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イエスの生涯
イエスの生涯
遠藤周作/新潮社
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総合評価

126件)
4.2
45
36
24
2
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    遠藤周作が実際に中東へ赴き、イエスの生涯について自身の考察を記載した内容。著者本人がカトリックなのでキリスト教の理解も解像度が高く、調査内容も詳細がしっかりしているので新たに知られることが多かった。

    1
    投稿日: 2025.09.30
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    遠藤周作が四つの福音書を引用し、解釈するイエス像。 人智を超越した・圧倒的な希望の象徴・神の子イエスではなく、人間イエス・同伴者イエス。 人間の苦しみに嘆き悲しみ、「愛」を持って寄り添おうとするイエスの姿が強調されている。 人間が一番辛いのは貧しさや病気ではなく、貧しさや病気による孤独や絶望。 人間に必要なのは「愛」であり、一時的な効果を産む「奇蹟」ではない…とイエスは苦悩する。 奇蹟は起こらず人々に失望され、やがて十字架に向かう、無残なイエス。 しかし、イエスはその死さえも理解していた、人間の苦しみを理解する為の「愛」によるものだった…。 本来の全能の救世主のイメージからかけ離れた、人間イエス像。父性原理的な絶対的な存在を、信仰する事で救われる…という教義からすると、確かに異端的…。 だが、辛い人生に寄り添って下さる母性的なイエス像や、「愛」の理解が辛い人生に於いて重要…という作者の解釈は、私にとって遠い場所にあったキリスト教をぐっと引き寄せてくれた。

    1
    投稿日: 2025.09.10
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    神の子ではなく、人間としての表現されたイエス。 最初から最後までずっと悲しい、しかし愛を感じる物語でした。

    0
    投稿日: 2025.08.04
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    この本を読んで安心した。 「超然」。キリスト教に限らず、宗教やスピリチュアル的なものに感じること。理解を阻むもの、受け入れがたい何かがある。理解を超えてしまっている。理解しようと努めるというよりも、そういうものであるというふうに落とし込む方がいいのかもしれない。この本を読む前まではそう思っていた。 遠藤周作の描くイエスを読む。そうしたイメージからは程遠い悩む一人の人間がそこにはいた。人々から期待され、担がれても、自分という存在以上になれないと悩む一人の人間であった。 弟子たちだってそうだ。一枚岩では決してない。今自分が信じているこのイエスを信じなくなることで、自分を自分たらしめている拠り所がなくなるから、くらいの感覚でしかない。イエスに心酔していた敬虔な信者たちでは決してない人々だということ。 イエスも所詮は人の子である。信心深くなき不心得者の言葉としてご容赦を。そうした前提に立つことで、逆にイエスについて、キリスト教について、理解に努めようと思い始めた。

    13
    投稿日: 2025.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    遠藤周作の考えるイエスの生涯、群衆や弟子たちの思惑、その考察を書いた本。 「死海のほとり」の感想と被ってしまうのだが、やはり遠藤周作の個人的なイエスのイメージ(何もできないが、永遠の同伴者として愛を示す人)ありきでそれにそぐわない要素は切り捨てに切り捨てまくっているという印象で、読んでいてもいまいち共感できない。 イエスが永遠の同伴者であるためには何もできないみじめな人でなければならないから、奇跡は全くできなかったことにされる。ひたすら愛を説く人でなければならないから、神の国が来たという宣教については無視する。たとえ話やサドカイ派などとの論争の批判的な部分も書かない。宮清めの暴力的エピソードは、自らが逮捕され死に渡されるためにやったことにする…という具合である。遠藤周作のエッセイで知人たちが彼について語る部分があり、「遠藤さんは三のことを十ぐらいにいう癖がある」と書かれていたが、確かに、と思ってしまう。 しかし、最後の弟子たちがなぜイエスを死後神格化し、強い信仰を得たのかという謎のところは引き込まれた。弟子たちは大祭司と取引をしてイエスを否定することで自分たちの身柄を見逃してもらっており、まさにイエスは彼らの身代わりとして十字架についていたという想像。そして、裏切りの強い自責と彼らを呪わずに逝ったイエスの最期が弟子たちをイエスの愛の教えへと導いたと遠藤は考える。さらに、イエスの復活に対する初期キリスト教会の強すぎる確信を鑑みても、復活という強烈な衝撃が神格化と信仰のかかせないピースとして必要だったという見方を示すのである。 あんなに奇跡を否定していた遠藤が復活は認めるのがまず面白い。しかし、イエスが弟子たちの代わりに十字架についたのは比喩でなく事実であったのだ、だからこそその死が弟子たちの感動、驚愕、思慕の感情を揺さぶり、信仰を生んだのだ、というのは説得力を感じてしまう。根拠はなく、全部想像なんだけども。小説を読んでいても思うが、遠藤周作はひとの感情に関する想像力がすごすぎる。そのすごみで納得させられてしまい、恐ろしいぐらいだ。

    1
    投稿日: 2025.05.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    令和7年4月 ブックオフのおすすめにあり購入。 遠藤周作さんのキリストの話。以前沈黙を読み、遠藤さんのキリストの話心に刻まれてて、面白そうと思い手に取る。 やっぱり面白い。心に残る。 題名のとおり、イエスの生涯が描かれている。 イエスって何したの?って疑問だった。それの真実が描かれてる。事実ではないかもしれない。 古事記とかと一緒だよね。真実。

    1
    投稿日: 2025.05.05
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     イエスの生涯を描いた遠藤周作の著作は神の子でありながら人間として苦悩し続けたイエスの姿を浮き彫りにする。イエスは弱き者や罪人に寄り添い愛と赦しを説き続けた。  その教えは当時の権力者に疎まれ裏切りと十字架の死を迎える。だが遠藤はイエスの苦しみこそが人間への深い愛の証と捉える。人間的な弱さを抱えつつ他者を救おうとしたイエスの姿は現代に生きる私たちに他者を思いやる心の大切さを静かに語りかける。

    0
    投稿日: 2025.03.29
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    「人間イエス」の生涯を複数の福音書と筆者の解釈を交えながら描いた作品。 イエス=神様、としか考えてこなかった自分にはとても新鮮で、イエスの背負った苦難をまざまざと見せつけられた。『沈黙』や『深い河』を読んだ後で手に取ると、もう一度2作品を読み返したくなると思う。

    0
    投稿日: 2025.01.13
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    あとがきにもあるが、神としてのイエスではなく、人間としてのイエスの生涯。 人間は結局、現実的な効果を求める。それをイエスは「汝等は徴と奇蹟を見ざれば信ぜず」と言う。

    7
    投稿日: 2024.12.19
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    聖書ではないイエスの生涯を辿る本。聖書のマタイ伝とかも読んだが本書は小説なので読みやすい。 ユダヤ教の分派から生じた異端児にして革命を期待され果たせずに民衆から見放されるという流れ。大工の息子だし絵画にあるような華奢な人では無かったとは思う。奇跡については怪しいが「皇帝のモノは皇帝に…」とか相手の狙いを見越した上でいなす知力の高さは本書を読んでも頷ける。 ユダの裏切りが有名だが他の弟子達の真の裏切りについても言及されており自分も本書の説明の方が理に適っている気がした。

    2
    投稿日: 2024.11.30
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    キリスト教について知りたいと思っていたところ義父母文庫にあったので読みました。 なぜ弟子や信者はキリストが酷い目にあっているのに助けなかったのか、弟子はなぜキリストが亡くなってからキリスト教を布教する人となったのか、謎が深まった。疑問多く読むのに時間がかかってしまった。

    16
    投稿日: 2024.11.04
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    キリスト教の「神」とは、私の思っていた神とは別でした。 「沈黙」を読んだ時のなにか掴みきれない感覚のようなものが 多少ですが、整理されたような気がします。 「キリストの誕生」も読んでみたいと 思います。

    2
    投稿日: 2024.10.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自分の思い描いていたイエスの姿とは全く違った印象を持った。 神の愛を伝えたいイエスと目の前の見える奇跡を求める民衆とのギャップ。 イエスがここまでの孤独を抱えていたことを知らなかった。 イエスの苦しみはまさに人間が抱える様な苦しみで、神の子にも関わらず人間の苦しみも分かち合ってくださる。 自分の中では勝手にイエスは「思い悩むことのない、完璧な存在」と思っていたが実はそうではない。 無力だったからこそ、弟子たちに伝えられたことがあったのだ。 地上に来てくださり、神であり人でもある神の子に感謝する気持ちがより一層強まった。

    4
    投稿日: 2024.09.09
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    日本人からみたイエス像をリサーチや情景を含めてよく言語化されており読んで楽しかったし、弟子像についても多くを新しく認識することができた。 最後になるにしたがって、はっきりとすることが難しくなってきていたけれど言いたいことは書いてあったと思う。どうにか書かずしていられなかったと思うしいい仕事をしてくれたと感謝の気持ちが湧きました。日本人の自分にとってもしっくりくるイエス像だったが、自分の心に従って様々イエス像が作られる。また弱者については永遠のテーマなのかな?この作者の他の本も読んでみたいです。

    2
    投稿日: 2024.02.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

     私は本書にイエスの天涯孤独を読んだ。  「汝等は徴と奇蹟を見ざれば信ぜず」(ヨハネ、4・48)とあるが、民衆はおろか、弟子たちですらもイエスの真意には寄り添わず、ひたむきに「愛」を説くイエスに、病を治す奇跡や、ユダヤ民族主義のリーダーとして立ち上がることを期待していた。  「裏切り者」ユダに、イエスの意図を理解したうえで、民衆が求める者へと路線を変えてほしいと切に願い、幻滅した「哀しき男」[第8章]としての像を見たのは斬新な指摘であると感じた。  お伽噺のような「物語」を基にして、説得的な「事実」を論理的に追及しているというある種の矛盾がとても面白かった。

    2
    投稿日: 2024.01.22
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    231109049 愛されないもの悲しいもの、救われぬものが必要なものは「奇跡」ではなく「愛」であり「寄り添い」である。

    2
    投稿日: 2023.11.09
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    人間は神の愛よりも奇跡や効果ばかりを求める。著者の言葉を借りるなら、私たちのほとんどは卑怯で弱虫だ。私にもイエス様の哀しげな顔が見える気がした

    3
    投稿日: 2023.10.19
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    【一言感想】 神は神罰も奇蹟も行えない、ただ同伴者として在り続けることはできる キリスト教徒でもある小説家の遠藤周作さんの評伝でもあり歴史小説でもある、"イエス・キリスト"の生涯を遠藤さんなりの視点で描いた一冊 "イエス・キリスト"は無力な人間であったが、最期の時まで「神の愛」を信じていた 自分が無力であり何もできないことを知りながらも、隣人に対して「愛」を説いていた 読了して、"神"は奇蹟を起こして自分たちを助けてくれるのではなく、自分たちのすぐ近くにいて行動を見守ってくれる存在 自分が誤った行動を起こしそうになる時に踏みとどまれる最後の良心になってくれるような存在 そのような存在なのでは無いかと考えさせられた作品であった

    2
    投稿日: 2023.06.12
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    永遠の同伴者イエスという視座からイエスの全生涯を捉えた本。 イエスの内面の苦悩は弟子達も理解できなかった。孤独とはこの事。 【関連書籍】 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

    2
    投稿日: 2023.05.28
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    キリスト教観がかなり変わった これでキリスト教観を変えられると言うのはまさに同作者の「沈黙」で言われた「沼地」のようなものだけれど それでも

    1
    投稿日: 2023.01.24
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    1978年ダグ・ハマーショルド賞受賞。一般的には裏切り者とされるユダだけが弟子の中で唯一、イエスの苦悩を理解していたという考察が切なかった。

    1
    投稿日: 2022.08.26
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    ☆☆☆ 2022年7月 ☆☆☆ 「彼の容貌を私たちは見たこともない。彼の声を私たちは聞いたこともない」 彼とは、約2000年前に生まれ人々の苦しみを背負って十字架にかけられたイエスの事である。キリシタンである遠藤周作氏が「イエスの生涯」というテーマで、イエスとはどんな人物だったのかに迫る。 この本を読んで感じるのは、イエスとは純粋な優しさを持った人だったのだろうという事。人々から誤解され、弟子たちから裏切られても尚、人を恨まず「彼らをお許しください」と乞うたイエス。 臆病だった弟子たちはなぜ強靭な信仰者となれたのか、それは続編の『キリストの誕生』へと続く。

    1
    投稿日: 2022.07.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    謎多きイエスの事実と真実を書いた本。 無駄を削いだ文から、人間性やあらゆる感情を推察し見出した、想像力に富んだ内容だった。行間を読み、想いを巡らせ、聖書の中の人々に血を通わせ生き生きとした肉の叫びが聞こえてくるのはさすが小説家らしいと感じる。 特に、イエスが今から訪れる自分の死をどのように考え受け入れたか、著者の深く慮る心が私の胸を打つ。 「剣をとる者はみな剣で亡びる」 今、この言葉が痛切に響く。 聖書を読む決心がついた。

    1
    投稿日: 2022.03.02
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    ・だが愛は現実世界での効果とは直接には関係のない行為なのだ ・汝らはしるしと奇跡を見ざれば信ぜず ・このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されている ・キリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まる やっと読み切った〜〜聖書についてだいぶ記憶が曖昧で時間がかかった。物語としてとてもおもしろくて何度か泣きそうになった。 即効性のあるもの、目に見えるもの、現実的なものだけをみんなが求める世界は悲しい。すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなる。夢想家もピュアも性善説も貫き通せば世界を動かすと、この本を読んで思った。私はそういう生き方が好きです

    1
    投稿日: 2022.02.20
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    遠藤氏の本を幾つか読んだが、私はその度「神とはなにか?」を考えさせられた。遠藤氏が書く本に現れる神は、所謂神頼みされる神、何かを授けてくれる神、奇跡を与える神ではなく、残酷で、冷酷で、何もしない神だと感じたからである。普段生きていて、神を思う時、それは何かを望む時であったり、なにか幸福に恵まれた時であったりするのが私だった。だからこそ余計に、遠藤氏の作品で現れる神は、どんな信念のもとにその姿をしているのかを知りたかった。この本を読むことで、それがほんの少しわかった気がし、同時にイエスという人に対して遠藤氏がどう考えているのか、イエスの像についてもほんの少し触れられた気がした。この本を読んですぐにはわからなかったが、じっくり自分の中で咀嚼し、反芻する内、ふと、あらゆる苦しさや悲しさや辛さを背負うことを選んだイエスと、そのイエスにずっと無言で付き伴った神の姿とその意味が心に浮かんできた。神は常にどんな時も其処に在る、その救いの意味が少しわかった気がした。私の理解はとてつもなく浅く、議論するに足りないものだろうが、そういうことを少しでも考えられるきっかけができたことは、私にとって大きかったと思う。

    3
    投稿日: 2021.08.26
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    ミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」をより理解するために手に取って以降、繰り返し読んでいます。 キリシタンである作者によって全編を通して理性的かつ無信心な私にも納得感のある考察がされていますが、秀逸なのはイスカリオテのユダについて書かれた「ユダ、哀しき男」。 前述のミュージカルでユダに涙した理由を教えてもらった気がしました。

    1
    投稿日: 2021.07.29
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    遠藤周作による聖書の解釈、キリスト教観がわかりやすく書かれた1冊。遠藤周作作品を読むためのバイブル。この作品を読んでから別の作品を読むとより一層楽しめると思う。

    2
    投稿日: 2021.01.28
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    これだけレビューしてなかったのでコメントを(2020年10月8日)。 実はあまり読後の記憶がないのだが(本棚登録が2010.12.2だから当たり前か)、書評では結構評判の良い本。当時大学生の僕は、哲学とか宗教とか精神的な心の持ちようのようなものに先人たちの答えを求めていて、こういった本をよく読んでいたような気がする。社会人になってめっきりこの手の本を読まなくなってしまったが、いつかまた手に取りたいと思う。

    1
    投稿日: 2020.10.08
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    「何もできぬイエス」「無力なイエス」そして「愛を注ぐイエス」を語る本。 遠藤周作さんは根が小説家なので、ときたま聖書の解釈が(私からみると)ぶっ飛んでて面白い。 遠藤さんは基本的に、奇跡は実際起こったことの比喩と解釈している。そしてイエスを、苦しむ人々に寄り添う人、効果がある奇跡より無力な愛を大事にした人として描いている。 愛読書決定!

    2
    投稿日: 2020.05.26
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    人間イエスの姿が、リアリティを持って迫ってくる一冊。久しぶりに素晴らしい良書に出会った。 従来のユダヤ教主流派の神は、裁き、怒り、罰する神であった。だが、そのような神は、貧しく、弱い民衆を救うことはできない。 一介の大工の巡回労働者として生活してきてイエスは、庶民や、特に弱者や、差別され、虐げられた者たちの姿を、つぶさに見ていた。 人間にとって一番苦しいのは、病や貧しさでは無く、そこからくる孤独と絶望にある。 そしてそれを救うのは、神の罰では無く、愛である。イエスはこう考えた。 「神の愛をどのように証明し、知らせるか。」 イエスは、このテーマに、生涯取り組むことになる。 ただ、これまでの「強い神」が意識の根底にあるユダヤ教徒の中で、イエスの「神の愛」は理解されない。 ローマを打ち破る者、奇跡を起こす者、主流派への反逆者。 民衆、そして弟子までもが、イエスに彼らの欲望を投影していく。そしてその欲望が満たされないとわかるや否や、イエスを次々と裏切っていく。 イエスの本心は、誰にも理解されない。 愛は現実世界では無力であり、人々が求めていたのは現実的な効果ばかりだった。 イエスは、一人、ずっと孤独だった。 「神の愛をどのように証明し、知らせる」ためには、自分の犠牲によって、神の愛を証明するしかないとイエスは考える。 あらゆる人が経験した、筆舌尽くし難い苦難を、身を以て体験する。そして、弟子の、民衆の、全ての人の裏切りを許す。 それが、イエスが愛を証明するためにとった方法であった。

    2
    投稿日: 2020.04.09
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    作者の既存作品の紹介を公演した記録や、文豪達との様々な交流を通して神をテーマとしたエッセイの様に語りかけ。 この書籍からドストエフスキーや吉行淳之介に出会えるとは思っておらず嬉しく楽しい読書でした。

    6
    投稿日: 2019.10.07
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    ヨーロッパなどの先行研究に触れながら、著者自身のイエス像を客観的な筆致で描く。 受難物語では奇跡をみせずに、自らが架けられる十字架を自ら背負い、ゴルゴタの処刑場に向かったイエス。著者は、聖書はイエスの無力を積極的に肯定しながら、無力の意味を我々に問うていると指摘する。また、彼の生涯は愛に生きるだけという単純さをもち、愛だけに生きたゆえに、弟子たちの眼には無力な者とうつった、だがその無力の背後に何がかくされているかを彼らが幕をあげて覗くためにはその死が必要だったのである、とも指摘している。 その答え、残念ながら今の自分には確たるものがない。

    2
    投稿日: 2019.06.02
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    小説というよりは評伝である。 しかし、明確な問いが立てられ、それに明敏な答えを与えている点では学術論文にも等しい。 遠藤周作は小説家だけではなく、なぜ哲学者にならなかったのだろうか。 当世の安っぽい社会学者や思想家とは異なる、ちいさき者への優しさがある。 イエスの名前やその最期を知ってはいても、なぜ磔刑に処せられたか、弟子に裏切られ、また復活の伝説が興されたのか、その詳細は日本ではあまり知られていない。 『侍』でも描かれていた、現世利益をもとめる仏教観と、奇蹟でなく 苦悩と悲哀に寄り添うキリスト教観の違い。 イエスの愛は現代のキリスト教ではゆがめられている気がしないでもないが。

    4
    投稿日: 2019.04.14
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    2001年、911アメリカ同時多発テロの衝撃の後、イスラム教ユダヤ教キリスト教についての本を少しばかり読んだ。読んだけれどもよくわからないというのが本音である。 その当時集めた中で今までなぜか読まず最後に残ったのがこの『イエスの生涯』もうすぐクリスマスだが、この本はイエス様が厩で生まれたとは書き始まっていない。ところがこれがわかりやすかった。遠藤周作氏の人柄と作家の力量だからだろう。 西洋画に書かれた神々しい像は、後の時代の想像力によってなされたので、容貌も平凡な中東人がどうしてイエスキリストなのか? イエスはユダヤ人で大工さんであった。ナザレというところで30~40代まで近親者と働いて暮らしていたが貧しかった。そんな普通の人が思うところあったのか、困る身内の反対を押し切り、捨てて家出してしまう。そして放浪の生活。原始キリスト教に出合のだが、原点は貧困にあえぐ人々への同情。奇跡を起こすでもなく、救済者メシアでもなく、何にもできない無力者のイエスが政治的陰謀にはめられて、ゴルゴタの丘で十字架にかけられてむごたらしく殺される。その処刑されたということにキリスト教の意味があるという、遠藤氏の直観力が開示される。 おおざっぱに言ってしまったが、遠藤氏が思索なさったことに妙に納得してしまった。 この後編に『キリストの誕生』をお書きになったが。

    4
    投稿日: 2018.11.25
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    イエスは他人から憎まれても他人を愛した、そんなイエスが何故十字架の上で殺されなければならなかったのか、いまだに良く分からない。不条理はこの世でよくあるということの典型だと思う。キリスト教の愛、無力、復活という考え方は初めてよく理解できた。重荷を負うているすべての人を休ませてあげる、敵を愛し恵むこと、苦しみを分かち合う、神の愛、イエスの再来等”沈黙”で書かれていたキリスト教的考えもよく分かった。日々の生活でも参考にしていきたい。

    1
    投稿日: 2018.10.08
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    私が今まで読んだイエス・キリスト関連の本の中で、私が今のところイエス・キリストについて想像していることと一番近いなと思った。 遠藤周作はキリストという縁遠い洋服を自分の身体に合うように和服に仕立て上げたから、硬派な洋服のキリスト教の人に批判されたりもしていたらしい。 私も「奇跡の話ってイエスの凄さを訴える為の宣伝用に膨らませた部分だろ」とか「復活ってイエスが死んでしまったことに耐えられなかった人たちにとってイエスがかなり実感を伴ったイマジナリーな存在になったってことじゃ…」とか思っているから、硬派な洋服のキリスト教の人からすると、本当にはキリストを理解できていないということなんだろうなと思った。

    2
    投稿日: 2018.10.03
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    初めて読んだ遠藤周作の著作はこれで、十代の頃感銘をうけた本のひとつ。 感情も、宗教に対する考え方も、ぐらんぐらんに揺さぶられた。 私は多くの日本人が決して無宗教というのではないと考えるほうだ。それゆえに一神教に云う信仰を抱いているとは決していえないとも。 遠藤周作はそんな日本人のためにイエスに着物を着せる試みを続けたひとだ。 大人になったいまも信仰については実感としてよくわからない。実感としてわかる日なんておそらく来ないし、その必要はないだろうとも思う。そのくらい経験と文化の壁は厚い。けれど当時わからぬなりに本作を読んで、ひとつだけ身近なものにその類似形を知っていると思った。物語だ。物語と信仰は、救済の構造の一面でよく似ている。 氏の言にもあったが、人のいちばんの苦しみは自らの懸命さが誰にも見られていないということだ。イエスは常に信仰者を見守る。徹底的に無力で、虐げられ、過酷な生のなかでも愛を失わない存在として、その生を最期まで見届けた者の内心に転生し、信仰というかたちをとることでひたすらに自身を信じる者の人生を見守り続ける。 翻って物語のなかでは、誰の目もない孤独のさなかで意味の無さに苦悶しながら死ぬ者も、必ず読者に見られている。物語と読者の関係は時に自己投影や共感によってその立場を反転させながら、信仰と似た構造を維持している。映画も漫画も小説も、そして聖書も。 信仰の高邁は永続的な問いを超克しながら連続される点にこそあると思われるし、一般的な物語の効果までを同じ土俵で語るのはあまりにインスタントでナンセンスだ。 けれどこの部分的類似の根元、物語のつまらないや面白いや、信仰の有無や相違をもっともっと遡ったさきには、大昔から脈々と同じ祈りが流れているんじゃないかと思う。生を全うしようとする生きものの、かほそいそれがいく筋も集った奔流。遠藤周作はごく自然に私の手を引いて、その奔流に浸からせる。そうしてから振り返って見るイエスというひとは、だからいつのまにか私に親しい。

    1
    投稿日: 2018.09.03
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    自らもクリスチャンである遠藤周作氏が信仰の対象である神の子「イエス」の軌跡と歴史考察を踏まえイエスの実像に迫りその心情を捉える。 日本人にとって宗教そのもの自体が解り難い。信仰が思想や信念に根差したものである以上、幼少期から血肉に刻み込まれないと肌感覚では掴めない。そうした点も踏まえ遠藤周作氏は日本人に向けたキリスト教観、「和装のイエス」を啓蒙するために小説という手法を用いているように思う。「イエスの生涯」を遠藤周作氏の言葉を借りて言うならば「愛に生きた人」である。即効性を求める日本人に対して「ただ寄り添うてくれる人」の存在と意義を著者は伝えようとしている、そこには自身の信仰への迷いも伴いながら。 遠藤周作氏は、彼のこうしたカトリックの視点がノーベル文学賞候補から外れるきっかけになったらしいが、何か主張とテーマを持って書き続けるというのは作家としては正しく素晴らしい姿だと個人的に思う。

    1
    投稿日: 2018.07.26
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    イエス・キリストは好き嫌いで語れないけど、ナザレのイエスは大好きになった。 イエスとはイエズア Jeshouahであり、当時、腐るほど沢山の人に付けられていた名前。呼び名も容姿もごくごく平凡だった。 人間なるが故、大衆が期待する奇跡もない。それゆえ民衆は去り、弟子たちすら保身が勝り立ち去る。ユダすらも平凡な苦悩するひとり。 2000年たった今でも、人間そのものはナザレのイエスが生きた時代と何ら変わらない。 弱虫、卑怯者、駄目人間。そのくせ「仕方がなかったのだ」という自己弁解しながら最後の瞬間、師を見棄てる。そんな弟子たちが、何故、強い意志と信仰の持ち主になったのか? この「なぜ」という問いこそが、読んだ経験もない聖書のテーマなんだと霧が晴れる様に心に入ってきた。 イエス・キリストは知らないが、ナザレのイエスは、悲しみの人であり切ない人であったのだろうと、感じた。

    1
    投稿日: 2018.05.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

     イエスが育ったナザレの街でイエスが見たものは、貧しき者は不幸であり、泣く人が慰められない現実である。ユダの荒野に行った際も、生きるものの何一つな死海とその背後の山々は怒る神、罰する神、裁く神しか暗示していなかった。旧約の世界が抱き続けたこのあまりに厳格な父なる神のイメージ。それを受け継いでいる洗者ヨハネとその教団。その中でイエスは彼らに欠けているものを見抜いておられた。だが、『神の愛』とか、『愛の神』とかを口で語るのはやさしいのだ。過酷な現実に生きる人間は、神の愛よりもはるかに神の冷たい沈黙しか感じない。過酷な現実から愛の神を信じるよりは、怒りの神、罰する神を考えるのがたやすい。だから旧約の中で時として神の愛が語られても、人々の心には恐れの対象となる神のイメージが強かった。心貧しき人や泣く人に現実では何の酬いがないように見えるとき、神の愛をどのようにしてつかめるとうのか。イエスはこの矛盾に気づいた。ここでイエスは、自分の生涯を貫くテーマとして、愛の神の存在をどのように証明し、神の愛をどのように知らせるかにかかっていた。現実に生きる人間の目には最も信じがたい神の愛を証明するためにイエスがどのよに苦闘されたか、それがイエスの生涯をつらぬく縦糸なのだ。  洗者ヨハネは、聞くものを震え上がらせるような威嚇(神の裁き、怒り、罰の暗示)の言葉を発する。だが、イエスの宣言は福音である。福音とは字のごとく、悦ばしき事の知らせだ。神の罰や怒りなどには少しも触れていない。ヨハネとイエスを並べてみるとき、われわれは、暗い宿命を背負った旧約の世界がついに終わったというように感じる。長い世が明け、光が差し込んだという印象を受けるのだ。ユダの荒野とは余りに違うガラリヤの湖畔のそれを思い浮かべる。ガラリヤの湖畔は、羊の群れが草を食み、湖に影を落とすユーカリの木。野には黄色い菊やコクリコの赤い花が咲き乱れている。遠い湖には漁師の舟が浮かんでいる。人間はかくも悲しいのに、自然はかくもやさしい。マタイ福音書の11の28に『重荷を背負うている全ての人よ、来なさい私のもとに、休ませてあげる、そのあなたを』とかかれたイエスの言葉を読むとき、我々は湖のほとりに立って両手を広げたイエスの姿を思い浮かべる。  イエスは、次第に彼らの夢の対象となった。それぞれの者達がそれぞれのユメをイエスの上に託した。大部分の住民達にとってイエスは洗者ヨハネやかつての預言者と同じ様に、あるいは自分達の指導者となるかも知れぬ人だった。民族主義者の目には、イエスはやがてローマをパレスチナから追い、ユダヤ人の誇りを取り戻す可能性のあるひとだった。熱心党の連中はイエスは自分達の武力行為を支援するリーダーとして考えたかもしれなかった。そして女や老人達にとってはイエスは力ある業を示し、病気を治してくれる聖者のように思えた。これらの誤解の渦の中でイエスの布教ははじまった。イエスはおびただしい群衆に囲まれ、自分が如何に誤解されているかをその悲しみのうちで知っておられた。  群集がこれまで育ったユダヤ教は、愛という概念を決して無視はしていなかったが、愛を最高のものとして信仰するものではなかった。『心貧しき人』『柔和な人』『泣く人』『心清き人』だけをかくも高めて考えることもなかった。だから私は皆さんに言いたいとイエスは言葉を続けた。『敵を愛そう。あなたを憎む人に恵もう。あなたを呪う人も祝そう。あなたを讒する人のためにも祈ろう。右の頬を打たれたれば左の頬を差し出そう。上着を奪う人には下着をも拒まぬようにしよう』と。このような愛の教えを人々はいかなる律法学者からも祭司からも聞いたことはなかった。この愛の原理は、人間には不可能な全身的な誠実、純粋、真実、自己否定を求めるものだった。『すべてをあなたに求める人に与えよう。あなたの物を奪う人から取り戻さないようにしよう。他人にしてもらいたいことを、そのまま他人にしてみよう。自分を愛する人を愛するのはやさしいことなのだ。自分に恵む人に恵むことはやさしいことなのだ。しかし、敵をも愛し、報いを望まず恵むこと、それが最も高い者の子のすることではないのか。許すこと、与えること。』おそらくこれは人間にはなすことの不可能な愛の呼びかけだったのだ。群集は動揺した。イエスからこのような答えが返って来るとは思わなかった。自分達がそのユメを託したイエスのイメージと余りにも違っていた。イエスに対する民衆の幻滅と離反して、イエスが最終的に十字架に掛けられるのであった。  作者は本書では、事実と真実という言葉を用いている。聖書には、真実が書いてあるのであり、それが本当に起こった事なのか、どうかは、ハッキリはしない。ただ言える事は、真実ではあるということなのだろう。イエスの生涯を記すと、こんなことはありえないという事実かどうかに基づいた検証をするか、はたまた、目の見えない人を見えるようにしたことは事実だ、と奇跡は全て本当にあったことだ、と全て事実と捉える事の両極端になりがちだが、著者はそのあたりは、事実と真実という上手い言葉に置き換えて書いている。イエスの生涯をざっとつかむには良書だといえよう。

    1
    投稿日: 2018.03.11
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    西欧文化の理解のためと、「沈黙」を読んでキリスト教に興味がでたため読んでみた。 史実と創造が合わさって事実はわからないことが多いが、丁寧に分析や推定をされていたため、キリスト教を理解する上でベースとなる知識を得ることができたと思う。2000年前の1人の出来事がこれほど世界中に影響を与えていることは他には無いだろう。

    1
    投稿日: 2018.03.05
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    文字通りイエス・キリストの生涯について聖書から導かれる客観的推論と作者独自の解釈を加えた読物。神は何故沈黙するのか、という大テーマについてイエスが歩んだ人生から彼独自の示唆を与えている。

    1
    投稿日: 2018.01.09
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    事実と魂の真実 人間は現実世界では結局、効果を求める、病気を治す足の回は歩ける、盲人は目を開く、 聖書の奇蹟物語、望が叶えられなかった時、人々はどのように激しく怒ったか、 人間にとって1番辛いものは、貧しさや病気ではなく、貧しさや病気が生み出す孤独と絶望の方だ、 必要なのは、愛であって、病気を治す奇跡ではなかった。人間は永遠の同伴者を必要としている、

    1
    投稿日: 2017.05.09
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    第13章「謎」にこの本のエッセンスがあると感じた.p201に"一体,あれだけイエスの生前,師の考えや気持ちも理解できず,ぐうたらだった弟子たちが,なぜ,立ちなおったのか.イエスの最期の時,彼を見棄てたほどの弱虫たちが,師の死後,なぜ,強い意志と信仰の持主になったのか" とある.十字架上のイエスの言葉に弟子たちが激しい衝撃を受けたのだ.

    1
    投稿日: 2017.03.31
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    劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』を観て、とても感動したものの話の内容がよく分からなかったのでこの本を手に取りました。 なぜ、群衆はあんなに信じていたイエスに石を投げるまでに豹変したのか? この本にはとても解りやすい見解が書いてありました。 私はクリスチャンではないし、これからもきっとなることはないでしょう。 でもイエスという人は凄い人だって心から思いました。 病気を治す奇跡や復活の伝説よりも、すべての人に手を差し伸べ、娼婦の悲しい瞳を理解する彼の姿に感動しました。

    1
    投稿日: 2017.03.20
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    カトリックの学校に通っていたのに知らないことが多くあって勉強になった。 ユダヤ教のこと、弟子たちのこと、イエスのこと。 キリスト教がこれほど世界で信仰されている理由が少しわかった気がする。

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    投稿日: 2016.10.23
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    気持ちを分かってくれる人がいるだけで 救われるから 生きてゆこうと思う。 彼という人がいなかったら この世の人はどれだけ寂しい思いをしただろうと思う。

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    投稿日: 2016.10.01
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    イエスという人物がどういう人でどんな人生を送った人なのか知りたくて読みました。 これを書くためにいったいどのくらいの資料を読んだのでしょう。どうしても謎は残りますが、それでも作者が伝えようとしていることは伝わってきました。

    1
    投稿日: 2016.09.04
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    イエスとはどんな男だったのか、キリスト教徒の作家による小説。本書ではイエスにはユダヤ人の反乱分子のリーダーとして期待されていたという目線があり、新しい発見であった。時代背景からそういった可能性もあったかもしれない。しかしイエスはリーダーとして動かなかった、それはキリスト教の教えの根本である愛とは相容れない考えだからだ。今後も引き続きキリスト教にフォーカスしていきたい。

    1
    投稿日: 2016.07.31
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    最初:キリスト、預言者ヨハネとあい影響を受ける。ヨハネ 「神の怒り」「反省と悔いあらため」、キリスト「愛」教えを弟子や異民族に伝え始める。

    1
    投稿日: 2016.07.24
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    「基督教に無縁」の読者に向けて「東洋の一小説家」が語った、「イエスの人間的生涯」。病を癒し、死人を生き返らせ、自らも復活した、と語られるイエス・キリストの物語は、現代人には俄かに信じられるものではありませんが、本書はこれらの奇跡や不思議に対して一歩引いた視線を保ち(「現実には無力で奇跡など行えなかった」と言い切る)、手の届き体温を感じられる「人間」として、イエスの生涯を辿っていきます。 キリスト教を全く知らない人、信じない人でも、本書を読めば、イエスという人がどのような人でどのように生き、死んだかを知り、いかに得難い人であったかを知るでしょう。弱い者、苦しむ者に寄り添って共に苦しみ、決して見棄てず、自らを裏切った者すら許し、愛を注ぐ。キリスト教のいう愛ということを、初めて理解できた気がします。 ユダについての解釈は個人的にはあまり腑に落ちず、それに引き続く後半も、さまざまな疑問が浮かびましたが、今後の課題に。 あまり読み易い本ではありませんが、興味のある方には是非一読をお勧めします。

    1
    投稿日: 2016.04.17
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    遠藤周作のイエス像は自分が教会で教わった、ともに歩む人というイメージと重なっていた。 今や先代の教皇からどんどんカトリックは正しい姿に進んでいて、それは遠藤周作のキリスト教的な方向だと思う。

    1
    投稿日: 2016.04.04
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    カトリックの信者であり、『沈黙』などの著作で日本人にとってキリスト教を信仰することの意味を問うた著者が、イエスの生涯について語った著作です。 著者は、聖書に記された奇跡物語のうちに、現世的な価値に捕らわれた人びとと、「神の国」へと目を向けようとするイエスとのすれ違いを見いだそうとしています。また、ユダの裏切りにもこれと同じ問題がひそんでいるのではないかという解釈を打ち出し、さらにイエスの処刑後、こうした人びとの誤りに対して「愛」をもって答えようとしたイエスの姿が使徒たちの心のなかに「復活」の信仰をもたらしたと語られています。 洗礼者ヨハネが「父」の原理を説いたのに対し、イエスは「母」なる神を説いたという著者独自の解釈は、賛同できるかどうかはさておき、著者の小説を読み解くための重要な視点を示していることは間違いなく、そうした点から興味深く読みました。

    1
    投稿日: 2016.01.28
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    イエスが無力で何もできなかったからこそ、キリスト教がここまで信仰の対象になった、とのこと。もしイエスが超能力で病気をなおしたり、十字架に磔になっても劇的に復活したのだとしてら、キリスト教はいま存在しなかったのだろうか。

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    投稿日: 2016.01.17
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    聖書に何度かチャレンジしては挫折しているので、キリスト教的考え方が自分に合わないとは自覚している。特に聖書は信者向けの読み物で、読者がイエスを尊敬し崇拝していることが前提になっているから、どうして人々がここまでイエスを信じるのかがわからなかった。 しかし、この本で描かれるのはそれとは違う。一人の人間としてのイエスの人物像や生き方、イエスが「なぜそうしたのか」に焦点を当てていて、奇跡物語はほとんど取り上げていない。代わりに当時の時代背景がよく説明されているし、イエスが何を感じていたのかを著者なりに解明しようとしている。イエスを、崇拝すべき対象としてではなく、かつて確かに生きていた一人の男として捉えている。おかげで信者でない私も、歴史上の一人物の伝記を読むように、先入観にとらわれずにイエスについて知り、思いを馳せることができた。

    2
    投稿日: 2015.11.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自らもクリスチャンであった遠藤周作氏の描く、イエスの後半生。クリスチャンでなければ描けないでしょうし、かといって大胆な解釈を入れると、保守的な向きからは必ず批判・反発もあったのでは。その意味でもかなり意欲的な作品なのではないでしょうか。

    1
    投稿日: 2015.08.30
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    「死海のほとり」を読んだので、それと対をなすと言われるこちらも読んでみました。研究ノートのような体裁なのでやや通読しにくいですが、より具体的かつ詳細にイエスの生き方・死に様が分かり、期待から失望に至るまでの周囲の心情の変化とイエスの反応も悲しいほど強く伝わってきます。遠藤周作独自の解釈もあるので注意が必要。本当に必要なのは直接的な救済や奇蹟などではなく、そばに寄り添い愛すること。ことあるごとに読み返しては自らのあり方に反映させたくなります。

    1
    投稿日: 2015.07.29
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    キリスト教徒でもないし、聖書はネットで調べた程度の知識のみ。 キリスト教に興味を持ったのも、「聖☆おにいさん」きっかけ。 なんだか敬虔なキリスト教徒に怒られそうだな…(笑) あくまでも遠藤周作のイエス、聖書解釈という事を頭に置きながら読み進めた。 奇蹟物語が省かれて書かれているせいか、 この本に書かれているイエスは、とても身近で親しみを感じる。 キリストとなる前の、人間イエスの生涯。 イエス自身の思いと、弟子達や民衆のイエスへの思いの違いに心が痛む。 当時の政治背景、民衆心理、個々の立場を踏まえた上での 遠藤さんの聖書の読み方、解き方が面白い。 聖書って単純にそのまま読む物ではないんだ、と。 聖書の行間、言葉に含みがあるからこそ、解釈が難しいし人それぞれ。 何回も読み返したい。

    1
    投稿日: 2015.03.01
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    烏兎の庭 第一部 書評 1.19.03 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/jesusy.html

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    投稿日: 2015.02.03
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    奇蹟を起こさない無力なイエスにこそ、イエスの教えの本質的な部分があるという筆者の見解は、心にすっと落ちてくるものがある。キリスト教についての知見が浅いため、自分の身の丈にあった学びになってしまうが、心の豊かさや人への優しさの根幹って何なんだろうという問いを投げかけてくれる一冊でした。

    1
    投稿日: 2015.01.19
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    真実は人の心により変化する 無力、無能であったからこそ特別な存在となれた 全てを愛し慈しむことは人間にできることではない しかし、それに近づくことがイエスの真の教えだったのだろう

    1
    投稿日: 2014.12.28
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    [歩みをなぞって]『沈黙』、『海と毒薬』などで知られる作家、遠藤周作が「日本人につかめるイエス像を具体的に書く」という課題を自らに課して著した一冊。「事実」のイエスというものとはまた違う、「真実」のイエスの探索に主眼が置かれたものとなっています。 物語としてのイエス・キリストということになると思うのですが、遠藤氏の見事な筆もあって純粋に本作は読者を引き込む魅力を持っていると思います。聖書や書簡を頼りとしながら、受難、そして復活までが熱を帯びて綴られており、キリスト教についてあまり知識や接点を持っていなかった自分でも非常にすっと物語の世界に入っていくことができました。 イエスの物語として面白い点に加え、遠藤氏の求めるキリスト像が本書に輪郭あらわに表わされているところも本書の読みどころの1つだと思います。特に、遠藤氏の中では「弱者」としてのイエスという点が大きな位置を占めているのではないかと感じました。私はクリスチャンではないのですが、クリスチャンの方がこれを読んだらどう感じるのかという感想をぜひ伺ってみたいです。 〜聖書を読むたびに私たちが生き生きとしたイエスやそれをとりまく人間のイメージをそこから感じるのはなぜだろう。それは事実のイエスではなくても真実のイエス像だからである。〜 キリスト教に関する学習の導入としてもオススメです☆5つ

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    投稿日: 2014.12.15
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    イエスの哀しみに満ちた生涯。なぜ彼は無力であり続けなれならなかったのか。奇跡ありきで語られない事実としてのイエスの生涯。

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    投稿日: 2014.12.14
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    盲信ではなく、信仰の眼をもったとき、かくも人間は大きくなれるのか。しかし、それはどれほど難しいのか。師の死が必要なほどに。 練り上げられた文体から、宗教性、崇高性、誠実さを幾度も感じた。当時の政治的背景も興味深い。 弟子たちがキリストの死後、なぜ立ち上がれたのかについての考察は、深く首肯できた。復活についての疑問は拭えぬままだったが。

    1
    投稿日: 2014.12.07
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    聖書にあるイエスの記述に関して遠藤氏の見解が述べられている。正直、ある程度聖書やキリスト教に精通してないと、面白く読めないのではという印象。私はそこまでキリスト教のことに詳しくないので、大学の教科書を読んでいるような感じだった。

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    投稿日: 2014.11.23
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    ローマ帝国に対しユダヤ民族のために立ち上がる指導者でもなく、何一つとして奇蹟も起こさない、ただ虐げられているものの傍にいて誰からも見捨てられている彼らを愛する、ただそれだけという救世主イエス。民衆はおろかその弟子たちからも最後まで本当のところを理解されることのなかった孤独な宗教家を、聖書の世界から生身の我々の感覚に近い人間の姿として浮彫にした。保身からイエスを売ったような弟子たちが、イエスの死後なにゆえ強固な信仰をもってイエスの教えを布教するようになったのか、多くの預言者が誕生したなかあれほどまでに嘲笑と侮蔑のうちに処刑されたイエスだけがなにゆえ後の世で神格されたのか、最終章での著者の考察に納得。

    2
    投稿日: 2014.07.03
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    小説家の遠藤周作が『沈黙』に続いて投げかけた話題作です。聖書学を学びながらこの伝記を書き上げましたが、小説家の想像力が随所に生かされています。遠藤周作はヨーロッパでは神学者とも評されています。

    0
    投稿日: 2014.02.13
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    「つらい現実があるのに、どうして神の愛など信じれよう。 なぜ、神は沈黙をつらぬくのか?」 「なぜ、生前のイエスを理解せず、彼に背をむけた弟子たちがイエスの死後、信仰に目覚めたか?」 この二つの問いをテーマにイエスの生涯を、遠藤周作が小説家の立場で描く。 遠藤周作のキリスト教の解釈には賛否両論あるみたいだが、私はこの解釈が好きだ。「許し」や「愛」を説いた、決して攻撃的な教えではないと解釈している。 「沈黙」が理解できない方は本書を読むといいかもしれない。 また、本書の謎解きが「沈黙」であるとも思う。 ミステリーとしても面白い。

    1
    投稿日: 2014.01.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ■『イエスの生涯』 遠藤周作著 新潮文庫 【後編2‐3 イエス路程】  日本随一のカトリック作家である遠藤周作のイエスの生涯。福音書に描かれるイエスの言動、特に奇跡と愛を「事実と真実」に分け、イエスの生涯を読み解いていく。水を葡萄酒に変えたり、湖面を歩いたり、病をいやしたりする奇跡物語を「事実ではないが真実」とし、それを目にした者の心に上る信仰がそうさせた、そのように見せたというのは、正しいのかは分からないけども、納得出来てしまう部分でもある。  あくまでも小説家が描くイエス像であるので、荒井献などの聖書学者や神学者たちからは、鼻もちならない部分があるのかもしれない。その辺は学者にはかなわないだろうが、イエスを愛する遠藤の思いが描かせたイエス像は、我々も一読に値する。  ややこしい書かれ方はされておらず、素直にすっきりと読める。 <イエス伝関連資料> ルドルフ・ブルトマン 『イエス』 田川建三 『イエスという男』 八木誠一 『イエス』 清水書院・人と思想シリーズ 遠藤周作 『イエスの生涯』 フランソワ・モーリヤック 『イエスの生涯』 など

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    投稿日: 2013.10.10
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    何故キリスト教が今日に至るまで二千年もの間廃ることなく発展してきたのか?それは愛の宗教だからではないか?しかも、それは他社への高次元の愛である。「汝の敵をも愛せよ」とその当時弟子たちでさえ受け入れがたかった、常識として考えられなかった教えをとき、そして十字架上で自分を十字架に追いやった人々を神の前に取りなすその姿から、理解できるような気がした。そして、それはイエスの復活の後、人間的に弱虫だった十二人の弟子たちを殉教をも惜しまない信仰者へと生まれ変わらせていった原動力となったのではないか。

    1
    投稿日: 2013.09.07
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    遠藤周作のなかにあるイエス像と、わたしのなかにあるイエス像はなんでこんなにも近いのだろう、といつもおもう。無力でぼろきれのようで弟子にも失望されて、当然ユダヤ民族の反ローマ主導者ではなく、弱い人のそばにいて苦しむ人のとなりで祈っていて、でも無力で失望される。しかしその命をもって全てを救済しようとするあまりにも深く溢れ出る人間への愛。現代人はキリスト教なんて、宗教なんて、と馬鹿にするけれど、究極的な意味での人間の救済はやっぱりお金にも権力にも他人の愛にも求めることはできないのかもしれない、そんな時代に示唆するものはとても多い気がするのだけれど。新約聖書の福音書のイエスの復活まで、つまりほんとうにイエスの生涯をこと細かに書いていて、わたしはなにかそれを追うにつれ心がみたされていく、そんな感覚。ユダに対する記述がほんとうに視点の転換だったけれどもすっと腑に落ちて感動した。定期的にキリスト教に触れる意味を今一度問い直した一冊。

    1
    投稿日: 2013.05.11
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    ページをめくらずにはいられない展開。読ませる。唯一のイエスの理解者であるが故にイエスを裏切ったというユダ像がとても良い。

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    投稿日: 2013.05.10
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    遠藤周作が「弱きイエス」を、当時の風景や情景がリアルに伝わってくるように描いている。 過去の様々なイエス伝を踏まえつつ、その実像に肉薄しようとしているようだ。 「歴史的イエス」の見方、「真実のイエス」の見方、すごく学ぶべき点は多いかと思います。 当時イスラエルにいたらイエスの像はこのようなものだったのかと目の前に出来事が淡々と繰り広げられていくような感覚を覚えた。 日本人としてのキリスト教、宗教の見方を遠藤周作氏に学んだところが大きいと思います。

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    投稿日: 2013.04.24
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    「死海のほとり」に次いで読みました。キリスト教徒ではない私には腑に落ちる内容。なぜイエスは惨めな死に方をしたのか。その後の謎は残ったままなので、「キリストの生涯」を読もうと思う。

    1
    投稿日: 2013.03.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

     宗教に興味はないけれど、一個人(この表現は合ってるんだろうか…)として「イエス・キリスト」の生涯を捉えてみるのは、とても面白いものだった。  『無力であること』に自分を賭けることから始まる。  開き直りとは、違くて。この言葉を胸に、前に踏み出したいなぁと思ったり。  これを読んだキリスト教のお偉いさん方は、「東洋の研究者が、なんと可憐に分析、研究をしたことか」ってくらいのお話なのかもしれないけれど、個人的には、「奇跡」を並べ立てて「人間と一線を画す存在」を主張されるより(すっごい偏見で物事を並べ立ててるわね、わたし…無知でバカなこの戯言だと思ってください)自分の胸に、ぐっときました。  

    1
    投稿日: 2013.03.14
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    ミュージカル"Jesus Christ Supersta"の副読本として、買ったものの長い間積読だったものをようやく読了。判りづらい箇所はあったが、聖書とは何か、キリストとはどんな人物なのか、知ることが出来ました。少しずつ、遠藤周作を軸にキリスト教について読み進めて行きます。

    1
    投稿日: 2013.01.06
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    よくわからなかったので評価なし。それなりに面白さ(funnyではなくinteresting)はあった。また、読んでよかったと思う点は、キリスト教に対する幼稚な先入観が払拭されたことだ。キリスト教と縁のない人生を送ってきた私にとって、その教義などはあくまでも想像上のものでしかなく、そこではたとえばキリストはつねに絶対的に善人であり、聖書は文字どおり「バイブル」であり、信者は妄信的であった。しかし、じっさいにはキリスト教を深く信仰していることで知られている著者の遠藤周作ですら、聖書の解釈には疑義を挟み、それどころかなぜここまで神格化されているのかという、キリストという偉大なる存在それ自身についても深く掘り下げている。このような態度が信者のなかで存在するということを知っただけでも、私にとっては大きな驚きであるとともに収穫であった。キリスト以外にも、聖書に登場するさまざまな人物のエピソードについてもほとんどが初耳で、むしろ善行で知られる、道徳的な人物は少数派であるように感じる。こういう聖書の内容もまた多分に驚きであった。とかく、勉強になる1冊であった。

    1
    投稿日: 2013.01.03
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    新約聖書にある4人の福音書をもとに遠藤氏があらためて自らの経験と、信じるものとを織り込んで書き記した、もうひとつの福音書とおもって何度も何度も読んでいます。史実じゃないことが書かれているだとか、弟子たちはこんな事は考えていない、だとか固い頭で読んではいけません。向かい合っているものは過去に確実に存在したイエスという方の足あとを遠藤氏を通じて遠藤氏の言葉で書かれたものです。キリスト教を知るには聖書をひたすらに読むとくのが正解でしょう。ですがこの一冊で聖書の読みどころを是非見つけていってください。遠藤氏が「美しい」と評している聖書のシーンを読むだけで僕はあの方の笑顔を前にしたような気持ちになりました。

    2
    投稿日: 2012.10.25
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    遠藤氏が描く、ただ愛の人であり、すべての人の同伴者であるというイエス像がありありと心の中に立ち上ってきて、心が震えるような感動が読んだ後もずっと続いている。

    1
    投稿日: 2012.10.20
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    相変わらず期待を裏切らない出来栄え。 聖書を細部まで読み込んで仮説を立ててその情景を想像するやり方は大学時代に連日受講した神学講義を思い出して凄く懐かしかった。 弟子を含めた大衆がイエスに期待したものとイエスが実際に行ったことの間には大きな隔たりがあった。 筆者が度重なる研究の上に辿り着いた「無力なるイエス」像には感服するばかり。 筆者の全体の著作のテーマとなっている「神の沈黙」がこの作品にも如実に表れてきてるね。

    1
    投稿日: 2012.09.08
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    順番から行くとこっちが先で、「キリストの誕生」はこの後なんだけど、何も知らなかったので逆に読んでたww で、教会で牧師さんと聖公会の教義の勉強しながら、家に帰ってこの本読んでいた。 洗礼受ける決心をさせてくれた本。 今は全然、教会行きませんが(ヲイ、宗教の原点というか、蛹が終末と思う瞬間を「蝶」と名付けるのが救世主の仕事なんだってわかる本だと思う。 う~ん難しいな、ええとね、不幸はマイナスじゃない、という逆転の発想を教えてくれるのが救世主だと思う。 当時蔑まれてたライ病人に自分から近付いたり、寡婦や障がい者に寄り添って励ましたり、死後も伝説になるくらい皆に慕われた人物が実際に(大昔だけど)実在した、って事実が自分にとっては重要なことでした。

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    投稿日: 2012.06.25
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    イエスの生涯を描く。 田川建三はイエスを逆説的反抗者(論理的一貫性はなく、権力者や体制への反抗という点で一貫している)と描き出していた。 それに対して、この作品でイエスは神の愛を信じ続ける、寡黙かつ無力だが高潔な人間として描かれる。彼は、即物的な奇跡を求める群衆の期待を集めては幻滅される。弟子にすらも信仰は理解されない。 これは『沈黙』とも通底するテーマだろう。 弟子は、処刑にあたって自己保身のため売り渡した後の罪悪感の中で彼の教義に心打たれ、復活を信じるようになる。弱くて浅ましくて平凡な人間がいかに強い信仰に囚われるようになるか、という描写に説得力がある。答えぬ神への熱意の原因として、非常に説得力があるように思う。 続きも早く読みたい。

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    投稿日: 2012.06.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    イエスは力のある人だったのか?それとも無力な人だったのか? いつの時代でも、人々は自分の希望をかなえてくれる人を求める。 具体的な奇跡の力ではなく、愛を伝えたかったイエス。

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    投稿日: 2012.05.23
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    読み終わって、後書きを見て「昭和48年。遠藤周作50歳の時の作品」と知り、驚く。 熟読したことはないが、途切れ途切れに知る聖書のエピソードからなんとなく矛盾(日本人的感覚から)を感じていた。遠藤氏の緻密な聖書の読み込み(驚異的!)からの解釈で、初めて納得した点が多くあった。 とくに、イエスとユダの関係。なるほど。 やはり、後編「キリストの誕生」も読まねばなるまい。

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    投稿日: 2012.04.27
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    イエスという人は、僕のような無知な者にとっても、とても魅力的な謎である。遠藤周作は、現在得られる手がかりをもとに、過去に実在した歴史上の一人物としてのイエスを想像し、ひとつの物語にしている。 科学にどっぷりと浸かり、「奇蹟」と言われても容易にはその深みにアプローチできない一方で、世界中にこれほど多大な影響を及ぼした人物の偉大さには興味がある。そんな典型的な一般人である僕にとって、これは絶好の入門書のようだ。

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    投稿日: 2012.03.21
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    この本は評伝なのか小説なのかは区別はしづらい。 しかし、イエスという存在に対しての理解は深められる作品であるのは間違いない。 私自身が勉強不足のためあまり内容が入ってこなかったので、もう一度勉強したのちに再読したいとおもう。 ただすべてをゆるしたイエスという存在に心惹かれるのは間違いない。

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    投稿日: 2012.02.28
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    一人の人間としてのイエス・キリスト像。 奇跡を起こす救世主ではなく、 無力でありながら、それでも神の愛を説こうとしたイエス。 主観的な解釈や希望的な想像は多分に含まれているとはいえ、 著者・遠藤周作の語るイエスの姿は、キリスト教に馴染みのない日本人である私にも、無理なく受け入れることができる。 合理的かつ現実的な解釈だと感じた。 著者が提示してくれる謎。 人として生き、人として死んでいったイエスが何故、神になったのか。 イエスの言葉に感化されながらも、その全てを理解し得なかった弟子たち。 ありふれた人間、弱く脆い人間であった彼らが、 イエスの死後、イエスを神格化し、どんな苦難にも耐えうる宣教師になることが、何故できたのか。 聖書に『復活』と表わされるその真意とは。 その答えを本書が答えてくれているとは、思えなかったが、とても興味深い謎であるということを気づかせてくれた。 解説で、遠藤周作がエッセーの中で、キリスト教信仰を母から着せられた洋服であると語ったと紹介されている。 信仰が服のようなもの、という喩え。 愛する人から渡され、当たり前のように着ている服。 成長するとサイズが合わなくなってしまった服。 服の趣味が変わることだってあるだろう。 同じ服、あるいは似た服を着続ける人もいるだろう。 なるほど、この喩えはおもしろい。 「西欧キリスト教」というだぶだぶの洋服を、長い年月かかって和服に仕立て上げたこの遠藤氏の作品は、キリスト教の日本文化への文化内開花の上で、まさに大きな足跡を残したものといわねばならないであろう。 ・・・・・・・264頁「解説」より 私もその和服がとても良くできていて、素晴らしいものだと思った。

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    投稿日: 2012.02.19
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    考えてみれば、イエスについてほとんど何も知らなかった。 なにせ基礎になっている知識が、 ・妖女伝説(星野之宣) ・ライフ・オブ・ブライアン(モンティ・パイソン) なので、ほんと、誠実なキリスト教徒に申し訳ない。 で、読んでみる。 読んだあとで深いため息。 こんな面白かったのか。聖書の世界って。 イエスの悩みや、心が、普遍的すぎる。 ありがたい話を聞いたとか、感動したとかそういうのではなくて、 いいものを読んだと思う。

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    投稿日: 2011.12.24
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    聖書、弟子たちの福音書から、 事実であろう部分を抜き取り、神様としてのイエスではなく、 一人の人間としてのイエスを描き出そうとした作品。 遠藤周作は神様としてではなく、一人の人間として、 その思い、言葉が弟子たち、民衆を動かしたのだろうと語る。 事実はもう知ることはできない。 しかし、その語り継がれた言葉がどれだけ多くの人を救ったのか、 それを考えると感慨深くなるのだ。

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    投稿日: 2011.12.03
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     『海と毒薬』、『沈黙』に引き続いて3作目は『イエスの生涯』を選んだ。  前の2作品のように物語、小説が書かれているのかと思ったら、読んでみると他の作品のために著者がイスラエルを旅行し、イエスや弟子たちについて考えたことをまとめた「創作ノート」が元になっているらしく、新書のような読み物になっている。  聖書の中の「事実と真実」、人々はイエスに何を期待し、イエスはそれらにどのように応えたのか、そして、イエスが「愛の神の存在をどのように証明し、神の愛をどのように知らせるか」(p.56)ということに苦悩し、孤独に生き、そして無力に死んだかということが、詳しく考察されている。色々な聖書学者を参照しつつも、小説家ならではのオリジナルの視点で、特に人間の心理が巧みに分析されていて面白い。特にユダがある意味で一番のイエスの理解者、という分析が興味深い。  遠藤周作自身の踏み込んだ解釈を読むことになるので、その前に読者自身が福音書をどれか1つでも一通り読んでおくか、聖書の内容に関する基本的な知識を前提として持っておく必要があると思った。(11/11/12)

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    投稿日: 2011.11.12
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    イエス・キリストのことは、正直、よくわかっていなかった。なぜこんなにも多くの人の信仰をえているのか?この小説を読んで、人となりはわかった。信仰については、なんとなくわかってきたというところかな。とはいっても、依然としてピンと来ない。

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    投稿日: 2011.10.21
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    イエス・キリストは人間を超越した存在ではなく、人間と同じ無力で、悩み苦しむ人であった。 それは、イエスとして生まれたときから始まり、人から罵られ、誤解を解くこともなくみじめに死んでいった姿を描いていた。 遠藤周作が過去のイエス伝を覆すようなあまりにみじめな人としてのイエスを書いたのは、そのイエスの姿が死を超えてやがて人の中に高潔な精神を築いていく過程だった。 その死の最後も、殉教者や思想家、危険人物、政治犯というのではなく、ただの犯罪者として処刑された。 愛というのは何か、イエスの示した愛、遠藤周作が考えた愛、この小説を読んで自分にとって愛というのはどういう存在なのか、深く考えさせられた。 奇跡はあったのではない、人それぞれの心にある切なる願いを愛と呼んだのかもしれない。 何もできなくてもよい、無力でも良い、存在があること自体が意味があった。 そう考えたのは私だけかもしれないが、生きている意味、愛の意味として、この世に生まれ、今を生きていることが意味がある。 そう感じられるのに、この本も何回も読み直して、その都度新しい思考の発見を見つけて至った、愛に対する考えである。 きっとこれからも読み返すたびに、また新しい愛を思い至るのだろうと思う。

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    投稿日: 2011.09.09
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    始め物語だと思っていたので、なかなか入りこめず。。。 日本のキリスト教作家の作品はキリスト教的な思想や、キリスト教贔屓にどうしても違和感を感じるが、遠藤周作の作品ではそれがなく、『沈黙』でもあるように、宣教師も敬虔な素晴らしい人物というよりは一人間として書かれている。 私にはこのことが不思議だったが、その理由がこの本によってわかった。『私が愛した小説』でも触れているが遠藤周作はイエスを一人の人間として捉え、奇蹟を起こす特別な存在としては見ていない。遠藤周作の書くイエスの心には愛の神、神の愛があり、苦しむ人々を目に見える事物で救うのではなく、『永遠の同伴者』として苦しみを分かつ存在になろうとした。しかし弟子や人々はそれを理解できない。イエスは人々の嘲りの中で惨めに死を迎え、死に様によって自分の心を示した。 違和感と、猜疑心なしには読めない聖書も遠藤周作よって、本来の意味を伝えてくれているのではないだろうか。 キリストの誕生も読もうと思う。

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    投稿日: 2011.09.02
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    キリストの生涯を文献を解釈しながら語っていく。 物語的な文体ではないのに引き込まれるように読めた。 塩見七生さんのような作品かな?? キリストも普通に人間なんだな。ただ、やさしい人間なんだな。 弟子思いで、彼らの後世のために命をかけるほどやさしいんだな。 弟子であった使徒も、フツーの人間なんだな。 つまり、我々フツーの人間にも、いやだからこそ、宗教というのは理解できるし、解釈していくべきものなんだろうな。 と思った。

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    投稿日: 2011.08.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    遠藤周作のイエスを追った小説。 キリスト教初心者にはかなり有難い! 注意しなければいけないのは、 遠藤さんの解釈なので客観的に読む必要性あり。 小説としてはそれほど面白くはないと思うが イエスを追ってみたい人には、 わかりやすい”いい本”だと思う。

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    投稿日: 2011.08.01
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    「死海のほとり」と表裏をなし「キリストの生涯」と一対をなす。 そんな作品です。作風はけっこう堅めストレート。 個人的には「沈黙」を合わせた4作を土台にして、あとは気になった作品を積み上げていって、頃合いをみて「深い河」をぶっかけるって具合に読んだら、遠藤周作のスタンスがなんとなくつかめるんじゃないかなーって気がします。 「死海のほとり」ほど小説でもないしガツンとこないけど、ちょっと我慢をしてでも神学大生には是非読んでほしいです。 . 04 けいじ

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    投稿日: 2011.07.08
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    研究文献を引用しつつも、小説家としての想像や創作を多分に盛り込んで描いた、愛に溢れるイエスの生涯。蔑まれ死んでいったイエスとユダの間の、奇妙な同一性やつながりは興味深い。ユダ本人は、自分の裏切りが後々まで記憶される運命にあるとまでは予想しなかっただろうと思うけどね。

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    投稿日: 2011.07.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今年の7月に訪れた 遠藤周作文学館で遠藤周作さんの作品・生き方に改めて興味を持ち、すぐさま本屋さんに走り購入した本が”イエスの生涯”です。先日やっと読み終えました。 思い起こせば、あれからものすごい忙しさが続き、毎日毎日朝から全速で走り続けている日々でした。 コンピュターを立ち上げている時間に練習したり・本を読んだりしていたものですから、1冊を読破するのに、ものすごい時間がかかってしまいました。 こんだけ時間がかかると、話の内容の時系列が狂って来てしまって、正直なところ書評などを書けるものではありません(笑) ただただ一つだけ心に残ったことを要約するならば・・・ 遠藤周作さんが愛したお母さん、そのお母さんが遠藤周作さんに与えた洋服の一つである”洗礼”そして”キリスト教”。彼は着にくいとは思ってはいても愛する母親がくれたものを脱ごうとはしなかったし、出来なかった。 とは云えども矢張り、着心地は悪いと思っていたのは事実である。しかしある日決心をする。この着心地の悪い洋服を、自分に合う和服に仕立てようと・・・・。 人生のヒントが頂けたかなと思いました。 (しかしながら、もうこれからは1冊の本を読むのにも5か月もかけるのはよそうと思いました(笑)。)

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    投稿日: 2011.06.19
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    解説に書いてあるようなことそのままになってしまうが、やはり人間としてのイエスが、どう考え、どう行動したか?について書かれた本。 キリスト教入門、という言葉がいいかどうかわからないが、興味のある人にとってとっかかりになる本でもあると思う。

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    投稿日: 2011.06.11
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    『「西欧キリスト教」というだぶだぶの洋服を、長い年月をかけて和服に仕立て上げた作品』だとの解説がありましたが、キリスト教とは全く無縁でも、イエスの人間性やその背景がひしひしと伝わってくる、そして小説だからこそ発見のある、貴重な一冊。遠藤周作氏以外に書ける人は無論いないでしょう。

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    投稿日: 2011.03.23