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唯脳論
唯脳論
養老孟司/筑摩書房
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総合評価

68件)
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    (2021/6/8読了) 難しい本である。 難しいのは、放談エッセイではなくて学術的な本だから、というだけではなく、脳が脳について語っているせいではないのか?と思ったら、だいたいそんな感じで合っていた。 脳の「構造」や「働き」から、数学にせよ社会制度にせよ脳から発するさまざまなものに到まで、脳にその原因(原型)がある。意識とは、言語とは、時間とは、…と話はいよいよ隘路へ入り込んでいく。難しい。 現代の「脳化」(特に都会には、人間の脳から発したものしか「ない」)とか、その死生観には納得。「死は当人にはなんの意味も無い」というような身も蓋もない正論には、却ってスッキリするし、そういう意味では、死が怖くなくなる本、でもある。

    0
    投稿日: 2026.03.06
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    ▶図書館にあり?タイトル同じで出版年月ちがうもの。 ●2025年12月15日、Yahooフリマで見つけた。今年4月に「スイッチ!」を購入した出品者さんの出品物をみてて見つけた。Yahooフリマで600円-300円引きクーポン=300円で買える。

    0
    投稿日: 2025.12.15
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    解剖学者である養老孟司氏が1989年に発表し、日本の思想界に衝撃を与えた一冊です。私たちが「心」と呼んでいるものも、「現実」だと思っているものも、すべては脳という臓器のクセ(構造)が見せているものに過ぎない、と述べられています。読了後、街並みや自分の考え事を見たときに「これも脳の構造のせいか」と俯瞰して見られるようになりました。抽象的な話や、解剖学の用語が出てくるため、じっくり腰を据えて読む必要があります。

    0
    投稿日: 2025.11.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『唯脳論』は、知識を得るための本というより、「考えるという行為そのもの」を体験する本だと思いました。 読みながら何度も立ち止まり、「なぜ筆者はこの章を置いたのか」「何が言いたいのか」と自問する機会が何度もありました。 養老孟司さんは、私たちが“常識”や“通説”として疑うことなく受け入れていることに気づかせようとしているように感じます。 ヒトが話す前提はヒト自身が作り出したものであり、それは人間の都合であるのではないかと、繰り返し伝えているように思いました。 特に印象的だったのは、“生物学的に考える”という視点です。 人間の構造は一万年前からほとんど変わっていないことや、脳が意識を持つに至った必然性についての考察は、私にとって新鮮でした。 私はこれまで、意識がスタート地点という前提で考えていたため、意識がなぜ必然的に生まれたのかを考える視点がありませんでした。 また、人間は高尚な存在ではなく、動物の一種であり、脳に剰余があることがヒトの特徴であると語っているのが感じられました。 ヒトがいかに“偉い”かを皮肉を込めて描き出しているのかもしれません。 自然保護を語りながら自然破壊を許容する矛盾や、数字に固執する社会の危うさにも、危機感を抱いているように思います。 後半の視覚と言語、構造と機能、物質界などの抽象的な話題は、前半で伝えきったメッセージを繰り返し形を変えて深めていく構成のように感じました。 難しい本ではあります。 ほかの感想でも「難しい」「また読みたい」という声が多いのも納得です。 しかし、思考を重ねることで確かな何かを受け取れる本であり、ただ理解するだけでなく、“体験”として読む価値のある読書体験だったと思います。

    1
    投稿日: 2025.05.28
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    現代社会は全て「脳」が創り出したモノである。 この本を読んだ直後にホームセンターに用事で行ったのですが、人間ってすげえってなりました。

    10
    投稿日: 2023.10.08
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    「エネルギーを巡る旅」に人間は脳化社会を作っていると記述があった事から、20年ぶりに読んでみた。後半は理解できない部分が多かったが、環境問題を論じる人が理性的でないように感じるのは、そもそも自然と脳つまり理性は対立するのが本質だから当たり前とはさすが養老先生。

    0
    投稿日: 2023.10.06
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    視覚と聴覚の連合、これが意味する内容の考察が興味深い。また、この感想を書く行為も脳による行為であることを自覚し、我々が脳社会の住人であることを想起する。

    0
    投稿日: 2023.02.16
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    『バカの壁』(2003年、新潮新書)以前に書かれた著作では、著者の代表作といえる本です。 著者は、「ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぼう」と述べています。ただし唯脳論は、「世界を脳の産物だとするものではない」と注意が付されています。こうした誤解は多かったようで、「解説」を執筆している澤口俊之も、本書が「世界は脳の産物だ」という主張をしているものと誤解をしていたことを告白しています。なお、この点についての著者の主張を正確に理解していたのは池田晶子で、『メタフィジカル・パンチ―形而上より愛をこめて』(2005年、文春文庫)のなかで的確な批評が提示されています。 「唯脳論」の中心的な主張はむしろ、「ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投射である」という著者のことばに、明確に示されているといってよいと思います。いわゆる心脳問題については、心臓と血管系の機能が循環であるように、脳の機能が心であるという主張が語られており、そうした立場から視覚系の機能と聴覚系の機能を区別して、人間の言語についての独自の考えが展開されていますが、心の哲学などでかまびすしく論じられている問題についての唯脳論の立場からのくわしい議論が提出されているわけではありません。 たとえば著者は、「われわれは、背中がカユイ時に、背中のことについてなにかを知っているのではない。脳についてなにかを知っているのである」と断言しますが、「脳についてなにかを知っている」にもかかわらず、それを「背中についてなにかを知っている」のだという思い込みが生じている以上、われわれは「背中についてなにかを知っている」ということがどのようなことであるのかを理解しているはずです。心の哲学では、志向性をめぐる議論においてこのような問題がさかんに論じられているのですが、本書にこうした問題のこたえを見いだすことはむずかしく、「文系と理系の対立を脳に還元してみる」という著者の企図はかならずしも成功しているとはいいがたいように思います。

    1
    投稿日: 2022.08.19
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    養老先生の本は、この本から読み始めるのがオススメです。先生の書かれる本に通底する考え方、物の捉え方が書いてあります。

    1
    投稿日: 2022.03.27
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    ”現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報器官だからである”(本書p007より) この一文で始まる本書は、脳科学がここまで人口に膾炙する前、1989年に発表され、これからは”脳の時代である”ということを喝破した一冊である。『現代思想』に月1で連載された論考がベースになっており、脳を巡り様々なテーマが綴られていくが、その人文社会学までも射程圏内にある著者の知性の幅広さと、解剖学者としての長年の経験に基づくその知性の深さという、2つの力が見事に結実した知的論考と言える。 私が本書を手に取ったのは、敬愛する菊池成孔が「自身が選ぶ100冊」的な文章の中で選んでいた1冊であったからである。その選出の理由がよく分かったのは本書において言語と音楽、リズムについて記されている章を読んでからであった。 人間が言語を獲得した1つの仮説として「自分の発語を自分で聴く」というフィードバックサイクルの存在を提示した上で、同様のメカニズムが音楽においても存在していること(いうまでもなく楽器の演奏においては、常に自らの音を聴き、他人の音と合わせた上で音量・ピッチ・トーン・テンポなどを調整するというフィードバックが常に働く)を示す。その仮説を裏付ける材料として、失語症と失”音楽”症(理由なく急に楽器の演奏ができなくなる)は、脳内の近接領域の機能不全から起こっている・・・、という議論の流れなど、音楽愛好者にとってはこの上なくスリリングな知的興奮を味わわせてくれる。

    0
    投稿日: 2021.11.28
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    ヒトの作るものはヒトの脳の投射。 社会の構造も、脳の機能の投射となる。 視覚/聴覚と運動の関係。人間が出力するものの様態を考える上での根幹になっている。

    0
    投稿日: 2021.07.21
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    今考えていること、哲学や社会学を通っていたが、なにか、あっけなくまとめてもらえた感覚だ。一連の終わりみたいな位置だった。少しの間、読書がライトになりそうだ。脳ね。いや体ね。社会も世論も本音と建前ではもううまく出来上がるわけがない。性も死も伏せててなにを語れるんだと。無理に決まってる。食を語って埋葬を語らず。死も体もなし。死んだら画面から消えるゲームの世界。読後にちょっと思った。言わなかったことが言いたかったことだったり、ヒトに信念があるから自然は復讐するんだと、それを理解しない風潮はより悪化していると感じさせた。

    0
    投稿日: 2021.05.28
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    ・意識とは、脳が脳のことを考えることだ ・下等生物には、意識がなくて、人間に意識があるのは、脳が進化してきた過程にある ・末梢神経と脳の神経細胞は地図関係にある (だから足がない人も足が痛むことがある) ・言語でも知覚言語と音声言語で違う

    0
    投稿日: 2021.01.09
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    現代社会は脳が社会に反映されている、いや脳そのものになったという当時としては斬新であったと思われる31年前にあたる平成元年出版の著作。 脳と社会に纏わることの証左を様々挙げながら、また特に著者の専門である解剖学の専門的な知識にも及んで、解説にもある通り、時々起こるような脳ブームのきっかけとなった本である。後に著書のヒット作「バカの壁」に繋がる代表作。 もちろん脳科学にも近接領域があって、心理学や哲学の文系よりの分野を巻き込んむが、その端緒になったようだ。 私たちは脳の中に住んでいる、という指摘をされると理解できる、というように人々が気付かないが本質的なことを著者の養老孟司は言ってくれるので結構長いこと著者のことが好きだ。本質や思い込みを指摘してくれることも大事だが、今東京では喫煙しにくい状態になっているのだが、養老孟司は喫煙者でありそこもいい。

    5
    投稿日: 2020.08.05
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    著者の博識を直感的な表現で記述されると、それが何を意味しているのか、バカの壁が高い者にはなかなか理解することは難しい。

    0
    投稿日: 2020.07.05
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    唯脳論とはなにか◆心身論と唯脳論◆「もの」としての脳◆計算機という脳の進化◆位置を知る◆脳は脳のことしか知らない◆デカルト・意識・睡眠◆意識の役割◆言語の発生◆言語の周辺◆時間◆運動と目的論◆脳と身体

    0
    投稿日: 2019.09.13
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    昔、ヒトは洞窟に住んだり、森で獣を捕まえたり、自然の中で生きていたが、文明が進むにつれ、建築物や道路、街路樹に囲まれた社会を作っていった。この社会は脳の大脳皮質が生み出した幻想。都会に住んでると、周囲のあらゆるモノゴトは単なる記号や情報にしか見えなくなってくる。自然から切り離されたデジタル世界に生きてる錯覚になる。でも、ネットとかで生々しい死体の写真や「九相詩絵巻」を見ると、「あぁ、ヒトも自然の一部なんだ」「あらゆる意識を生み出すのは脳という身体の器官なんだ」と気づいて背筋がゾッとする。心地よい幻想から目が覚めて、生々しい自然の中にいることに愕然とする。隠されるものは、一皮剥いだ死体、すなわち異形のものである。しかし、それがヒトの真の姿である。なぜなら、われわれがいかに進歩の中へ逃走しようと、それが自然なるものの真の姿だからである。ヒトを生み出したのは、その自然である。『唯脳論』1989 *********************** サヴァンのカレンダー計算能力、眼前の景色を完全に記憶するカメラ・アイ、演奏された曲をその場で覚える、桁の大きい素数を順次追う能力。これら能力はヒト社会では役に立たない。要求されるのは言語を使って他人と共有する力。p.165『人間科学』2002 機能は場所が決まっていない。肺の場所は決まっているが、呼吸の場所は決まっていない。心臓の場所は決まっているが、循環の場所は決まっていない。筋肉の場所は決まっているが、運動の場所は決まっていない。脳の場所は決まっているが、意識の場所は決まっていない。▼人間は自分の内臓に発生するがん細胞を感知できない。人間が感知できるのは外界。『からだを読む』2002 一元論。壁の内側だけが世界で向こう側が見えない。自分は変わらないという根拠のない思い込み。自分が違う人になるかもしれないと思えば、絶対的な原理主義は主張できない。p.194。人間は悩むのが当たり前、生きている限り悩むものなのに、悩みがあること、全てがハッキリしないことを悪いことと思い、無理やり悩みを無くそうとして、確かなものが欲しくなり、科学・宗教を絶対視してしまう。p.121▼己の日常とは別の世界を見て自分で何かを考える。p.169。安易に「わかる」「話せばわかる」「絶対の真実がある」と思うな。思考停止して強固な壁の中に住むこと(一元論)は楽だが、向こう側・自分と違う立場のことは見えなくなる。話が通じなくなる。p.204『バカの壁』2003 『まともな人』2003 人間が自然であり、高度なシステムだと捉えれば、畏怖の念が湧いてくる。それは結局自分を尊重していることになる。p.23▼自分の死体は「ない死体」。親しい人の死体は「死体ではない死体」。他人の死体は「死体である死体」。p.82▼中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考えがあり、中国人は死んだ後も人は別人になるわけではないと考えている。p.109▼ハプスブルク家は死ぬと心臓だけ取り出して銀のケースに入れて教会におさめていた。p.149▼「どうせ死ぬから今死んでもいい」は「どうせ腹が減るから喰うのを止める」と同じ。p.174『死の壁』2004 元気な自分と死にそうな自分は別の人。死ぬのは私ではなく別の人。死体は私にとって想像ではなく、平たい現実。▼フツーの顔を何枚も重ねていくと美人(特別)になっていく。当たり前の極限がノーベル賞。▼与えられた自然状態に対して、人間社会がやり遂げたことを考えれば、日本は世界でも模範的な国家のひとつ。p.242『人生論』2004 『無思想の発見』2005 感覚の世界ではすべてが違うが、言葉の世界ではすべてが同じ。言葉の「リンゴ」は赤くても青くても、大きくても小さくてもリンゴ。マンガはその「違う」と「同じ」をつなぐところに位置している。感覚の世界が地面で「同じ」の世界が天井で、そこに唯一絶体の神がある。p.34。人間は12兆個の細胞からできたものすごく複雑なもの。人間の複雑さに比べたら、原爆なんておもちゃみたいに簡単。そういう簡単なものに、ややこしいものをこわす権利はない。p.143『マンガをもっと読みなさい』2005 人は眠るとき意識が切れている。起きていると意識がある状態が続き、眠っている間は意識は切れている。死ぬということは最後に意識が切れてもう戻ってこない状態をいう。人生は点線。▼人が抱く死への恐怖は生前のものであって、死後は意識はなく死への恐怖もない。『養老訓』2007 現代人の悩みは人間関係の比重が大きすぎる。人間関係が肥大しすぎている。家族がどうだとか、友達がどうだとか。▼自然がない。花鳥風月。気ままな猫。方丈記。人間はあくまで自然の一部であり、自然の世界が縮小しすぎるのは良くない。▼日本人は7割が自分は無宗教と思っている。無宗教の「無」は仏教の無。『未来を変える選択』2012 個性は放っておいても誰にでもある。この世で生きていく上で大切なのは人といかに違うかではなく、人と同じところを探すこと。p.12。伝統芸能では徹底的に師匠の真似をさせられる。しかし、どこかがどうしても違ってくる。その違いが個性。弟子入りの段階から個性を伸ばせと言っても意味がない。p.34▼自分と世界との区別がつくのは、脳がそう線引きしているから。地図の中で自分の場所「矢印」はここと決めてくれているから。脳の空間定位の領野が壊れれば、自分と世界との区別はつかない。境目がない。p.19『「自分」の壁』2014 理系と文系の違いよりも、野外か実験室かの違いが大きい。『文系の壁』2015 同じの世界:見えているものが同じ,意識,数学,一神教,グローバル,イコール。違うの世界:見えているものが違う,感覚,芸術,多神教,ローカル,ノットイコール。現代社会は「同じの世界」に偏り,バランスを欠いている.たとえば,「白」という文字.これは意識でとらえると白色,感覚でとらえると黒色(文字は黒色だから).鴨川はつねに鴨川だと思っているが,流れている水は常に違う水.私はつねに私だと思っているが,人の身体は物質的には7年で入れ替わって違うものになる.人間はイコールを理解できるが,動物はできない.猿の話.朝三暮四(ちょうさんぼし)目先の違いに囚われて,実際は同じであることに気付かない.都市社会はエアコンで「同じ」気温,照明で「同じ」明るさ,石の床は「同じ」堅さ.「違う」「変化」は排除される。人間関係は「同じ」が好まれ,「違う」「変化」は嫌われる.生身の人間は常に変化する.その「違い」や「変化」が面倒臭い.いらない.となる。*ペットは「死ぬ」から飼うのを嫌がる人がいるが,これも「死ぬ」という自然の「変化」を嫌う現代人の特徴なのかも.『遺言』2017

    5
    投稿日: 2019.06.06
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    たぶん養老さんの伝えていることの0.5%くらいしかわかってない。それでも面白いと思った。難しいけど、その着眼点にハッとさせられたりひやっとしたり。 もうぜんぶがぜんぶ、脳に支配されてるじゃんって思った。自分で考えたって思ってることも、嬉しいという感情も、行動も、そしてこの社会も、ぜーんぶ。脳にとって都合のいいことが快感になって、脳にとって都合のいい方向に人間が進んでいく。 唯一死ぬことだけは脳は制御できない。これが唯一の自然。どんなこともぜんぶ脳に戻されるから、なんだかもう何も信じれないというか、考え始めると学習も思考も人生もぜんぶが取るに足らないことに思えてくるんだけど、一方で、だから、自分の脳を満足させてやるように生きようと思ったり。 もっと「経験」をつんだら、もうちょと理解できることが増えそうだから、本棚の見えるところに大事にとっておいて、また数十年後読み返そう。 (メモ) 唯脳論 ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぶ。 この本でわたしが述べようとするのは、文科系ひおける言葉万能および理科系における物的証拠万能に頼るだけでなく、すべてを脳全体の機能へ改めて戻そうとする試みである。だから、「唯脳論」なのである。 脳は「物(構造)」 心は「機能」 機能は構造から出てこない 身体の他の臓器と脳の決定的な違いは、脳には自己言及性があるということ。 自己言及性とは、自分で自分のことを考えること。(つまり、意識) それゆえに自己参入の矛盾を生じさせる。 →ラッセルの逆理、リシャール数 末梢を十分支配しない神経細胞は死ぬ 相手のない、あるいは相手に不足のある神経細胞は、間引かれてしまう。 →この前提から意識の発生を考える 受け取る側の脳だけが進化の過程で勝手に大きくなることはない。 では大きくなった理由は、 神経細胞が脳の中でできるだけお互い同士つながり合うことによって、お互いに「末梢」あるきは「支配域」を増やす。それによってお互いを維持する。(機能的に言うなら互いに入力を与え合う) 脳内の神経細胞が増加し、外部からの入力、あるいは直接の出力の「量」だけに依存するのではなく脳の自前の、あるいは自慰的な活動に、神経細胞の維持が依存するようにになったとき、意識が発生したと考えられる。 意識がそう言うものだとすれば、その単純な生物学的意味とは、神経細胞の維持である。

    0
    投稿日: 2019.02.01
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    シンプルにもう一回読みたい。難しかったが、脳の存在意義について、自分にはない考えを取り込むことができた。

    0
    投稿日: 2019.01.07
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    「心も社会も脳の機能である」。この本は脳の解説書ではないと著者は言う。しかし広く深く脳に関わりのあるさまざまな話題を取り上げている。心身二元論などのまやかしは胡散霧消し、脳が心を作りだした。この社会も世界もわれわれの脳が作り出したものである。構造と機能。視聴覚系と運動系。現在の脳科学はこの本が書かれたときよりもより一層脳が世界を作り出していることを解き明かしつつあるようだ。

    0
    投稿日: 2018.10.11
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    書いてる内容は凄く難解なのにスラスラ読み進んでいく興味深い脳みそ。ヒトを考えることは脳みそを考えることなのか。興味深い。

    0
    投稿日: 2018.05.23
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    養老氏の著作の原点? 解剖学者という視点から明快に説明されており わかりやすい 脳 機能 回路⇒思考 意識と話が進む 現代の脳が優位な背景を 知ることができる

    2
    投稿日: 2015.08.19
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    評判の割に、脳科学の側面からそこまで精神てものには突っ込んでない印象。論っていうにはちょっともんやりするよな感じ。

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    投稿日: 2014.08.27
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    残念ながら、自分が理解するにはまだ程遠い。 他の書物を読み耽ってから再挑戦。 以下項目抜粋。 ・ヒトが人である所以 ・心は脳から生じるか ・自己言及性の矛盾 ・死体は存在するか ・神経系とはなにか ・脳の構成要素 ・神経細胞のはたらき ・計算能力について ・脳に起こることだけが存在する ・「考える主体」は要らない ・眠りは生の一形式 ・意識の生物学的意義 ・言語の身体性 ・失「音楽」症 ・時間と自己同一性

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    投稿日: 2013.10.07
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    たぶん4年ぶりくらいの再読。 ようやく少しずつ分かるようになってきたような気がする。 でも、養老さんの知識の量や考えの深さが半端無いから言われていることがなかなか理解できない。 わたしの脳の中に養老さんの脳の中にあるのと同じ構造がなく、その機能が働かなければわかるということはない。 ただ、学習によって脳は変化するから、もし今回すこしはわかったような気になれたとしたらこの4年間でわたしの脳も少しは変化したのかもしれない。 それにしても養老さんは素敵だ! Mahalo

    0
    投稿日: 2013.09.04
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    脳は脳のことしか知らない、他の臓器もまたしかり、っていう発想は斬新す。言われてみればなるほどだけど、どうしても、人間は脳中心で動いてる、って観念にとらわれてしまうし、それが当たり前と思ってしまうから。でも、当たり前を疑うことに興味津々な今日この頃、唯脳論も魅力的な理論に思えました。

    0
    投稿日: 2013.07.21
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    僕では理解が難しい。でも、とても興味深い内容でした。 何度も読み返して、理解したいと思える本だと思います。

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    投稿日: 2013.05.13
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    脳の身体性を自覚させられる本。客観性は「外部」に存在するのではなく、「脳」に存在するという当然の事実に気付かされただけでも価値あり。

    0
    投稿日: 2013.05.05
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    脳のことについて考えているのは自分の脳、というループに迷いこんだ。ヴェラスケスの絵が印象に残っている。

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    投稿日: 2013.03.22
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     一読。よくわからない所も多。印象深かった所など、思いつきメモ。    心は脳の機能である、という。  それならば、筆者は言っていないが、逆から言えば、脳は心の構造である、ともなるはずである。どっちから言ってもよいのだと思う。「脳と心もまた、同じ「なにか」を、違う見方で見たもの」(p.30)だというのなら。にもかかわらず唯心論でなくて唯脳論を説くのは、唯脳論という語り方に利便性があるからなんだろうと思う。つまり、「構造」ということ。  ヒトなら同じ構造の脳を持っているはずである。だったら脳を調べれば、ヒトに「普遍」の形式、変化する中身を容れる、あるいは支える枠組みを把握できる。そして脳は物としてがんとしてそこにある。だったら把握するのに助かるはずである。たぶんそういうようなことだろうと思う。    「脳は脳のことを知る。知るとすればそれ以外にはない(p.112)」「意識にとって存在することは脳に起こることだけ(p.102)」。私が知っているのは、私に起こっていることだけ。私に起こっていることだけを、私は知っている。なんだ、常識じゃないか。なるほど古代人だって知っていておかしくない。  脳に起こるのは、外界の事物との出会いの反応の過程。もうひとつは、脳に出会う脳の反応の過程。脳は、脳以外のものに対して応答するだけでない。脳自身にも応答する。脳は脳にひとり語りする。思考とは、脳に反響するこだまである、とか言ってみたい気分になる。    筆者は直接は言っていないけど、いや「唯脳論はじつは身体一元論(p.41)」ともいっているから、以下みたいに考えてよいかもしれない。  実際日常的には、考えるだけでなくて、しゃべったり、頭をかいたり、お茶を淹れたり、脳内だけでこだまがおこるのでなくて、脳を「電話交換局」として、足の子指から耳の裏まで、体中にこだまが起きている。「思う」すなわち脳内の局所的反響は、私の一部にすぎない。脳は身体の一部にすぎないので。とすると、筆者の言葉(p.119)をもじるなら、たぶんこうなる。「私が存在すると言語で表現される状態、すなわち、私が身体を使う、つまり行為すると言語で表現される状態である。なぜなら、行為することこそ典型的な身体の「意識的機能」、つまり「身体が身体を知っている状態」であるから。」。ロボットは一生懸命働いているけれどたぶん自分が黙々となにか製品を製造していることをしらない。  私の身体、身体の私、私が身体。一つ目は、脳の、脳以外の身体への優位性、二つ目は、脳は抹消の奴隷、三つ目は心身一如、か。身体は、いつの間にか、あった。脳は気付いたら生まれていた。だったら、一つ目は言えない。脳は身体に所有されている。しかし、本当は、別に中枢と末端が主従関係にあるわけでもないから、奴隷ということもない。私が脳に局在しているわけでもない。両者が調和して十全に全身体が機能している所が、心身一如ということか。

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    投稿日: 2013.02.17
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    一連の脳ブームの端緒を拓いた…という紹介文の通りの内容です。 個人的に特に感銘を受けたのは、視覚と聴覚についての論考です。 視覚は時間を疎外あるいは客観化し、 聴覚は時間を前提あるいは内在化する。 外界の事物はただ何気なくそこに存在している。 脳はそれを聴覚や運動系に依存して、時を含めてとり込む。 あるいは視覚形に依存して、時を外してとり込む。 この二つが上手く連合するに至ったことが、 言語成立とほとんど同義である。 このへんが目から鱗でした。 他にももっとありますが、とりあえずこのへんで。

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    投稿日: 2013.02.01
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    「唯脳論」5 著者 養老孟司 出版 筑摩書房 p28より引用 “ところが、心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指し ている。”  解剖学者である著者による、脳の働きと人間社会などについて 論じた一冊。  ヒトがヒトである所以についてから脳と身体についてまで、解 剖図などを交えながら書かれています。  上記の引用は、心と脳について書かれた項での一文。 子供の頃は、心は心臓の辺りにあると思っていましたが、ああい う漫画的な表現はいつからされるようになったのでしょうか?  昔のSF等で描かれていた物などが、現実の世界に作られるよう になっているのを見ると、文明社会は脳の産物という話について 納得することが出来るのではないでしょうか。 ーーーーー

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    投稿日: 2013.01.07
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    脳は行動を支配し統御するよう進化してきた P228; 支配しているのは意識や精神である。原初は四肢の連絡調整の役割しかもたなかった脳が、精神が意識的に運動をコントロールするようになってきた。人間社会の進化と同じ。

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    投稿日: 2012.10.21
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    人が考えつくものは全て『脳』というフィルターを通している.公理でさえも.脳にあるものしか考えられない.

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    投稿日: 2012.08.31
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    教養として読んでおいたほうがいいんでないでしょうか 内容の是非はかなり賛否両論ありますね この人文章が下手くそだからわかりにくいけど、ぶっちゃけそんなたいしたこと言ってないよ。 だから楽勝で読めるって。うん。

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    投稿日: 2012.05.27
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    衝撃を受けた内容でした。 一つのテーマに、「都市は人間の脳が具現化している世界。」 というのがありました。 その理由は、今存在しているビル・車・高架などは自然界のものではない。もともと人間の脳でイメージして作ったものだから。 また、言葉・お金・社会がなぜ今存在しているのか。それも、これらの共通点である「交換」という機能が、もともとは脳の機能だから。ということ。 単純明快ですが、この気づきこそが養老孟司が注目される所以ではないか、と感嘆の思いで読みました!

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    投稿日: 2012.02.29
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    バカの壁は実に大衆にこびた面白くない本なのに売れ,この唯脳論はそれほど売れていない.こちらの方がおもしろいのに.理由がわからん.読み手の層の絶対人数の問題だろうが,それにしてもこの本が見過ごされているのはもったいない.学ぶべきことがたくさんある本だった.

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    投稿日: 2012.02.27
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    なかなか理解できたと思えず、何度も読み直し。”唯脳論”を主張している○○学者がほかにいるのだろうか。”唯脳論”の考え方は、非の打ち所がなく、かつ、養老孟司が唯一唱えているように思える。”唯脳論”の考え方は、もっと評価されていいように思うのだが。

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    投稿日: 2012.01.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自分にとっては難解な部類の本だったので時間がかかってしまった。 バカの壁でおなじみの養老孟司先生の本です。 小飼弾がバカの壁の内容を難しくしたものだと評していたが、なるほどうまく言い当てていると思った。 自然は別としてこの世の中にあるモノはすべて脳が作り出したモノで、私たちは脳の中に住んでいる。 斬新な発想だと思います。すごく理解できる。 それをもっと突き詰めて考えていくと、この世界をどうとらえるのかは自分次第で良いも悪いもどうにでも変えることが出来るということをいいたいのかな?なんて思ったりもした。 あと人間の脳が他の動物と比較してここまで大きく発達した理由は、解剖学的にいう人間には意識、つまり“心”がそこにあるからということでしか証明できないというのは、不思議だけど納得できました。

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    投稿日: 2011.11.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    10年ぶりぐらいに読みました。普段から養老先生がお話ししていることの原点のような内容で、真新しいことはそれほど書かれてはいませんがその碩学ぶりには驚きます。読み方を変えれば、かなり冒険的な内容もあり知的好奇心をくすぐられる良い本でした。

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    投稿日: 2011.10.29
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    とても面白い。しかし最後の解説はなんなんだ一体。非常に失礼だけど、実験動物みたいな奴だなと思ってしまった。

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    投稿日: 2011.09.26
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    はしがきを読んだ限りでは、かなり面白いと思ったがどうもこの人の文章は胡散臭い。 わざと難解に書いてぼかしてわかりにくくしているだけで、内容がないように感じるのだ。 厳密に言えば間違っていることも多いだろう。まあ、つまらなくはない、という程度の本である。 暇つぶしにはなるが、時間を大切にしている人間には無駄なものだろう。 はしがき等の あらゆる人工物は脳の産物ゆえ、現代人は脳の中に住んでいる。その意味でわれわれは御伽噺の世界に住んでいる。 という主張のみ受け取ろうと思う。

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    投稿日: 2011.03.12
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    バカの壁で有名な解剖学者、養老猛司先生の本です。 ある種、先生の核になる本である気もします。 一つ一つが簡潔に述べられているはずだと思うのですが、あまり専門的な基礎学が無いと次々と疑問が生まれて、脳に押し込む過程が難しく、一般的な本と違って普通に読む事が出来ません。 もう、教科書レベルだと思います。疲れる。 ただ、普段意識していない事をさらっと書かれていて頭をガツンと殴られた気もすれば、普段疑問に思っていた事の解が書かれてありスカッとしたり。 非常に忙しく、また面白いです。 夢の話がまさにそうでした。 印象深かったのは、脳はとても複雑だが一つ一つの神経細胞の機能からすれば複雑ではない。 なのに記憶や心理、計算、感情などが生じるのは複雑怪奇だ、と。 脳を解剖しても心は出てこない。本当に謎だ。 数学に関してもなるほど、と。 数字そのものが人の脳が作り出したものなのに、それを使って証明している。 いつの間にか「無意識」に数字が存在している。 先生がこの本を書かれてもう10年以上。 おそらくこの本で書かれている計算機、つまりパソコンもかなり進歩しました。 ネット、という媒体の事も考えたらもっと飛躍的な進歩だと思います。 もちろん計算機には違いありませんが。 ネット社会なんてもう純粋な脳社会。 SNSやtwitterなんかはもう脳内がデジタル化された世界です。 計算機を物理的な意味で脳化させるというより、脳を補助する役割を担っている現在、先生がこれ以上は大脳を肥大化させるしかない、という部分がデジタル化されてきているような気がします。 若い人は・・・という部分に書かれていますが、自分みたいな途中からパソコンが普及しだしたよりもっと若い世代、ネットが当たり前の世代にとって脳の一部をそこで補助した場合どうなっていくのか、とても怖くもあり楽しみでもある気がします。 どっかの世論でゆとりとか言われて衰えているんじゃないか、という風潮もありますが、デジタルで補助したその差分が何に使われていくのか・・・脳はそんなにやわいもんじゃ無い気もします。 にしても、焼夷弾の話ではないですが先生の時折挟む皮肉というか、ブラック的な表現がクセになりますね^^; 難しい話のはずなのに、分かり易く面白く読める。 本当に凄いです。 脳化社会の中で脳が脳を考える時代なんですね。

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    投稿日: 2011.02.24
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    脳が世界を作った。 世界は脳だ。 社会は、身体を存続することができないからこそ、作られる。 ……… 解説者も言うが、消化しきれないほど深い内容だが、深いからこそ読み応えもあるし、興奮する。個人的には、言語のところが面白かった。

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    投稿日: 2010.11.07
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    めっちゃ面白かった。専門的なことはもちろん書かれているが相当わかりやすかった。ただ求めていたものがかかれていなくて残念だったが後悔はしていない

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    投稿日: 2010.07.19
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    期待したほどの本ではなかった。 「脳は脳のことしか知らない」など、知的なヒントは散見するものの、そこから深く追究していくということがない。 解剖学者なんだからこんなものなのか。

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    投稿日: 2010.05.07
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    じっくりと、自分で考えながら読むべき本。文章が非常に論理的。 人工物とは脳の産物である。 本を読むということは、著者の思考の過程(脳の状態の遷移)を自分の脳で追体験することである。

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    投稿日: 2010.04.25
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    解剖学の観点から脳とは何か、構造、機能、意識とは、言葉とは、さまざまな角度から脳の本質を論じていく。 今われわれは脳の作りだした桃源郷に住んでいる。 そこから解放されるか否か、それは私の知ったことではない。 だそうだ。 読むのに頭をつかう(それこそ脳をつかう)が、久々に質のいい大学の講義受けたような気分になれる。

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    投稿日: 2010.02.10
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    考えない様に、、と考えてしまう。。。 人間にとって「脳」とは何か? 人間は身体拡張を続け、足は高速で走る車、そして空を飛ぶ 翼へと進化し、そして、人間は「脳」の拡張へと向かう。 心ってなんだろう? 「脳だけをとってみても、物質になったり、心になったりする。 それが、われわれの脳が持つ性質なのである。」 物質としての脳からなぜ意識や心が生まれるのだろう? 現代社会を「脳化社会」として、身体の拡張から「脳」の 拡張へと進化?する人間。 心と体の秘密が分かって来る。

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    投稿日: 2009.11.19
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    『バカの壁』は、本書を「バカ向けに書き直したもの」(小飼弾氏)だから、本書の予習編として読むとよいだろう。 『バカの壁』を読むなら『唯脳論』を読んだほうが、中身が濃くていい。(小飼弾)

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    投稿日: 2009.10.26
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    10年ぶりに再読。視覚系と聴覚系の脳による融合からの言語の発生が面白い。構造と機能、量子と連続などの脳による統合から、哲学的諸問題の様相が見えてくる。完全に脳化された都市という場は、人間、人類を更なる脳化に導くのだろうか。身体の一部としての脳が、身体性を完全に隠蔽する時、人類は今の人類と同じでは無くなる。

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    投稿日: 2009.03.05
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    難しい!とは思うけれど ぜひ読んで欲しい一冊。 バカの壁が養老猛司さんのすべてではないことを 知れる一冊です。

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    投稿日: 2008.11.30
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    ムズカシイ。社会というものは脳の機能の延長上であるという。ならば、”社会”という単語の入る学問は脳の機能についての学問であるといえるのではないだろうか、みたいなことが後半のどこかに記述されていた。積読していたので、そこしか印象にないだけだけど(笑

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    投稿日: 2008.11.05
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    なかなか面白い本で、89年発行時は結構斬新であったと思われる。脳研究者の「あとがき」は少し暴走ぎみであるが、本書の内容はそれを差し引いてもなかなか深く広い。循環系をいくら分解しても循環がとりだせないように、脳を分解しても心が出てこないことを示し、社会や心が脳の産物であることを示す。また、目的論と運動系の関係、聴覚と時間の関係、視覚と聴覚の連合と言語の関係などなかなか刺激的な理論にみちている。

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    投稿日: 2008.08.28
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    唯脳論。解剖学や生理学の専門的な内容もあり、養老孟司の一般的な著作に比べるとなかなか難しい。言葉や文化、文明はすべて人の脳の枠内に包含されているというのが唯脳論の主張だと理解した。都市化や文明化は詰まるところ、脳が地球にある「自然」を脳が作る「人工物」に置き換えていくことのようだ。だから、養老さんは残された自然である虫に全面的に目を向けているのかな。

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    投稿日: 2008.08.18
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    だいぶ前になるが、某ニュース番組で脳化社会への警鐘を鳴らしていた養老氏の「脳化社会」という考えをより深く理解したいと思い、読み始めた。 養老氏の現代社会に関する考え方は、この本の「はじめに:唯脳論とは何か」と「エピローグ:脳と身体」を読むだけでも十分理解できる。情報化社会とはすなわち社会全体が脳化することを意味しているし、医学的な見地から見ても脳そのものが情報器官であることからも簡単に説明がつくと説明する。 しかも情報化以前に近代化を推し進めてきた時代背景も、それよりももっと過去からの人類の歴史を顧みると、伝統や文化社会制度、言語も全て脳の産物であるから、「私たち人間は脳に従属し脳の中に閉じ込められている」という表現を養老氏は用いる。 基本的な本の構成としては解剖学者である著者が脳そのものを哲学を抜きにした形で正面から、運動器官としての身体と情報器官である脳との関係を捉えなおす上で用いられるのが、唯脳論である。くれぐれも注意しなくてはいけないのはこの言葉は養老氏の造語である点だ。 人の活動を、脳と呼ばれる器官の法則性から全般的に眺めようとする観点を唯脳論と定義づけている。確かにわたしも読み始めてすぐは、意識や意志を持つ上では脳の器官は自己定義にそもそも必要であるし、それを体現するには身体を使わなくてはいけないので、この議論がわからないところがあった。しかし、身体と脳を切り離して考えてみることで現代社会やそこに住む人間が抱える複雑な問題を解き明かすに十分な客観性を与えうることにまずもって驚いた。 他の内臓器官とことなり心を特別視する人々にとっては、「心」が脳と同一であることになじめないと指摘し、それを作用と機能という二つの枠組みを適用することで鮮やかに峻別している。他の臓器ではまずモノとしての臓器の構造を視覚を通じて理解し、そこからその臓器の機能を理解する。一方で脳についてはまず考える、意識するという機能そのものが先にたって、構造を理解するのが後に来るという逆転現象が生じる。しかもまだ人間は自分達の心である脳を完全には理解しきれていない。 心を分析して理論化された心理学に対して、物的な視点である解剖学的見地から脳の機能を解体していくと、人間が人間であるがゆえに必要な脳のある部分は簡単に理解することができるが、さらに奥深くて真理がそこに存在するのかどうかさえも分からない更なる問題に直面する。この点を理解できただけでも読む価値のあった本だった。 脳化社会に生きる人間はいつか脳の身体性に復讐されることになると養老氏は予言する。その復讐がいかなるものかは養老氏は指摘しないが、ダーウィニズムを前提に議論が展開される本書においては自然界における生態系の進化から派生した人間にそなわる「自然」が脳化社会の中で生きる自分の脳をストレスや心労などを通じた心の病気や傷といわれる形で、現実化しているのではないかと私なりに解釈している。 個人的な関心ではあるが、現代における脳化した社会と、映画「マトリックス」で描かれた人間が機会に従属し身体の運動機能を熱源として利用されて脳が何も意味をなさない時代設定を、比較してみると養老氏のいう「脳化社会」がどんなものかが少しは分かりやすくなるのかなと思ったりもする。

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    投稿日: 2008.03.16
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    100528読了。 養老氏の著作は理系の研究者が書く本にしては、かなり歯切れが良く、読みやすい。ただ、この本を読んで、その切れ味鋭い舌鋒に「世界とは脳だ!」と巻かれてはいけない気がする。著者がそもそもこの本を書いた理由は「文系と理系の対立を脳に還元してみる」というものである。要は試みであり、思想の提言ではない。  岸田秀が「ものぐさ精神分析」において唯幻論を提唱したとき、私はその理論の明快さにはらはらした。その影響で、今でも私の中では「自殺は幻想我の保持である」とか「人間は最初不能であった」というフレーズが大きな価値観になって占めている。無論、あくまでも岸田氏は心理学者であったから、実証可能性において所詮文系の創りだした都合のいい物語にすぎない、と良い意味の読者であることを誓うこともできた。  しかし、養老氏は解剖学者である。理系の人の説く理論に私はどうも弱い。文系の人の弱さが実証性で、理系の人の弱さがレトリックや訴求力であるならば、養老氏は両方を克服しているように思える。だから、一瞬そのハイブリッドな筆致に信奉してしまいそうになるが、脳においては未解明の部分も多く、実証性は欠けること、また、たまに何を言ってるか良く分からないので信者にはなるまい。幸い本人も「脳とは順次連結していく神経細胞の集合体にすぎない」というように、脳至上主義者ではないから、その辺は一歩引いて読むべきだろう。 また、連載であるからところどころ話が飛ぶ。  「計算機という脳の進化はわれわれの脳の一部の、これからの進化なのであって、原理的に脳を代替するものではない。」という記述で、人工知能の不必要性がわかった。  睡眠は休みではなく、脳の情報整理活動であるから、無意識といえど生の一部である。  一番頷いたのは、意識の発生について。脳にとってみれば、「自分自身が成立していくために必要なこと」が意識である。だから、意識は脳にとって必然である。心の問題に関しては、意識と言い換えればよいのであり、構造と機能の問題に変わりない。 構造主義、視覚主義(永遠or一瞬)⇔機能主義、聴覚主義(流れる時間)   「わかる」とは「形をリズムにする」こと。要は、ヒトの意識による視覚系よ聴覚系の連合である。 ブローカ中枢→運動性言語中枢 ウェルニッケ中枢→聴覚性言語中枢 角回→視覚性言語中枢 ヒトの認識の普遍性について、丸山真男の論文を脳の時間意識の変奏に読み替えた部分は、素晴らしい。自然科学と人文社会学の普遍性を垣間見せてくれた。  

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    投稿日: 2008.02.07
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    高校の頃に読んだ。 今でも脳みそに刺激が欲しいときに読む本。 最近の養老先生の本よりオススメ。

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    投稿日: 2007.11.19
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    身体の様々な器官、 その延長として都会や文化といったものを 脳の機能とからめて説明している。 難しかった。

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    投稿日: 2007.09.03
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    解剖学者、養老孟司の哲学本。「循環」が取り出せるのか。一緒くたになってた機能と構造を分けてくれた本です。

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    投稿日: 2007.01.24
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    いろいろな事を考える上での,自己を含めた「ヒト」の根本的な立ち位置について,深く考察した本.作者の博覧強記ぶりに圧倒される.

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    投稿日: 2007.01.15
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    解剖学がご専門の養老孟司氏による脳のお話。「バカの壁」では物足りない方は是非こちらを。この方の主張は一貫性が強い(同じ事が違う著書でも良く語られる)のですが、その原点がこちらの著書のような気がします。

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    投稿日: 2006.07.16
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    養老さんはここから始まってます。おそらくこの本抜きで、21世紀の日本を語ることは出来ない、それほど強いインパクトを僕らに与えた、と思える本です。

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    投稿日: 2006.05.19
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    好きなんだなぁ〜養老孟司の本!!もともと、理系だったので高校の時に、父から紹介されてはいたものの、大学に入ってから初めて読んだという1冊。「バカの壁」を読んだ人は、こちらを読んでもう一度読みましょう!より深く養老先生の考えが分かります!

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    投稿日: 2005.10.16
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    結局脳なのかな? という気にさせられる本。 脳の能力の限界が人間の認識の限界なのかな?本当のところは全くわからないけれどね

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    投稿日: 2005.05.22
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     初めてこの本を読んだのは高校生の時。  雑誌のレビューを読んでソッコー欲しくなりお取り寄せした一品。  最近また買って、読みなおしたのですがやっぱりこの辺の養老氏が良いなぁと思いました。  日頃から思っていた疑問がさらに深くなるような本です。  例えば自分が見ている『赤』という色。それは視覚的な感じ方ではななく、自分が『青』と認識しているものが一般的には『赤』と認知されているとしても会話は成立してしまうから、それが本当はどういうものか永久に解らない。それを『赤』と社会的に認識するのはいわゆる脳の作り出す『情報から成り立つ社会』であって…みたいな感じです。  結局の所書かれている内容に明確に『コレだ!』という答えは出ない(出せない)のだけれど、その事について懇切丁寧に書かれていて、心地の良い疑問の残り方がします。  私はコレで読書感想文を書いたのですが、小説を読んで感想を書くよりも、こういう本を読んで感想を書いたほうがやりやすかったです。

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    投稿日: 2004.10.22
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    ちょっと前、同じ養老孟司さんの『バカの壁』を読み、面白かったのだけど、食い足りなさ感、煙に巻かれた感が強かった。まあ、口述筆記のせいかなと思い本書を読んでみた。こちらはちゃんと書いたものだし、厚さもかなりある。 しかし、読んでみたらまるで同じ印象でした(笑)。また煙に巻かれたような。同時にこちらの脳味噌の出来が悪いせいでついて行けてないのか。 非常に大まかに中身を紹介すると、前半は脳の各部分の構造、中盤は言語を軸に「聴覚系-視覚系」の統合のお話、後半は思想史に脳の構造が及ぼした影響の検証となっている。 幾つか成る程と膝を打つ部分もあったが。例えば筆者曰く、「我思う故に我あり」というが、普通日本語で「我」の部分を書かない。「〜と思う」とただ言うだけである。そしてその方が論理的である、といったようなクダリだ。 その、考えてみれば訳の分からない「我」に拘りまくったのが近現代の哲学とも言えるとは思うのだが…。彼はそれは「考えているのは脳に決まっている」と両断する。身も蓋もないが、これって哲学的にも実は含蓄のある表現だと思う。 で、本書の後半では進化論者や歴代の哲学者がかなりばっさばっさと切られていて私的にはかなり戦々恐々として読みすすめた。あまりのばっさり感に胡散臭さも感じるが、ほら話では済まない何かがあるのは確かだと思う。 はっきり言って私の脳がそこら辺整理しきれないので、もう一度読んでみようと思っている。 ところで巻末の解説文を読むと、養老さんのそれとはあまりに質が違うので、改めて氏の凄さと胡散臭さが浮き彫りになって面白い。

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    投稿日: 2004.09.29
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    おそらく、本当に理解は出来ていないのだろう。それでも、ワタクシの人生に影響を与えてしまったスゴイ本。

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    投稿日: 2004.09.23