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これがそうなのか
これがそうなのか
永井玲衣/集英社
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総合評価

9件)
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    永井玲の著書は全て読んでいる。新しい感覚に目覚めさせてくれたり、ことばにならなかった物事に気がつかせてくれる、私にとってとても大切な存在だ。(あ、『さみしくてごめん』は積読中でした) 今回もとても良かった。しばらくはその余韻にぼーっとしてしまう。 第一部は『問いはかくれている』。新しいことばや気になることばに潜む問いを考える12篇。 第二部は『これがそうなのか』。著者が幼い頃から読んで強く感じたことばたちを深く掘り下げる、12篇。 第一部ではクスッとしたり、あーそうそう、でもそこまで考えたことなかったな、なんて、比較的軽く読み進めることができる。『若者の喫茶店のマスター化』なんて言い得て妙で、笑ってしまった。 それと比べて第二部は、こころに突き刺さってくることばたちがたくさんあった。新たな視点をもたらし、私に新しい風を送り込んでくれる。 まさに読む前の自分とは違う。ベタだけれどそんな気分だ。 『おれたちがこわいか?』何年経っても著者を追い回したその問いは、著者に新たな気付きをもたらす。『顔たちはそう問いかける。ここでは、わたしがふるいうる暴力の可能性と、そしてそれにどう応えるかが問われている。そしてわたしはおそらく「あなたは脅威ではない」とこたえるところからはじめたいのだと思う。』p310 世にはおぞましいことが溢れていて、気になりだすとそればかりが耳に目に入ってくる。最近文芸でもノンフィクションとあまり違わないフィクションが多く、そんな不条理も知る必要があるしむしろ知ることは大切だと思っているわたしだが、それでも少し疲れていた。 著者が教えてくれたように、わたしも"あなたはこわくない"という前提にたち、わからなくとも一緒に座って考えることからはじめたい。

    10
    投稿日: 2025.12.06
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    永井玲衣さんの本を読んでいると、靴の中にある小石のような、前後ろ逆になった肌着を着ている時のような、日常では見過ごされるちょっとした違和感を掘り下げて観察している気持ちになる。私にはそれがとても新鮮に見えて、もっと言葉を、世界を知りたいと思わせてくれる。永井さんの本を読んで、私の中で生まれた言葉にならない違和感を言葉で表せるようになった。これからも楽しみにしています。

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    投稿日: 2025.11.30
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    本に育てられてきた、本が先で世界が後だったという永井玲衣さんの「ことば」に問いを投げかけるエッセイ。永井さんが過去に触れてきた本やことば、そしてそれをもとにした視点や問いにたっぷりと触れられる一冊で、やさしくて贅沢で噛み締めるように読みました。どんなことにもことばにも問いはかくれていることにまず気付けたことがよかった。良い本だったよ〜〜

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    投稿日: 2025.11.23
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    言葉は、必ずわたし以外のものとつながっている。言葉は、わたしたちを外部へと連れていく。わたしたちはそうして、言葉によって出会い、言葉によって隔たり、言葉によってかたちづくる。言葉は、あなたを見て、わたしを見ている。(p.6) ことばや身近な事象を深く掘り下げることにとことん長けている人だなと思う。 ・「原作レイプ」「〇〇ハラ(スメント)」によって、本来の「レイプ」「ハラスメント」のもともとの過激さが失われる。 ・様々な「〇〇活」という言葉を見た後に、ふと目に入る「生活」を見たときに、「言葉にした途端、すでにある言葉が見慣れぬものとして立ち上がってきた」と気づく。 ・「超」「めっちゃ」、そして「鬼」。強調の飾り言葉はついに「神」。これ以上の表現がないかと思ったら、後にくる言葉が「かっこよすぎて普通に死んだ」と、「普通」であった。 いつも使う言葉を一歩引いてみたりするだけで、ふと疑問に思ったりするだけで違う世界が見えてくる面白さはある。言葉は軽くなったり、新しい意味が付与されたり、そもそも新しい言葉が誕生したり、というのが常に発生している面白いものだ。なので、以下の表現は自分の中では大切にしておきたいと思う。 ======= 世界の奥行きの中に、問いはかくれている。見つけたならば、そっと取り出して、わたしたちに見せてほしい。きっとうつくしいはずだ。(p.172) ======= 「そして生活は、続く」で思い出すのは星野源さんのエッセイだが、まさかこの言葉で打ちのめされるとはこれまであまり思えていなかったので以下の箇所が新鮮だった。そうか、続くということが希望でもあり絶望でもあるのか。 ======= 「そして生活は、続く」という言葉に、わたしは打ちのめされた。どんなことがあっても、ここが行き止まりだと思っても、感識するようなことがあっても、誰かがいなくなっても、生活は続くのだ。これが絶望的なラストだと言うひともいるかもしれない。でも、そうなのか。「そして生活は、続く」とわたしは口の中で何度も繰り返した。胃液でにごった口の中に、ハッカのドロップが入ってくるようだった。 言葉は、少しの痛みと清々しい冷たさを運んできた。このわたしの、とりかえのきかない、ひとりの感情をもった人間としての生は続く。それはやはり、誰かにわたしの生を簡単には奪えないということでもあった。(p.284) ======= その星野源さんの『そして生活は続く』を少し読み返してみたら「なにげない日常」から面白さを見出すためには努力と根性が必要と書かれていて、これはこれでひとつの苦しみなのかもしれないと思った。永井さんも意識的か無意識的かはわからないけれども、その日常の中を散歩や問いを立てることを通して、たくさんの面白さを見出しているのだろうか。それはとてもすごいことなんだな。 ======= 「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」どや顔でそんなことを言う人は苦手です。「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすためには、努力と根性がいります。黙っていても日常はおもしろくなってはくれない。見つめ直し、向き合って、物事を拡大し新しい解釈を加えて日常を改めて制作していかなきゃならない。毎日をおもしろくするのは自分自身だし、それをやるには必死にならなきゃ何の意味もない。  つまり、一生懸命生きなきゃまいにちはおもしろくならないってことだ。(p.203) =======

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    投稿日: 2025.11.23
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    永井さんのこれまでの単著は全て読んでいますが、「この人にはどれだけの言葉の埋蔵量があるのだろうか?」と毎回圧倒されます。全く底が知れません。 本作で心に残ったのは、あとがきにあった以下の部分です。作家・建築家の坂口恭平さんが最近読んだインタビューで近い趣旨の発言をされていたので、自分の中で思わぬ共振を起こしました。 たった一言でも「これは!」という言葉に出会えれば人は生きていける、と。 『本を読むことも、対話の場をつくることも、言葉に出会うことだ。そこで起こること、起きていること、すべてを「わかる」必要はなかった。たった一言、たった一行、身体をつらぬく言葉に出会えれば、それだけで十分だった。』

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    投稿日: 2025.11.18
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    第一章のみ読了。今のところおもしろい! ただ頭を使って丁寧に読みたいので、もっと元気なときに第二章から読み返したい。

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    投稿日: 2025.11.17
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    言葉に対して言及する前編と、言葉を扱う後編。とあるところの「現実を知るということは現実を肯定すると言うことにはならない。」という旨の言葉、非常に刺さった。自分に「言葉ってなんだろう?」と問いかけてみるけれど、私の中では「伝えたい、伝わって欲しい」という祈りに感じる。もしくは、呪い。優しく、そして真剣に、真摯に現実とも向き合い続ける永井さんは本当にすごいよなぁと思う。私も30代になったら、こういう風に生きられるだろうか。たくさん対話したい。

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    投稿日: 2025.11.17
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    「ことば」についてのエッセイ、と簡略化してしまうことが激しく憚られるほど、厚みのある、幾重にも「ことば」が積み上げられた、そんな一冊。 自分はインプット型だから、と半ば折り合いをつけていた私自身に、「自分のことば」を発見し、出会ってしまったそれにおそるおそる触れてみる勇気を授けてくれた。そう、誰かのことばを知るだけでは、不十分だったのだ。私が「私のことば」に出会うこと、出会うために必要不可欠である他者という存在、そこからまた生じる世界の奥行き。 ことばに支えられ、裏切られ、翻弄される私たちが、私たちのことばを手にして、他者にそれを手渡すとき、私とあなたの隙間にそれをおずおずと注ぐとき。希望も絶望もすべてをひっくるめた可能性が、私たちの眼前に立ち現れるのでしょう。

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    投稿日: 2025.11.16
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    学生時代は数式で生きてきた理系なので言葉が分からなすぎて読書をしてこなかったけど、世界がグレーだと思い始めてから、本を読んでモヤモヤを漂う時間に心を揺さぶられつつ落ち着かせる日々。土を耕してならすような感覚。 言葉が、他人が、 理解できないことがあるが、きっとそれは開かれた可能性ということなのだろう。何気ない他者の言葉の中に含まれる絶望や祈りや希望、もしくは虚無。当たり前のように普通に発せられる言葉の中にいかなる問いを見つけるか、そこに物語を続けるケアというのもあるのではないかな 永井さんの本は前半で問うことをウォーミングアップして、後半でどっぷり深海の中に引き摺り込まれて彷徨って漂う感じがあって、とにかく後半が人間らしさを取り戻すもがきで揺さぶられる。今回もそんな本で好き

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    投稿日: 2025.11.09