
総合評価
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powered by ブクログ親鸞を中心に、人々の苦しみと救いを描く。あくまでフィクション。 「知識が殖えても心の眼は明るくならぬでな。」(103頁) 「信心には証拠はありません。証拠を求むるなら信じているのではありません。」(104頁) 「しかし若い時には若い心で生きて行くよりないのだ。若さを振り翳して運命に向うのだよ。」(135頁) 「聖なる恋は他人を愛することによって深くなるようなものでなくてはならない。逢って下さいと恋人がいって来る。自分も飛んでいきたいほどに逢いたい。けれど今日は朋輩が病気で臥ていて自分が看護してやらねばならない時にはどうするか?朋輩をほって置いて夢中になって遇いに行くのが普通の恋だ。その時その朋輩を看護するために逢いたさを忍び、また逢おうといって来た恋人も、では今日来ないで看護してあげて下さいといって、その忍耐と犠牲とによって、自分らの恋はより尊いものになったと思い、後では淋しさに堪えかねて、泣いて恋人のために祈るようならば聖なる恋といってもいい。そのとき逢わなかったことは、恋を薄いものにしないで、かえって強い、たしかなものにするだろう。それが祝福というものだ。」(232頁)
0投稿日: 2025.11.09
powered by ブクログ善悪の問題や、人生において正しく生きるとは、といった命題が、親鸞と弟子のあいだで、哲学的かつ信仰的な問答が行われます。 師である親鸞自身も悩みながら 答えを導き出そうとしている姿勢がとても良かったです。 そしてラストのラストまで 信仰とはどういう事なのか考えさせられる内容でとても面白かったです。 ただひたすら身に起こる事を受け入れ、仏(神)を信じて祈りを捧げる、他力本願の本質が少しでも理解出来た気がしました。 とても26歳の時に書いた作品とは思えない!
1投稿日: 2023.12.23
powered by ブクログ設定は史実と合わないけれど、そして、戯曲を読むのははじめてでしたが、とても面白いです。すべてお預け申して、祈り、ですね。祈り、の概念は、浄土門系の書物では、私はここではじめて合いましたが、よかったです。
0投稿日: 2023.03.14
powered by ブクログ信心には一切の証は無い。 面白かった。古い言葉が多いし脚本調だったのもあって、最初は中々進まなかったけど、半分くらいまでいくと一気に読めた。 親鸞がいいこと言いすぎて困る。 そして登場人物全員涙もろ過ぎる。 左衛門が改心するのではなくその息子の若松が親鸞に弟子入りする設定が良かった。 仏でも恋はするのか。
1投稿日: 2020.06.28
powered by ブクログ親鸞の教えを独創的に解釈。キリスト教の味付け。ロマン・ロランが感動してフランス語版の序文を書いたという。他力本願、悪人正機、 古い本かつ戯曲で、読みにくいと思ったが、実際はスルスルと読めて面白い。 ・信心に証拠はない。証拠を求めるのは信じているとは言わない。 ・南無阿弥陀仏、愛しなさい、許しなさい、悲しみを耐え忍びなさい、業の催しに苦しみなさい、運命を直視しなさい。 ・浄土門の信心は在家のままの信心。商人は商人、猟師は猟師のままの信心。 ・学のあるなしは信仰とは関係ない。悲しみと、愛とに感ずる心さえあれば。
0投稿日: 2017.03.19親鸞、青春を語る。
浄土真宗の開祖、親鸞と弟子の唯円の問答が、戯曲形式で綴られる本書。 宗教と恋愛のせめぎ合いに悩む青年の姿が、情熱的に描かれていきます。 親鸞は決して恋することを否定せず、真正面からそれにぶつかり、悩み苦しむことが信仰の道に繋がると語ります。 「恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。人生のかなしみがわかるのだ。地上の運命に触れるのだ。そこから信心は近いのだ。」 宗教文学として知られる本書ですが、恋にもがき苦しむ唯円の青々しい姿からは青春文学の匂いも立ちこめています。 今なお読み継がれているのは、いつの時代も若者たちが抱いてきたあのもどかしい気持ちを、実に正直に書ききっているからでしょう。
4投稿日: 2015.02.06その苦しみにも意味がある。
作者の若書きだけに、親鸞の思想とキリスト教信仰が入り混じってかなり奇妙な印象を受ける部分もあります(逆にそのあたりがロマン・ロランに受け入れられたのかも)。 しかし、誠実に自らの内面をさぐり、そこに隠れている醜さからも目をそらさずにいる者にこそ、救いが訪れるのだという親鸞のメッセージにはとても励まされました。 宗教思想の展開一本やりというのじゃなくて、たとえば唯円の恋物語が描かれているあたりなんかはちょっとドキドキして読めますよ。
3投稿日: 2014.01.11
powered by ブクログ救い難い極悪人であると自覚して生きていく親鸞に共感。 ここまでストイックに信じることが出来るか、今、自分自身を試したい。
0投稿日: 2013.12.13
powered by ブクログ初めて読んだのは高校生のときだった。圧倒されるような感動を覚えた本。その後も、何度か読み直しているんだけど、今回読んでみて、やはり心に食い込むものがありました。圧倒されるような・・というのとは違う印象になったんだけど、心洗われるような。それぞれの人物の想いがすごくすんなりと読者に伝わってくる。 ずれちゃうんだけど、ここのレビュー見てたら、カラマーゾフのゾシマ長老とアリョーシャみたいな。。というのがあって、この本を読む前に、またカラマーゾフを読み終えたところだったので、私ってこういう路線?がすごい好みなんだろうか。。とか思ってしまったー。こうなんていうか、ぐいぐいぐいぐいと突き詰めていく感じが好きなのかもー。
1投稿日: 2013.11.29
powered by ブクログ心の葛藤の描き方が優れている。 カラマゾフの兄弟を思い起こさせる。 親鸞という人間像 そして 唯丹。 そこはかとなく人を愛することに徹する。 すべてを許すという立場は、 複雑な迷いと悩みのうえにあり、 超越しきっていないところが ステキだ。 善鸞という人間像 苦難の道を つねに 意識しているかいないのかわからないが 選び、進もうとする。
1投稿日: 2013.10.01
powered by ブクログ浄土真宗の祖である親鸞とその弟子である唯円の苦悩を軸に、人間が向き合わねばならない様々な業や哀しみやその救いを描いている。自分も読んでいて色々と考えてしまった。 唯円は純真な心を持った遊女に恋をし、仏法と恋との間で悩み苦しむ。師である親鸞も義絶した息子に対して葛藤を抱えている。この作品の親鸞は決して完全無欠な人物ではなく、非常に多くの悩みを抱えたひとりの人間として描かれている。それがこの作品を奥深いものにしている。 最近はビジネス書ばかり読んでいたから、たまにはこういう本も読みたい。
1投稿日: 2013.07.31
powered by ブクログ親鸞の後半生を、弟子の唯円の視点から綴った戯曲。20世紀初頭にあって、浄土真宗の教えとキリスト教的慈愛と赦しとが通ずることを見抜いていた倉田百三の慧眼に感服します。 親鸞の教えは、とても純情です。 印象的だったのは恋愛に関する箇所。親鸞と唯円とのやりとりは、現代人の感覚でいえばウブだと思われるかもしれません。でも「何人も異性と関係を持った方が、経験値が上がる」とか「童貞乙www」なんてうそぶく人間よりも、親鸞や唯円はよほど愛について真剣で本質的なのだと思います。 ほんの200ページだけど、仕事や恋愛、親子関係や死など、言及されるテーマはとても広いです。まっすぐさ、純情さに胸を打たれました。
1投稿日: 2013.07.19
powered by ブクログ厳しい物語だ。 生きることも、残ることも逝くことも。 否とも是とも言わぬラストの言葉をどうとらえるのか。 それがすべてだろう。 キリスト教では是でなければならず、浄土真宗では・・・・ふうむ。深い。
0投稿日: 2013.01.05
powered by ブクログ仏教の話かと思ったら、愛の話、友情の話、仏の国の話、いちいちキリスト教っぽい。恋愛崇拝がすごい。 他力の教えというのは独りで神と向き合うにあたっては焼き焦がすような罪悪感と戦わなければいけないものだが、共同体になってしまうと互いに互いを赦し合い恵まれた環境を享受し開き直り合う生ぬるさになってしまうように思う。 後半の恋愛と教えとの戦いは別に他力教である必要はなく、ありきたりな恋と制度の板挟みになっていたように思う。その点で、親鸞を活かせていたのは最初であろう。 何というか、他力の教えとキリスト教とロマン派の融合というよりはパッチワークという感想を抱いてしまった。おざなりで平板。 でも、きれいなものを高らかに歌い上げたものとして楽しくは読めるし、新しく芽生えつつあった感情をどう歴史の中に、あるいは論理、教理の中に位置づけようとしていたかという跡としてすごく面白い。
0投稿日: 2012.11.13
powered by ブクログ「読書力」の35ページにある本… 法政大学第一中・高等学校で岩井歩教諭が実践した、定期テストに読書問題を取り入れた実践。 10冊目…高2の定期テストに 読みにくい本だった気がします。 文体が、古文?旧かな遣い?
0投稿日: 2012.03.27
powered by ブクログ非常に有名な戯曲作品だが、これまで読んだことがなかったのは、戯曲自体がさほど好きではないためと、宗教がテーマになっているのでつい敬遠してしまったためかもしれない。 しかしこれは日本文学が誇るべき傑作だった。誰もが読んでおくべき本である。 親鸞が登場し、一応浄土真宗の思想をベースにしているが、厳密に史実を追っている訳でもないし、浄土真宗を専門的に解説しているわけでもない。どうやら、この作品での親鸞の思想は、仏教とキリスト教が混ざり合ったような、一種の普遍的な「宗教」イメージである。その点、仏訳版に際しロマン・ロランが書いてある通りだ。 しかも宗教のドグマを一方的に示してくるわけではない。市井の人間のさまざまな悩みを普遍的なかたちで扱いながら、まさに「生きた」思想を生み出そうとしている。 感動的である。 最後の最後に至っても、親鸞の息子は信仰を拒否するが、そうしたすべての現実を認めつつ、親鸞は「それでよい。みな助かっておる」と微笑んで死んでゆく。意外で深みのあるラストだ。 この本は人生について考え始める若い頃に読んでおくべきだったかもしれないが、大半の人物が口をそろえて「寂しい、寂しい」とつぶやいているその心情は、私はこの年齢(42歳)にしてようやく身につまされたのかもしれない。 これを書いた作者は当時27歳。日本文学の奇跡のような作品である。
1投稿日: 2011.10.04
powered by ブクログ・・・・・書きかけ・・・・・ 倉田百三は、ちょうど120年前の1891年(明治24年)2月23日に広島県の北東部にある庄原市で生まれた劇作家・評論家。 この本は、かつて教養主義的な香りたっぷりに、真剣に人生とは何かと真正面から問いかけ、悩み苦しんで感受性と思索を鍛え上げて自己を確立していこうとした若者たちが、思春期の必読本あるいは青春のバイブルみたいな感じで読んできた、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』や山本有三の『路傍の石』、阿部次郎の『三太郎の日記』などの系譜に連なる重要な著作だったのですが、教養や自己の確立よりも功利的実利的な価値観の支配する現代では、ほとんど誰も見向きもしない本かもしれません。 一高生の時から西田幾多郎に傾倒したという早熟な彼は、宗教文学のジャンルに新境地を切り開いた人ですが、これは代表作というよりこの本だけで今でも読み継がれているといっても過言ではないと思います。 浄土真宗を創出した親鸞が主人公とで、息子の善鶯生き方に悩む多くの若い人々の心を捉えた本書は,のち各国語に訳され,海外にも数多くの読者を得た.ロマン・ロランのフランス語版への序文を付す.改版.(解説=谷川徹三 注・年譜=鈴木範久) 内容(「BOOK」データベースより) 恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。 --このテキ 「青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ 百三」
0投稿日: 2011.02.23
powered by ブクログ2009年発刊の『日本思想史 75号』にある末木文美士先生の論稿、「迷走する親鸞~出家とその弟子考」を読んだのがきっかけ。 倉田百三の青年期の悩みが伝わり、胸を打つ。
0投稿日: 2010.01.11
powered by ブクログ「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」に有名な悪人正機説(の解釈の一つ)を理解できたような気がする。 キリスト教の価値観を織り交ぜるなどにより、普遍的な作品となっている。
0投稿日: 2009.12.02
powered by ブクログずっと気になってはいたんだけど、ようやく読了。 一度読み始めると一気に読んでしまった。 読書好きならば「出会う」という体験が必ずあると思うんだけれども、なんというか、ああ、今読むべきだったのだな、とすとんと胸に落ちる――文中の表現でいえば、すっと腹に入る――物語だった。今読むべきだったのだろう。 若すぎても、年を取りすぎても、いけない。今ならばどの主人公にもこころをかたむけ、入り込んで読むことが出来た。 しかし新しい感覚。いっそ現代的と言ってもいいと思う。いわば”プロテスタント仏教”のような。社会のつくる人間心理の視点で非常に興味深い。 先人とは敬すべき。
0投稿日: 2009.02.19
powered by ブクログお も し ろ い ! え〜〜なにこれ?出家?弟子?なんか怪しい…とか思いながら読んでちょっとびっくりした 軽い!楽しい!そしておもしろ! 「他力本願」の本来の意味をこの本で知ったんだ…
0投稿日: 2008.01.21
