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powered by ブクログ毎日を生きていると、理由もなく不安になったり、些細なことで不機嫌になってしまうことはありませんか? 僕はよくあります。 そんな「自分の感情に振り回されてしまう」すべての人に、強くおすすめしたいのがアランの『幸福論』です。 幸福論というと、ふわっとした精神論や綺麗事が書かれているイメージがあるかもしれません。しかし、この本は全く違いました。むき出しの人間心理を解き明かす、極めて実践的な「人生の取扱説明書」だったのです。 この本の中で、僕が最も雷に打たれたような衝撃を受けたのが、次の一文です。 「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」 アランによれば、放っておけば心がネガティブな方向に流れていくのは「当たり前の物理現象(ただの気分)」に過ぎません。雨が降れば体が冷えるのと同じです。だから、不安や悲しみを自分の性格のせいにしてはいけないのです。 逆に言えば、「幸福」や「希望」というのは、自然に降ってくるものではありません。自らの「意志」で力強く選び取り、作り上げるものなのです。 では、意志の力で幸福になるにはどうすればいいのか? アランの答えは驚くほどシンプルで、「心ではなく、身体からアプローチしろ」というものでした。 不安なとき、理屈で自分を納得させようとしても心は余計にこじれます。そういう時は、ただ背伸びをして、あくびをして、無理にでも口角を上げて「笑顔の形」を作ってしまう。心を救うのは、いつだって姿勢や体操などの「身体の動き」なのです。 さらに、嫌なことがあった時こそ「意図的に上機嫌に振る舞う」こと。これが最強の防衛策になるとアランは語ります。 幸せとは、ぼんやり待っていれば訪れる「状態」ではなく、自らの手で掴み取る「技術」なのだと気づかされました。 漠然とした不安に押しつぶされそうな夜や、人間関係のストレスで不機嫌になってしまいそうな時。この本は、あなたの背筋をスッと伸ばし、明日を生きるための力強い「武器」になってくれるはずです。ぜひ一度、手に取ってみてください。
0投稿日: 2026.02.13
powered by ブクログ幸福になるのは難しい。 でも、幸福になろうと欲しなければ絶対幸福にはなれない、というのがアランの教え。 本書が文学なのか哲学なのかはさておき、幸福をテーマにした93ものプロポ(哲学断章とか語録とかいう意味らしい)に触れることは、自分自身の考え方や心のありようを見つめ直すきっかけにもなります。 ・悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。 ・われわれは何もしないでいると、すぐに自ずと不幸をつくり出してしまう。 ・自由な行動だから幸福なのである。自分で規則をつくりそれに従っているから幸福なのである。 ・過去を見つめることから生まれるあの悲しみは何の役にも立たない。それどころか、きわめて有害なものだ。 ・しわあせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。 印象に残る言葉の数々。 これからも折に触れ見返していきたいと思うものばかりです。
0投稿日: 2025.12.27
powered by ブクログアランの幸福論、アランと同じフランス人のデカルトとかバルザックの話とかめっちゃ出てきてたし、意外とフランス思想知る手がかりになりそうだと思ったし、思ったより読みやすかった。 「悲観は気分による、楽観は意志の力」といったのはアランだったか。意志の力に加え、知性の力で楽観をもたらしたいね。 アラン(フランス語: Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエ (フランス語: Émile-Auguste Chartier, 1868年3月3日 - 1951年6月2日)は、フランス帝国(フランス第二帝政)ノルマンディー・モルターニュ=オー=ペルシュ出身の哲学者、評論家、モラリスト[2][3][4]。ペンネームのアランは、フランス中世の詩人、作家であるアラン・シャルティエ(英語版)に由来する[5][6]。1925年に著された『幸福論(フランス語版)』で名高いが、哲学者や評論家としても活動し、アンリ・ベルクソンやポール・ヴァレリーと並んで[7]合理的ヒューマニズムの思想は20世紀前半フランスの思想に大きな影響を与えた[8]。体系化を嫌い、具体的な物を目の前にして語ろうとしたのがアランの手法で[9]、理性主義の立場から芸術、道徳、教育などの様々な問題を論じた[2]。フランス文学者の桑原武夫は「アランの一生は優れた「教師」の一生であったと言えよう」と評している[10]。また、アランの弟子で同国出身の小説家、評論家であるアンドレ・モーロワは1949年にアランの伝記や教えをまとめた『アラン(Alain)』の中で、アランを「現代のソクラテス」と評している[11]。 「不幸な人間には、どんなに好ましいできごとがほほえみかけても意味がない。幸福であることのなかには、人が考えているよりももっと多くの意志の力がはたらいてるものなのである。」 —『幸福について(上)』アラン著 「実際には、幸福であったり不幸であったりする理由はたいしたことではない。いっさいはわれわれの肉体とその働きにかかっている。そしてどんな頑健な肉体でも、毎日、緊張から弛緩へ、弛緩から緊張へと、しかも多くの場合、食事や、歩行や、注意力や、読書や、天気ぐあいなどに左右されて、移りかわる。それにしたがってきみの気分も波の上にある舟のように上下する。それらの外的条件は、普通のときは灰色の目立たない色調を帯びているにすぎない。なにか没頭しているかぎりは、そのことを考えはしない。ところが、ひとたびそれを考える暇ができ、熱心に考え出すと、些細な理由が群れをなして押しよせてくる。そして、きみは、それが結果であるのに原因だと思いこむ。鋭敏な人は悲しければ悲しい理由を、うれしければうれしい理由を、かならず見つけだす。同じ一つの理由が二つの目的に役立つこともしばしばある。病身で肉体の苦しみを味わっていたパスカルは、多数の星をみて恐怖した。そして、かれが星をながめながら荘厳な戦慄を感じたのは、それと気づかずに窓ぎわで冷えこんだからに違いない。ほかの健康な詩人だったら、女友だちにでも話しかけるように星に話しかけるだろう。そのどちらの詩人も星空についてきわめて気高いことを、つまり実は問題外の気高いことを、口にすることであろう。」 —『幸福について(上)』アラン著 「人はよく、不機嫌というのは病気みたいなもので、どうにも手に負えないものだ、という。わたしが、きわめて簡単な動作ですぐにとりのぞくことのできる苦痛や苛立ちの例をこの文章のはじめに、あらたにまたとりあげたのは、そのためである。ふくらはぎがひきつると、どんなにがっしりした大の男でも悲鳴をあげることは、だれでもが知っている。そんなときには、足のひらを平らにして地面に押しつけなさい。立ちどころになおる。ブヨや炭の粉が目に入った場合、こすりでもしようものなら、二、三時間はいやな目にあう。そんなときには、両手はそのままにして動かさないで、鼻先をながめていなさい。すぐに涙が出てきて不快な目にあわずにすむ。この簡単きわまる療法を知ってから、わたしは二十度以上もためしてみた。これは、はじめから自分の周囲の物事のせいにしないで、まず自分自身に気をつけることが賢明であるということの、なによりもの証拠である。」 —『幸福について(上)』アラン著 「むしろ、悩ましさを引きおこしている真の原因を知らないことからくる、ときほぐしたい焦燥と動揺なのである。馬から落ちることの恐怖は、落ちまいとして下手にじたばたすることから生ずる。そして一番わるいことには、じたばたすることが馬をこわがらせるのである。そこでわたしは、スキタイ人[北欧および北アジアを遊牧した古代の蛮族]流にこう結論したい。乗馬術を心得ている人は、あらゆる知恵、もしくはほとんどあらゆる知恵を身につけている、と。それに、落ちるには落ちる術がある。よっぱらいは、うまく落ちようなどと少しも考えないくせに、それでもうまく落ちるのだから、驚いたものだ。消防士は、落ちたって平気の平座であるから、見事なものだ。もちろん落ちる訓練をうけ続けてきたからである。」 —『幸福について(上)』アラン著 「よく世間でいわれるように、大きく一息つくことが必要なときでさえ、階段を見ただけで、息をとめる想像力がはたらいて、心臓が収縮する。もともと怒りとは、咳と全く同じく病気の一種なのである。咳は苛立ちの一つの典型と見なすことさえできる。咳の原因は肉体の状態によるからである。ところが、いちはやく想像力が咳を待ちかまえ、さがし求めさえする。ちょうど身体のかゆいところをかきむしる人たちのように、ひどくすれば病気をのがれることができるだろうという馬鹿げた考えから、わざわざ咳をさがしもとめるのである。動物たちも自分の身体をかきむしって、傷だらけにすることを、わたしはよく知っている。しかし、単なる思念の働きだけで自分自身をかきむしり、情念の働きだけで直ちに自分の心臓を興奮させて、いたるところに血液をふきださせることのできるのは、人間の危険な特権である。」 —『幸福について(上)』アラン著 「千分の一秒だけ感じられて、たちまち忘れられてしまう痛みとはなんであるか。苦悩は歯痛と同じように、人がこれを予想し、待ちうけ、現在を中心とした前後の時間にしばらくのあいだ持続させてはじめて、存在するものなのである。現在だけというのは無いに等しい。なるほど、痛みは味わうかもしれない。しかし、実は痛みそのものよりも、痛むかもしれないという恐れの方を、人はより多く苦痛に感じているのだ。」 —『幸福について(上)』アラン著 「宗教的態度は、これを医者が考察すれば役に立つものである。神の前に跪き、かがみこみ、身体をやわらげると、体内の諸器官が解放され、生命の機能がいっそうなめらかに働くようになるからだ。「頭を下げよ。心おごれるシカンブルびと」[聖レミがカトリックに改宗したフランク王クロヴィス一世に、洗礼に際して言ったことば。シカンブルは古代ゲルマニアの民]これは怒りや慢心から癒えよと言っているのではなく、ともかく黙って、目を休ませ、柔和にふるまえといっているのである。そうすれば、性格のあらあらしさがぬぐいさられる。長期に、あるいは永久に、そうなるのではない。そんなことはわれわれの力では及ばない。そうではなくて、じきに、そしてしばしの間、ということである。おもえば宗教上のさまざまな奇跡は、奇跡でもなんでもない。 人がしつこい考えをどうやって追いはらうかを見ると、ためになる。かれは、まるで筋肉をほぐすためでもあるかのように、心配ごとを遠く投げすて、指を鳴らす。今もっているのとは、別の知覚や別の空想をいだこうとするのである。そのときダビデの竪琴[ダビデはイスラエルの王、詩人で予言者、旧約詩篇の作者、竪琴の名手]がかれの心をとらえ、その身ぶりを整え、和らげて、憤怒と焦燥のすべてを遠ざけてくれるならば、抑うつ病患者などたちまちなおってしまうであろう。」 —『幸福について(上)』アラン著 「心配事のあるときは、理屈を考えようとしない方がいい。理屈はあなた自身に鉾先を向けることになるだろうから。それより、今ではどの学校でも教えている、あの腕の上げ下げや屈伸の運動をやってみるがいい。その結果にあなたは驚くことだろう。だから、哲学の先生はあなたを体操の先生のところへつれて行く。」 —『幸福について(上)』アラン著 「呑みこむのと咳をするのとは同時にはできない。だから、わたしは咳をとめるのに、咳どめドロップを呑むのが一番だというのである。同じわけあいで、あくびをすれば、しゃっくりが止まる。だが、どうやってあくびをするか。まず、伸びやにせのあくびなど、あくびのまねをしていれば、やがてはうまいぐあいに本物のあくびができるようになる。あなたの許可もうけずに勝手にあなたにしゃっくりをさせる、あなたのなかのしゃっくり虫は、こうしてあくびをする姿勢をとらされる。したがって、あくびをするだろう。これが、しゃっくりや心配事に対する有力な療法である。十五分ごとにあくびをすることを命ずるような医者は、どこにもいないことだろう。(」 —『幸福について(上)』アラン著 「だからこそわたしは、「身を切るような寒さだ。健康にはこれが一番だ」という人々を軽蔑しない。これ以上よい態度があろうか。風が東北から吹いてくるときには、手をこすり合わせることが二重の効果をもつ。この場合、本能は知恵と同じだけの有効な働きをし、肉体の反抗が人に喜びを教えてくれる。寒さに抵抗するしかたは一つしかない。寒さに満足することである。よろこびの達人であるスピノザ流にいえば、「わたしが満足しているのは暖まったからではない。満足しているから暖まるのである」だからいつでもこう考えなければならない。「成功したから満足しているのではない。満足していたから成功したのだ」と。もしよろこびをさがしに行くなら。まずよろこびを蓄えることである。手に入れるまえにお礼をいうがいい。希望というものが希望する理由を生み出してくれるのである。良い前兆が、本物の良いものを導きだしてくれるのである。」 —『幸福について(上)』アラン著 「自分でもいやになっているいなや人間に会ったら、まず笑顔をみせなければならない。そして、眠りたいと思うなら、眠れると確信するがいい。要するに、だれにとっても、この世でもっとも恐るべき敵は自分自身を措いて他にはない。ここの章の冒頭のわたしの文章は、じつは一種の気狂いについて語ったものに他ならない。しかし、気違いとはわれわれの誤謬の拡大されたものにほかならない。どんな小さな不機嫌の動作のなかにも被害妄想狂の縮図がある。」 —『幸福について(上)』アラン著 「だれでも求める物はえられる。青年時代にはこのことを考え違いするものである。棚からぼた餅が落ちてくることしか待っていないからである。ところが、ぼた餅は落ちてはこない。だが、われわれが欲するものはすべて、山と同じだ。われわれを待っており、逃げて行きはしない。けれども、よじ登らなければならない。わたしの見たところ、野心家たちはみんなしっかりした足どりで出かけて、みんな目的にたどりついている。それも、わたしの思ったよりももっと早く着いている。かれらは有効な行動だとみれば、さきに延ばしたりなぞしない。自分の役に立つと思う人々なら必ず定期的に訪問する。ただつきあって気持のいいだけでは役に立たない連中なら、たちまち無視する。ついには、必要とあればおせじも使った。」 —『幸福について(上)』アラン著 「おれは指一本動かさないでいるつもりだ」などとほざいている怠け者を、わたしはたくさん知っている。かれらは実際にはそっとしておいてもらいたがっているのだ。そこで、人々はかれらをそっとしておく。だから、かれらは自分でそう思いたがっているほど不幸ではない。馬鹿者とは、鳶のように一挙にうまい餌にありつこうとねらって急に思い立って二日ほどの間に十回も奔走する連中のことだ。ろくな準備もつまないで、あくせく立ち回ってみたところで、どうせうまく行く気づかいはない。相当有能な人たちまでもがこうして一攫千金の夢をねらったのを見たことがある。そんな向こう見ずな冒険をして失敗するからこそ、人は社会ははなはだ不当だなどというのである。不当なのはその人の方だ。社会は、何も要求しない人には、なに一つ与えはしない。」 —『幸福について(上)』アラン著 「くりかえしていうが、金持になりたいと思う者はだれでもなれる。こんなことを言おうものなら、金持になろうと夢みて失敗した人はだれでも憤慨するだろう。かれらは山をながめただけだったが、山のほうではかれらがくるのを待っていたのだった。金銭というものは、すべての利益と同様、まず第一に誠実さを要求するものである。多くの人たちは、かせぐ必要があるからという理由のためだけにかせぎたがっている。しかし金というものは、必要からだけ金を求める人々をさける。財産をつくった人々は、一つ一つのものから利益をあげようと思ったのだ。友だちづきあいのように楽しく趣味や趣向にもあい、気楽でおおようになれるような、そういう小ぎれいな商売を求める人は、焼けきった舗道に降った雨のようにたちまた蒸発してしまう。きびしさがなくてはならず、勇気がなくてはならぬのである。つまり昔の騎士たちのように、困難のなかで鍛え上げなければならぬ。しかし、浮ついた拝金主義者は裁かれる。」 —『幸福について(上)』アラン著 「老人の貪欲、さらには、乞食の貪欲というものがある。これは偏執狂のようなものだ。しかし商人の貪欲は、職業そのものに結びついている。かせぎたいと思う以上、手段を求めなければならぬ。つまり、小さな利益を積み重ねなければならぬ。すなわち、他のことは何も考えず、一歩一歩よじのぼらなければならぬ。ところで、どの石も登るのに役立つとは限らない。それに重力からわれわれは決して自由になれない。破産(失墜)とはいいことばだ。損失というものが、いつも商人から離れず、たえず商人をぴんとひっぱっているからである。損失というこのもう一つの重力を感じない者は、無駄骨を折ることになろう。(」 —『幸福について(上)』アラン著 「ゲーテならざる人間は、ゲーテたろうと欲しなかったのだ。何ものにもめげないワニのように強い性質の人間のことをだれよりもよく理解していたスピノザは、人間は馬の完全さなんぞ持つ必要はない、と言った。同じように、だれもがゲーテの完全さを持っていても仕方がない。しかし商人は、どこででも破産に瀕しているさきでさえ、売り買いをするものなのだ。手形割引人は金を貸し、詩人はうたい、怠け者は眠るものなのだ。多くの人は、あれやこれやが手に入らぬことの不平をいう。だが、その原因はいつでも必ず、かれらがそれを本当には欲しなかったことにある。」 —『幸福について(上)』アラン著 「わたしの見るところ、外国人が愛想がいいのは、とげのないおせじしかいうことを知らないからである。外国暮しの好きな人があるのは、そのためだ。かれらにはいじわるになる機会というものが全くない。」 —『幸福について(上)』アラン著 「登山家は自分だけのもっている力を行使して自分で自分の力を立証する。かれは自分自身の力を感じると同時にそれを考慮する。この良質なよろこびが雪景色をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、同じ太陽を見ることはないだろう。したがって、楽しみに対する予想というものはわれわれを裏切るものだ、というのは本当である。しかもそれは二様にわれわれを裏切るのだ。行動することの楽しみは、必ず約束以上のものを払ってくれるのだが、与えられた楽しみというものは約束どおりのものを決して支払ってはくれないのだから。運動の選手はほうびを獲ようとして練習する。しかしやがて、自分の内部にあって自分の力によってのみ手にはいる進歩、困難の克服というもう一つ別のほうびを獲得する。怠け者にはこれは決して想像がつかない。怠け者は、他人から与えられるほうびと、自分の苦しみ、この二つしか見ないからだ。かれはこの二つをはかりにかけるが、決して決心しない。だが、運動の選手は、もうきのうの練習に刺激されて立ち上り、仕事にとりかかり、そしてたちまち自分の意志と実力とをためしはじめる。こうして、仕事以外に楽しいものがなくなる。だが、怠け者はこんなことを知りはしないし、知るすべもない。人の話で聞いたり、思い出で知ったりしても、かれにはそれが信用できない。」 —『幸福について(上)』アラン著 「いやいやがまんするのではなくて、進んで行う、これが心地よさの基礎である。ところが、砂糖菓子は口のなかで溶かしさえすれば、ほかに何もしなくともけっこううまいものだから、多くの人々は幸福を同じやり方で味わおうとして、みごとに失敗する。音楽は、聞くことだけしかせず、自分では全然歌わないのなら、たいして楽しくはない。だから、ある頭のいい人は、音楽を耳で鑑賞するのではなく、喉で味わうのだ、と言った。美しい絵からうける楽しみでさえ、下手でもいいから自分で描いてみるとか、自分で蒐集するとかしなければ、休息の楽しみであって、熱中の楽しさは味わえない。大切なのは、判断するだけにとどまらず、探求し、征服することである。人々は芝居を見に行き、自分でいやになるくらい退屈する。自分でつくり出すことが必要なのだ。少なくとも自分で演ずることが必要なのだ。」 —『幸福について(上)』アラン著 「真の音楽家とは音楽を楽しむ人であり、真の政治化とは政治を楽しむ人である、と。「楽しみとは能力のあらわれである」と、かれは言っている。その理論など忘れさせてしまう用語の完璧さをもつ素晴らしいことばだ。古来、何度となく否認されてきて、しかもびくともしないこの驚くべき天才を理解しようと思うのなら、ここのところによく注意する必要がある。いかなる行動においても、真の進歩のしるしは、人がそこに感じうる楽しみに他ならない。したがって、仕事こそが心を楽しませる唯一のものであり、しかもそれだけでじゅうぶんなのだ。わたしの言う仕事とは、力のあらわれであると同時に、力を生みだす源泉でもある自由な仕事のことだ。くりかえしていうが、大切なのはがまんすることではなくて、行動することである。」 —『幸福について(上)』アラン著 「抑うつ病にかかっている人に、わたしの言いたいことは、ただ一つしかない。「遠くを見よ」ほとんどすべての場合、抑うつ病患者というのは、ものを読みすぎる人間だ。ところが、人間の目というものは、書物との間の距離のような短かい距離に合うようにつくられていない。広々とした空間のなかで憩うものなのだ。星や水平線をながめていれば、目はすっかり安らいでいる。目が安らいでいれば、頭は自由になり、足どりもしっかりしてくる。身体全体がくつろいで、内臓までがしなやかになる。だが、意志の力でしなやかになろうなどとつとめてはならない。自分自身の意志を自分自身だけに指し向けると、ぎこちない行動ばかりがうまれて、やがては自分で自分ののどをしめるようなことになる。自分のことを考えるな。遠くを見よ。」 —『幸福について(下)』アラン著 「友情のなかには、すばらしい喜びがある。喜びが人に感染するものであることに注意すれば、このことは容易に理解される。わたしのいることが友人に対して少しでも本当の喜びを与えさえすれば、それだけで、こんどはわたしが、友人の喜びを見て一つの喜びを感じるようになる。このように、誰しも、人に与える喜びは自分に返ってくる。と同時に、喜びの宝庫が解放され、そして、二人してお互いに言う、「わたしは自分のなかに幸福をもっていたが、それをむだにしていたわけだ」 喜びの源泉は内部にある、ということではわたしの考えも同じだ。自分にも何事にも不満で、お互いに笑わせるためにくすぐりあっているような連中を見ることほど、悲しい気持になることはない。だが、満足している人間も、ひとりだけでいると、すぐに自分が満足していることを忘れてしまう、ということも言っておかなければならない。かれの喜びは、やがてことごとく眠りこんでしまう。一種の自失状態、ほとんど無感覚とも言うべきものがやってくる。内部の感情は外部の動きを必要とする。もし、ある暴君がわたしを投獄して、権力を尊敬することを教えようとしたら、わたしは健康法として、毎日ひとりっきりで笑うようにするだろう。わたしは脚を訓練するように、喜びを訓練するだろう。」 —『幸福について(下)』アラン著 「こういうわけで、喜びをめざますには、一種のきっかけが必要である。幼い子供がはじめて笑う時、その笑いはまったくなにも表していない。幸福だから笑うのではない。むしろ、笑うから幸福なのだとわたしは言いたい。笑うことが楽しみなのだ、食べることが楽しみであるように。実際、子供はまず食べなければならない。このことは笑いについてだけ真実なのではない。自分の考えを知るためには言葉も必要である。ひとりでいるかぎり、人は自分ではあり得ない。おろかなモラリストたちは、愛するとはおのれを忘れることだと言う。あまりにも単純な考えだ。人は自分から離れれば離れるほど、それだけ自分自身となる。それだけ自分の生きていることをよく感じるようにもなる。きみの薪を穴倉で腐らせてはいけない。(一九〇七年一二月二七日)」 —『幸福について(下)』アラン著 「思想によって、デカルトはまったく同様である。大胆に思考し、つねに自己の命ずるところによって動いた。つねに決断を下していたわけである。幾何学者が優柔不断であったら、まことに滑稽なものだろう。それはきりがないのだから。一本の線には点がいくつあるのか。そして、二本の平行線を考える時、ひとは自分がなにを考えているのか知っているのか。しかし、幾何学者の天分はひとがそれを知っているものと決めて、その決定を少しも変えず、またあともどりもしないようにと、ただそれだけを心に誓うのだ。一つの理論には、よく見れば、定義され、誓われた誤謬以外のなにものもないだろう。この賭において、精神は力いっぱい、ただ決定したにすぎないものを、立証しているのだとは決して信じまいとする。ここに、決してなにものも信ずることなしに、つねに確信をもちうることの秘密がある。かれは決心した、というのはいい言葉だ。一語で、同時に「解決した」という意味をもっている[フランス語で、「決心する」という言葉には、また、「解決する」という意味があること]。(一九二四年八月一〇日)」 —『幸福について(下)』アラン著 「ひとは流行を笑いたがるようだが、流行とは、なにか非常にまじめなものなのだ。精神はこれを軽蔑する様子をするが、しかし、まずネクタイをつける。軍服と僧服は、ひとの心を落着かせる驚べき効果を見せる。それらは眠りの衣服である。心地よい怠惰、考えることなく行動するという、このもっとも心地よい怠惰の襞である。流行も同じ目的に向かうがまったく想像上のものである選択の喜びを与えてくれる。色彩はひとの心を惹きつけるが、選択を迫るので不安である。ここで苦痛が示されるとしても、それは芝居におけるように、薬をいっそうよく味わわせるためにすぎない。こういうことから、昨日は赤で安心できたものが、また青にもどったりする。要は意見の一致であり、この一致こそが流行を証明する。ここから、ひとを本当に美しくする心の平静が生まれる。なぜなら、黄色はあまり金髪に似あわず、緑色もあまり褐色の髪に似あわないというのは本当だからである。しかし、不安、羨望、後悔などのしかめっ面は、だれにも似あわないものだ。(」 —『幸福について(下)』アラン著 「礼儀を覚えるのはダンスを覚えるのと同じことだ。ダンスを知らない人は、むずかしいのは規則に通じそれにあわせて体を動かすことだ、とひとりぎめしている。しかしそれは物事をうわべだけでとらえた考え方で、固くならず、苦労なしに、したがってこわがらずに踊れればそれでよい。それと同じことで、礼儀の作法に通じることなどどうでもよいのだ。また、たとえ作法通りに振舞うとしても、それだけではまだ礼儀の入り口に立ったにすぎない。必要なのは、動きが正確でのびのびしており、固くなったりふるえたりしないことだ。ほんのちょっとした身ぶるいでも相手にはすぐわかるものだから。第一、相手を落ちつかせない礼儀などあるはずもない。」 —『幸福について(下)』アラン著 「 無作法な男はひとりの時でも無作法だ。ほんの小さな動作にも力みすぎる。融通のきかない感情と、臆病という自己恐怖が感じられる。私は臆病な男が公開の席上で文法を論ずるのを聞いたときのことを覚えている。彼の口調はもっともはげしい憎悪の口調であった。そして、感情は病気よりも早く感染するものだから、もっとも無邪気な意見のなかに怒りがあるのを見つけても私は少しも驚かない。それは声のひびきそのものや、自分自身に対する無駄な努力のために拡大された、一種の恐怖にすぎないことがよくある。また狂信も元をただせば無作法であるかもしれぬ。なぜなら、たとえそのつもりがなくても、いったん口に出したことは、しまいには本人もそう思いこむものだからだ。してみると、狂信は臆病の結果ということになろう。自分の信念をうまく維持できないという恐怖である。最後には、恐怖にほとんどたえきれなくなって、自己および他人に対して怒りをぶちまけるに到る。この怒りがもっとも不安定な意見にでも恐ろしい力を与えるのだ。臆病者を観察したまえ。彼らがどのようにして決心するかをみたまえ。痙攣というものが奇妙な思考方法であることが分るだろう。いろいろと廻り道をしたが、これで、茶碗を手にすることがどのようにして人間を教化するかがはつきりしたことであろう。フェンシングの先生は、コーヒー茶碗の中でのスプーンのまわし方だけで、それ以上何も動かして見せなくてもフェンシングの腕前を判定してきた。(一九二二年二月六日)」 —『幸福について(下)』アラン著 「 宮廷人の礼儀というものがあるが、感心したものではない。それどころか、これは決して礼儀ではないのだ。わどさらしいものはすべて礼儀のなかに入らないように思われる。例えば、真に礼儀正しい人間だったら、軽蔑すべき人間、たちの悪い人間を、容赦なく、乱暴なまでにとり扱うことができるだろう。これは決して無作法ではない。考えぬいたあげくの親切となるともう礼儀とはいえぬ。計算ずくのおせじも同じことだ。礼儀ということばがふさわしいのは、何気なくなされる行動、表現するつもりのないものを表現する行動に限るのである。」 —『幸福について(下)』アラン著 「 無作法とは常に無器用ということである。相手に年齢を思い出させるのはたちの悪いことだ。しかし、そのつもりがなくて、身ぶりか顔つきで、またはなにげない話でそうしたとすれば、それはたちが悪いのではなく無作法だ。おなじく、人の足を踏みつけた場合、わざとしたのなら暴力だし、知らずにしたのなら無作法だ。無作法とはすべて思いがけない跳弾である。礼儀正しい人はそれを避ける。触れるとすれば進んで触れるのだ。触れた方がいい時に触れるのである。礼儀正しさ必ずしもへつらいを意味しない。 したがって、礼儀とは習慣であり、気楽さである。無作法な人間とは、装飾皿とまちがえて食器皿かがらくたを壁にかけるのと同じく、したいと思うことと別なことをする人のことである。つまり、言いたいことと別なことを言う人、ぶっきら棒な口調や、不必要に大きな声や、ためらいや、早口やのために、伝えたいこととは別なことを伝える人のことである。だから、礼儀はフェンシングと同じく、習って身につけることが出来るものだ。気どり屋とは、わけもわからずわどさ大げさに物事を伝える人間である。臆病者とは、気どるまいと心掛けてはいても、行為や言葉を重大に考えるためにどうしたらいいかわからない人間である。その結果、御存知のように、行動や話を中止しようとして、緊張し、固くなる。自分自身に対する異常な努力の結果、声はふるえ、汗をかき、顔を赤らめ、ふだんよりもっと無器用になってしまう。これとは逆に、優雅さとは、言葉の上からも、動作の上からも、他人を不安がらせず、傷つけもしない幸福の一形態である。そして、こういう長所は幸福全体にとって大いに重要である。処世術はこれらの長所を見逃してはならない。(一九一一年三月二一日)」 —『幸福について(下)』アラン著 「体操と音楽とが医師プラトンの二大療法だった。体操とは、筋肉が自分で行なう適度の訓練のことで、その目的はそれぞれの形に応じた内部からの伸縮である。調子の悪い筋肉は、ほこりのつもった海綿に似ている。筋肉を掃除するのも海綿を掃除するのと同じで、水でふくらませ、何度も押してみる。生理学者たちは、心臓は中空の筋肉のことだと何度もいっている。しかし、その筋肉の収縮と弛緩によって交互に圧縮したり膨張したりする血管叢をふくんでいるから、各々の筋肉が一種の海綿状の心臓で、その動き、つまり貴重な源泉は、意志によって調整できるといっても差し支えあるまい。ここからわかることだが、体操によって筋肉を支配し得ない人たち、つまりいわゆる臆病者たちは、自分のなかに血行の乱れを感じる。この乱れた血液が柔らかい部分に運ばれると、理由もなく顔が赤くなったり、圧力の高い血液が脳を侵して、しばしの錯乱状態をひきおこす。さらに、よく知られたことだが、内臓が水びたしになったような不快感をおぼえさせる。こういう症状に対しては、筋肉の規則正しい運動は間違いなく最善の療法である。そしてこの場合に、音楽がダンスの教師という形をとってあらわれるのが見られる。この教師は、安ヴァイオリンで血液の循環を最高に調整する。こうして、周知のように、ダンスは臆病もなおすが、もっと別の方法で、つまり筋肉をゆったりとなめらかにのばすことで、心臓を楽にする。」 —『幸福について(下)』アラン著 「読書についても同じことが言える。バルザックをきわめるには勇気が必要だ。まず退屈するからである。怠惰な読者の態度はとても面白い。パラパラと頁をめくる。何行か読む。本を投げ出す。読書の幸福は、なれた読書家でもびっくりするほど予知しがたいものだ。学問は遠くから見ていては面白いものではない。一歩踏みこむことが必要だ。」 —『幸福について(下)』アラン著 「いつでも、美しい顔が嫌われることはない。この点から推測すれば、完璧なものは決して相互に衝突するものではなく、不完全さや悪徳こそ闘い合うものなのだ。」 —『幸福について(下)』アラン著 「しかし、すべてよい行動はそれ自体美しく、人間の顔も美しくするのである。ところで、いつでも、美しい顔が嫌われることはない。この点から推測すれば、完璧なものは決して相互に衝突するものではなく、不完全さや悪徳こそ闘い合うものなのだ。恐怖がそのいちじるしい例である。だからこそ、暴君や臆病者のお手のものである束縛というやり方は、私にとっては本質的にばかげており、あらゆる愚行の母であるように思われるのだ。束縛をときほどけ、解放せよ、そして恐れるな。自由人は武装から開放されているものだ。(」 —『幸福について(下)』アラン著 「昔の賢人たちは幸福を求めた。隣人の幸福ではなく自分自身の幸福を。今日の賢人たちは、自分自身の幸福は求めるに足る高貴なものでないと口をそろえて説く。中には美徳は幸福を侮蔑するとまで無理をして言うものもあるが、言うだけなら別にむずかしいことでもない。共同の幸福こそ自分自身の幸福の真の源泉だと教えるものもいるが、これこそおそらくもっとも中味のない意見だろう。なぜなら、まわりの人たちに幸福を注ぎこむのは、穴のあいた革袋に注ぎこむのと同じように、これほどむだな作業はないからである。わたしの見たところでは、自分自身にたいくつしている連中を楽しませることなどできはしない。逆に、物欲しそうな顔をしていない人たちにこそ、何かを与えることができるのだ。」 —『幸福について(下)』アラン著 「 今課題になっているこの幸福である法のうちに、悪天候のうまい使い方についての役に立つ忠告も加えておこう。私がこれを書いている今、雨が降っている。無数の小さい溝がざわめいている。空気は洗われて、濾過されたようだ。雲はすばらしいちぎれ綿に似ている。こういう美しさを手に入れることを学ばねばならない。しかし、人によっては、雨が収穫をだめにするという。また泥のためなんでも汚れるという人もいる。また別な人は、草の上に坐るのは大へんいい気持なのにともいう。もちろんだ。みんなもっともなことを言っているのだ。あなたが不平を言ったからとて何の役にも立ちはしない。私は不平の雨にびしょぬれになり、この雨は家の中まで追いかけてくる。さあ、雨降りの時こそ、晴々した顔が見たいものだ。だから天気の悪い時には顔の方を晴天にすることだ。(一九一〇年九月八日)」 —『幸福について(下)』アラン著 「悲観主義は気分に由来し、楽観主義は意志に由来する。あなたまかせの人間はみんなめそめそしているものだ。だがまだ言葉が足りない。彼らはやがて興奮し、いきりたつ。よくみかけることだが、子供の遊びに規律がないとけんかになってしまうようなものだ。この場合、自分で自分をいためつける異常な力以外に原因はない。結局、上機嫌などというものは存在しないので、正確にいうなら、気分というものは悪いのが普通なのであり、すべて幸福とは意志と抑制の産物である。どんな場合でも理くつはどれいである。気分は途方もない体系をくみたてるもので、その拡大されたものが狂人においてみられる。自分が被害者だと思いこんでいる不幸な人間の言葉には、いつでも本当らしさと雄弁らしきものがある。楽観主義の雄弁は心を静める種類のもので、これはただしゃべりまくる憤激にのみ対立する。なだめ手にまわるのだ。効能を示すのは語調であって、言葉は鼻歌ほどの意味ももたない。不機嫌につきもののあの犬のような唸り声は、まずまっさきに改めねばならない。なぜなら、それこそわれわれの内部の病気のある確かな証拠で、それが源となって外部にあらゆる害悪が作り出されるからだ。だからこそ礼儀は政治のよい規則なのだ。礼儀と政治という二つの言葉は親類なのだ。すなわち礼儀正しいものは政治家というわけである。」 —『幸福について(下)』アラン著 「本書は、 Alain : Propos sur le bonheurの全訳です。したがって、直訳すれば、題名は「幸福(についての)語録」ということになります。「幸福論」としたのは、それの方が通りがいいからです。 お読みになれば直ちにお判りの通り、本書は、幸福についての、観念的、また体系的、学術論文ではありません。具体的、または実践的、小エッセーの集合です。現実の身近なところからお話がはじまっていて、決してそこを離れることはない。そして、問題はいつも、人間はどう生きねばならないか、から逸脱することがない。 その点では、日本の新聞雑誌によくのる身の上相談の解答者の人生案内風の文章に似ているといえます。人生の苦労人、達人でなければ扱えない内容です。しかし、身の上相談の場合と違うのは、これには強靭な思考の、いわば電気ドリルの運動がある。そのドリルが頑健な岩の穴をうがってゆく壮快さがある。男らしい作業の緊張感がある。安直な同情の湿っぽさもなければ、道学者めいた説教くささもない。与えられた問題と挌闘し、それを乗りこえようとする。変ないい方ですが、精神の筋肉のたくましさ、これしかない。」 —『幸福について(下)』アラン著 「「われ思う、ゆえにわれあり」という後になって有名になった言葉を、存在論の根底にすえて近代の思想のみちびき手となったのは、いまさら言うまでもなくデカルトですが、そのデカルトの思想に多くの教えを、第二次世界大戦の悲劇の体験を通して、次のような戦後思想に定言化してみせたのは、「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」などの著作で多くの青年に強い影響をあたえたノーベル賞作家アルベール・カミュです。次のような、とはこういう意味です。」 —『幸福について(下)』アラン著
0投稿日: 2025.11.29
powered by ブクログ例え話や文章がわかりにくくて、頭に入ってこないことが多かった。けど途中途中わかるところがあって、そこはなるほど勉強になった。筆者はポジティブ思考の人なんだろうな。前向きに生きたい。
0投稿日: 2025.11.17
powered by ブクログ全く頭に入ってこず、読むのを途中で断念。 自分には早すぎたのか、今は読むべき時期ではなかったのか。病も陰鬱な気持ちも、考え方一つでなんとかなる?いや、そんな単純な本ではないと思うが、自分には無理だった。 トピック 自分の周りの人々や事物のせいにしないで、まずは自分自身に注意を向けるのが賢い道である。
20投稿日: 2025.10.15
powered by ブクログアランの『幸福論』を読んで、まず感じたのは、アラン「メンタルマッチョ」なのではないかということだ。とにかく、気分や感情に振り回されるな、という主張が随所に現れている。 冒頭の謝辞にすべてが語られていると感じた。「気分の善し悪しはすべて、一時的なからだの出来事によるものだが、それを我々は異様に拡大して、そのことに神託のような意味を与えてしまう。そのような気分が最後に行き着くところが不幸である。」これは、深く考えるな、気分に意味を与えるな、ということ。 そして、アランの根本的な考え方は、プロポの69や93などから明らかになる。「もし不撓(ふとう)不屈のオプティミズムを原則中の原則として自らに課さないならば、すぐに最悪の悲観主義が現実のものとなってしまう。人間のおかれている状況とはそういうものなのだ。」人間は放っておくと悲観的になってしまうからこそ、楽観主義を努力して自らに課す必要がある、というのだ。幸福は自然にやってくるものではなく、不断の努力によってようやく手に入るものだという認識がある。 だからこそ、幸福への道のりが遠く感じてしまった。 以下、特に印象に残ったプロポをいくつか挙げる。 ⸻ 5 憂鬱 心の病気も、身体と同じように扱えという指摘。「心の悲しみをお腹の痛みのように考えるのだ」と言われると、気分の落ち込みを深刻に捉えすぎる必要はない。ただし、「休め」といっても、何もしないことではない。体が動くなら動けばいいし、運動して心身を休めるのもいい。「思うように休めばいい」。 それでも、不幸になると、つい心の「痛み」に触れてしまうのが、癖。わかってるけど実践が難しすぎる。 22 宿命 「動き出してから考えろ」「過去を嘆くな」というメッセージ。「「ああ、どうしておれは学んでおかなったのか」。これは怠け者の言い訳である。それなら学ぶがいい。学んだといっても、もう今やめてしまったならば、それは大したことではないと思う」 背筋が伸びる思いがした。「最初の舵の動かし方で一航海のすべてが決まると言ったら、船乗りはきっと笑うだろう」。歌詞みたいだな。 37 夫婦 「外の生活から孤立した愛情だけで成り立つ夫婦には、いつも心配なことがある」という指摘。外とのつながりがなければ、夫婦関係も閉塞的になりやすいのだろう。それは分かる。 ここまでは言ってないし、個人的な間隔だが。少し極端な言い方になるが、子供は、半ば強制的に夫婦を外界とつなぐ存在なのかもしれない。 44 ディオゲネス 行動することの楽しさを説いている。ただし、「自分でコントロールできたら楽しいだろうが、そううまくはいかない」という現実もある。 47 アリストテレス/49 労働 アランが現代に生きていたら、間違いなく仕事人間だろうな。主体的に取り組める仕事は楽しいが、そうした仕事に出会えること自体が難しい。「やらされている」と感じると苦しくなるし、主体性のない勉強や仕事はつまらない。それは当然。 でも、自分でコントロールできる仕事なんて稀じゃない?自分でコントロールできないことのストレスは、現代的な悩みでは。 85 名医プラトン 心の健康の前に、まず体の健康。とにかく運動が大事だという主張には納得する。メンタルを整えるには、まず身体を整えよ。 そりゃそうだ。 87 克服 幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。とにかくやれ、中に入ってみてやってみろ、そしたら楽しいから。 93 誓わねばならない ここでも、アランは「人間は努力しないと自然と不幸になる」と言っている。 chatGPTに通したら… 全体を通して、アランの幸福論は、かなり「鍛える」タイプの哲学だと感じた。気分に流されず、行動し、体を動かし、前向きであれというメッセージは、厳しくも温かい。幸福は、考えるものではなく、実践の中で獲得するものだ。
3投稿日: 2025.04.26
powered by ブクログその時の悩みによって参考になる話は異なると思う。これは何回も読み返せる本だなと感じた。 1テーマ3ページで93テーマある。読みやすくていい。 自分が1番刺さったのは、53 短剣の舞の 「我々が耐えねばならないのは現在だけである。過去も未来もわれわれを押しつぶすことはできない。なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから。」 あまり考えても意味のない無駄な情念は抱かないように生きていきたい。 また思い悩むことがあれば読み返したい。
0投稿日: 2025.04.16
powered by ブクログ2025年3月26日、グラビティの読書の星で紹介してる女性がいた。「みんなでアランの幸福論から好きなプロポ1つ持ち寄ってああでもないこうでもないと文句を言う読書会やりたいなーなんて思った再読体験でござった」
0投稿日: 2025.03.26
powered by ブクログアランは自身を楽観主義者と言うが、それは幸福を待ってるだけとは正反対の、幸福を能動的に見つけ出す天才だったのだと思う。 「雨の日にこそ笑おう」が結構好き。
0投稿日: 2024.12.10
powered by ブクログ幸福であるためには、 ・過去・未来ではなく今に集中して生きること。 ・暇だと余計なことを考える。暇だとネガティブになる。行動し、日々忙しく生きよ。 このあたりが重要なんだと思わされた。
1投稿日: 2024.09.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【ネガティブ感情との付き合い方】 ・恐怖や不安には必ず原因がある。それが分からなければ怯えるしかできないから、まずはその原因を見つけよう。 ・情念(理性では抑えきれない、想像力を掻き立てる感情)に囚われるな。落ち着け。情念を支配するために、まず行動しろ。例えば、運動会前の緊張は走り始めれば抜ける。不安の9割は実現しない。 ・また、行動だけではなく、態度、仕草、表情によっても情念は支配できる。 【仕事】 ・自由に働くことは最も楽しいが、奴隷のように働くことは最も辛い。 自由に働くとは、労働者自身が、知識と経験に基づき、調整し、試行錯誤できる仕事をすることだ。 ・他人の畑を耕すな、自分の畑を耕せ。 【生活】 ・幸福になるためには、「傍観者」をやめろ。聞くだけ、見るだけといった人から貰える幸福はすぐ消える。自分が人生の主役となり、幸福を作り出せ。 【人間関係】 ・自分の敵は自分自身のみだ。 判断を誤ったり、無駄な心配をしたり、絶望したり、気持ちが沈むような言葉をかけるのは、全て自分。 ・人に同情することや哀れむことは絶対にやってはならない。なぜなら、それは互いに情念を強め合うことに他ならないからだ。例えば病状に臥した友には、同情するのではなく、明るい希望を与えたり友情を見せるべきだ。 ・1番大切なことは、「自分自身が幸せでいること」だ。泳げない人は溺れている人を救えないように、幸せでない人は他人を幸せにできない。幸せになることは、誓うべき義務だ。 【処世術】 ・「礼節」と「礼儀」は最強である。 これらは、ゴマをするという意味ではなく、自然と身についた物腰、ゆとり、余裕のことである。 これは、ビジネスにおいては守りだけではなく、攻めの構えにもなる。そして何度も言うが、これらは情念を支配することに繋がる。
3投稿日: 2024.02.22
powered by ブクログどうしても 無人島に1冊しか本を持っていけないなら この本を持っていきます。 高校時代に初めて読んでから 何度も何度も読み直しては読み直すたびに 新しい発見や気付きがあります。
2投稿日: 2023.12.05
powered by ブクログ世界的に知られたアランによるエッセイ。 「幸福」をテーマに、2〜4ページの断章が本書には90ちかく収録されている。 内容は平易で、哲学的な内容ではあるが非常に理解やすい。説教臭くもなく、押し付けがましくもない。 あと、とにかく文章が美しい。 アンドレ・モーロア(19世紀フランスの小説家)をして「これは、私の判断では、世界中でもっとも美しい本の一つである」とのことだが、確かにそう思う。その魅力を減らすことなく伝えている訳も素晴らしい。 アランの言いたいことを自分なりに簡単にまとめてみる。 ・「幸福」とは、自分でつくりだすものだ。ドアを開いて待っているだけでは幸福が訪れることはない。 放任された気分は、すぐに悲しみや苛立ちに変わってしまう。 ・「幸福」を自分の外に求める限り、いつまでもそれには辿り着かない。幸福とはつねに、今の自分の中にあるものだから、それを見出すために努力しなければならない。 ・そもそも人は自分の「感情」をコントロールすることなどできない。みんなそれができると勘違いしているから必要以上に長く悲しみに浸ってしまう。 例えば指先を紙で切ってしまったとき、人はそこにある種の必然性と原因を認めることができるから、痛みを受け入れる。これが悲しみになると、その原因はすべて自分の内側から出てきたものであると思うから、原因について長く考えたり悲しみに抗おうとする。 そうではなくて、今目の前にあることに集中したり、運動したり音楽を聞いたりすることで、悲しみは和らげることができる。 どれも自明で、普遍的なことであると思う。 だけども、我々は往々にしてこれらのことを忘れてしまう。自分の感情は自分で管理できると考えがちだ。 だから本書の内容を肝に銘じておかなければならない。 そして、アランがここまで一般的なことを述べているにも関わらず、薄っぺらくも押し付けがましくもないのは、やはり文章の美しさと心地良いリズムがあるからだと思う。 読了して終わり。ではなくて、定期的に読み返して自分の骨にしたい本だと思った。
4投稿日: 2023.10.21
powered by ブクログ修正なしのプロポらしいので、重複する部分が気にはなるが、より作者が言いたかったことが強調されてて逆にわかりやすいのかな? 自分なりのまとめ(超訳) ・イライラしたらウジウジ考えず、筋肉を動かす ・楽観主義は努力のなせるわざ。意思によるもの。 ・幸福を持っていないと、人に幸福は与えられな い。でも、一人だけで留めていたらその幸福を忘 れてしまう。だれががつっついてあげなければ、心は麻痺してしまう。
1投稿日: 2023.10.07
powered by ブクログタイトルから幸福であるにはかくあるべしみたいなのを勝手に思っていてこれまで敬遠していたが、池田某の紹介で、こんなに簡明に哲学をしているこのひとの哲学は自分のスタイルとよく似ているといっていて、読んでみることに 原題は論というよりかは断章を意味しているようで、アランというひとがひとり哲学するその残滓のようである。しかし、彼もまた「わたし」とはなんだ、「善い」があってしまうという哲学に魅入られた考えるひとで、まるで生きているかのような文体がそこにはある。 生きること死ぬことというのは本当に普遍的なもので、二度の戦争の最中というのをひょっとすると忘れてしまいそうなほど今も変わらない、考えるひとの流れの中にある。 哲学は誰かがこう考えたをたどるものではなく、自分という唯一無二の最大の謎が、生きて死ぬというこれまた最大の不条理を表現していくことだと思う。
0投稿日: 2023.07.29
powered by ブクログ再読。初読時よりも沁みる。人生を「自分のものとする」ヒントに溢れた一冊だなと思う。 他人のせいにしないこと、流されないこと、体を動かすこと、上機嫌でいること、礼儀正しくあること…要旨をかいつまんでしまえばどれも子供にも伝えられるような基本的なメッセージだが、共通して、自らのあり方を自らが規定するという、強く輝く意志と弛まぬ行動力が背骨として一本通っている。それが一番難しいことを、大人は皆知っている。 自分への発破をこめて、以下引用する。 幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばはらない。(略)しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。(略)幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。(略)したがって、自分の幸福を欲しなければならない。自分の幸福をつくり出さねばならない。
3投稿日: 2023.04.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アランの幸福論を2年半ぶりに読んだが良かった。 1.情念・ネガティブ感情との向き合い方 名馬・ブケファロスの話。 荒馬で誰が乗ってもことごとく落馬してしまう マケドニアの英雄、アレクサンドロスは荒馬の手綱を握り太陽の方に向けた。 原因は、自分の影に怯えているだけ 恐怖や不安には必ず理由があり、それを認識する必要がある。 情念に囚われると良くない。 情念とは理性では抑えられない感情のこと。 なので、考えても無駄。行動することで解消すべし。 2.仕事 言われたことをやるだけの仕事に従事してたらストレスフル。 いかに能動的に仕事をするか。 それは起業するとかだけではなく、自分の与えられている仕事の中で工夫をしたり、自らの裁量の中で変化を加えて数字を追うとかそういうユーモア、楽しむこと。 3.幸福になる時間の過ごし方 傍観者ではダメ。音楽を聴くとかそういう受け取り手だけでは一瞬でその幸福は消える。 自らが主体的に何かをすることでしか継続的な幸福は得られない。 4.自分の敵について 自分の周りの人間関係でストレスを感じたり、ネガティブな感情が出てきたりするのは、全て自分の中で自分で勝手に行なっていることで、全ての敵は自分自身ただ1人。 5.処世術 礼節・礼儀が最強。 礼節によって自らの情念を処理する。
4投稿日: 2023.03.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
著者アランによる93の哲学断章を収めた本。 その中から印象に残った文章を抜粋。 ・微笑みたまえ → 気分に逆らうような判断力てはどうにもならない。姿勢を変えて運動を与えることが必要である。ほほ笑むこと、肩をすくめること、運動をすることで不安や焦燥から遠ざけることができる。 ・苦痛がありのままに想像されることなどあり得ない ・お辞儀やほほ笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き=激怒、不信、憂鬱を不可能にする利点かある。だから社交生活や訪問や儀式、お祝いがいつも好まれる。それは幸福を演じるチャンスであり、この種の喜劇はわれわれを悲劇から解放する。 ・我々が耐えねばならないのは「現在」だけである。過去も未来も我々を押しつぶすことはできない。なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから。 ・過去を見つめることから生まれる悲しみは何の役にも立たない。無益な反省を求め無益な探求を強いるから有害である。 ・後悔することは過ちを繰り返すこと ・人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵は常に自分自身である。 ・幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。 ・幸福になるための第一の規則は、現在も過去のものも含めて他人に自分の不幸、不平不満を絶対に言わないこと。 ・幸福とはすべて、意思と自己克服とによるものである。 ・微笑みたまえ → 気分に逆らうような判断力ではどうにもならない。姿勢を変えて運動を与えることが必要である。ほほ笑むこと、肩をすくめること、運動をすることで不安や焦燥から遠ざけることができる。 ・苦痛がありのままに想像されることなどあり得ない ・お辞儀やほほ笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き=激怒、不信、憂鬱を不可能にする利点かある。だから社交生活や訪問や儀式、お祝いがいつも好まれる。それは幸福を演じるチャンスであり、この種の喜劇はわれわれを悲劇から解放する。 ・我々が耐えねばならないのは「現在」だけである。過去も未来も我々を押しつぶすことはできない。なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから。 ・過去を見つめることから生まれる悲しみは何の役にも立たない。無益な反省を求め無益な探求を強いるために有害である。 ・後悔することは過ちを繰り返すこと ・人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵は常に自分自身である。 ・幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。 ・幸福になるための第一の規則は、現在も過去のものも含めて他人に自分の不幸、不平不満を絶対に言わないこと。 ・幸福とはすべて、意思と自己克服とによるものである。
2投稿日: 2023.01.07
powered by ブクログ全体的に、「考えるな…動け…」って感じなのかな。うじうじし出したらウォーキングなどしてみようと思いました。そのためにはまず、今、自分うじうじしてるぞ!と認識できることが大事ですね。
0投稿日: 2022.10.15
powered by ブクログ幸福を帰納的に考えるような作品だった。 様々な方面から幸福について考えていたので具体的な感想をアウトプットするのは難しいが、 要するに、幸福論になる為にまず情念を排し、理性的に幸福になる為に行動することで人は己の幸福に出会うことができる。言い換えれば、何も考えずにただ本能的に生きるのであれば情念が精神を支配し、やがて崩壊へと進む。 プロポとして短編で読める為、何度も読み返し力強く背中を押してくれるようなアランの考えを心からまた感じようと思う。
0投稿日: 2022.07.12
powered by ブクログ「楽観主義は意志である」という言葉を記したアランによる本。幸せは自らの意志でつかみ取ることを示唆した内容が多いと感じました。
0投稿日: 2022.07.05
powered by ブクログ幸福は求めるものではなく、なると決めてなるもの 93の幸福に関する哲学的な考察(プロポ)が並んでいて、気分が落ち込んだ時や何かアイディアないかなぁという時に手に取りたい。また読む時の感情によって見えてくるものも違うんだろう。
1投稿日: 2022.05.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幸福とは何か、93のプロボの収められた本。 自分の心を守るために必要な考え方だと思った。 似た内容のプロボも多いが、どれもしみじみ味わい、親しみの持てる内容。優しさの伝わる文章で、また読み直したいと思える本。 【印象に残った箇所】 22.宿命 どんな運命もそれを良いものにしようと欲するならば、良い運命となるのだ。自身の性質についてとやかく言うことほど自分の弱さをあかししているものは何もない。 →大した努力もせず、自分の境遇のせいにして、手に入らないことに理由付けてる場合じゃないね。 47.アリストテレス 自分でやること、人にやってもらうのではない。そこにはよろこびの一番深い意味がある。 →音楽・芸術はただ鑑賞するのと実際にやってみるのではかなり違う。誰かにやってもらうのではなく、自ら実践することでたくさん得られる。経験は他者から剥奪し難いもの。実体験を積みたい。 53.短剣の舞 過去と未来が存在するのは、ただわれわれがそれらを考える時だけである。過去も未来も人間の臆見であって、事実ではない。 →過去について過度に後悔したり、将来を過度に心配しても無意味。それよりも今を大切に生きようと思った。 57.絶望について 強靭な精神をもつ人間は、自分が今どこにいるのか、何が起きてしまったのか、まさに何が取り返しのつかないことなのかを自分で考えて、そこから未来に向かって出発するような人だと、ぼくは考える。 →まさに。冷静に自分の状況を確認することがまず大切なのだと思った。 93.誓わねばならない 悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。 →本書のまとめ的プロボ。自分で幸福な状態を作ることが大切。
0投稿日: 2022.02.13
powered by ブクログ地方暮らしは楽しいこともいろいろあるとはいえ、コロナ禍もあいまって、大型書店になかなかいけなくなってしまったのは、最近の悩みのひとつ。 そんな中で、久しぶりにちょっと大きめの書店に行くチャンスがあると、いや〜もう、テンションが爆上がり。 買いすぎないように気をつけるけど……まあ、買っちゃいますよね。 だって次、いつ来られるかわからないもんね。 というわけで(?)ちょうど文庫フェアが開催されていたこともあって、いそいそと手にとってレジに向かったのが、この『アラン幸福論』。 前から読みたかったんです。 書名に「アラン」とだけあって、苗字も書かれてなくて、誰だろう?と思ったけれど、本名はエミール・シャルティエと言って、19世紀半ばから20世紀半ばまでを生きたフランスの哲学者、だそうです。 本書は、彼が新聞に連載した膨大な短文(プロポ、というらしい)の中から、幸福に関するもの93編を選び、構成しなおしたもの。 1編が1400字弱くらいなのですが、これを毎日連載して総計5000にものぼったって……エネルギーがすごすぎる! さてこの本、アランは哲学の高校教師でもあったからか、すごく親しみやすくて楽しく読めました。 ここのところ、哲学や思想の古典を読みたいと思ってこつこつ挑戦しているけれど、だいたい、先の見えない山の頂上を目指して、一歩一歩進んでいく、というような読み心地なのですが、アランはもっとこちらに寄り添ってくれる感じ。 「腎臓結石を病んでいて、かなりふさぎこんでいる友人」とか、「樵(きこり)を生業としていた手相を読むことができた砲兵」とか、登場するエピソードも身近です。 久しぶりにほっとするなあ、と思いながら読みすすめるなかで、心に響いたのが、次の一文。 「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである。」 たとえば、今日の夕食の献立が決まらない、といったすごい些細なことでもクヨクヨ考えがちな自分としては、読んですごく気持ちが楽になったし、同時にしばらく前に読んだ『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を思い出しました。 ありがとうアラン、ほんとうのことを書いてくれて。 「幸せになりたい」と思うほど、「幸せとはなんだろう?」「幸せになるために必要なことって?」という問いに立ち返るけれど、最近はそのグルグル回りがなんだか楽しいなあ、と感じています。 唯一、従軍に肯定的な点は賛成できなかったけれど、温かくて力強い一冊でした。
15投稿日: 2021.10.16
powered by ブクログ93の3ページ程の短い文章(プロポ)で構成されている幸福論。一つ一つのプロポは平易で読みやすい。同じような内容の主張が表現を変えて繰り返し語られるため、深く理解できる。 人は放っておくと悲観的になってしまうため、意識的に楽観主義になる努力をしなければならないというのが印象に残った。
0投稿日: 2021.09.25
powered by ブクログ100年以上前に書かれたのに、現代にも充分通じる内容。 しかしながら岩波文庫の字の小ささはなんとかならないのかな。再販時に文字の改良を強く希望する。
0投稿日: 2021.08.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幸福になるのは難しいことで、自分から求めて動かないと幸福をつかむことはできないというのは、そうかもと思った。待っているだけだと何も得られずに悲観的になってしまうから、意思の力で楽観的に動くことが大切だと書いてあり、意識していきたいと思った。散文というかたちで、最初は理解が難しかったが、読み進めていくとアランの考えが徐々にわかってきて、共感することができた。何度も少しずつ読んで、自分の友達のような本にしたい。
0投稿日: 2021.08.16
powered by ブクログ幸福論とは、どのようなものか気になり読んでみた。書き口としては、3〜4ページで1話の短編のポエムのようになっていて、読みやすさはあった。それもそのはずで、新聞に連載された「プロポ」と呼ばれる哲学断章をまとめたものであるからだ。 ビジネス書のように、幸せとは〇〇だと書かれるのではなく、ストーリーを通して哲学文学のように語られていた。幸福以外にも、仕事や人間関係についてのプロポがあり、93話あるため自分の琴線に触れるプロポにも出会えると思うので、ゆっくり味わうのがおすすめ。
0投稿日: 2021.06.05
powered by ブクログ哲学者アランの幸福論。「プロポ」と呼ばれる93編のコラムのような形式。何度も読むことで味わいの出る文体である。一貫して、現実的であり楽観主義な思想が、勇気を与えてくれる。私も一メートル先に、幸せを見いだしてみようと思う。【印象的な言葉】①有名な山の頂上まで電車で行った人は、登山家と同じ太陽をおがむことはできない。②ぼくの好きな旅というのは、一度に一メートルか二メートルしか行かないような旅である。③君が現に生きているのだから、今生きているように生きて行くことは可能なのだ。
12投稿日: 2021.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人は暇があると憂鬱、悲観に走る。 不安はただの情念で、腹痛と変わらず、大した事ない。 気分に任せて生きると悲しみに囚われる。 不幸は毒であり、害でしかない。 幸福とは意志と自己克服によるもの。 幸福になることは他人に対する義務である。 よって、不幸に浸からず幸福を求めなければならない。 恐らく、このようなことが書いてある。 他にも名言が並んでいて、感心したり、思わず吹き出したり飽きない本であった。 但し、感覚では掴めたけど、頭が追いついつかず、ふわふわしたまま読み進めて行ってしまった感が否めない。 カミュの異邦人の時と同様の症状。まだ理解しきれていない。満足感だけがぼんやりと残る。 通読するのは楽しかったが、ふと開けたページの章を1日1章読むという楽しみ方も面白そう。 他の翻訳家ver.も挑戦したい。 何度も読み返して落とし込みたくなる名著だった。
2投稿日: 2021.04.19
powered by ブクログ世界3大幸福論と言われるもののひとつ。 フランス人哲学者であるアランが著したもので、詩的な感じがする本。 元々、新聞に「プロポ」という形で連載していたものなので、哲学書というよりはエッセイの赴きが強い感じ。 内容は良いのだが、訳の限界なのかもしれないが、なんとも読みづらくわかりにくいところがあったので☆4つ。 短編エッセイの塊なので、要約は出来ない。 いいなと思ったこと ・情念を持たない人間などいない。ただ賢人はその魂の中で、幸福な思惟が膨大な拡がりを持っているので、情念はみな全く隅に追いやられていく。 ・悲しみなんて病気に過ぎないのだから、病気を我慢したらいいのだ。 ・最初の舵の動かし方ひとつで一航海のすべてが決まると言ったら、船乗りはきっと笑うだろう。 ・自分の外に弁解の口実を求める人たちは、けっして満足しない。 ・仕事の途方もなさと人間の弱さを考えたなら、人は何もできない。まず行動し、自分のやる事だけを考えるべきだ。 ・本当の礼儀正しさとは、何を成すべきか感覚的に知ることだ。敬意を払う事、慎み深い態度、正しい行為などはまさに自分のなすべきものだと知る ・富の不平等な分配には、何にもまして、たらふく食っている人間には退屈を与えるという不平等がある。そういう人は自分で不安や怒りを作り出して夢中になる。 ・人は行動のない楽しみを選ぶよりは、自分で行動できる労苦を選ぶ。自分で選んだ、自分で欲した労苦なら良きものとできる。耐えるだけなら好きな人間などいない。 ・人からもらう幸福は逃げていく。自分で作る幸福は決して騙されない。なぜならそれは学ぶことだからだ。「楽しみは能力のしるしである」 ・風景の持つ本当の豊かさは、その細部のなかにある。 ・出来事というのは、我々の期待通りには絶対行かないものだ。すべての事が変わり、すべてのものが過ぎ去る。 ・しあわせになる秘訣は自分の気分に無関心になることだ。「この怒りだって、おさまりたければおさまるさ」 ・幸福ははるかなところにある限り、将来にある限り、素晴らしいものに見えるが、幸福を掴んだとき、それはなんらいいものではない。 とはいえ、実はこれはちょっとちがう。 ほんとうの幸福はパッと見、欲しいものに見えないからだ。最初の様々な困難を乗り越えたものでなければ楽しむことはできない、
4投稿日: 2021.01.24
powered by ブクログ幸福っていうのは結局考え方次第だ、ということをこの本の中で繰り返し言っている。難しくて深掘りして読む時間がなかった…。
0投稿日: 2020.11.03
powered by ブクログ詩的な言葉のなかで人生のリアルな本質が浮かび上がってくる。 人生で感じること感情の本質を的確に、でも美しい言葉で射抜いていて、自分を苦しめるものの正体を見破ったような気持ちになりました。 苛立ちや不安ではなく、喜びや楽しみを周りの人に伝染させていくような人になりたいですね。 また、苦労を求めて行動すること、楽観的であること、幸せになるための勇気やヒントを、93の短編が伝えてくれます。 幸せになりたい方、幸せってなんだろうと思う方、ぜひアランが示す希望に触れてみて欲しいと思います。
1投稿日: 2020.06.02
powered by ブクログ幸福は待つものではなく、自分の意志と行動で掴んでいくもの。 意志や自制、楽観を心がけていく先に私たちの幸せがある。お金や恋人、仕事などで幸せを考えてきたけど、きっとそうじゃないだろうな。
0投稿日: 2020.05.27
powered by ブクログ常にご機嫌でいることが大事 アランさんの考え方がよくわかった 幸せとは捉え方でそれ以上でもそれ以下でもないのね
0投稿日: 2020.04.04
powered by ブクログ文が詩的で非常に美しい。 93の話に分かれているので、1日1つ拾っていくだけでもアランの精神を自分自身に刻み込むことができる。 何か上手くいかないことがある時に立ち返れる一つの場所になるかな〜。 ----------------------- 想像による仮想敵をつくってはならない。 運動を伝える筋肉だけが自由になる唯一の部分だから微笑め。 物事には二面性があるのだから、良い方を捉えればよい。(雨の日も楽しめ) どんな道もいい道で、どんな運命も良いものにしようと欲すればよい運命となる。(サボった過去も人生の多様性であるという考え方と類字) 運命とは移り気でどんな小さなことをすることで無限の結果が生まれる。 求めようとしなければ与えられない。幸福や富も全て。 現在には力と若さがある、どんな時も。(好きな言葉) 知らない人からは何も期待してないから、わずかなことをしてもらっても、すっかり満足する。(めちゃ共感) 安定きた生活にこそ知恵が必要。 他人から与えられた運命より自分で作る運命が幸福。 万人に与えられたお金のかからないものに美が宿ってることが多々ある。車窓を見ろ。 自分とその気分を切り離して考えることが幸せになる秘訣の一つ 1番の敵は自分自身 彼が本当に彼であって欲しいと思うこと、これこそ真実な愛である。 自分を愛する人のためにできる最善のことは、自分が幸せになること。
1投稿日: 2020.02.28
powered by ブクログ[出典] 2019年の<びっくら本>28冊 #mybooks2019 R-style https://rashita.net/blog/?p=29816 [備考] 幸福論ですが、心身論でもあります。私たちの心のクセについて語る本でもあります。メンタル的にかなりへばっていたとき、ずいぶん暖かい風をいただきました。
0投稿日: 2020.01.08
powered by ブクログ三大幸福論の最後にアラン幸福論を読む。 これは目次がない。前書きも短い。だからいきなり入っていけるし、どこから読んでもいい。読み方の自由を感じられる。 さらに、一つひとつの随筆が3~5ページ程度と短いため、時間のない時にも読み切りやすい。
1投稿日: 2019.11.06
powered by ブクログ・いったいだれが、行く道を選んでから出発したか。だれも選んでいない。みんな歩き出している。どんな道もいい道なのだ。思うに、処世術とはなににもましてまず、自分とけんかをしないことである。自分が下した決心や今自分のやっている仕事において、自分とけんかをするのではなく、自分の決心や職業をりっぱにやってのけることだ ・死に対する恐怖は暇人の考えることである。さし迫った行動があれば、その行動がどんなに危険なものであってもすぐに消されてしまう考えである。戦闘はおそらく、死を考えることがもっとも少なくなる状況の一つである。そこから次のような逆説が生まれる。すなわち、人はその生が豊かになればなるほど、それを失うことを恐れなくなっていく ・困難なものがわれわれは好きなのだ。だから、行く道に何か障害があるたびごとに、血が湧き、炎が燃えあがる ・ほら、雨がちょっとふってきた。君はまだ通りにいるので、傘を広げる。それでいい、それだけのことなのだ。「また雨か、なんということだ、ちくしょう!」と言ったところで何の役にも立つまい ・エピクトテスは船の乗客に言っている。「この嵐に対する君のこわがりようと言ったら、まるでこの大海を全部呑みほさなければならないかのようだ。だがね、君、君が溺死するためにはほんの二リットルもの水があれば十分なのだ」。このすさまじい荒波など現実の危険を表すものではないことを、彼はよく知っていたのだ ・汽車に乗ると、いつもこう言う人の声が聞こえる。「何時にならないと着かないんだ。この列車の旅の長い退屈なことといったらないよ」と。―――ところで、このようなすばらしいものがすべて、汽車に乗ったとたんに、ただで手に入るのである。そうだ、ただなのだ。なぜなら、君は運賃を払うけれども、谷や山や川を見るのには払わないから。人生にはこうした生き生きとした、しかも一銭もかからない楽しみがいっぱいある。でも、人はそれを十分には楽しんでいない ・気むずかしいこの存在のありようをを自分自身のうちに顧みて、あらかじめすべてのことを最悪に考えておく。話している相手は胃が悪いかもしれない、頭痛がするのかもしれない、お金のことや家族の不和で悩んでいるのかもしれないと想像する ・憂鬱なパッシオンを味わっていられるのは、自分自身が苦痛のただ中にいないからだ。ほんとうの苦痛が訪れたら、その時自分のなすべきことはただ一つしかない。人間らしく振舞い、強く生きること。おのが意志と生命とを一つにして、不幸と敢然とたたかうことだ ・デカルトは、決断拒否はあやまちの中で最大のものであると言っている ・無作法な行為は思いがけなく飛んでくる流れ弾丸である。礼儀作法をわきまえた人間はそれを避ける。自分の突こうと思うところにしか突きを入れない ・礼儀作法をわきまえるというのは、すべての身ぶりを通して、すべての言葉をつくして、「いらいらしないように。われわれに与えられた人生のこの瞬間を台なしにしないように」と示すこと、言うことである ・自分について不平不満を言うことは、他人を悲しませるだけだ、つまり結局のところ、他人に不快な思いをさせるだけだ ・自分の幸福を欲しなければならない。自分の幸福をつくり出さねばならない。幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ。人から愛されるのは幸福な人間だけである ・悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す
0投稿日: 2018.11.04
powered by ブクログ"新聞の日曜語録に掲載されたプロポ(哲学断章)のうち、幸福にかんするものを93集めたのが本書。 これから先、なんどか読み返したい本の一つになった。 一つ一つは、ちょっと読むのにちょうどいい長さ。 この本で印象に残ったものをメモしておく。 気分 喜びの達人スピノザが言ったように「からだが暖まったから喜ぶのではなく、私が喜んでいるからからだが暖まるのだ」。したがって、同じような考えかたで「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」と考えねばならない。 この部分。 自らの意志で変えることができるもの、それが気分だ。しかし気分は、周りから得る様々な刺激により大きく影響を受ける。 雨が降っていると、気分が塞いだり、誰かの一言で喜んだり悲しんだりしてしまう。でも、どう受け取るかは自分次第であり、どんな気分で過ごすかは自分次第だということに気づかされる。 究極のオプティミストは、常に幸せを感じる気分で過ごしているのだろう。 幸せを感じるためのコツは、幸せをストックさせておくことだといっている。 気分が沈んだときに読み返したら、気分が変わるかもしれない本だ。"
0投稿日: 2018.10.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
エッセイ。 1900年代のものだが、いまの感覚に通じていて面白い。読んでいて共感できる。 そもそもアランは、「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトの300年後の直系の弟子。 そんなアランを言葉で表すなら、行動の人。「行動家として思索し、思索家のように行動せよ」。幸せになりたければ、手をたたこうと、アランなら歌う。 幸せな態度をとれば、周囲もそれに影響され、幸せが広がる。 今の自己啓発書の源流なのかな。 エッセイとしてもハウツー本として軽い気持ちで読み進めれば、幸せになるために思い、行動しようとしたアランの誠実さにふれることができる。
0投稿日: 2017.10.14
powered by ブクログ人は幸福になるために生きているんだ。でも幸福って何だろう?と思ったので買いました。表紙が岩波書店特有のシンプルな作りで難しいことが書かれていて、とっつきにくそう・・・と思っていましたが全然そんなことはありませんでした。 この本は幸福に関する93の短文で構成されています。その一つ一つが、星新一のショートショートなみに短いので隙間時間で読むことが出来ます。現在5つ読みましたが、そのどれもがハッとさせられる、スコーンと入ってくる、コーンと鹿威が響くような感じです。読んだ後に幸福になれること請け合いです。 幸福とは何なのかはまだわかりません。この本を読むことでわかるかもしれないし、わからないかもしれません。ただ、この本は読む価値があるのは確かなので継続して読んでいこうと思います。
0投稿日: 2017.03.18
powered by ブクログ解説のとおり、これは幸福「論」ではないのだが、 ふっと気になったとき、気軽に開ける本であると思う。 もっと難しい本だと思っていたが、短いエッセイみたいなものの集まりだった。 前から読んでいくと、じゃあ幸福ってどうすればなれるんだ!と思ってしまう人もいると思う(私だけ?)から そういう人は先にとんでp307の「幸福になる方法」あたりからいいと思う。
0投稿日: 2017.01.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
○引用 「怠惰なものは「いつかやるだろう」と言うのだ。ほんとうは「今やっているところだ」と言うべきだろう。」 「あるかなりむずかしいことに、自分の全関心、全注意をそそぎ込んでいる人は、まったくしあわせである。」 「幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。」 「われわれは他人の幸福を考えねばならない。その通りだ。しかし、われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである。このことに人はまだあまり気づいていない。」
0投稿日: 2016.10.29
powered by ブクログ詩のようにすらすらと読めたが、原語で読んだらよりそうだったのだろうなと思う。いっぱい折り込みを付けてしまったけど、22宿命、27欲する事、63雨の中で、78決断拒否、80新年おめでとう、81お祝いのことば、87克服、92幸福にならねばならない、93誓わねばならない、このあたりは心に残ったものとしてメモしたい。
0投稿日: 2016.08.05
powered by ブクログ一言で言うと『オプティミスムのすすめ』と言ったところ。幸福とは待っているものでは、内面の考え方、物事の前向きな解釈の賜物であり決して与えられるものではないと。 全93の断章で構成され、読み易い。 「われわれが耐えねばならないのは現在だけである。過去も未来もわれわれを押しつぶすことはできない。なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから」p178 短剣の舞 「この嵐に対する君のこわがりよう言ったら、まるでこの大海を全部呑ほさなければならないかのようだ。だがね、君、君が溺死するためにはほんの二リットルもの水があれば十分なのだ」p218 エピクテトス 「幸福になろうと欲しなければ絶対幸福にはなれない。これは、何にもまして明白なことだと、僕は思う。したがって、自分の幸福を欲しなければならない。」p312 幸福にならなくてはならない
0投稿日: 2016.07.31
powered by ブクログ体育会系なポジティブ論であると感じた。 どん底で絶望している時にこの本を読んだら破り捨てたくなることだろう。 気持ちが軽く明るい時にこそ、ぱらぱらめくって楽しみたいと思う。
0投稿日: 2016.05.30
powered by ブクログ三大幸福論のひとつ。 とはいえ、幸福について論じているというよりは、幸福についてのエッセイみたいなものなのかな、という印象です。 原題の意味は「幸福についてのプロポ」だとか。 プロポというのは、一枚2ページに書かれた断章で、アランの作り出した文学形式。書きたい日も書きたくない日もアランは毎日プロポを書いた。二時間で一気に書いた。 毎日2ページずつ幸福について書いてみたものだから、やはり日常に影響を受けているのでしょう。 しかし、読んでいるうちに、その奥にあるアランの考え方がにじみ出てきます。 一回読んだだけでは十分でなく、人生の中で何度も読みなおしたほうが幸福に近づけると思います。そんな本です。
1投稿日: 2016.03.01
powered by ブクログカテゴリ:図書館企画展示 2015年度第5回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第3弾! 本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。 伊豆藏好美教授(哲学科)からのおすすめ図書を展示しています。 展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。 開催期間:2016年1月6日(水) ~ 2016年3月4日(金) 開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース 数ある哲学の古典の中から、とくに哲学や思想史についての予備知識がなくても読める本として上記三冊をお奨めします。「おもしろい」とか「わかりやすい」とはあえて言いません。私自身、これらの本を高校から大学にかけての時期に初めて読んだときは、「わかった」とも「おもしろかった」とも思えませんでした。それでも「わかりたい」とは思い、「いつかもう一度読みたい」とも思いました。そして、これまで折にふれて読み返しては、その都度新たな驚きや感動を与えてもらっています。結局はそのような書物こそが「古典」と呼ばれるのでしょう。多少なりとも自由な時間のある大学生時代こそ、そうした書物との最初の出会いのまたとない機会です。どうかその機会を逃されませんように。
0投稿日: 2016.01.08
powered by ブクログ人生の岐路に立たされた時、手に取った一冊。いつも私を励まして導いてくれるこの言葉と、読むきっかけをくれた人に感謝。 「雨の日こそ、いい顔で。」
0投稿日: 2015.10.12
powered by ブクログ最近、なんだか色々考えすぎてしまうので、久々に人生論的な本を読んでみた。読者に上から強制するような感覚の本ではないので読みやすかった。当たり前のことが書かれているかもしれないけど、読んでいてリラックスして色々なことが再確認出来たような気がする。
0投稿日: 2015.08.02
powered by ブクログ(2015.05.04読了)(2014.04.24借入) Eテレの100分de名著でアランの『幸福論』が取り上げられたときのテキストを読んでみたら、読みやすそうだったので、アランの「幸福論」そのものを読んでみることにしました。 93編の哲学断章と呼ばれるものが収録されていて、1篇が2頁から4頁ぐらいなので、読み進めやすいのですが、必ずしも意味がとりやすいというものではありませんでした。 全体的な印象としては、あれこれと考えるよりは、身体を動かしなさいといっているようでした。 ●老い(37頁) ある人が老いて子どもみたいになったり、ある友人がアルコール中毒になって友人の抜け殻のようになるのをみるのはつらいものである。なぜつらいかというと、彼らが今のままでも生きていてほしい気持ちと同時に、もうそれには戻れないのだが、昔の彼らであってほしいと思うからだ。 ●寒さ(74頁) 寒さに抵抗する方法はただ一つしかない。寒さをいいものだと考えることだ。よろこびの達人スピノザが言ったように、「からだが暖まったからよろこぶのではなく、わたしがよろこんでいるからからだが暖まるのだ」。 ●運命(80頁) どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となるのだ。 ●運勢(89頁) 運勢を知るために占い師に手相を見てもらった人を知っている。彼の話だと、いたずらにしてみただけで、信じなどしていないと言うが、もしぼくが相談を受けたなら、やめさせただろう。なぜなら、それは危険な遊びであるから。まだなんにも聞いていない時なら、信じないのはいとも簡単である。その時は信じることはなんにもないのだから。 ●期待(113頁) 知らない人からは何も期待していないから、わずかなことをしてもらっても、すっかり満足してしまう。外国人が愛想がいいのはよく知っている。外国人にはさしさわりのない挨拶しかできないからだ。 ●仕事(149頁) 仕事というのはすべて、自分が支配者であるかぎりはおもしろいが、支配されるようになると、おもしろくない。 ●奴隷(151頁) 奴隷である退屈さは、主人である退屈さほどつらいものではないように思う。なぜなら、行動はどんな単調きわまりないものであれ、まだ若干支配すべきものが、つくりだすべきものが必ずあるから。 ●行動(155頁) 人間は快楽よりも行動を愛する。その行動とは、他のどんな行動にもまして規律のある規則正しい行動、そして何にもまして正義のための行動のことである。 ●風景(175頁) 風景のもつほんとうの豊かさは、その細部のなかにある。見るというのは、これら細部をゆっくり見てまわり、ひとつひとつの前でしばらく立ちどまり、そしてあらためて、もう一度全体を一目でとらえることである。 ●死者(205頁) 死者たちは生きようと欲しているのだ。君のなかで生きようと欲しているのだ。君の生を通して、自分の欲したものがゆたかに展開されることを望んでいるのである。 ●敵(225頁) 人間には自分自身以外には敵はほとんどいないものである。最大の敵は常に自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、絶望したり、意気阻喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。 ☆関連図書(既読) 「アラン『幸福論』」合田正人著、NHK出版、2011.11.01 「幸福論」寺山修司著、角川文庫、1973.01.30 「不幸論」中島義道著、PHP新書、2002.10.29 (2015年5月7日・記) (「BOOK」データベースより)amazon ルーアンの新聞に「日曜語録」として連載されたのを皮切りに、総計5000に上るアランの「プロポ」(哲学断章)。「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとするこの独特の文章は「フランス散文の傑作」と評される。幸福に関する93のプロポを収めた本書は、日本でも早くから親しまれてきたもの。
0投稿日: 2015.05.07
powered by ブクログ自分が幸福な気持ちになるための手引き。いつも考えてることはこの本を読むと不幸の第一歩でした。あんまり考え過ぎちゃだめですね。退屈にならないように常に行動を起こさねばいけないと感じました。
0投稿日: 2014.09.27
powered by ブクログフランスの哲学者アランによる、幸福に関する詩的な哲学断章をまとめた書。アランはこの『幸福論』の中で、繰り返し①自らが幸福になること、②情念を意志(行動)によってコントロールすること、③怒りや悲しみ、喜びは他者に伝染すること等を述べている。 「人間の世界が想像力によって牛耳られているのは、想像力はわれわれの習慣から自由になれないからだ。だから、想像力は創り出すものではないと言わねばならない。創り出すのは行動である。」「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」という言葉の通り、アランは楽観主義者であり、行動こそが幸福になるための近道であると言っていますが、私は至極その通りだなと思いました。 皆さんも気分が落ち込んだ時、ランニングや球技等のスポーツをすることでスッキリした経験があるかと思います。不安や退屈を抑制するために思考すると、更なる不安が押し寄せて来て、また思考するという悪循環にはまることで人はうつ病になったり不眠症になってしまうのかも知れません。 そうならないために我々は幸福になるために行動する必要があります。その努力の結果、幸福はそれに追いついて、自らが幸福であることが表情やしぐさにあらわれて周囲をも幸せにするのでしょう。貰い物の幸福を他者から受け取るのを待つのではなく、自らがそれを目指すことが重要であることを散文調で楽しく認識させてくれた貴重な書でした。
0投稿日: 2014.09.08
powered by ブクログ1920年代、仏蘭西の上流階級って相当ヒマだったんじゃないか、とか、70年代、日本の一億総中流ってあるイミGHP向上施策になり得たんじゃないか、とか、勝手なことを思い散らかす。 「心はいくつもの解釈があるが心臓はひとつしかない」 「足もとにだけ注意して、思いきって行動を開始したまえ」 「あらゆる幸福は、意志と自制とでできている」 「笑うから幸福なのだ。幸福だから笑うのではない」
0投稿日: 2014.01.03
powered by ブクログタイトル通りの内容ではない、アランは別に幸福を論じてない。彼が地元紙に「プロポ」というタイトルで寄稿した5000編のコラムの中から「幸福」に関するものを抜粋したものらしい。原題は Propos sur le bonheur.「幸福についてのプロポ」だそうな。哲学者が徒然なるままに書いたコラムで、1つ1つのプロポには、幸福であるためのエッセンスが含まれている。 1つ読めば少し幸福になる。詩的な表現も多く使われてるので、こちらが心を寄せて読まないと内容を履き違えそうになる、というか私はたぶん随所を履き違えながら読んだ。 当たり前の事だけど、大昔から、ものごとの本質を捉える事ができる人は数多く存在していた。感性が鋭く、情緒豊かで思慮深く、日々の体験を糧にできる人がそういった能力を特化させるのだと思う。そしてその中でより詩的な表現力に長けている人が、建築家や数学者などから哲学者という専門職を派生させるに至ったのかしら、と思った。
0投稿日: 2013.11.03未来の公民教科書?
散文で簡潔。知覚理解を言語化して補完してくれる。とりわけ心の言葉がつっかえる人におすすめ。 社会システムはどうあるべきかを考えるとき、その目的を明らかにしてくれる。ホッブズやルソー、マルクスなどの方法論より土台の層を得ることができ、てっぺんへの方向づけも得られる。 そうそうと読む人には価値あるが、へーと読む人には退屈させてしまう。 抜粋 「本当の原因も尋ねないで入場料を払ったのだから楽しませてもらおうという見物人のような気持ちで人を見てはならない」
1投稿日: 2013.10.31
powered by ブクログ【「幸せとは何か」を綴った一冊】 「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」 こんな言葉を目にして、この本を購入した。 内容は何とも分かりにくい喩え話が中心で、少なくとも現代社会では想像もできないようなことが書かれている。喩え話の裏にある本質的なメッセージを捉えようとすれば、少なくとも2回は読む必要があると思うが、私は断念した。 ただ、その中でも「なるほど!」と思った一文があるので、引用しておく。 「自分が好きでやっているこういう仕事は楽しみであり、もっと正確に言えば、幸福である。ボクサーは逃げにまわって受けるパンチは嫌だが、積極的に出て受けるパンチは好きだ。戦いが自分の意志で行われてるならば、困難な勝利ほど楽しいものはない。・・・人は、棚からぼたもちのように落ちてきた幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ。」
1投稿日: 2013.07.16
powered by ブクログ幸福の感じ方というよりは、不幸を感じない為の心得、所作なんかが気軽に散文で書いてあった。一回読んで終わりという訳ではなく、折に触れて見返し、日々の生活態度を見直すに役立つ名著だと思う。 でも、逆説的だけどこの本が成り立つのは、読者の多くが不幸に苛まれているからであって、幸せな毎日を過ごせるならば必要はなくなるとも思う。僕がARIAやカレイドスターやセーラームーンに触れる前に読んでいればまた違った感想だったろうけども。
0投稿日: 2013.05.26
powered by ブクログ前向きに生きろ。ご機嫌に振舞え。とにかくまず行動しろ、動いてみろ。というのが作者のいいたいことのようだ。
1投稿日: 2013.03.08
powered by ブクログ幸福になる方法、というより、不幸にならない思考を学びました。 人生の敵は「自分自身」であること。 第三者を恨み憎む時間が如何に無駄か。 苦痛や労苦のなかに幸福があること。 自分が行動しなければ幸福は得られない。 など、1900年代初頭に書かれたとは思えないほど現代で読んでも新鮮です。 前向きに生きるためのメッセージがたくさん詰まってます^^
8投稿日: 2013.01.14
powered by ブクログこれはあくまで“論”であり、正ととるか空ととるかは自由。捉え方も自由。 ただ、これを空論として捉えるだけにとどめることは虚しい。 理解力と感受性を持っている今出逢えてよかった本。 折に触れて読み返し、その時々に感じ、想いたい。
1投稿日: 2012.10.21
powered by ブクログ短編なのでいつでもどこでも読みやすい。 『肉体』が先か『精神』が先か。鶏卵のよく聞く話だが本書では『肉体』が先。健全な肉体には健全な精神が宿る。そんなとこ。肉体っていうか身体の方が感覚として近い。改めて健康について考えさせられる。
0投稿日: 2012.10.17
powered by ブクログ自分の悩んでいることがたいしたことじじゃないと思えた。 幸せは意志が決めて、不幸せは感情が決めるというのが印象的。
0投稿日: 2012.09.25
powered by ブクログ三読か四読目。 「幸福になることは明白な義務である」「自分で作る幸福は決して裏切らない」と言って半人前の私を励ましてくれる。 その時の気持ち、置かれている状況によって、響くプロポが毎回違うのが面白い。 アランはいつもわたしに優しい。
1投稿日: 2012.07.30
powered by ブクログ昨年の未曾有の大惨事を契機に「幸せ」をテーマにしたいくつかの著作が小さなブームになりました。その影響も受けて、以前から一度読んでみたいと思っていた著作を、今回手に取ってみました。 著者はフランスの哲学者エミール=オーギュスト・シャルティエ、「アラン」はそのペンネームです。本書は、フランス、ルーアンの「デペーシュ・ド・ルーアン」という新聞に寄稿した「プロポ(哲学断章)」の中から「幸福」に関わるコラムを採録したものとのこと。 私レベルの知識と感性では、全編を読み通しても、アランの思想がおぼろげながらでも理解できたとは到底言えませんが、確かに深遠で興味深い内容のものが数々ありました。 とてもユニークな著作だと思います。
0投稿日: 2012.07.05
powered by ブクログ読書って、どうしても生活との天秤だ。生活が充実していないのに読書ばかりを続けたから、ある時期からだんだん澱みはじめていた。それならさっさと書を捨てよ、と言われそうだが、お別れの一冊のようなものを探していた。 アランの幸福論は、とてもピッタリの一冊だった。 思考や想像力の沼に捕らわれた僕を、カラリと明るい風で吹き払ってくれる。 どんな賢人の知恵も、本で読む限りは思考と想像力をもって挑まなければならない。けれど、その思考や想像力こそが、人の苦悩を水増しし、四苦八苦の泥沼に引き込んでしまう張本人でもある。仏教、特に禅などは、この泥沼を吹き払ってしまうことで苦しみの多い世界でも悠々闊歩する力を得ようとするが、それさえもやっぱり読書を通して触れようとすれば、逆効果になったりする。アランの言葉は、とても日常的で平凡な顔をしているが、しかしそれこそがこのテーマの真髄ではないか。 不安や恐怖、悲しみや憂鬱を真剣に思い煩うより、まずは肩をすくめてほほ笑みたまえ、といったところか。 根つめて通読する必要のない、90もの断章になっているので、日々少しずつ読もうと思う。
13投稿日: 2012.07.01
powered by ブクログ引用したくなる素晴らしい言葉がたくさんある。 100年前に書かれた内容とは思えない。 元々の文章なのか、そういう翻訳なのか、文章がかたくて頭に入ってこないものがしばしばあったけれど、何度か読み返せばしっくり来る気がした。 図書館で借りた本だけど、これは買って持っていてもいいかなと思った。何度でも繰り返し読みたい。 下手な自己啓発本読むより、ずっと人生が豊かになる一冊。
1投稿日: 2012.06.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1 自分の外に弁解の口実を求める人は決して満足しない。 2 憂鬱な人、自分の事など考えるな。遠くを見よ。 3 雨が降ったら、「ああ!結構なおしめりだ!」それが雨に当たっても風邪をひかない秘訣。 4 礼儀作法とは、特に意識する事なく行った行為、特に示そうというつもりもなく何かを示した行為。
0投稿日: 2012.06.23
powered by ブクログアランのプロポ(哲学断章)。「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」など、見方を変えると世の中捨てたもんじゃないと思うようになる。物事の本質は何なのか、頭が熱くなったとき、ふと笑みがこぼれるようなアランの言葉がここにあります。
1投稿日: 2012.06.06
powered by ブクログ指導教官のおすすめのひとつ、三大幸福論のひとつ。相手への敬意を払う礼儀正しく優雅な物腰を身につけよ、という教えが最もしっくりきた。文学的。
0投稿日: 2012.05.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
久々に外国の方の本を読みました。 そして、当たって砕けてしまいました。勉強不足と自分の中身不足かもしれません。 ですが、面白かったです!!自分にどんな本が合っているのか分からない方に、ぜひチャレンジてみてほしい本だと思いました。 楽観主義に憧れました。
0投稿日: 2012.05.23
powered by ブクログ意思による楽観主義。めぐりめぐって達した結論なんだと思う。 アランとラッセル、両方の幸福論を読んだけど、それぞれが違う高みに達していて興味深い。次はヒルティ。僕はどの高みにいくのか。少しずつ近づけばいい。
0投稿日: 2012.05.22
powered by ブクログ全てに共感!仏教にも通じるところがあるような。その日開いたコラムを読んで上機嫌生活に役立てよう! マイベスト→礼儀作法について 「礼儀作法とは身についた物腰であり、ゆとりである。優雅な物腰とは、表現と動作の安らかな幸福である。それはだれをも傷つけることのないもの、だれをも不幸にすることのないものだ。幸福になるためには、この種の美点をそなえることがきわめて大切である。『ほんとうの生き方』を考えるとき、これらの美点はけっしておろそかにすべきではない。」
1投稿日: 2012.05.09
powered by ブクログ世界でもっとも美しい本、ともいう人がある本。しかし、中身は難解で、何回も読み返していくうちに味わいが出てくる本。初めて読んだときは、1章のブケファラスの話から?でしたが、影(恐怖)から目をそらし、太陽(希望)をみよ、という寓意だと理解してからは、この本の本旨自体がよくわかるようになった気がします。とてもいい本だと思いますが、わかるという人と、わからないという人が分かれるのではないでしょうか。
1投稿日: 2012.05.07
powered by ブクログ「三大幸福論」の一冊。「2100年、人口3分の1の日本」はアランの「悲観は気分に属し、楽観廃止に属する」という言葉で締められている。その直後、丸善で平積みになっていたので購入。どうも「100人のプロが選んだソフトウェア開発の名著 君のために選んだ1冊」で誰かが取り上げていたらしい。
0投稿日: 2012.03.25
powered by ブクログアランが指し示す楽観的人生観《赤松正雄の読書録ブログ》 アランの『幸福論』を久しぶりに読んでみて、新たな発見と変わらぬ思いが交錯している。改めて気付いたことは、これはいわば、楽しい“生き方のコツ”を説いたものだということ。いま一つは、やはり極めて難解な側面を持っているということ。かつて、途中で放り出した理由もここにつながっている。難しいことについてはここでは触れない。 わたしたちは人生で様々な障害に直面するが、その時に自分は一方的に不幸だと思ってはいけない―これには全く同感する。「悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力による」のだから、いい方へいい方へと楽観的に舵をとるしかない。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」と言いきかせながら。 ただ、例えば笑い、微笑みの大事さは分かっていても、現実は難しい。私などもう少しにこやかにできないかと幾度となく周りから言われてきた。難しい顔をするな、と。そうはいわれても、簡単に直らない。アランのいうことを、自分の生き方の根底にどう刷り込むかとなると、それはもっと難しい。モットーや信念はしばしば荒波のなかで粉砕される。人間のもつ運命や宿業に思いを馳せ、命の底にまで、生き方をたたき込む大事さとその極意を思う。 つまりは宗教的次元との兼ね合い具合だ。孔子の『論語』を読むときと同じような印象をアランにも持つ。結局、哲学的装いをあわせもった人生論ではないのか、と。 アランは繰り返し幸福になる極意を説いている。なかでも、印象的なのは、幸福は無償の愛ではなく、正しい交換、よい交換によって成立すべき、とのくだりは面白い。「幸福とは、報酬など求めなかった者たちのところに突然やってくる報酬である」との記述はなかなか含蓄が深い。 今、議員会館の外は雨だ。アランも「今これを書いている時、雨が降っている。瓦に雨の音がして、無数の雨樋が切れ目なく歌っている。空気が洗われて、まるで濾過されたみたいだ。雲は切れ切れになった華麗な衣装のようだ」、と。雨を描いてかくほどまでに美しい文章を私は読んだことがない。アランという人は写真をみると、深い思索とやさしい心根を持つ人だとひと目で分かる。内面の深さが顔に見事にあらわれている。今、世の中にはうつ病はじめ精神的に病んでいる人が多い。この本はそうした人々というよりも、そのまわりにいる人にお薦めの本だ。
0投稿日: 2012.03.09
powered by ブクログこの本はわたしにとったら当たり前やんって感じのことが書いてある。 だから読んでて あまり得るものがなく逆にわたしの考えの再確認だった。
0投稿日: 2012.02.27
powered by ブクログプロポと呼ばれる哲学断章がこの本には93個載っています。書いた日付入りです。 1911・11・・という具合ですからちょうど1世紀前に書かれた文章です。あとがきによるとアランはフランスの哲学教師を務めていたようですが、新聞に長期間に渡って毎日!このような文を書いたということですから、今でいうところのコラムとかエッセィの類になるのでしょうか。 この本を読んでいたら、「思考の整理学」などを書いた外山滋比古さんの 文章を思い出しました。 それにしても、93個めの断章で「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。・・・気分というのは正確に言えば、いつも悪いものだ。だから、幸福とはすべて意志と自己克服とによるものである。・・」という文章を書いていますが、この文に集約される内容がどの章にも表現を変えて詰まっています。私は読書のときは、付箋紙を常備しているのですが、今回読み終わったら色とりどりの付箋紙だらけとなっていました。つまりどこから読んでも意義深い内容と言えます。 昨年の大震災で想像を超えた厳しい現実が私たちの目の前で起こりました。このことを考えると、アランが約100年前に書いたこの文章の意義はとても貴重に思えます。 ・・ 「うまくいったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。 ・・ そうすることで私たちは不幸や退屈や絶望から遠ざかるようにできるのです。
1投稿日: 2012.01.15
powered by ブクログ「マーフィーの黄金律」に引用されていたアランの言葉に惹かれ手に取った本。 ムツカシイ。。。 読んで思った正直な感想です。 でも、いい! 気になった言葉を引用しながら、ご紹介。 「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」 「どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となるのだ。」 「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。」 心の持ちようって大事。 それを改めて、感じさせられる部分。 否定してたら何も始まらない、すべては肯定から始まるんだよね。 幸せを追い求めて。 「礼儀作法は親密なかかわりあいをもたない人たちのためにあり、 機嫌は上機嫌も不機嫌も親密な者のためにある。」 親しき仲にも礼儀あり。そうは言うものの。 よくはまだ理解できないけど、なんか引っかかったコトバでした。 「幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。」 「幸福は得である。」 「われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである。」 自然体でいたいと思う。 そして、それでいいんじゃないかな、と思う。 「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」 ふむふむ。 確かにそうかもしれないなー。 そんな気になるコトバに巡り会える本。 この本の解説書を出せばニーズあるんじゃないかと思った。。 …そしたら、ふと立ち寄った本屋で優しく書いたバージョンがありましたとさ。 考えることは、同じなんだなぁと。
1投稿日: 2011.12.22
powered by ブクログ新聞の日曜版かなんかで、週に1回くらいのペースで読むなら、ふーんと思ったかもしれない。まあピンと来なかったのは同じだろうと思うけど。
0投稿日: 2011.12.21
powered by ブクログ20世紀を代表する知の巨人であり、多面的な天才であるラッセルの傑出した業績のひとつである「幸福論」。 偉大な思想家が書き下ろした実践的な書であり、読みやすい内容になっています。「人間は自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられている限り幸福になれるはずである」という一文に彼の幸福観が集約されているように思います。 人間の幸福に寄与するもの、不幸に関わるものは時代を超えて共通するものがあるんだなという印象を受け、同時に先人の鋭い洞察から生まれる知恵に感心しました。
0投稿日: 2011.12.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「楽観主義は意志の問題によるものである」。 これは、極めて重要な金言だと思います。物事にとらわれず、しっかりと自己を持って楽観的に解釈すること。これが幸福への唯一の道だとアランは説きます。 また途中には、仕事に対する動機づけに関しても多く書かれています。アトキンソンやデシの理論が想起されました。 常に傍らにおいておきたい、そんな本です。
0投稿日: 2011.12.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「親切という名のおせっかい、そっとしておくおもいやり」相田みつを この本を読んでるときに、ふと上記の言葉が浮かびました。 これはイイ! 久々に心を打たれた! 「不幸を強制しているのは自分」 「不機嫌は伝染する」 「人と接するときはプラスの感情で」 耳が痛い言葉ばかりでしたが、心に深く突き刺さりました。 突然の雨にも、 イライラするのではなく 「けっこうなおしめりだ^^」 と笑顔でやり過ごせる。 そんな人間になれたらなぁ~♪
0投稿日: 2011.11.04
powered by ブクログ幸福について様々な切り口から考察した93のプロポ(哲学断章)。それぞれは短くまとまっていて読みやすいけれど、内容はやや難解なものも。アランはものに即して考える。悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。人はみな、己が欲するものを得る。身体に運動を与えることで気分も変わる。色々、いいことを書いていると思う。一度読んだだけではもったいない本かな。
0投稿日: 2011.07.09
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幸福を論じているわけではない. まとめると, 「不幸にならない様にすれば,幸福ではないかな?」 ということを言っている気がする. ちょっと気分が落ち込んでいるときに読んでもいいかもしれない.
0投稿日: 2011.06.02
powered by ブクログ幸福も細切りにわけられているものなのだ。 要するに人間は細胞のカタマリだということを、自分で理解し消化することによって平穏が得られるのだ‥と私なりに噛み砕いて理解した。 地面にぴったり足をつけて踏みしめたまえ。 不機嫌というやつは自分に自分の不機嫌を伝えるのだ。 まず喜びを蓄えておきたまえ
0投稿日: 2011.05.31
powered by ブクログ不満に捌け口を与えない 不満は怒りを助長し、怒りによってまた助長される。 地獄の堂々巡りである。 でもそこにいる悪魔はほかならぬ自分であり、 怒りを振りかざすのも自分なのである。
0投稿日: 2011.04.17
powered by ブクログアランこと本名エミール・オーギュスツ・シャルティエは、今から143年前の1868年3月3日、フランスのノルマンディー地方モルターニュで生まれた哲学者。 彼は、何か新しい哲学を創出したというわけではなく、フランスのリセ(後期中等教育)という日本の高校にあたる学校で、哲学教師として40年あまり教壇に立った人でした。 そう、フランスでは高校生が授業でカントやベルグソンなんかを習うということを、最初に知ったのが中1のときで驚きましたが、それが何という映画だったか、いま思い出そうとして思い出せません。 ともかくも、だからこそフランス人の会話が他に例をみない、機知に富んだ豊かなものであるということがわかるというものです。 ところでアランは、単に過去の哲学者たちの哲学を教えるだけではなく、感受性の一番研ぎ澄まされて発揮できる年代の若者たちに対して、哲学することの基本動作を血肉化させようとした人でした。 真っ白い紙に対峙して、意識を集中させ、今現在のありのままの自分の思いつくありったけを総動員して考え巡らすこと。 俗世のあらゆる呪縛から自らの思考を解放することはいうまでもありませんが、いっけん超越的などこか彼方からやってくるインスピレーションの重要さも忘れてはいけません。 シモーヌ・ヴェイユも、そんなふうに、1925年にリセのアンリⅣ世校に入学して、アランと出会って教えを受けたのでした。 この本には、観念的な美辞麗句の欠片は一切なく、すべて具体的な示唆に富んだ、すぐにでも悔い改めて日常生活の中にとり入れてみれば、さぞかし効果的だろうと思われるアフォリズムの数々がひしめいています。ただし、本質を見誤らないようにしないと、何のご利益もありません。 「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である」 「人間は自分以外にはほとんど敵はない。人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、自分自身にさし向ける悲観的なことばなどによって、自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである」 この感想へのコメント 1.ryoukent (2011/03/07) 薔薇★魑魅魍魎さんの読書ノート って、結構な長文だけれどいつも理路整然としていますね。あたいみたく、そんときのノリでかんそ書いてるのとは雲泥の差だなぁ。ああ。 2.薔薇★魑魅魍魎 (2011/04/03) どうも、です。ryoukentは(ゴメン、愛しているから敬称略!)最近聞いている憂歌団っぽい気がする。 なんかこう♪ブルーズなんだよなァって、燻銀の渋さっす、けっこう。
1投稿日: 2011.03.03
powered by ブクログなにかすごく体系だった哲学があるわけではないように一見して思われるけれど、なぜだかページを繰るたびにうなずかざるをえない、そんな本です。
0投稿日: 2011.02.11
powered by ブクログ<メモ> 我々は価値のあるもののよしとしているにもかかわらず、それの探求を絶対法則として課してないのは間違いであろう。 理屈をこねようとするのは体なのだ。p28 死をうけとめることができるのは生きている人だけである。 悲運の重圧を受け止めることができるのは幸福な人だけである。 心が健康にふさわしい動作をすること、それが健康の印であるp31 自分の周りの人々や事物のせいにしないで、まずは自分自身に注意を向けるのが賢い道であるということだ。他の人を見ると、ときとして不幸が好きで好きたまらない人がいるようだp40 人は本当のところ、死後の生を信じてはいないのだ。生き残ったッ人達の想像力の中では、死者達は死への未知を歩み続けているのであるp56 病気にかかった人を見たまえ。病気になることによって、自分は病気ではないかという恐怖から、たちどころにいやされてしまうことかp59 自分の足下だけを見て、行動を開始したまえ。そうすれば、ヤシの木を救うことになる。p97 期待を抱くことは意思を持つことではないp104 考えることは、意志することだp124 本当の礼儀ただしさとは、何をなすべきかを端的に知ることだp124 死に対する恐怖は暇人の考えることであるp131 戦いが自分の意志で行われるならば、困難な勝利ほど楽しいものは何も無いp142 「楽しみは能力のしるしである」(アリストテレス)p160 本当の学問は自分の目のすぐ近くにあるものには決して戻らない。なぜなら、しるというのは、どんな小さいものでも全体とつながっているというそのその構造を理解することであるからp174 僕の好きな旅とは、一度に1メートルか2メートルしか行かないような旅である。立ちどまっては、また改めて同じ物を違う角度から眺める旅であるp176 スピノザは後悔することは過ちを増やすことだと言っているp192 幸せになる秘訣の一つは、自分の心に無関心になることだp222 彼は決心した。彼は解決したp263 茶碗一つ手に持つその持ち方に、いかにその人の気品が出るか分かるのであるp277 幸福を世界の中に、自分自身の外に求める限り、何一つ幸福の姿をとっているものは無いだろう。要するに、校hッ句については、論理的に推論したりすることができないのだ。今幸福を持っていなければならない。君が将来幸福であるように思うとしたら、それはどういうことか考えてみたまえ。それは今、君が幸福をもっているからだ。期待を抱くこと、それは幸福であるということなのだp292 自由な行動だから幸福なのである。自分で規則を作りそれに従っているから幸福なのであるp294 しかし力いっぱい戦った後でなければ負けたと思うなp312 幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ。これはあまり人の気づいていないことである人から愛されるのは幸福な人間だけであるp312 憂鬱な思考は全て、自分をだます魂胆だと思って差し支えないp316
0投稿日: 2010.09.21
powered by ブクログ幸福になるためには強く願わねばならない。 アランの視点で哲学されている。 きっと、誰もが心のどこかでわかっているのに、見ぬふりをして過ごしていることを、幸福は自分で作るものだということを改めて思い出させてくれるのだ。 アランの文章は美しい。 日常のたわいもない場面が説得力を持ち迫ってくる。 親しい間柄の人へこそ、礼儀と思いやりを持って接しなければならないことを学んだ。 相手が聞きたがっても、世話をやくのが大好きな人であったとしても、不幸話や大袈裟な愚痴は控えなければならない。 家族の間でもまた然りである。
1投稿日: 2010.08.11
powered by ブクログ題名が「幸福論」。 しかも、岩波文庫となると、さぞ高尚な内容でお堅いかんじなのだろう、と思うかもしれませんが、そう思って読むと、よい意味で裏切られます。 この本は、1900年代はじめにフランスで新聞に掲載されていたアラン(ペンネーム)という人のコラムをまとめたもので、コラムらしい軽快さと共に、痛快といえるほど合理的な考え方を提案しています。 もちろん、「合理を騙る」人間の心と身体の作りを無視した非合理とは、違います。 昨今、物事の評価基準に「持続可能か」という視点が注目されるようになりましたが、まさに持続が可能な、生活に役立つとても合理的な考えが語られています。 「この本を読めばストレス免疫がつきます」といっても嘘にはならないのではないかと思います。(もちろん、どれだけつくか、それでどれだけ楽になるかは人に寄ると思います。) 誰にでもオススメしたい本です。
1投稿日: 2010.06.26
powered by ブクログ自己啓発本としてではなく、論文としても、思想としても、素晴らしいと思う。 敷居が高く感じていたが、案外読みやすかった。 「しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ」 この名文が「友情」の項にあるのは感慨深い。 「人間は快楽よりも行動を愛する。その行動とは、他のどんな行動にもまして規律のある規則正しい行動、そして何にもまして正義のための行動のことである。」
0投稿日: 2010.06.25
powered by ブクログ今は読む必要がないのか、あまりはかどらない。 人生、日常の痛みとのうまい付き合い方が丁寧にわかりやすく書かれているという印象。 自分が感じていることとあまり距離がないし、本書で説かれている不幸やストレスへの対処は、類似した方法で十分に行えているので、あとまわしにした。
0投稿日: 2010.05.22
powered by ブクログ古典で有名な、アランの「幸福論」 今も昔も幸福の概念は変わっていないのだと感じる。 自分がどこに向かっているのか、立ち止まって考えるのに最適な一冊。
0投稿日: 2010.04.03
powered by ブクログこの本に出会ったのは高校の時。 そして、今まで私の根本に深く根付いている。 アランの幸福論は別の出版社も出しているけれど 私にとってのアランは この岩波。
1投稿日: 2010.02.14
powered by ブクログ彼が生きてたらいい友達になれそうだ。 嘘を否定しないし、 占いや神を断固拒否する。 それでいて夢や欲望を肯定する。 とことん現実主義でシンプル。 無駄に落ち込んでる人に対して 「難しく考えんなよ、すぐ気分なんて良くなるもんだよ!」 と背中を押してくれる一冊。 真実を述べすぎていて、あわや危険思想かもな。
1投稿日: 2009.11.22
powered by ブクログ「いらいらしないように。われわれに与えられた人生のこの瞬間を台なしにしないように」 素敵な言葉が散らばってる☆ 期待以下だったけど(笑)
0投稿日: 2009.10.10
powered by ブクログもう超絶麗しい御姿で。この方。第二次にも軍人として参戦していらっしゃる◎この方の哲学は図らずにも大爆笑!例えが笑える。完璧じゃないですかね。
1投稿日: 2009.10.10
