
総合評価
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powered by ブクログ江戸時代末期、漂流してアムチトカ島に流れ着いた大黒屋光太夫らがシベリア、ロシアを旅することになる話。 極寒の地、言葉の通じない異国の地で彷徨います。故郷の日本へ果たして帰れるのか。 これまでに3回読んで、多分これからも、吹雪始めた冬に読み返したくなるであろう一冊。 おろしや国粋夢譚は、歴史小説でもあり、よく考証されています。シベリアの地がロシア帝国によって開拓されてきたことが、光太夫らと旅をしながら感じられます。 私の中では、シベリアを知ることになった最初の一冊でもあります。
0投稿日: 2024.08.14
powered by ブクログ三重県鈴鹿市は光太夫の故郷です。大黒屋光太夫記念館があり、近鉄の伊勢若松駅、鈴鹿市立若松小学校には銅像が建てられています。昭和61年には、光太夫が一時帰郷と伊勢神宮参拝を許されたことを裏付ける古文書が発見されました。 8か月もの漂流の果てに、厳寒のロシアで生き抜き、ついに帰国を果たした光太夫たち。諦めないこと、コミュニケーション能力をつけること、仲間たちの気持ちをまとめ率いること、などなど、多くのことを学ばされます。
0投稿日: 2023.02.02
powered by ブクログ大黒屋光太夫を船頭とした17人を乗せた「神昌丸」は駿河沖で時化に会いロシアのアレウト列島(アリューシャン列島)のアムチトカ島に乗り付ける。母国日本へ帰りたい一心でロシアの厳しい生活に耐え、ロシア国内を大移動しながら本国送還を願い続け、10年後許しが出て既に死去した12人とロシア正教に帰依した2人を除いた3人が帰国する。 アリューシャン列島のアムチトカ島からカムチャツカ半島を経てオホーツクへ渡り、陸路ヤクーツク、イルクーツク、モスクワ、ペテルブルクとなんと10,000キロに及ぶ未知の国、風雪の中の流浪の旅は彼らにとってどんなに厳しかったことか。 地図と見比べながら彼らの姿を追えばその辛い旅がより思いやられる。 しかしあれほど帰ることを望んだ日本は、ロシアで艱難辛苦を乗り越えて、あるいはロシア政府やロシア人の助けを享受して生きながらえるうちに、今までの人生では見ることのなかった世界と人々を知った彼らにとって、旧弊な決まりにとらわれて身動きのままならない居心地の悪い他国のようになっていた。 さらに母国に帰ったにもかかわらず彼らは自国内を自由に移動することさえも許される事はなく定められた土地に一生住むことにされた。見聞きしたことは他言無用ということなのか。 人間にとって自分という者の居場所が確定して、自分の存在が周囲にとって有益な存在であるという事は生きていく上で欠くことのできないものであると思う。 彼ら漂流民はそれを求めて10年の長きを耐えたにもかかわらず、彼らが帰ってきた母国はそれらを取り上げてしまった。 帰国する前に「もしかしたらこのままロシアの地に留まった方が良いのかもしれない」と思った彼らにとってその仕打ちはあまりにも残酷だ。
3投稿日: 2022.06.10
powered by ブクログいや何とも面白くそして悲しい史実に基づいた物語だった。江戸時代に、商船が難破してロシアに流れ着いた船員たちが一人欠け、二人欠けしながら10年近くかけてようやく光太夫と磯吉の二人だけが日本に帰り着いたという話。 ところが話はそこでは終わらない。ようやく帰り着いた日本で、二人は故郷の伊勢に戻ることが許されず江戸で不自由な後半生を送ったという。日本に帰り着いた際の日本側の対処やその後の二人の半生を知るだに、この国って昔から狭量だったんだなあと思うばかり。ロシア正教に帰依してロシアに残ることになった庄蔵と新蔵のほうがある意味、思い切れて幸せに生きたかもしれない。 もともとは十数人だった船員たち。十人十色でこういう苦境に陥ったとき、どのようにとらえるかでその後が変わっていくものだと思う。うじうじ変えられずにいる人もいれば、あっけらかんと現状を受け入れられる人もいる。
0投稿日: 2022.03.12
powered by ブクログ実際にあった出来事の、ロシア革命より更に前の18世紀。 江戸時代の伊勢から漂流した船に乗った人々が ロシアという異国で10年どう生きたかどう感じたかをまとめた歴史小説。 極寒の異国地に漂流し、そこから更に色んな箇所へ移動され 亡くなる人やロシアに帰依する人や、それでも日本に戻る為に最善を尽くす人がいて 当時のロシア女帝エカチェリーナ2世との対面まで行ったのに やっとの思いで、いざ日本に着けばなんかものすごく虚しい。 虚しさというより空虚、何だったのだろうか今までの体験はって思い知らされた。 全く通じない言葉とか身振り手振りだったり、それでも色んな仕事を手伝いたいとか 自分らは漂流したとはいえ、もう立派にロシアに馴染んでいたからこそ 当時の鎖国していた日本が非常に狭く見えたんだと思う しかし終身里にも帰れず、ずっと幽閉の身とは なんとも嘆かわしや。
5投稿日: 2022.01.20
powered by ブクログ第1回日本文学大賞 著者:井上靖(1907-1991、旭川市、小説家) 解説:江藤淳(1932-1999、新宿区、文学評論家)
0投稿日: 2018.10.13
powered by ブクログ最初は16人いた一行のうち、最後まで生き残ったのが4人。うち2人はキリスト教に帰依し、10年の後日本に帰国したのは2人。18世紀のシベリアの過酷な自然環境や華麗なロシア文明を描いた作品です。 小説と史書の中間、どちらかと言えば丹念に調べた史実を忠実に再現しようとしています。主人公の感情とかの描写は少なく、事実が淡々と述べられていく。作家は皆さん古くなるとこうゆう傾向になるのでしょうか?司馬遼太郎も吉村昭も方向の違いはあれ、そんな感じがします。この作品についていえば吉村昭の最近の作品に近いように思います。もちろん井上靖の方が大先輩ですので、本当は井上さんに吉村さんが近いと言うべきでしょうが。
0投稿日: 2017.11.10故郷はどこにあるか?
思いもつかぬ偶然によって、ロシアという国を横断することになった人たち。災難なのか、それとも人生の試練なのか。 何故、人は故郷に帰りたがるのか。日本に帰った光大夫がポツリと漏らす。「俺はきっと自分の国の人間が見ないものをたんと見たんで、それを持って国へ帰りたかたんだ。・・・見れば見るほど国へ帰りたくなったんだな。」 きっとそうゆうことなのだ。故郷に帰りたくなるということは。
0投稿日: 2017.05.19
powered by ブクログ授業でちらっと勉強しただけの大黒屋光太夫 漂流民として暮らしているときよりも 日本に戻ってからのほうが苛酷
0投稿日: 2016.10.31
powered by ブクログ映画が面白かったので。高校の世界史にも名前が出てくる大黒屋光太夫の物語。故郷とは何かを考えさせられる。家族や友人、生まれ育った生活風俗や言葉、帰りたいと思う場所。ロシアからの見送りがあまりに温かく、もしも時代が違っていたなら、光太夫たちが日本の通訳として再びロシアを訪れたり、日本に訪れたラクスマンのお供をして各地を案内したり、そういう未来があったかもと夢見てしまった。
0投稿日: 2016.07.22読ませます‼
読ませます‼ さまざまな資料を駆使してここまで読ませるストーリーに仕上げているとは、さすが井上靖氏。 以前にジョン万次郎さんを読んで感動したので、ロシアに漂流していった大黒屋光太夫さんのも読みたいと思って購入しました。 ジョン万次郎さんも大黒屋光太夫さんも、彼と一緒に帰国できた磯吉さんも、実に壮健、実に聡明、実に誠実なニッポン人でした。 幕府は彼らを遇するに当たって、彼らを十分に生かすことができなかった。当時の日本の体制、日本の能力の限界であったと思いました。 どちらの本もスタイルは違いますがひょんなことから読むことができてよかったと思います。
4投稿日: 2015.04.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アムチトカ島を出るまでは他にもある漂流記と大きく違いは無いが、カムチャッカに渡りさらにヤクーツクさらにイルクーツクまで来るともはや漂流記を逸脱して異世界冒険譚となる。主人公が異世界を旅するフィクションは掃いて捨てるほどあるが、そのどれも物語としての迫真さにおいて本作には叶わない。これが江戸時代のシベリアの大地と帝政ロシアを舞台にした実話というところが驚き。
0投稿日: 2014.12.30
powered by ブクログ海流の影響か、昔からロシアには日本の船が流れ着くことが珍しくなく、もちろん日本には帰れずに現地で一生を終える者がほとんどだった。そんな中、和歌山の商人である大黒屋光太夫は知恵とど根性で日本に帰ってくるのだ。帰りの船を出してもらうために当時の女帝エカテリーナに謁見するという歴史的な事実もあって、ロシアでは知られた人のようだ。ロシア人の気質なども垣間見られる貴重な調査記録だ。
0投稿日: 2014.05.12
powered by ブクログ久々に読んだが重い本だ。 飛行機なども一切なく、もちろんパソコンもなく、まだ日本が鎖国をしていた頃の話。 海外に対する情報が全くない日本人が漂流しロシアに流れ着き十年を経て日本に戻る。 過酷な運命だ。 そして日本に戻ってきた時に感じる疎外感。悲しい物語です。
0投稿日: 2013.08.03
powered by ブクログ日本海で漂流し、ロシア領へ流れ着いた光太夫ら仲間たち。 ロシア語を学び、女帝エカテリーナへの謁見。江戸へ帰れる日は来るのか。
0投稿日: 2012.07.30
powered by ブクログ果てしない異国の地にいても故郷への思いはこんなにも強いのか‥人間にとって生まれ故郷は、こころの支えや拠り所となる場所なんだなと強く感じました。 その他にも、光太夫のリーダー性、船員それぞれがみせる適応力など学ぶべき人間の姿があります。 また、作中では日本が江戸時代で鎖国中の頃、ロシアではどんな様子だったか知ることができます。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ(1992.03.16読了)(1991.03.04購入) (「BOOK」データベースより)amazon 天明二年、紀伊家の廻米を積んだ神昌丸は伊勢・白子の浦を出港し、江戸へと向かった。まもなく激しい嵐に遭遇、船頭・大黒屋光太夫以下17名の乗員は舵を失った船で漂うこと8カ月、ようやくアムチトカ島に漂着する。孤島での4年間の生活の中で一行は次々と斃れ、残るは9名。光太夫は流木を集めて船を組み、カムチャッカ半島へ向う決意を固めた。オホーツクからヤクーツク、イルクーツク、さらに女帝エカチェリーナ2世に帰国願いの直訴をすべく、西の果ての都ペテルブルグへと、厳寒のシベリアを越えてソリの旅が続く。女帝の前で卑屈になることなく堂々と謁見を了えた光太夫は、許されて遂に故国の土を踏む。あの嵐の日から実に10年。しかし、鎖国の世に〈世界〉を見てしまった男を待ち受けていた運命は…。かつて日本人はかくも輝いていた。大歴史小説。
0投稿日: 2011.12.03
powered by ブクログ次々と仲間が倒れる悲惨な話。実話の強力さによっているのだろう。それにしてもロシア人っていい奴ばかりだ。
0投稿日: 2011.09.29
powered by ブクログ今年の夏は奥穂から涸沢を通り、徳沢園ロッジに初めて泊まった。 そういえばここは氷壁の宿。しかし井上靖の氷壁はつまらなかったなぁと思い出す。たまたま週間江戸に大黒屋光太夫のことがとても面白く書いてあったので読み出したもの。
0投稿日: 2011.09.24
powered by ブクログ船の漂流により江戸時代にロシアへ渡った船乗りたちの物語。故郷へ帰ろうという強い思いから時の女帝にまで拝謁した船頭の光太夫。それを助けようとするロシアの人々。彼らの精神力の強さと共に、ロシアという国土の広さと日本との果てない距離を感じさせられます。
0投稿日: 2011.09.23
powered by ブクログカフカの描く不条理を実際の人生において体験した話。 前半は、『城』を思わせる。 どこへ行っても実態のつかめないロシアという国。 そして、道が開かれたかと思いきや、そこに自分の居場所はない。 それは運命という言葉以外に、納得させるものはない。 人が見れないものを見たという幸運と、それに付随する代償。 その人生が幸せなものだったのか、不幸なものだったのか、それは他人には決してわからないと思った。 まだまだ自分の人生はこれからだな。
0投稿日: 2011.06.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人ってあっけなく死ぬもんなんだなと思った。光太夫たちが帰りついてからが特に面白く、そこにもっと照明を当ててほしかった。特に光太夫たちの空白のような晩年は気になる。 司馬さんの『菜の花の沖』を先に読んでおり、本作を読んで話がつながっていく感じが楽しかった。 靖さんの文章は田んぼの脇の溝を流れている水のようなどこか懐かしい透明感があって好き。
0投稿日: 2011.05.28
powered by ブクログキリル・ラックスマンが好きすぎて、思わず手を出してしまった1冊。 両親の実家が三重県鈴鹿市白子なので、その影響もありました。 現代においても海外に行くにはそれなりの準備を要するのに、漂流と形で辿り着いた異国に対する恐怖と驚きが巧みに描写されています。 個人的には、江戸に帰ってきた光太夫と磯吉が、日本の窮屈さに嘆いてロシアを恋しく思うシーンが印象的でした。 広い世界を知ったからこそ感じる、鎖国日本の視界の狭さ。 日本の土を踏んでも自由は与えられず、思わずロシア語で会話する二人には涙しました。 なぜ日本に帰りたかったのか、という光太夫の問い掛けに 「ラックスマンがあまりにも日本の石や植物を見たいと言っていたから」 と答えた磯吉。 純粋に日本に訪れたかったラックスマンの思いを汲み取った一言だと思います。 鎖国の罪深さを表したシーンでした。
1投稿日: 2011.03.09
powered by ブクログ読み終わった みなもと太郎「風雲児たち」に大黒屋光太夫の話しがあってから、ずっと読みたかった一冊。異国の地に一人でいるってことがどういうことか。留学中の身には少しばかり彼の境遇が近く感じられる。本当は全然違うんだけどね。
0投稿日: 2010.04.13
powered by ブクログ江戸時代に漂流してロシアを巡って日本に帰国、のちに幽閉されてしまった大黒屋光太夫の話。テーマも興味深いし、作家も井上靖氏だが・・内容が小説を書きたかったのか、記録的意味合いを込めた形にしたかったのか中途半端でイマイチ楽しめなかった。なんか残念。
0投稿日: 2009.06.25
powered by ブクログ時は江戸、大黒屋光太夫の漂流記。 彼はおろしや国(ロシア)で何を見たのか? 戦後の旧ソ連抑留者を思い起こさずにはいられません。
0投稿日: 2006.07.12
powered by ブクログまずは江戸時代に黒屋光太夫以前にも漂流してロシアで生を送った日本人が何人かいて,ロシアもいつか来る日の日本との交渉のために日本語学校を作っていたというのはおどろきだった.そしてほとんどの漂流日本人がロシアで生をまっとうしているところ,女王エカチェリーナ二世にまで直訴して帰国するまでの10年間の大黒屋光太夫の不屈な態度はすごかった.また大黒屋光太夫一行でロシアに残留するメンバとの別れは感動をさそった.そして何より,あれだけ帰国したかった日本に帰って逆に感じるようになるロシアへの故郷的な思いがとても切なかった.
0投稿日: 2005.11.10
