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エンド・オブ・ライフ
エンド・オブ・ライフ
佐々涼子/集英社
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総合評価

215件)
4.4
101
69
26
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    訪問医療の世界で患者の最後に寄り添うはなし。何人もの最期を読んで自分が余命を伝えられた時どんな反応をし、それからどう生きていくのか?大切な人が余命宣言をされたとき自分はどう接するのか考えながら読んだ。’生きる’とは’死ぬ’とは人間は悩み迷う生き物としてそれをどう受け入れるのか。読み終わっても結論は出ないけれど大切な人は大切に使用。やりたいことは全部やろうと思う一冊だった。 方丈記 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる。ためしなし世の中にある人とすみかとまたかくのごとし ’楽しく楽しく’

    0
    投稿日: 2026.01.28
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    読むのにパワーがいりますが、ものすごく全力でおすすめしたい。 内容も素晴らしく、考えさせられるし、今までの自分の経験と照らし合わせてそうだなぁと思ったり、ただただ泣いたり。そして、最後は死に対して期待ができる。。 佐々さんの文章は端的で洗練されていて、こんなに気持ちを持っていかれる内容なのに、それが1ミリも感じられない。プロだと思った。 そして私は終始、物語と佐々さんを重ねて涙涙でした。5年後に森山さんとどんな会話をされたのでしょうか。 人生ってあっという間ですね。 しばらくは佐々さんに思いを寄せて、本を読ませていただこうと思います。

    0
    投稿日: 2025.10.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    在宅看護の森山さんの最期まで話 死の淵をどう迎えたいか 誰もが通るのに、知らなかった話 読んでよかった 作者の佐々さんも癌を患い、 どのような気持ちで描いていたか 以下覚え書き 院長渡辺 患者が主人公の劇でなく 一緒に舞台に上がって賑やかで楽しいお芝居をしたい 癌に対して根治を願うでもなく闘うのでなく、普段は癌を忘れ自分の人生を生きる 深刻にならずに、明るく楽しく笑っていてほしい。 母は寝たきり。胃ろうを選択したのは父。 母も介護で育ったので、迷惑かけたくなかったが、父はどんな姿でもいいから生きてほしい。互いにとって半身であり共依存 家は患者が一番良かった日々を知っている 癌と闘うとはなんだろう 死ぬことは負け?いつかは負けなければいけないの? 予後告知、受け入れるには 「あなたはどう思いますか?桜見れそうですか?がんばれそう?」 するとそうだったのかと受け入れるそう 患者の人生観を理解し、その人に応じた最後の時間を設けてくれる医者が何人いるだろう 信頼関係と、医師としてのの知識がいる

    0
    投稿日: 2025.10.05
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    亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。 幼い子どもを残して死んでいく親の姿、私も同じ立場ならこんなに強くて凛としたふるまいができるだろうか。子どもに生きざまを通してメッセージを伝えられるだろうか。 50代となり、少しずつ死を身近に感じるようになった。生き方が死に方にも繋がってる。1日1日無駄にせず、世の中の色んなものをみて経験して大切に生ききりたい。

    0
    投稿日: 2025.09.26
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    終末期の在宅看護をめぐるノンフィクション。患者の望みを叶えるべく、医師・看護師・ヘルパーの方々のチームの献身は、正直「ここまでやるのか」のレベルで頭が下がる思い。このチームの実質的なリーダー格の看護師森山さんご自身がステージⅣの癌と診断され、著者の佐々氏の取材を手助けする側から取材される側に回り、自分の生き様(死に様?)を見せる側になる。 そんな中での彼の言葉「予後を気にして生きていたら、それだけの人生になってしまう。僕は自分自身であって、『がん患者』という名前の人間ではない。病気は僕の一部分でしかないのに、がんの治療にばかり目を向けていたら、がんのことばかりを気にする人生を送ることになってしまう。闘うのではない。根治を願うものでもない。無視するのでもない。がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という、僕の『人生』を生きていたいんです」は、これが現れた冒頭61頁の段階では今一つピンと来なかったが、全編読み終えた段階では、“これが言いたかった事なのかな”と腑に落ちた。 よく言われる様に、予後を気にして病院でいくつもの管に繋がれて何も出来ないまま死を迎えるのと、たとえ痛み苦しみが増そうとも在宅でやりたい事をやって死を迎えるのとどちらが良いか。 本書を読む迄は、後者の場合は回り(家族や医療関係者など)にかかる負担から選択余地はないとの考えだったが、先述の森山氏の言葉や、いくつかの事例のうち特に森下敬子さんのもの(余命わずかな中、チームの絶大なサポートを受けて家族でディズニーランドに行って素晴らしい思い出を作った。その後暫くして亡くなるが、その臨終の場面、家族に見守られながら息を引き取り周囲が静まり返ったとき、思いがけずパチパチパチパチ…と拍手が湧き起き、みな目に涙を溜めながら、彼女の勇気あふれる姿に精一杯の賞賛を送った)から、後者もありだと考えが変わった気がする。

    0
    投稿日: 2025.08.19
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    人生後半戦、人生何があるか分からない。 成功したり後悔したり、、 人生最後の時まで精一杯に生きたい。

    0
    投稿日: 2025.08.16
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    「自分の命にどれだけ覚悟が持てるか」 「僕には、人に腹を立てたり、何かを悲しんだりする時間はないんですよ」

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    投稿日: 2025.08.05
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    どのページにも死があって、この本は評価できないなと思った。 わたしは今40歳で、両親はとても元気で、先日88歳を迎えたばかりの祖母は元気に1人で暮らしている。つまり、今日まで大切な人の死を経験したことがない。 そんな私なので、この本は恐怖でしかないはずなのに、身近に感じたことのない《死》が希望のように見えたのはなんでなんだろう。 こんな風に人生を終えたいと、生きる目標(死ぬ目標)と思えるものが見えたからだろうか。 気がつくと、付箋だらけになってた。

    1
    投稿日: 2025.07.24
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    まだ1/3ですが、ひとつひとつの言葉に考えさせられなかなかページが進みません。作者のご両親の介護エピソードを読んで、自宅で老老介護していた祖父母、もっとむかし認知症の曽祖母を介護していた母と祖母のことなど思い出しました。子どもや孫には見せたくないとキレイなところしか記憶にありません。今後訪れるであろう両親の介護、老いていく自分たちのことなど、考えるのを後回しにしていたことを考える良い機会です。

    0
    投稿日: 2025.07.17
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    人それぞれ、色々な命の閉じかたがあるものだと思った。 終末期の在宅医療、訪問看護、介護などに携わる方たちの覚悟と懐の広さに頭が下がる思いだ。

    24
    投稿日: 2025.07.05
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    「クオリティ・オブ・ライフ」という言葉をよく聞く。しかし、そもそも人生の質とはいったい何だろう。もし無理をして、本人も家族も後悔するとしたら、それはチャレンジするほど価値のあることだろうか。 確実なことなど何ひとつない。もう一度過去に戻って選択をし直すことなどできない。だが、人間とは「あの時ああすればよかった」と後悔する生き物だ。もしかすると取り返しがつかないかもしれないと思うと、末期がん患者が4時間ドライブして潮干狩りに行くと言う要望に対し、スタッフたちは、「ぜひ、実現させてください」と患者の背中を押すことをためらってしまうのだ。 それにもかかわらず、なんとかして患者の希望を叶えようとする。彼らはなぜこんな活動を続けているのだろうか。その時、終末医療の在宅看護をする医院の院長の渡辺は自分の役割について、こんな風に語っている。 「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」 渡辺は続けた。 「佐々さんは「かまいい」という言葉をご存じですか?こちらの言葉で『おせっかい』という意味です。まぁ、我々のやっていることは、『おせっかい」なんでしょうなあ。世間は自分のやることに境界を設けたがる。『私の仕事』『あなたの仕事』「誰かの仕事』というように。 自分のすべきこと以外は、だれもが『私の仕事じゃない」と言って見て見ぬふりをする。しかし、それでは社会は回っていかんのですよ」と もし、患者さんのために何かをして、それがやりすぎだと言われる職場ならしんどいでしょうね。「なにかあったらどうするの?』『どうしてそこまでするの?」と反発されたら、この仕事はとてもつらいと思います。でも、同僚がたくさんメールをくれて、支えてくれたのがとても嬉しかったです。もしかしたら、これも得たもののひとつだったかもしれません。 おせっかいすることには大変なことがたくさんあります。なにか行動しようと思えば、軋轢もある。でも、得られるものはそれ以上です。それを知っているから動いてしまうのかもしれません」 あるとき、著者はステージⅣの膵臓がんの宣告を受けた若い看取り看護師と話しをしていた。看護師は言う。 「予後を気にして生きていたら、それだけの人生になってしまう。僕は僕自身であって、『がん患者』という名前の人間ではない。病気は僕の一部分でしかないのに、がんの治療にばかり目を向けていたら、がんのことばかりを気にする人生を送ることになってしまう。闘うのではない。根治を願うのでもない。無視するのでもない。がんに感謝しながら、普段はがんを忘れ、日常生活という、僕の『人生』を生きていきたいんです」 移植に限らず、さまざまな葛藤もある。ALS(筋萎縮性側索硬化症)で人工呼吸器をつけてでも生きていたい本人と、それならこれ以上看護できないから離婚するという妻。年間一千万円以上かかる自身の免疫治療のために、住んでいる家を売ろうとする夫と、それに反対する妻。きれいごとではなかった。 助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択をすることが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ。誰だって奇跡が見たい。人間の欲をかきたててしまう。医療者側も受ける側も、奇跡が見たいという欲望、わずかな可能性に賭けたいという思いが絶対にある。 在宅看護師で自らも患者となった彼は言う。 こうじゃなきゃだめです、と言うんじゃなくて『どちらでもいいですよ』「やってみたらいいですよ、ダメなら変えたらいいんです』という一言がありがたかったりするんですよね。在宅の良さそういうところだという。危ないから、不便だから、そう言って行動を制限しがちです。でも、おうちなら今まで暮らしてきた知恵と経験があれば、ギリギリまで自立した生活が可能なんです。 患者がどういう暮らしをしたいのか。それを酌んでくれるのが、在宅の良さであり、それとそ最先端の医療なんだと僕は思います。その人の要求を一個、一個、聞いてくれて、私たちのサイズにあったものを仕立ててくれるテーラーメイド医療。在宅をこう評価してくれる学生さんがいてね。嬉しかったなぁ。

    0
    投稿日: 2025.06.20
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    人生の終わり、終末期医療について7年間取材したノンフィクション。訪問看護師で末期がんの森山さんは死の恐怖よりも、どう生きたいのかを考えていると言う。TDLに行きたい、潮干狩りに行きたいという願いもできるだけ叶える。 ※予後を気にするだけの人生は送りたくはない。ガンを忘れて僕の人生を送りたい ※最期は治療をやめ家族のなかで好きなことをして好きな場所で生きる

    6
    投稿日: 2025.05.26
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    本当に上質なノンフィクションだ。終末期医療のスタッフだった方が反対に患者側になってしまうことや、筆者の両親のこと、生きることとその終わり方が丁寧にルポタージュされている。 これは泣く。

    1
    投稿日: 2025.05.18
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    まとめきれなかった過去の取材が、取材中に親しくなった看護師の死をきっかけに本になった――そんな背景がプロローグで明かされ、過去の取材と看護師の病状が交互に語られていく構成に胸を打たれました 自分の一部でしかない病気のことばかり気にして生きたくない、という看護師の言葉が特に印象に残りました 死が近づいてから好きなことをして過ごす人たちの姿を読み、なんで元気なうちにできないんだろう?って考えさせられました 死が身近ではない今の時代、この本を読むと生きていることのありがたさに気づけると思います

    3
    投稿日: 2025.04.30
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    あとがきから、「ひとつだけわかったことがある。それは、誰も「死」について本当にはわからないということだ。これだけ問い続けてもわからないのだ。もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただひとつ確かなことは、一瞬一瞬、私たちはここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいることになるだろう。  気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へと一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他の人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を澄ませなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから、「生」について学んだ。」  がんで亡くなった義妹が最後の最後まで己の生きたいように日々を暮らした姿が思い浮かぶ。

    8
    投稿日: 2025.04.07
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    ノンフィクションライターの佐々涼子が、訪問医療の診療所を取材し、終末期のあり方を考える。患者に対して真摯に寄り添う職員や、在宅での看取りを選択する患者たち。それぞれが個性的で、物語としても面白い。著者は、この重いテーマを、迷いながらも強い意志で執筆に取り組む。著者の父親が、全身全霊介護した妻が亡くなった後、元気に暮らす様子がわかり、安堵した。

    0
    投稿日: 2025.03.20
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    市に向き合う。最後の時間をどう過ごすか。ノンフィクション。最後は幸せな人ほど周りの人たちが悲しい思いをする。そうであっても、本人が後悔なく過ごせる形を選べるのは家族にとっても幸せなこと。それを支える訪問介護士には頭が下がる。死について向き合う勇気をくれる。

    0
    投稿日: 2025.02.11
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    京都・上賀茂神社近くにある「渡辺西賀茂診療所」が舞台。 ライターの佐々涼子さんが在宅医療に同行取材したルポタージュがひとつの柱となっています。そこで働く男性看護師が若くして病気になります。彼の言葉と行動の記録がもうひとつの柱です。 佐々さんの死生観が形成されゆくできごとが数多く出てきます。 軽い内容ではありません。 買ったものの読めずに本棚に入れていました。だけど、2024年9月、佐々さんがご病気で亡くなってしまった。どれだけ敬愛していたか…。覚悟を決めて読みました。 ◎緩和ケアはより良く生きるための方策 佐々さんは「緩和治療」=終末医療、のような考えを持っている読者をそっと訂正します。 「日本人は我慢強い。今でも多くの人が耐えがたい痛みに苦しんでいるという。しかも、多くの人は、緩和治療が始まると、死が近づいているのではないかと不安になる。だが、緩和治療はより良く生きるための方策である。」 緩和ケアは、病気に対して打つ手がなくなった医療者が痛みを緩和する医療行為だけとは限らないのだそうです。痛みを和らげて気持ちが落ち着けば、人は家族や近しい人と今まで通り楽しく食事をしたり、思い出づくりに出かけたりとやりたいことをやれる。 少なくとも住み慣れた我が家に戻りたいと強く願う患者さんがこんなにもいるなんて。そのお手伝いをするのが在宅医療であり緩和ケアなのです。 ◎人生の持ち時間 男性看護師の名前は森山さん。彼は人生に残された時間をこう表現しました。残り時間ではなく持ち時間。 「その人には『持ち時間』というのがあるんです。(中略)実は医療行為と寿命との因果関係はほとんどないかもしれないのに、勝手に『もし、あの時』と考えて後悔する。」 病を得たら、なんとしてでも寛解したい。そのためならどんな医療行為も受け入れる、誰しも最初はそう考えるでしょう。しかし「そう長くない」と知ったとき、人はどうするか。 最終地点にたどり着くまでにどれだけ自分を受け入れて自分らしく生きるか、体調も悪いのにがんばれるのか。賀茂診療所の人々も含めて、迷いながらも突き進んでいるのが分かります。 「今ある命というものの輝きを大切にするお手伝いができたらいい。(中略) そう思うと、残された時間というのは、それまでの時間とは質がまったく違うものになっているはずです。もっと密度が濃いものにね」 ◎どう生きてどう死ぬのかを問われている 「亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。彼らは、我々の人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。」 この言葉はさまざまな人々の生と死を見つめてきた佐々涼子さんの死生観だと思います。 読者も誰かとの別離を経験しているでしょう。その人を思い出したり、思い出さないように努めたり。 強い意志を持って生きた人たちが家族のその後を明るく照らしているのが印象的でした。 果たして私には照らす何かがあるのかと不安にもなります。 冒頭でもお伝えした通り、著者の佐々涼子さんご自身も亡くなりました。佐々さんからの多くのメッセージを、胸をつまらせながら読みました。 佐々さんが身を削って書いてきたいくつもの書籍の意味。「どう生きるべきなのかを考えさせて」くれます。人生が”うたかた”であるにせよ、どう死ぬかを考える機会を佐々さんが与えてくれるのです。 佐々さんが著作の中で与えてくれる「幸福」を私たちは読み取りたい。生きる指標にしたい。これからも読み続けたい。そんな読後感でした。 佐々涼子さん、素晴らしい文章をたくさん残してくださってありがとうございました。将来、あちらの世界でお会いするのを楽しみにしています。 こちらの世界でお会いしたかったー。遅かったーわたし。

    0
    投稿日: 2025.02.07
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    看取る側から看取られる側に… 佐々涼子さんを知る作品でした。 死はだれにでもやってくる医療関係者や福祉関係者や芸能人だっても。 死は特別にしないようにだけど自然になるように考え方をもたないとね。 ぜひ〜

    15
    投稿日: 2025.01.19
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    京都の在宅医療診察所で働く訪問看護師がステージⅣのがんに罹り、看護する立場から看護される立場になった時、生き方、考え方が変化する様子を中心に、著者の母親の介護をする父親、在宅医療を受けた患者、その家族の物語を追い、死に際、生き様について考えさせられるノンフィクション。 この本の最初に紹介される患者の最期の願いを叶える話から、お涙頂戴ものならご免だと思いつつ読み進めたが、 患者の病気に対するスタンスや家族との関係性も様々でフィクションよりもドラマチックだったりと重い話にも関わらず、時系列ではないからか、先に先にと読まずにはいられなかった。 この本のメインで書かれている看護師が仕事で死にゆく患者に数多く接してきていても、自分がその立場になった時とでは受け止め方が全く違うということを実感させられた。 その看護師が変わってしまったと仕事関係者は思う。 だが、仕事にその人の人となりが反映されるとしても、それが本人の全てではなく、その人をを仕事を通じて知っているだけ、仕事面からしか本人を見ようとしていないだけではないかと感じた。その人の知らない面を受け入れられない、あるいは自分が見たいと思うある種理想のその人像が作られてしまっているかのように。 本人も病気になってから 「予後を気にして生きていたらそれだけの人生になってしまう。がんは自分の一部分でしかないのに」 「死ぬ人と決めつけられ、そういう接し方をされる」と言い、その人を丸ごと受け入れることの難しさを感じた。 印象に残ったのは以下の部分。 「助かるための選択肢は増えたが、選択をすることが過酷さを増し、わたしたちは諦めが悪くなっている。」 「医者は治らない人に興味はない」 病気に苦しみ家族を養えないと苦しむ患者に、看護師が「それでも生きていてほしい」という場面。 その患者じゃなくても「何のために?」と思ってしまう。 患者は気休めの言葉が欲しいわけではない。 病気で苦しみ抜き、生きる理由がわからないのだ。 健康な時には生きる理由や価値を考えることすらしないが、死に際が見えてくるとそれを求めてしまうのだろう。 本人が家族のために生きると思っている場合はそれでいいだろうが、本人が生きることを望んでいないのに家族が「わたし(たち)のために生きてほしい」と考えている場合は、患者にとって、呪いのような気もしてしまう。 自分、家族の死に際を考えさせられるが、結局は直面しないとわからないのだろうと思うのは、考えることを先送りにしているだけなのか、まだ健康だからいいやと思う心がどこかにあるからなのか。 自分で自分がわからないとはこういうことを言うのだろう。

    0
    投稿日: 2025.01.15
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    「エンド・オブ・ライフ」佐々涼子著、集英社インターナショナル、2020.02.10 316p¥1,870C0095(2025.01.02読了)(2024.12.27借入)(2020.11.10/4刷) 作者の佐々涼子さんは、2024年9月1日、56歳で亡くなりました。脳腫瘍とのことです。残念です。この本は、追悼のために読みました。 「この本は、2013年から2019年まで在宅医療で出会った人々を取材し、その姿を描いたものだ。七年の間、少なくない死を見てきたが、一つだけわかったことがある。それは、私たちは、誰も「死」について本当にはわからないということだ。」(314頁) 在宅医療でのいろんな場面に立ち会って、その様子が描かれています。対応する医師、看護師、の方々は、実によく対応しています。みんながこんなに対応してくれるわけではないでしょうけど。取材対象がよかったのでしょうね。僕もいずれ、お世話になる日が来るのでしょうけど、このような方々だとありがたいですね。 ●かつての医療(225頁) 医療にとって死は敗北であり、苦しみを取り除くことは二の次だという空気があったのだ。 助からないとなると、医師は興味を失っちゃうんですよ。 【目次】 プロローグ 二〇一三年今から六年前のこと 二〇一八年現在 二〇一三年その2 二〇一八年 二〇一三年その3 二〇一三年その4 二〇一三年その5 二〇一九年 二〇一三年その6 二〇一四年 二〇一九年 あとがき 参考文献 ☆関連図書(既読) 「エンジェルフライト」佐々涼子著、集英社、2012.11.30 「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」佐々涼子著、早川書房、2014.06.25 「死顔」吉村昭著、新潮文庫、2009.07.01 「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄・伊藤比呂美著、文藝春秋、2014.02.15 「犬心」伊藤比呂美著、文春文庫、2016.02.10 (「BOOK」データベースより) 「死ぬ前に家族と潮干狩りに行きたい…」患者の最期の望みを献身的に叶えていく医師と看護師たち。最期を迎える人と、そこに寄り添う人たちの姿を通して、終末期のあり方を考えるノンフィクション。

    0
    投稿日: 2025.01.02
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    佐々涼子さんの作品を読んだのは、『エンジェルフライト』に続いて本書『エンド・オブ・ライフ』で2冊目となりました。 本来であれば、作品の刊行順に『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』を先に読む予定にしていたのですが、佐々さんが鬼籍に入られたというとても残念な報を受けて、本書を先に読むことにしました。 読み終えたのは2ヶ月以上前になりますが、受けた感銘は今も心の中から離れません。 書きたいことは沢山あるのですが、次の2点に絞ってレビューしたいと思います。 1.最後の贈り物(プレゼント) 私が好きなシリーズ物はいくつかありますが、最も好きだと言っても過言ではない『天国からの宅配便:柊サナカ』のモチーフである「亡くなった方からの最後の贈り物(プレゼント)」という文章が少なくとも2度出てきます。 ・子どもを亡くした父親が医師に感謝の言葉を残し、その医師が父親の後ろ姿を見て思ったこと。 「亡くなる人って遺される人に贈り物をしていくんですね。その時、彼は父親の顔をしていました。子どもが父親にしてくれたんだなあって。あの子の最後のプレゼントでしたね」 ・グループホームで年老いた男性が亡くなり、妻が駆けつける。 背中の丸まった妻が不自由な足で、夫に近づき、その顔をのぞき込む。 「まあ。・・・まあ・・・」 大粒の涙がこぼれた。娘夫婦と孫も到着し、肩を寄せ合って、ひとりの男性の顔をみなで眺めている。死は残された人々の絆を強くする。亡き人の最後の贈り物だ。 『最後に「ありがとう」と言えたなら』という納棺師の方が書かれたノンフィクション作品にも同じように「最後のギフト」という言葉が出てきて、とても感銘を受けました。 その時と同じレビューになってしまいます。 少しでも悔いのない人生を送ることは、自分自身のためだけではなく、残される家族のためにもなるのだと、改めて考えさせられました。 2.死ぬ前に家族と潮干狩りに行きたい 末期ガンの患者(三十七歳女性)が、どんなことがあっても家族と潮干狩りに行きたいと希望し、医師と看護師が付き添って潮干狩りに出かける。 私事ではあるが、つい最近(本書読了後)、ケアマネージャ(介護支援専門員)の方のお話を聴く機会があり、その中で全く同じようなお話(勿論、実話)をされた時には、少しの驚きと「そうだよね」という感想を強く持ちました。 死を覚悟できた人は、残されたわずかな時間をベッドで過ごすことよりも、自分がやりたいことをやって、自然と「エンド・オブ・ライフ」,「クオリティー・オブ・ライフ」を向上させる行動をとられるのだと思いました。 最後に、佐々さんの「エンド・オブ・ライフ」がどのようであったのかは、一読者である私には全く分かりませんが、あとがきの314ページの文章は、そのヒントかもしれません。 気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へと一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を澄まさなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから、「生」について学んだ。

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    投稿日: 2024.12.31
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    この本を図書館に予約して受けとる前日に著者の訃報に触れた。 若すぎる、、、。 本書の中で著者のご両親の仲睦まじさが印象的だった。 父親はまだご存命だとしたら娘にも先立たれて心痛察するに余りある。 それにしても在宅医療すごい。 「『病める時も、すこやかなる時も、死が二人を分かつまで、愛し、慈しみ.・・・・」と誓った言葉を、お互い全うできたんじゃないかと思います。」 という言葉が出てくるのは病院では難しいのでは。 亡くなった時に自然と拍手が起きるというのもなかなか難しいはず。 ラストは感動的だった。 以下印象に残った言葉。 「もしも、この世だけでは世界は終わらないとしたら、もしくはあの世で、この世に生きてきた意味が実現されると思えるのであれば、とても豊かじゃないですか。」 「主人は病気になってからも、自分の一挙手一投足が周りにどういう影響を与えるかを、とても考えていましたね。自分のことで精いっぱいなんやろうにね。すごい人だと思うんです」 「死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。」

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    投稿日: 2024.09.26
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    在宅医療、看取りをテーマにしたノンフィクション。 私自身、看護師として既に何人者方達をお見送りした経験から、大変内容もリアルに書かれていて、現場にいるようでした。 コロナ禍もあり、ここ最近では自宅での看取りもかなり増えたと思います。 私も、家族を持つ身として、もしもパートナーが余命宣告されたら、残りの時間をどのように一緒に過ごしたいか、この本を読んで一層考えさせられました。 佐々涼子さんの本、他も読んでみたい!

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    投稿日: 2024.09.21
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    在宅医療をテーマにした本だった。 ガン患者とその家族が最期の時間をどう過ごすのか、周囲はどうサポートするのか、涙なくしては読み進められなかった。 自分も似たような仕事をしているので、関わっていた職員の大変さも共感できたとともに、親身に寄り添う姿に自分の利用者への向き合い方を考えされられた。 また自分の人生について考えさせる本でもあった。

    2
    投稿日: 2024.09.17
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    佐々涼子著 エンド・オブ・ライフ  以前フェースブックで紹介されていて、作家の佐々涼子氏が今月亡くなられてこの本手に取った。  京都西加茂診療所の在宅医療で終末医療での人間の様々な人生を経て死に臨みドキュメンタリーとして幾つかの死をとりあげている。その診療所の男性看護師がすい臓がんを原発として肺転移して1年余りのガンとの付き合いなくなるまでを主軸としてドキュメントしている。死とは何かとは言い表せないが死に臨むまで誠実に生きることと書いてます。重たい本です。

    0
    投稿日: 2024.09.16
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    佐々涼子さんが、在宅医療を取材して書かれたノンフィクション。 タイトルの『エンド・オブ・ライフ』という言葉の重みを強く感じました。在宅医療の現実を知り、渡辺西賀茂診療所の医師や看護師、ヘルパーの方達のきめこまやかさに脱帽しました。そして、なによりも在宅医療を受けていた患者さん達の病気の受け止め方や、生き方に感銘を受けました。 「亡くなる人って遺される人に贈り物をしてくれるんですね。」という言葉が、とても印象的でした グリーフをかかえて生きていくことと、いずれいつかは自分も経験するだろうことについて、とても参考になる本でした。 最後になりましたが、佐々涼子さんのご冥福をお祈りいたします。

    28
    投稿日: 2024.09.08
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    訃報に接し、まず手に取ってみた著書。 世代によって受け止め方が違うだろうなあと思います。還暦過ぎた自分にとっては、いろんなエピソードや考え方に共感する部分が多かったです。 その中でも印象的だったもの2つををフレーズに登録しておきました。 最新刊の「夜明けを待つ」を今から読みます!

    1
    投稿日: 2024.09.08
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    命の閉じ方についての本を書かれた佐々さんが今闘病しているという現実。 なんらかの形でご自分にプラスになっているだろうことを祈る。

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    投稿日: 2024.08.08
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    いつか誰にでも来る死や身近な人の別れ…。 理想の死に方…。 在宅ケア。 いろいろ考えさせられました。

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    投稿日: 2024.07.10
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    作者が取材してきた数々の在宅医療の現実、 作者が経験した親の難病の進行と介護、 在宅医療の支援をしてきた看護師が末期癌と向き合う姿、この3部を織り交ぜた構成が珍しく、繋がりを感じるため、読者の心に響きやすい。 感情的な場面をいい距離感で冷静に捉える表現は、医療関係者が日々感じていることを適切に捉えて代弁してくれているようだった。 物語としても、在宅医療の学問的な題材としても読み込む価値のある本だと思いました。

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    投稿日: 2024.06.16
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    数々の終末期の在宅診療の様子について書かれたノンフィクション。 自分に残された時間をある程度自覚しながら生きることについて考えさせられるが、それは、いま健康な人間にもできることだよな、と思った。

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    投稿日: 2024.06.13
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    初めて読む作者 佐々涼子氏の本である。 この本は、少し以前に読んだ本の中で、紹介されていた本で、図書館から借りて来た。 いつもなら、すいすいと、本を読んで行くのだが…… 私も、ガンではないが、3回の手術で、病院の生活もわかる。 しかし、読んでいて、何故か、涙が止まらない。 ノンフィクションと、思うから、余計になのかもしれない。 在宅治療の難しさ、この本の中のような親切なナースだけで無い人もいる。 赤ちゃんの誕生は、日にちが、ある程度想定される。 しかし、あの世への橋を渡るのは、誰も想像つかない。 前世で、何も悪いことをした訳でもないのに、惜しまれながら、この世を去らなければいけない。 まだ、小さい子供達を守ってやりたいのに、その願いも叶わないまま、旅立つ用意をしなければならない。 読んでいて、胸が締め付けられる。 自分の死と、向き合い、残った時間、なにをしたいか? この本に登場する人物は、身体の不自由さがあっても、気力があるのが、読んでいても、嬉しい。 自分だったら、無気力感で、一杯だろう。 チベットの子供達は、産まれた時から死ぬ為の準備をすると、……どのように死んで行くか?……正解は無い。 しかし、思い出した言葉がある。 ネイティブインディアンの言葉であるが、 人間産まれた時は、自分は泣いて誕生する。その時周りの者は笑っている。 そして、自分が死ぬ時は、自分は笑って、周りが、泣いてくれる………そんな人生を送りたい。………というような内容だった思う。 ピンピンコロリという言葉も、、流行したけど、周りの介護する側から見ると、それが、良いのかも… 本人も、苦しまずにいけるし、…… この作者のご尊父のような、介護をされる方も、いないだろう。 病院に入院した時に、看護婦のマニュアル的態度も、実際の話であるから、…… そんなことの無いように気を遣う、作者の腹立ちが、よくわかる。 7年間の記述だが、書き切れない事柄が、沢山あるだろうけど、この本を読むのに、長い時間かかった。 終末の終わり方を考えさせられた。 今は元気であっても、いずれ行く道、子供達に伝えておくべき事、自分が、やって置きたい事、……を、病院通いながら、考えている私であった。

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    投稿日: 2024.06.03
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    すごく参考になりました(笑) 父が在宅で、かなり似たような状況で亡くなりましたので、すごくよくわかりました。 わたし自身、現在は余生で、ご褒美の時間だと思っているので、次は自分の番だと自覚しています。 母を看取り、父を看取り、大きな愛犬も膝の上で看取りましたので、変な言い方だけど、死に方がわかる…というか。 でも、この本の中で、実際に自分がこの立場になるとわからない…とあったので、その点がちょっと心配。 わたしの理想は、 「なんでもっと早く受診しなかった? もう、治療のしようがない…」 という状況で、癌が見つかって、何も治療せずにギリギリまで普通に過ごして、 食べられなくなるか、自分でトイレに行けなくなったら、ホスピスに入って、 痛みを取り 息苦しさを取り 眠らせてもらう! これが理想なんだけど、ダメかな?

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    投稿日: 2024.06.02
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    自分はこんなふうに生ききれるだろうか。 人間ドックでひっかかった状態で読んだから、より、リアルにどきどきしながら考えてしまった。 リアル過ぎて、読むのが、怖かった。 怖がりながら読んだ。 自分に検査で引っかかるとか、そういうリアルな出来事が起きないと、なかなか深刻な病があると告げられたときの衝撃は想像できない。 想像できないのに、読んでも、やっぱり本当には全然わからない。 この本をいい本だなとか、誰かに勧めたいとか言える人は自身に死が迫っているなんて露とも思わなくて済んでいる人なんだろうなとかも思ってしまう。 この前検査に引っかかってMRIまでいってしまって、とても怖いからこんな感想になっているわけだけど。 でも、いざ自分に突然死が身近に迫ってきた時に、この本の人たちの凄さがわかるのかもしれない。 星とかは、つけられなかった。 「たいていは生きてきたように死ぬ」 「急に患者になる」 「そうしたら、『患者』として周りから見られるようになる」 という言葉が印象に残った。 とりあえず、再検査は〝とりあえず悪性ではない可能性が高い〟と言われて、本当にほっとした。 そうでないと、感想すらきっと書けていないだろうな、うろたえてしまって。 本当に死がそこに、近くに、あるかもしれないと思い知ったからか、ただ、毎日無事に過ごせることが嬉しくてしょうがない。

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    投稿日: 2024.05.22
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    在宅医療はそんな簡単ではないと思いますが、それでもその選択をしても後悔しない何かがあることを知りました。命と向き合う物語に出会えて良かったです。自分の生き方を見つめ直してみようと思います。

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    投稿日: 2024.05.20
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    死ほどパーソナルなものはないのに、自分の死に際して思いを分かち合える相手がいる人は少ないだろう。 読み始めてすぐに、自分の身内を看取った経験を思い出した。がんと闘おうとせず、淡々と死を受け入れている身内が家族として歯がゆくて、「もっと頑張ろうよ、絶対治るから」と励まし続けたが、それは果たして正しかったのか。 本書に登場する看護師の森山さんは、何人もの最期に立ち会ってきたプロである。でも自分ががんに直面したとき、決して聖人みたいに達観しているわけではなく、気持ちがブレたり揺れたり、もがき苦しんだりする。 著者の佐々さんは、彼の友人でもあった。病と向き合った友人の最期を書く。普通ならできるだけキレイに、どれほど素晴らしい人だったかに終始してしまうと思うのだけど、森山さんのリアルな感情の揺れ、死との折り合いがなかなかつかないさまが美化されずに書かれててすごいと思った。 森山さんが看護師として関わった方々の最期の様子も描かれるが、当然ながらきれい事では済まない死もある。「生きてきたようにしか死ねない」という言葉は残酷さを含んでいる。 わたしの身内もまた、病と闘わないと決めた胸のうちの実際はどうだったのだろう、ただただ死なないでほしいと思い、伝え続けたことを許してくれるだろうか、などと思ってしまった。

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    投稿日: 2024.04.28
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    ここ最近、「最期」に関係する本をよく読んでいる。 小説が多いのだけど、ずっと読みたかったこの本はノンフィクション。  「現実は小説より奇なり」の言葉通り、まさにドラマのようなエンドオブライフが描かれていた。 人それぞれの寿命は決まっているという考え、この手の本を読むようになり、最近はすっかり自分の中に浸透している。 今回新たに考えさせられたのは、「病気になった途端に、人は患者さんになってしまう」という部分。 それまで普通に自分の人生を歩んでいたのに、急に「患者」になり、身体面はもちろん精神面も制約を受ける。その人自身は変わっていないのに…。 こういう部分が苦しみの一つなのかなと思う。 自分や家族が何か病気になったとしても、その人らしさを持ち続けられるようにしたいなと思った。

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    投稿日: 2024.04.17
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    読みながら参考になる箇所にふせんを貼っていたら30程にもなってしまいました。いつか自分が死に至る病になった時に参考にしたいと思います。 在宅医療での“命の閉じ方”を、著者の笹さんが7年の歳月取材してまとめたものです。 プロローグは、訪問看護師の森山文則さん(40代)の身体の異変に気付くところから始まります。彼は京都の西賀茂診療所で在宅医療に携わっていて、真夜中でも早朝でも電話したらいつでも患者さんのお宅にすぐに来てくれる頼もしい看護師でした。しかしCT診断の結果、すい臓がんステージⅣであることがわかります。 この 森山さんのことを主軸に、数人の方々の在宅医療での看取りまでを追いかけていきます。 時に、思わず嗚咽してしまうほど感動的な死に方の患者さんがいらっしゃったり、激しい痛みを伴いながら苦悶の死に様を迎える患者さんがいらっしゃったり、怯えてページを捲る手が止まってしまうこともありましたが、いつか自分にも、大切な人にもやってくる「死に際」を予行演習 させてくれるような内容に、しっかり胸に刻みつけておきたいと心してページを進めました。 死期が迫った人の在宅医療という重い内容であるにもかかわらず、スルスルと胸に染み入るような筆致がいいです。 特に、著者である笹さんのお母様を、献身的に介護したお父様の究極の介護の描写は、神々しいとすら感じました。 読み終わって強く思ったのは、在宅であれ、病院であれ、病状が悪化して最後を迎える時、激しい痛みに苦しみながら死を迎えるのは辛い、ということです。 「医師は助からないとわかると興味を失う」ので「苦痛を取り除くことに関心がない」という言葉が心に突き刺さります。 緩和ケアの専門医、蓮池史画先生の痛みを抑える末期医療、京都の西賀茂診療所のように患者の側に寄り添う訪問医療、これらは朗報として心に深く残りました。 ※2020年 Yahoo!ニュース/本屋さん大賞 ノンフィクション大賞 受賞

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    投稿日: 2024.03.14
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    人の死に立ち会うとはどんなに過酷なんだろうと思っていました。病気で余命宣告されている人たちに寄り添うということは辛く自分を擦り減らすことだと思っていました。 そういった部分も書かれていますが、この本を読んで、亡くなって行く人は遺される人たちの人生に影響を与える、という所が心に残りました。 亡くなっても関わった人たちにプレゼントをくれることがある。人は亡くなっても生きている人に影響を与え続けているのだな。それなら今生きている自分の生き方を考えなくちゃなと思いました。 佐々さんを通して私もそんなプレゼントを頂きました。

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    投稿日: 2024.03.08
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    鋭い悲しみではなく、もっと肌触りの柔らかいお別れ。樹々から自然と実が落ちて離れるようなさよならの方法があるのだと、私は教えられていた。

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    投稿日: 2024.03.02
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    京都の在宅介護で看護師をされていた森山さんの患者に向き合う姿勢、自身ががん患者となったのちの心持ち、どちらにも学びを感じた。人は病気になってはじめて生と死を意識する。どう生きるか、どう死を迎えるか、私も考えながら生活したい。著者のお母さんの介護に真摯に向き合っていたお父さんの献身ぶりにも心揺さぶられるものがあり、その他の実話にも涙した。

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    投稿日: 2024.02.25
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    死は遠いもののような気がしているけど、生きているということは死と隣り合わせなんだと気づかせてくれる本。本に出てくるどの人の生き方、死に方も、とても心に残る。人生は長さじゃないなと思う。死生観を揺さぶられる。

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    投稿日: 2024.02.16
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    「人生会議」の必要性は自分自身が「ふつう」ではなくなって初めてわかることなのかもしれないなどと思ったりもする。それもまた、常日頃、自分自身が「ふつうとは?」についてもどう考えているのかが問われる堂々巡りでもあり‥。 タイトルから連想する結末と訪問医療の現場が舞台ということで、読み始めるまでに少し勇気がいる本だったけど、想像とは全然違った。

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    投稿日: 2024.01.21
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    徹底的に「死」を見つめるノンフィクション。プレゼントには向かない本だけど、たくさんの人に届いて欲しい。

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    投稿日: 2024.01.20
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    「人は何にでも意味付けをしてしまう、意味のないものには耐えられない」ということが作中書かれていたが、後半になり、その人の死にはどんな意味があったのか?残してくれたものは何か?に話が寄るのがグロテスクであった。

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    投稿日: 2024.01.15
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    佐々涼子「夜明けを待つ」を読みおえて、佐々さんの命の灯が消えぬうちに未読の作品を読んでおきたいと思ってとりいそぎ入手した。 なかなか手に取る余裕がないままぐずぐずしているうちに、文庫版が出てしまった…(2024.4.19) そしてけっきょく間に合わなかった。 佐々さんは野分の風に乗って旅立ってしまったと今朝知った。終末期のありかたを追って本屋大賞2020年ノンフィクション大賞を受賞したこの本は追悼読書になってしまった。 ある訪問看護師との出会い・交流を縦軸糸に、診療所をとおして取材したさまざまな在宅死を横糸に織りなされたノンフィクション。正解のない終末期のありかた・・・闘うのでも根治を願うのでもない、という一方で、本人や周囲の人が徹底的に信じればがんは消えるという思いを語りつづける矛盾のなかで最期まで自分らしく生きようとする姿は示唆に富む。一方で、この本に出てきた人の多くはがん患者で(森山が関わった移植医療の話も出てはくるが)、別の病気や障害などだと同じようにはいかない面も多々あると思った。 振り返って、父が家で最期を迎えられたのはやはりあの家と母の存在あってのもので、終わってみればよかったと思えるが、一人ぐらしになって三年たち、思いがけない大手術の後の入院が長引く母をこの先どう支えいつか見送るのか、そして自分自身はいざというときどうしたい(してもらいたい)のか、さまざまなケースを読みながら改めて考えずにはいられない一冊だった。終わりが近づくにつれ、惜しみ惜しみ、休み休み、少しずつ読んだ。 自身の父親が難病の母親を介護し続ける姿を見つつ、訪問医療の医師や看護師と親しくなり、共に在宅医療の現場にたくさん立ち会ってさまざまな現実に思いを巡らしてきた佐々さんご自身がどのように最期の日を過ごされたかわからないけれど、ご家族とともにすごす穏やかでしあわせなものであったと思いたいし、ご自身の体験をこうして作品にまとめて残してくれたことに改めて感謝を捧げたい。R.I.P. (2024年9月2日) *文庫版を購入したので、単行本は近く市立図書館に寄贈しようと思う。今は予約待ちも多いようだし。

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    投稿日: 2023.12.29
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    在宅での終末医療…人によって色々だ。 生きてきたように死んでいくって、そうなんだろうなと思うし恐怖でもある。家族や仲間に囲まれて死んでいく人もいれば孤独で最悪な終わり方を選ぶ人もいる。 40代だけど将来のことを考えさせられる壮絶なノンフィクション本だった。 こんな訪問診療所があるって良いな。

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    投稿日: 2023.12.26
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    在宅医療を通じた「死」への向き合い方が本書のテーマ。決して明るい内容ではないが、前向きに人生を過ごしたいと感じさせられた。

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    投稿日: 2023.12.21
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    エンジェルフライトという文庫本が良かったのでこちらも購読しました。 著者のご家族の事も書かれておりました。 残り少ない人生をどう生きるか考えさせられる内容でした。

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    投稿日: 2023.11.28
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    在宅での終末医療に取材したこの本を読んで、生きることは死に向かうことだし、死を考えることは生を考えることだと、つくづく思った。「生きてきたように死ぬ」という言葉に、まずは今、今楽しく生きよう、やりたいことをやろう、意味のない我慢はやめよう、感謝は言葉にしよう、なんてことを思う。 病を受け入れられず病にがんじがらめになる人もいる(身近にもいた)。介護に苦しむ人もいる(「ロストケア」を思い出した)。でも、死期が迫ってなお、病人としてではなく、個人として生を全うしようとする人、それを支える人を知ることができて、よかった。 肉体が死を迎えたあとも、誰かの記憶のなかで生きていられるように、生きよう。

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    投稿日: 2023.11.05
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    こんな死に方が出来たら、こんな送り方が出来たらと思う本だった。その為には知識がいる。だれかに委ねてばかりだとここには辿り着けないのかもと思った

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    投稿日: 2023.09.26
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    自分はどんな終わりを迎えるんだろう。 様々なケースの在宅医療を通して、死と向き合う患者と家族の思いなどがあって、深い作品でした。

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    投稿日: 2023.09.13
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    本屋大賞 2020年ノンフィクション本大賞 受賞作! ノンフィクション作家の佐々涼子氏が、京都の上賀茂神社近くにある渡辺西賀茂診療所を通して、在宅医療、すなわち終末医療の実態を取材した作品です。 様々な人の最後が克明に記されていて、どのケースもずしりときます。何が正解で、どうしたらいいのかは、永遠のテーマなんでしょう。 とにかく、すごい一冊です。

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    投稿日: 2023.09.11
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    在宅看護は家族も患者も壮絶な毎日とイメージしてる。スタッフとして支え続けて生きてきた看護師が自身が患者となってしまう。人生の終わりから見えてくる事を教えてもらう本。

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    投稿日: 2023.08.29
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    亡き人から私に届いた 大きな贈りもの。 それは、人生が有限で あることの教え。 限られた上映時間の中、 どんな役をどう演じる べきなのか。 むやみやたら怒ったり 拗ねたりしている場合 じゃない。 そんな端役でいいの? と気付かせてくれます。

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    投稿日: 2023.08.20
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    こんなにサクサク読めるとは思わなかった。 死よりもどうやって生き終えるのか、言葉にするのは難しい。自分だったら?病院?家?多分その時にならないとわからないのだろう。

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    投稿日: 2023.08.05
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    在宅での終末期医療に取り組む京都の診療所の医師や看護師と最期を迎える患者、特にそこの看護師で自らも末期がんとなった男性看護師・森山文則さんの姿を通して、終末期の在り方を考えるノンフィクション作品。 幼い頃よりタナトフォビアの自分にとって、死について向き合い、考えるために非常に有益な書籍だった。 特に、終末期医療にずっと従事し、患者に対し死への受け入れをサポートしてきた森山さんが、いざ末期がん患者となり、死と向き合う立場となったときに、死をなかなか受け入れられず、スピリチュアルな方面に感化されてしまうというのは、とてもリアリティのある話で、自分のことのように心が締め付けられた。正直、自分の中のタナトフォビアは本書を読んで悪化してしまった感もあるが、これはいつかは誰もが向き合わなければならない現実であり、貴重なケーススタディであると思った。 また、難病の妻を誠心誠意介助する夫という著者の両親の姿は、とても理想的な晩年の夫婦の在り方だと思った。なかなか困難な道だとは思うが、自分も著者の父親のようにありたいと感じた。

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    投稿日: 2023.07.02
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    看護師であり妻と娘ふたり4人家族の彼に、膵臓癌が見つかり、自身で予後半年と見立てた。 著者は、彼の所属する在宅医療チーム会社と患者さんとその家族と関わりつつ、記録する。 さまざまな、エンド・オブ・ライフを教えてくれる。 特に、著者の父と父が介護する母の描写に深く感銘を受けた。

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    投稿日: 2023.06.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    エンド・オブ・ライフ 著者:佐々涼子 発行:2020年2月10日 集英社インターナショナル 誤解されるかもしれないが、この著者はどうしてこんな素晴らしい最期にばかり出会えるんだろう、と少し感じてしまった。他人の今わの際をねたに書いた本は、少なくとも僕の好みや興味の範疇ではなかった。しかし、この本を読んで、人の死に接することの意味や意義が理解できてきた気がする。それほど素晴らしい本だった。 昨年の秋、同じ著者が書いた「エンジェルフライト~国際霊柩送還士」を読んだ。2012年の開高健ノンフィクション賞受賞作品で、Amazon Prime Videoのオリジナルドラマにもなり、この春から配信されている。主演は米倉涼子で、全6話。これも非常に面白かった。こちらは死体を扱う人たちのお話で、外国で死んだ日本人の遺体が運ばれてきたら綺麗にしてあげたり、時には外国にまで行って遺体を引き取って一緒に帰国したり。さらには、日本で死んだ外国人をエンバーミングして送り出してあげたりもする。死体に関しては、さらに興味がなかったが、本とドラマを見て、その意味や意義を少し感じ取れるようになっていた。 きのう、図書館でこの「エンド・オブ・ライフ」があったので借りてきた。「エンジェルフライト」よりも面白かった、というか、素晴らしかった。良い本だった。一言でいうと、在宅で終末医療を受けている人たちに関するルポルタージュ。2013年から2019年にかけて、あしかけ7年にわたる取材をまとめ上げた〝大作〟でもある。2013~2014年のルポルタージュと、2018~2019年のルポルタージュの2本立て構成で、それらがほぼ交互に紹介されている。 基本的には、京都で訪問医療を行っている渡辺西賀茂診療所に所属する訪問看護師・森山文則が主役で、彼や他の看護師、医師、ヘルパーなどがケアする患者が、在宅で亡くなる様子をルポしているが、そこにはなんとも言いようのない辛くも美しく、しかも安心感までもが漂う死がある。時には息を引き取った瞬間に静かな拍手がわくことすらある。言うまでもないが、「早く死んでくれ」と周囲が望んでいる人が死んで喜んで拍手している、という拍手ではない。 こうした何人かの死をルポしている最中に、著者の母親が難病になり、目ぐらいしか動かせなくなる。献身的、かつ、美しく介護を続けるその夫(著者の父親)。やがて、息を引き取る。これもルポルタージュしている。それだけではない。なんと、主役の森山文則が余命いくばくもない癌だと分かる。本の締めくくりは森山の死。49歳。なんということかと思うが、両者ともその終末期は著者によって記録され、世に大きな余韻を残すものとなった。 しかも、話はこれだけではない。著者の佐々涼子氏は、昨年(2022年)12月13日、脳腫瘍が判明したと公表した。5年生存率16%、患者の半数が亡くなる「生存期間中央値」は1年と告げられた。もちろんこのことは、本書には書かれていない。朝日新聞の報道から引用した。 今、著者は自らが終末を迎えるかもしれない状況にある。なんという神の悪戯なのだろう。そう思いたくなる。 以下、翌日に追加。 *********** 森山文則(48)は2018年8月、すい臓癌が肺に転移していることが判明。がんは原発がどこかにより生存率が変わり、すい臓癌が原発の場合は他のがんと比べて低い。この時点でステージⅣ、5年相対生存率は1.5%。 末期癌女性、木谷重美(37)。ステージⅣ、食道と期間が穿孔しており、京大病院から一時帰宅させたい。目的は、夫と小学5年生の娘とで潮干狩りにいくこと。7月26日、渡辺西賀茂診療所の蓮池史画医師(緩和ケア医)が担当し、尾下玲子看護師(緩和ケア認定ナース)、唯一の男性看護師の森山文則、若手男性職員の岡谷亙(わたる)の3人が同行。愛知県の知多半島へ。途中で非常に状態が悪くなるが、次に入院したら帰れないと言われているので行くことに。あさりはなかったが、なんとか潮干狩りを楽しみ、患者本人も水着に着替えて車椅子で海に。家族で思い出をつくり、家まで帰り着く。数分もしないうちに旅立った。 著者は2012年のエンジェルフライト受賞以来、死をテーマにしたものを多く書いてきたが、人の不幸を書くことに、不幸が好きではない自分と矛盾を感じるようになっていた。死をテーマとしている執筆活動をどこかで望んでいる自分がいた。不幸を嫌いながら、不幸をのぞき込むのをやめられない。そんな自分自身に倦(う)んでいた。2018年、森山文則の重病を知らされた当時、執筆活動は開店休業中だった。うしろめたい気持ちを抱えたまま無理に仕事をしたのがいけなかった。また、卵巣を取った婦人科系の病気のせいもあるかもしれない。 近代ホスピスの創始者シシリー・ソンダースの分類では、痛みには大きく分けて4つの種類がある。 身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペイン。 篠崎俊彦、61歳(2013年)は、すい臓癌で化学療法をしていたが2月にひどくなり自宅で緩和ケアを続けていくことに。残りは2~4週間。ダンガリーシャツにヒゲ、芸術家のようにも見える。ログハウス風の郊外の一軒家。森山の企画でハープの演奏会。満足する妻と2人の息子。静かに終末を迎えた。 森山はもともと大学病院で働いていたが、京都の堀川病院で「わらじ医者」として親しまれた早川一光に憧れて在宅医療を志した。 52歳、男性(2013年)。骨髄梗塞で24時間の激痛。痛みを取る方法は見つからず、在宅療養することに。健康関係の仕事をしていたが、菜食主義者だったため極端な栄養失調状態だとの検査結果も。在宅診療に行くと、一方的に話し始める。1歳の娘が妻にまとわりつき、妻は私のことはなにもできない。自分に生きている意味はあるのか? ある日、妻から電話。刃物で自殺をはかった。なんとか命はとりとめたが、自宅に帰しても妻は自殺を止められないかもしれない・・・結局、離婚。両親のもとで暮らすために他の町へ。数年後、両親から連絡。首を吊ったとのこと。 著者の母親は64歳の時に発症し、7年間闘病していた(2013年時点)。徐々に手足が動かなくなっていき、要介護5に。マスコミにもよく出ている脳神経外科に通っていた。有名なその医師は若年性認知症だと診断したが、素人目にも誤診はあきらかだった。「でも、頭ははっきりしているんです」というと、高慢な医師はヒステリックに怒りだし、「無知だ」と大声で罵倒した。その後、大腿骨を折る大けがも。別の病院にいき、「大脳皮質基底核変性症」という、脳内の運動を司る神経が消えていく病気で、パーキンソン病とよく似た症状を示す。 75歳になろうとしている夫(著者の父)は、妻を大切に、丁寧に介護した。胃ろうも躊躇なく選択。下の世話では肛門に指を入れて便を出す。痰を綺麗に拭き取らないと固まってしまい口の皮膚が剥がれることも。綺麗にした後は妻が好きだった化粧水も塗る。デパートで探して買ってきたもの。最初は買うのが照れくさかったが、慣れると店員とも顔見知りになった。 ある時、状態が悪くなって入院へ。しかし、看護師が忙しいせいか痰をとってくれない。吸引器で吸引していると看護師に見つかり、厳しく注意される。勝手にするな!と。しかし、いついっても痰が固まってこびりついている。鼻に入れる管を乱暴にしたせいか、鼻血をだしていることもあった。1度だけ、看護師に激怒した夫。しかし、すぐに謝った。憮然としたままの看護師。奇跡的に状態が良くなり、退院できることに。その後は在宅で2人なかむつまじく終末を迎えていった。 森下敬子、42歳(2013年)は、4年半前に胃がんを発症し、何度も手術。今回もして戻ってきた。夫、中学生と小学生の娘。家族でディズニーランドに行くことになった。敬子の病症は行くまでにさらに悪化していた。がんは膀胱に浸潤し、神経を圧迫。人工肛門をつけたが、薬を飲むための水分だけで下痢。栄養剤で辛うじて命をつなぐ状況。延期をするともう2度と行けない。彼女は看護師の吉田真美に相談した。吉田もがんで人工肛門・膀胱をつけながら働く身。吉田に背中を押されて行くことに。著者も合流し、取材。一泊のディズニーを楽しみ、翌日に入院。数日後、著者は病院を訪ねる。敬子を含め、家族が満面の笑みで迎えてくれた。10月だった。12月に危篤に。声が出せなくなったが、くりくりした大きな目を開けて、その場にいた全員の顔を見渡した。家族「頑張れ、すごいね」との励ましで、一生懸命呼吸。やがて最後の一呼吸に。周囲が静まり返る。パチパチパチ・・・・。思いもかけず拍手が起きた。敬子の姉だった。続いてその場にいた人たちから次々と拍手が沸き起こった。いつまでも続いた。みんな目にいっぱい涙をためながら、彼女の勇気あふれる姿に精いっぱいの賞賛を送った。ホスピス病棟でのこと。 渡辺西賀茂診療所で週に1度診察をしている医師・早川美緒は、「主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまうんですよ」と言う。彼女は大きな病院時代、癌の子供たちを診ていた。「ドラマでは大抵、純真で無垢な天使みたいな子が出てくるが、そんなのフィクション。ほとんどがふてくされて、甘やかされて、わがまま放題です」。彼女が担当だった少年のことを話した。 離婚して父親が子育てし、息子は16歳のがん患者。サッカーを諦め、病院生活。父親は会社員で忙しく、病院に来ても息子との間を持て余し、5分ほどで帰ってしまう。そんななか、主治医が帰りたい?と聞くと、どうせ無理でしょと息子。訪問医療に切り替えた。父親は介護休暇を取って介護。親子の関係が復活し、夜中も息子の背中をさするなどした。すると息子側から、24時間もお父さんが大変だから病院に戻るよと言い出した。救急車で病院に戻ると、2日後に死亡した。 「亡くなる人って遺される人に贈り物をしていくんですね」と早川。 早川医師と著者があるところに同行したある日のこと、前の患者の往診が長引き、次の家に置くのが遅れてしまった。連絡はしていたものの、扉を開けるなり中尾彬にそっくりの、いかつい家族がカンカンになって出てきた。医師と、看護師、著者の3人は正座させられ、1時間半の説教を食らった。 森山文則が死亡したとき、妻のあゆみは、朝日を浴びて安らかな顔をして眠っている森山をみつめながら、2人の娘たちに促した。「おとうちゃんに拍手」。親子は3人で拍手した。かつて森下敬子が亡くなった時に起きた拍手だった。自分もそうやって送ってくれと本人から言われていたという。

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    投稿日: 2023.06.07
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    【感想】 私は余命について考えたことがない。死を迎えるのはまだ何十年も先のことであり、人生を回顧するにはあまりにも若すぎる。だがもし、自分の寿命が急にあと半年に縮んでしまったとしても、果たして姿勢を正して人生と向き合う気持ちが湧くのだろうか。 残りの人生の過ごし方を考えに考え抜いた人であっても、いざカウントダウンが始まってしまえば、全く違う余生の送り方が脳裏をかすめ、有り得たかもしれない選択に後悔し続けるに違いない。 結局のところ、がん患者の気持ちは、がんになった者にしか理解できないのだ。 効き目の怪しい民間療法に頼る人を見て、自分はああはなるまいと誓う人。延命治療など受けずに、潔く最期を迎えたいと思っている人。そうしたゆるぎない信念を持っている人こそ、是非この本を読んでほしい。その決意は続くことなく、生と死の狭間で最期まで揺らぐことになるだろう。 この本は、訪問看護師として死を看取ってきた男が末期がんになったとき、残された時間をどのように過ごすのかを綴るノンフィクション作品である。 末期がんにかかった森山は、かつては訪問看護師として何人もの死を看取ってきた。患者の側に寄りそう中で、死を前にした人間達の葛藤をありありと目にしてきた。 そんな森山は、自分の死が眼前に浮かび上がったとき、治療を行わないばかりか怪しげな自然療法にのめりこんでいった。 きっと彼の周囲の人間は、口に出さないまでも訝しがったことだろう。「少しでも長く生きる可能性に賭けないのか?残り少ない時間を、何故怪しげなエセ医療で無駄にするのか?」 この本を読む自分も、ページをめくりながら戸惑いを隠せなかった。「筆者と共著を書くつもりの人間が、何も言葉を残さずにのんきに過ごしている。他人の生と死を見続けて、自分もその渦中に加わった人間など、世界でも数えるほどしかいない。それなのに何故、後のない人生を無為に過ごし、自分の価値を無駄にし続けるのか?」一読者の自分であっても、そんな思いを強く抱いていた。いわんや森山の関係者たちは、彼の意思を尊重する思いとやりきれない気持ちの間で葛藤していたに違いない。 見込み通り、彼のがんは治ることは無かった。自由に動けなくなった彼は自宅のベッドで治療を行う生活になった。いよいよ今際の際が見えてきたとき、筆者は森山に尋ねる。「訪問介護について思うことはあるか?」それは筆者の誠実さから出た、もうじきいなくなる男の生きた証を少しでも言葉として残しておくための質問だった。しかし、この質問に対して、森山は半ば苦笑しながら告げる。 「これこそ在宅のもっとも幸福な過ごし方じゃないですか。自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら『よし、行くぞ』と言って、好きなものを食べて、好きな場所に出かける。病院では絶対にできない生活でした。」絶え絶えに絞り出した言葉には、彼の死生観と生きざまが強く表れていた。 私は思わず涙ぐんでしまった。 死の淵にあって、ここまで強くいられるものなのだろうか? 森山の境遇を考えれば、弱音や後悔を口にしてもおかしくない。それなのに、彼はこの短い数か月がまるで天寿を全うするよりも尊い時間だったというような素振りで、集まった人々に感謝の意を述べたのだった。 「あのとき森山が治療を受けていれば、もう少し家族と長くすごせたかもしれない」「がんが転移した臓器を移植することができれば、健康体に戻って幸せな生活ができたかもしれない」 そう考えるのは我々がたくさんの選択をできるからだ。しかし、選択はいつだって結果論だ。「ああしておけばよかった」という後悔は、結果が上手く運ぼうとも頭を離れることはない。 何人ものがん患者が、宗教や自然療法の道に進む。最先端医療でなら助かるかもしれない道を捨て、自分の意思と気力だけを信じ、勝ち目の薄い方法に賭けていく。私は高慢にも、そうした選択をする人間を愚かだと思っていた。可能性の低い選択をむざむざ選ぶ理由など無いと考えていた。 しかし、この本を読んでからその認識が変わった。何が正しくて何が間違いなど、誰が決められるというのだろうか。命の長さと人間らしい生活のどちらに価値があるのか。自分が納得する生き方と家族が喜ぶ生き方のどちらが正解なのか。 ――森山の選択は、果たして正しかったのだろうか。 その答えは誰にも分からない。けれども、彼が息を引き取った後、残された人々からは溢れんばかりの拍手が送られた。 きっと、それが答えなのかもしれない。 【本書のまとめ&メモ】 院長「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」 「この渡辺西加茂診療所は、それ以上の見えない何かを、患者さんからいっぱいもらってきたんです」 「おせっかいすることには大変なことがたくさんあります。なにか行動しようと思えば、軋轢もある。でも、得られるものはそれ以上です。それを知っているから動いてしまうのかもしれません」 森山の仕事は、患者が死を受容できるように心を砕き、残された時間を後悔のないように生きるよう導くことだった。しかし、既に自分が終末期に近づきつつあることを知った彼は、「生きることを考えています」と言った。 森山「若いのにかわいそうとか、大変だとかということばで片付けてほしくない。そこには長さで測れない、命の質というものがあるはずなんです。かわいそうというマイナスな言葉でくくってしまうのではなく、病の中にある幸福を照らし出せないかと思うんです」 森山は代替医療、ホリスティック医療と呼ばれるものに急激に惹かれていた。自然の中に身を置き、自然食品を食べ、湯治に行く。森山の言い分は、「そもそも身体の声を聞かずに、ストレスを貯めたからがんは顕れた。だから、自分の身体が喜ぶ場所に行きやりたいことをやる。それが自然治癒力を高めることにつながる」ということだ。 こうした急激な宗旨替えに家族も同僚もついていけない。 彼は信じているというより、迷っているように見えた。治るのだと信じきれない自分を何とか信じる方向へ持っていくように懸命になっていた。そして周囲の戸惑いに自分を投影してしまうのか、「周りが信じていないから、自分も完全に信じきれないのだ」と八つ当たりをしていた。 周囲の人間は、彼の今までの看取りの経験が彼自身を救うのではないかと期待をしていたが、病状が進むに連れ本人は仕事から遠ざかり、在宅医療や在宅介護から距離を置く一患者となった。しかし、たくさんの人を看取ってきた森山は、自分に降りかかる死への心の準備をしていなかった。 「がんの言い分も聞き、環境を変えて自分の行動も変えることで、潜在意識の中にあるセルフイメージも変えてしまえば、がんも消えてくれる」。森山はどんどんスピリチュアルに傾倒していった。 しかし、彼のがんへの態度の中には、森山自身の死生観と看護師としての仕事観が根付いていた。 森山が前職の臓器移植について語る。 「生きていてほしいんです。どんな手を使ったって」 だが、そうやって頑張らせることがその人にとって幸福だろうか。そこまで頑張らせてこの世に引き留めることが、その人のためだろうか。妻が自分へのドナーを拒否したために離婚を決意した夫、自身の免疫治療のために住んでいる家を売ろうとする夫とそれを止める妻、臓器移植はドナーの関係者に道徳的正義のあり方を突き付ける。 助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択をすることが過酷さを増している。私たちは諦めが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか?西洋医学の道を捨て自然療法に頼るべきなのか?患者と家族には奇跡が見たいという欲望、わずかな可能性に賭けたいという思いが絶対にある。しかし、私たち人間に正しい答えは分からない。 「どれだけ医師が手を尽くしても、再移植、再々移植をしなければならない子はいる。患者は、そしてその家族はどこまで頑張ればいいのか?誰も決められない判断を親が下せというのは酷ではないか?」 「僕らは本来、そういった希望を持てなくなってしまった人の背中を押して、不安を煽らない医療やケアをどれだけしてきただろう。人間の本来持ってる力はそんなもんじゃないんだよと言ってきただろうか。」 人は、何に癒やされ、どんな治療を受けるのか。何を信じて、どう死んでいくのか。唯一絶対の正解などどこにもない。それを森山は知っており、自分の命に覚悟を持っている。知っているからこそ、自分の意思の力を信じて西洋医療と袂を分かったのだ。 昔は患者を死なせないことが大切であった。そして、医者はそのためには手段を選ばず、人間を人間と扱っていなかった。しかしながら、患者にとって一番大切なのは「苦痛を和らげること」である。そのためには治療を受ける場所は関係ない。病院でも、自宅でも、患者が一番幸せだと思う場所で看取ってあげるのがいい。そしていい死に方をするには、きちんとした医療知識を身に着けたいい医師に巡り合うことだ。 全ての治療を止め、ついに床に臥した森山は、臨終の間際で在宅医療の素晴らしさを語った。 「これこそ在宅のもっとも幸福な過ごし方じゃないですか。自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら『よし、行くぞ』と言って、好きなものを食べて、好きな場所に出かける。病院では絶対にできない生活でした」 終末期の取材。それはただ、遊び暮らす人とともに遊んだ日々だった。そして、人はいつか死ぬ、必ず死ぬのだということを、彼とともに学んだ時期でもあった。たぶんそれでいいのだ。好きに生きていい。森山はそういう見本でいてくれた。 2019年4月27日6時40分、多くの人に見守られながら森山は息を引き取った。看護師としての人生を全うした森山には、溢れんばかりの拍手が送られた。

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    投稿日: 2023.05.08
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    いつかは在宅医療やホスピスに関わりたい、家族を在宅で看たいという人におすすめの本です。 贈り物を遺して旅立っていく という言葉が在宅で看取るということをあらわしているようで、印象的でした。仕事柄、人の死に慣れてしまっているところがあるが、最期をご家族に看取ってもらえる人は幸せだといつも感じる。コロナ禍のせいで病院ではそれができなくて、、みなさんとても穏やかなお顔なのが唯一の救いになっているのかな。

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    投稿日: 2023.05.05
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    出会えてよかったと心の底から思われる一冊。 「命の閉じ方」、20代の私にとっては近くような遠くようなテーマである。しかし、佐々さんの文章を通し、この本に出ている方々に出会い、たくさんのことを学ばせていただいた。私たち、毎日の一瞬一瞬に小さく死んでいて、小さく生きている。死とは、老後、病気や意外にあったときだけに向き合うものでなく、いま、息をしているこの一秒一秒の中で向き合うものだ。 「好きなように生きる」、「自分らしく生きる」、それができるには自分自身だけの努力じゃ足りない。周りの愛情とスキルに支えられることも必要なのだ。私は自分の愛するひとたちの「生き抜きたい生きざま」を支えることができるのだろう。 ✲ 読んでいる中に、何度も涙ぐんでしまった。鋭い悲しみを持つお別れ方だけでなく、よく頑張ったね、お疲れ様という拍手で送られるようなお別れ方もある。命の閉じ方に対し、さまざまな受け止め方、向き合い方があるから、生きるということが豊かになるのだろう。 「遺された人々の心に、敬子が手渡したものが、息づいている。」本の中に出会った背筋を伸ばして芯強く持っている人たちになりたい。自分のいのちだけでなく、周りの人のいのちの向き合い方に寄り添って支えられる人間になりたい。 円(環)と縁の考え方がとてもすき。人類が営々と続けてきた命の円環の中に私もいる。この円環をどんどん広げ、いろんな人を抱擁できるように自分なりに頑張りたい。 7年間わたった取材記録で、このような形に出会えるのは、佐々さんをはじめ、本当にいろいろな縁と人に感謝しないと。ありがとうございます。お疲れ様でした。力強く拍手を遠い彼方にいるきみへ。

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    投稿日: 2023.04.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2023.3.31読了 4.5 切なくて、泣けて、読み進めるのがしんどかった。 著者が今現在、脳腫瘍で闘病されているという事を記事で読みました。 ご自身のご病気と、どう向き合っておられるのか残酷かもしれないけれど、教えて欲しいです。 やはり緩和ケアを最大限受けても、苦しむのだなぁ、と改めて考えさせられたし、大切に生きていきたいと思いました。

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    投稿日: 2023.03.31
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    ありきたりのドキュメンタリーではなく、引き込まれた。やっぱり死ぬのは怖い。気づかないうちに銃で撃たれて死ぬくらいが良いのか。 死が身近なとこにないから、現代人は準備ができてない。食べてる肉も遠くで殺されて手元に来る時はその動物の死を感じることができない。 癌の最後の痛みはつらい。セデーシヨンしたい。辛い思いするくらいなら安楽死したい。まじでいつ自分の身に降りかかってくるかわからない、怖い。死の準備、どうしたら良いのか。準備しても死期がわかれば、死ぬ程恐怖に襲われるんだろうな、嫌だな。

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    投稿日: 2023.03.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    メモ書き含む ----- 在宅医療 緩和ケア Home(我が家)、House(家) 「いい医者に出会うか、出会わないかが、 患者の幸福を左右する」 痛みには大きく分けて4つの種類がある。 ①身体的な痛み ②精神的な痛み ③社会的な痛み ④スピリチュアル・ペイン スピリチュアル・ペインとは直訳すると「魂の痛み」「霊的な痛み」である。 「自分の人生の意味はいったい何だったんだろう」と考えたり、自分の存在が無に帰することを想像して絶望してしまうことなどを意味し、感情よりもっと奥深くにある、魂の苦しみととらえられている。精神的な痛みは、生きていく上での人生の一部についての心の痛みだが、スピリチュアル・ペインは自分の人生全体の意味がわからないという苦しみである。 エリザベス・キューブラー・ロス 「受容の五段階」 死が近づいてくると、たいていの人はまず否認をする。次に怒り、取引の感情がきて、抑鬱、そして受容という段階をたどるという説。 生きる意味とは何か? ロックトイン(閉じ込め)症候群 頭が明晰なまま、運動機能が失われていく状態 大脳皮質基底核変性症(難病) パーキンソン病によく似た症状を表すことから、パーキンソン病症候群とも呼ばれている。 認知症で徘徊がやまない患者 ●最初は問題行動とみなが迷惑がっていたが、よく聞いてみると元警察官だという。彼は、毎日町の平和を守るために律儀にパトロールに出ているのだ。その理由を知って以来、スタッフはみな「パトロールにお出かけですか?」と声をかける。彼は安心したのだろう。険しい表情が和らぎ、夜にはよく眠るようになった。 ●5人の子持ちだった主婦は、人形をおぶって歩きまわる。子守歌を歌って徘徊。彼女はいまだに子育てをしているのだろう。 認知症の人の行動を無理にやめさせると問題行動がひどくなるという。 evidence(エビデンス)= 証拠 主治医の大切さ 主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまう。 在宅だからいいとは限らない。 いい死に方をするには、きちんとした医療知識を身につけた、いい医師に巡り合うこと。 その見分けかた... その方法がないから問題。 -------- 父は私が20歳のときに癌で亡くなっている。 母は今年90歳と高齢。乳癌、甲状腺腫瘍、脳血管に詰まりがあるなど病歴があるものの、今は何でも自分のことは自分でできている。けれど、いつ何が起こるか分からず、何かあったときには在宅医療・看護してあげたいと思っている、、が。 本書に登場するような医療機関やスタッフはまだ少ないだろう。 在宅医療と看護の壁は相当高そうだな、、 よく考えておかなければ。

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    投稿日: 2023.03.28
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    どこかの書評で知り、自分も訪問の仕事の一端にいる身として、何気なく図書館から借りて読んだもの。 日頃ノンフィクションとはあまり縁がないため、佐々涼子という書き手も知らなかった。 それが、数頁読んで、これはえらいものと出逢ってしまったとおののいた。 言葉が、どれも自分の視界を広げ、足元を照らしてくれるようで、拾っても拾っても追いつかない感覚だった。 「先に逝く人は、遺される人に贈り物を用意する」p302 一足先に「卒業」していった人生の先輩方に、限りない敬意を表したい。そして、彼らが示してくれた道標を、いつか自分も苦しみながら迷いながら辿る時、佐々さんのくれた言葉を思い出したい。 佐々さん、ここまで死と生の在りように近づいたあなたが、今病に侵されていると知って、胸が締めつけられます。と同時に、あなたの物語が聞きたい。もっともっと聞いていたい、と願ってやみません。

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    投稿日: 2023.03.05
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    終末期の患者さんを看取っている京都の在宅医療を長期間取材され、その中で働いていた40代の男性看護師さんも癌にかかってしまい最期を迎える。また、著者のお母さんも難病にかかりご主人の献身的な介護に見守られながら生を全うされた。それらの詳細な記録。40代の男性看護師さんは多くの患者さんを看取っており終末期医療に関しては多くの人に良い影響を与え指導する立場だったが、ご自身の癌については受容までの道のりは険しいようだった。死を間近で見続けていても実際に自分の身に起こりそれと向き合うことがどんなに難しいことか改めて知った。ただ、それでいいんだとも思う。それぞれの考え方や過ごし方があってそれが思っていたのと違ってもいいんだ、と。また著者のお父さんが素晴らしかった。奥さんへの介護も凄いが、亡くなった後も世界一周旅行に行ったと書いてあった。このバイタリティーは見習いたい。

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    投稿日: 2023.02.19
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    大好きな本屋さん閉店の際、著者の別の本が置いてあったので気になって読んでみた。 終末期医療、訪問看護や往診、どのように動いているのか。 そこで働く人たちの想い。 大切な、印象的なエピソード。さいごを見せてくれた偉大な人たち。 こどもを残して逝くお母さん。 命懸けの潮干狩り。 ディズニーランドってやっぱりすごいのだな…と。 自宅で過ごす覚悟。 不安、それに寄り添ってくれる医療機関。医師との出会い。 それを選んだ人の貴重な感想。 著者のお母さんの介護、看護。 大脳皮質基底核変性症、パーキンソン症候群。 夫が妻の身体を大切に保っていくこと。 そのさいご。 そして、プロフェッショナル看護師森山さんの、命の閉じ方。 看護とスピリチュアル、生き方。 森山さんは臓器移植の分野でもお仕事されていたそうで、そのときの思い、貴重な記録、現在への繋がり。 一体どうなっていくのか、あっというまに読み終えた作品。 たくさんのエピソードが大きく繋がって、教えてくれる。

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    投稿日: 2023.02.18
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    「より良く生きるために死を考える」事はいいことだと思い、終末期・死に興味がある。今後周りでも老い、終末期の問題が濃くなってくるのでと思い読み進む。 終末期医療に携わる人達のノンフィクション。事前に考えておいたほうが良い課題が多く記されているが、まだ私の中で消化できない。また必要となったら再読しようと思う。 ■心に残る 患者が過ごす場所は、その人の居心地のよい場所ならどこでもいいが、主治医は大切。主治医がどれだけ人間的かで患者の運命を変えてしまう。 ■学 緩和医療:欧米に比べるとモルヒネの使用が難しい キューブラー・ロスの悲しみの5段階モデル スピリチュアルペイン

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    投稿日: 2023.01.17
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    いっぱい泣かされた。果たして自分はきちんと命を仕舞うことが出来るんやろうかと思った。この作品は、京都の渡辺西賀茂診療所の訪問診療についてのドキュメンタリーが中心で、並行してそこで勤務する看護師が癌に冒される話と、著者の母の在宅医療について語られている。それぞれの命の仕舞い方のエピソードに心が揺さぶられた。在宅医療の困難さと素晴らしさが描かれていたが、実際、果たして我が家ではそのようなことが可能なのかとも考えさせられた。我が家だけでなく、死ぬまで共働きをしないと生活できない家庭は多いと思う。もう年金だけでは生きていけない。そんな時に家族のものが寝たきりになった時、在宅医療など果たして可能なのだろうか?経済的に恵まれたものしかそんな恩恵に授かれないのではないだろうか。

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    投稿日: 2023.01.07
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    在宅医療、そして、生と死について、深く考えさせられました。 持病を抱えながらずっと一人暮らしだった義父が、何度病院に運ばれても退院を望んだ、今ならその気持ちをもっと理解してあげることができたと思います。 筆者のお母様へのお父様の介護の様子、「共依存」という言葉など、自分や周りの家族のことと重ねながら読みました。 「いい医者に出会うか出会わないかが、患者の幸福を左右しますね」 「主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまうんですよ」 今まで出会った何人かの医者を思い浮かべた。 「死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。」

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    投稿日: 2023.01.06
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    久々のノンフィクション。やはりその強さに圧倒された。 看取り看護のプロが癌に。 数々の旅立ちを送って来たその人はどのような命の閉じ方を選ぶのか。 さまざまな別れ。涙なしには読めない。 でも目を逸らさずに受け止めなければ。 文字通り命をかけて遺してくれたメッセージをしっかりと受け取るために。

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    投稿日: 2022.12.21
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    前作もすごくよかったし、今作も期待通り素晴らしい作品でした!筆者の佐々涼子さんが、7年にわたり訪問看護師の森山文彦さんを追うことで「在宅医療」の現場に迫る…。森山さんとは友人関係になっていてもいたが、ある日森山さん自身が末期がんに侵されていることが判明する…。佐々涼子さんも自身の体調に不安もあり、また母親の介護問題も抱えている状況でもあった…。 命の長さ…たとえ短くとも精一杯家族を愛し自分のやりたいことをやり尽くし、充実した時間を過ごせたかどうかでその価値は決まってくるのかもしれないと感じました。森山さんの奥さん、あゆみさんとても素敵な女性だと思いました。 人が生きそして亡くなるということ…大切な人が亡くなるのはつらいけれど、『死は遺されるものへ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世においていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。』作中のこの言葉にあったかいものを感じました。

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    投稿日: 2022.11.07
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    人の最期。 生き物は、誰でもあっても、どんな種でも、どんな国にいても、最後のゴールは決まっている  その最期をどう生きるか。 それは、その人の一生を反映した最後の期間。 読みながら、ガンで亡くなった叔母を思い出していた。 彼女は、家で逝きたい。が病気になる前の口癖だった。 しかし、実際にその期間になった時、「1人の部屋に帰るのは怖いから、ここ(ホスピス)でよい」と、ホスピスで逝くことを望んだ。 本人が望んだ通りに生き終えた。 でも、やっぱり、身内としては色々と後悔が残るもので。 やはり、在宅にしてあげれば。。とかね。 在宅は、一筋縄では行かない。 でも、在宅こそ、その人らしい最期を迎えられるのかもしれない。 ただ、それが許される人は、今のところ少ないように思える。 

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    投稿日: 2022.10.10
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    奥様の介護を在宅でされていた著者さんのお父様には頭が下がる なかなかできることではない 在宅訪問の介護士をされていた森山が介護される側になる 「あの世で、この世に生きてきた意味が実現されると思えるのであれば、とても豊かじゃないですか。」

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    投稿日: 2022.08.03
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    2020ノンフィクション本大賞受賞作 先日、死に関する世界的名著と言われているキューブラーロスの「死の瞬間〜死とその過程について〜」を読み、興味をもった。そんなこともあり日本人ライターによる死がテーマの本書を手に取ってみた。 生老病死は、人間であれば、いや生物であれば絶対に避けては通れないものだ。 にもかかわらず、日本人は特に自らの「死」について深く考えることをしていない気がする。日本では宗教が形骸化、形式化しており、欧米や中東などのように信仰が広く根付いていないことも影響しているのだろうか。 本書は京都のとある在宅医療を専門とする緩和ケア診療所を取材した記録。 人の生き死にを生業にして真剣に取り組んでいる人の言葉は時に重い。 医療の現場では、医療にとっては死は敗北であり、あらゆる技術を駆使して病に勝つこと=治すことが至上命題とされている。故に、苦しみを取り除くことは二の次だという空気があるらしい。助からない患者、治らない患者の治療には全く興味を示さない医師も少なくないそうだ。 このような思想から緩和ケアは内科や外科に比べて下に見られるという。 そんな風潮のなかで、近いうちに死が避けられない患者に真剣に向き合う医師も含めた医療従事者のその使命感に感銘を受けた。 死を自覚した患者とその家族とともに最後の思い出を残そうと潮干狩り行ったり、命がけディズニーに同行したりと本当に頭が下がる。 なかでも取材対象の診療所に勤める森山さんをテーマとした記録はぐいぐいと引き込まれた。 死を前にした森山さんの気持ちの変化、医療のプロとしてではなく一人の人間として考え出した結論や生き方の変わりようは今後生きていくうえでとても参考になった。 ノンフィクション本大賞受賞も納得のオススメの一冊。

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    投稿日: 2022.07.03
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    親を看取り、自身も命に関わる病気になり、既に終活もしている。 父と義母は在宅介護のあと、ホスピス。母はグループホームでお世話になった。 私自身は延命治療はしない旨、遺書に書いてある。 できれば子供の世話にならずにホスピスで逝きたいと思っている。在宅介護で終末を迎えるのは理想だ。患者の状態にもよるが、在宅介護の大変さを味わったので、協力者なしではなかなか厳しいと感じている。 森山さんは医療従事者でも、やはり当事者になった時、色々心が揺れ動き悩み葛藤を抱えたのだと記されており、それがこの本のリアルと凄みを与えている。 覚悟を決めていても、試行錯誤して良いのだ、それが人間なのだと安心させてもらった。

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    投稿日: 2022.06.14
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    著者の自分が生死を扱って良いのか、在宅医療をとりあげて良いのかという葛藤が伝わってきた。 英語では家をあらわす単語としてhouseとhomeがあるということ。前者は物質的な、後者は概念(精神)的な家をあらわすということ。去年アカデミー賞受賞したノマドランド観た時に同じこと感じてfilmarksでレビュー書いたの思い出した。 自分はまだ若い。死ぬのはめちゃくちゃ怖い。どうなっちゃうんだろうって思う。けど、生きてきたようにしか死ねないんだ。あとがきにあった通り、我々は一瞬一瞬存在しているが、一方で、一瞬一瞬小さく死んでいる。気を抜いてる場合じゃないなほんと。貪欲に生きなきゃ。そして多くの先立たれた人たちの贈り物を受け取り、次の世代にバトンとして残さなければ。 服は試着するし、美容師は指名するのに、医者は指名できないということ、ある種、在宅医療も病院で受ける医療も縁ではあると思いつつ、良い医者に巡り合い、意志を尊重してもらえたら素敵だなと感じた。葬儀を自分で手配するのもスマートだし良いと思った。葬儀に向いてないのはわかってるけど自分の葬儀は最後に東京事変の透明人間流してほしいと思ってる。 死ぬ人は多くのものを残すという気づきを得た。言葉でどれだけ残せるかわからないけど陳腐なものより少しでも心に残るもの、薄っぺらくないものが残って欲しい。本や映画や音楽、いろんなコンテンツが溢れてるからこそ、それを通して何を感じたか、どう考えたかを自分なりの言葉に落とし込んで、人生という文脈に昇華させてちょっとずつ取り込んでいきたい。人におもしろおかしく伝えられるようになりたいと、改めて感じた。 ------- おせっかいすることには大変なことがたくさんあります。なにか行動しようと思えば、軋轢もある。でも、得られるものはそれ以上です。それを知っているから動いてしまうのかもしれません。 病気はあくまでその人たちの一部に過ぎない。 病気にばかり目を向けていたら病気のことばかり気にする人生になってしまう。普段は病気を忘れ、日常生活という、僕の「人生」を生きていたいんです。 病を得ると、人はその困難に何かしらの意味を求めてしまう。自分の痛みの意味、苦しみの意味。人は意味のないことに耐えることができない。だからこれまでの人生を見直したくなる。心も身体も全て委ねる大いなる存在が欲しくなり、それにすがりたくなる。 助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択することが過酷さを増している。 死の準備教育がされてない。 患者がどういう暮らしをしたいのか、それを汲んでくれるのが在宅の良さであり、それこそ最先端の医療なんだと思います。要求を一個一個聞いて各々のサイズに合うものを仕立ててくれるテーラーメイド医療。 死にゆく人は、ただ世話をされるだけ、助けてもらうだけの無力な存在ではない。彼らが教えてくれることはたくさんあるのだ。どう生き、どういうメッセージを残したかは、残された人に影響を与える。人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのか考えさせてくれる。死は残されたものへ幸福に生きるためのヒントを与える。 以下、死の受容の五段階 「死ぬ瞬間」の著者、エリザベス・キューブラー・ロスが唱えたモデル。死にゆく人の心理の変化を、5段階で捉えた。 1.否認と孤立 自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。 2.怒り 死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。 3.取り引き 死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。 4.抑うつ 死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。 5.受容 死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。

    4
    投稿日: 2022.05.06
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    よりよく生きること とは いつも浮かんでくる言葉です 佐々涼子さんの本を読むたびに 「生きている」実感を持たせてもらえる 佐々さんが取材される方たちの 面影が強く心に迫ってきます 取材される方が佐々さんと 真正面に向き合って 佐々さんに投げかける言葉に 佐々さんが真摯に受け止めながらも あまりの言葉の重さに 言葉を返すことに逡巡してしまう場面が 少なからず出てくる そこに 佐々涼子さんの 人間への尊厳を感じさせてもらう 「死」から(意図して)遠ざけられてしまっている この国のわれわれに貴重な提言をつきつけられている それは私たち自身の課題でもあることを 考えさせてもらえる一冊です

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    投稿日: 2022.04.28
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    『主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変える』との医師の言葉が深い。 世界には標準治療に載らない選択が無数にあることにも驚いた。

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    投稿日: 2022.04.18
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    佐々淳子は、寡作のノンフィクションライター。2012年「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で開高健ノンフィクション賞受賞。2014年「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場」でもいくつかの賞を受賞。そして本書は2020年発行、同年の本屋大賞のノンフィクション本大賞受賞作となっている。私は、本書で全作を読んだことになるが、寡作で、じっくりとした作品を書くライターという印象だ。 本作は終末期医療、在宅医療をテーマにしたノンフィクション。京都にある、渡辺西加茂診療所の活動と関わった人たち、そこで看護師を務めていた森山さんの終末期、そして筆者自身のお母様とお父様の物語などを中心にストーリーが構成されている。 印象に残るエピソードが沢山紹介されている。 京都の37歳の女性は末期の食道がんを患って入院している。家族は夫と小学校5年生の娘。その患者が一時帰宅をする。助からないと分かってはいるが、家族と思い出をつくるための退院だった。その機会に、家族は京都から愛知県の知多半島の海まで潮干狩りにでかける。それは、医療スタッフ等が付き添い、また酸素ボンベを沢山携行するような大掛かりな旅行であった。海での家族での時間を楽しんだ後、京都の自宅に帰宅してすぐに、その女性は息を引き取ってしまう。 その日の家族の様子の本書中の描写は感動的だった。余命いくばくもないことが、というよりも、これが家族で楽しむ最後の機会であることを、本人も家族も分かっているし、相手がそれを分かっていることをお互いに知っている中での小旅行。それを精一杯に楽しみ、お互いの愛情を確かめ合う機会となる。また、残された家族にとっては、ある意味でふんぎりがつくような機会となっていく。その様子が粛々と描かれていた。 このようなエピソードが本書中に沢山紹介されている。 それは他人のことであるが、それを読み、自分にとって生きることとはどういうことなのか、また、自分の家族との関係はどうなのか、といったことを自然に考えさせる作品となっている。

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    投稿日: 2022.04.12
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    命の閉じ方 すごく大事なことだとおもう。 だけど、理想的な閉じ方をまっとうするのは すごく大変なことだと思う。 いざとなるとジタバタカッコ悪い自分しかでてこない気がする。 また家族が亡くなるとき どう過ごすのかこれもすごく大事。 最後の時間をどう過ごすのか これもまた、余裕がなくなってジタバタしてしまいそう 看取りに対して とても考えさせられたそういう本でした。

    4
    投稿日: 2022.04.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人は生きたように死ぬ。どのように死ぬかは、どのように生きるかと同義なのだ。本書は在宅医療を描くものではあるけれども、在宅医療に限らない全ての生と死につながるたくさんの気づきをもらった。 「僕には、人に腹を立てたり、何かを悲しんだりする時間はないんですよ」という言葉。これは病気で余命いくばくという現実を目の前にした人にだけ当てはまることではない。誰もが今日突然死ぬかもしれない中で、本当は全ての人に当てはまることだ。けれど、そのことを意識することはとても難しく、読了した私も本当の意味ではわかっていないのかもしれない。それでも、胸に刻んでおきたいと思った言葉の一つだった。 結婚し、出産したばかりの30代半ばの今読めたことを本当に幸福に思う。この本を薦めてくださったいわた書店さん、いわた書店さんの一万円選書を教えてくれた友人には感謝の気持ちでいっぱいだ。両親にも薦めたいと思う。 また縁があればジャーマンアイリスを庭に植えてみたい。

    1
    投稿日: 2022.03.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2022年6冊目。 佐々涼子さんの著作を読むのは、3冊目です。 仕事の合間に読むつもりでいたのを、休日読書に切り替えて良かったです。泣き腫らしてしまいました。 在宅医療、緩和医療について深く知ることができました。 また、患者さん、そのご家族、医療スタッフの方々の生き様から、命の閉じ方について学ばせてもらいました。 いつか来る自分や大切な人の死を、以前より穏やかに受け容れられそうな気がしました。 あくまで、そういう気がするだけですが。 読む前と後では、見え方が違うように思います。 死を、この世を卒業するとか、荷物を降ろしていく、と捉えている表現が印象に残りました。 わたしも大切な人たちも、そういう心地で命を閉じられるといいなと思います。

    1
    投稿日: 2022.02.13
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    佐々涼子さん「エンド・オブ・ライフ」読了。命の閉じ方の本。久し振りに読んだノンフィクションにしみじみ感動しております。万人にお薦め。

    0
    投稿日: 2022.02.08
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    ノンフィクションということで、作り物でない迫力を感じた。在宅医療の現実と医療者自身の病に対する対峙の仕方。

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    投稿日: 2022.02.03
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    死を見送る立場として、また死を迎える立場として なにが正解かはわからないし答えはないだろうけど、 死とどう向いあうべきか、死をどう捉えるべきかを 考えさせられた 残り時間は無限ではない 楽しんで生きないと、 そして『命の閉じ方』を考えないと

    6
    投稿日: 2022.01.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2020年2月刊。 著者は1968年生まれ、早稲田大法学部卒の女性。 京大病院での話から始まり在宅看護の現場とその場での看取りのケースを描くノンフィクション。かつての取材で知り合った在宅看護師の友人男性が、癌になり本人が在宅医療を受ける。どこかの書評で見たのだと思う、図書館で予約して数か月後に届いた本だった。K野のことやK上さんを思いつつ読む。 先に逝く人は残る人に贈り物をする、のだという。

    0
    投稿日: 2022.01.03
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    涙無しには読めない。 其々の人々の人生の最期の、それを支える人々の、向き合う人々の生き様の物語。 其々の人生があるように、其々の最期があって、 その人がどう生きてきたか、周りと関わって来たか…。 自分の生き方にもっと向き合わないとな、と。

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    投稿日: 2021.12.28
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    気を抜いている場合ではない。 貪欲にしたい事をしなければ。 他人の大きな声で自分の内なる声が かき消されそうな時は、 立ち止まって耳を澄まさなければ。 あとがきより

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    投稿日: 2021.12.19
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    在宅での看取りは困難なこともたくさんあるけど、 今まさに身内に起こっていることでもあるので、家族が逝く時には最後に拍手で送ってあげられるよう関わっていきたいと思いました。

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    投稿日: 2021.12.15
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    南杏子さん作品のあとがきかどこかで言及されていて読んだ作品。 こちらはノンフィクションだけど、南杏子さんの作品内と同じことが現実に展開される。 特に印象に残ったのは「人は病気になってから変わるということはなかなか無い。たいていは生きてきたように死ぬ」という言葉。 色々な例はあるだろうけど、周りと疎遠でいた人が死ぬ間際になって温かく人に囲まれることはない、と理解した。

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    投稿日: 2021.12.12
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    在宅医療の良さ悪さを伝えつつ、制限された病院とある程度の医療関係者の介入はあるものの、自分が1番落ち着いて過ごせる家で治療を受けられるということの安心感が伝わった。しかし大事なのは結局患者の意志と医療従事者の患者に対する気持ちの持ちようである。 子どもたちが死を学ぶ機会を逃していることは共感できる。核家族化が進み大学進学とともに親とも離れる人も少なくない。遠くにいると看取れずじまいであることは確かだ。 死を学ぶことがないということは生きる時間を大切に考えられないことにも繋がると思う。看取ることができなくても、お墓参りや命日には亡くなった人のことを思い出してどんなことを私たちに残していったのか、私たちは何を学んでどのようにこれから生きていけばいいか改めて考えていければいいと思う。

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    投稿日: 2021.12.07
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    本作はこれまでにも死と向き合ってきた著者だからこそ描けた作品だと思う。 終末期という死までの最後の人生をどう過ごすかという難題に、在宅医療という視点から取り組まれ、スタッフや患者などへの取材に本音でぶつかった書き上げた作品である。さらには、40代のスタッフが末期がんを患ってしまい、その方が亡くなるまでの過程も綴られている。 本作品を通して最初に感じたのは、病院ではなく自宅で最期を迎えることが出来る人は、まだまだごく一部の患者だけであり、それを支えるためには地域医療だけでなく家族の覚悟も必要ということだ。しかし、それを乗り越えた家族は満足して故人を送り出すことが出来るということである。 現在は、自宅で亡くなるということが少なくなってしまったため、人の死というものが現実感のないものになってしまっている。実際、自分も子供の頃は祖父などが自宅で亡くなっているので、死というものがどのように訪れるのかということを何となく肌で感じているが、娘たちは病院で亡くなって自宅に運ばれてきた後の親族しか見たことがないので、死というものに対する現実感が乏しいと思われる。 本書を読むと、死というものが人生の延長線上にある点であり、その方の物理的な人生はそこで終わってしまうのかもしれないが、共に過ごした方たちの心ではその方の人生は一緒に続いていくのではないだろうか、ということを感じさせられた。死というものは、確かに悲しいことではあるが、人生の一部として受け止めることが大事だと思った。 そして言い古されてきているが、与えられた一日一日を大事に過ごしたいと改めて認識した。

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    投稿日: 2021.12.05
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    涙が止まらなかった。医療従事者じゃなくても読んでほしい。現代の、命の閉じ方、大切な人とのお別れの仕方がストレートなんだけど、あったかく書いてある。

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    投稿日: 2021.11.26
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    スピリチュアルペイン 人生の意味への苦しみ  すべての体の痛みを取るとスピリチュアルな痛みに耐えられない?  痛みを取って、限られた時間を有益に過ごす? 命を長引かせるより大切なこと 人間らしい治療 自立した生活 自分の運芽生を受け入れられる人はそういう人生を歩んできた人。  

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    投稿日: 2021.11.14
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    在宅での看取り、看取られ方としては理想だけど、看取る側となると考える… いろんな人の手を借りながらでもやはり心身の負担は大きいだろう。 そして癌で亡くなるパターンの、互いの心の準備が切ない。

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    投稿日: 2021.11.08
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    2013〜2019年、在宅医療で出会った人達のこと。 患者の最期の望みを献身的に叶えていく医師と看護師たち。 ノンフィクションだからこそ現実を感じる…。 そして終末期のあり方を考えさせられる。 訪問看護師も自身の知識、経験、技術などで人を救うだけではなく、どうやったら好きなものを食べさせることができるか考える。 「出かけたら身体に悪い」ではなく、どうやったらその人の気持ちに寄り添えるか知恵を絞る。 この本では実際に患者にそして家族にも寄り添った終末期を過ごさせていたと思う。 在宅の最も幸福な過ごし方をしてみたいと誰もが感じるだろう。 自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と身体の調子を見ながら「よし、行くぞ」と言って好きなものを食べて、好きな場所にでかける。 そうしたい。心から思った。

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    投稿日: 2021.10.31
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    読んで良かった。 死について考えることは度々あったけれど、それはいつも漠然としていて。でもここでは、具体的な人生の終え方の見本を示してくれていた。 在宅医療について全く知らなかったけれど、良い人達とのご縁があればこんなにも素晴らしい去り方ができる、と言うことを知る事ができた。 ここに出てくる医療関係者は本当に素晴らしいし、尊敬します。 いつか私も何かを遺して、去れるようにしっかり生きていきたい。

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    投稿日: 2021.10.15