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ヤンキー 母校に恥じる ヨシイエと義家氏
ヤンキー 母校に恥じる ヨシイエと義家氏
河野啓/三五館シンシャ
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総合評価

5件)
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    かつて人から見放された少年が1人の先生に会い、人を育てることに夢を持ち、先生になった 先生になった彼は次第に人と意見が合わなくなり、孤立していく 孤立したところに権力と金の方に行ってしまい、誰かを育てることを忘れて日々権力に縋るように心を擦り減らしていく 一緒に過ごした仲間は昔の夢を追っていた少年に会いたいと心から望んでいる

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    投稿日: 2025.11.17
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    ヤンキー先生のヨシイエから政治家の義家に。 筆者はそのきっかけとなった「ヤンキー母校に帰る」のプロデューサーであり、ケジメを付けるが如く真相に迫っていく姿は、単純な好奇心や職業意識をはみ出した個人的な強い思いに支えられているようで執念を感じる。取材は筆者が長年積み重ねてきた人間関係を前提としたリアルとしか言いようがない。 綿密な聞き取りによって、ヨシイエの周りの人々から見た変貌の過程が綴られていく様は私小説のような臨場感がある。ラストの余韻はこのジャンルで味わうことが少ないようなぞっとした感覚。

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    投稿日: 2025.08.01
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    後味の悪い本である。後味の悪さは主役に由来する。そしてその後味の悪さに筆者が忠実に向かい合っている。

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    投稿日: 2025.05.21
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    「義家先生」が、政界を引退するということを知ったのと、 https://gendai.media/articles/-/146649 「ヤンキー先生」のドラマやドキュメンタリーを作り上げてきたプロデューサーの本をふと書店で目にして、買い、ページが止まらず、一気に読んでしまった。 私が、高校2〜3年の頃は、 今でもそのしんどさをどう表現していいかわからないが、息が苦しくてしんどくて仕方がなかったが、それを表現する手段がなかったのを覚えている。 学校に居場所がなく、誰とも分かり合えず、何も信じられず、 「半分」不登校状態、リストカットを繰り返す。 そんな中、私に熱く教育や社会問題を語ってくださり、いつも研究室で親しくしていただいた先生が、 「こんな熱い教師がいる」と、彼のドキュメンタリービデオを見せてくれた。 親に捨てられ、不良少年だった彼を北星余市の恩師たちが、本気で見捨てず向き合い続け、彼は愛を知り、再び母校の教団に立ち、 生徒に本気で向き合い、怒り、褒め、共に泣き、笑う。 一言で言えば、「熱い。熱すぎる。」 彼自身、「自分は罪人であり、完璧でない、弱い人間だ。」ということを何度もいいながら、それでも「子どもたちのために」、日本社会に対して問題提起を投げかけ続ける。 まるで尾崎豊の『誕生』をそのまんま生き、叫び続け、走り続け、求め続けるようなそんな生き様。 時を同じくして、「夜回り先生」のドキュメンタリーや本だとかを読み、 実際に夜回り先生自身を学校に招いて講演をしてもらったこともあった。 (その当日に福知山線の事故が発生したのを今でも覚えている。) 尾崎豊を通して、若者の生き方を考察する、 そんなことを紹介されて、 私の10代後半から二十代は、そんな「熱血先生」や「社会の矛盾に対して実存的にぶち当たっていく」そんな像が理想としてつくられていったように思う。 何より、私自身が、自分の苦しい心と本気で向き合って、認めてくれるそんな大人の存在を心から飢え渇くように欲していた。 もし、自分が大人になったら、過去の自分のような傷を抱えた生徒とまっすぐ向き合える大人になろうとも望んでいた。(そしてそれは早々に挫折するのだが) ところが、 先生の研究室から、ある日突然、「ヤンキー先生」関連のビデオ、書籍の類が忽然として姿を消した。 「あれ?義家先生はどうしたんですか?」と無邪気に聞くと、 「ああ、〈あいつは〉自民党に魂を売ってしまった。」 と怒った声で、先生は言い、私もそれ以上追及することをやめた。 また「夜回り先生」も、講演の際、「義家、あいつは現場で泥臭く子どもと向き合うべきで、本当はそういう奴じゃないのに、そっちにいってしまった」と漏らしていた。 そこらへんの事情のまるっきりわからない私は、 それでも子どもたちと真剣に向き合ってくれる「義家先生」が好きで、 彼の著作を何遍も読み返した。 彼も弱い人間で、彼なりの事情がある中で、「子どもたちのために」自分の場所でやり方は違えど奮闘しているのだ、と。 ネットの中で「義家組」の一員に迎えられ、本当に辛いところを通ってきながらも、愛や熱さを知り、それでも前に進んで行こうとする仲間と励まし合った。 政治家になった後も、会いにきた生徒に、時間を大幅に遅らせてまで熱く語り続けていたというそんな姿を聞いた。 時間が経ち、「義家先生どうしてるかな」と気になり、動向を調べる。 彼の発するものの中から以前のような「個人語」がほとんど失われていった。 傷ついて、孤独で震えている子どもの心に響くものが、 ーーー抑え込むようになったのか、それとも。 若い時ギラギラと輝いていた瞳や肌から輝きが失われている。 (仮に、尾崎豊が26歳で死んでおらず、30代、40代、50代を生きて、 政治家にでもなっていたら、こうなっていたのだろうか、 などという妄想をうっかりしてしまう。) 彼を取り巻き、慕うのは、子供たちでなく、 4〜50代の有権者層。 ヤンキー先生の番組を愛情込めて作り続けてきた著者は、言う。 「もう、あのヨシイエはいない。」 と。 私も、10代後半に出会った「熱血先生」に憧れて、 塾や高校の教壇に立ち、荒れた学校で熱く生徒とぶつかり続けたはいいが、 全くの挫折、むしろ「問題教師」として、現場にいることができなくなった。 あの恩師からは、実習で「十年に一度」と言われる大激怒をくらい、土下座をして謝罪。 「夜回り先生」に関しても、以前は最高に持ち上げていたものの「あいつは学校の名誉を汚した」と。 (ちゃんと現在は和解) とにかく疲れ果てて精神的にも肉体的にもおかしくなっていた。 「あの熱血先生たちだったらこういう場面にどうやって対処したんだ」と何遍も唸った。 なんとか愛の方にハンドルを切ろうとしてきた。 でも限界が来た。 職場のパワハラに上司を怒鳴り、いじめをする生徒の指導を打ち切り、 授業で「どうせ死んでしまうのだからグレて生きましょう」と言い放ち、 「夜回り先生」からは「お前は並以下だ!今すぐケータイを捨てて山か公園で暮らせ」と言われ、 三ヶ月間四国を絶望状態の中遍路していたこともある。 自分を支えていた信じるものや憧れていたものの土台が、 根底からガラガラ崩れ去り、 生きていく意味が本当にわからなくなり、 どこにいっても誰と話しても、心に痛みしかなく、 この痛みを癒せるものは全く存在せず、 そればかりか、 その痛みが次の痛みを引き寄せる。 子どもとまっすぐに向き合い見捨てないで愛し抜く熱血先生。 聞こえはいいが、 もし、自分の心の中の闇をそれで埋めようと試みるなら、 それ以上に危険なことはない。 「子ども」は、汚れを知らない善良で素直なだけの存在ではなく、 計算高く人も利用する利己的な存在でもある。 (当然、その親もそうである。) 後者のような子どもに、「優しいだけの大人」は食い物にされて、潰され、全てを吸い尽くされる。 「優しい」=要するに「自分が良くみられたい」。 そのために、「優しさ」という多大な自己犠牲を払い、戻ってくるものはないばかりか、さらに別の人からも都合のいいように搾取される。 その事実を正面受容し、切るべきものを冷徹に切らねばいけない時もある。 冷たく見えるように思うけれども、 結局、それは「愛」であり、「信じる」ということでもある、 ということに気がつく。 現在、自分がそこそこ走り続けて来れているわけは、 次の事実を受容したこの一点でしかない。 ずっとこのことは、自分自身に対して戒め続けている。 「人は人を救えない、変えられない」 ということ。 自分の足で自分の人生を覚悟して歩み、選択していく、 それ以外にない。 甘えられなかった人、愛や理解を狂おしく求め飢えている人には、 絶望的に厳しい言葉、あまりにも不条理に思われるかもしれないが、 それでも、自分の足で立って歩いていくしかない。 ただし、自分を愛する勇気と覚悟、習慣を持とう。 人を幸せにすることを考えよう。 どんな熱血先生も、カリスマ先生も、 人を救うことはできない。 彼らから認められること、愛されること、気をかけられること=救いなんかじゃないのだ。 事実、彼らは大きな影響は与えたが、 私を救わなかったし、救えなかっただろう。 全て、自分の中の気付きと成長の地味な積み重ね以外にないのだ。 きっとこれは、「熱血先生」「カリスマ先生」と周りからレッテルを貼られている先生も首肯するだろうし、 依存してきたら、即座に突き放して、 自分の足で立つようにいうと思う。 「人は裏切る」。 というよりも、 正確に言えば、 「自分が勝手に、相手に過度の期待をしているだけ」。 「人を信じるな」 ということじゃない。 蛇のように賢く、 鳩のように素直に。 人は、成長して自立したら、 「しんどかった時支えてくれた人」の側にじっとしているわけにはいかない。 戻っていくわけにもいかない。 感謝はし、祈りはするが。 支える側も、依存させてはいけない。 寂しいが、自立するということは、そういうことなのかな、と思う。 ちょっと義家先生の話から、今までのいろんな思い出が浮かんできたが、 たとえそれが「幻想」だったにせよ、 私は彼に前に進む力をもらった。 彼が、どれだけ「変節」し、全く変わってしまったとしても、 群れて批評するのも野暮だ、と自分の中で思う。 その間に何があったか、どんな過ちを犯したかということも知った。 「生徒」との距離も遠くなった。 ただ、 「おつかれさまでした」 ということは、お伝えしたい。

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    投稿日: 2025.03.08
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    国会議員となったヤンキー先生こと義家弘介氏を世に送り出した、元・テレビ局のプロデューサーによる、義家氏について総括した本。私もこのプロデューサーが作ったドキュメンタリー番組を見て、大昔、感動した一人である。しかし、高校教師を辞めて、国会議員になってからの義家氏には嫌悪感しか感じなかった。元から右寄りではなかったはずだが、いつのまにか、ゴリゴリの保守派になっていた。 そのあたりのことは、この本でも書かれている。 特に高校教師時代に何を語っていたかを見れば変節ぶりは明らかだ。 ただ、いろいろな事情があるようだが、国会議員になってからの義家氏に関する記述が少なすぎる。国会議員になってからが書けないなら、その前の横浜市の教育委員の時のことは書けなかったのだろうか。 逆に、義家氏の恩師の先生の認知症のことや、その先生を世話する人のことを描く必要があったのだろうか。 特に後者は批判的に取り上げられているが、義家氏に直接関係のある話ではない。お金に関して胡散臭いみたいに書かれては、この後が大変だろう。 面白い本ではあるが、残念なところも感じられる本だった。

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    投稿日: 2024.11.18