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差別の教室
差別の教室
藤原章生/集英社
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総合評価

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    タイトルの「差別」という言葉に反応して読んでみようと思ったんだと思う。ちょっと言おうとしていることがよくつかめなかった。著者が中央大学で講義した21回分をまとめたものなので、ワンテーマに絞れるかというとそういうものでもなさそうだし、著者もそんなことを述べている。 差別とはどういうものかを説いてくれているような、それでいて自分の感覚とはズレがあるような……。差別について考えを巡らせているわけだけど、終盤で帰国子女で外国で日本人差別のような経験もある著者の連れ合いはあっけらかんとそういう人もいるんだと思っていると受け流す。差別をあげつらうのもいいけど、結局それって差別の渦中にいるわけであり、それよりは受け流すほうが強者って感じがするし、そうありたいと思うなあ。 著者は自分と似た方向性のクセがある人のような気がする。特に終わりのほうの子ども時代のいじめや教師につらくあたられたエピソードなどに自分と同じ性向を感じたよ。

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    投稿日: 2025.02.18
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    人の心に貼りつく差別の「種」は、いつ、どこで生まれるのか。 死にかけた人は差別しないのか──? 新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。 本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。 熟練のノンフィクション作家が世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。

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    投稿日: 2025.01.05
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    『絵はがきにされた少年』の作者である藤原章生氏。 同じような時期に南部アフリカに居たことで勝手に親近感を抱いていたりして、同氏のフラットで温かみのある目線で描く老人たちが印象的だった。 差別がこの世からなくなったらいいけれど、誰もがアイデンティティとして何かに属している限りなかなか無くせないものでもあるし、声高に主張するのも違う気がする、というスタンスに共感。 こんな本を読むと、書評って「上から目線」になってしまうよな、と感想を書くことをためらってしまう… このブクログにもずいぶんと勝手な、作者や関係者が読んだら怒ったりがっかりしたりするようなことや、決めつけの一般論、属性で一括りにするようなことを書いてしまってる気がする。 まずは、作者がどう思うかを想像しながら、書き込むようにしていこうと思った。

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    投稿日: 2024.10.14
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    差別は主観である、ということを事例を尽くして丁寧に説明してくれている一冊。 差別をなくすことは難しいかもしれないが、戦争当事者に読んでもらえると世の中が平和に一歩近づくと思います。

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    投稿日: 2024.03.24
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    「死にかけた人間は差別をしなくなる」…肉体から離脱したころで人間を考えると差別的意識が緩む 「差別をなくすためには熟考が必要」…差別を個人レベルに落とし込み内省し、自らの差別意識の根底に向き合う必要 「3人集まると差別が始まる」…佐藤裕(富山大学人文学部教授)『新版 差別論-偏見理論批判』の定義から筆者独自の解釈 著書では、「一般論(=偏見)」で物事を捉えることに警鐘を鳴らしながら、各章でそれぞれ代表的な差別の事例や筆者自らが感じた他者および自身の差別的経験、差別意識を取り上げ分析している 感想 差別的意識を「黒人-白人」や「ハンセン病患者」というように区分けして自分たちの範囲から切り離して考えるのではなく、ごく小さなものや日常の中にも差別や違和感があるというように個人レベルに落とし込んで向き合うというのは合理的。 「心の中の白人主義的な自分が日本人の自分を差別する」極めて巧妙な言語化。こういう捉え方をしていきたい。 人間は未知の相手には恐怖を覚えるため、何かで分類して形式に当てはめて捉えることで安心しているので、相手の人間を脱属、脱分類して向き合うのは人道的であると同時に野生的でもあるのかと思いつつ。 差別=暴力という一般論もまた差別がなくならない要因であった。

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    投稿日: 2024.03.11
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    「差別をなくそう」みたいな文言を見るたびに、なんだか釈然としない気持ちになっていた。お前はほんとに差別したことがないのか?と問いたい気分。 いじめもそう。お前は一度も加害者になっていないのか? 「差別をなくす」を考えるとき、いつも自分の中の差別感情について考える。 筆者の言葉を借りると、「心に貼り付いて」いることがある。 以前長距離バスに乗ったとき、運転手にため口でぞんざいに接され不快感を抱いたことがあった。私は30代女性一人客ゆえ、中年男性である運転手に軽んじられたと感じたのだ。しかし、その後彼によるアナウンスのアクセントを聞き、「もしかして外国籍の人なのでは?」と思った瞬間、彼に対する苛立ちが消えた。 日本語が苦手なゆえのことだったのかもしれない、と。 ーーでもすぐに、これも一つの差別意識なのではと思い至った。日本人男性に対しても、外国人に対しても。同じ現象を人の属性によって許せたり許せなくなったりするのはなぜなのか? 自分がイヤな人間に思えた。 この本で、筆者の南アでの中国系の人への取材中、「日本人がこんなところへ来るんじゃない」と怒鳴られたエピソードが出てくるが 一人ひとりの人生の中にあるトラウマ、傷、そういったもの(これはもちろんごく個人的な体験もあれば、戦争などもある)が、差別意識を生み出し、それが長い間かけて熟成されることもある。 私のバスの件で言えば、若い頃に中年男性から客としてきちんと扱われなかった経験が何度かあり、「またこれだ」と反応してしまったところがある。別に不当な扱いを受けたわけでないので、完全に過剰反応なのだが。 外国籍で日本で働いている人への個人的好感情もあったと思う。 筆者に怒鳴った中国系の女性は、筆者から後日話を聞かれた際に日本人への感情の理由を語り、日本人である筆者と打ち解けていく。 これはなんというか稀有なケースかもしれない。が、 こうあれたらいい、と思う。 個と個の直接のまじわり。すべてうまくいくとは限らないし、社会の問題が一気に解決するわけではないけれど。

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    投稿日: 2023.08.01