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親ガチャの哲学(新潮新書)
親ガチャの哲学(新潮新書)
戸谷洋志/新潮社
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総合評価

29件)
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    親ガチャの哲学読み終わりました。結局自分の人生は自分が引き受けるしかないんだなと思います。自分の人生考えてみても頑張って来れたのはいろいろな人の支えがあったからだと思いますが、最終的には自分がやっぱり頑張ったんだと思います。

    3
    投稿日: 2026.01.24
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    ここ数年よく聞く言葉だなと思って手に取りました。言葉の意味から現在の社会問題まで、非常に身近に感じ考えさせられました。実際の事件や人気の漫画、アニメが例としてあげられ、分かりやすいです。

    0
    投稿日: 2025.12.01
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    p38 ・「私」が他者との関係のなかで自己像を育むことができる空間を、土井は「居場所」と呼びます。私たちは他者とともに居場所を持つことで、はじめて自己像を健全な仕方で作り上げることができるのです p72 ・無力感が責任を失わせる ・自分の人生を引き受けられない(責任を持てない)とき、自分の功績は意思によるものではなく環境の産物だと認識してしまう →自分の人生に責任を持ちながらも、自分の功績を環境分込みで認めてはじめて、人生を引き受けることができている、と考えられる? p110 ・人生をはじめるべきか否かと、つづけるべきか否かは別のテーマ ・ミュウツーって遺伝子操作とか優生思想とかと繋がってたんや ・中間共同体の喪失と日本死ね‼︎

    0
    投稿日: 2025.11.23
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    今まで、わたしの嫌いな言葉ランキング1位は「親ガチャ」だった。それは、「生まれる環境によって不利益を被ることはたくさんある、だが、それでもなお自分の人生を投げ捨てずに戦い抜くことにこそ意味がある」という私の価値観を揺るがす言葉だと思っていたからだ。 そのように思うのは、親ガチャという言葉が流布する前に、わたしも同じようなことを考えていたからだ。 過去の自分が抱き、自分の人生から逃げる言い訳にしていた概念に、「ガチャ」という比喩ではっきりとした輪郭が与えられた。 この言葉を初めて聞いたときは、絶対にこれを拒絶しなくてはいけない、これについて語る人がいたら耳を閉じなくてはいけない、と本気で思っていた。 もし、この概念がわたしの中に入り込んできたら、今の自分がガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまうから。 そういった点については、著者の戸谷洋志も「親ガチャ的厭世観の本質」とは、「『自分がこの人生を歩んでいるのは、自分のせいではないんだ』という、自分自身からの逃避」であると指摘している。 しかし、だからこそ戸谷は、「親ガチャ的厭世観を引き起こす苦しみと、親ガチャ的厭世観が引き起こす苦しみは、区別されるべき」どと強調している。 わたしにとって、こういった視点を得られただけでもこの本を読んだ価値があったと思えた一節だった。

    0
    投稿日: 2025.11.04
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    「親ガチャ」は少なからず意識する人生でした。 市場経済における自己責任論とか自己啓発ムキムキの雰囲気とかほんと胃もたれしていて、幾度となく共同体から爪弾きにされている私である。 他責で自暴自棄な思考から解き放たれるためには、以外にも「他者」の存在が必要不可欠。他者がただ聴いてくれるという信頼の上で、自己の人生に責任を持つという態度を取ることができる。なるほど、確かに自分の殻に引きこもっている時代はその引っ込み思案で人とうまくコミュニケーションが取れない自分を、ある一面では家庭環境のせいにしていた青い時代を思い出す。 でも、「親ガチャ」的厭世観に陥っている人に「他者」を信頼しろというだけではそこから抜け出せないのでは?そこは自己責任論に陥らず、ジョン・ロールズの「無知のヴェール」を援用し一番苦境に立つであろう立場が最低限度の自尊心と生活を送れるような社会制度設計を目指さねばならない。そういった社会は他社との連帯がある社会であり、その実現には「想像力」が必要なのだという結論。 「親ガチャ」を契機として、過去の哲学的思考を用いた論理の筋道は読み応えあり。個人的には「反出生主義」という概念も基礎的な点だけではあるが理解を深めることができ、最後には多種多様な事柄を絡め幅広い思想間の関連の気付きを得ることができた。 親しみやすい話題提供(ミュウツーの辛み・・)と本格的な哲学的思考のいい塩梅で、思想系読書の初心者におすすめできる書籍です。

    15
    投稿日: 2025.09.11
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    責任を親や出生の偶然生に委ねる考えを否定的に考えているが、私は偶然のせいにするという考えも必要なのではないかと考える。もちろん全てを他人や偶然のせいにしてしまえば責任が成り立たなくなってしまう。しかし自分の力では変えられないものはどんな人生を生きていても必ずあるので、そういう時に偶然のせいにしてしまえば気が楽になると思う。全てを自分のものとして引き受ける訳ではなく、一部では偶然のせいにしてしまうのもありじゃないかなと思った。もちろん最終的には全て自分の人生を自分で引き受けることが求められるのでバランスが重要だと思う。 また、責任の話で決定論について触れられており、その考え方に興味をそそられた。全ての物事はあらかじめ決定されており、人間の自由な意思というものは存在しない。今この瞬間の私の行動も宇宙が誕生した瞬間から決められていた出来事であると考えたら不思議な気持ちになった。本当に自分に自由な意思など存在していないのだろうか。決定論についてもっと詳しく知りたい思った。

    0
    投稿日: 2025.06.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    親ガチャ的厭世観に囚われている現代への処方箋のような本。 反出生主義やゲノム編集のテーマをワンピース、進撃の巨人、ポケモン等のキャラクターで扱っていたのが面白かった。 偶然自分として産まれたこと、自分自分自身をありのままに引き受けることができるように、対話の場が必要。

    0
    投稿日: 2025.06.02
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    親ガチャについて正面から分析した一冊。 とかく親ガチャについては努力論で否定されたり軽視されたりしがちだが、実際には格差社会の元凶となっているものなので、非常に重要なものであると感じた。

    0
    投稿日: 2025.05.31
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    親ガチャについて浅い理解しかない人に読んでほしい。恵まれた環境で生きてきた著者が、ここまで寄り添って理解を示してくれるだけでもこの本を読む価値があった。

    0
    投稿日: 2025.05.24
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    この本で追求するのは自己責任を失い責任を他者に押し付ける決定論じみた親ガチャ的厭世観を持つことに関しての正悪ではなく、より生きやすくする為の考え方。という善良的な本なので、若干綺麗事じみたところはあったし、親ガチャそのものを徹底的に掘り下げてるわけではなかったが、社会情勢、哲学、アニメ、色々交えてて面白かった! 親ガチャ的自己決定論を肯定すると努力が評価されず、逆に親ガチャを度外視して自己責任論を肯定すると親ガチャが外れて苦しんでる人は努力不足の自己責任つまり自分のせいということになってしまう。というジレンマ。 ただ実際には親ガチャは存在してる。しかしそれを肯定することにより自己責任論を度外視してしまうと、ネガティブな結果を他人のせいにするのみならずポジティブな結果を他人のせいにするつまり自分のせいだと思わない、自己意識の喪失に陥る。また、その結果自暴自棄に陥り無敵の人となる。だから親ガチャ的自己決定論は正しいかもしれないが、生きていく上では自己責任論も組み入れるべき! そして親ガチャ的厭世観に陥る原因と、解決策に中間共同体の喪失による個人主義の加速。その結果他人に頼ることでストレスを発散することが出来ずかつ、個人主義になることで平等や公正を意識できない自分本位な考えが蔓延する。結果親ガチャ的厭世観のもたらす負の結果減少させるためには中間共同体を創造するべき。

    1
    投稿日: 2025.04.11
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    とても面白かった。 序盤では、親ガチャという言葉の本質的な問題と著者の提案。(本書の一貫したテーマである”自分の人生を引き受ける”の提示) 中盤では、関連する幾つかの引用で、問題を多角的に捉えられるようになっている。 終盤では、親ガチャの問題(出生の偶然性)を否定せずに、肯定的に捉えることで結論を導く。 一冊を通して論理の組み立てが丁寧で、最後に導かれる結論が鮮やかだし納得感がある。親ガチャというと、家庭環境に問題があった人がターゲットかと思うが、出生の偶然性という点で見れば、人間が誰しも関係があることだし、本書の主張も普遍的なものだと思う。

    0
    投稿日: 2025.03.22
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    本書は哲学的な側面だけでなく、社会情勢から親ガチャを取り巻く状況を細かく記載してくれており、とても読み応えありました。 人は生まれてくる時代や場所、環境を選べないからこそ、親ガチャと言う言葉は事実であり、当事者にとって人生を苦しませる事象の一つなんだと思いました。虐待など家族に苦しんでいる人程、親ガチャは深刻で、その価値観に囚われているし、そう言った人に自己責任論を説くのはあまりに暴力的なのも納得。 あらゆる人に文化的で最低限度の生活を保証する上で、社会保障やコミュニティ、連帯感をどれだけ構築できるのかも重要なのだと知れた事も良かった。

    0
    投稿日: 2025.03.10
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    他人が幸せであるほうが自分も幸せになれる。 劣った所だらけの自分だとしても、私はこれで良いのだ。 そういうふうに本気で考え、信じられるように生きられたらと思う。

    0
    投稿日: 2025.01.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    親ガチャとはアメリカンドリームの対義語である。 社会学者土井隆義「親ガチャ的な決定論的人生観に囚われているから、新しい居場所を形成できなくなっている」 ひろゆきによる無敵の人の定義は 1.社会的信用がない 2.インターネットによって大きな社会的影響を与えることができる ことで、「厳罰化しない限り対処できない」とするが、彼らが未来永劫、本質的にこれらの条件を満たすわけではない。社会的信用を回復させることで、無敵の人の犯罪と再犯を抑止できる。 そのためにも、 1.社会保障の充実による、社会的信用がなくても生きていけるようにする 例)竹中平蔵「ベーシックインカム」 2.社会的包摂を促進し、人々に社会的信用を取り戻させること が有効。 「保育園落ちた、日本死ね」は「投稿者」と「日本」しかなく、間にある「我々」という中間共同体が存在していない。社会を「as a service」として捉えているからメンバーシップ(人的要因)が軽視され、税とサービスのみに拘泥している。よって、「我々」を広げていくことで連帯を実現できる。そのためにも、想像力が必要。

    0
    投稿日: 2025.01.05
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    「親ガチャ」を、与えられる環境だけに限定して語っている。 「親ガチャ」の最も、大きな影響は、主体の全てが、意思の主体が、所与のものであること。 肉体が神経が頭脳が、それらが生み出す思考が、与えられたものであり、主体が自ら選び、論理的には責任を負いうるものではないものと言えることに、充分に配慮していると思えない書き出しに違和感。 デザイナーズベイビー、の説明では、遺伝子操作においては、出生前の意思を認めるが、そうでない場合は偶然、となんの留保もなく語る。 結婚、子供を持つこと、遺伝的形質に無関心な親がいるだろうか。 決定論と責任。 やはり決定論について語り始めた。 ハイデガーの議論を用いて説明をしてくれます。が、全然よくわからない。 最後は、思いやりを持とう。 か… 常識的だが、少し物足りない。 でもいい本ではあるんだろうと思う。

    0
    投稿日: 2024.09.27
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    以前に著者と棋士の糸谷哲郎八段の対談本を読んだことがあり、名前を知っていたので手に取ってみた。当時は糸谷八段が目当てだったんですけどね。 親ガチャという言葉の流行から現在の社会問題を哲学的な視点を交えて紐解いていくといった内容。 親ガチャという言葉は知っていたけれど、あまり深く考えたことはなかったので新鮮だった。今まで日常から哲学を考えようといった本をいくつか読んできた。それぞれが工夫を凝らして書いてあるので身近に感じる部分もあったが、それでも想定している事象が「そんなことある?」と感じるようなものだったり「そこまで細かく考えなくともよくない?」となるような展開が多かった。やはり私にとっては哲学というとトロッコ問題だったりなんだか崇高で雲の上の話というイメージだった。本著はネットスラングや漫画(ワンピースやポケモン)から話が展開されており、それが流行する理由を社会問題や哲学の視点から考えていく。哲学を身近に感じるという意味では頭一つ抜けて良かったと思う。 自己肯定感という言葉の意味に関しても気づきがあった。最近よく聞く言葉だが、詰まるところどういった意味なのかいまいちわかっていなかった。肯定するとはAがBであると認識する(イエスと言える)という意味だと私は理解した。つまり良い部分も悪い部分もすべてを自分であると認めることが自己肯定感である。自己肯定感が本著でメインテーマのひとつである自分の人生を引き受けることに繋がるというのがよくわかった。 追記: 他の方の感想で親ガチャ的厭世観で苦しんでいる人=社会的格差で苦しんでいるという決めつけが過ぎるのではないかとあった。この等式は概ね事実なのかもしれないが、明確な根拠が本著では提示されていないことも併せて、鋭い指摘だと感じた。確かに私の中にもそういった決めつけがあった。本を読んでいるとそこに書かれていることはすべて正しいと思ってしまいがちだ。ある程度の批判的な視点の必要性を改めて感じた。

    2
    投稿日: 2024.09.11
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    親ガチャというある意味ネットスラングとして用いられている言葉をキーワードとして様々な近代的な事象を紐解いていく、かなり易しい哲学書だと思いました。 人には思想や価値観が人それぞれに有していて、それを否定することは許されない。 自分の価値観が絶対に正しい、別の価値観は間違っているから否定してよいという態度を「残酷さ」という。 もちろん間違ってる価値観はあるかもしれないがこの態度という言葉に着目すると、揺るぎない確信さえあれば何を否定しても構わないと読み取りました。 自身の価値観も他人の価値観と同じように揺らぐものだと認識し、対話をするということが親ガチャ的厭世観を持つ彼らを救う唯一の方法ではないのでしょうか。 対話とは私が私であるという感覚、つまり自己肯定感を意識できる方法だと紹介していたと思います。 自己を肯定するとは何か、例えてみるとすれば「計算が苦手な自分」「身長が低い自分」「足が速い自分」など自分という存在を認識して受け入れることと私は理解しました。 自己肯定感感というものは何か他人と比べて優れていたり、劣っていたりするものだと我々は勘違いしていましたが、それはただの優越感や劣等感であり、自己肯定感とは異なるものでした。 私が私であるためには他者と対話をし、自己肯定感を高め、対話によってさまざまな価値観と向き合うこと。 我々が求める生活を続ける方法だと私は思います。

    1
    投稿日: 2024.08.16
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    親ガチャの関して様々な議論をまとめた本書には、哲学的な示唆に富む考察がふんだんに出てくるが、一般の人間にとって哲学的なことを考察するチャンスは非常に少ないと感じている.自分の責任と他者との関わりの中で生きていく人間が連帯を確立していくことで一つの解決策を見出して行けると提案している部分が気になった.p201: すでの存在している<われわれ>へと帰属させるのではなく、人々がすでに所属している<われわれ>のなかに、それまで<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>の外縁を拡張していく.

    0
    投稿日: 2024.08.08
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    https://www.nikkei.com/article/DGKKZO82255310T20C24A7CE0000/

    0
    投稿日: 2024.07.28
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    親ガチャの厭世観と、責任や自己肯定感、対話などを哲学の視点から検討するという内容。 さらりと書いてあるが、それぞれが深い

    2
    投稿日: 2024.07.04
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    漫画から哲学まで分かりやすく、書かれていて読みやすかった 親ガチャ的厭世観は誰かが聴いてくれず孤立している時に生まれてくる。誰かのせいにするのは簡単だが、そのように思ってる人に寄り添わず、無視してはいけない。 辛い気持ちを持ってる人に対してひとりではないことを話し合える機会や場所がより増えていけば、親ガチャ的厭世観はなくなっていくと思った。

    0
    投稿日: 2024.06.24
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    『親ガチャの哲学』 2024年5月23日読了 昨今よく聞くようになった「親ガチャ」という言葉。 「子どもは親を選べず、親によって子の人生が変わること」を端的に示した言葉である。この言葉は俗にいう「ハズレ」を引いた人が使用することが多く、本書の中でこの概念は悲観的とも厭世的ともされる。 本書は「現代社会は親ガチャ的厭世感に覆われている」ということを出発点とし、「無敵の人」や「反出生主義」などのキーワードに思考を膨らませながら進んでいく。『ワンピース』や『進撃の巨人』といった人気漫画やポケモンなど、具体的に想像しやすい例えを用いながら話が進むので、大変わかりやすく一気に読むことができた。 本書がおもしろいのは、「あなたが苦しんでいるのは、あなたの努力が足りなかったから」などという安易な「自己責任論」を持ち込まない点だ。苦境に陥り思考停止せざるを得ない人、自分自身から逃避しなければならない人が、どうしたら自分の生を引き受けられるかを、主にハイデガーの思想を用いて以下のように述べている。 「私」が「私」であることは、誰のせいにもできないのです。だからこそ、私たちは思うままにならない人生であっても、その人生が自分のものだと思うことができる。 (中略)このように自分自身を引き受けることの真価は、自分の人生をよりよいものにしようと配慮すること、自分を尊重しようとする態度を可能にする、という点にあるのではないでしょうか。 「自分の人生を引き受ける」とは、「自分を知り、自分の幸福を追い求める」ということだと思う。 SNSが急速に発展した現代。他者と自分の人生を容易に比較できるようになってしまった。だからこそ、わかりやすい成功への諦めがつかなくなり、自分が思い描く幸福を追うことが難しくなったのではないだろうか。だれかと同じ成功を求めすぎるがために、自分の幸福がわからなくなってしまい、だれかの成功とは程遠い自分の人生を、引き受けらなくなっているのかもしれない。 また本書では、自分自身と向き合うためには、他者との対話が必要と説く。私たちは誰かが自分のことを受け止めてくれるという信頼感の中で、はじめて自分と向き合えるとしている。 やはり「誰のせいにもできない人生」を歩むというのは、不安で恐ろしいことだと思う。だからこそ一時であっても自分の話を聞いてくれる(=自分の存在を認めてくれる)他者や共同体の存在は心強い。ここでは現代における実例として「哲学カフェ」が上がっていた。つながりの少ない現代社会において、なにかしらの共同体に(一時的でもいいから)属し、話を聞いてもらうというのは、今を生きていくコツなのかもしれない。

    0
    投稿日: 2024.06.07
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    親ガチャ的厭世観が現代日本社会で流行したのは、苦境に陥った人々が、自らの苦しみへの対処として選び取られたからではないか、というところから考察が始まる。 一時の安らぎはあるだろう。しかしどんなに努力しても希望はない、という絶望から救われることがない。 ▶︎子どもが親に「生んでくれなんて頼んでない」「生まれたくて生まれたのではない」と言う時、子どもは傷つき、自分の力ではどうにもならない苦しみを抱えている このことに思い至らなかった。自分の力ではどうにもならない苦しみに自暴自棄になっていたのか。 私は今までも、今でも反出生主義に魅力を感じてしまう。 でもそれは、生まれてしまったからには、こう生きねばならない、こうあらねばならない、というmust思考と、現実との乖離が自分の力ではどうにもならなかったからだろうと思う。 筆者は自己責任論を否定しながらも、個人が幸福に生きるためには自分を引き受けることも必要だと説く。 「私」が「私」であることの責任を引き受けられるようになるにはどうしたらよいか、ハイデガーから展開する「自由意志を前提としない責任」を理解すること、アーレントの「現れの空間」の必要性を論じる。 私も反出生主義に魅力を感じながらも、自分を引き受けたくて、でも引き受け方が分からなかった。 すべては偶然と説いた九鬼に立ち返りたい。 対話の場がもっとあればいいのに。

    0
    投稿日: 2024.05.16
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    親ガチャというキャッチーなところから入って自己や他者について考えられてよかった。親ガチャ的厭世観が一種の逃げというか防衛本能というか。

    0
    投稿日: 2024.05.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んだきっかけ ・「親ガチャ」という言葉が話題になり、2021年の流行語大賞トップテンに入ったことが気になっていた。 ・2023年度の大学入学倫理の共通テストの出題 ・秋葉原殺傷事件の加藤死刑囚のような“無敵の人”のキーワードがあったこと ・目次に『ポケットモンスター』や『進撃の巨人』『ONE PIECE』といった話題のコンテンツを基に、「親ガチャ」「反出生主義」「遺伝子操作」など、生まれの偶然性にまつわるテーマを掲げていたので、わかりやすいのでは? ・菅前総理が「自助、共助、公助、そして絆」といったとき、コロナ禍の混乱期にあり、批判があった。この言葉は別に悪くはないのだが、「自助」で頑張っているのに、「共助」「公助」の仕組みが整っていないではないかと。自己責任論が全面的に押しだされ、よりこの言葉が苦しみの意味で浸透してしまったのかと思った。 政治家がいう言葉のタイミング、政策などいろんな難しい状況があると思うのだが、ただ、「親ガチャ」の言葉を考えると、今この苦しみからなんとかしてほしい、と叫びをあげている人に視点を持てる社会でなければならない、虐待や貧困など自分ではどうすることも出来ない環境にいる子供たちが「もっと良い家庭に……」と考えることは、非常に当たり前のこととだからこそ読んでみようと思った。 ・親ガチャ的思考を乗り越え、「自分の人生を自分のものとして引き受ける」この言葉にひかれた。 <内容から> 「親ガチャ的厭世観」とは意志と選択の能力を否定する人間観 社会において「親ガチャ的厭世観」で苦しむ人が救われるためには、傾聴や対話の場があることが重要だと説く。 「親ガチャ的厭世観」を持って苦しんでいる人々は、自分自身と向き合うことすらできないほど力を奪われているし、傷つけられている。自分自身を引き受けるためには、むしろ他者とのかかわり、自分の言葉を受け止めてくれる誰かがいるという信頼が必要である。「責任の分担」という幻想があることが重要。それが人を孤独から守る。切迫した時間を緩めてくれる。そういうつながりの中ではじめて、逆に責任を取れる。 残念ながら、現代社会では地縁や血縁に根ざした伝統的でクローズドな地域コミュニティの喪失が、傾聴をしてくれる他者の喪失につながっているとしている。 ローティの「連帯」やアーレントの「現われの空間」を援用して、連帯の必要性を説き、「新しい中間共同体」の必要性として、哲学対話の場を用いたコミュニティの可能性、「対話の場の創出」を提案していた。 ただ、内にこもった時間的、経済的余裕がないと参加できないのでは? 情報弱者や孤独に陥っている人にどう手を差し伸べることができるのかということ。 課題は残る。 「私」がそこにいてもいいと思える場所。 「私」が他者とともにそこに帰属することが許される場所。 他者ととともに居場所を持つことで、はじめて自己像を健全な仕方で作り上げることができる。 学校をはじめ、図書館など公的機関でのそういった「居場所」としての機能性がもっと柔軟に求められるし、実際活動しているところも増えている。 ・対話の中で相手の言葉を聴くこと。何より言語化することの重要性をあらためて確認。 ・ケア=傾聴には共同体が必要で、人為的に対話の場を創出すること。 ・もっとも弱い立場の人から社会を考えること。 ・連帯を実現するために不可欠なのは想像力 ブクログで感想を書く、その行為も私にとっては言語化することである意味ケアしてもらっているのだなあと思いながら読み終えた。 <本文で気になった個所> ・「親ガチャ的厭世観」意志と選択の能力を否定する人間観 p.15 ・「不運であり、苦境に陥った人が、自分の置かれている状況を、あるいはその人生を理解するための概念である」(と捉える。 pp.15-6 ・「この言葉が流行する背景には、そう考えでもしないと生きていくことさえままならないような、苦境に陥っている人々が存在する」 p.180 ・「自分の言葉が他者に届いているという感覚……は、苦境に陥っている人に不思議な力を与える」 p.181 「自分の人生を引き受けるために、私たちは他者に耳を傾けてもらう、そうしたケアをしてもらうことを必要とする」 P.220 「私たちは、自分のできる場所で、自分のできる範囲で、他者と対話する機会を、この世に創り出していくべきです。……誰かに話すことが許されること、誰かが自分の話を聴いてくれることを信じられること──それが、現代社会のニヒリズムへの、根本的な抵抗」

    10
    投稿日: 2024.04.30
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    対話すること、話を聴いてもらう、話を聴く、簡単なようで難しい。だけど、自分の人生を引き受けるためには、自己肯定感を高めるためには、とても重要なこと。

    0
    投稿日: 2024.03.23
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    どうやって親ガチャ的厭世観を回避するかが語られる。個人的には反出生主義の幼稚さ、論理性の無さが改めて確認できていささかゲンナリさせられた。結論は色々と回り回って♪私以外私じゃないの〜との「自己肯定感」を対話を通じて持てるようにする、てな話に落ち着くんだが、まぁ結論の好みは分かれるところかもしれない。自分としては、親ガチャ的厭世観とはそもそも対話を持とうとするようなモチベーションさえ無い状態だろうから、そこはちょっと難しいんじゃないかと感じる。 結論へ至る過程でぐるぐる回る議論を眺めるのもこの手の本の趣旨だろうし、興味のある方はぜひ。

    0
    投稿日: 2024.02.10
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    ただ親ガチャというワードに惹かれ、中身はよくわからないまま読み始めた。 親ガチャというマイナスイメージを払拭するために哲学的な解を求めていく。哲学の素人である私にとっては非常に難解に感じたが、固い煎餅をゆっくりと噛み砕いて飲み込むイメージで読み進めると、なんとか理解できて最後まで読むことができた。最後の方は、繰り返して主張が書いてあり、筆者の意図するところが理解できた。哲学については、なんでこんなことを深く考えるのだろうと思っていたが、語彙力や想像力を高め、表現できる世界を広げ、人間の思考力をつける尊い学問なんだと思えた。

    4
    投稿日: 2024.01.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    責任は「私」が「私」であることを引き受けること。他者との連帯、対話があって初めて自分自身に向き合うことができ、自分の人生を引き受けることができる。 親ガチャ的厭世観を乗り越えるために求められるのは、なによりもまず、社会における対話の場の創出である。

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    投稿日: 2024.01.03