
総合評価
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powered by ブクログ長く、複雑で、シーンの数も登場人物の数も多いので、かんたんに理解できる小説ではない。しかし、退屈ではない。おそらくこれがバルガス=リョサがノーベル賞を授かった主な業績なのだろう。そう思うほどに前衛的なやりかたで、社会と政治の腐敗を描いている。話のおもしろさを理解するためには、サンティアーゴ/サバリータを主人公とみなし、父親のドン・フェルミンとの関係がどういうものか、そして彼自身がどういう人生を歩んでいくのかを常に見失わないことが必要だ。そうすれば、すべて人間関係を把握しなくても、本書のテーマが見えてくる。
1投稿日: 2025.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
面白いとは聞いていたが、ここまで面白いとは…ぐんぐん引き込まれて、今年ベストかもしれない。ハンガンの少年が来るといい勝負。バルガス=リョサ追悼ウィークはこの上下だけになりそうだけれど(分厚い!GW終わった!笑)、バルガス=リョサ大先生素晴らしい体験を有難うという感じです。 「これまでに書いたすべての作品の中から一冊だけ,火事場から救い出せるのだとしたら,私はこの作品を救い出すだろう」 そう著者が言うだけある作品… まず視点が自由間接話法を縦横無尽に使って入り乱れる。映像的ともいうべき交差で、最初は登場人物もわからないから、何が何だかという感じだったが、慣れるとこれが心地よいスピードで話が進むし、思わぬところで思わぬ話が何気なく繋がっていく種明かしのような構成がとてもスリリングだった。 ペルーの政治情勢と、密接に絡み合う人種・階層含む社会経済状況、何も知らずに読み出したが、そこもある視点として知ることができて面白かった。 彼自身もペルーなのだサバリータ、彼もまた、どこかの瞬間でダメになってしまったのだ。彼は考えるーそれはどの瞬間だったのか?ホテル・クリヨンの前で、一匹の犬が彼の足を舐めにやってくるーおまえは狂犬病じゃないだろうな、さっさと失せろ。ダメになってしまったペルー、と彼は考える、ダメになってしまったカルリートス、誰も彼もがダメになった。(p.15)から始まる。 「全然迷いがなかった、信じていたんだ」とサンティアーゴは言った。「僕はその前から何かを盲目的に信じている人たちのことを、羨ましいと思っていたんだよカルリートス」…「それこそが人間にとって、一番恵まれていることなんだよアンブローシオ」とサンティアーゴは言う。「自分の言っていることを信じられるということ、自分のやっていることが好きだということ」(p.277) 「かわいそうにな」とカルリートスは言った。「これで一生、新聞記者になっちまうんだな。いいか、ちょっとこっちに寄ってくれ、誰にも聞かれないように。ひとつ重大な秘密を告白しよう。詩こそこの世で一番偉大なものだぞサバリータ」(p.450) …もう二度とあの熱意は持てないだろう、と彼は考える、何かをやり遂げたいというあの欲求、特ダネをとってみんなにちやほやしてもらうんだ、ああいう企画も二度と出さないだろう、それで昇進するんだ、なんて。何がダメになったんだろうか、と考える。彼は考えるーいつ、なぜ。(p.458)
2投稿日: 2025.05.06
powered by ブクログ語りの手の語る過去や心情と、まったくそれとは別の場面の状況などが入り混じった文章になっており、読み進めるのにはじめは戸惑った。しかし、全く別の場面が交錯する箇所で、どちらの場所での発言ととれるセリフなどが出てきて、こういう表現はドラマや映画的でおもしろいなと思った。 始終ドタバタだが、最後の兄弟の束の間のやりとりにほっこり。下巻も早く読まなければ。
1投稿日: 2021.12.22
powered by ブクログ「ラ・カテドラルでの対話」(上) 彼自身もペルーと同じなのだサバリータ、彼もまた、どこかの瞬間でダメになってしまったのだ。 (p15) …と、この長編は始まる。ここの最初のページ、随分ダメになってるを連呼していて、その後も事あるごとに繰り返すのだが、作者緒言でも書いているように、この小説はマヌエル・アポリナオ・オドリア軍事政権(1948ー1956)の停滞時代を描いているから、まあ通奏低音みたいなものだろう。 空は曇ったままで、空気はそれ以上になおさら灰色で、いよいよ霧雨まで舞いはじめたー肌に蚊が止まったみたいな、クモの巣が触れたみたいな感覚。いや、そこまですらいかない、もっとはかなく、もっと嫌な感覚。 (p21) フンボルト海流の影響で南米西海岸はこんな日が多い…のかな。でも、蚊とかクモの巣とか、リョサも巧みだね。 次はp24の最初の段落。この小説のエクリチュール見てみよう。基本的にはここまでは語り手=主人公(一応等号にしといて)のサバラ(サバリータ)が自分に問い掛けるようなちょっと性急さも目立つ語りなのだが、なんかいろいろな次元の語りが特に断りもなく混ざり込んでいる。そんな感じ。このp24では「彼らは何も話さなずに食事をする」とあるのだけど、その後普通に読んでるとなんかいろいろ話してる?ヒントは「ー」の使い方かな。この「ー」に挟まれた部分は別の語りが一つ(前より少し遠くからの視点?)挿入されているのでは。 まったくもって時間というものは人間を気づかないうちに飲みこんでしまうものなのだった。 (p37) コップを満たし、自分のコップをつかみ、話をしながら思い出しているのか夢見ているのか考えているのか、あちこちにクレーターができている白い泡の円を見つめる。そのクレーターの口は音もなく開いて、金色の気泡を吐き出しては、彼の手の中で温まっている黄色い液体の中に消えていく。 (p38) 安食堂でビールを飲むサバラと何十年かぶりに会うアンブローシオという先住民と黒人の混血の男。ビールの泡の描写が先の雨のところと並んでゾクゾクする、とともに、なんか彼とアンブローシオとの間にあった何か、それらさまざまな思いがクレーターのように生成し消えていく。前のページの時間論と合わせて、そこに並存していた時間も消えていく… こうして昨日までに第1章49ページまで読み進めたのだが、この小説、「ラ・カテドラル」という酒場で二人が話し合う対話によって進行する、という前情報しかなかったけど、そこまで至るのがなかなか。新聞記者のサバラは家に帰ると妻から愛犬を無理やり黒人2人組が連れ去ってしまったと訴える。野犬保管所に行き、愛犬見つけると、そういう街から野犬を連れて行く係の男と会う、それがさっき出てきたアンブローシオで、サバラと彼の父親との何か確執に何らかの関与をしているみたい。随分話していたみたいだけど、その内容には全く触れないで、最後は半分喧嘩別れになってしまう…このままでは対話小説にならないので、次の展開を期待… (補足その1、最後まで読んだのだけれど、時間がかなり遅くなった(そりゃそうだ1100ページ以上も語っている(違う対話や回想も含んでいるけどね)以外には、特に喧嘩別れする要素はなかったけどなあ、それともここには最大の謎が絡んでいて、そこにサンティアーゴが触れたためなのかな→それについては下巻の最後を見てね。 (2020 03/18 補足終わり)) 何の根拠もなく「ラ・カテドラル」ってまあまあの高い酒場だと思っていたのが崩れるし、読者への情報提供管理が絶妙だし。これも引き込まれますね。って、次何を本命にすんの?これ?「巨匠…」?「案内係」?それとも今日買った何か… (2020 01/03) 昨日 下巻を段ボール箱から出してきて、解説読めば、第2章冒頭の(すなわちこれから読むところの)「自由間接話法」の詳しい説明が載っている。この「自由間接話法」とはフロベールの「ボヴァリー夫人」で使い始め、ウルフらを経て、この小説ではかなり多用されている。「」付きの直接話法ではなく、地の文にはめ込まれているけれど、言った言葉が割と残存しているのが特徴。 ーちょっと来てごらんソバカス、少し彼ら二人で話をしようではないか。二人は仕事部屋に閉じこもり、上院議員が、彼はずっと建築を学びたかったのだろうか? そうなんだよお父さん、もちろんずっと学びたかったのだ。 (p50) ここでソバカスと上院議員は息子と父親。最初のソバカスと呼びかけているところ、それからお父さんと呼びかけているところは「」はなくとも直接話法。でも「少し彼ら二人で…」の文は自由間接話法。現実に話されていたのはたぶん「少し私達二人で…」だろう。地の文にするなら「彼ら二人で話をしようと提案した」くらいかな。 次の「彼はずっと」のところもそう。最後の文は時制が「たかったのだ」と上の話し言葉的なのと混ざり合っている。 人称にしても時制にしても、今までの翻訳だと、日本語ではここに挙げたように結構違和感あるので、意訳していたことが多かった。でもこの翻訳では、旦氏の決断により、この小説の構造と効果の根本であるこの自由間接話法を解消する方向にはしないこととなった。フロベールの小説を読んだ時に当時の読者が新しい技法に出会ってとまどった感触を味わってほしい。という方向。味わってみれば、新鮮で視線が激しく入れ替わり面白く読めるのだった… あとp59とp84ー85のアンブローシオ(p84はサバラ)の言葉は、何気なく挿入してあるけど、前の第1章、要するに「ラ・カテドラル」酒場での外枠の語りが紛れこんでいる。ただp60のアンブローシオの言葉はチスパス(サバラの兄)への言葉だから、これはまた違う時点の会話。 …と、なかなか複雑なのだが、話自体は前読んだリョサの「子犬たち」みたいな馬鹿馬鹿しい青春性体験物語。この落差がまた魅力。 (2020 01/04) 第3、4章。 第3章はオドリア政権支配者側の二人(この二人とアンブローシオは昔チンチャ(太平洋側の町)で仲間だったという。ここも(というかずっと?)、第1章外側のラ・カテドラル対話がところどころに埋もれているのだが、その「坊ちゃん」という呼びかけとは別に、もっと大きな割合を占める外側の語り「旦那」というのはどこの誰との会話だろう。アンブローシオが語っていて、相手はドン・フェルミン(サバラの父親)? (補足その2、下巻にある第4部後半で、アンブローシオとケタが対話しているのだが、そこでアンブローシオはドン・フェルミンに迫られることの繰り返しの中で、たまには?それなしで話だけする、アンブローシオにも話させることがあった、とケタに語っている。たぶんその時の語りなのだろう、ここは (2020 03/18 補足終わり)) 第4章は、またサンティアーゴの青年時代、わざと?庶民が通う学校に行ってコミュニスト仲間に入る。第3章の父親に反抗して「乳搾りの娘」と結婚したドン・カヨもそうだったけど、この反抗はこの小説の大きな主題であることは確かだろう。 要するに人間誰しも、自分の置かれた境遇に満足できないわけですね (p156) (2020 01/07) 「すると」 「巨匠とマルガリータ」を読み終え、久しぶりにこっちに戻って来て、昨日は第5章。昔アンブローシオと「何か」あったアマーリアと「思い込みのアプラ党主義者」トリニダーとの悲恋物語。この章入って、エクリチュールのダイナミズムは増し、一段落、一文ずつ視点が変わっていく。 …でもそのうち許してくれるわよ、と彼女を慰め、またあんたのことを求めて来るわよ、すると彼女は、あんなのもう大嫌い、死んでも仲直りなんかしないから、するとアンブローシオは、じきに彼らは喧嘩別れしたのだった、坊ちゃん、アマーリアは勝手に出ていって、その辺でまた男を作ったんです、するとサンティアーゴは、ああそうだ、アプラ党員だよね、するとアンブローシオは、それからだいぶ後になって、まったく偶然に二人は再会したのだった。その日の午後、リモンシーヨの家に帰ると、叔母は彼女のことを、ふしだら、非常識と呼び… (p166ー167) ここに引用した部分の最初と最後は、さっき書いたアマーリアとトリニダーの話なんだけど、「すると」の畳み掛けのうち、2番目の「すると」からは、酒場でのアンブローシオとサンティアーゴとの対話が表筋に出てきている。まあ、こういう外枠組みによる表筋の中断自体はままあるけど、一文の途中で入れ替わり、自由間接話法も織り交ぜられると、どちら側の臨場感も増す。それにじっくり読まないとどの時点の話なのかわからなくなってきて、上の文でも「まったく偶然に二人は再会したのだった」というのは、アマーリアともう一人が、アンブローシオなのかトリニダーなのかここだけだとはっきりしない…(通常読みだとトリニダーなんだけど、まだここまでの段階では、アマーリアとアンブローシオの間に何が起こったのか開示されてないから、アンブローシオなのかも) (ブクログの他の人のレビューで「落ち葉の堆積のような重層構造」ってのが書いてあったけど、全く巧い言い方だと思う) 表筋では、もうトリニダーが病気で寝込んで嘔吐を繰り返すようになってから、前よりアマーリアのトリニダーに対する愛情が強くなった、というのが、ちょっと不思議で印象的。あと、トリニダーと妊娠してた子供の二人を相次いで亡くして(後者は死産)から、ゆっきり立ち直り始め、町の世話役みたいなおじさんの部屋で話をし始めるとかいうあたりも。 (2020 01/26) 第6章はサンティアーゴのサン・マルコス大学生活続き。 マルクス主義活動にのめり込んでいくサンティアーゴだけど、同時にそれに浸り切れない自分を見ている。 その二年目だったんじゃないだろうかサバリータ、マルクス主義は学ぶだけじゃダメで、信じる必要があるんだと気づいたときだったんじゃないだろうか? たぶんおまえは、信じることができなかったせいでダメになったんだサバリータ。神様を信じることができなかったせいですか坊ちゃん? 何も信じることができなかったということなんだアンブローシオ。 (p204) この章の、また小説冒頭にも出てくる「サバリータ」という問いかけ、そして小説冒頭につながる「ダメになった」という認識だけど、ここの「たぶんおまえは・・・」の文だけはひょっとしたらサンティアーゴではなく父親のドン・フェルミンの言葉なのかもしれない。このちょっと後には明らかにドン・フェルミンの語りが挿入されているし。 (2020 01/30) 自分の中の虫 しゃべっているのは別の人だったな、と彼は考える、おまえじゃなかった。前よりも少ししっかりした声、より自然な声だったなサバリーター彼ではなかった、彼ではありえなかった。中立的な高みから、理解し、説明し、アドバイスしていて、これは僕じゃないと彼は考えていた。彼は何かもっと小さな、いじけたもの、その声の下で小さく縮こまっているものであって、その場を抜け出して走って逃げ去ろうとしているのだった。 (p221) この文章の前の数ページに渡って、彼の中の小さな虫という表現が数回現れて、このアイーダのハコーボからの告白を告げる言葉を聴いているシーンでまた現れる。 ここの文章は、人称代名詞がころころ変わって畳み掛けているのだけれど、結局語っているのは、いつの時点の語りかは混在しているが、サンティアーゴ一人。めまぐるしさがリズムからも伝わるような。 それから、このページの最後の行の「当然だ」というドン・フェルミンの言葉、それから次のp222のアンブローシオの「見捨てるんですね」という言葉は、どの文脈から来ているのだろうか。逃げ去ろうという辺りからの連想で挿入されているようだけど。 (2020 02/01) 第7章。 移行的な章なのか。断片が行ごとに入れ替わり立ち替わり、どこの話なのか手探りで読み進める。でもおぼろげにわかってくる。中心の筋はトリフルシオという男が刑務所を出所して、チンチャに働き口を紹介されて向かう。そこには、彼の妻であったトマサとその間の息子アンブローシオ(そう、このトリフルシオというのはアンブローシオの父親なんだ)に会う。アンブローシオはちょうど仕事探しに首都に向けて出発するところで、2リブラお金を父にあげたあと、リマに出て第3章にあったようなつながりで、今は政府内部に入りこんでいるドン・カヨの運転手になる…というもの。 (2020 02/03) 第8章 この国じゃ、ダメにならなかった人間は、他の人間をダメにする側にまわる。だから僕は全然後悔してないんだよアンブローシオ (p289) その点でも、オレとおまえはちがっている。若いころにこの身に起こったことなんか、オレの中からはもう消えてなくなっていて、オレにとって一番重要なことはこれから起こるんだ、とオレは確信している。おまえさんの場合、まるで十八歳のときにもう生きるのをやめてしまったみたいだ (p299) これはカルリートスがサンティアーゴに話している言葉…なんだけど、カルトーリスってどんな人物だっけ? 第9章 「ラ・カテドラルでの対話」は大統領選の前と後の交互進行に、前の章にあったトリニダーへの拷問と外枠対話等が絡む章。なんかドン・フェルミンが誰かの泣いてるのを聞いているのはどういう話なのか、まだよくわかっていない… (2020 02/08) 第1部ラスト、第10章 ここは物語が割とストレートに進む。これまでの筋がなだれ込む。そのメインはサンティアーゴとその仲間の逮捕と(サンティアーゴのみの)釈放。もちろん、父親ドン・フェルミンの仲介で(そこで父親の隣にいるドン・カヨの姿をサンティアーゴは初めて見る)、なのだが、「陰謀企だてる時にはもう少し利口にやれ」などとドン・フェルミンは言う。随分余裕あるというか寛大な父親の言葉だな、と思っていたら、「家の電話が盗聴されていたのはサンティアーゴの一件の為ではなかった」という。その夜に父親の部屋に入ったサンティアーゴはドン・フェルミン自身がオドリアとドン・カヨを陰謀で遠ざけようとしていたことを話す。この一件でそれが立ち消えになったことも。 ここで、父と子は和解したように思えるのだが、これまでの章で切れ切れに語られてきたことから見て、その和解が続かなかったという展開になるのだろう。 とにかく、この380ページくらいまでで、全体の1/4… (2020 02/09) アマーリア、ドン・カヨ、サンティアーゴ… 「ラ・カテドラルでの対話」第2部第1章。4部ある部ごとに手法を変えている、とあったけど、第2部入ったらこれまでの細切れ挿入の重なり合いとは違い、3人の視点が、上でタイトルに挙げた順番で交代で語る。アマーリアが働く家の女主人オルテンシア(カヨの愛人)の入浴しているときろに立ち会う場面は、「継母礼賛」をちょっと思い出させる。肉体の感覚を大事にする作家でもある。 (2020 02/12) しかし、結局行くことはなかったんだよサバリータ、で今ここでこうして、まるで妊婦みたいに腹がよじれて、じたばたしてるってわけだ。沈没して《ラ・クロニカ》にたどり着く前、おまえは何になろうとしてたんだい? (p442) 第2部、2、3章。上の視点にドン・カヨの運転手兼下働きになったアンブローシオの視点も加わる。 オルテンシアとセニョリータ・ケタはどうやら同性愛関係でもあるらしく、そこにアマーリアをも引き込もうとする。ドン・カヨの筋では新聞の責任者に脅しをかけていて、解雇させると約束させていた記者というのが、サンティアーゴなのかカルリートスなのか、とその次のサンティアーゴの筋に緊迫しながら読んでいくと、それはカルトーリスの前歴だったことが判明する。この4つの筋は同時進行ではなく、斜めに歪んでいるわけだ。アンブローシオのは、他のドン・カヨの手下ともに言うこと聞かない人を殴ってる…なかなか登場人物も一筋縄ではいかない。 で、前に「カルトーリスって誰?」って書いたけど、ここでいろいろわかってくる。この小説はサンティアーゴとアンブローシオの外枠の対話がある(この第2部では忘れかけた頃に時々挟まれる)のだが、その内側の対話として、《ラ・クロニカ》の記者仲間のこの二人の対話が機能している。詩を書いていたというカルトーリスは、この対話の現在、詩はやめて、パリにも行くことはなく、アル中と麻薬中毒で沈んで行く。この小説内で強烈に印象的な場面になりそうだ。 (2020 02/16) 「ラ・カテドラルでの対話」第2部第5章 アンブローシオがオルテンシアのところにいるアマーリアに逢いに来た場面から。 彼は叱責される危険を冒してわざわざ会いに来ているのだが、おまえはそういう態度をとるのかいアマーリア。昔あったことはもう終わったことでありアマーリア、もう消え去ったことなんだ。最近知りあったばかりなんだって思ってくれればいいのにアマーリア。 「同じことをまたあたしにするつもりなの?」とアマーリアは、自分が震えながら言っているのを聞いた。「そうはいかないわよ」 (p494) この章が始まってからずっとアマーリアの視点で描かれてきて、「彼は…」という文もアマーリア側からの文だと思って「おまえは…」というところもアマーリアの内面独白なのかと思っていると、次々現われる「…アマーリア」のリフレインはアンブローシオの言葉が地の文で現れている…から、何処から反転したの。果たして「おまえは…」の箇所はどっち?それとも双方に被っている? 続いての「」付きのアマーリアの言葉では、自分が言っているのを聞いた、と他人行儀な文になっているのが効果的。恐らく、さっきの「おまえは…」と同じで、アンブローシオを断っているアマーリアを認めない別のアマーリアがいるのだろう。 「君の親父さんには、凡庸さに対する恐怖感があるんだよ」とクロドミーロ伯父さんは笑った。「僕と頻繁につきあっていると、伝染病がうつると考えているんだろう。… (p511) また別の対話相手、クロドミーロ伯父さん(たぶんソイラ夫人の兄だと)。自分も含めて実際に凡庸かそうではないかは別として、そういう凡庸恐怖感というのは誰にでもあるのではないかと思える。 というのも、ときどき、僕も考えてみるんだが、僕には重要な出来事の思い出というのがひとつもないんだ。 (p511) 自分にも…というのはともかく、あれ、これに似たようなこと誰かが言ってませんでしたっけ。p299のカルトーリスの言葉かな。でも、サンティアーゴとカルトーリスとクロドミーロって、微妙にそれぞれ違っているようで。この辺は(も)後の展開に期待、要深読みポイント。 ちなみにこの第5章での並行筋のうち、ドン・フェルミンとドン・カヨの筋は他の筋より時間的にかなり前の筋のもよう。このねじれ感覚が快感になれば、この小説の流れにはまったといえるのだろう。 (2020 02/19) もう一箇所ちょっと引きたいとこあったんだけど… 全身の毛穴が燃えあがるのを感じるのだ、肌の幾百万という極小の噴火口がじくじくと膿を吐き出しはじめるのを感じるのだ。 (p572) 相変わらずこういう肉感的な表現巧いんだけど、ここの節にはドン・カヨの公生活と私生活が裏表立ち替わり織り込まれている。読んでいてここもスリリング。他の節ではアマーリアとアンブローシオの結びつきとか、サンティアーゴの下宿を訪れた兄チスパスとか、それぞれに展開する、その背景にアレキパで起こった革命騒ぎが焦燥感を煽る。 (2020 02/25) 行きの電車内で上巻読み終わり… 彼はため息をつき、オルテンシアをどけて、立ち上がると、彼女らを見ることなしに階段をのぼった。突然実体をもった幽霊が、背後から飛びかかって、人を突き倒すのだ (p614) この文章こそ「突然」現われる。いきなり挿入されるここはドン・カヨの追放を暗示しているようにも思えるが、それ以外にもあるような。 女たちは口をきかなければいいのに、と彼は考え、決意をこめて鋏を握りしめ、静かな一切りで、チョキンと、二つの舌が床に落ちるのが見えた。彼の足下に、ぴくぴくともだえる二つの赤くて薄べったい小動物が転がって、絨毯を汚していた。 (p620) オルテンシアとケタの同性愛はこの作品のテーマの一つなのだが、最初は気づかれないように、しかし第2部の終わりのこの辺りまでくるとかなり大胆に中心に居座ってくる。で、第2部はいろいろな時点のいろいろな視点が並行して始まったのだが、最後はドン・カヨの追放・ブラジルへの逃亡(オルテンシアにも前もって知らせることはなかった)に焦点を合わせてくる。 (2020 02/26)
0投稿日: 2020.04.12
powered by ブクログ幾重にも落ち葉が積もって、美しい落葉の風景が広がるように、物語が進む。 ウィリアム・フォークナーのように文字フォントが変わるわけでもなく、一行ごとにといっても過言でないほどに、話し手や時代が変わる。テンポになれるまで、なかなか物語を掴みづらいのは事実。 しかし、少し辛抱して読み進めると、積もった葉が総体となって大きな景色を作りあげていっていることに気づけるはず。
2投稿日: 2019.04.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いつも沖縄に出張にいくときにラテンアメリカの文庫を携えるようにしているが、最初、上巻だけ持って行った。 面喰らいながら書いたメモが、以下。 @ 複数の会話が入り乱れる。時間の混乱。しかし似たトピックを話していたり、連想的に響きあったりすることもある。 地の文においては、彼がいうのだった、と人称の妙。 地の文は会話文で中断されなければ原則的に改行なし。 おまえは何々だったなサンティアーゴ。と、作者の声なのか、サンティアーゴの自問自答なのか、も地の文に紛れ込む。 地の文においても、たとえば208ページ、もちろん構わないのよ、いいことだと思っているのだった。と、直接話法?と間接話法?が入り混じる。 自分(そして国)はダメになってしまった、遡ればいつからだったか?あのときだったのだろうか、と話しながら度々考えている。 全体小説を書きたいと思った時、こういう文体と形式を選ばざるを得なかった。ボヴァリー夫人なんかは単純で純朴だ。 ところで、アンブローシオが坊ちゃんに話しかけるだけでなく、旦那さんにも話しかけているが、誰?=たぶんフェルミン>108p。 ※もっと分析を頑張るならば、地の文でこういう話、そこに混入するのは誰と誰の会話でどういう内容か、まで。 また、各人物ごとにエクセルなどで時系列のマトリックスを作るのもおもしろいかも。 @ 上巻を読み終えてから下巻の訳者解説を読んで、面喰うのも無理はないと納得した次第。 読み終え、各章ごとのあらすじをまとめ、登場人物の表(B5にたっぷり!)を作り、もっと分析したいと思いつつも果たせないので、いったんここで感想を書くことにする。 ざっくり言えば、過去を悔いている(自分は、そして国は、いつから駄目になってしまったのだろう、という問いへの執着ぶりが独特)青年が、かつての実家の使用人と再会し、ラ・カテドラルという酒場で飲みながら対話する、という大枠。 四方山話噂話過去話などなどが入り乱れ入り混じり読者は渦に巻き込まれていくが、中心にあるのは「(息子にとっての)父を巡る謎」。 視点人物であるサンティアーゴの父は、政治にどっぷりの商人だが、ある種のセクシャリティを隠しており、ある殺人事件を機に息子が探り合ってしまう。(「間抜けのふりをするのはやめてくれ」「二人で率直に、ムーサについて、父さんについて、話をしようじゃないか。彼に命令されたのか?父さんだったのか?」という序盤の台詞が、後半に効いてくる) 次の視点人物であるアンブローシオの父は、ムショ帰り。青春期の息子がいる家に帰り、息子の性格を曲げてしまう。 さらに政治的重要人物であるカヨも、禿鷲と綽名される金貸しの父を持つがゆえ、独特なセクシャリティを持つ。 というように、父ー息子ー政治や権力ー性、というテーマがあり、そこにアンブローシオの妻となる使用人のアマーリアや、差別意識の強いサンティアーゴの母や、カヨが囲う愛人のオルテンシア(=ムーサ)やが緊密に絡んでくる。もちろん性がかかわれば男女両面ひっつくのは当然なのだが。 政治劇と個人劇がつながるのが性、というのは、下衆だが、吉本隆明や埴谷雄高を連想したりもした。 ネットで感想を漁っていると、火サスをタランティーノやゴッドファーザーPART2っぽく書きました、という例えがあって、膝を打つ。 「緑の家」と較べるとスケールの小ささは否めないが、むしろ日本の学生運動を連想したり、家庭の権力性を考えたり、と、自身に引き付けて考えるきっかけになるのは、こちらかなと思ったりもした。
1投稿日: 2018.12.05
