
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大浦天主堂には2回行ったが、恥ずかしながら幕末の切支丹迫害については何の知識もなく、明治維新直後にはまだこうしたことが行われていたとは知らなかった。小説ではあるので、このまま史実として受け取ることはしないが。 沈黙でも思ったことだが、これだけの迫害を受けながらも棄教をしない精神的な支えってなんなのか⋯。
0投稿日: 2025.07.29
powered by ブクログ某所読書会課題図書:明治維新直前の長崎で、当時禁制の切支丹たちが体制の惨い仕打ちに耐え忍んでいく壮絶な物語だが、キクの生き方を中心に当時の農民の生活、都市に住む人々の暮らしなどをリアルに描いており、非常に楽しめた.プジジャン神父が隠れ切支丹を探す過程で当時の長崎の日常が克明に描写されており面白かった.切支丹への拷問は卑劣なもので読んでいてあまり気分は良くなかったが、それに耐えて信仰を守る信念は素晴らしいと感じた.役人たちの行動も容赦ないもので、特に伊藤清左衛門のそれは見苦しいものだったが、最後の場面での告白は小説として最高のエンディングだと思った.
0投稿日: 2025.02.17
powered by ブクログしっかり泣きました。伊藤がよかったです。あとがきで作者自身、彼に愛着が湧いたとあるように同情してしまいました。
0投稿日: 2024.11.27
powered by ブクログ長崎に隣接する浦上村馬込郷に生まれたキクは、中野郷の青年である清吉に恋心をいだきます。しかしキクの兄の市次郎は、中野郷の者は「クロ」であるという理由で、キクが清吉とかかわりをもつことを反対します。やがて「クロ」とは、かくれキリシタンのことであったことが判明します。 一方、日本にやってきたフランス人の神父であるプチジャンは、厳しい禁教令が敷かれていた日本で、役人たちの監視からのがれてひそかにキリスト教の信仰を守りつづけてきた人びとが存在していると聞き、彼らを見つけ出すことに情熱を燃やします。その後、清吉たちがプチジャンに接触を図り、プチジャンは彼らを正しい信仰へみちびこうと行動を起こしますが、彼らの活動を知った奉行所に、清吉たちは捕らわれてしまいます。 やがて江戸幕府の体制は崩壊しますが、そのあとの明治政府も禁教政策を引き継ぎ、清吉たちは厳しい弾圧を受けます。奉行所の役人である伊藤清左衛門は、清吉の身を案じるキクの弱みにつけ込みますが、彼女はみずからの身を削って清吉への愛をつらぬきます。 「浦上四番崩れ」の史実をもとにした小説です。クリスチャン作家としてこれまで著者が手掛けてきたテーマが随所に示されますが、基本的にはキクの悲劇的な恋を中心にしたストーリーとなっています。
1投稿日: 2023.07.18
powered by ブクログ遠藤周作『沈黙』の初版本を半世紀前に読んで以来、遠藤周作のテーマにはずっと寄り添ってきたつもりでいたが、数年前、念願かなって、二泊三日ではあったが、長崎を訪れる機会に巡り合った時、私は、彼の地の切支丹の歴史はもちろん、「長崎」というものの本質的な姿、実体などもろもろ何も分かってはいなかったことを思い知らされた。唖然とするばかりだ。 この『女の一生』一部、キクの場合を熟読した後の今も、頭の中の混迷はますます深まるばかり。 とりあえず今、言えるのは、二部の「サチ子の場合」は、これを読んだ戦前戦中を生きた人々が物語の中に「あっ、サチ子は私自身だ」と感銘をもって共感できる典型を創造していったことだ。 そして一部は、二部と真逆で、読者である「私の場合」とは全く別人の「キクの場合」を、物語を通して追体験させてくれた。ただ物語に登場してこない数多の人々の一人ひとりの"場合"が隠されていることを強く強く感じさせてくれる。何も、隠れキリシタンだけが長崎の歴史の悲劇を、ひとり背負っていたわけではない。それはキクがキリスト教徒ではなかったことからも推察できる。 かなり言葉足らずの読後感で、誤解を招かなければと心配だ。 が、私が大好きな戯曲『マリアの首』(田中千禾夫)の終末と、この一部キクの場合の終わりごろ、聖母マリア様がキクに話しかけるシーンが、降りしきる雪のイメージとも重なってとても印象的、詩的だ。 やはり私は、未信者だが、母性的なマリア信仰にどうしても惹かれてしまうのだ。
6投稿日: 2022.08.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幕末の浦上四番崩れの一人を愛した「キク」の物語。 「畜生ォー」。流刑地で主人公の怒鳴り声が響く。何に対する怒鳴り声か? 転んだ仲間に? 残酷な仕打ちをする役人に? 目に見えぬ権力に? それとも黙っている神に対してか? 隠れキリシタンに対する投獄や拷問の小説は、読んでいてとても辛い。そして、私自身が無宗教のためか、信仰を棄てない信者の気持ちがわからない。口先だけで転ぶと言えばいいのに? なぜ?、と。 拷問を避けるため、口先だけの”嘘”でも、キリスト教を棄てたと見做され、赦されないのか。「神」は、棄教を口走った弱者を見放すのか?本来、弱い人間こそ赦されるべきではないか? 特に幕末の混乱の最中、そんなにも厳密・厳格なのか?と思えてしょうがない。 エンディングで、「伊藤」が、津和野ですべてを話して、清吉に許しを乞う。「神は彼のような人を見放さなかった」という。拷問で死んだ人、獄中で亡くなった人、苦しんだ人、そして、キリスト教徒ですらない「キク」が、哀れでしかたなかった。”神”に赦されたとしても、私は、「伊藤」のような人間を、許すことができない。
0投稿日: 2021.11.14
powered by ブクログ遠藤周作の本を読むといつもキリスト教の惨さを思う。どんなに祈ろうと、どんなに善行を積もうと、神は報いてくれない。それでもキリスト教信者は、神を信じ神に祈る。 多神教徒なら都合のいい時に都合のいい神様に神頼みをするのに… でもだからこそ、心に滲みるのが遠藤周作の小説である。キクのような生き方こそ神様だよね。私は伊藤だ、熊蔵だよなぁって思いました。 女の一生2部はないのかなぁ
1投稿日: 2021.07.04
powered by ブクログキクは気が強くて頑固で後先考えずに行動するタイプで、最初あまり良い印象がなかったが、“愛する者のために自分を犠牲にする強さ“に最後ウルっときた。
0投稿日: 2021.05.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
浦上四番崩れという明治初期のキリシタン迫害のことを題材にした内容。 様々な登場人物の心模様が描かれて、人というのは弱い者だと、そして、神様など信じたりする事で強くもなれ、相手を思いやることが出来るようにもなるのだと思う。 苦労をすることで、人々は繋がりをより強くし、相手をおもいやり、自分も成長していくものだと。
0投稿日: 2020.10.24
powered by ブクログ数年前に読んだ時は、キクと清吉に注目していたが、今回再読して、役人伊藤に感情移入した。自分も働くようになったからか。 名作だ。このようなことが史実としてあったのか、信仰とは何なのか。
0投稿日: 2020.05.31
powered by ブクログ内容 長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の信者だった…。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。
0投稿日: 2019.07.09
powered by ブクログ幕末から明治にかけての長崎において、密かに信仰を保っていたキリスト教徒が弾圧された”浦上四番崩れ”という歴史的史実を、弾圧されたキリスト教徒に思いを寄せる非キリスト教徒の女性キクを主人公に描いた遠藤周作の1982年の作品。 『沈黙』でも描かれるようなキリスト教徒への迫害の様子のおぞましさはさることながら、主人公のキクとの出会いにょり最終的に改修する迫害する側の人間の心の弱さや、明治に入り諸外国との外交関係の観点から弾圧が次第に問題視されていく様子など、様々な主題が交差する。 それにしても、若干ステレオタイプな表現もあるにせよ、遠藤周作はこうした悲劇的な女性を描かせても巧い。通俗小説ではあるが個人的に強く印象に残っている『わたしが・棄てた・女』を思い出した。
0投稿日: 2018.12.30
powered by ブクログ2018.05.29再読しました。 前回この作品を読ませていただいた時は、お借りしていた本にもかかわらず、泪が止まらなくてページをぬらしてしまいました。まさに自分にとって人生の教科書になる作品だったので、今回は泣かないように再読を試みましたが… ムリでした(TT) 浦上四番崩れ。 今からわずか145年前までこんなにも酷い事が行われてたんですね。 何回読んでもキクの美しい愛と心に感動します! そして、「女の一生」、「沈黙」を読んだ時にも深く考えさせられる神の存在。 神は存在するのか?カタチはあるのか?と言う事。 わたくしの勝手な考えなのですが、神ってその人の人生なのではないか?と思うんです。その人がどうやって生きてきたか、によって神の存在を知る人、知らない人がいて、カタチを創る人創らない人もいて。 たぶん、その存在を信仰できる方たちはとてもステキな人生の持ち主なんだと思います。 キクもきっと人生という神様に出会えたのではないでしょうか。 決して汚れのない美しい人生だったと思います。
4投稿日: 2018.05.29
powered by ブクログ女性の尊厳を描くことで男性の尊厳を浮かび上がらせ、総じて人間の尊厳とは何か、を考えさせる。 長崎が舞台でとても読みやすい。ただ、やはり遠藤周作は重すぎて、1冊読むと食傷してしまう。
1投稿日: 2018.02.05
powered by ブクログ幕末から明治維新の時代にかけての長崎・浦上崩れ(検挙・弾圧事件)を題材にした小説。 恋い慕うキリシタン青年が流刑になり、その彼のために、死に至るまで自分の身を汚してまでも愛し抜いたキク。 神を信じているのに、なぜ不条理とも言える苦難が振りかかるのか、、、神義論的な問いを突きつける。
0投稿日: 2016.08.02
powered by ブクログ幕末から明治維新に向かう日本で、禁教のキリスト教を隠れて信仰してきたキリシタンが、迫害され流刑される浦上四番崩れを描いた作品。 これは宗教の自由や信仰の自由を認める上で歴史上重大な出来事を、キリシタンの青年、清吉を想うキクの一生とともに書ききった名作と言える。 キリスト教を禁止にするには、日本古来の公序良俗が乱れるという恐怖感に始まるが、当時はそれを許容する度量は日本にはなかった。だから鎖国したのだが、その間200年にも渡って受け継がれた。逆に言えばそこまで続けば、棄教する方が難しいのか。 日本では今、性的少数者の権利を法的に認めるかどうかの議論をする土壌ができつつある。ほんの100数十年前にキリスト教が認められた時と似た状況でもある。なぜなら性的少数者を認めると日本の家族観が損なわれたり、男性と女性が結婚できるのは子ども作る権利を持つというデリカシーのないことを言う人もいるからだ。それは違うだろう。結婚という行為は、契約論だから。倫理観を保つことにはつながるし、人間の尊厳に関わる。 折しもキクは、汚れなき身体を、愛する清吉を助けるために、伊藤に捧げた。あの時にキクは清吉の妻にはなれないと覚悟し、白い泪を流した。これこそ人の愛であり、愛する気持ちがあれば性的少数者も関係ないはずだ。 そういう大義をキクの死ぬまで清らかな心が教えてくれる。
1投稿日: 2015.05.01
powered by ブクログ強いことが全てじゃないし、弱いことは悪いことだと思わないけど、自分の弱さのせいで他人に迷惑をかけたり不幸にするならそれは反省すべき改善点でしかないと思うのです。 伊藤はそのことを知っているのに同じことを繰り返す。それは反省する自分に酔ってるだけ。弱き者はつべこべ言わずに従えばいいのです。それもまた強さだと思うんですけどね。 でも伊藤はそれも出来ない。 清吉じゃないけど最後は本当にぶん殴りたくなりました。マリア像と対話するキクが健気で可愛いらしかっただけに余計にボコボコにしてやりたい気分でした。 あたしは善人でもキリスト教徒でもないので清吉と同じ心情にはなれませんでした。最後の最後まで伊藤という人間が好きになれず、キクの一生は無駄じゃなかったという清吉にもモヤモヤしました。無駄か無駄じゃないかはキクにしか判断できないことだと思います。
0投稿日: 2014.06.30
powered by ブクログ面白かった。江戸~開国の激動の時代における、キリシタンの扱い。その中でも愛を貫いて死んでいくキクの姿に感動。
0投稿日: 2014.03.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
長崎のキリシタンを愛してしまった少女キクの一生の話。なにゆえこの時代は貧しいのか、ひたむきに生きてきたキクはクロとして捕まった清吉を助けるためのついには自分を売る…。そしてその先には清吉との再会があるわけでもなく結核という病魔が。 遠藤周作の物語というのはだいたい同じテーマで進んで行きますから好きな人は好きでしょう。 僕はコルベ神父の記述がこの本にあると聞いたので読んでみたのですがなかったですね。 2部のほうにあるのかな。
0投稿日: 2013.09.12
powered by ブクログキクのマリアへの叫びはまさに祈りの迸りだと言えよう。私たちよりよっぽど彼女の方がマリアに親しいとさえ思われる。 長崎巡礼の際に外海の遠藤周作記念館に立ち寄ったそこで買った本。その前に、出津協会、黒崎教会、ド・ロ神父の記念館及びその授産施設にも。前日の大浦天主堂で見たマリア像が目の裏にまざまざと蘇る。何故遠島から帰ってきたキリシタンたちが故郷で辛い目に遭ったのか。何故困窮の極みの中で暮らしたのか。その疑問を、この本は解き明かしてくれた。と、同時に拷問を加える側の苦悩、耐える信徒たちの姿、それらが明治の初めになってもまだ続いていたことに、胸が痛く、熱くなった。回心の姿と、哀れみの賛歌が重なった。 自分だったらどうするだろうか?と考えるのは傲慢なこと。総てはその時、必要になった時に与えられる賜物に寄って賄われる。だから、今、私だったら、と考えるのは必要では無い。それより寧ろ、その身を犠牲にして私たちへの道を開いてくださった総ての方々に感謝を禁じ得なかった。 イザヤ書53章より:彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
0投稿日: 2013.04.11
powered by ブクログ悲惨な時代や環境だからこそ、愛が純粋培養され結晶となり、生きていくことの救いと成り得る。 と言うことで今僕が欲しているのは、愛だ?!
0投稿日: 2013.03.30
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すごい衝撃受けた作品。一心にキリスト教を信じる清吉と、そんな清吉を一途に想うキク。どちらも真っ直ぐで純真で、どちらも幸せになってほしいとずっと思いながら読みました。すごく引き込まれた。幕末(江戸時代も)のキリシタンのこともあまり知らなかったので驚いた。2人以外に、伊藤のことがすごく気になって。自分の心に向き合えずコントロールできない伊藤が、歳を重ねて、清吉に会ったところがすごく印象的だった。
0投稿日: 2012.12.04
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「沈黙」に続く遠藤周作のキリスト教&長崎テーマの読書。 作品自体は「沈黙」のほうが素晴らしい出来のように感じたけれど、キクという女の一生を通して、信仰や愛について描かれているだけに、より感じるものは多かった。 キクの激しくも哀しい一生にはもちろん胸を打たれたんだけれど、伊藤とプチジャンの海辺での対話が圧巻。(むしろエピローグの津和野での懺悔が蛇足に感じた。勝手な感想だけど。) 神は本藤よりも伊藤を愛すると。本藤のような人に神は必要ないのだというような。 そうなのか…。本藤はすごく頑張ってるからこその成功なのにな、神様がその頑張りを見守ってくれて、幸運を与えてくれないと、割にあわなくない?なんて最初は思ったけれど、筆者の描く神はそうではないのね。救済を与えるのではなく、傍にあって苦しみをともにしてくださる。それならダメ人間ほど神に愛されるってこと?それって不公平じゃない?いやいやでも、人間は完璧じゃないんだから、本藤のような人だって弱くずるく醜い部分があるわけで、そこにおいては神がともにあって…。っていうかそもそも不公平って発想自体がおかしいような。でも…。 「沈黙」に続いて、考えれば考えるほど、神という存在の意味が、大きく変わってくる読書。
0投稿日: 2012.08.10
powered by ブクログ一言で言うなら『凄い愛の話』。二部はパワーダウンするので読まなくて可。神を罵ることも「祈り」なのだなぁ。罵倒される日常もそう思うとちょっとラク。
0投稿日: 2011.12.18
powered by ブクログ印象的だったのは、折々のキクとマリア像との対話(?)だ。いつも真っ直ぐで飾り気のないキクの言葉は、時に微笑ましく、時に悲しく、その一途な思いは美しい。
0投稿日: 2011.12.02
powered by ブクログ何回読んでも色褪せない感動があります。 これほどまでに見返りを求めない愛はすごい。 初めて泣きすぎて胸がつまりました。
1投稿日: 2011.11.19
powered by ブクログ半年くらい前に、津和野に行きまして。 そのときたまたま立ち寄った、山奥にあるちいさな教会が、 ずっと昔、キリスト教を棄教させようと 集められた教会だという話を聞きました。 まさかそのモデルになっているとは。 この本に出てくるあの場面が、拷問のあった場所を指しているとは。 すごく衝撃的でした。 早くこの本を読むべきだった… この本、先輩Wさんからお借りしたのですが、 そのWさんと、宗教について考えさせられる本だよね、 という話をしました。 宗教とは? 信じるとは? 愛とは? っていうのが主要なテーマかと。 自分を信じるのってすごく大変。 そして不安も伴うし。 だけど、誰かがそばにいてくれたら、 何かが支えてくれたら、 きっと自分という人間は生きていける。 そう思わせてくれる本です。
0投稿日: 2011.05.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「清吉さんのためうちにできたことは……少しのお金ば作ってやったことだけ。ばってん、そんなお金のために……体ばよごさんばいかんやった」 高校2年、修学旅行の事前学習として学校からだされた課題本のひとつ。 もともと遠藤周作の作品はほかのキリスト関連の文学作品よりも抵抗なく読める。視点が偏っていないからだ。遠藤周作氏も洗礼をうけたキリシタンだけれど、彼の視点は第三者であり、読者に考えさせる余地を作ってくれる。なぜキクは身を売るほど清吉を愛していたか、それを踏みにじった伊藤。伊藤の二面性にみえるのは人間の本質だ。キクが一途に清吉を想う過程は、決して清らかなものではなかった。胸張り裂けんばかりの衝撃、悲痛が混じり合う。だからこそ読み進めずにはいられない作品だ。
0投稿日: 2011.03.05
powered by ブクログ久しぶりに遠藤周作の本を読みました。 私が受けたとき、この本じゃないけど、遠藤周作がセンター試験の問題だったなぁ…。Z会の問題にも『海と毒薬』とかでてたなぁ…。 ともあれ、凄く面白かったです。キリスト教云々とか日本人とは、という思想的な部分はちょっと何とも言えないけれど、ストーリーが良いです。 映画とかにしたらいいと思います。
0投稿日: 2011.02.01
powered by ブクログ長崎を舞台に描かれる物語。 江戸の隠れキリシタンとその司教の迫害から長崎に原爆が落ちるまでが、キクとその子孫サチ子の目を通して描かれている。 途中長崎の大浦天主堂で布教活動をした後に祖国へ戻ったコルベ神父を追って、アウシュビッツも登場する。 手に汗握る。そんなレベルではない。息苦しい程に心に迫る本。
0投稿日: 2010.11.01
powered by ブクログこの本を読んだのは、大好きなアーティストの言葉がきっかけ。この本を読んで、愛すること、大切な人がいること・・・を想いながら曲を作ったと話していた。実際読んでみると、曲のタイトルや歌詞の内容により深みが増したように思う。もともと、個人的にグッとくる歌詞だったから気になって、一気に読んだ。いわゆる目を覆いたくなるような描写も多くて、字を追うのが辛い場面もあるし、ストーリーを通して救われないと感じることも多いかもしれないけど・・・。
0投稿日: 2010.10.23
powered by ブクログ「堕ちて行く女」を描いた作品が個人的に好き。 堕ちる中でも気高さや品格を失ってない女性像に憧れがあるからか?; 「居酒屋」「ナナ」「椿姫」にはまったの時と同じツボを刺激された気がする 第2部もいいけど、どちらかというと、こっちのほうが私は好み
0投稿日: 2010.10.02
powered by ブクログ江戸時代末期の長崎。切支丹弾圧の中で信仰を続ける村の若者と彼にひたむきに想いをよせる浦上の農家の娘キク。 この時代、キリスト教への迫害ってすごいものだったんだね。でも何故 拷問にあったり流刑になったりしてまで信仰は捨てないんだろうか。そんなにキリスト教って重いものなのかしら。キクは強い想いを抱いてしまったばかりに不幸な終わり方をしてしまったけど、そんなにも惚れた男の人に会えたのは幸せなんだろう。
0投稿日: 2010.07.11
powered by ブクログ江戸幕末から明治時代にかけての壮絶な恋の物語。キリシタン禁制の時代に信念を強く持ったひとは、絶対的な精神力の強さがあったんだろうなぁ…。 その強さが欲しい。
0投稿日: 2010.01.06
powered by ブクログ幕末・明治の時代を生きたキクという1人の女性を通して、長崎は浦上のキリシタン迫害事件を描いた作品。名もなき男女の愛と悲しみの犠牲の果てに日本の国際化があることを、私たちは心に留めておかなければなりません。
0投稿日: 2009.11.11
powered by ブクログマリア像の前で息絶えるキクは本当に美しいと思った 愛は苦しい 人間の愚かさも描かれていて久しぶりに本当に衝撃を受けた
0投稿日: 2009.10.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
第一部は幕末から明治にかけて長崎の商家に奉公に来ている娘キクを主人公にした作品です。 キクは、キリシタンである男清吉に思いを寄せる。やがてキリシタン弾圧の手は清吉の元にも及び、彼は津和野に流され、惨いせっかんを受ける。 清吉が信じている神さまは、清吉が苦しんでいるのになんでなにもしてやらんのん...そう思ったキクは教会の聖母マリア像にやるせない思いをぶつけるようになる。やがてキクは清吉を助けるために伊藤という男にいいくるめられ、身体を任せ、その後肺病を病み、マリア像のそばで息を引き取ってしまう、という話。 第一部は私が小学校の頃に小泉今日子主演でドラマになっていたので物語の最初のほうだけなんとなく記憶がありました。そのドラマを見た時、子供心にキクさん可哀想やなぁと思っていました。 時が流れてあらためて原作を読んで、ラストで伊藤が清吉に自分もまたキクに惚れとったと告白したところで胸がつまりました。こんな形でしか愛情を伝えられんかったのか、と思うと。。。。また、秀吉がキリシタン弾圧をしたころはかなり惨かったと歴史の時間にも習ったが、明治の世でもやはりひどい弾圧がなされていたのだということに驚きました。
0投稿日: 2009.08.29
powered by ブクログ第一部と第二部に分かれているのですが、両方とも 非常に重いです。 長崎での切支丹への迫害、第二次世界大戦下の若者の苦悩 アウシュビッツ収容所での虐待など社会の負の部分に満ち溢れ た内容ですが、その中で紡がれる愛は言葉では言い表せない ほど綺麗です。 キリスト教が物語の軸にあるのですが、無宗教国家の日本に 生まれ、宗教教育を一切受けていない私ですが宗教の意味に ついて深く考えさせられた一冊です。
0投稿日: 2009.07.29
powered by ブクログまさに女の一生。清吉が苦しんでいても、やっぱりキクにつながる。ひとりの人を本当に思う心と信仰は似ているなぁと思った。 2009/3/16
0投稿日: 2009.03.16
powered by ブクログ江戸時代末期、開国に向かう日本での 隠れキリシタンの話。 しばらくは読んでいなかった、一途に愛する 女性キク。こんなにも人を愛することが強く、 尊いものなのだと。
0投稿日: 2009.01.20
powered by ブクログ不覚にも、涙を流した一冊。 つらすぎる内容に、消化しきれず。 もう一回読みたいと思いつつ、その感動をいつまでも取っておきたいという 矛盾を持ち合わせる名作。さすが遠藤周作!
0投稿日: 2008.09.01
powered by ブクログヘブル書11章1節 “信仰とは望みの事柄を確認し、まだ見ぬ事実を確信することである” キクはキリシタンではなかったけど、本当の信仰者だった。 08/1/-
0投稿日: 2008.01.17
powered by ブクログキリスト教弾圧時代、キリスト教信者を愛し、キリスト教に反発を覚えながらも聖母マリアに純粋な祈りをささげた一人の少女の物語。宗教に興味のない人でも、きっと、泣けると思います
0投稿日: 2008.01.08
powered by ブクログ幕末から明治、長崎を舞台にした切支丹迫害の歴史。その中でひたむきな想いを貫いた女性キク。キリスト教が日本では異端であった時代。政治的な背景も含め、私達に生きるとは何か?神とは?考えさせられる作品である。
0投稿日: 2007.09.19
powered by ブクログ物語は1862年、長崎の街に司祭のプチジャンが訪れるところから始まる。「沈黙」の話から二百年余り経過しているが、根絶したと思われていた隠れキリシタンをプチジャンたちが見つけ、再び布教を始める。拷問に耐えながらも、キリスト教を棄教しなかった彼らの想いは、宗教や思想を身近に感じられない私にとって、理解しがたく読んでいて、泣いた。拷問に耐え死んでいった人たちを、生きている間に神は救わなかった。彼らは死してパライソの国に行くことができたのだろうか。 悪役として書かれていた、伊藤清左衛門に深く同情してしまった。「浦上四番崩れ」という幕末のキリシタン迫害を材料に書かれた作品。長崎の大浦大聖堂で、キクの見上げたマリア像をこの目で見たい。
0投稿日: 2007.02.14
powered by ブクログキクのとても尊い愛。涙が出ない位哀しかった。でもここまで自分を犠牲に出来る人に出会えるって事は幸せなのかも・・なんてふっと思った。
0投稿日: 2006.08.05
powered by ブクログ初めて本を読んで号泣した。 鎖国時代の禁教されてたときに話し。 とても切なく、引き裂かれる恋。 それでも強く想い続け、強く生きようとする姿。
0投稿日: 2006.07.15
powered by ブクログものすごい本です。すごいとしか言えない自分がもどかしいけど…。わりと厚いけど2部もあわせて一気に読んでしまいました。
0投稿日: 2006.04.09
powered by ブクログ自分を犠牲にしてまでも、男性を慕い愛し求める姿にちょっとホロッとさせられた。それに比べて男の鈍さ。何事ものちになったとき、すべてが悟られるのです。
0投稿日: 2005.10.20
powered by ブクログキリスト教が禁止されていた1863年〜1873年の長崎が舞台。凄絶な切支丹迫害の様子が描かれています。キクはキリスト教徒の少年に恋をしますが…。
0投稿日: 2005.10.15
powered by ブクログ本を読むのがすごい嫌いだったあたしが、3日で読みきった太い本のうちの一冊。ホント感動した^^戦争で好きな人をとられ、キリスト教で迫害され、それでも信じ続けるキクになれたような、そんな本でした。
0投稿日: 2004.11.07
