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本居宣長(上)
本居宣長(上)
小林秀雄/新潮社
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総合評価

11件)
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    40年以上ぶりの再読。 熊野純彦を含め、近年の本居本に飽き足らず、小林に回帰。 二十代で初読したときには、何ひとつ理解できていなかったことを痛感した。 晩年の小林は、ここでも相変わらず、対象を語りながら自分自身を語ってしまうといういつものスタイルのように一見見える。しかし、よく読むとそうではない。 あの自信たっぷりに断定口調でものを言う小林が、逡巡に逡巡を重ね、思索に思索を重ねながら、少しずつ本居に肉迫しようとするその執拗さが読むものに深い感銘を与える。この上巻では、22章における宣長の歌論をめぐる小林の語り口は実にためらいがちだ。もっとも、宣長自身が自分の見解の説明に苦労しているわけだが。 この22章だけで、私は数回読み直した。 全篇を読み終えた後、またここに戻ってくるだろう。

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    投稿日: 2025.05.15
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    読んでみたいと思いながら、後回しにしていた小林秀雄。 没後40年にあたり、初めて手にした。 学生時代に中原中也を好んで読んでいた頃の印象で、小林秀雄を「中也と女性を奪い合った」というエピソードでのみ歴史に登場する人物、と長らく思っていたが、違った。 さて、本書『本居宣長』だが、そのスコープは、本居宣長が信じた「学ぶ力」「もののあはれ」「やまとごころ」にあると見える。 江戸初期の林羅山から始まる当時の官学=朱子学=漢学をメインストリーム或いは「実用」とするならば、宣長はそこへ「理想」というコンセプトを持って学を提案する。 儒教のような「海外の教え」を重宝がるばかりで、何故日本の心を学ばないのか、と宣長は問う。 和歌の名作の含蓄を真似て作るのは容易であるが、言葉を真似る方が難しい。 古典の解釈ばかりでなく、今の心をそのまま表すことが肝要、、 彼はひたすら、長いものに巻かれることを拒否しているようだ。 本居宣長という人は、歌人という肩書でありながら、現代にも通じる政治思想を形成した人物だと聞く。 下巻の展開が楽しみだ。 一つ自分自身へのメモとして。 小林秀雄の主張は時折非常に観念的で、かつ詳細にわたり、どちらとも取れるような解釈や、そうとは言い切れないようなことなど、細い糸の上すれすれを歩くような感覚になる。 勿論名著に違いはないのだが、この一冊だけを読んでいる間に、その深度故に、やや視界が狭まる感覚を覚えた。 西洋思想に比較すると、言葉への拘りは日本独特のものと思われる。 自国の思想史を学ぶことは尊いものだが、一方他国に広くある視点から離れすぎることには、やや危機感がある。 自分は特定分野の研究者などではないため、同時に二冊以上の本を並行して読むなどして視点のバランスを保っていくことは必要だと、改めて認識した。 勿論名著には違いないが。

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    投稿日: 2023.09.24
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    「新潮」1965.6から1976.12まで全64回連載され、1977.1に「読者へのお知らせ」で「読者に伝えんとする眼目はそれぞれほぼ書きつくしたので、掲載分を推敲、凝縮の上、結語を急ぎたい」として、未完のまま連載を終了、「結語」としての最終章を加筆のうえ、単行本として1977.10に刊行された https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20081012/1223771075

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    投稿日: 2023.02.23
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    まだ5分の1程度しか読んでないが 少々抜粋→私が、彼の日記を読んで、彼の裡に深く隠れている或るものを想像するのも、又、これを、(中略) この人というか、一人では無いだろうけど、やはり宣長が初代天皇を創出したんだろうと思う。

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    投稿日: 2022.03.09
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    内容(「BOOK」データベースより) 「とにもかくにも人は、もののあれはを知る、こと肝要なり…」。本居宣長七十二年の生涯は、終始、古典文学味読のうちに、波瀾万丈の思想劇となって完結した。伊勢松坂に温和な常識人として身を処し、古典作者との対話に人生の意味と道の学問を究めた宣長の人と思想は、時代をこえてわれわれを深い感動の世界につつみこむ。著者がその晩年、全精力を傾注して書きついだ畢生の大業。 本の感想(オフィス樋口Booksより転載、http://www.books-officehiguchi.com/?p=16791) この本の冒頭に、著者の小林秀雄氏が本居宣長について書いてみたいという思いや経緯について述べている。雑誌に記事を連載するにあたって著者自ら松阪に出かけて宣長の墓を訪ねたエピソードもある。 全体的な感想として、原文(歴史的仮名遣いと漢文の書き下し文)をそのまま引用しながら解説しているので難しいと感じるかもしれない。

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    投稿日: 2020.06.10
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    「本居宣長(上)」小林秀雄著、新潮文庫、1992.05.25 380p¥620C0110(2018.11.18読了)(2001.03.19購入)(1999.03.05/4刷) 【目次】(なし) 本居宣長 一~三十 ☆関連図書(既読) 「本居宣長」子安宣邦著、岩波新書、1992.05.20 「万葉集」佐佐木幸綱著、NHK出版、2014.04.01 「万葉集入門」久松潜一著、講談社現代新書、1965.02.16 「万葉集」坂口由美子著・角川書店編、角川ソフィア文庫、2001.11.25 「古事記」三浦佑之著、NHK出版、2013.09.01 「古事記」角川書店編・武田友宏執筆、角川ソフィア文庫、2002.08.25 「楽しい古事記」阿刀田高著、角川文庫、2003.06.25 「日本書紀(上)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.06.10 「日本書紀(下)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.08.10 「土佐日記」紀貫之著、川瀬一馬訳、講談社文庫、1989.04.15 「古今和歌集」中島輝賢編、角川ソフィア文庫、2007.04.25 「古今和歌集」小町谷照彦・田久保英夫著、新潮社、1991.06.10 「更級日記」原岡文子訳、角川ソフィア文庫、2003.12.25 「源氏物語 巻一」谷崎潤一郎訳、中公文庫、1973.06.10 「源氏物語 巻二」谷崎潤一郎訳、中公文庫、1973.07.10 「源氏物語 巻三」谷崎潤一郎訳、中公文庫、1973.08.10 「源氏物語 巻四」谷崎潤一郎訳、中公文庫、1973.09.10 「源氏物語 巻五」谷崎潤一郎訳、中公文庫、1973.10.10 「私の人生観」小林秀雄著、角川文庫、1954.09.15 「無常という事」小林秀雄著、角川文庫、1954.09.20 「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20 「ゴッホの手紙」小林秀雄著、角川文庫、1957.10.30 「モオツァルト」小林秀雄著、角川文庫、1959.08.10 「モオツァルト・無常という事」小林秀雄著、新潮文庫、1961.05.15 「対話 人間の建設」岡潔・小林秀雄著、新潮社、1965.10.20 「近代絵画」小林秀雄著、新潮文庫、1968.11.30 「考えるヒント」小林秀雄著、文春文庫、1974.06.25 「考えるヒント2」小林秀雄著、文芸春秋、1974.12.10 「考えるヒント3」小林秀雄著、文春文庫、1976.06.25 「考えるヒント4」小林秀雄著、文春文庫、1980.09.25 (「BOOK」データベースより)amazon 「とにもかくにも人は、もののあれはを知る、こと肝要なり…」。本居宣長七十二年の生涯は、終始、古典文学味読のうちに、波瀾万丈の思想劇となって完結した。伊勢松坂に温和な常識人として身を処し、古典作者との対話に人生の意味と道の学問を究めた宣長の人と思想は、時代をこえてわれわれを深い感動の世界につつみこむ。著者がその晩年、全精力を傾注して書きついだ畢生の大業。

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    投稿日: 2018.11.12
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    もののあわれとはなにか。日本語とは、日本の文化、民族とはどのようにしてもたらされ、持ち続けられているか。日本についての深い考察。

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    投稿日: 2018.10.02
  • 源氏物語と「あはれ」

    本居宣長の学問に対する態度、つまりは短歌、源氏物語、古事記の研究、同世代の学者や弟子達との交流や先達からの影響などが、小林秀雄の解釈によって、仔細に深く描かれています。小林秀雄の宣長に対する思いがいっぱいに詰まった作品です。特に、本居宣長の主たる業績である源氏物語や古事記に関する説明は非常に面白いものですが、ここでは源氏物語に関して紹介します。 本居宣長は、源氏物語を通して紫式部が語りかけてくるのを感じる位に深く源氏物語を読みました。それほど深く源氏物語を読んだ人はいなかった位に。それは、宣長が、「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばへを語るを、くはしく聞くにひとし」と書いているのにも現れています。 宣長は、源氏物語を研究していて、「あはれ」という言葉の重要性に気がつきました。「あはれ」という言葉の意味を問われ、容易に説明できないのは、この言葉が含蓄する意味が深く広いからだという事実に驚いたのです。「あはれ」の根本を追究しようとすると、「あはれ」という言葉の意味はどんどん拡がって行くわけです。 「あはれ」がそのように驚くべき表現性を持っているのは、「あはれ」が繋がっている人の心というものによるのではないかと思います。「あはれ」という言葉は人の心を表現している、人の心ほど深く広く全てのものに対して感じ行き渡り、そしてまた微妙に揺れ動くものはないのでしょう。そんなことを小林秀雄は語りかけてくれます。 宣長の人間観、つまりは人の心についての考えは、次第に、次のようなものへとなったようです。 「おほかた人のまことの情といふ物は、女童(めのわらは)のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にはあらず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢて、つつむとつつまぬとのたがひめ計(はかり)也」(「紫文要領」巻下) 成人男性といえども、その心情の底を探ってみると、女童(めのわらは)のように未練で愚かでめそめそした気持ちが誰にでも潜んでいて、ただ、その女々しい心情を隠すか隠さないかの違いだけだというのです。宣長の言葉に、それを解釈する小林秀雄の言葉が重なって、改めて自分の心に響いてきます。それは、源氏物語は、人の心の真実を描いた作品だということです。今まで気づかなかった世界がそこに広がっているのを知りました。 読みやすい本ではありませんが、じっくりと味わう如くに読み進められたら、新しい世界が現れるのではないかと思います。

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    投稿日: 2013.10.05
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    本居宣長は山桜が好き。 本居宣長は「安易に解釈されること」が嫌い。 「あらゆる解釈を拒んで動じない」のはすごくカッコいい。崇高。 けど、わたしは「あらゆる解釈を受け入れてなお動じない」方が好きだ。 ただ、この本、難しくて正確には読了したとは言い難い(流し読みに近くなった)

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    投稿日: 2011.05.29
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    宣長は,江戸時代の代表的な人文主義者である.現代人である著者の目を通した宣長は日本学にとっての一つのメルクマークたり得るだろう.(2010:小林茂之先生推薦)

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    投稿日: 2011.01.31
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    15年ほど前に読んだこれを、急に思い出しました。 当時の評価で★4つ以上。 また読んでみよう。

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    投稿日: 2009.09.19