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おやしろ温泉の神様小町 六百年目の再々々々…婚
おやしろ温泉の神様小町 六百年目の再々々々…婚
倉世春、漣ミサ/集英社
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総合評価

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     一般の映画を観終えた後のような満足感がありました。倉世春さんのやさしい世界観、すごく好きです……♡ 他の著作も是非とも読ませてもらいます。今回、初めてお会いできてよかった。  少女漫画が好きな方なら、間違いなく、老若男女問わずハマると思います!健気に明るく直向きに働く女の子と、誠実な生き方と、誰にも明かさず秘めてきた強烈な独占欲と愛情を持つ青年———ほら、もう好きになりましたでしょ?(気が早いかしら?笑) ティーンズラブのアダルトコミックでもお決まりの王道カップルな相関図。もう、こういう恋模様、ほんと、時代を問わず人気よね!と叫びたくなります。例に漏れず、私も大好きです。笑  私は歴史を楽しめる行事・場所・習慣が好きなので、神社ゆかりの物語というところも深く共感を覚えました。この物語を書くにあたって、倉世さんの精緻な研究があったのであろうことも、文章の端々から感じられますので、すごく嬉しく思います。温泉街に焦点を当てた歴史書には残念ながらまだ私は詳しくありませんが、皆さんも地元の歴史を少し知ろうとするだけでも、親しみや喜びや、いろいろな気持ちを楽しめると思いますので、おすすめです。私の場合は、駿台予備校世界講師・茂木誠さんの歴史観が大いに参考になりました。  個人的脳内劇場の出演者みなさまをご紹介しますと、  貴司:寺島拓篤  千代:小澤亜李  由美子:東山奈央  甲介:梶裕貴  水乃:水橋かおり  でございます。(敬称略)  小澤さんに至っては、月刊少女野崎くんから連想しましたので、まさかの「千代」ちゃん一致です。笑 イタズラな態度になるときは、さしずめ氷川日菜さんのような雰囲気でしょうか。※Bang_Dream!  ※  以下、ネタバレを含みます。  感想というよりは個人的な雑記となります。  お時間いただける方だけ、どうかお付き合いくださいませ。   ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー  いろいろな伏線がありますが、私がはっきりとそれを実感できたのは、貴司さんと千代ちゃんは、神威をほとんど持たないものの、だからこそ同格の人間であり、同時に神様でもあるという不思議な状態になり得たのかな?と思えたことです。  え?貴司さんは神様じゃないでしょ?と思われた方、はい、その通りです。ですから、限りなく神様に近い、ただの人間なのです。ですが彼は、おやしろ様から借り受けた特別な瞳を持つことにより、幽世-かくりよ-の存在を見ることができます。これは最早、信仰を日本国内の大勢が失いつつある現代において、神様に等しい特別な才能だと言えましょう。本来、幽世と交信できるのは女性のみの才であると永く信じられてきた我が国においては、ますます希少なことです。  そして、翻ると、千代さんは、貴司さんとそっくり逆の手順となります。人間であった頃の、生きたまま人柱となった記憶、霊魂、肉体を持ったまま、幽世から現世に帰ってきたので、限りなく人間に近い、神威をほとんど持たない神様ということになろうかと私は考えております。  そうこう考えた具体的なきっかけは、御神体に捧げられたものしか食べられないと言っていた千代さんの言葉を思い出したためか、物語のエピローグで、貴司さんがおやしろ様の瞳を借りる代償となった「甘味を食べることが出来なくなる」という事実になぞらえて、「千代さんが食べさせてくれるなら」と彼女にお願いしていた場面のことです。  結局は、建前であり、互いが心から望めば、御神体を介さなくてもよいということは、本編中ですでに明らかになっていますが、儀式を通じた後に得られるものは、神威を高める効能があることもまた、本編中で同様に明らかにされています。  なので、本心では、互いに、あなたにしてもらいたい、あなたにしてあげたいという愛情があるだけだと自覚しているものの、これから互いの将来のために、温泉の繁盛は欠かせないため、神威を高める努力はしたほうがよいのではないかと鑑みてのことか、あえて儀式をなぞらえたやりとりをしているのだろうと、そう見えたのです。    あるいは、そうした儀式と通じることそのものが、人の寿命では計り知れない、永く、尊い何かに繋がる方法であり、祈りや感謝によって、穢れや悲しみをやさしく癒していく大切なことだと……お二人は直感しているのかもしれません。  なんといっても千代さんが、祟り神になることすら出来ないほど、守り神としての誇りを持っていたその理由は、自分を見送ってくれた、人間としての御世を共に生きた人々への、そして貴司さんに出会うまでの、そしてこの時代において尚、彼女の御神体を敬い、ときに友として慕ってくれた人々への、感謝と愛情が由来なのですから。  そして、彼女が人柱として送られるとき、それを望まず、人として共に生きていたいと望んだ人たちがいたことを、貴司さんは夢のお告げで知ることになりました。彼らの悲しみを、ときを超えて救うことはもう叶わなくても、せめてその心が、魂の行く先が、やさしく、穏やかなものであって欲しいと、彼は祈ったのではないかと思います。なんといっても、そのときの彼らが千代さんを見送り、御神体として永く慕ってくれたからこそ、こうして、数百年越しに貴司さんは彼女と出会い、恋することが出来たのですから。縁結びと縁切りは繰り返すもの。かつて縁を切られた悲しみをなかったことには出来ないのなら、せめて、縁を結ばせてくれたことに感謝し、かつて悲しみを知った人々の未来の幸せを祈るような気持ちになれたのではないかなと……そんな風に思えました。  なので、2人とも、儀式によって、そうした永く広い絆に繋がり、感謝を届けようとしていたのかなと、ぼんやりと信じられたのです。  たとえば、今作では、水田のために水が必要であったとされることが理由で、人柱の運びとなり、物語が始まります。それは言い換えれば、人が己の都合のためだけに、そこにあった森を切り倒し、草が茂る自由を刈り取り、勝手に水を流し込んで、稲作をするということが原点にあります。  水耕栽培は弥生時代以降に急速に普及したとされますが、それまでの永い縄文時代において、ご先祖さまが、なかなか水田の魅力を知っていて、それでもその暮らしにすぐに変わることなく、ゆっくりゆっくりと、千年以上の時間をかけて受け入れていった理由こそ、土地神や穀物神への恐れと感謝があったからだろうと推察できるのです。  私が歴史を学ぶことが好きなのも、人は、便利で豊かで、素晴らしい暮らしを送れている一方で、常に犠牲にしている何かを忘れない、己を律する畏れと集中力を持っていられることが理由の一つです。けれどそれは、申し訳ないから卑屈になるというのではなく、自分の都合を優先してもらっているのだから、しっかりと感謝をするという意味での集中力です。逆に犠牲にされた側からすれば、勝手に搾取された上に、望んでやったわけではないと、相手が不幸ぶっていたら、何のために犠牲になったのか!とむしろ怒りたくもなるのではないでしょうか。だから、都合を優先してもらったのだから、感謝する、でいいのです。バイトのシフトを自分の都合で優先させてくれたとき、その人にありがとうと思える気持ちと、ある意味一緒です。笑 今度代わりに入るね!でいいのです。  人が己の暮らしのために手をつけなければ、そこに自由にあったはずの自然と、そこに生まれていたはずの命を犠牲にしている事実。そうしたことに畏れと感謝を素直に感じている時代があり、そうした時代の最中に生まれた千代さんだからこそ、見送る人々の気持ちも理解でき、また自らそうしたいと望む尊さを持ち、けれど同時に、あらゆる自然の生命が持つ本能、「もっと生きていたい」という願いのために、視界を塞がれ、暗がりに運ばれていくことが怖くて仕方ないという気持ちも素直に持っていたのでしょう。  人の暮らしが犠牲にしたものの象徴、蛍の光と繁殖を、千代さんの時代の村人たちの祈りの証として描写したのも、神様に捧げることの悲しみと、どこへ行っても幸せになって欲しいという想いを描きたかったからではないかなと思えます。とはいえ、蛍の光は、街灯をきっかけに犠牲にされてきたものの、人の暮らしによって守られたものも少なくありません。ノスリやスズメは人の近くに必ず住みますし、カモが安心して昼寝できるのも、公園で、蛇の天敵である人間がそばにいてくれるからです。ハシボソ&ハシブトガラスが安心してねぐらに帰れるのも、街の光によってフクロウが追いかけてこないためです。  前述の繰返しになりますが、決して悲観的になることはなく、縁が切られた裏で、あるいはその先で、誰かと誰かは必ず縁が結ばれるのです。そうした想いを、ときを超えるほどの強い絆の美しさを、倉世さんは示してくれたように思います。  私が影響を受けた哲学者・エンペドクレスも、世界の万象は、引き離される争いの力と結ばれる愛の力の繰り返しによって創られていることを述べました。  そうした悠久のときにもにた特別な感覚や哲学を、私たち日本人は、なんとなーく感じているのてはないでしょうか。それはきっと、縄文時代の感性が、どうしようもなく残っているからだと思えます。そして、トランプ大統領の登場をはじめとして、世界においても、急速にその精神的成長は加速しているように実感しています。なんといってもこれまでの世界の支配階級の筆頭格・ロックフェラー氏が、縄文研究会の会長になりましたから。彼らがこの文化・感性を奪わせしめるつもりであるなら、とっくにそうしているはずなのです。この感性をむしろ広く伝えようとしているその言動からも、私は世界の精神的成長は凄まじく、悲観すべき時代ではないと確信しています。  物語は物語であり、現実の出来事ではもちろんありません。  ですが、作者は間違いなく実際の人たちであり、その彼ら彼女らに愛されて生まれたキャラクターたちも、生きてきた過去があり、想いがあり、愛があるのです。  その心があるからこそ、ときに怒り、ときに悲しみ、ときに楽しみ、ときに笑うのです。  私は、そんな愛しい人たちの生きる姿からも、何かを、ほんの少しでもお借り出来たらと、ぼんやり思いながら、ありがたく読ませてもらっています。  皆さんの心に、何か、暖かく、やさしく、穏やかなものが、この物語を通じて生まれてくれたら、とても嬉しいです。  ここまで読んでくださり、ありがとうございます。  あなたのこれからが幸せな日々でありますように。

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    投稿日: 2024.08.07
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    青森県在住の作家さんが書いた本。少し泣いて、そして面白くてI日で読み終わってしまいました(●´ω`●) 好きなキャラ:甲介くん。        出てくるシーンはなんでも愉快になって        しまう٩( ᐛ )و あまりないパターンのお話で、楽しめますよー。 是非読んでみてください‼︎_(:3」z)_オススメ

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    投稿日: 2024.06.21