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powered by ブクログ『こころ』を再読することがあったので、それを機会に後期三部作を読んでいこうということで読んだ。 裏表紙の「愛する妻が弟の次郎に惚れているのではと疑い、弟に自分の妻と一晩よそで泊まってくれと頼むが…。」を見てから読んだせいで、「そんなエンタメ的な話なのか…?」と疑い疑い読むことになった。 話の要所要所にある三沢と娘さんの挿話や父の語る目が見えなくなった婦人の挿話、貞の結婚、仲の良い岡田夫婦といった多様な男女の仲が出てくるが、それが一郎の内省にどう響いてるのか…? また、二郎視点で進んでいくため、二郎を主人公として読んで、二郎の元気がだんだんなくなってくると雲行きが怪しくなってくるようで、読んでいて辛くなってくる。 最終的にHさんの書簡で話が終わるが、Hさんの書簡から見える一郎はもう人間なのか、また別の高度な何かなのか…? 知性というものが発達しすぎると、身体とのバランス、他者とのバランスが取れなくなって、結果直を打つようになり、両親からも敬遠されて、旅に出るように仕組まれるのだから、一郎が不憫になってくる。 一郎の目指す絶対と、Hさんのいう他者に心を奪われるということが同義と言えるのかなんなのか… ただ他者にこころを奪われている時は確かに安寧というのは事実かなとも。 一郎の苦しみも、高尚さも理解できるのがHさんだけだと思うと、後半の二郎の役割はなんなんだという気がしないでもない。 旅から帰る一郎を二郎と両親はどう迎えるのか。
0投稿日: 2025.12.07
powered by ブクログ夏目漱石後期三部作のひとつ。個人主義に目覚めた兄・一郎が、伝統的家族観との狭間で苦悩する。語り手の弟・二郎が章を経るにつれて、個人主義に傾いてゆく様子が秀逸。
0投稿日: 2025.09.23
powered by ブクログ一郎の苦悩も二郎の苦悩も嫂や家族の苦悩も何となく分かるが解決し難い物なのよね。 他の心なんか解らないものね。 それはそうと地元和歌山の観光の話は時代は大きく違うが情景を想像しやすく、且つ昔の地元の様子が少しわかって良かったです。
25投稿日: 2025.04.07
powered by ブクログラストのHさんの手紙の重さよ…そしてラスト2ページの激重感よ。『こころ』に繋がる作品というのもとても分かる気がした。 それにしても漱石は、語り手の視点から相手の本質を深掘りする作品が多い。『こころ』再読が楽しみ。
1投稿日: 2025.01.25
powered by ブクログ夏目漱石 (1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。
1投稿日: 2024.12.19
powered by ブクログ人の心の本当のところは、誰にも分からないということでしょうか。もしかするとそれは本人ですらわからないのかもしれません。人間関係の微妙なかみ合わなさが、いろいろなエピソードを絡めながら語られます。 謎を少し出してはしばらく後で回収し、そのころにはまた新たな謎が…という感じで物語を前に前に進める推進力は半端ないです。この辺、うまいですね。いつものことながら、お互いの心の内を探ろうとするやり取りがなかなかスリリングです。 特に嫂と二郎が宿に泊まることになった場面はすごいです。「三四郎」であった宿に泊まるやつのバージョンアップ版ですかね。これは真面目にやっているのかな。むしろギャグなんじゃないかと思うくらい面白かったです。 本当に終盤近くまで面白くて、これがどう落ち着くの本当にわくわくしました。 最後の手紙の下りがすごいというレビューをたくさん見ましたが、私的にはちょっと小難しくて疲れました。いかにも夏目漱石っぽいなぁとは思いましたが、「こころ」の方がうまく物語の中に落とし込めていたように思います。 結局Hさんと兄さんはそれなりにすっきりしたようですが、その手紙を読んだ二郎もそうですし、嫂に何か変わるところはあるのでしょうかね。めでたしめでたしみたいな感じで終わっていますが、もやっとしたものが残る結末だなぁと思いました。 いろいろと回収されていない話もあるような気もしますが、病気で中断もあったようで仕方がないのかな。そういう意味ではもったいない作品のような気がします。
0投稿日: 2024.11.02
powered by ブクログえっ、大丈夫?というかんじで思い詰めている主人公の兄。 その兄とうまくコミニュケーションがとれないでいる主人公。 不穏さが最後まで続く。 また読み返したい。 漱石が完成させた最後の長編だそうです。(「明暗」は未完だとか)
1投稿日: 2024.08.23
powered by ブクログ教科書以外でしっかり夏目漱石読んだの初めてだったけど、めちゃめちゃ面白い 緻密で少し神経質な感じがする文体が良い
2投稿日: 2024.06.01
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1753256331543539917?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.02.02
powered by ブクログ作品と著者に関して私の記すに及ぶものでは無いので控えるが、私が手に取って読んだ本そのものを紹介したい。 とある古本市でたまたま見つけたもので、大正十年九月二十五日十八版のものであった。百二歳の祖母の生まれた年に発行、発売されたものということで思わず即買いした。表紙というか外装というか布製で押絵も施され、背表紙には”行人 漱石”と布に刻印?された豪奢な感じで、当時、とても高級な本として売られたものと思う。定価は一圓八十銭と書かれ、MITSUKOSHI.LTD TOKYO の 切手、印紙のようなものが貼られている。印刷は、今は印刷が取れた凸版印刷株式会社。お宝的に保管して置こうと思ったが、その後、体調崩したりと今ひとつのことが続き、何となく、この本が、読め!と言っているような気がして、なるべく傷まないように、一頁一頁気を付けながら読んだ。仮名遣いや旧漢字であることはもちろんのこと、校正ミスも沢山あり、読むのがかなり難儀だったが、多少、表紙がそり返ったり、綴じに歪みが出たりしたものの、大きく損傷することなく、読み切った。歴史に名を刻み、国を代表する文豪の本を100年を越した今において、当時そのままに手に取って味わえた。この本を最初に買って読んだ人が、100年経って尚、その本を私が読んでいることをもし知ったら、どんなふうに思うかな?なんて感慨にふける読後だった。
1投稿日: 2023.12.17
powered by ブクログ何を読もうか選ぶとき、大抵、本の裏に書いてあるあらすじを参考にします。 夏目漱石の小説はあらすじだけを読むと、正直あんまり惹かれません。しかし"妻の心を疑って、自分の弟に一晩妻とどこかに泊まってみてくれないかと頼む兄"という『行人』のあらすじにはちょっと興味をそそられるところがあり、買ってみました。果たして兄嫁は夫の弟に惹かれているのか?一晩泊まって2人はどうなるんだ?という下世話な気持ちから読み始めたのですが、手に取った時の低い期待値に反してもの凄く面白く、人間を深く描いた小説でした。
1投稿日: 2023.10.17
powered by ブクログ夏目漱石作品によくある高学歴ニートの話、ではなかった。近代的自我に芽生え、感情と理性との狭間で苦悩する様を描いた作品。 現代人にも共感できる部分はあると思う。
2投稿日: 2023.09.02
powered by ブクログ「彼岸過迄」に続き「こゝろ」に繋がる後期3部作の2作目。一郎が惚けるように蟹をいつまでも眺める場面は切なかった。自分はお貞さん寄りの人間で良かった‥‥
13投稿日: 2023.08.03
powered by ブクログ理想を追い求めるあまり、周りとうまくいかない男の苦悩の話。 語り手は二郎くん(弟)なんだけど、主人公は一郎さん(兄)。このお兄ちゃんがなんかめっちゃ考え過ぎてて、「崇高な俺の考えが理解されない。低俗な人間どもに馬鹿にされる!」って周りに(特に奥さんに)当たり散らしてる印象。お兄ちゃんだけ異質なんだよなあ。周りはお兄ちゃんに敬意を払ってると思うんだけど。一郎さんの考えは高尚だと思うけど、生きていくってそんなことばかりでなくて、一郎さんは自分で自分を苦しめてて、そのせいで周りも引っ掻き回されて、何だかなあ…って感じの話でした。
1投稿日: 2023.06.17
powered by ブクログ家族との関係、結婚についてや、夫婦関係、友達などが描かれていて読み応えがあった。 生きていく上で、人間関係は外せないけど、不器用でうまく人と関われない人もいる。私も得意ではない。 この本の登場人物の兄さんは、不器用で真面目で知識人だ。頭はいいけど、人との付き合いが苦手。考えすぎてしまって不安になってしまう。1+1=2のように答えの出るものや予測がつくことはいいけど、人のこころなんてわからない。こうしたらこうするだろうって、期待するから裏切られる。むしろ何も考えないで、期待しないで、意外な答えが返ってきても、あー、そうきましたか。ぐらいに柔軟に考えた方が人付き合いってしやすい。
7投稿日: 2022.11.25
powered by ブクログのつこつと読んだ。 昔いっぺん読んだことがあって、浜寺の料亭の場面だけが印象に残ってて、そこを確認したくって読んだら、かなり前の方にでてきてほんの数行だけやった。あとはほとんど忘れていてまるで初めて読む気分。 病院の場面が面白いっていうか映像として想像つかない。病室は畳張りで布団やったんやろうか。それやったら靴は何処で脱いでたんやろうかとか。どうも看護婦さんはそれぞれ専属で部屋の前の廊下で待機してるみたいな。声がかかるまで柱にもたれて本を読んで時間潰してる表現があったり、その看護婦さんに病人のこと聞いたら何でも教えてくれてプライバシーダダ漏れやったり。 その上病人の都合で入院したり退院したり。胃潰瘍の人にはお腹の上に氷嚢乗せてたり。今では想像もつかないことばかり。 漢字の使い方もええ加減なような気がする。ページによって送り仮名が変わってたり「初」と「始」の使い方も違うかったり。昔は手書きやったからそんなこともあり得たって感じかな。ある意味自由やな。でも、ま、この小説で描こうとしたことは、そんなことではない。兄一郎の苦悩を描いたんやろうが、そこに至るまでがのつこつのつこつ。
1投稿日: 2022.09.12
powered by ブクログ【多知多解の一郎が向かう先は、行人?】 一郎は理智で聡明であるが故に人を信じることができない。また周囲も、彼が優秀であるが故に理解を示せない。故に彼は孤独に苦しみ、この負の循環から抜け出す方法を模索する。おそらく彼が最終的に行き着くのは宗教家であり、行人である。(宗教家は信じることができるため) なかなかの長編小説で中盤まではやや退屈に感じてしまったが、最後のHの手紙で怒涛の巻き返しが図られ、兄の心情が明らかにされる。 読み応えがあり、共感の多い一冊だった。
2投稿日: 2022.08.12
powered by ブクログ知識人の幸せは難しいなぁ。漱石をずっと順を追って読んでるけど、男と女、古い価値観と新しい価値観といった単純な二項対立じゃなくて、行人は肉親の家族や夫婦でありながら理解できない他人の精神の作用と苦悩みたいなものが書かれていて、文学として重厚に感じる。昔の交流と他人への影響力があると思っていて、でも深くは考えられない父、現代的だけど鉢植えの木である嫂の直、気難し屋なだけでなく、碁を打つのは苦痛だが逆に碁を打たずにはいられない、漠然と苦しくもがき続ける兄、といった人間の性格と考えが本当に冷静に正確な目で書き表されている。 こういうのを読める歳になったのかなと思いました。
1投稿日: 2022.04.13
powered by ブクログ1912年から1913年 朝日新聞 学問を生きがいとして、余りに理知的すぎる主人公・兄・一郎。 そんな兄を尊敬し、家族を大切にしているエセ主人公・弟・二郎。 「友人」「兄」「帰ってから」「塵労」の4章からなる。彼岸過迄の様に、短編を重ねているわけでない。兄一郎が、神経質的な素養から、妻を、弟を、家族を疑い、疎外感と孤立感に苛まれていく。それに、悩まされる家族の葛藤。 連載半ばで、治療のため、半年程休載していたそうだ。「友人」から「塵労」へのつながりが、どうもね。時折描かれるエピソードの幾つかは面白いが、 妻を殴りさえした一郎の、追い詰められた精神と言われても、受け入れ難い。殴られた方が、痛いよねえ。平静を装って、殴られているんだよねえ。 まあ、合わない作品も、あります。
20投稿日: 2022.03.02
powered by ブクログ私は、色々読んで、漱石の妻が嫌いだ。 この本を読んでいくにつれて、漱石が自分の妻と(浮気という観点ではないが)、心がちっとも通じている気がしなくて苦しかったんのかなーと同情を感じてきた。 この話は、後期三部作と言われる彼岸過迄から確かに続いている。彼岸過迄の須永と今回の行人の兄さんが似ている。 二人とも、最も身近な存在の女性の”本当の気持ち”を求めて、袋小路に迷い込む。 しかし、1作目の須永はが悩むのは少し複雑な事情がある関係の二人の恋愛関係が軸で、それ以外の要素もあるが、細かい気持ちの描写を読むと、それは恋だねとかわいく思える部分もあった。 ところが、今回の兄さんは、気持ちの読みにくい妻への疑いを通して、家族、ひいては長年の親友に対しても疑いの心を持ってしまって、もっと重症だ。 とはいえ、気持ちは分かるので、読んでいて悲しく切なくなる。 それに、兄さんが決して、悪い人なわけではなく、ただまじめで、ものをいい加減にすませることができなくて、人間関係が不器用なだけで、程度の違いはあれ、誰にでも身につまされるところはあると思うので、より救われない気がする。 行人というタイトルの意味も調べた。勝手に、行動する人という意味かと思ったが、修行者などの意味もある単語らしい。 奥が深い。 また、引用したが、兄さんは人の心を解ろうとして、弟の僕は分かるもんかと使っている漢字が違うのも興味深い。 すでにここからして、同じわかるという認識であろうと会話しているが、実のところか分かり合えていないということを伝えているんだろうか? 兄さんの使う解るは解剖して細かいとこまでの解る、弟の分かるはあぁ、悲しいんだなーとかそういったレベルの分かるを意味しているのではないだろうかと思った。 これがさらに進行したのが、こころで。こちらへ向けて、3部作はどんどんと不幸度が増していく。 こういった心の襞を解剖して、たくさんの人生の出来事をわかりやすく例として示してくれるのが、暗くてしんどいが、読める作品として仕上がっていて、さすが文豪だと思った。
4投稿日: 2022.02.18
powered by ブクログ漱石の作品を丹念に読んでいくと、教科書的文学史的知識を通り越してやはり文豪だ、天才だと実感する。100年前にこんなすごい文学を書いた天才が日本にいた、という誇りが湧いてくる。 『行人』 人間と人間の関係を、心理の奥深くに探求してやまない作者の彷徨は、苦しくも胸を打つ。 前半、二郎は兄一郎のストイックな性格に翻弄され、兄の家族(妻、両親、妹)まで巻き込んで起こってくる葛藤を語る。兄嫁との三角関係まで疑われ、微妙な立場になる。あげく後半、兄の友人Hにも世話をかけ、手紙で描写される兄の性格とは。 「ひとのこころはわからない」と人を信じられない。いえ、いい加減なところで妥協できない性格なのだ。 そんな性格の人はめんどくさいからほっとこう、というわけにはいかない。 誰でも本当はそこが知りたい。 人を愛しながらも人を信じられず、こころが病んでいく。近代、現代のこころの病といえるこのテーマは、古くない。
1投稿日: 2021.08.29
powered by ブクログ夏目漱石(1867-1916)の後期の長編小説、1914年。 所謂後期三部作の二作目で、『こころ』へと続くことになる。 生きていく人間を苦しめるこの世界の厳粛な事実というのは、根本的にはただ四つだけだと思う。①人間は必ず死ぬということ(有限性)。②人間は時間を戻せないということ(不可逆性)。③人間は他者の内面を知り得ないということ(不可知性)。 ④人間は自己を知るということがいかなる事態かを知り得ないということ(自己関係性)。 このうち、本作が扱う主題は③の苦悩である。 □ 他者の気持ちを知ること、他者の気持ちを操作すること。これらは理性の限界を超えている。他者は理性にとって予め到達不可能である。よって、理性によってこれらを叶えることは論理的に不可能である。にもかかわらず、理性はそうした自らの無力を顧みず、虚しくその願いの実現を希求せずにはおれない。理性はかくも僭越なものだ。理性はそうした自らの限界があるにもかかわらず、そんなものは無視して、認識し得ない物事についても何らかの認識を得ようと、越権行為を辞さない。人が何らかの観念を得ると、理性はその観念を対象化し、その観念に関する埒も開かない空語をその観念のまわりにまとわりつかせる。とかく理性は考え過ぎる。ほどほどというのは理性の定義に反するのであって、理性とはそれ自体で極端なものだ。理性の対象化作用は無際限に続く。分不相応であるが(超越)、分不相応であることが当の「分」である(内包)という矛盾。 「昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、決して前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那々々にぽつぽつ中断されるのです。食事中一分毎に電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。然し中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんは詰まる所二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑の様に朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです」(p358)。 その果てに見出されるのは、他者の透明な内面ではなくて、他者の内面を強迫的に窃視しようとする支配欲に憑かれた自己の姿、透明を曇らせている当の自己の姿、だけである。透明は、理性の僭越な欲望の中にのみあり、理性の構制そのものによって予め否定されている。こうして、理性は自らの条件によって他者と世界から徹底的に疎外され、エゴイズムと孤独のうちに永久に囚われるしかない。理性の僭越な徹底性が世俗の幸福を無限遠に投げやってしまう。 では、理性が他者と世界から疎外されてしまう苦悩は、いかに解消することができるのか。この苦悩が理性の対象化作用(それは、作用の対象をオブジェクトレベルに置き、作用の主体をメタレベルに置くという仕方で、自他分離を惹き起こす)からくるとするならば、理性そのものを無化するしかない。理性を無化することによって、自他未分離へ回帰しようとする以外にない。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」(p357)。 「兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、凡ての対象というものが悉くなくなって、唯自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有とも無いとも片の付かないものだと云います。偉大なような又微細なようなものだと云います。何とも名の付け様のないものだと云います。即ち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音は則ち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、従って自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云うのです」(p370)。 「僕[一郎]は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂闊なのだ。僕は矛盾なのだ。然し迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻掻いている。僕は馬鹿だ。人間としての君[H]は遥に僕よりも偉大だ」(p372-373)。 しかし、こんな破壊的な仕方によってしかこの苦悩を解消できないとするならば、これは人間が決して克服し得ない宿命なのではないか。 □ 自己の内に他者を見出し、自己を他者と不可分とみなす「分人」主義の考えは、こうした近代に典型的な論理的苦悩を組み替えてしまう可能性があるかもしれない。
13投稿日: 2021.08.18
powered by ブクログ漱石の、いわゆる「後期」作品達の中で、僕の「一番好き」な作品です。 未読の方、是非、味わってください。
4投稿日: 2021.01.31
powered by ブクログ結婚前にして、とても勉強になった。 ムハンマドが山を呼んで動かそうとする話が、未だに心に残っている。
1投稿日: 2021.01.03
powered by ブクログ心配性の兄を持つ「自分」の日常をつらつらと書き記した一冊。 大きい山場はないのだけれど、不思議に頁をめくる手が止まらない。 兄から、兄嫁の節操を試すために一夜の旅をしてくれ、と言われるところが山場といえば山場。 その依頼を断り、ただ出掛けで話を聞くだけという妥協案を出したものの、荒天により結局旅先で兄嫁と宿で一夜を過ごすことになる。 自宅へ帰った後も兄の猜疑は消えず、彼の言動が狂い始める。 その兄に旅を勧め、共に旅をした兄の友人から自分に手紙が届く。そこには心配性どころでなく、深く神経を病んだ兄の姿があった。 近代知識人が急速な社会の変化に惑う姿を、兄という装置を使って描いたのかも。 手紙の中で一人の人物の言動をつぶさに著し、その人間性を浮かび上がらせる手法は、次作の『こころ』に結実する。 父が語った盲目の女性の挿話は本筋とは薄い関わりながら、後味悪く一番胸に残った。 ということは、それをその場で聞いていた兄の精神の歯車を狂わせる一助となった可能性も?
1投稿日: 2020.12.19
powered by ブクログ【兄さんがこの眠りから永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします】(文中より引用) 知識人の一郎を兄に持つ二郎は、旅行先でその兄が妻に不信を抱いていることを知る。心の内の疑いを晴らすため、一郎は二郎に対し、彼女と旅行に出て欲しいと頼み込むのだが、一夜を過ごした二郎は兄に結果を報告する時宜を逸してしまい......。著者は、近代日本を代表する作家・夏目漱石。 焦点が当てられる登場人物がパートによってずいぶん異なるため、どこに主眼を置くかでずいぶんと印象が異なってくるのではないかと思います。やはり圧巻だったのは兄・一郎を軸とした最終章。進歩や自我といった近代的な概念を身につけた、というよりも「身につけてしまった」人物の煩悶がよく伺える作品でした。 ラストの歯切れの良さには舌を巻くものがあります☆5つ
2投稿日: 2020.11.26
powered by ブクログ夏目漱石の作品は、作品ごとにかなり好き嫌いが出てしまう。これまで読んだ中では、一番『門』が好きだったけれど、これも読むまではドキドキしていたくらいだ。 行人は、二郎を主人公としたストーリーで、何か大きく突き動かされるような内容ではなかった。しかし、当時の情景や習慣が、夏目漱石という作家によって上手に表現されていて、あたかもその時代に生きているかのような感覚にさせてくれる。 そういう点では『キレイな』小説だなぁという印象は残っている。 友人の入院、下女の結婚、兄の病気という日常の中で二郎が生きていく姿は、見ていてリアルな感じがするけれど、あまり没入できなかったので、この点数とした。
1投稿日: 2020.08.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
(個人的)漱石再読月間の12。残すは3。 初読は高校生の時だと思うが、当時は哲学書や思索的なものが好きで、この作品もとても面白く読んだ記憶があるのだが…いやこれは高校生には無理でしょ!特に男女、家族、夫婦の問題は時代を超えて無理。齢を重ねてから読むべし。 後半の兄の友人の手紙は、漱石再読を始める直前に読み返した埴谷雄高「死霊」の三輪4兄弟を思い起こさせた。思索を重ねに重ね、狂うか、死か、宗教しかないと苦しむ兄。 軽薄な父とその性質を受け継いだ語り手である弟の方が生きやすい。思索的であるとはなんと生きづらいことか。 …自分が本来好きな読書の形とは何なのか、それを考えることができて、再読月間はとても有意義なものになってきました。
1投稿日: 2020.05.14
powered by ブクログ二郎の目を通して伝わってくる、兄の苦悩と孤独。 それを思うと、やるせない気持ちになる。 何となくそれを感じていたからこそ、もう少し親しい言葉を掛けてあげて下さいと、嫂に言ったのかも知れないけど…夫婦間のことって二人にしか分からないこともあるから… 何と言うか、上手く言えないんだけど、読むのに体力を使う小説だった。でも、面白かった。 兄はこの後どうなるんだろう。 兄の苦悩の孤独を思えば、Hさんの言うように、このまま目が覚めなかったら、永久に幸福なのかも知れない。
4投稿日: 2020.04.29
powered by ブクログ漱石の考えていることがわかりやすく、小説という形で示されている。小説としては、ややわかりやすすぎるかもしれない。それでも、最後までおもしろく飽きさせずに読ませる。しかもきっちりまとまっている。やはり漱石はすごい。
1投稿日: 2020.03.23
powered by ブクログ朗読CDにて再読中。 少しづつ聞いているが、新聞連載小説だっただけあって、その聞き方にあっているように思う。 夢中で読み飛ばさないせいか、本筋に関係ないところで驚くことも多かった。 「花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていって段々散ってしまった。」などなど季節のうつりかわりの繊細さ、鮮やかさ(上引用文は今なら「花は九州から東京、それから北海道という順序で、だんだん咲いていって段々散ってしまった。」といったところか?)、 親を通さず見合いをしたり、しかもその見合いはたぶん誰一人として口に出して打ち合わせていない。それでいて立ち会った人は皆承知していたりする阿吽の呼吸、 一方、雅楽の発表会にだされた「御茶」は「珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチ」であったりすること・・等々。
1投稿日: 2019.11.21
powered by ブクログ学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。
0投稿日: 2019.06.18
powered by ブクログ人の心が病んでいくのが顕在化されるのは近代になってからなんだろうか。 寄り添える人がいることでまだ歩み続けられたら、その一方でこのまま静かに眠り続けられたら。 どちらがよいのだろうか。
1投稿日: 2019.04.02
powered by ブクログ漱石さんの小説は、どうしようもないほど救えない登場人物がいる。こんなに厭世的な人は、小説の中で存在はしてもいいが、実際の世の中に存在するとややこしくなる。
1投稿日: 2019.03.31
powered by ブクログ登場人物長兄一郎を通し漱石の孤独を描いている。生まれつき学業や宗教に入っているでもない天真な性分に生まれた妹が則天去私に到達しているように見え、対称に自身の投影である一郎が自身の我執、エゴイズムに苦しんでいる様が描かれる。読んでいてしんどくなった。 生きるが、そのまま行人に直結するという考え方は、やっぱり思い詰めていて余裕がない。が、家族や友人、関係性はさて置き、同じレベル同じ感度で精神的に何かをある程度シェア出来る瞬間が人生に訪れなければ生きた心地があんまりしない、のはよく理解出来る。そういう機会がないと孤独で寂しくて、堪え難いが、その気持ちをどうにかこうにかやり込めて生かなければならない、のであればその道は一郎同様、ある意味行人であるかもしれない。
0投稿日: 2019.03.03
powered by ブクログ直感ですけれど、これ傑作ですね。 男女のペアがいくつも現れて、それぞれの綻びというか、綾があったりして、さらにそのそれぞれに並々ならない刺激を受けて鬱屈していく主人公のお兄さんが、真の中心人物です。 単に屈折してしまうのではなくて、その賢さがこじれにこじれてーー。 この手の悩みって、結構共感できるんです。そして、それがなにかの拍子に螺旋を描くように深く深く落ち込んでしまうと彼のようになってしまいます。 辛いですよ。お兄さん。どうか、快復してほしいです。 映像化されるなんてことがあったら、見応え十分だろうなあ。いつか夏目漱石役を演じられた長谷川博己さんがお兄さんに適役かな。
0投稿日: 2018.07.19
powered by ブクログ夏目漱石 「行人 」最後の章(塵労)の 一郎とHのやりとりはカラマーゾフの兄弟の大審問官のような思想バトルだった。孤独で病的な不安を持つ一郎は 漱石自身。則天去私へ向かう様子が読み取れる 一郎「何をするのも厭〜何かしなくてはいられない〜この矛盾が苦痛」 Hから一郎へ「君は 批判することだけ考える男〜なぜ 山の方へ歩いて行かない」
0投稿日: 2017.12.21
powered by ブクログ三四郎、それからを読んだのち、門を飛ばして読んだが伊豆の温泉での吐血からか前作ののんびりとした感じとは打って変わって生死人間への鋭さが増してるように感じ、人間の普遍性に対する小説はチャップリンの街の灯と同じ感動だった。
0投稿日: 2017.12.11
powered by ブクログ男女間の悩みからはじまり、最後はその人(主人公の兄)の人生観、宗教観で終わるというストーリー。 狂人一歩手前の精神状態にあるように思われる兄とその周りの人々の苦悩を描いているのだが、それ程感情移入はできず、明治の知識人とはこういったものかという程度の感想。
0投稿日: 2017.10.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
外から見ると単純なのに内側では複雑化している家庭内の人間関係を見ているだけで面白かった。家庭内なのに緊張感がありヒヤヒヤする。 はじめは努力もしないで愛だけ欲しいと喚いているように見えたが、兄の人となりがあばかれていくにつれ、兄の孤独に同情する気持ちが生まれた。 H氏の手紙の兄の言葉にはハッとさせられるものがいくつもあったが、あの家族と兄は相性が良くなく、家族がこれを読んでもよりギクシャクするだけだろうなと思う。それが分かっているからまた深く孤独を感じるのだろうと想像した。
0投稿日: 2017.10.17
powered by ブクログ一郎、女性に劣等感抱き過ぎではないか。気持ちは分からなくはないけど。並の人間なら出来る人間関係の初期治療を、我が強いために出来なかったんだろう。もしかしたら一郎もその点に気づいていたかもしれないけれど、我を押し通して修復不能にしてしまった、と言う傍から見た感想。 偉そうな感想だったけど、僕自身、女性の本音をどう引き出すかなんて知らないから、この点では一郎とどっこいではある。兎に角、直の本音をどうにかして一郎が知ることができれば、少なくとも「所有」だの「絶対」だの小難しい問題まで悪化しなかったのではないか。 今回は一郎と直の不和の原因が曖昧なまま終わってしまった。「門」で宗助と御米が不倫した原因が明らかにされないように、一番俗っぽい点を省くのはなんだか狡いなと思いつつ、逆に「こころ」は先生の一番俗っぽい感情を描写しきったから凄く面白く読めてしまうんだろうなと思った。
0投稿日: 2017.10.14
powered by ブクログ学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品
0投稿日: 2017.10.08
powered by ブクログ義姉・直の存在感が際立っている。『三四郎』で出てきた汽車で偶然にも同宿することになった女性にも通じる怪しさ。それに向き合う純で初な二郎。作中では男は意気地がないと二郎に対して言う直。妙な艶かしさがあるが、安い不倫の物語にしない漱石。その漱石を思わせる直の夫・一郎について、結びにH氏の長い手紙で分析させるくだりは、自分自身のことを客観的過ぎるほど知りつつも、それを実行に移せない苦しさを感じさせる。
0投稿日: 2017.08.19
powered by ブクログえーーー、正直に言いますと、漱石大先生の作品を、最後まで読み切ったのは初めてでございます。。手に取った作品は多いんですが、読み終える前に返却期限が来たりなんだりでどうも。でも、すごく面白くてこれまで投げ出してきたことをひたすら後悔してる。。 嫂の機微は同じ女として結構わかるような気がするのだけど、それがわからないわからないという男たちの様子が可笑しいし。かなり個性の強い登場人物たちが、あぁどこへ行ってしまうんだろうと心配かけてくるんだけど、結局まだどこにも行けず愚図愚図してる感じなど。
0投稿日: 2017.06.22
powered by ブクログ烏兎の庭 第五部 書評 1.29.17 https://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/kojin.html https://ss675396.stars.ne.jp/uto05/bunsho/kojin.html
0投稿日: 2017.01.28
powered by ブクログ精神的な無菌室の中にいる一郎は、不条理に満ちた現実ではもはや生きていけないのか。 彼の友人が二郎に宛てた長い手紙。読者は彼の内面世界の迷宮へと踏み込んでゆく。 寂しさと爽やかさが入り混じったラストが印象的でした。家族さえ理解できなかった一郎のことも、愛すべき人物のように思えてきます(漱石の思うツボ?)。 「彼岸過迄」や「それから」のような、男と女が感情を投げ出し合うクライマックスはないものの、終盤の哲学的対話はスリリングさで負けてません。
0投稿日: 2016.11.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
学問だけを愛する一郎。少し年下の嫂は冷静で青白い人。二郎、妹(お重)人間関係が書かれた小説。兄は人間不信化。何も信じることができない。
0投稿日: 2016.10.10
powered by ブクログずっと積読だったが「言の葉の庭」でたまたまヒロインが行人を読んでいるシーンがあり読み始めてみた。 そこはかとない階級意識等当時の時代を感じさせる描写は新鮮であった。 雑に物事が回っている社会において鋭敏な理解や感性は諸刃の剣。
2投稿日: 2016.07.12
powered by ブクログ内容としては、神経質な長男が他人のこころを全く信用できないというもの。視点は長男の弟、二男。 自分というものは何か、それに対するものは何かということを考えさせられる。 軽い気持ちで読んだが、わりとよかった。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」というセリフはよくネタで聞く。ここからだったのか…
0投稿日: 2016.05.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
夏目漱石後期三部作の二つ目。 「彼岸過迄」が結構しんどかったので夏目漱石から少し遠ざかってましたが、読むものがなくなったので昔買った行人を勢いで読みました。 「勢いで」とは言ったもののずいぶん時間かかってしまいましたが・・・ 序盤は貞の嫁入り、三沢の病気と過去の恋愛といったテーマを元に二郎の心の動きを描き出し、 後半から兄の一郎の物語となる。一郎の賢く繊細すぎるがゆえに過敏すぎる心が、二郎や家族や妻、友人からどのように映るか。 夏目前後期三部作を一通り読んだことになりますが、その中でも行人はめちゃくちゃ好きな一冊になりました。 一郎の繊細すぎるゆえの苦悩を完全に理解することはできないにせよ、現代の知識人にも響くところがあったのではないでしょうか。
0投稿日: 2016.04.10
powered by ブクログ夏目漱石の実体験を部分的描写に反映した小説。 主人公の兄の真面目さが彼の家族との関わりに彼自身が捕らわれ孤立していく。心情の難しさを表現した作品。
0投稿日: 2015.09.28
powered by ブクログ先ごろ読んだ、半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』に刺激され、本作を手に取った。 高校のころに読んだ記憶があるが、もちろん内容はすっかり忘れており、初読の気分を味わった。 大正時代の小説にもかかわらず、けっして古さを感じさせず(勿論、登場人物の会話の言葉は明治そのもの)、現代作家が書いたといっても通用する作品。だからこそ、名作か。 前半は、兄と嫂と弟の三角関係を扱った具体作かと思いきや、やがて、近代人の悩み・不安あるいは人間存在そのものへの問いかけへと、問題が普遍性を帯びてくる。 やはり、漱石は並の作家ではない証左。 文中、示唆に富んだ箴言が読者を魅了する。 「幸福になりたいと思って、幸福の研究ばかりしていても、幸福にはなれない。」 「山を呼び寄せようと思っても、山が来てくれない以上、自分が行くより仕方あるまい。」等々。
2投稿日: 2015.06.13
powered by ブクログ何事も考えに考え抜いて、それでも行動を起こさない一郎と、 「女は鉢植えのようなもの。誰か来て動かしてくれない以上、立枯れになるまで じっとしている外ない」 と言う感情主義で情熱的な直。 そんな彼女がストレートな愛情表現をしない一郎に満足するはずもなく、 捻れた態度をとるばかり。 直が二郎と一夜を共にしたのに、何も行動を起こさない彼に焦れて、 暗闇の中わざと帯を解く音など聞かせて誘惑したのは、 鉢植えのような自分をどこか遠くへ連れ出して欲しかっただけで、 別段二郎でなくてもよかったのだろう。 ともあれ、これほど相性の悪い女を妻にしたことが、 一郎にとってそもそもの不幸の始まりだった。 思索ばかりで実行力のないことが、自分の不幸の根源だと一郎は分かっているが、 (実行に伴う)自意識を捨てることができない。 そして、ぐるぐると思考の螺旋に迷い込み、とうとう狂気の淵へと辿り着く。 心が体を支配するのではなく、体が脳(心)を支配しているということが 近年明らかになってきたようだが、 そのような人間の本質を見抜いていた漱石はさすが。 それにしても「何か大変なことが起こるぞ」という餌をしじゅうちらつかせ、 読者にぞくぞくする期待を持たせるのが上手い書き手である。
5投稿日: 2015.02.26
powered by ブクログブクログ再開します、と自分に戒めるために書いておきます。 夫婦像というのは、みんな自分の理想を持ってて、しかもそれが普通だと信じている面があるけど、実の夫婦関係って夫婦の数だけ違うよね、と思いながら読みました。 三角関係♪という読み方はしませんでした。その方が下世話に面白いけど、うがちすぎかと。
0投稿日: 2014.11.20
powered by ブクログ2014年11月【東京月曜会5周年記念】修善寺温泉旅行の課題本です。 http://www.nekomachi-club.com/report/15768
0投稿日: 2014.10.28
powered by ブクログ漱石の結論はいつも先進的な答えだな。聖書も読んでみるかな。 一番ハッとさせられたのが↓ 『あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力があるはずがありません』
0投稿日: 2014.06.12
powered by ブクログ最後のどんでん返しが凄かった。 兄の様子が兄の友人の手紙からどんどんわかっていく。 すべてを手にしても、落ち着かなかったり、疑心暗鬼になってしまう。 人間とはそんなものかもしれない。
0投稿日: 2014.05.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
20140205読了。漱石先生、後期三部作の二作目。長くて捉えどころがないな、というのが印象の本。中心となる人物は一郎とその弟、二郎。一郎は結婚をしているが妻の自分に対する気持ちを信じることが出来ず、果ては妻が「弟に気があるのではないか?」と疑心暗鬼に陥り、弟の二郎に妻の気持ちを確かめるために一晩二人っきりで過ごしてほしい、とまで詰め寄る。一種パラノイア的な神経症を抱える。 そうして、作中には何度か兄と弟が言い争うシーンがあるが、お互いに理解をし合うことはない。この何度かのシーンはどれも迫真生があり、心に迫る。 最後の章は、兄一郎の学生時代からの旧友であるHさんが、兄の神経症緩和のために二人旅をし、その二人旅の様子を弟の二郎へと書いた手紙の内容で物語が終わる。余談だが、手紙という手段をもって人の心の真相を読者に伝える、という手法は次の作品である『こころ』に繋がる序章となっているような気がする。 この手紙の中では、兄一郎はそのこころに迂闊と矛盾を抱えながら苦しみ自分の現状をHさんに吐露する。どうして自ら生きづらくするのか、と思ってしまうがそうようにしか生きられない一郎のこころに同情せざるを得ない。 この作品を読んで、どこまで漱石先生の精神性が作品中に込められているのかが分からないけれども、夏目漱石という人は、その時代を客観的に冷静にある種の危惧をもって、つまり明晰な頭脳で批判的に世の中をみた人だけれども、その一方で何の根拠もなく何の利害もなく、“ただ人を信じる“、ということに強く憧れた人なのではないかと思う。 信じることができずに、考えるしかないその苦しみをこの作品は伝えていると思う。
2投稿日: 2014.02.06
powered by ブクログ何度も読み返しています。人の内面をこんな風に文書に表せるのは流石だと思います。読むことで、自分の中のもやもやして表現しがたいことが、すっーと整っていきます。
0投稿日: 2014.01.19
powered by ブクログ漱石の内面の心情を流れるような文章で表現する能力が素晴らしい。 本作品は漱石の傑作のひとつだと思う。 一郎の持つ精神的な悩み、鬱状況は漱石自身が悩んでいたことでもあり、故にその描写に迫りくるものを感じる。 宗教への葛藤、哲学的な遣り取りは、知識人としての価値観のぶつかり合い、苦悩を表現しているともいえる。 本小説内で展開が幾つかに分かれるが、纏まりに欠けるとの批判となるのか、多様なテーマが織り込まれているので愉しめる、と評価するのか。 夫婦、男女、兄弟、親子、友情と様々な人間関係のテーマが散りばめられており、ストーリーに飽きがこない。 特に漱石が得意とする「女性の謎」、そしてそれに苦悩する男性、にも触れることができる。 以下引用~ ・「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」 ・「道徳に加勢するものは一時の勝利者に違いないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ・・・」
0投稿日: 2013.11.24
powered by ブクログダンテの「神曲」地獄篇の挿話"パオロとフランチェスカ"を題材に、二人を殺すジョバンニに当たる人物の自意識を描く。そんなに気になるなら本人に直接聞けよ!と思うことは現代生活でもよくある。バレバレなのに自分が気にしていると悟られたくない馬鹿馬鹿しさこそ自意識の本性なわけで、植え付けられた鉢植えのように立ち枯れになるまで、そこに居続けるしかないと語る嫂が哀れ。独りぼっちで書斎に籠ってばかりいると僻んだ観察ばかりする、と肉親に言われる主人もまた然り。現代の僕たちが教科書で読む「こころ」はここから繋がっているんだ。
2投稿日: 2013.10.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最初、二郎が主人公だと思っていたら、兄の一郎が主人公だった。一郎の研究したら人の心を理解できるのではないかと真面目さ、研究すればするほど妻も家族が離れて、深まる孤立と狂気。この作品のタイトルの方が『こころ』でも良い気がする…。 一郎の家の中で花嫁修業している純粋な乙女だったお貞さんを幸福な人といい、嫁いだお貞さんは「もう夫にスポイルされてしまっている」と夫のために女は邪に変わる存在なのだという。確かに女は男によって変わりやすい生き物なんだろうなと思った。寝ているところで終わるのが、少し勿体無いなと思うのだけど、これが現代なら精神病院へ連れていかれるだろうから、この時代そう終わらせるのが妥当なのかもしれない。結婚生活で男女で女が変わるというのなら、今の時代の同性婚はどうなのだろう。夏目漱石が現代に生きていたら同性婚についてどう思うか聞いてみたいところ。
0投稿日: 2013.10.02
powered by ブクログ「ゆくひと」、ではなく「こうじん」と呼ぶのか、と最初にちょっとした驚きが。 妻、身内を信じられなくなった一郎の苦悩、葛藤、孤独が綴られている本作、決して他人事のように感じられない。 ただ、「もう誰も信じることが出来ない」と打ち明けることが出来る友人を持っている点には救いを感じる。自分の中で肥大化していく自意識や被害者妄想を少しずつ他人に吐き出しながら生きていくしかないのだ、この世の中。 以下、引用。 行人 p66 其処に自分たちの心付かない暗闘があった。其処に持って生まれた人間の我儘と嫉妬があった。 其処に調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するに其処には性の争いがあったのである。そうして両方ともそれを露骨に言うことが出来なかったのである。 けれども浅間しい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜くことは到底出来ないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。 p293 そうして自己と周囲と全く遮断された人の寂しさを独り感じた。 p253 人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従って、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ捨て、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺激するように残るのではなかろうか。
0投稿日: 2013.09.13
powered by ブクログ深く深く考えることが懐疑を深め、孤独を招き、そしていつか自我崩壊につながっていく。何も考えずに生きるのがいいことかというとそうではないし、近代知識人のエゴ、苦しみ、心の葛藤を描いた作品だろう。
0投稿日: 2013.09.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
夏の盛りに、一気読みなどせず、日にちをかけて読むとよい。暑さとともに、一郎の狂気が染みこんでくる。漱石四十六歳の作品。
0投稿日: 2013.08.02
powered by ブクログ現在では、精神的不具合は病気として扱われるが、医学が未発達のときはまだそれを性格的なこととか考え方の修正と捉えていた。その精神的不具合は、薬などで治るという意味では病気であり、それが今の考え方であるが、以前は治るにしても、環境を変えてみたり、当人の考え方を変えるしかなかったのだろう。しかし、いつの世にも共通しているのは、周りにいる知人がそれをしっかり理解して行くことが肝心であるという事だろう。そして、この病気の発見の難しさは、傍で寄り添うべき人がいかに客観的になれるかにかかっている、というところにあるのかもしれない。それをこの小説は教えてくれる。 しかし、本筋はというと、絶対と相対の関係をどう処理するかという事だろう。本人は絶対を信じたいが、そのように行動すると相対的にできている社会から弾き飛ばされ、馴染めなくなってしまう。しからばと、相対的な社会で相対的な行動を取れる人間はいいが、それをできない人間はどうしたらよいのだろうか?これがこの本のテーマだろう。結論の一歩手前での解決策は、そのような人間には、死、気違いそして宗教があると提示されるが、そのどれをも選択できない人間には、苦悩の日々しか残されないという悲劇が待っている。
0投稿日: 2013.04.15
powered by ブクログ結構面白く読めました。嫂と和歌山で一晩過ごす羽目になるのも、はわはわしながら読んでました。停電の中で義姉が帯を解くのもすんごい興奮しながら読んでました(笑) それから穏やかに過ぎる日々の中で、少しずつひずんでゆく兄との関係や嫂との妙な距離、母の視線なんかも、なかなかスリリングで中盤からは一息で読んでしまいました。 「宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」 兄はさも忌々しそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、 考えて、考えるだけだ。二郎、 どうかおれを信じられるようにしてくれ」 この兄さんの叫びは何とも切なかったです。 こんな頭のいい兄さんに対しておこがましいですが、よくわかるんですよ。これって宗教だけじゃないんですよね。恋愛もそうだし、幸福さえそうだと思います。 昔、幸せについて考えた時に「そんなものはどこにもない。幸せはその人がそう思い込んでいるだけだ」ってところに行き着いて、何も考えず幸せそうな人を少し馬鹿にさえしていたけれど、今はそれが出来る人がとても羨ましいんです。 その人がそれを幸福だと信じれば、たとえどんな状況であったとしても、誰に否定されようともそれを侵すことは出来ないんです。 幸福の正体について考えることなど、なんて無意味なことでしょう。信じられることのなんと強く難しく潔いことでしょう。 私も兄さんと一緒で、もしかしたら一生疑うことしか出来ない気がしているのです。 だから、あの結末は永遠に眠る時まで安らぐことなどできないとでもいうようで、真理であったとしても、切なかった。 それとも、そんな孤独が自分だけではないと思えば少しは救われるのかな。
2投稿日: 2013.04.12
powered by ブクログこれは読了に結構時間がかかってしまった。 おそらく自分にとって、主人公=兄の一郎を客観的に描く文体にうまく馴染めなかったからではないか。 正直、裏の説明文を読まなければこの作品が兄に関してのものであるということを理解するのに、半分くらい読み終えてようやく気づく、という感じであろう。 主人公をあくまで客観的に描くというやり方は非常に面白いが同時に面白くなくもある。他の作品も割と客観的に淡々と描くものが多く感じるが、この作品は特に顕著だと思う。 まだ自分にはこの時期の作品を理解することが出来ないかとなると若干悔しさもこみ上げてくるが、めげずに他の作品も鑑賞するとする。
0投稿日: 2013.02.05
powered by ブクログ一郎の苦悩が壮絶で痛々しい。幸せになる方法を追求しながら、実際は理想とする幸せから離れていくという矛盾。また、その矛盾をも良くわかっているのに追求をやめられない。いい加減=良い加減 やっぱ これに尽きるんだろうなと。 次はラスト、こころ。
0投稿日: 2012.10.28
powered by ブクログ漱石に限らず、この時代の文章は 「語らずに語り、語るが語れず」 という感じがする。 隠微な空気や 胸がやけつくような愚直さ 友人の手紙は長すぎる気がするも、 最後の文がやさしくて じんとした。
0投稿日: 2012.10.11
powered by ブクログいかにも夏目漱石らしい、美しい文章で、淡々と、ただ静かに物語は流れる。何と言うか、この人の小説は水を思わせる。穏やかな海、川、曇りの日の湖。この小説もまさにそんな感じで、暑い夏の描写の中でも、どこか涼しげな冷たさがある。一人称のはずの小説なのに、何と言うかことごとく冷淡に進む。 妻が弟を愛しているのではないかと苦悩する兄。その苦悩によって兄は妻を疑うことしか出来ず、ますます関係は悪化する。それを、他人事のように眺める弟。 小説を読み終えた時、心をいっぱいにしていたのはお兄さんの子どものように美しい苦悩だった。静かに、しかし正直に妻を愛するお兄さんの悲しさが切なかった。
0投稿日: 2012.10.04
powered by ブクログこころ、につながる佳作。ダークトーンな夏目節が冴える。 追記。 佳作、などと書いているが、しばらく時間が経ってみると、強烈な印象として蘇ってくる。
0投稿日: 2012.09.24
powered by ブクログある神社に貼ってあった「行人」の引用がきっかけて、高校時代に読んだはずだけど再読。ところがたぶん途中までしか読んでいなかったようで、後半は全く知らなかった。 「兄」の葛藤は自分が高校生当時でも理解できたはずだけれど、やはり完読できなかったということは、難しかったのかもしれない。でも今ならすっかり理解できる。 周りの人たちがあまりにも自分と違う気がする。理解できないから理解してもらえない。 漱石はだからどうすればいいという結論を教えてくれないので、自分で考える。思考するとてもいいきっかけをもらった。
2投稿日: 2012.08.01
powered by ブクログ主な登場人物は、二郎と二郎の兄一郎、兄嫁の直、両親、岡田夫妻、妹の重、家の厄介者のお貞さん、二郎の友人三沢、あの女呼ばれる入院中の芸者 まだ結婚の気配のない二郎の視点から、上手くいかない兄夫婦の問題を中心に話が展開してゆく。 その中で、色々な種類の「家」のあり様、上手くいっている夫婦の岡田、とんとん拍子で結婚に向かうお貞さん、嫁いだ後に不縁になり精神病になった女など、が書かれている。 それぞれの人物が互いに対比されているため、話に明暗・緩急がつき、リズムが生まれている。 また、舞台が東京、大阪、和歌山、その他となっており。海、山、都市、田舎、観光地の描写が話の展開と共に入れ替わり、情景を楽しむ事ができる。 行きつく所は理智の過ぎている一郎の性質が引き起こす苦悩であるが、希望の持てる終わり方で、読後感もすっきりしている。
0投稿日: 2012.07.28
powered by ブクログHさんからの手紙で明らかになる一郎の根源的な悩みを読んでいると、100年も前に書かれた小説とは思えない。『人間の不安は科学から来る。進んで止まることを知らない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船と、何処まで行っても休ませてくれない。何処まで伴われて行かれるか分からない。実に恐ろしい』。一郎のこのセリフ、完全に2010年代に生きる私たちに向けて語られているんじゃないかと思う。 インターネットの発展と普及によって、座り慣れたイスにふんぞり返って膨大な量の情報と思索のいらない娯楽を得ることができる。facebookで人脈作らなきゃ! ツイッターで友達にコメントしなきゃ! mixiで充実してる日記かいて、読む友達に自分は幸せだと思わせなきゃ!小説なんか読んでる場合じゃない!! そうやって、現代人は読書するとか、何も考えずに散歩するとか本来心の平穏のために自然にできていたことができなくなってしまったような気がする。これは一郎の「普段何をしていてもそこに安住することができない。」「自分のしていることが自分の目的(エンド)になっていない」という状態に近いのではないか。 このまま国民皆一郎化してしまったらかなり恐ろしい。
2投稿日: 2012.02.04
powered by ブクログ他人にこころを開かない一郎の姿を周りの人からのことばで綴っています。 考えに考えを重ねながら、それが一層周囲との感覚の断絶につながり、深い孤独にはまってゆく一郎のくるしみが痛いほど伝わってきました。 文学も哲学も知らない自分でも味わうことが出来ました。 名作だと思います。
2投稿日: 2012.01.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【あらすじ】 学者である長野一郎は妻を愛しながら、妻が本当に自分を愛しているのか疑いが晴れない。 一郎はその人間不信による、神経症、不眠症に陥り、彼の精神は荒廃と混迷を極め、次第に彼の人間不信は自分の妻だけでなく、両親や兄弟たち、さらには他人にまで大きく広がり、その孤独と苦しみは止むことなく、重圧となって彼を押し潰す。 そんな中、理由も分からず一郎の不健康と偏屈を心配する家族は、一郎の友人のHに頼んで彼を旅行へ連れ出してもらう。 旅先で一郎は自己の悩みを初めて人に開かす。人はみんな嘘をつく。或いは本心を開かさない。それは相手を思いやる気持ちからつく方便の場合もある。だが、それでも誰が本心なのか何を考えているのかは分からない。その不安が彼の精神を圧迫し、強迫観念に陥らせていて、さらに病んだ神経がそれを、人間全体の不安を彼が一人で引き受けているかのように感じさせている。 だが一郎は、解決の端緒も見出だしている。それは無作為な表情に象徴される、自然のままの人間であった。また、その敷衍としての山や虫などの文字通りの自然も含まれた。そこにあることで一郎は一時的に人間の作為が生む不信感から離れられ、安んずることができる。しかし、あくまでも学究的に物事に対 する一郎は、その境涯に至れず悩んでいる。「然しどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化出来るだろう(後略)」。彼の悩みに友人Hはこう提案する。 自分という主体を維持したまま、絶対という状態を得ようとするからうまくいかない、代わりに自分を忘れてはどうか。そうすれば自然と絶対に至ることと同じになるではないか、と。しかし一郎は茫然としてこれを聞いているだけだった。 【考察】 この物語は、信じるということの論理的不可能性を指摘していると言える。 作中で示された解決案は、友人Hの言う自分を忘れて主体を放棄する事、あるいは弟の二郎の言う宗教のようにただ信じる事であり、論理的な追及ではひたすらに悩みと孤独のみが描かれている。 この悩みの原因を一郎は開化後の生活の変化・科学の発達に見ている。一郎は言う、 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に 止まる事を許して呉れた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から 自動車、それから航空船、それから飛行機と、何処まで行っても休ませて呉れない」(p343) 神経症的な一郎はこれらの変化を人間の変化に直接的に結びつけて考えている。それにより、周囲の人間との間に差異が生じ、孤独が生まれた。友人Hは一郎をこう評する。 「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる 男だ。そうして山を批判する事だけを考える男だ」(p360) そして友人Hは、山(つまり、周囲の人間たち)へと譲歩する事を勧める。しかし、一郎はこう反論する。 「もし向こうが此方へ来るべき義務があったらどうだ」(同) つまり、一郎は自分の考えこそ倫理的であり、論理性に裏打ちされた正しい考えなので、譲歩する必要はないと考える。これは友人Hも実は承知の事で、 一郎が「是非、善悪、美醜の区別に於て、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない」事を理解しているし、事実、大抵の場合一郎の判断のほうが正しい事が多いと知っている。 だが、この正しさこそが一郎を苦しめている。「是非、善悪、美醜の区別」に聡い一郎は、あまりに正しく、あまりに善であり、あまりに美に厳しい為、周囲と乖離してしまうのだ。 周囲に譲歩できない一郎は自分の未来をこう述べる。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものし かない」(p357) また、一郎は死ぬ勇気もなければ、宗教のように論理性を捨てる事もできないと言う。 ところで、そのような一郎だが、彼にも心の平安へと繋がる端緒を見つけている。 「電車の中やなにかで、不図眼を上げて向こう側を見ると、如何にも苦のなさそうな顔 に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌さないぽかんとした顔に注 ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟を総身に受ける」(p345) また、これに加え、実際に自然(山や蟹などの小動物たち等)に対しても同様の感覚を得ている。一郎はこの感覚の中に入り、渾然一体となることで悩みや苦しみが消えていく状態を「絶対」と呼んで、それを求めた。しかし、一郎の弟の二郎が、 「それ(論理的に物事を見つめ判断すること――引用者注)を超越するのが宗教なんじゃ ありますまいか」(p125) と述べているように、信じるという行為は論理性を飛躍しなければなし得ない。なので、一郎が現象に対して論理的で冷徹な視線を投げ掛ける限り、解決(絶対の境地)が訪れないのは当然のことなのである。もっとも、一郎自身もこの矛盾を自覚している。 「僕は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は 僕と離れてしまう」(p372-373) 「然しどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化出来るだろう」(p372) そこで、友人Hは一郎に、それとは逆の方法でそこへ至る道を示す。 「まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統 一を見出だすなんて、随分骨が折れるだろう。第一人間に出来る事か何だかそれさえ判 然しやしない」(p378) 「つまり蟹に見惚れて、自分を忘れるのさ。自分と対象がぴたりと合えば、君の云う通 りになるじゃないか」(同) 仏教的に言えば、分別知によって理解しようとするのではなく、分別知を去って、無分別知によって理解しよう、受け入れようと言う事だろう。 あるいは、大雑把に敷衍してしまえば、全てをあるがままに受け入れよと言う事になる。 しかし一郎は、これを茫然と聞くばかりで、生返事を返すに終わっている。物語のなかで、彼に最終的な解決が与えられることはないのだ。 以上のように、この小説では一郎の立場を通して、理論・理性によって物事を理解しようとすれば、何も信用することが不可能になるということが描かれている。また反対から言えば、信じるという行為には論理性からのひとつの「飛躍」が必要になる、とも言えるだろう。
1投稿日: 2011.11.29
powered by ブクログ漱石の小説を読んでいると、良く出会う言葉があります。それは「真面目」という言葉。真っすぐか、誠実か、嘘偽りはないか、正面から向き合っているか。自らに、他者に、何度も問いかける漱石の姿が見える。 あまりにも明晰な知性を持つが故にどうしようもない孤独に堕ちていく一郎。他の心を信じられない。他人のことを完全に理解するのなんて不可能で、みんなその寂しさをそれぞれ自分なりに消化して、誤摩化して、馴らして、どうかにか生きているのに。真面目に苦しんでしまう一郎が哀しくて愛おしい。
0投稿日: 2011.11.01
powered by ブクログ漱石の小説を人に薦めるときはこれにしてます。漱石の作品の中では比較的事件性もあるし,(草枕や虞美人草なんかと比べてだが)文章が軽妙で読みやすい。 「あの山は僕の所有だ」などの言い回しも単純に読めば滑稽でちょっと笑ってしまう。 これ以上の感想はもう何度か読まないと何ともいえないので,また読みたい。
0投稿日: 2011.09.15
powered by ブクログ8月11日読了。精神を病んだ未亡人への思慕に一人悦に入る友人、嫁との不仲に思い悩む兄や家族の間で悩みつつも気楽に生きる主人公・二郎の生活。漱石自身が近代日本の中で感じていたであろう居心地悪さ・思想と実践が伴わない歯がゆさ・女性への畏怖みたいなものが大いに投影されているようで読み応えはあるが、寸止めの連続というか?何か起こるぞ起こるぞ不幸がくるぞくるぞと脅かしつつも結局何も起こらない、というこの展開は甚だ尻の座りが悪い。もとは新聞連載小説だというからそのせいかもしれないが・・・。近代の人間とは、自分で「テキトーに生きよう」と思えばいくらでも生きられるし、「人生は不幸だ」と思ってしまえば他人のアドバイスくらいではその負の連鎖を振り切ることはできない、というものなのか。
0投稿日: 2011.08.11
powered by ブクログ学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む…。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。
0投稿日: 2011.07.06
powered by ブクログ「西洋文明の“非人間的な加速”」という言葉に導かれ出逢った一冊。 時のことをずっと考えている。 時間の概念が狂ってる。これを取り戻すことを誰かがやらなくてはならない。それから、本当に大切なことを言葉にできない息苦しさを抱えたまま、社会は本当によい方向に向かうのだろうか・・・。 そういう思いがずっと心を巡っている。
0投稿日: 2011.06.14
powered by ブクログ『こころ』よりもこちらの作品のほうが、個人的に好きです。読んだ後、胸がぐっと締め付けられる思いがしました。
0投稿日: 2011.06.03
powered by ブクログ斉藤孝氏の著作の影響で、それまでほとんど読んだことの無かった小説を読むようになり初期に買った本。 小説に関してはいわゆる「文学」と括られる古典的なものしか読まないんですが、これは色々考えさせられる本。 ただ、文体が古いのでまた折をみて読み返さないとしっかり記憶に残って無い点もあり。(これは自分の能力不足)
0投稿日: 2011.05.27
powered by ブクログ学問だけを生きがいとしていへり一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることか出来ない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることが出来ず、弟•二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻と一晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。 先生をもうちょっと訳分からなくしたのが兄さん。
1投稿日: 2011.05.02
powered by ブクログあらすじには、「人間の寂寞とした姿とその原因を追究した作品」とあったが、まさしくその通りで、それが徐々に感じ取れるようになったところで、ストップ。読むの終了。 たぶん、全部読んだら暗くなる。
0投稿日: 2011.03.29
powered by ブクログ婚活中に読みました。 頭でっかちで、男女平等を叩き込まれた頑固な21世紀のアラサー女子の私にも、幸せになるために山の方へ歩いていく勇気が出ますように。 動かない山を批判するのは楽しいけれど、黙っていて幸せがやってこないことを批判していても何にもならない。
0投稿日: 2011.03.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一人称の小説なのに、主人公の立ち位置が興味深い。 普段読みなれた文章ではないので、最初は読みつらいけれど、読み進むと「日常」のフリをした「何か」があり。怖い。 だんだんと深遠を覗き込んでしまうような怖さがある。最後の一行を読み終えると、もう一度最初から読み直したくなる本だった。
0投稿日: 2011.03.04
powered by ブクログp.128 「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない。信じるものだ」 p.365 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
0投稿日: 2011.02.25
powered by ブクログ漱石のつきつめた「エゴイズム」とは何か。・・・ここまでくると、彼は「エゴイズム オタク」でしょう。 漱石が悩みまくった利己心の問題に比べれば、我々の悩みなんて、悩みのうちに入りません。 (院生アルバイトスタッフ)
0投稿日: 2011.02.22
powered by ブクログ後期3部作のふたつめ。 人は人の心をどこまで理解できるのだろうか。 考えても考えても答えの出ない問題を、それでも考え続ける男の話。
0投稿日: 2011.01.06
powered by ブクログ漱石の本はいろいろ読んではいるが、これも人を信じることができない苦悩する人間が描かれていていて漱石らしい作品。 二郎目線で最初話が進んでいくので、あらすじと違うなと思っていたらだんだんと一郎についての内容になっていく。 何事も考え抜き、追求してしまう一郎だからこそあそこまで苦しい生き方をしなければならないのだと考えると、人は単純に生きた方が幸せなのかと思ってしまう。 「他人の心は考えれば、考えるほど分からなくなってしまう。」 というのが本を読んで思うことだ。
0投稿日: 2010.10.05
powered by ブクログ前半、次々と謎を提示したり、尋常ではない展開(夫が妻の貞操を試すように弟に依頼する)を作ったりしながら読者の興味を惹いていく力量はさすが。その展開の中で、語り手の兄・一郎を中心とした人々の心理を克明に描写していく。ここでもやはり「男性の目から見た女性」の姿しか描かれないのだが、自分で袋小路に入ってしまう一郎の心理が、今回は読み応えあった。個人的には、『明暗』には及ばないものの、『こころ』くらいには好きな作品。こうしてみると、前期三部作はからっきしうけつけない私にとっても、作家人生後半の漱石はそれなりにスマッシュヒットを飛ばしている気もする。
0投稿日: 2010.09.09
powered by ブクログ後期3部作の2作目。なんか漱石読んでみようという気になったので、「こころ」が好きなので、このあたりからと読んでみる。 内向的で思慮型な一郎の精神世界が主テーマだと思うが、この辺が漱石の特徴なのかねぇ。昔読んだ「こころ」の印象が強すぎるのか、「こころ」ほどひきこまれなかったが漱石文学はもうすこし読んでみたいねぇ。そもそも「こころ」を読んだのが中学生ぐらいなので、自分の中の基準となっている「こころ」からまず読み返してみるかな。
0投稿日: 2010.07.24
powered by ブクログ前半は、兄嫁の苦悩と色気を感じさせる絶妙の描写で、後半は「死ぬか気が狂うか宗教にはいるしかない」という兄の苦悩の深さが明らかになる秀作である。 この兄の苦悩がそのまま漱石の苦悩であったらしい。
0投稿日: 2009.10.26
powered by ブクログ後期三部作の真ん中。そうとも知らず、彼岸過迄も読まずに手に取ってしまった苦い思い出。まあこころは更に以前に読んでしまったので、今更っちゃ今更だけど。 名作の一部分をカットして教科書に載せるの、やめませんか?いじめ? 門読んだ後だったんで、とっても能天気に感じた。視点が違うからってだけだろうけど。兄貴寄りになれば、門より暗くなるのは明白だ…。もっと精神的にも重症そうだし。 ラストは確かに『こころ』に通じている。これが発展していったものなのね。
0投稿日: 2009.10.18
powered by ブクログ一郎のような性格の人、いますね。愛されたいんだけど、自分からは愛想よくできなくて、相手に「なんで近づいてきてくれないんだ!」ってイライラする。 漱石自身がこんな感じだったとも言われているそうです。息子に「父が隣の部屋にいるのは虎が横たわっているようなものだ」とか書かれています。 そういう人が家族や上司だったら、ヒロインの直のような行動をとるのは一つの対処法かもしれません。 表面上では従順に従うけれど、本心は見せない。直は「座ったまま足が腐っていくのを笑って受け入れているような女」と表現されています。 「私はいつ死んでもいい」とも発言しています。失うものがない、と思えば逆に、自分を傷つける相手に全てを搾取されずに、心の自由を保てるのかもしれません。
0投稿日: 2009.07.24
powered by ブクログ最近、漱石を読みなおしたり、まだ未読のものを読んだりしてる。 どれも、やはり、ぐいぐい引き込まれ、最後にどひゃーっとやられる。 これも、どひゃー、が来そうでドキドキしながら読んだ。 結果は、内緒。(R)
0投稿日: 2009.04.14
powered by ブクログ『こころ』の次に好きなというか、ぐっとくるものがある作品かなーと思う。まず舞台がはじめ近畿方面で語られ、そこから東京へという設定がいい。大阪市天王寺やら、訪れたことはないにしてもどこか近いように思い描いていた土地が出てくるところにまず哀愁みたいなものを思ったりする。いやまあたぶんそこまで深刻なものではないが。情景描写がやはり緻密で、そこに登場人物を置くとぐっと迫りくるものを感じる。そしてそこにすれ違う人間のこころ。すれ違うというのかどうか。もうそれぞれがそれぞれの方向を見ることしかできないのかもしれない。人間の息苦しさが、なぜか読んでここちよいようなリズム、鼓動をおぼえてしまうという。
0投稿日: 2008.07.31
powered by ブクログ『彼岸過迄』を読み終えて『行人』へ。読み終わったとき嘆息してしまった。 漱石は途中で修善寺に倒れ、間に5か月休んで新聞発表を再開している。 漱石の人格を分け持つかのような学者一郎と弟二郎。二郎は感情をあまり出さない嫂と気が合う。にぎやかで陽気な妹重子と両親を中心に家庭のなかでのあれこれが書かれるが、出来事自体には表立っての変化はない。 大きく波立つのは一郎の頭の中である。 寝ている一郎が目を覚まさなかったら「さぞ幸福だろう」と思うと結ぶ兄の友人からの手紙が重い。 独特の比喩表現が漱石らしい。自然描写も新鮮だった。 作成日時 2008年02月09日 11:40
0投稿日: 2008.05.11
