男アリョーシャという設定が絶妙によかった。父親と長男がキチガイじみた行為をしているところを、無神論者のイワンと信仰心あふれるアリョーシャが冷静な視点で見ている風なんだけど、そこは神を信じている者と信じていない者による視点の相違もまたおもしろい。それにしてもアリョーシャを見ていると、イワンのようにどれだけ頭脳明晰であろうとも真実のみを語る善良さとは何て素晴らしいんだと思う。この本を見ると、人間てアリョーシャのようになるべきだなと思い、自分を省みてしまう。ただアリョーシャの善良さというものは、信仰心に起因しているので、やはり宗教というのは非常に重要な概念なんだとも思った。宗教でいうと神は存在するかというように、この小説は要所要所で宗教についてのシーンが出てくるけど、基本的にイエズス会を冷笑している節があって、ロシア正教とイエズス会ってそんな違うんだということもわからない日本人な自分を見ると、宗教についてもっと学んだ方がよいと思った。 キチガイの父親や長男や冷静な次男も全員アリョーシャを好きだし信頼しているところを見ると、すべては善良さによって得られたものだと思う。 ストーリー的には、この下巻は裁判でのやり取りがメインになっているのだけれど、検事の発言内容は読んでいてイラっとした。逆にドミートリイを弁護する側の弁護士の発言は裁判所に来ていた聴衆者と同様自分も感嘆するところがあった。あと証人喚問で発言したカテリーナにもイラっとしたというか、カテリーナの恋愛脳が見ていてムカつく(笑)最初の発言と、イワンをかばうために急に出た発言の内容の真逆さが本当に呆れてしまった。グルーシェニカの方がよっぽどいい女なのに、カテリーナに売女よばわりまでされてかわいそう(笑)裁判の判決が結局望んでいたものではなかったけど、ストーリーとしてはおもしろいから正直どちらでもよかった。 とりあえずスメルジャコフって本当悪い奴だね(笑) 下巻の最初が、上巻でいじめられていた子供といじめていた子供がアリョーシャを介して仲直りしている話から入って、途中でこの話いるのかと思ったけど、最後のアリョーシャと子供たちのシーンが非常に重要で、確実に必要だったなと思った。というかこういった殺人事件が起きて、裁判が行われ、判決が下された後で、子供たちとアリョーシャで自分たちも将来悪い大人になるかもしれない、ただ善良だった頃の思い出が将来悪い行いを躊躇させる手段になりえるというような会話が非常に感動した。アリョーシャは本当に素晴らしい人格者だし、このストーリーに欠かせない存在だ。ただ、こういった善良さから現代人は非常に乖離している気がして、なんてくだらない価値観や争いに毒されているんだろうと少し感傷に浸った。また、この本を読む上で自分はなんておっさんなんだろうと思った。こういった本は、若い時こそ読むべきだと思う。34歳のおっさんより

    5
    投稿日: 2016.05.14
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    とうとう読み終わった。 私の読書生活、カラマーゾフを読むことを目標としてきたがとうとう読了した。 神だとかなんとか論者とかそのへんはさっぱり分からなかったがストーリーを追うだけでも面白かった。 登場人物のそれぞれがしっかり個性を持っていて、満遍なく全体のキャラクターがしっかり描写されとてもバランスの良い小説だ。 最後、アリョーシャの子供たちに言う言葉の数々がとても素敵で美しかった。 でもこの本、日本人ではなかなか心底から理解出来る人は少ないと思う。 ガチガチのキリスト教で育ったわけではないし、日本の社会がそんなに宗教宗教していないので、それぞれのキャラクターが持つキリストへの信仰心に対して共感したり反撥したりの意見を持つのは難しいのかなぁと思う。 あまり宗教の概念が根強くないから。 そういえば、高校のときの英語の先生がすごくアメリカかぶれしていて、キリスト教に改宗して子供もミドルネームがある…みたいな英語の先生がいて…なんかそれって、それってお飾りキリスト教?と感じたことがあるのを思い出した。 まぁ本人がそれで満足しているなら、私はいいんだけど。。懐かしい。

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    投稿日: 2016.01.01
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    中巻からのドライブ感に身を任せ一気に読了。 これだけアクの強い登場人物を自由自在に動かしながら、そこにストーリーの面白さと作家自身の宗教観等を盛り込み、一気にクライマックスへ持っていく力量に感動。改めて古典作品の持つ力を感じたし、こういう作品に出会える点に文学の素晴らしさがある。 さて、この大作の読破を契機に今まで触れたことのないロシア文学を楽しめそうな予感もしてきた。

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    投稿日: 2015.12.29