
総合評価
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powered by ブクログ日本の文学史上にその名を残す俳人・松尾芭蕉。 『おくのほそ道』の冒頭は教科書に載っており、芭蕉の代表作と言われる句の幾つもが多く知れ渡っている。 私自身、好きな句も多いけれど、どこで詠まれたかとなると、飛び飛びである。 その芭蕉と曾良の二人旅の足取りを、曾良の視点で芭蕉を見つめつつ今回初めてきちんと辿ることができた。 師弟二人の身軽な旅というイメージを抱いていたが、実は東北各地に芭蕉の門下の支援者がいて宿の手配をしてくれたり、俳諧興行というイベントを企画してくれたり、金銭的な助けがあったと知る。松尾芭蕉は全国的に偉大な人だったのだな。 この旅は、芭蕉の敬愛する西行法師の足跡を辿る、今風に言えば「聖地巡礼」の旅でもあった。 芭蕉のオタクっぷりに振り回される曾良は、時に芭蕉を醒めた目で見る。ストレスで胃炎まで起こした。 「作家の日記は全て真実とは限らない」と何かで読んだが、芭蕉は「旅日記」の完成度を上げるため、だいぶ脚色したり、日付をずらしたり、旅日記に現実を合わせるように行動したりする。 そのため、曾良は曾良で、現実にあったことを正確に記録に残すことに努めた。 一つ例を挙げると、私は昔「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」という句を知って、そういうところに一夜の宿を求めながらの貧乏旅だったのか、それも風流だ、などと思い込んでいたが事実は違うらしい。 実際に通されたのは奥の立派な座敷である。芭蕉の演出に私も引っかかってしまった。 クライマックスは出羽三山の旅だろうか。厳しい自然に死の影も見える、生まれ変わりの旅だった。 芭蕉と旅を共にし、そこで生まれる俳句を見て、さらに推敲されて素晴らしい作品に変貌する場面に立ち会うことは、曾良にとって幸せだった。 曾良にとっても「俳諧と自分」を見つめ直す旅であった。 少し渋さが足りない感じはしたけれど、芭蕉という天才に圧倒されながらもその世話に尽くし、僻んだり嫉妬したり、自分の俳諧を見つけようとして焦ったりという曾良の複雑な気持ちが「主人公」らしかった。 最後に枯れ野をかけめぐる芭蕉と曾良よ、永遠に。
2投稿日: 2026.01.27
powered by ブクログ松尾芭蕉の代表作「おくのほそ道」 芭蕉と弟子の曾良の奥州旅を、曾良の時点で描く物語でした。 学校で習った程度の浅い知識しかなかったので、様々なことが興味深かったです。 俳句が芭蕉の手直しによって、ちょっと言葉を変えるだけで大きく印象が変わるところとか、曾良と同じように「おおーっ」となりました。 芭蕉は変人だし、曾良は辛気臭いし、読み進めるのがしんどい時もありましたが、最後まで読むとなかなか爽やかな心持ちになれます。
0投稿日: 2025.10.15
powered by ブクログ<目次> 略 <内容> 『青春と読書』(2023.8~2024.10)連載のものを加筆訂正したもの。河合曽良を主人公に、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の道中を描いたもの。オーソドックスながら、俳句の解釈はすごい。そこまで考えるかはともかく、文学的にもなかなかなものでは?
0投稿日: 2025.08.04
powered by ブクログ著者は私の大学の後輩にあたる。主に青春小説を書いてきたのだが、本作では誰もが知る松尾芭蕉を取り上げている。しかも、これまた有名な『おくのほそ道』が題材だ。視点人物は、芭蕉の弟子であり旅の同行者の曾良である。 曾良が、芭蕉より5歳年下であることは初めて知った。芭蕉は「俳聖」などと呼ばれても、聖人とは言えないだろうと予想はしていた。しかし、これほど子供っぽいところがあったのは驚きである。これではマネージャあるいはアテンダント役の曾良が気の毒でしょうがない。曾良に感情移入しそうになった。 そして作中で曾良が何度も繰り返し驚嘆するのは、芭蕉の「作り直し」 の才が凄いこと。不世出と言っている。作り直しの天才か。それから「俳句」と「俳諧」の違いが少しわかった。
42投稿日: 2025.07.22
powered by ブクログ俳諧の巨星、松尾芭蕉。 その代表作「おくのほそ道」 その旅の工程を弟子の曾良の視点から 追っていく物語。 関口尚さんといえば青春小説のイメージがあったので、 曾良の年齢が思っていたよりも高くて、 その点ではあまり関口さんの筆で この物語が語られる必要性は薄く感じられた。 ただ終わり方は曾良が語り手である意味もわかったし、 この旅の解釈のひとつとして、とても興味深い形になっていた。
0投稿日: 2025.06.09
powered by ブクログ『おくのほそ道』の旅を曽良の視点で記述する。「おくのほそ道」には書かれていない、いわゆる「謎」とされる部分を次々に解き明かしていく。だいたいそうだろうと思うような話もあれば、著者による新解釈が語られる話もある。 新説の例として、曽良と芭蕉の別れがある。芭蕉は、記録に変化を付けるため、曽良と別れることを初めから意識している。曽良もうすうす感じ始め、須賀川で等躬からそのことを教えられる。曽良は曽良で徐々に自分でも意識し始め、最後は山中温泉の地で、「自分の俳諧のため」別れを自分で言い出す。 だいたいそうだろうというのを一つだけあげれば、尿前の関。曽良が経路を変えたため、申告の滞在日数、出る予定の関所と異なってしまったため、番人に隠密ではないかと怪しまれ、結局袖の下によって通過できたという話。こういう話をクリアに次々と語っていく。自然にすっと読めていく。面白い。 曽良と芭蕉の会話も楽しい。なにしろ芭蕉は「わたしはわたしが嫌いだ」と言い放つほど、自分勝手だ。しかし天才ではあり、曽良もそれは認める。特に、自分のあるいは他人のものでも、詠まれた句の改善(読み直し)がすごい。曽良は「作り直しの現場に居合わせられることに、わたしは無上の喜びを感じる」とまで言うのだ。著者の解釈ではあるが、その深い解釈には納得である。驚くのは、最後の解説に、俳人の小澤實が、「驚くべき読みである」としていることだ。すごい。この作者の他の本も読まなければ。
1投稿日: 2025.05.30
powered by ブクログ知らない作家さんでしたが圧倒的な構成力と展開で楽しく読みました たまたま書店に並んでいたのをタイトルだけ見て買いましたが成功でした
11投稿日: 2025.05.19
