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帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年
帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年
三浦英之/集英社
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総合評価

20件)
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    旧津島村の記録。 東日本大震災から10年以上経っても、まだ、帰れない場所。 住んでいた場所を失うということ。 つながりを断たれるということ。 口に出せない不安を抱え続けるということ。 日本に住む私たちが忘れてはいけないことの記録。

    1
    投稿日: 2025.10.14
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    東京に住む自分にとっては、正直言って「ふるさとを失う」という感覚が分からない。 昔住んでいた実家や通っていた学校に戻れないとなっても、ちょっと悲しいなと思うくらい。 でも生活の大部分をコミュニティと共に過ごしてきた福島の人がどれほど苦しみもがいてきたかは想像できる。 自分ができることは何もないけれど、風化させず語り継いでいく必要があると思ったし、地元の声を可能な限り尊重すべきであると感じた。

    0
    投稿日: 2024.12.31
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    ネットで連載されていた時に読んでいたが、こうして1冊の本になるとまた違う。帰れない村の人たちの思いが一塊になって突き刺さる。 東京の政治家や官僚や東電の幹部たちにはわからないのではないか。故郷に帰れなくなった人たちの気持ちが。そこで農業や酪農業で暮らし、植物や動物と共に生き、親や子供、親戚、近所の人たちと一体となって暮らしていた人たち。 我慢強い人たちの我慢で成り立っている今の日本。 もっと怒ってもいいのではないか。悲しさや苦しさや目の前の困難で怒ることができない人の代わりに、もっと怒らなければいけないのではないか。

    2
    投稿日: 2024.04.22
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    三浦英之(1974年~)氏は、京大大学院卒、朝日新聞社の記者・ノンフィクションライター。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞(2015年)、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞(2018年)を受賞。 著者は、東日本大震災の直後から1年間、宮城県南三陸町に駐在し、2011年6月~2012年3月に朝日新聞に連載した「南三陸日記」をもとに、2012年に『南三陸日記』を出版し(更に、一部内容を追加して2019年に文庫化)、文庫版は平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞(2019年)を受賞している。 本書は、著者が2017年秋~2021年春に、現在も全域が帰還困難区域となっている浪江町津島地区(旧津島村)と、同地区に暮らしていた人々を訪ねた記録を掲載した、2020年9月~2021年3月に朝日新聞と朝日新聞のデジタルサイト「withnews」の記事を加筆修正し、まとめたものである(オリジナル文庫)。LINEニュースでも配信されだ記事のダイジェストは、2021年の「LINEジャーナリズム賞」を受賞した。 私はこれまで、『南三陸日記』をはじめ、辺見庸『瓦礫の中から言葉を』、門田隆将『死の淵を見た男』、眞並恭介『牛と土 福島、3.11その後』、奥野修司『魂でもいいから、そばにいて』、青木美希『地図から消される街』等、東日本大震災と福島の原発事故に関わる多数の本を読んできたが、著者の作品の特徴は、エピソード毎に、それに関連する写真が載っていることであろう。文章の力はもちろん大きいが、視覚を直撃する写真の力は、また別の強さを持っている。 それにしてもだ。現在も残る帰還困難区域の面積は約300㎢(東京ドーム7,200個分)で、旧津島村は全域がその中に含まれ、凡そ1/3を占めるのだ。行政単位で語ることにどれほどの意味があるかはわからないが、あの原発事故の影響で、この日本に「人の住めない村」ができてしまったこと(大規模な除染が行われない限り、今後100年は住めないと言われている)の衝撃はやはり大きい。 東日本大震災は、地震による直接的被害、津波による被害、原発事故による被害と、幅広い被害をもたらし、この十年間で様々な対策が取られてきてはいる。しかし、忘れてはいけないことの一つは、原発事故は人災の側面が大きかったということだ。地震と津波は、この日本列島に住んでいる限り避けることはできないが、原発事故は、原発がなければ絶対に起こらない。ドイツでは、福島の原発事故後、メルケル首相(当時)が、「日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない」として、それまでの方針を180度転換し、わずか10年で(本年4月)原発の完全停止を実現した。私は強硬な原発廃止論者ではないが、他国の災害からでも学ぶドイツに対し、自国の大惨事すら喉元過ぎれば忘れてしまう日本(の政治家や原子力ムラの人々)を、本当に情けなく思う。 著者は、旧津島村の人々の思いを代弁して、「僕たちにできることはあまり多くはない。だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。」と書いている。しかし、こと原発事故に関して重要なのは、「忘れないこと」に加えて、「二度と起こさないこと」であろう。 震災から12年を経た今、読む意味のある一冊である。 (2023年6月了)

    4
    投稿日: 2023.06.13
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    東日本大震災から帰れなくなってしまった村の記録。原子力発電所の事故で生きている間にはもう戻れないことが分かり、村を離れざるを得なかった人々の言葉は本当に胸が苦しくなるくらい。暮らしてきた家に背の高い植物がそびえ立ち、もう戻れないという現実をより現実のものとして突き付けてくる感じが辛い。

    2
    投稿日: 2023.04.13
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    東日本大震災から12年…未だに住民が「帰れない村」、旧津島村…。福島第一原発からは20~30km離れた山間に位置していたため、地震と津波の被害から逃れるための避難所として住民が押し寄せた…。その後福島第一原発事故が発生、放射能は風に運ばれ雪雨となり現地に降り注がれることになる…。避難をしていた被災者と現地の住民にその事実が知らされたのは翌日のことだった…。その日から今日まで「帰れない村」は、許可なく立ち入ることは住民でもできない…。 かつての旧津島村は、豊かな自然に囲まれご近所との顔の見える関係があったため、住民のふるさとに寄せる思いは強い…なぜ、自分たちの土地が?なぜ、自分たちが住み慣れたこの地を去らなければならないのか…せめて、もっと早く放射能汚染が迫っている情報が入ってきていれば…。住民たちの、やり場のない思い、葛藤、諦め…、そんな住民たちの今を取材と写真によってひとつずつ紡ぎ出したのが本作品です。 「白い土地」を読んだ後で本作を読めたのもよかったと思います。そして、本作の写真は表紙以外すべてモノクロなのですが、猫丸さんのレビュー中のURLをクリックするとカラーでも見られます!!猫丸さんありがとうございます。そして一部本作品に掲載されてなかった写真も見られたりもします(表紙のチヨおばあちゃん、「希望は捨てない」と自筆で書かれたボードを持って穏やかな表情をみせていました)。震災から12年経ち、地震や津波の被害を受けた地域は復興したけれど、福島第一原発事故による放射能汚染の被害地域の時は止まったままです。ここまで4冊三浦英之さんの作品を読みましたが、この4冊はいつでも手の届く場所に置き、読み返すことで忘れないでいようと強く感じました。

    30
    投稿日: 2023.03.13
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    どこに基準を置くかで、見えてくる景色は違う。人それぞれに、見える景色は違うのだけれど、事実は一つ、現場にしかない。

    1
    投稿日: 2023.02.22
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     原発事故で帰還困難区域になった福島県浪江町津島地区(旧津島村)。本書は、離散した旧津島村の人々を追ったルポタージュです。  著者の三浦英之さんは、この旧津島村に線量計を持ちながら3年半(2017年秋~2021年春)通い続けました。そして、多くの元住人から丁寧に話を掬い取り、自然豊かで美しい村が存在していた事実を記録し続けました。本書は、2020.9.16〜2021.3.31に、朝日新聞及びデジタルサイトに掲載された記事の書籍化で、元記事が「帰れない村(withnews)」でカラー写真とともに読むことができます。  基本的に、一人につき見開き2ページの記事と見開き2ページ×2枚のモノクロ写真のセットで構成されています。わずか2ページに凝縮された文章から、東電への憤り、帰還できない無念さや望郷の想いがひしひしと伝わります。また、モノクロ写真の陰影が、より深い哀しみを伝えている気がします。  震災から12年が経過し、コロナ禍もあり徐々に震災が忘れ去られようとしているのは紛れもない事実でしょうが、本書は、時間の流れに抗い、記憶の風化に立ち向かう一冊だと感じました。 
 この旧津島村は、かつて日テレ系テレビ番組でアイドルグループ「TOKIO」が住み込み、農業体験をした『DASH村』でした。「TOKIO」もメンバー3人で新「株式会社TOKIO」を立ち上げ、福島県西郷村に土地を購入。「TOKIO―BA」として福島へ恩返しをするべく、新プロジェクトを始動させているとのことです。こちらも見守っていきたいと思います。

    37
    投稿日: 2023.02.20
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    2011年以前は羨望を感じていたDASH村。場所は非公開だったので分からなかったけれど、福島であることは分かっていたので、当面再開はされないんだろうと思っていましたが、決して戻る事ができないエリアだったんですね。 そして既に12年を迎えようとしていますが、何にも未来に展望を見いだせないのがこの本を読むとひしひしと感じられます。辛い本です。

    2
    投稿日: 2023.01.18
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    2022年150冊目。 日テレの人気番組「DASH村」があることで知られた福島県浪江町津島地区の震災後の様子を綴ったルポ。 浪江町の中心部が少し前に帰宅解除となったが、山間部にある津島地区は未だ除染が行われず、帰宅困難地域となっている。 住んでいた住民は住み慣れた土地を離れ、散り散りになり、震災後亡くなる方も年々増えていると言う。 浪江町は縁ある土地であり、番組で秘匿されている時からDASH村の存在は知っていた。 地元の人たちは番組出演者やスタッフ達と良好なコミュニケーションを取り、テレビ画面から伝わってくる以上にDASH村を愛していたと思う。 それが原発事故と言う未曽有の事故により、ある日突然奪われた日常。 DASH村は隣町である葛尾村に場所を移し、米作りを再開したが、津島地区は2011年3月11日で時間が止まったまま。 政府も除染作業を行う予定がないとのことを、この作品で知った。 そして、津島地区はシベリア抑留から引き揚げて来た後、住んでいる人が多いことも。 戦争で一度土地を奪われ、原発事故でまた土地を奪われ、見知らぬ土地で終える命。 今も津島地区に帰ることを諦めない人たちにも、心を揺さぶられた。 普通に暮らしている自分に今出来ることは何なのだろう? 何年経っても忘れない。 常磐道を通る度に、戻れない人たちに思いを寄せる。 それが何になるのだろう? 答えが見つからない。 そんなもどかしい思いだけが残った。

    22
    投稿日: 2022.12.29
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    南三陸日記と並んで三浦英之記者が被災地の人々に寄り添うルポ。 これらを読んだら「原発推進」なんて言えるはずがない。 つまり読んじゃいないのでしょう。聞く力のないあなたは読む力もないのですね。 国民の苦しみに鈍感なあなたはさっさと退陣すべきです!

    4
    投稿日: 2022.11.30
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    旧津島村あこうぎ赤宇木集落 女川原発のある牡鹿半島は 規制する立場の経産省の役人に天下り先を提供する 福島県浪江町

    1
    投稿日: 2022.08.02
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    突然、故郷を捨てなければならなくなった方たち。 原発近くに住む人たちのため、避難所に選んだ村はいつもなら風向きで被害に遭わないはずなのに。 なぜか、その時だけ風向きが違い、放射能が吹き付けてしまった。 避難所の外で炊き出しをしてたら、防護服に身を包んだ人たちが来て「何をしているんだ!建物の中に入れ」と。 え?どーして、放射線量が大変だと教えてくれなかったんだろーか。 子どもたちも、外でお手伝いをしていて。 頑張ってと声をかけてしまってた… そんなこと知ってたら、違うとこに避難してたとか いろいろな後悔が出てくる。 そんな人たちの思い。 帰れるように除染してから、村を返さなきゃいけないと思うが。除染作業をしなくても避難指示を解除できる… 大丈夫なのか?? あれから、11年なのか まだ、11年なのか

    28
    投稿日: 2022.05.30
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    東日本大震災から10年以上経った今でも、住人が1人も帰れない「村」がある。東京電力福島第一原発から20~30キロ離れた「旧津島村」。2021年LINEジャーナリズム賞受賞!(e-honより)

    1
    投稿日: 2022.04.11
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    大きく変わってしまったひとりひとりの人生を取り上げるルポルタージュ。 重い。重いけど知ること、忘れないことが大事だと著者は書く。 「そう、僕たちにできることはあまり多くはない。 だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。 「僕らはちゃんと知っています。日本には人の住めない『村』があることを」 そう知ってくれただけでも、彼らはきっと喜ぶはずだ。」 〜プロローグより〜

    6
    投稿日: 2022.04.04
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    2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く原発事故、福島第一原子力発電所から20〜30kmも離れていながら高濃度汚染かつ自然豊かな里山地域だからこそ十分な除染もされず11年たった今も帰還できずにいる。テレビ番組のDASH村の舞台にもなっていた津島村、満州からの引揚者たちが自らの手で開墾そた土地でもあった~国策で翻弄され続ける現在進行形作の被害の実態を多くの写真も用いて淡々と綴られている。ふるさとを返せ!もとに戻せ!が彼らの想い。

    4
    投稿日: 2022.03.20
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    2019年3月、著者の「文庫版 南三陸日記」を読んで、私はおそらく生涯で1番読書で泣いた。大震災直後の赴任先での、コラムと写真の記録だった。 本書は、岩手県ではなく福島県浪江町「旧津島村」の「(放射能で)100年は帰れない」と言われたその後の元村民たちを取材した記録である。3年半のWEB連載だった。「南三陸」同様のコラムと写真で構成されている。けれども、私は読書中一度も涙を流すことはなかった。代わりに、どんどん塞ぎ込みたくなった。 前著は、「直後」ということもあって、町民たちの心が、未来が激しく動いていた。悲しいことがたくさんあったからこそ、展望を持とうとしていた。一方、10年後の「旧津島村」帰宅困難区域の人たちは、もう悲しみ尽くして涙さえ枯れ果てている気がする。全編展望が感じられない。怒りと悲しみはでてくるけど、未来が見えない。 それでも前書きで、三浦英之さんは写真と共に書いている。 「僕たちはすぐに多くのことを忘れてしまう。(略)でも、それは仕方ないことなのかもしれない、と僕は思う。僕たちには僕たちの生活があるし、人生をかけて夢を追っている人もいれば、大切な人を守っていかなければならない人もいる。(略)だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。「僕らはちゃんと知っています。日本には人の住めない『村』があることを」そう知ってくれただけでも、彼らはきっと喜ぶはずだ。なぜか?彼らが1番恐れているのは、人々の記憶から消し去られることだからだ」 2019年の東電旧経営陣への無罪判決に憤る春江(60)さん。 満州引き上げ者が多かった津島村。国によって、半世紀も経って2度までも家を追われたチヨ(90)さん。 秘密にされていたTOKIOのDASH村は、実は津島村だった。「撮影は無理でも、当時使われていた古民家を復興の足掛かりにできないか」と未だに草刈りの手入れをしている宝次(84)さん。いつになるのかわからないのに。 気がつかず子供たちに牛乳を飲ませてしまった酪農家の女性(62)、3月14日子供たちの「お手伝い」を応援していた児童クラブの職員(58)。今も激しい後悔に苛まれている。 精神科医は言う。「神経の覚醒が継続していて、相撲で言えば、『はっけよい』『見合って、見合って』の状態がずっと続いている」←時々私はひょんなことで不眠症になるけれども、それが目が覚めていても24時間続くということだろうか。 写真は「南三陸」よりも倍ぐらい多くなっている。しかし、暗い写真が多い。なぜなんだろ。と思ったら、三浦さんは一度もフラッシュを焚いていないのである。 今年も3月11日がやってくる。 涙は一滴も流れない。 悲しみが続く。

    76
    投稿日: 2022.03.01
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    ページをめくるたび、モノクロ写真を目にするたび、読むのがつらくなった。けれどたぶんそれは、私が普段「生き(て何かをす)る」ために、これら「帰れない村」のひとびとのことを(悪い言い方をしてしまうと)思考からシャットアウトしてしまっているからだと思う。いま、今、実際に、原発事故によって散り散りにさせられ、以前とまったく異なる生活を余儀なくさせられている方々が居られるにもかかわらず。 これだけの事故の、(これを書いているのはロシアにウクライナが侵略され、核攻撃を示唆されたとさえいわれる2022年2月28日である)また「核」ということばに背筋がふるえる広島長崎の、記録が記憶があるくにで。私たちはきょうも、自分が生きるために目を瞑って生きている…… この「村」で活動していたアイドルたちもどうしているだろう。私は以前、とてもたのしみに観ていたものだったが。 ずっと蓋をして、口を閉ざしているのは、ほんとうにただしいことなのだろうか。

    5
    投稿日: 2022.02.28
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    DASH村があった福島県津島村、放射能で村を追われた住民の今を取材し報告してくれている一冊。 当たり前だが旧住民にとって震災後のほうが良かった話は1つもなくて、相当苦労されている現実である。 原発利権が地に根付き、都市の快適生活を当たり前と普通に考えてる人が多数で、自然エネルギー系の研究投資が終わってる日本、トイレのないホテルの後始末を自分事と考える必要があるんじゃないかとずっと思っている。それをリードできるのは国だが、、、、全く期待できないっす。。。。

    4
    投稿日: 2022.02.06
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    三浦英之『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』集英社文庫。 東日本大震災の福島第一原発事故による放射能の影響で10年以上も故郷へ帰れない人びとの苦悩を描いたルポルタージュ。 変わり果てた故郷の現在と過去の幸せな日々を写した写真も多数掲載。 福島第一原発から20~30キロ離れた浪江町の旧津島村は、アイドルグループのTOKIOがテレビ番組の中で農業体験をしたDASH村があった地域である。県庁所在地の福島市の隣が川俣町で、その隣が浪江町なので福島県の中心からそう遠くない場所にある。一瞬にして消えてしまった幸せな日常。 あれから10年以上が過ぎ、世間の関心は新型コロナウイルス感染禍に移り、原発事故のことなど忘れ去られようとしている。当時はあれほど原発の再稼働に反対の機運が高まっていたのに、喉元過ぎれば熱さ忘れるの如く次々と各地で原発が再稼働している。福島第一原発の廃炉作業も捗らず、今度は溜まりに溜まった汚染水を浄化して海に放出するらしい。結局のところ、原発事故の犠牲よりも利便性の方が重要なのだ。 あの福島第一原発事故の際、当時の総理大臣だった菅直人が現場をかき乱し、官房長官の枝野幸男が「直ちに影響はない」と戦時中の大本営発表のような大嘘を吐き捲ったことを忘れてはならない。 2021年LINEジャーナリズム賞受賞作。 本体価格620円 ★★★★★

    16
    投稿日: 2022.01.27