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ヘーゲル(再)入門
ヘーゲル(再)入門
川瀬和也/集英社
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総合評価

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    1091. 2025.12.12 ・ヘーゲルの難解な文章を「流動性」をキーワードとして液体のメタファーを使いながら解読する。 ・新書一冊で精神現象学にも大論理学にも目配りをおこない、個別のテキスト読解もほぼ予備知識なく読めるようになっており苦労がしのばれる。非常に親切。

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    投稿日: 2025.12.25
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    「弁証法の哲学者」、「体系の完成者」というイメージよりも、「あらゆるものに流動性をもたらそうとした哲学者」というヘーゲル像を描こうとする入門書。いくつかの個所をピックアップして丁寧に解きほぐしてくれる。こんな行き届いた記述、なかなかお目にかからないレベル。丁寧な書き手だなあと感心しました。ちなみに、ぼくは精神現象学を、文字ヅラなぞるレベルですが、一応通読しました。そのときの印象からしても、ヘーゲルが流動性をもたらす哲学者というのは納得です。 ヘーゲルにおいて流動性が際立つ場面を取り上げてくれているんだけど、じゃあヘーゲルが全体としてどんな思索をしたのか、その中身・その概要はなにかと考えると、そこまでこの本ではカバーしていない気がします。そういう話になると、やはり絶対知を頂点とした体系性ということになりそう。そうなると以前のヘーゲル像に近づく。 まあいずれにしてもヘーゲルって難しいんですよね。それでも、ヘーゲルの研究って途切れることなく続いている気がする。難しいけど、そこには汲めども尽きぬ思索の源泉がある。いま、ぼくが大学生に戻ったとしてもヘーゲルを専門に選ぶことはたぶんないんだけど、もうすこしちゃんとヘーゲルに取り組んでおくかなあ。もちろん、今からでもいいんだけど。でも、ヘーゲル全集を買い込んでも、さすがに読めない気がする…。【2025年7月14日読了】

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    投稿日: 2025.09.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    難しくて、字面を追っているだけだった。正反合の弁証法はヘーゲルが言ったものではないということだけがわかった。

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    投稿日: 2025.07.23
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    『精神現象学』と『大論理学』のなかから、著者がヘーゲル哲学においてもっとも重要な意義をもつと考えている「流動性」にかかわる議論を紹介し、ヘーゲル哲学に対する従来のイメージを刷新する試みがなされている本です。 一般にヘーゲル哲学といえば、近代哲学の完成者であり、壮大な形而上学の構築者であるというものですが、近年の研究ではこのようなヘーゲル像は否定されており、日本でも加藤尚武がさかんにヘーゲル哲学の体系性を否定する議論をおこなってきました。しかし著者は、旧来のヘーゲル哲学のイメージに代わる、あらたなイメージはいまだ提示されていないと指摘し、「流動性」というキー・ワードにもとづいて、ヘーゲル哲学の概観を提示する試みをおこないます。 著者は『大論理学』の「本質論」をあつかっている章で、「流動性」についての説明をおこなうさいに、「同一性だけを見る目線と、差異だけを見る目線の両方を流動化させることで、私たちは根拠づけの構造を把握することができる」と述べています。このような見かたは、ヘーゲル哲学を完結した体系のようにみなすイメージを提示するためには有効だと感じますが、他方で「同一性と差異の同一性」をどのように理解するべきなのかという問題がのこされている気がします。 また最終章では、ヘーゲル哲学の現代的な可能性を論じたカトリーヌ・マラブーとロバート・ブランダムの解釈が、簡潔に紹介されています。なお、ここで著者は、ハイデガーの思想を「直接性を重視する基礎づけ主義的なプロジェクトそのもの」と評価していますが、個人的には受け入れがたいと感じます。またブランダムの思想の紹介においても、「流動性」に通じる側面だけが切りとられていて、義務論的な性格に触れられていないことも、すこし気になります。著者は、「心理だと思われた何かが実は心理ではなかったとわかる」というプロセスをヘーゲルが重視していたといい、「このプロセスそのものが真理である」とまとめていますが、それがまさに「真理」とされる理由は、本書の行論ではじゅうぶんに説明されていません。

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    投稿日: 2025.06.28
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    ヘーゲルの弁証法をヘーゲル自身の用語である「流動化」を軸に構成し、『精神現象学』と『大論理学』を接続しよう言うのが本書である。その論旨は明快であり、簡潔でありながら、単なる入門では終わらせず、より厳密な議論への読者の関心を喚起しようという著者の意気込みがひしひしと感じられる。 弁証法が誤解されているという謳い文句はさすがに言いすぎであろうとは思うが、ヘーゲルの議論を魅力的に感じさせることには成功していると思う。一般的なヘーゲルの弁証法の説明としてはどうだったのかと顧みるにあたって、手元に倫理学の教科書がないので試みに山川の詳説世界史(旧版)を引いてみると次のようにある。 弁証法哲学は人間の存在や思惟はその内部に絶えず矛盾をはらみながらも、より高次な次元において統一され無限に発展するという考えであり、……マルクスの弁証法的唯物論に発展した。 本書を読んだあとでも、これはこれで納得できる説明である。ヘーゲルは対立や区別に注目し、それらが実は矛盾するものではなく相互に深く関係していることを指摘するという議論の進め方をする。従来の説明でいえば、一見すると同時に成り立たないと思われた事象に新たな観点を導入すると相互依存関係にあることを発見し、その新たな観点のことを新たな次元(止揚)と、発見された相互関係を統一(合)と呼び習わしてきたのである。同時に、この統一はまた新たな対立を生むのであって、無限に終わりを迎えることはない。したがって、旧来の説明も著者の「流動化」と根本的な違いがあるわけではない。あえていえば、正反合という図式的な説明にとどまることが、それ自体固定的な体系を示すこととなり、あくまで「流動化」を志向するヘーゲルの意図にそぐわないと言えるであろうか。実際、一つの解釈に辿り着いたという認識そのものに対して「流動化」という用語を用いると、さらなる「本質」への探求が要請されることになる。本書を読み終わると、直ちに本書自体もその克服対象となるという哲学的運動に、読者も巻き込まれている気持ちにさせられる。これは大変スリリングな読書体験である。一方で、従来ヘーゲルに負わされてきた、人類の歴史が高次な次元に無限に発展していくという楽観的な進歩史観からも距離を置くことができる。これも「流動化」という用語の効用といえる。(となるとニーチェは一体誰と戦っていたのかというある種の脱力感も生むような気がするが、それはそれでナチスへとつながる皮肉な歴史の批判となるのかもしれない)。 何よりこの本の新しさは、ヘーゲルの議論がマルクスに連結されていないことである。先に引用したとおり、この百年の間、ほとんどの場合、ヘーゲルはマルクスから遡って読まれてきた。そうでなくとも、カントの後継者として、あるいはニーチェの批判対象として、強烈な批判にさらされるような扱いだったのではなかろうか。ところが、本書ではカントやニーチェとの対照では極めてヘーゲルに好意的な解釈がなされ、マルクスに至っては全く論じられていない。それゆえ、「仮象」はあえて「現れ」と訳され(もっとも仮象は分かり易い訳では全くないのでこれで良いと思うが)、人間疎外についても一切触れられていない。ヘーゲルに向けられてきた硬直的な哲学という批判がその後継者たるマルクスや批判者のニーチェに向けられるようになった今日において、再びヘーゲルに立ち戻ることによってその克服の道を探る新ヘーゲル派とも言うべき思想の宣言の書でもあるのではないだろうか。

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    投稿日: 2025.04.21
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    3月のNHK Eテレ100分de名著はヘーゲルの「精神現象学」の再放送でした。たぶん前も視聴したはずですが、なぜか今回はよりわかったような気分になりました。講師の斎藤幸平の解説も鮮やかに思えて、ふむふむの連続でした。『絶対な実体である精神とはすなわち、「私たちである〈私〉であり、〈私〉である私たち」なのである』とかメモしちゃいました。たぶん同じタイミングで読んでいた野中郁次郎「野生の経営」のキーワードである「相互主観」との重なる部分を勝手に感じていたのだと思います。なので、勢いでちくま文庫「精神現象学」上下二巻をポチッとしてしまいました。届いてペラペラしたら、やばい…この本、難物過ぎ、ということで先ずは本書「ヘーゲル(再)入門」でトレーニング、という訳です。自分にとっては(再)ではなく(新)なのですが…このトレーニングも難しい割に楽しく読み終えることが出来ました。やはり〈流動化〉という一点に絞った著者の語りに引き込まれたからなのでありましょう。しかし、これでも、いざ「精神現象学」!という気分にはなれなく、100分de名著のテキストとか買ってグズグズしているのでありました。

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    投稿日: 2025.04.20
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    ヘーゲルの『大論理学』を本丸とした入門書である。著者は本書の目標を『西洋近代哲学の完成者』というステレオタイプの代わりに『あらゆるものに流動性をもたらそうとした哲学者』という新しいヘーゲル像を提示することだと宣言している。 本書では、ヘーゲルの二つの主著、『精神現象学』と『大論理学』が扱われる。『精神現象学』の解説の部分は、本書のキーである『流動性』が顕著に見いだせる部分をピックアップしたというにとどまり、読者をヘーゲルの『流動性』に馴染ませるという準備作業のような印象である。そしてその準備作業の後に本丸の『大論理学』となる。したがって、有名な『精神現象学』そのものに興味がある人よりも、『大論理学』に興味がある人に強くおすすめできる。本書は『精神現象学』が全体としてどのような書物なのかを理解するのには向いていない。『精神現象学』の一般向けの解説書は多くあるが、『大論理学』のそれとなると貴重であり、その点に本書の価値がある。 著者によると、通俗的な『正反合』の『弁証法』の理解の問題点は『対立が最終的に克服されて、安定した体系が完成されるというイメージが喚起されてしまう』という点である。 ・通俗的なヘーゲル理解…正+反→合 ・本書のヘーゲル理解…正+反→{正⇔反}(⇔は流動性を示す) 本書の記述も「対立するAとBが登場→どちらも相互依存的→そもそも区別なんてできない一体のものである→固定した思考の流動化」というパターンを繰り返す。しかし私としては、それで結局何が残るのだろうと感じてしまった。すべてが流動性に溶けていくのだろうか?この読後感がヘーゲルに由来するのか、著者の解釈に由来するのかはよく分からない。ただ本書が正しいとすると、全てが流動性に押し流された後に、我々はいかに思考したらよいのだろう。著者によるとヘーゲルは、『体系的な理論を構築するためのカッチリした足場』を求める欲望を打ち砕き、我々に『全てはグラグラと揺れ動かざるをえない』としても『思考を続けなければならない』と語りかけている、とのことである。 『精神現象学』の解説はまだ理解可能であった。著者は、有名な『つぼみ』-『花』-『果実』の比喩が、『正』-『反』-『合』の図式とセットで『弁証法』の説明として言及されることに対して異説を唱え、『実はヘーゲルがこの比喩で語ろうとした内容こそ、「流動性」の重要さ』なのだと指摘する。確かに『つぼみ』と『花』は対立していないし、それらが止揚されて『果実』になる、というのは変な話ではある。 『大論理学』の解説は抽象的で難易度も高い。例えば最初に扱われる『存在論』では、『純粋な存在』は『定まった形態や性質を全く持たない』のだから『無』である。しかし同時に、『存在が無になり、かつ無が存在になる、というように生成変化が双方向に生じる』という『運動』=『揺らぎつつ生成するもの』でもあるとされ、ここにも『流動性』が見いだされるということになる。私はこの段階でうまく思考を進めることができないが、そもそも何の規定ももたない「ある」とはどういうことだろうか?それはほとんど「存在」というよりも「存在作用」というようなことなのだろうか?そういった意味では、ヘーゲルが『生成』とか『運動』と表現したような、著者の表現では『流動』とされているような、そんな事態なのかもしれない。でもやっぱり理解できたように思えない。最初がこれなのだから、続く内容はかなり理解困難であった。入門書でこれなのだから、原典を読むには相当な覚悟が必要になるだろう。著者は重複を厭わずにまとめ、振り返りをしてくれるので、それで何とか論旨を追っていけるような状態であった。 従来の、体系哲学の完成者というヘーゲルのイメージが完全に間違っているとは思えない。それでも、ヘーゲル哲学がときに批判的に論じられてきた過程で、本書の提示するような側面が見落とされてきたということはあったのだろう。本書ではヘーゲルへの批判者としてラッセルとドゥルーズの名前が挙げられていたが、20世紀の哲学の至る所で、ヘーゲル(とプラトン)は打破されるべき古き巨人の扱いを受けている。哲学の世界では、批判の対象の一面をピックアップして固定化する、というのは常套手段だ。 非常に腑に落ちたのは、著者による、ヘーゲルは同時代の生物学・生理学に強いインスピレーションを受けていたという指摘である(19世紀はじめは『生物学・生理学の黎明期』であったと説明される)。ヘーゲルの論の進め方、そのダイナミズムの奔流、著者のいう『流動性』、それらはいかにも『有機体』を思わせる。これは本書に書かれてないが、例えばカントなら、その整合性と普遍性への偏執的なまでの愛情、こちらはいかにも天文学を思わせる。哲学者も時代の子なのだ。 それにしても、解説者に『もし最初から意味がわかった方がいれば、申し訳ないがあなたはほぼ確実に誤読している』、『むしろ意味がわからなかった方こそ、文章の読み方の基本が身についていると言ってよい』などと断じられる哲学者などヘーゲルくらいではないだろうか。本書内で引用されているヘーゲル自身の文章を読むかぎり、大部分でそのとおりだと思う。著者はその難解さについて『哲学的思考のプロセスを言語で表現するための、ヘーゲルなりの工夫』に由来するのではないかと推測し、一定の理解を示している。どういうことかというと、『難解なレトリックによって読者の思考をぐらつかせ、流動化させることが、哲学的な思考を展開する書物にはどうしても必要だ、とヘーゲルが考えていたためではないか』ということである。

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    投稿日: 2025.02.21
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    流動性、双方向性を重視したヘーゲルが、量子力学や歴史のとらえ直しが主流となる今の世の中にいたとしたらどう人間を理解するのか。そんなことを思った。

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    投稿日: 2025.02.20