
総合評価
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powered by ブクログ職業作家として初の作品だつたからなのか、かなり力の入ったものに感じた。表現の脚色が煩雑に思えるほど多い。 登場人物の正体をあえて分かりにくくしているのも、読者の気を引くためだろうか。 冒頭の京旅行から布石があって、ラストは大逆転。藤尾が可哀想なくらい。 でも、会話は「明暗」を思わせる。テンポが良くてリアリティが感じられる。 読み物としては、十分楽しめた。
0投稿日: 2025.07.13
powered by ブクログ序盤は硬い文章に読みにくさがあったが、「若い6人の男女の恋愛物語」と分かってからはストーリーが面白くてどんどん読み進められた。 明治時代の若者の恋愛に、ローマ演劇的、シェイクスピア的雰囲気を落とし込んだような作品で、そのように読めば分かりやすく面白さがあった。その後の漱石作品と比較すると、人物像やストーリーが浅いように感じる人もいるかもしれないが、これはこれで好き。 宗近君と甲野さんのあつい友情が良い。糸ちゃんも好きだな。
5投稿日: 2025.04.23
powered by ブクログ人名の呼称がコロコロ変わって場面を追うのが難しく、文章が少し難解で文量も多かったため読むのに時間がかかったが徐々に小野の煮え切らない性格のせいでどうしようもない袋小路に突き進んでいく様子は読んでて心が痛んだ。相手の気持ちを想像しすぎるあまり優柔不断になるのはよく分かる。道義が大切。
0投稿日: 2025.01.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中盤まで人物名が覚えきれず混乱したけど、覚えてからは割とすらすら読めた。 まず小野ーー!!という思い。小野が痛い目見るのかと思ったら藤尾さん死んじゃうし。小夜子と小野が結婚したとしても、一度は断っているわけで 宗近に諭されてはいっ真面目になります!小夜子と結婚します!って決めたとて、そんな二人がこの先幸せになれるのか?とか色々思った。 時代が時代だから今読むと、男側が勝手に女性をそっちにやるやらないとか男だけで話し合ったりしてて、うるせえ!と思ったり。笑 あとは映像が流れるような場面転換の仕方が印象的で美しかった。(人の前に風景や物の描写があって、そこに人がいるとあとで描かれたり) 甲野が今すぐ家を出ると決め、母がそれを止めている時の糸子の言葉がかっこよかった。 謎の女「だって、こんな雨が降って...」 糸子「雨が降っても、御叔母さんは濡れないんだから構わないじゃありませんか」
0投稿日: 2024.09.23
powered by ブクログ「愛嬌と云うのはね、自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、扱き使う鋭利なる武器だろう」 小野さんは自分と遠ざかるために変わったと同然である。 わが悪戯が、己れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、この迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが気味が悪い。 雷の嫌なものが、雷を封じた雲の峯の前へ出ると、少しく逡巡するのと一般である。只の気の毒とは余程趣が違う。けれども小野さんはこれを称して気の毒と云っている。 真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。君と云う一個の人間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの証拠を実地に見せなけりゃ何にもならない。•・・ 時代背景や価値観が違うから、全てを共感はできないけど、この行き場のなさはわかる気がする。高慢で魅力的な女は退場させられた。そんな時代。恋愛に限らないけど、恋愛の板挟みって神経すり減らす。まぁここでの板挟みは愛とか恋とかそんなのに拘うものではないのだけれど。 再読で、そう昔のことじゃないと思うんだけど全く覚えてなかった。漱石文学は展開に入るまでが難解だけど、いざ入ったらどことなく俗っぽくてすらすら読める。
0投稿日: 2024.09.22
powered by ブクログようやく読みきれた『虞美人草』。前半部分は漢文調が続くので慣れるまで時間がかかりました。後半部分になって、登場人物の中でも話の要となってくる人物の正確や様子が分かってきて、徐々に作品に引き込まれていきました。それは男女間のもつれや師弟関係のしがらみがかかわってきているからだと思います。このあたりから人の心にある弱い部分や傲慢が部分が感じられたのもあります。 また、虞美人草はひなげしのこと。花言葉は「心の平穏」「労り」「慰め」「思いやり」。作品の後半でようやくこのタイトルが登場人物の心の移り変わりを表しているようにさえ思えてきました。 宗近君が小野君にまじめに生きることを説く部分はすごいと思ったが、結末はすべてを藤尾さんに擦り付けたのでは?とおもえて仕方なかった。「労り」「慰め」「思いやり」を出しているように見える登場人物も、ちょっと自己中心的なものの考え方なのではと。 しかし、こういうところが、時代は違えど親近感があるようにも感じて興味深いと思いました。
4投稿日: 2024.09.01
powered by ブクログ苦慮して作り上げた文体は正直なところ意味を掴めないが、美しさは伝わってくる。西洋的なハイカラな思想が昔ながらの考えにぶつかる、そこで起きる波紋というのも一つのテーマとして感じる。藤尾は美しく傲慢な女として描かれているが、こんな人は現実に実際いそうだ。自分の美しさを把握しているから、人に対して小悪魔に振る舞ったりする。その我儘さが美しさに拍手をかける。みたいな。まぁ、こんな人には敵わない。なんだかんだで結局美しさに敵うものはないのではないか。と勝手に思ったりもする。 藤尾だけではなくて、この小説に出てくる人は皆現実にいそうだと感じる。それぞれが自立した性格を持っていて、そのもつれの中で結末を迎える。この小説の登場人物の内面が外界に働きかけることで小説が歯車のように回って、動いていく様は、少し離れたところで精巧で大きな機械仕掛けの時計を見ているような気持ちになる。 どう考えても、自他共に認める失敗作には思えなかった。
0投稿日: 2024.07.15
powered by ブクログ本作は見事な美文調で書かれている勧善懲悪小説である。が、しかし正岡子規も指摘していたように、文章を飾ることに力を入れすぎていて、内容がおざなりになっていると感じた。物語のストーリーを期待して読むよりは、巧みな比喩表現や落語に則って描いた登場人物の言葉の掛け合いなどを味わって読む方がいいのかなと思った。
0投稿日: 2024.05.25
powered by ブクログ「草枕」と同じく、とてつもなく難解な地の文。いやぁ、すごいですね。よくこんな文章が書けるものだと感心します。恐ろしい教養です。 それもすごいのですが、なんといっても会話がすごい。登場人物それぞれに何か秘めたるものがあり、自分の思惑に話を持っていこうとするが、相手はそうはさせじ意識的にか無意識にかする。そういったやり取りが、とてつもなくスリリングです。 登場人物の中ではやはり「藤尾」が魅力的です。おそらく漱石としては、藤尾を完全な悪女として描きたかったのでしょうが、思いのほかに筆が進んでしまったのでしょう。欠点があるのも人間らしさとして、また魅力の一つになっています。 その点で、最後の展開は納得がいかないです。浅井が孤堂先生に怒られる場面までは良かったです。その後の展開は作り事めいていて、なんかしっくりきません。おそらく同じように感じる人が多いと思います。 小野さんが孤堂先生のところに行って、ぼこぼこに怒られてへこんでしまい、その後藤尾が小野さんの様子を見て愛想をつかす、みたいな展開だったらめでたしめでたしだったのではないでしょうか。諸悪の根源は小野さんでしょう。 虞美人草は失敗作だという話もありますが、個人的には面白かったです。やっぱり会話シーンですね。全会話が名シーンです。小野さんと浅井とのあの馬鹿馬鹿しい会話ですら面白かった。
0投稿日: 2024.01.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
漢語調の絢爛な文体は漱石の領分といっても過言ではないでしょう。東京帝大の講師を辞め、専業作家となってから書いた初の小説とだけあって、眩暈がするほど難解かつ華麗な文章からは、並々ならぬ覚悟が伝わってきます。 大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才・小野清三。彼の心は、美しく裕福だが傲慢で虚栄心の強い女性・藤尾と、古風で物静かな恩師の娘・小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさから抜け出すために、一旦は小夜子との縁談を断るが…。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。 「潺湲(せんかん)」「瀲灩(れんえん)」「冪然(べきぜん)」「窈窕(ようちょう)」等々、これは正気の沙汰なのか?という語彙が乱れ咲く万華鏡の世界。その高雅な文体で綴られるのは、意外にも月並みなストーリー。真面目だが内気な青年・小野が、裕福な悪女・藤尾と貧しい乙女・小夜子の間で揺れ動くという安っぽいメロドラマを、「厚化粧」(小宮豊隆評)とも取れる絢爛たる舞台装置で見せられるというのはちぐはぐさ。まずもって人物の造形が平板かつ硬直的で、人間というよりは操り人形が話しているようなぎこちなさがついてまわります。漱石の豊饒な漢籍の素養と、迸る文才を疑う余地はありませんが、その漱石がなぜこのようなありふれた内容の小説を?という疑問を禁じえませんでしたね。
0投稿日: 2023.11.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
漱石の凄まじい教養と文章力に圧倒される。難解な表現は多いものの、軽快な会話劇も同時に展開されていくので思っていたよりスラスラと読み進めることが出来た。 にしても大バッドエンドである。 登場人物がそれぞれに背負っていた業は最後に全て藤尾に押し付けられ、藤尾は死んだ。彼女だけが自己中心的?小野も井上親子も甲野も宗近も糸子も濃淡あれどそれぞれ自己中心的ではないか。優柔不断な上に姑息な手段で縁談を断ろうとした小野、小野の気持ちなんぞ確認もせず東京へ出てきて世話になる気満々の井上親子、分かったようなことばかり並べ立てる宗近(彼がわざわざ時計を壊したのは自分を軽んじた藤尾への憎しみからではないか)……。 それぞれの欠点は問題にもされず、ただ藤尾だけが1人、裁きを下され死んでしまう。面子を潰してプライドも踏みにじるような酷い騙し討ちのような形で。「女の癖に生意気なんだよ」「身の程を弁えろ」という声が聞こえてくるようである。生き残った連中が不幸になりますように。 また、ラストの宗近から小野への説教も極めて凡庸であった。「真面目になれ」とは一体何なのか。そんな説教で人が変わるならこの世の中苦労はしないし、説教如きで変わることのない人間のどうしようもなさや複雑さ、ひねくれぶりを描くのが小説であり、あの程度の説教で小野がさっさと反省して物語が店じまいに入ってしまう辺りがなんとも拙速だった。 結末には大いに不満が残るものの、しかしこの先何度も読み返したい名作だと思う。
1投稿日: 2023.03.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めてちゃんと読んだ漱石作品だと思う。正直難しい言葉や表現があり細かいところがあまり理解できていない気がする。人物を把握するのに苦労した。藤尾の唐突な死には驚いた。漱石にも嫌な女とか言われてなんかかわいそう。
0投稿日: 2023.01.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
途中から一気に引き込まれて全部読んでしまった。自分の感覚でいくと、遠距離で、しかも5年も会ってないのであれば、そりゃ気持ちなんて変わって当然だろう、と思う。 ただ、それがいかに無理のある婚約だとしても、人にそれを伝えにいかせるのは小野さんのずるさであって、井上先生がキッパリ怒るのはよかったです。 藤尾さんはプライドが高く、素直じゃないけど、心から小野さんを愛していたようにみえ(それはけして打算ではなく)、プライドが傷ついたから自殺した、ではないと感じました。そして小野さんも藤尾さんの気高さとか美しさに心から惹かれていたのでは。 感じたことは、この時代では結婚って当事者の気持ちより、親の約束や建前だったんだなあということ。 それを当事者が遂行しなければ、当事者以外がそれを正しさだと説いて、遂行させることが美しいとされていたこと。 ストーリー全体に共感は感じないけど、言葉の一つ一つには、共感というか人生の真理をつくものがあると感じ、読み終わったあとも読み返すような良い作品です。 良い言葉メモ。 真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据(すわ)る事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。 (中略)口が巧者(こうしゃ)に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中に敲(たた)きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。
0投稿日: 2022.11.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
宗近君かっこ良すぎる。結婚して! 子供じみた上部の皮を脱ぎ捨てて、真剣勝負をしなくてはいけない。そうして生きれば第二義的なことは全てどうでも良くなる。正か死か、悲劇はそれだけ。骨身に応えた。
1投稿日: 2022.10.10
powered by ブクログ久しぶりの漱石先生。恋愛感情や人間関係の表現の巧みさ、情景描写の美しさがたまらない。夏目漱石の世界に浸れます。 漱石先生が持つ当時の社会や人に対する批判、信条と言ったものがそれぞれの登場人物を通して伺えます。勧善懲悪的な結末で驚きもありましたが、漱石先生の作品の中でもかなり上位に入ると言ってもいい面白さではないでしょうか。
0投稿日: 2022.09.15
powered by ブクログ職業作家として執筆した第1作で、一字一句にまで腐心して書いたという作品。 甲野藤尾は虚栄心の強い美貌の女性。兄の欽吾が神経衰弱(鬱病)療養により世間とは距離を置き、家督相続を放棄しているのを良いことに、亡き父親の洋行帰りの品で遺品でもある金時計(甲野家の財産を象徴している)と自らの美貌で、小野と宗近という二人の男性を天秤にかけ、彼らが狼狽する様を楽しんでいた。欽吾にとっての継母、藤尾の実の母親は、口では継子の欽吾の身を案じているものの、いずれは藤尾とその夫が亡夫の遺産を全て相続すると考えていた。また、藤尾は自分を慕い訪ねて来る小野に講釈をさせては、独自の解釈で小野の心を誑かしていた。 小野は恩師井上狐堂の愛娘である小夜子を妻に娶るという口約束を交わしていた。老い衰えた井上と小夜子は生活に窮し、小野を頼って京都から上京する。藤尾への恋慕を抱える小野は義理と人情の板挟みに密かに苦しんでいた。 一方、快活で剛毅な性格の宗近は外交官の試験に及第するため勉学に励んでいた。若くして隠棲している欽吾の身を案じ、しっかり者の妹糸子と父親と共に生活を送っていた。 ある日、藤尾、欽吾、宗近、糸子ら4人は上野恩賜公園で行われた東京勧業博覧会見物に繰り出す。一方、小野は井上と小夜子を案内していたが人ごみに疲れた二人を休ませるためカフェで休憩している際に藤尾たちにその様子を目撃された。藤尾は後日小野をめぐりくどく問い詰める。一方、小夜子は博士論文の提出を控えているという小野の変貌ぶりに驚いていた。 欽吾は宗近宅を訪ね、糸子と世間話をする。糸子は欽吾に思いを寄せていたが、欽吾は自分には養えないと婉曲に断る。藤尾に対する憧れを口にした糸子に、欽吾は「藤尾のような女がいると殺される人間が5人はいます」と打ち明け、「貴方はそのままでいてください」と糸子に語る。欽吾は改めて藤尾の気持ちを確認するが、藤尾には宗近の嫁になる意志はなく、小野に固執していた。 小野は知人の浅井を通じて小夜子との縁談を断るつもりでいた。一方、宗近は外交官の試験に及第したことを糸子に報告するが、つれない態度をとられる。欽吾の嫁になる気はないかと尋ねると糸子は泣き出した。糸子は欽吾に恋慕しており、欽吾も糸子に好意はあったがまるでなにもかも諦めているように断った。 宗近は報告と、出家する素振りの欽吾の心境を尋ねるため甲野家を訪れる。だが、藤尾のもとに小野が訪れていることを目撃する。宗近が欽吾を問い詰めると、欽吾は継母の真意に沿うように自分が悪者になって家を捨て、財産の全てを藤尾と継母に委ねるつもりだと吐露する。そんな欽吾に宗近は糸子を娶ってくれと頼み込み、世間の全てが欽吾の敵となっても糸子だけは味方になると欽吾を説得する。 一方、小野に依頼された浅井は井上を訪ね、博士号取得を理由に小夜子との縁談をなかったことにして欲しいと頼み込む。その替わりに生活の援助はするという小野の言葉を浅井は伝えるが、井上は激昂し、人の娘をなんだと思っていると浅井に怒りをぶちまける。小夜子は浅井と父のやり取りを聞いて落涙する。 井上の態度に悩んだ浅井は宗近に相談する。その頃、小野は藤尾と約束した駆け落ちを果たすべきか迷っていた。そこに宗近が乗り込む。そして人の道を説き、真面目になるべきだと懇々と説得する。 欽吾は甲野家を出る意志を固める。糸子が迎えに来ていた。父の肖像画だけを持って家を出ようという欽吾に継母は世間体を口にして押し留める。其処に宗近と小野、小夜子が連れだって現れる。そして小野が連れた小夜子こそが彼の妻となる女性だと紹介する。一方、待てども待ち合わせに現れない小野に業を煮やした藤尾は甲野家に戻り、小夜子を伴った小野に対面。謝罪された上で小夜子が自分の妻となる女性と紹介される。藤尾は宗近に見せつけるように金時計を取り出すが、宗近からこんなものが欲しくて酔狂な真似をしたのではないと突き放される。 藤尾は毒をあおって自死した。
0投稿日: 2022.01.14
powered by ブクログ久し振りの夏目漱石。職業作家としての第1作とのことで、他の有名な作品と比べるとかなり力の入った(ところどころ難解で読みにくい)文体だなと感じる。ただ、内容は男女の恋愛を主軸に物語が展開しており、描写を全て理解してやろうと思わなければ、けっこう楽しめる小説だったと思う。 哲学を学んだ甲野欽吾、その勝気な妹の甲野藤尾。欽吾の友人である宗近一と、あどけなさの残る妹の糸子。藤尾を嫁にと考えている男、小野清三。清三の恩師である父を持つ、清三との婚約の約束がある内気な娘、小夜子。この6人を中心に物語は展開する。 藤尾と小野が両想いであるが、小野には許嫁である小夜子がいる。謙虚でおとなしい古い価値観の象徴のような小夜子(作中でも「過去の女」(p.151)と言われる)と、新しい時代の女性だと言わんばかりに勝気で野心的な藤尾の描写が非常に対照的だ。この小説は、例えるなら坪内逍遥『当世書生気質』のような、分かりやすい勧善懲悪の側面を持っており、小夜子は善、藤尾は悪と描かれているように見える。 特に藤尾に至っては、ウィットに富んだ会話についてゆけない者を小馬鹿にしたり、我が強いが故に自分の言うことを聞く相手が婿として相応しいなどと言ったりと、性悪としてのキャラ付けが非常に強い。 藤尾を選ぼうとする小野についても、小夜子を断るのが言いづらくて知り合いに頼んでやり過ごそうとし、不真面目で姑息な印象を付けられている。 善玉として描かれる糸子や小夜子がいかにも「昔の女性」っぽく描かれているせいか、男に不都合な藤尾を悪玉扱いする家父長的小説だ!と捉えられそうにも見える。そもそも今の時代からすれば本小説内に出てくる結婚観はもはや化石同然であり、ますます「時代遅れの小説」という匂いを漂わせる。 しかしながら、想像ではあるが……明治時代が進み急速に西洋化が進んでゆくなかで、人から道義心が失われてゆくように思われた。よって、「人生の第一義は同義にあり」(p.452)との考え方から物語がつくられ、道義を失った者の典型として藤尾と小野が描かれ、彼らに天誅を喰らわせた。ということではないだろうか。 時代の価値観を蹂躙する者(小野・藤尾)、蹂躙される者(小夜子とその父)、これを仰ぎ見る者(欽吾・一)という3つの視点で描かれた、明治という激動の時代の功罪を描いた小説なのかな、と思った。 『こころ』を初めて読んだ時から、夏目漱石に対しては真面目な人だという印象があった。この本の裏表紙に「許して下さい、真面目な人間になるから。」という作中の台詞が書かれており、この小説もまさに「真面目」さを希求した物語だと感じている。もちろん、真面目といっても、真面目に生きることとは何かという問いに明確な答えはないのかもしれない。嘘偽りがないこと?飾り気がないこと?正直であること?真心がこもっていること?などなど。真面目なつもり、誠実なつもりであっても、自分にとっても相手にとっても必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。この小説で描かれた勧善懲悪にしても、本当に善・悪と呼べるものなのかは分からない。ただ、だからこそ、登場人物が思い悩む、漱石の小説が好きで様々な小説を読んできた。 明治時代の小説であり、結婚観、恋愛観、男女観、道徳観、物語全体に古さを感じる。だからこそ、時代によって変わってゆく価値観と長い間変わらない価値観とは何なのか、何を大切にすべきか、真面目さとは何かについて深く考えることができたと思う。
1投稿日: 2021.08.28
powered by ブクログ面白い! 明治の知識人階級の男女の四角(五角?六角?)関係であり、家や財産の相続、親の介護、若者特有のプライド、職業的マウンティング、恋愛と結婚、自我と世間体、本音と建前などなど、話自体はまあ渡る世間とかその辺のベタなホームドラマとそれほど変わらないはずなのに、なぜこれほどまでにスリリングでリアルなのか!?と考えるに、ストーリーテリングとしての純粋な面白さに加えて、普遍的な人間心理に対する漱石の鋭すぎる洞察と描写。それに尽きる。 特にそれまでずっと表面上は穏やかに行儀よく、しかし水面下ではハイコンテクストな湾曲表現による高速パンチと寝技の応酬を繰り広げていた人たちが、クライマックスで突然全員がベタ足で本音をぶちまけ始めるあたりのカタルシスが尋常ではない。例えるなら「8マイル」ラストのラップバトル。 表層的には「義理を立てるか、我を通すか」で悩む近代日本人だったりするのだけれど、もちろんそう単純な二項対立で済むわけもなく、最終的には「生きるか死ぬか、ぎりぎりの淵に立つ自己存在」みたいな場所まで行きついてしまうのが漱石の恐ろしいところ。 どうしても気になるのはこの物語のその後で、小野さんと小夜子がこの後一緒になってお互い幸せになれるとはどうしても思えないし、糸子は甲野さんの良き理解者には違いないけれども、甲野さんの方に愛はあるんか?そもそもこんな泥沼を経たあとにあの義母と同じ屋根の下でうまくやっていけるのか?と考えるに、唯一明るい未来が想像できるのはザ・体育会系男子の宗近さんくらいだったりする。 これが100年以上前の小説って、本当に信じられない。漱石は代表作くらいしか読んだことなかったけど、ちょっと今から地道に過去作ディグるわ…
0投稿日: 2021.05.27
powered by ブクログ意外にも面白く夢中で読んだ。確かに人物設定は類型的て役割通りかもしれないが、言葉による駆け引き、微妙に移ろう心理描写は漱石ならでは。経済的にも社会的にも恵まれ、精神的に安定し、大らかで義を尊ぶ宗近一家の描写には己が望んでが得られなかったものへの漱石の憧憬が感じられる。私もそれは同様だ。
0投稿日: 2021.03.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
(個人的)漱石再読月間の6。 いよいよ虞美人草です。10代の中頃に読んだはずなのですが、まっったく歯が立たず、藤尾の壮絶なラストだけはくっきり記憶にあるものの、とにかく辛かった思い出しかないので、今回の再読月間に当たり、最後に回そうか、さもないとここで引っかかって終わらないかも…くらいの苦手意識だったのが、なんとするする読めるし、もう面白くてたまらない。最初の朝日新聞での連載小説で、気合いを入れて、面白い仕掛け満載なのがよくわかり、いやぁ、私も読書人として成長したなぁと感慨深いものがありました。 キーワードは「道義」と「悲劇」 ここでもやはり、お金がないのはツライということが延々と述べられ、意外とテーマは偏っているのかとも思う。
0投稿日: 2020.05.07
powered by ブクログ明治の恋愛小説といって正しいのだろうか。交友範囲内の男女の関係のもつれを書いた作品。現代とは恋愛の価値観が違っているので、その前提で読んだ方が楽しめると思われる。 全体的に内容は回りくどい。例を挙げれば、手紙の封を開けるのに迷った登場人物が、ギッチリ文字の詰まった2ページを丸々使って右往左往したりする。 ただ、それらは描写と詩的な文言に費やされているので、浸ることが出来はじめると次第に光景が浮かぶようになって良くなってくる。慣れるのに時間はかかったが、当時の風俗などを楽しめた。静かな場所で読むのが良いかも
0投稿日: 2019.08.14
powered by ブクログ格調高い文章で、ちょっと読みにくい。 タカビーな藤尾さんを表現するには、こういった文章でなければならないのだろうけど…。
0投稿日: 2019.02.12
powered by ブクログ幾度と無く挫折してきた虞美人草。初めて読み切った感想は「私は大人になった」。少なくとも難しい言葉に惑わされることなく表現の意味するところと文脈を読み取れる程度には。漢文と日本文化の素養に溢れた流麗な言葉遣い素晴らしいですね。 舞姫やこころと同じく、頭が良いけれど優柔不断な男が八方美人をして思いを断ち切るのを躊躇っているうちに、周りの人間が可哀想な思いをする(もしかしたら当時の人は高慢な女に降った罰に拍手喝采なのかもしれないが今は自立して美しく賢い藤尾の何が悪い)ので、小野を許すことはできないですが、女性に象徴される「文明」と「伝統」の間で揺れ動く文明人として小野くんは苦悩していたのでしょう(小野に憤慨しないだけでも大人になった)。 男が3人、女が3人、それでも決してハッピーエンドにはならない、この結末は、皆が自分で考え始めたこの時代から始まる。それにしても18節の宗近と糸の立派さ!「真面目になれる」「お迎えに参りました」漱石の本でこんなに胸が熱くなるとは思わなかった。自由恋愛で先進的な男女のこの小説でも古い道義とか誠実さとかが勝つんだなぁ。良くも悪くも。 「此処では喜劇ばかりが流行る」
2投稿日: 2018.10.15
powered by ブクログ小野は学問に優れた男で、東京帝大の銀時計を授与されるほどだが 性格は優柔不断で、人の意見や雰囲気に流されるばかりだった 宗近は呑気でいいかげんな性格のために、軽く扱われがちだ しかしその実、有言実行の男でもある 甲野はいつも深刻な顔で超然ぶっており、周囲の反感を集めるが それは財産を独占しようとする母親への、愛と不信に引き裂かれてのこと 藤尾は甲野の妹、美人で、才気走ってて、高慢 クレオパトラに自らを重ね、男を意のまま支配することを愛情と信じる 糸子は宗近の妹で、家庭的な女 詩情を解さないとして、藤尾からひそかに軽蔑されているが、気にしない 小夜子は小野の恩師の娘にあたり、暗黙のうちに許嫁とされている 古いタイプの女だから、小野の心変わりに泣いてばかりいる これら男女6人の、友情と恋愛をめぐる青春残酷物語 かなわなかった夢のつづきが、いずれ小野の未来を苛むのだろうが その意味で「こころ」の原型と呼べるのかもしれない 「虞美人草」は、大学教授の地位を捨てて専業作家になった夏目漱石が 朝日新聞に連載したはじめての作品で 気負いはあったのだろう りきみ返った美文調をこれ見よがしに連ねており その読みづらさから 今では漱石作品のなかでも敬遠されがちな印象にある ただし個人的には 日本の小説で文章の美しさといえば、この時期の漱石と思うんよね
1投稿日: 2018.05.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
跡継ぎ問題、結婚問題、それぞれに色んな思惑があり、それぞれの主観を聞くと分からなくもないなと思える言い分ばかりだが、人間関係のすれ違いが続くのは読んでいて苦しくなった。 知っている者が知らない者を馬鹿にする世の中は淋しい。 藤尾の情念にあてられたようなところがあるが、屈辱と怒りで理性を失いつつある女の静かな凄みを、怖いもの知らずでもっと読んでみたい。藤尾が、屈辱の場面や台詞を繰り返し思い出して怒りを増幅させていくところなんかは、自分の中からも感情が沸々としてくるようだった。 そういう時代なのだから仕方ないとは思いつつも、結婚の自由さが無く、男達に決められていくのがどうも腑に落ちなかった。すべてを雑にまとめていく宗近は最も苦手なタイプだ。 最後は死で締めくくるのが意外で、素直にちょっと可哀想だなと。 でもこれをきっかけに継母と欽吾の仲は穏やかになりつつあるわけで。死という悲劇をもって、家庭というひとつの小さな社会を、結果的に変えたことになる。後味は良くない。
0投稿日: 2018.03.09
powered by ブクログ捻くれてはいたけど、藤尾は小野に一途な様に見えたし、このラストはちょっと気の毒に感じた。宗近の「天地の前に自分が嚴存しているという観念は、真面目になってはじめて得られる自覚だ。」は至言
0投稿日: 2017.10.14
powered by ブクログファムファタールと云えば聞こえは良いが、つまりはパーソナリティ障害的な存在である。藤尾の死が唐突という人もいるが、象徴的ではあれど当然の結末である。藤尾にとって他者とは自分の延長として操るだけの存在であり、ただ操りやすい小野が餌食となった。 藤尾には神的万能感か死かのon/off回路しか無く、ボリューム調整のような中間が無いので、考えと行動を否定されると全存在の否定になる。即ち死である。 また藤尾母子には都合の良い別の現実が存在し、甲野君の現実は無効となり狂った現実を被せられるしかない。彼が家や財産を失っても守りたかったのは本当の現実の方であるのだ。 都合の良い現実、とはつまり例の「オルタナティヴ・ファクト」や「新しい判断」というヤツである。 そもそも日本人にとって自他の区別は曖昧であり、甘えの社会である。藤尾母子の設定がパーソナリティ障害的なのは日本社会自体の病理がまさにそうであるからだ。 藤尾母子はそんな甘えの社会のまま、個人主義の我に狂わされた日本を象徴するものであって、その中に漱石は甲野君という個を挟み込んだ。藤尾は個ではなく我なのである事を読み違えてはいけない。現代的で自由な女性なのではない。 宗近が外国との窓である外交官になるのもまた象徴的なのであって、彼の取り成し、そして「道義」とは旧弊な倫理への回帰なのではない(ここを誤解している人の多いこと!)。 個をどのように扱えば良いか解らず立ちすくむ甲野とそこへ新しい道を示す宗近。その果実、肉体性としての糸子。見事な駒の配列と運び。漱石のテーマは既にかなり完成していた事が解る。 繰り返せば本作は、個を持たぬ甘えの社会のままに個人主義に毒される日本の未来を示す寓話であり、予言でもある。つまり、小野とは植民地であり、彼を寝取るのは帝国主義だということなのだ。 それが太平洋戦争の敗戦へと向かう事を漱石は藤尾の死で、既に示していた、と言える。 理解には物語開始以前について漱石の省略した部分を補う必要がある。 まず藤尾が性質的に毀誉褒貶が極端であり、それまでスキスキ言っていても急にキモくなったりする事を考慮すると、藤尾と宗近はそもそもは結婚相手として、誰もが認識する程度には仲が良かった可能性が大であり、ほぼ恋仲と言っても良かったのだろう。小野の登場と宗近の落第が、藤尾の寄生する宿主を変えさせた事も想像出来る。相手を人格を持った存在としては見ていない。そしてまた、それは藤尾の意思とも言えず、背後で操るのは母なのである。 さらに小野と小夜子についても、親に決められた縁談などといった単なる約束事ではなく、かなり長い年月において信頼関係の育まれた公然の深い間柄であったと思われる。この二つがあってこその、宗近の計らいであり、道義なのだ。 それは個として自由を選択しながら生きる事の責任であって、それを我々日本人はまだ得る事が出来ないでいる。民主主義はまだ始まってさえいない。しかしそれと同時に、日本人には個を超えたものをはじめから持っている、という強みもある。「道義」とは、それを形にしたものをあえて方便的にそう呼んだ、とも言えよう。
0投稿日: 2017.08.16
powered by ブクログ2017.8.11 とてもよかった。さすが夏目漱石、読むだけで日本画や歴史、言葉遣いも勉強になる。 登場人物のだれもがリアルで、いろんな視点で語られるので性格が細かく描写されていてとてもおもしろい。家族の関係、兄妹、師弟、恋の駆け引き…それぞれの想いが見えてどうなるんだろうと読み進めれば、宗近君がすべてまっすぐにまとめてゆく。 結婚となると恋愛ほど単純ではなく、両家の関係や今までの義理、相続など、いろいろな思惑が絡んでくるのがよくわかった。男性陣が27,28、女性陣が24くらいで、ちょうど同世代であるから余計に感情移入したのかもしれない。 結婚前のわたしにこれを渡したのは父親の計らいなんだろうか…笑
0投稿日: 2017.08.11
powered by ブクログ地の文が漢文調で始めはちょっと読みづらかったけど、 読んでるうちに慣れてきて癖になってくる。 新潮社のHPの紹介文。 大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。 http://www.shinchosha.co.jp/book/101010/ 登場人物がちょっとややこしい。 いろんな人の思惑が交錯して運命が動いていく。
5投稿日: 2017.05.14
powered by ブクログ2017/4/20読了。 甲野さんが、好みだった。いつものパターン。 でも、段々と宗近君の存在感がきらきらしてきて、 最後には宗近君が大好きになりました。 良心の人、という感じ。 救いという感じ。 甲野さんと宗近君の仲の好いのが、 分かる気がします。 最初は少しとっつき難かった。 例えも結構抽象的で、使われる単語も 今じゃちっとも馴染みがなくて。 けれども、最初の山登りのシーンにおける 宗近君と甲野さんとの、物の見方の違いを 比喩で表した文章や、 すすきを時雨させる、あの何とも言えない表現など。 とても推敲した文章表現なのかな? と、思ってみたり。 私はこの作品、好きです。
0投稿日: 2017.04.21
powered by ブクログ学生を終えた頃のモラトリアムの宙ぶらりん感と大人になる切なさ決意を思い出す。真面目に生きることは素晴らしい!いつまでも善きひとでいられたら。。 甲野さんの日記の書き言葉と話し言葉の使い分け、漢詩などの教養、インテリ同士の会話の応酬など、自分の教養のなさ、緊張感のない乱れた言葉遣いなど大いに反省。独特の描写部分は音読するように読んだ。 端的で且つ美しくその的確さときたら!会社や身近な人物の評価表現の参考になりそうだ。最後に女の人生の難しさを思わずにいられない。そうそう、エリザベステイラーのクレオパトラが頭に浮かんだな。
0投稿日: 2016.09.19
powered by ブクログ様々な登場人物がお互いの人間関係の中で揺れ動いていく話。軸としては秀才の小野がプライドの高い女、藤尾と小野の恩師の娘小夜子との間で揺れ動き小夜子の縁談を断る。その後、悲劇が…という内容。 世間や外面を気にして結局自分の存在が謎となる…そんな考え方は面白いと思う。ただ解説で勧善懲悪の物語と示されていてわりとあっさりとした解釈もできるようだ。 あと漱石、西洋というよりイギリスが嫌いだろって突っ込みたいところがある。
0投稿日: 2016.08.24
powered by ブクログ2016年3月15日読了。 中盤からの物語の加速すごい。だけども、評価に困る、という意見が多いのも納得ではある。
0投稿日: 2016.05.04
powered by ブクログ漱石の『虞美人草』を読んだ。とても人間的な、いい小説だった。そうして久し振りに、悲しい気持ちで小説を読んだと思った。そこには、悲劇の本質が現実的な力を持って描き出されていた。とても悲しい。 『虞美人草』には、藤尾と小夜子という二人の美人の間に挟まれて、糸子という女性が登場する。学のない、平凡な女として描かれているが、僕はこの糸子ほど素晴らしい女性はいないと思った。糸子の兄の宗近と、糸子が想いを寄せる甲野も素晴らしい。彼らは皆、慥かな眼を持って生きている。 僕はといえば、甲野と小野の中間地点に自分を置いて、どちらのなかにある闇にも同調できる気がして終始苦しさを感じながら読み進めた。しかしそこには、昔の人の言葉のなかに自分と同じ苦しみを見い出すことの安心があったようにも思う。人間の型に触れることを通して普遍的なものに出会うことの安心。 かつて書かれた言葉が力を失い始めているのが現代であるという問題意識を僕は持っているが、漱石の文学は未だにその力を保持しているように思える。その言葉は現実に起きたことのうちに働いていた力だ。それは現実に苦しまれた苦しみであり、悲劇であった。それは紛れもなく、言葉の持つ現実的な力だ。
2投稿日: 2016.01.29
powered by ブクログ僕が読んだ漱石はこれで9作目になる。とにかく読みづらい本だった、はじめは。会話文はいいのだけど、それ以外の部分が非常に読みにくい。何だかずっと昔の文章を読んでいるようだ。今まで読んだ漱石の小説ではあまり感じなかった印象だ。それに、名前がわかりにくい。姓と名がばらばらにとびとびで出てくる。登場人物の関係がつかみにくい。僕は最初の50ページを読んだくらいであきらめて読むのをよそうかと思った。でもまあとりあえず、会話文だけでも読んでみようと思った。そうするとわりとすらすら読めて、しかも話がだんだんおもしろくなってきた。その後は一気に読み通すことができた。時間の流れはゆっくりで、登場人物の心のありようがはっきりと伝わってくる。これはいつもの漱石の小説通りだ。そしてこれも漱石の小説ではよくあることだけど、なぜこれほどまでにいやな性格の友人が出てくるのだろうと思ってしまう。そんな言い方されるのなら、つきあいをやめてしまえばいいのに、と何度も思った。恋愛をする心というのは、おそらく今も100年前もそれほど大差はないのだろう。でも、結婚ということになると話は違うようだ。今のように何でも個人の気持ちで決めてしまうわけにはいかない。(現在でも、両親や親類などのしがらみでうまくいかないケースもあるようだけど。)家と家の結婚。本人の意にそわない結婚。どうしてそんなこというの、と言いたくなるようなこともたびたび。そして、最後には何故?!という結末。それは読んでのお楽しみとしておこう。何故そういう結末にしたかは、解説を読むと少しは腑に落ちる。最後に、少し気になった一節を。それに対する解説はできないけど。「問題は無数にある。粟か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。つづれおりかしゅちんか、これも喜劇である。英語かドイツ語か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。--生か死か。これが悲劇である。(漢字をカナにあらためたところがあります。)」
0投稿日: 2015.11.02
powered by ブクログリーダーの本棚技術経営のあり方学ぶ 科学技術振興機構理事長 中村道治氏 2015/7/19付日本経済新聞 朝刊 尊敬する物理学者の自伝を常に手元に置き、技術経営のヒントを得ている。 大学で原子核物理を学んだので物理学者の自伝的な本に興味があります。超一流の人が書いたものは物理学の話のレベルが高いだけでなく、社会とのかかわりや研究所の運営などの深い考察が記されたものが多いように思います。1972~73年、勤めていた日立製作所の制度で米カリフォルニア工科大学に留学し、研究の進め方や厳しさを学びました。帰国後、中央研究所で部長職に就き、組織運営などについて考えていた頃に、旧ソ連の物理学者、ピョートル・カピッツァの講演などを集めた『科学・人間・組織』の広告が目に留まって購入しました。 カピッツァが英国のキャベンディッシュ研究所にいた頃に指導を受けた(原子核物理学が専門のノーベル賞受賞者)ラザフォードから「君は足踏みしているね。結論はいつ出るのか」といつも言われていたエピソードが出てきます。カピッツァは厳しさを感じたものの、ラザフォードは励ましのつもりで、若手の独自性、積極性、個性を伸ばそうという意識が強かったと書かれているのを読み、雰囲気がカリフォルニア工科大と似ていると感じました。 カピッツァは休暇中に旧ソ連で拘束され英国に戻れなくなりましたが、低温物理学で業績をあげノーベル物理学賞を受賞しました。この本で一番教えられたのはメンター、つまり師の大切さです。日立の中央研究所でも現場を大切にし、一人ひとりの研究者の声を聞くよう心がけました。さらに、日本流のチームワークを大切にし、高水準の研究を製品に結びつけていけば海外にも勝る強みを発揮できると確信しました。 世の中を変える大きな成果を出す研究には20~30年かかります。科学技術振興機構などが手掛ける研究も同じです。優秀な人材が集まり、挑戦できる環境を維持することこそが技術経営だと思うに至りました。1つの研究分野を立ち上げるには10年単位の時間がかかりますが、組織が弱るには1日あれば十分です。実はキャベンディッシュ研究所は90年代以降、ノーベル賞受賞者が出なくなっているようです。海外から多くの研究者が来て、独創的な研究のるつぼのようだった環境が失われたのが理由だと聞いたことがあります。 科学技術が細分化しすぎ、専門分野に特化した研究者が増えている最近の傾向が気になる。 (ミクロの世界の物理法則である)量子力学の立ち上げにもっとも貢献したウェルナー・ハイゼンベルクの『部分と全体』は、タイトルにひかれて買いました。原子論や量子力学の誕生の過程が生々しく描かれていますが、それだけでなく自分自身と周囲、科学と社会、科学と行政などの関係も実に深く洞察しています。科学哲学の書ともいえます。 人間は細胞が集まって器官ができ、それが協力しあって全体としての恒常性を保っています。一方、科学技術は進歩を続けるなかで、どんどん細分化されてきました。個々の計算や実験、理論と、背景にある物理学、生化学、天文学、さらには人文科学、社会科学を関係づけて考えることの大切さがタイトルには込められています。当時の指導者たちの、物事を考えるスケールの大きさに触れ、視野が広がりました。 科学技術を離れ、落ち着きたい時には小説を手に取る。 夏目漱石の小説は高校時代から繰り返し読んでおり、おそらく全作を10回は読み返しています。今でも半年くらい仕事で突っ走って、疲労感が出たときなどに息抜きに手にします。休みの日に、家でゆったりとした気持ちで読むことが多いですね。なかでも気に入っているのは『明暗』で、人間のエゴ、生き方などについて考えさせられます。深刻さはなく、言葉がわかりやすく、すっと頭に入ります。『虞美人草』も好きで、夢かうつつかわからないような世界で遊ばせてくれます。 でも、仕事以外の時もやはり科学技術関係の本が気になります。先日は吉本隆明の『「反原発」異論』に目を通しました。人間は科学技術を前進させる動物で、結果として核エネルギーを使うまでになった。発達した科学を後戻りさせるのは人間をやめること。どう使うかに知恵を絞るべきだ――。主張のすべてに共感するわけではないが、科学をよく知ったうえで書いていると感じました。 (聞き手は編集委員 安藤淳) 【私の読書遍歴】 《座右の書》 『科学・人間・組織』(カピッツァ著、金光不二夫訳、みすず書房) 《その他愛読書など》 (1)『部分と全体』(W・ハイゼンベルク著、山崎和夫訳、みすず書房)。序文はノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹氏が寄せた。繰り返し読んでいるが、まだすべてを理解できてはいない。 (2)『宇宙をかき乱すべきか』(上・下、F・ダイソン著、鎮目恭夫訳、ちくま学芸文庫)。物理学の伝道師とも呼ばれ、原爆を開発したマンハッタン計画で知られるオッペンハイマーらの近くで研究していた著者が、科学と社会の関係、原子力産業が抱える問題などを論じる。 (3)『明暗』(夏目漱石著、新潮文庫)。連載中に著者が病没したため未刊となった長編。 (4)『虞美人草』(同上)。漱石にとって初めての新聞連載小説。 (5)『「反原発」異論』(吉本隆明著、論創社)東日本大震災以後と、以前の2部構成。対談なども収めている。
0投稿日: 2015.07.20
powered by ブクログ漱石の時代と現代とで、人間はこんなにも変わらないものなのかと読みながらとにかく驚かされたし、自分自身の醜い部分を時代を超えて見透かされているような気分になってドキっとしました。 今の自分に喝を入れてくれる様な話で、読むことが出来て良かった。 真面目にならなければ。
0投稿日: 2015.02.25
powered by ブクログ後半の怒涛の展開、漱石お得意の、対で語る主義主張は読み応えあり。学識ない女子に「世間がどう云ったって…いいじゃないですか。」と言わせるのも、快感だった。でも、なんで藤尾がここまで悪く描かれ、挙げ句あっさり自殺なのか?親の言いなりで、一度自分を拒んだ男と結婚する小夜子、意気地がなく二股した上に、友達に諭されあっさり世間体を取る小野、妹が死ぬまで母親に面と向かって心の内を言わない甲野なんかより、よっぽど自分を持ってるじゃないか。わがままではあるが、自分の価値観で男を選ぶってだけ。漱石のいう徳って、なんだろう…。これ以降の小説は、テンポ良いが多いから、やっぱり第一弾という価値なのかな。
0投稿日: 2014.01.08
powered by ブクログ2012.5.28 推薦者:マヨ(http://ayatsumugi.blog52.fc2.com/blog-entry-127.html)
0投稿日: 2014.01.05
powered by ブクログ登場人物のキャラがしっかり立っておりあとは自然に物語が進んでいく。 前半とくに詩的だか仏教的だか何れにせよ難解な文章が挿入されており、それは飛ばした。 「僕が君より平気なのは、学問の為でも、勉強の為でも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。 真面目になれる程、腰が据わる事はない。真面目になれる程、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。 真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。 実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。 君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。 ーどうだね、小野さん、僕の云う事は分からないかね。」357㌻ 僕も真面目になるよ!
0投稿日: 2013.09.23
powered by ブクログ中学生か高校生の頃に一度読んでみたものの、現在では聞き慣れない漢語の多さと堅い文体に圧倒され挫折。大学生の今辞書を片手に再挑戦しなんとか読了。あれほど難解に感じた文章も前半のみで、そこを超えればどんどん読めてしまった。藤尾が悪女のように描かれるのは明治の世からすれば当然のことで、現代の私達にとってはもっと魅力的な女性に見えると思う(我が強いのが玉に瑕ですが)。宗近君も最初はガサツな印象が強かったが、小野さんと小夜子さんの為に奔走する様はかっこよかった。
0投稿日: 2013.09.16
powered by ブクログ漢文調の文章が随所の盛り込まれていたり、会話が多く、やや読み進めるのに苦労しました。まだ読むには早かったのかなと・・・。
0投稿日: 2013.09.13
powered by ブクログ難解な中にもこの時代の美しい文体を楽しむことができる。 宗近の云う「真面目になること」は自分の心に備え置いてきたことと重なり合う。 「真面目になれる程、自信力の出る事はない。真面目になれる程、腰が据わる事はない。真面目になれる程、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が厳存していると云う観念は、真面目になって初めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持ちになる。安心する・・・」
2投稿日: 2013.08.07
powered by ブクログ2013年3月3日に開催された、第3回ビブリオバトルinいこまで発表された本です。 テーマは「美女」。
0投稿日: 2013.08.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【Impression】 「虞美人草」が一体誰のことなのか、結局は藤尾さんであると分かるんだが、虞美人草の花言葉は「平穏、無償の愛、慰め」などであるらしい。 作中の藤尾さんは全くの正反対である。 最後は意中の人を得る事が出来なかったため死んでしまうような、気性の荒い人である。 この正反対にある状況は一体どういうことを意味しているのか、いや、面白かった。 文章が綺麗で、詩的で、漢語のにおいがする、また読み返したい本 【Synopsis】 ●宗近と糸子、甲野と藤尾、そこに小野が加わり、表面的には平穏に、内面では策略を巡らせた人たちとの恋愛もの。宗近と甲野はこの策略に飽き飽きしている、小野は利己的にこれを利用している、藤尾は母と共に何とか小野と婚約しようとしている ●表面的には比喩や揶揄、暗喩、皮肉、が飛び交い、ここぞとばかりに機を窺っているやり取り、それを分かっていながら策略に乗っかる甲野、策略に真っ向から戦う宗近、「真面目」をキーワードに小野は立ち直る。糸子は藤尾と宗近が婚約することに反対している、学問はないが非常にロジカルな面を持っている。 ●虞美人草に例えられているのは誰なのか、恐らく糸子ではない。糸子は平穏ではない、慰めでもない。甲野の母親と真っ向から対立し、一歩も譲らない。藤尾は死んで漸く「虞美人草」になったのか、平穏を漸く手に入れたのか。
1投稿日: 2013.07.29
powered by ブクログ最初は非常に難しくて、あまり面白くなかったんですが、最後の1/4くらいは、一気に読んでしまいました。誠実と現実の打算。たぶん簡単には言えないのだろうけど、最後に奔走する人物の言葉一つ一つに引き込まれました。おすすめです。
0投稿日: 2013.06.23
powered by ブクログ『夢十夜』で初めて漱石を知り、『草枕』で文体に衝撃を受け、この『虞美人草』で面白さにどっぷりと嵌った。漱石の小説の中で一番好きかも。 よく「漱石は女性が描けない」とか言われるけど、だからって別に男性が描けているとも思わない。小説を書いている。 それはともかく、この人間関係、マンガ的で面白い。ちゃんとキャラが立っている。男も女も。 それを「通俗的」だと言われれば確かにその通りなんだろうけれども。 職業作家としての初めての長編小説。「面白い小説」を書こうと苦心したんだろうな。 装飾華美な文体や、ほんの少しハミ出ている「セオリー」たる主張のようなものがちょっとくどいような気もするけど、それはご愛敬。 この頃の書簡で「維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつてみたい」とか言っちゃってるし。そこがまたイイ味出してるんだと思える。 これ、最後をどう受け止めるかは、評価の分れるところなのか知らん。 自分は、うまくまとまって大団円、と読んだけれども。 宗近君の説く「真面目」の話や糸子の「人が何と云ったって――それがなぜ悪いんでしょう」というくだりとかは、読んでいて正直気持ち良かった。これ、傍線引きまくりの文庫本を他人に貸してしまって恥ずかしいやら恐ろしいやら。 ところで漱石先生の別の書簡に、こんな言葉があるのが可笑しい。 「分りもしないのに虞美人草の批評なんかしやがる。虞美人草はそんな凡人の為めに書いてるんぢやない。博士以上の人物即ち吾党の士の為めに書いてゐるんだ。なあ君。さうぢやないか。」 「なあ君。さうぢやないか」って……なんだろうこの気概。初めて読んだとき笑ってしまった。冗談としてではなく。「真面目」だ。 良んだよなあ漱石。とっても。
0投稿日: 2012.12.11
powered by ブクログ(1991.04.20読了)(1979.11.18購入) (「BOOK」データベースより) 愛されることをのみ要求して愛することを知らず、我執と虚栄にむしばまれ心おごれる麗人藤尾の、ついに一切を失って自ら滅びゆくという悲劇的な姿を描く。厳粛な理想主義的精神を強調した長篇小説で、その絢爛たる文体と整然たる劇的構成とが相まって、漱石の文学的地位を決定的にした。明治40年作。 ☆夏目漱石さんの本(既読) 「三四郎」夏目漱石著、新潮文庫、1948.10.25 「それから」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.30 「門」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.25 「坊ちゃん」夏目漱石著、新潮文庫、1950.01.31 「こころ」夏目漱石著、新潮文庫、1952.02.29 「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石著、新潮文庫、1952.07.10 「草枕・二百十日」夏目漱石著、角川文庫、1955.08.10 「吾輩は猫である」夏目漱石著、旺文社文庫、1965.07.10
0投稿日: 2012.11.23
powered by ブクログ重厚かつ流れるようなリズムを持った日本語が本当に美しい。三島や谷崎を読んだ時の充実感が蘇る。 文学的には酷評されたみたいだけど、登場人物達が繰り広げる箴言に満ちた会話が好きだったな。 注釈を追うだけでかなり勉強になりそうな一冊。
0投稿日: 2012.09.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
どうして藤尾が非難されるのか分からない。結婚するつもりだった小野にデートをすっぽかされ、別れの言葉もなしに小野に婚約者を紹介される。そりゃあ憤死もするわ。
0投稿日: 2012.06.14
powered by ブクログ正直読みにくい作品でした。美文調で書かれている所は意味が理解しづらいですね。それに反してストリーは一見勧善懲悪のようです。また、読んでみようと思います。藤尾という男のような名前は、江戸期の高尾太夫からのヒントなのかな。富士(不二)(不治)尾なのかな。高尾山より美しくかな。治らない性格なのかな。
0投稿日: 2012.03.31
powered by ブクログこの小説に描かれている女たちは皆悉く男の目から見た女、想像上の女だと思った。ある意味ファンタジーだ。それとも明治ってこんな奴ばかりだったの?
0投稿日: 2012.02.24
powered by ブクログ「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や親父のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ」 「糸公のために?」 「糸公は君の知己だよ。叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本じゅうがことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知りぬいている。・・・僕は責任をもって糸公に受け合ってきたんだ。君がいうことを聞いてくれないと妹に合わす顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためならなんでもするよ。殺すのはもったいない」 甲野は哲学の研究者。継母と妹からは、社会的地位もなく、ふらふらした情けない人と蔑まれている。 だけど、親友の宗近は、甲野の本質を見抜いていて、人付き合いを避ける甲野を何かと気にかける。 宗近の妹糸子は甲野を慕っているけれど、甲野が何気なくいった「あなたはお嫁に行かないで、そのままのほうがいい」というひとことに縛られて、気持ちを伝えられない。 上の会話は、妹の気持ちを知った宗近が、家出しようとする甲野のところに来て、自分の家に来るよう説得する場面。 (私の筆力ではエッセンスを抜き出せず、引用・・・) 恋愛は、動物みたいに求めあう面だけがクローズアップされがちだけど、それだけじゃない。 自分を理解してくれる誰かがいること。理解したいと思う誰かがいること。その幸せに気づかせてくれた作品。
2投稿日: 2011.09.30
powered by ブクログ夏目漱石が朝日新聞社に入社し、職業作家として書いた1冊目の本。虞美人草ってなんだよ!って思いながら読んでました。ま、けど漱石の小説は100年も前に書かれたのに、わりかし今でも読みやすいと思いました。
0投稿日: 2011.08.17
powered by ブクログ通勤電車の中で毎日読んでたのに2週間ぐらいかかった・・・・。 かなり我慢して我慢して我慢して最後の10ページぐらいはちょっとテンションが上がった。というか、これ現代文という名の古文よね?昔の人はこんなん読んで(たしか朝日新聞掲載・・・)たなんて・・・かなり頭いいんじゃないかな・・・いや私の頭が阿呆なだけか・・・orz まぁ当時新聞読める人は教養人だろうけど、それにしても!!恋愛が一方的に楽しいのは片思いだけですよ、うん。てなわけで私の頭がついていけなくて☆みっつ!
0投稿日: 2011.07.24
powered by ブクログ7月7日読了。博士号取得に向け勉学に励む優柔不断なモテ男・小野さんと許婚の小夜子、哲学者の甲野さんと腹違いの勝気な妹・藤尾、外交官を目指す宗近くんとその妹の糸子、とその周囲の人々が他人と世間に気を使いながら自分の主張を通そうとして生きるさま。冒頭の山歩きの男連から始まる登場人物たちの会話のやり取りの面白さと、それをときに神の視点で見下ろしときに登場人物の視点から語る漱石の筆が実に軽快でスカしたユウモアに溢れ、面白い・・・。ぐじぐじ悩む自分も、神の視点から見下ろせば滑稽に見えるものだろうか(そうに決まっているが)。ラストの宗近君の一言の切れ味・余韻も絶妙。
1投稿日: 2011.07.07
powered by ブクログ藤尾に共感して読み進めていたのでラストで鬱になった。 藤尾はプライドの高い嫌な女として描かれているが、彼女は悪いことをしただろうか。打算的で妙なこだわりがあるが、自分の価値観で男を選ぶのは悪いことではないはずだ。 逆にやたら古風で一度捨てられたにもかかわらず父の恩というお情けで戻って来たような男と大人しく結婚する自分のない小夜子にはイライラさせられた。 また登場人物に魅力的な男がひとりもいない。中二病の兄貴、デリカシーのない筋肉バカ、優柔不断で頼りないエリート。 時代が違うので、現代の価値感で考えてはいけないのかもしれないが、美人でプライドの高い女性は好きなので、藤尾が気の毒でならなかった。 文体は読みにくいし、話の筋は気に入らないが、なぜか心に残っている作品。
0投稿日: 2011.03.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
購入:2009/2/1 読了:2009/3/19 知識をひけらかすような文体が読みづらい。今まで読んだ漱石のようなテンポの良さがない。 後半p.189辺りからは読み進めやすくなる。誠実な人間が報われる話か、と思ったら、藤尾があっさり死んでしまって読後感が良くない。 p.380「眼は先(さっき)母が眠らした。眠るまで母は丹念に撫(さす)ったのである」
0投稿日: 2011.03.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
紫色の女としてヒロインとしつつも嫌われてしまっている藤尾。彼女の描写に引き込まれました。丁寧にその美貌を讃えていて、美しい表現を散りばめることができる夏目漱石だからこそでしょう。 甲野さんや小野さんが語る世界観もまたおもしろい。甲野と宗近の掛け合いなぞは身近な友人同士をうまく表していて憧れます。ひたむきに思う糸子、謎の女こと藤尾の母、そしてしとやかな小夜子など、それぞれの人格が際立っていた。定めているのは夏目漱石の地の文。そして状況に対する反応。どうとっても小夜子は「待つ女」で糸子は「耐える女」だということを表現できていました。 長編ということもあり、無学な私には少し堪えました。しかし読み切ったときの達成感は計り知れません。今までに読んだ夏目漱石の作品は「こころ」と「坊ちゃん」でしたがが、藤尾のような強力な登場人物がいなかっただけに印象が強かったです。彼女の生き方や考え方は少なくとも誰かを惹きつけている。小野さんも財産目当てのような部分があったが、少なくとも藤尾の人格に惹かれていたのは否めないと思います。最終的にはそのプライドも気品も地に落ちるわけだが、嫌な女というのも嫌な立ち位置であると感じました。
0投稿日: 2011.01.12
powered by ブクログなぜだか漱石の作品には自分の好みにクリティカルヒットするような登場人物が一人は出てくる。キャラで読むのは浅い読書だとかいうけれど、こんなにキャラがたってちゃしょうがないじゃないか。漱石が悪いんです。 これだと甲野兄。漱石の作品中でも多分一番ツボに嵌りました。この薄幸そうなダルそうな感じが! そして甲野妹。いきなり文章が神話かおとぎ話に変わったんじゃないかというほどの描写をされていて戸惑った。現実離れした和風クレオパトラ。多分あらゆるファム・ファタールの中でも最も綺羅綺羅しい描写をされているんじゃないかと。最後もファム・ファタールの名に恥じなかったし。徹底しすぎていてやっぱり現実離れ。現実を舞台にしているからやっぱりそぐわない気はしちゃいますがね。 珍しくシェークスピアの要素が入っていたりしてそこも楽しめました。しかし気合の入った文章だったなー、硬い硬い。 そんな硬い文章の内容がこんなに面白いとは思わなかった。漱石作品で夜を徹してしまうとは。今のところ読んだ漱石作品中トップです。
0投稿日: 2010.12.15
powered by ブクログ優柔不断な男と、それに振り回される旧時代の親子と、それを振り回す新時代の女。 と一行で片付くお話をすさまじく回りくどく美麗字句で飾り立てている。 しかしその飾り立て方が、すばらしく美しい。 怠惰で鬱々として暗い、墜ちていく時だけに見られる後ろ向きの不健全な美しさ。チェーホフをちょっと思い出した。かもめとか桜の園とか。
1投稿日: 2010.12.05
powered by ブクログ素晴らしく面白い。今まで読んだ(5つのみですが)漱石の作品の中では一番面白かった。 さきのレビューでも書いたが、やはりその場にいるかのような風景の描写がすごい。文章も美しく、これは芸術であると言える。 ただ全体的に長く、難しい表現も多いので読み難さはある。しかし読み進めるうちに、面白さは二次曲線のように大きくなっていくだろう。 小夜子は良かったと思う。小野を見て私も反省します・・・。 作中の名言(独断による)を載せておきます。 ・一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。 ・真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。 ・道義の実践は他人にもっとも便宜にして、自己にもっとも不利益である。人々力をここに致すとき、一般の幸福を促がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。 是非一読をお勧めします。
0投稿日: 2010.10.15
powered by ブクログすごく独特。これでもかというくらい飾りに飾った荘厳な描写と、中身があるようでない問答の数々。 哲学的と詩、悲劇と喜劇を巡って繰り広げられる静かな闘いが私には心地よかった。 だが結局は喜劇ばかりが流行るのが悲しい現実なのか・・・。
0投稿日: 2010.05.23
powered by ブクログ難しかった!しかも昔漢字でふりがな無しー。 でも、中盤から話がうまいことからみあって、引き込まれた。 漱石初の長編小説だそう。(R)
0投稿日: 2009.12.29
powered by ブクログ『虞美人草』(夏目漱石、1951年、新潮文庫) 夏目漱石初期の作品。恋愛と駆け引きの末、「真面目」が勝つことになるという作品。 以下の言葉は思索に富んでいる。 * 愛は愛せらるる資格ありとの自信に基いて起こる。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気の付かぬものがある。 * 或人は十銭を以て一円の十分一と解釈し、或人は十銭を以て一銭の十倍と解釈す。 * 嘘は河豚汁(ふぐじる)である。その場限りで祟(たたり)がなければこれ程旨いものはない。然し中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。 (2009年6月4日)
0投稿日: 2009.06.04
powered by ブクログ一言一句まで言葉の調子やリズムを整えることに苦心して書いている感じが伝わってきて、これは、かなり気合を込めて書いた小説なんだろうと思う。 漢文調のめんどくさい言い回しが多いので、そういうのがなければだいぶとっつきやすいんだろうと思うけれど、それも味と思って読み進めるうち、だんだん馴染んでそれほど気にならなくなってきた。 作者が登場人物の説明をする時の呼び方が面白い。「糸子」や「小夜子」は普通なのだけれど、他の人は「宗近君」だったり「小野さん」だったりで、どういう基準で呼び方を決めてるのかよくわからない。「謎の女」にいたっては、本名すら出さないで最初から最後まで通してしまう。このあたりは、書き手自身が自由に語りを入れることを楽しんでいる感じがする。 登場人物同士の関係が、やたらと入り組んでいるのだけれど、その説明の仕方が全然親切じゃないので、かなり注意して読まないと、お互いの関係がどうなっているのかなかなか理解出来ない。そこらへんは最初っから放ったらかしで、お構いなしでどんどん話しが進んでいくけれど、読んでいくうちには何となく関係がわかるようになっていく。 そのため、序盤は意味がよくわからない部分が続き、中盤以降、登場人物が一通り出つくして、それぞれのキャラクターがわかり、互いに関わり合い出してからが、一気に面白くなる。 主要人物は男3人、女3人の計6人いるのだけれど、それぞれに個性がはっきり出ていて、しかもこの人とこの人の組み合わせだとこうなる、というパターンが総当り的に出ていて、そこがかなり楽しい。 「藤尾」が悪者のように書かれているけれど、20世紀初めのモラルの価値観で考える必要はあるにしても、それほど根性が悪い人とは思えない。騒動の発端は「小野さん」の優柔不断だとしても、この人も、それほど悪いことをしている印象ではなく、どちらかというと被害者な気もする。そうすると実際に、一番たちが悪いのは、わざわざ東京まで出てきて事をややこしくした「小夜子」父娘なんじゃないだろうか。 問題は無数にある。粟か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織か繻珍か、これも喜劇である。英語か独乙語か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。(p.392) 死は万事の終わりである。また万事の始めである。時を積んで日をなすとも、日を積んで月をなすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすにすぎぬ。(p.17) 小夜子は何と答えていいか分らない。膝に手を置いたまま、下を向いている。小さい耳朶が、行儀よく、鬢の末を潜り抜けて、頬と頸の続目が、暈したように曲線を陰に曳いて去る。見事な画である。惜しい事に真向に座った小野さんには分からない。詩人は感覚美を好む。これほどの肉の上げ具合、これほどの肉の退き具合、これほどの光線に、これほどの色の付き具合は滅多に見られない。小野さんがこの瞬間にこの美しい画を捕えたなら、編み上げの踵を、地に滅り込むほどに回らして、五年の流を逆に過去に向って飛びついたかも知れぬ。惜しい事に小野さんは真向に坐っている。小野さんはただ面白味のない詩趣に乏しい女だと思った。同時に波を打って鼻の先に翻える袖の香が、濃き紫の眉間を掠めてぷんとする。小野さんは急に帰りたくなった。(p.138) 小野さんは胸の上、咽喉の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢ほど先を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻えす事の出来ぬ宿命論者である。(p.203) 残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月を、向では離れじと、日の間とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁の色に、細くともこれまで繋ぎ留められた仲である。 ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ嘘となる。嘘は河豚汁である。その場限りで祟がなければこれほど旨いものはない。しかし中毒たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。(p.215) 生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて淋しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。(p.250) 浅井のように気の毒気の少ないものなら、すぐ片づける事も出来る。宗近のような平気な男なら、苦もなくどうかするだろう。甲野なら超然として板挟みになっているかも知れぬ。しかし自分には出来ない。向へ行って一歩深く陥り、こっちへ来て一歩深く陥る。双方へ気兼をして、片足ずつ双方へ取られてしまう。つまりは人情に絡んで意思に乏しいからである。利害? 利害の念は人情の土台の上に、後から被せた景気の皮である。自分を動かす第一の力はと聞かれれば、すぐ人情だと答える。利害の念は第三にも第四にも、ことによったら全くなくっても、自分はやはり同様の結果に陥るだろうと思う。(p.264) 「こう云う危うい時に、生れつきを敲き直して置かないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。」(p.363) 「君が面目ないと云うのかね。こう云う羽目になって、面目ないの、きまりが悪いのと云ってぐずぐずしているようじゃやっぱり上皮の活動だ。君は今真面目になると云ったばかりじゃないか。真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。」(p.367)
0投稿日: 2009.01.12
powered by ブクログ漱石のぐだぐだ感は好きなんだけど、これは登場人物があまりに類型的な気がした。そして勧善懲悪な終わりもどうなのか。あとがき読むと、そんなもんかなーとも思うが。
0投稿日: 2008.12.17
powered by ブクログコテコテした文体、型にはまりきったキャラクター、それから論理の矛盾などなど、漱石の中でも一、二を争う失敗作ではないでしょうか。 藤尾という女性が漱石文学に大きな意義を持っていることは確かだと思いますので、漱石研究に供せられることにおいては永久にこの作品の存在価値が失われることはないでしょう。とはいえ、やはり純粋に小説として楽しみたいというのならば、評価は最低にせざるを得ません。
0投稿日: 2008.03.01
powered by ブクログ素晴らしく面白い。今まで読んだ(5つのみですが)漱石の作品の中では一番面白かった。 さきのレビューでも書いたが、やはりその場にいるかのような風景の描写がすごい。文章も美しく、これは芸術であると言える。 ただ全体的に長く、難しい表現も多いので読み難さはある。しかし読み進めるうちに、面白さは二次曲線のように大きくなっていくだろう。 小夜子は良かったと思う。小野を見て私も反省します・・・。 作中の名言(独断による)を載せておきます。 ・一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。 ・真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。 ・道義の実践は他人にもっとも便宜にして、自己にもっとも不利益である。人々力をここに致すとき、一般の幸福を促がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。 是非一読をお勧めします。
0投稿日: 2007.10.19
powered by ブクログ昼ドラ!! 明治の文豪もいろいろ悩みがあったんだなぁ。特に女性関係…そんな想像しながら読むと笑える。文体は さすが文豪。難しいのに内容昼ドラ…面白い。
0投稿日: 2007.08.05
powered by ブクログ愛されることをのみ要求して愛することを知らず、我執と虚栄にむしばまれ心おごれる麗人藤尾の、ついに一切を失って自ら滅びゆくという悲劇的な姿を描く
0投稿日: 2007.05.24
powered by ブクログ丹念に手を尽くされた小説。最上のエンターテインメント。特に藤尾と小野さんの恋の駆け引きの描写は見事。自らの正義を実践する者は真に強いのだ。利己主義に陥っては死人が出る。主題、人物描写、背景描写、どれをとっても一級品。
0投稿日: 2007.04.29
powered by ブクログ漱石若かった頃、試行錯誤して書いた傑作。仰々しい形容詞、若々しさと野心を感じる。慣れてくるとそれらも薄っぺらく感じる。 登場人物の吐く言葉がたじろくほど的確なところと、整った日本語の文章が好き。
0投稿日: 2007.04.17
powered by ブクログ最初は草枕を上回るほどの雅文調と言うか読みにくさでうわーと敬遠していたけど、小夜子たちと甲野さんたちが偶然のうちに関係をなしていくところとかふわー見事と思ってました。段々この仰々しい文章にも慣れていくと、長いとはいえどうなるのかなとワクワク。とにかく藤尾がすごい!美禰子よりもすごいヒロインだ。最後のシーンで藤尾のもとに集まる時はちょっと京極夏彦の妖怪シリーズにおける憑き物落としを彷彿とさせました(実際それに近いんだけど)そのため更に面白いものに。やっぱ漱石面白い!
0投稿日: 2007.04.03
powered by ブクログ宗近や甲野、糸子といった登場人物のキャラクターが立っていて、楽しく読める。しかしアンチヒロインの藤尾の知性・個性に比べて、対する小夜子の描かれ方はあまりに貧弱であり、全く共感できない。現代の感覚からすると、何もしないで手をこまねいているだけの小夜子より、アクティブに行動する藤尾の方がずっと理に適っているのではないのだろうか? 銀時計のエリートが、父親に世話になったからという理由で結婚してくれるなんていい時代である。
0投稿日: 2007.02.03
powered by ブクログ内面を持たないという成熟のかたち。 江戸時代の同義に返る。 真面目にに考え、行動し、生きること。 mement mori.
0投稿日: 2007.01.28
powered by ブクログ文章にごてごてかさばる装飾品がくっついている感じで正直読みづらかったです。冒頭の山登りのシーンで一度放り出してしまいました。でも途中からごてごてが癖になってくるー。後半からの展開がドラマチックで読んでいてとても面白かったです。たまに真面目になる宗近君は反則だと思う。可愛いもの。
0投稿日: 2007.01.22
powered by ブクログ愛されることをのみ要求して愛することを知らず、我執と虚栄にむしばまれ心おごれる麗人藤尾の、ついに一切を失って自ら滅びゆくという悲劇的な姿を描く。厳粛な理想主義的精神を強調した長篇小説で、その絢爛たる文体と整然たる劇的構成とが相まって、漱石の文学的地位を決定的にした。明治40年作。
0投稿日: 2007.01.07
powered by ブクログ数ヶ月前の世界日報という中国の新聞の健康欄に、ある中国科学者の発見が載っていた。それは、現在100歳を超えて長生きしている中国人は、いずれも誕生したときの母親の年齢が二十五歳以前であったという驚くべき事実。さすがに夏目漱石は、そのあたりのポイントをこの小説の中でも押さえている。夏目漱石、恐るべし。
0投稿日: 2006.09.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
途中まではなかなか面白いが、終盤で結局 江戸時代の勧善懲悪主義を抜き出せていない感がどうしようもないなぁ。小説家デビューしてまだ間もない漱石先生のちょっとした未熟さが垣間見える。 でも先生自身しっかりした倫理観を持ってたから、藤尾のようなワガママ女許せなかったんだろうなあ。 というもの漱石先生ご自身が、「藤尾といふ女にそんな同情をもつてはいけない。あれは厭な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠如した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の主義である。…」などと険呑きわまることをおっしゃっていたのでwwww どこの世界にヒロインをころしたがる小説家がいるんだよwwと内心つっこみつつも 私は 自分の幸せのためなら他人を不幸にしてもかまわないと傍若無人の限りを尽くす藤尾はとても魅力的なキャラしてたと思いますよ!なので、終盤で藤尾が発狂(?)→あっさり死ぬ ってのはとても残念でした。小野さんも、あんなに藤尾と結婚したがってたのに、友達(宗近君)に諭されてあっさり信条曲げちゃうし。 しかし終盤にいたるまでのストーリーは面白い!その上注目すべきは文章の技巧が卓越している点!!漢文や俳句の韻律を利用したレトリックの巧みさには現代小説家には真似できない深い教養と詩的感性を感じさせます。 でもねーあまりレトリックに凝り過ぎてもね。これ一応 新聞小説なんで、一般大衆が読むにはちょと敷居が高すぎたんじゃないかしらん。。案の定、正宗白鳥からは「才に任せて、詰まらないことを喋り散らしてゐるやうに思はれる」とか痛罵されてるし。
0投稿日: 2006.08.01
powered by ブクログ漱石の中ではあんまり評判が良くないみたいで、筋立てが平凡だとか、勧善懲悪だとかなんとか、色々言われたみたいですが、でも、この文章力。それだけで充分でしょう。
0投稿日: 2006.05.26
powered by ブクログ漱石先生が正式に作家として発表した第一作目である「虞美人草」は当時凄まじい話題を呼び、虞美人草着物だの虞美人草石鹸だのの便乗商品は数知れず、新聞の売り子も「夏目漱石の虞美人草」と唱えながら新聞を売ったというエピソードまで残っている。 が、現代においては割と地味なイメージ。「こころ」や「それから」ほどには読まれていない(気がする)。私の友人で「明暗」について卒論を書いた友人も「虞美人草は読んでない」と言ってたし。 何故だろう、と思っていたが読んでみて何となくわかる。理屈っぽくて読みづらいのだ。 夏目漱石の小説が何故現代においてもこれほど読まれているかと言えば、単純に「読みやすい」のが理由だと思う。平易な文章で、人の心の深いところを突く。誰にも思い当たるような感情を詳らかにしてしまう。だから人は読むのだろうし、登場人物にたやすく同調して物語にのめりこむ。「虞美人草」はそれがしづらい。 この作だけではなく、そもそも漱石の初期作品は後期作品に比べていささかこなしづらいのであるが、この作品は特に地味だ。そこいらの理由は良くわからない。主人公が猫じゃないからかもしれない。 加えてこの作品は、どうやら専門家、例えば作家とか批評家とか研究者あたり にもあまり受けが宜しくないらしい。それは多分、あまりにも簡潔に過ぎるからだと思う。筋が。言ってみれば勧善懲悪、正しい人間が正しくない人間をのして終わるストーリーだからして、目の肥えた先生諸氏には物足りなかったのかもしれない。また珍しく凝り固まった人間像や、偏見に満ちた都会観が鼻についたというのもあるかもしれない。どちらにしろ、一般読者にとっても精読者にとっても、いまいちな小説。という事になってしまったのではないか。 この小説は、とかく頭で躓きがちだ。哲学者の甲野さんと法学者(だった筈)の宗近君が山を登るシーンは、くどくどしい上に長い。此処が読みづらいところ、つまり一般読者を遠ざける薀蓄と理屈の表皮。しかしその皮を一枚めくってみると、始まるのは甲野さんの妹、藤尾を取り巻く恋愛模様であり、小野と小夜子の金色夜叉であり、宗近君の大岡裁きである(ちょっといいかげん過ぎるか)。 つまりこの小説は、とうがらしの皮にくるまれた安い生クリームとチョコレートのあいのこみたいな菓子である。甘党は辛い皮であきらめる。辛党は中を割って悶絶する。渾然としてはいながら一体とはならず、一体とする一手に欠ける。 とはいえ、甲野さんの心にある焦りや悲しみは現代人の心にも深く通ずるものであり、宗近君の正しい説教も素直に胸を撃つ。読んでいて普通に面白かった。何の事はない、「夏目漱石の」という部分をそっくり忘れてしまえば、これは非常に面白い小説だ。
0投稿日: 2006.04.25
powered by ブクログ五七調を基調にして書かれた美しい文体。しかしだからと言っても物語自体が素晴らしいかというと、少し疑問。
0投稿日: 2006.04.09
powered by ブクログ「坊ちゃん」でも思いましたが、クライマックスあたりに近づくにつれ急速に展開が速くなっていきましたね・・;^^もうちょっと遅くしてくれればなぁとか。面白かったんですが。
0投稿日: 2005.09.20
