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軽自動車を作った男――知られざる評伝 鈴木修
軽自動車を作った男――知られざる評伝 鈴木修
永井隆/プレジデント社
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総合評価

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    著者はポジティブに書きすぎているが、色々闇もあるんだろうなぁと。 もし、スズキという会社がどこかで淘汰されていたら、日本の車社会はどのようになっていたのか?を想像するとそれはそれで面白い。

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    投稿日: 2026.03.23
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    『軽自動車を作った男』…彼が発明した訳でもなく、技術者であった訳でもなく、それでもこのタイトルが説得力を持つのかなぜか?スズキという会社のオーナーであり去年の流行語大賞のように「働いて働いて働いて働いて働いて」そしてそのまま2024年94歳で亡くなった男の評伝です。表紙にある眉毛が飛び出し大きな口を開けて笑う写真、もう一枚、最初に出てくる新幹線の車内で背広に着替える写真、この2枚でその人となりが強烈に伝わってきます。生涯現役の経営者であろうとし、日経の『私の履歴書』を嫌っていた彼の『茂の履歴書』がこうやって世に出ることは非常に価値があることだと思います。それは日本の社会の変化と産業のグルーバル化の進展と税制を通した政治の移ろいを凝縮した物語になっているからです。それを「中小企業の親父」という自認でしたたかに乗り切っていく人生はまるで物語というより講談のよう。理屈じゃなく運命と勘所と人情で突き進む姿は、ある意味、21世紀の「昭和」でした。これがノスタルジーになるのか、新しい時代のヒントになるのか、次世代はきっともがき苦しむでしょう。

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    投稿日: 2026.01.11
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    『浜松商法の発想 ホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキの超合理主義』(梶原一明著、講談社)には、 遠州地域発企業の特徴が指摘されている。伝統はあまり重視されず、新しい事業に転業してしまう②東京や大阪を素通りして、世界を相手に商売をする③群れをつくらない。「よそはよそ、 うちはうち」という考え方④よそ者が成功する、など。  ヤマハの創業者である山葉寅楠は、和歌山県出身(寅楠の父親は紀州藩の下級武士だった)。山葉のようなよそ者を受け入れる開放性が地域にある一方、ホンダやトヨタのように地域から出て行く会社もある。「来る者拒まず、去る者追わず」という気風なのだろう。  現在、浜松に残って一番成長した会社がスズキである。実現させたのは鈴木修だ。鈴木修はやはりよそ者の岐阜県下呂市出身であり、鈴木家の養子でもある。  やはり上場している、大手部品メーカーの役員は、2005年にこんなことを話していた。 「ホンダは、「多少高くてもいいから、新しい技術を入れてくれ』と言ってきます。対するスズキは、『新しい技術はいらないから、安くしてくれ』と要求してきます。既に他社に供している部品なら、安い上に品質も安定しているわけで、スズキは欲しがります」  では、経営者としての鈴木修とは、果たしてどんなタイプだったのか。  組織と個人との関係を、米国の経営学者イチャック・アディゼスが提唱するアディゼス協労的マネジメント法を切り口に考察してみよう。プレジデント2003年10月13日号 『アディゼスの定理 倦怠組織は「人材4タイプ」のバランスに問題あり』(久保田正志・著)を参考とする。  コロンビア大学で博士号を取得したアディゼスは、スウェーデン政府やメキシコ政府、バンク・オブ・アメリカ、さらに世界最大の半導体製造装置メーカーである米アプライドマテリアルズなど、多分野で経営指導をしてきた。  アディゼスは、CEO(最高経営責任者)をはじめビジネスパーソンの類型を次の4タイプに分類した。 ①E=アントレプレナー(起業家):独創性豊か。新しい価値を生む。その反面、無駄が多い。朝令暮改。職務では、研究・開発や商品企画、創業者に向く。 ②P=プロデューサー (実務家): 猛烈に働く稼ぎ手。実行力高い。その反面、仕事を抱え込む。部下に権限委譲しない。職務では営業に向く。 ③A=アドミニストレーター(管理者)組織に秩序をもたらす。細かな管理が得意。その反面、 新しい発想を生めない。規則や手続きを重視し権威主義、形式主義になりがち。職務では経理、 財務、法務のコンプライアンス担当に向く。 ④I=インテグレーター (統合者): 集団をまとめるのが得意。全体を見渡せる。その反面、八方美人で付和雷同。職務では総務、事業部長に向く。  四つの性格すべてをもっていれば最高のビジネスマンになろうが、そんな完璧な人はまずいない。ある人はPの要素が強く、次にややE要素があるものの、Iと特にAは弱い、こんな場合はその人は「P」とする。  アディゼスのマネジメント理論がユニークなのは、4タイプを企業のライフサイクルに結びつけている点である。  企業は、創業してから、幼児期、青年期、最盛期、頂点の安定期を迎え、やがて下降局面となり貴族期、官僚期を経て、何も手立てがないと終焉してしまう。図に表すと、富士山のようになる(安定期が山頂のフラットな部分だ)。  ホンダを例にすると、本田宗一郎はEタイプ、藤沢武夫はPタイプ。まずはEがいなければ、 ホンダは誕生しなかった。ただし立ち上がった後の幼児期では、EよりもP、つまり藤沢がホンダの成長には重要な役割を果たしていた。 企業が誕生した初期段階(幼児期)では、創業オーナーを中心に全社が一丸となれ、誰もが何でもやっていく。何時間働こうと、疲れる人はいない。 次に成長していく青年期になると、会計をはじめ管理も長けたへ、中長期目標を策定して組織をまとめていくIの役割が、それぞれ高まっていく。  右肩上がりの最盛期ではE、P、A、Iと、それぞれの力関係は均衡する。この最盛期を「ブライム・ステージ」と呼び、この期間が長いほど企業は持続的な成長を遂げていく。 だが、成長は止まりピークの安定期になると、Eの力が弱くなる。これは起業家タイプだけではなく、創業者や創業家とも置き換えられよう。  新しい開発や商品は生まれなくなるのは特徴。「セダンこそクルマ」と、従来の延長線上の商品しか生まれずに停滞した、90年代前半のホンダはここに当たる。  安定期が長期化すると、ダウントレンドに入り、次にPが力を失っていく。ここは貴族期と呼ばれる。ローマ帝国の貴族と同じに過去の蓄積をサラリーマン貴族が食べていく状態を指す。 「働かないオジサン」は貴族期の会社に多く見られるが、ダイバーシティが進行すれば、「働かないオバサン」も登場してくるはずだ。必死に働かなくとも、高い給料を得られるのだ。勤務時間も短くなる。  貴族期ではAが力をつけていく。その後、1の力も弱くなり、Aばかりが残る官僚期へと陥っていく。  最盛期が過ぎた時点で、社内の風通しは悪くなり、部門間の対立が始まる。変化は嫌われ安定が好まれるようになる。企業は、より内向きになっていく。  1990年代後半の日産は、人事出身のAタイプが社長をはじめ幹部を占めた。生産、営業、 開発などの副社長は、Aの社長を前に、「互いを罵り合い責任転嫁をしていた」(当時の日産幹部) そうだ。まさに、官僚期であり、ルノーからの資本注入という大手術が必要になった。そして、 2025年のいま日産は再び岐路に立っている。  業績が振るわなくなるとAが台頭するのは、管理能力が高く数字を元に説得力をもつためだろう。Aは創造力に乏しく新しい価値を生めないが、決して悪者ではない。むしろ、コンプライアソス(法令遵守)においては不可欠な存在だ。もちろん、コスト管理でも。上がAタイプだけになることが問題なのだ。  鈴木修は、すべてのタイプをもった特異な経営者だったのではないか。ただし、状況に応じて柔軟に切り替われた、と言えまいか。  アルトをもって低迷していた軽市場そのものを成長させたり、誰も進出しないインドに打って出たのは、まさに起業家精神による。社長就任から最初の4年間、鈴木修は正だったと言えよう。 実務家としての力量も秀でていた。排ガス規制で絶体絶命の窮地に陥ったときなど、永田町や霞が関、さらにはトヨタを訪ね、その危機を脱出していった。もとろん、インド進出後の事業展開では手腕を発揮した。  もともと、銀行マンであり、管理者としての素養を持っている。「右のポケットと左のポケット」、「経営は数字。率という相対値ではなく、実数である絶対値で見よ」と訴えてきた。  全国に業販店網を構築したのは、統合者としての手腕によってである。資本提携の相手も、G M、VW、トヨタと代えていった。 「表裏比興愛の者」とは、戦国時代に秀吉が真田昌幸につけた異名である。昌幸の優れた軍略家として才を称えたものだ。武田家という主家を失い、小豪族だった真田は単独で生き残るのは不可能だった。しかも周囲は徳川や北條、上杉と。大手」に囲まれていた。戦国という激動への対応が求められる中で、昌幸は提携先を代えながら上手く渡り歩いた。  下呂をアイデンティティーの根源としていた鈴木修は、昌幸に似た才を持っていただろう。石黒寿佐夫は「修さんは瞬間睡眠ができる。まるでイルカのように」と指摘する。すぐに切り替えられるのである。  4つのタイプを、動物的な勘で状況に応じて切り替えられてきたのが、経営者・鈴木修の特長だったのではないか。スイッチをすぐに切り替えられたのだ。  もっとも、カンピューターはいつも完璧ではない。VWの提携などは失敗だった。真田昌幸が、 関ヶ原を読み違えて西軍に与したように。それでも、昌幸の長男、信之は東軍に入り真田家は江戸時代にも継続する。

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    投稿日: 2025.12.07
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    スズキと鈴木修は有名だが、大手メーカーと渡り合う実情を知りたく読んでみた。跡取りが急逝した不幸があったものの、かなりの高齢までトップという点も気になっていた。 中興の祖というか、カリスマ経営者そのものだが、数字と人情の両方を兼ね備え、尋常でない行動力、即断即決する凄まじさ、または周囲は大変だったことがよくわかる。また、ユーモアと明るさは大事ということも身に染みる。 なんとなく、スズキの軽自動車に乗っていて、ビジネス書に興味のあるすべての方にオススメ。

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    投稿日: 2025.11.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    p54 教師として稼いだお金で、鈴木修は中央大学法学部に入る。1953年に卒業すると、地元の中央相互銀行(現在のあいち銀行)、に入社 p115 ホープ自動車から製造権を獲得して軽四駆ジムニーを商品化してヒット p174 アサヒビール社長だった瀬戸雄三は浜松のスズキ本社を訪れ、鈴木修と接見。その際ワゴンRで訪れた その後鈴木の宴会がすべてスーパードライになった p190 B登録に軽自動車が多いのは、仕入れ値も売値も安い上、軽は市町村への届け出で済み手続きが簡単だから。都道府県への登録が求められる、小型車などの登録車とは異なる p222 アリーナ店 登録者を60台ほど売るという基準 p226 僕は山中先生と木戸なし(アポ無し)で会えた p235 発泡酒は2026/10に増税されて、税優遇はなくばる。これに対し軽自動車税は、15年に増税はされたもののいまでも税優遇は存続し続けている p249 お行儀の悪い売り方 自社登録 販売台数を増やすために、実際には客がいないのに自分名義で届け出してしまう トヨタ社長 渡辺捷昭  電機はだめだ、秋葉原になっているからだよ 流通に問題がある 安売り競争が横行したことはお大きい、製品はコモディティ化し、本来のブランド価値は喪失 p252 軽自動車税は市町村税だ。仮に経の優遇税税制を撤廃し、軽自動車というカテゴリーそのものをなくしてしまうと、市町村の税収が減ってしまう可能性を孕む 地方税であるだけに、ビールをはじめとしとする国税の酒税と違い、財務省主税局の関心がないのは特徴だろう。ただし、総務省は1984年以来の、軽自動車税の増税を虎視眈々と狙い続けていた。

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    投稿日: 2025.09.23
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    スズキと修氏の歴史 コストを徹底的に下げて安価で供給する。 資本の入ったディーラー網だけでなく独立系代理店と成長していく。 数字と論理と情を重んじる経営

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    投稿日: 2025.09.18
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    スズキをここまで成長させた鈴木修さんがどのような人でどのような事をしてきたのか周囲の人々の証言等を引用しながらまとめられた本。インド市場での成功も資本提携の失敗、アメリカへの左遷などその時々に色々と挑戦、経験してきたからこその結果なのだと感じた。今からでもブレない目標を持って人生を生きて生きたいと思う。

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    投稿日: 2025.08.03