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あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々
あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々
寺尾紗穂/集英社
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総合評価

7件)
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    寺尾氏の柔らかな物言いと率直な考えが心地良い。 戦後80年の今年は、テレビでも個人の見てきた戦争を伝える番組が今までより多かったように思う。 パラオの島民、日本からの移民、の個人になんとか辿り着き言葉を聞き取る。瞼に光景が浮かび痛々しい。切り取られたように感じてしまう戦争の歴史は、私達と地続きのものであると突き付けられる。 寺尾氏の作品はこれからも読んでいく。

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    投稿日: 2025.09.06
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    前作のサイパンから10年後、積み残しのパラオ取材をしたのが本書。 宣教師の殺害、アメリカ軍に虐殺されるというデマを流したことにより亡くなった助かるはずだった島民達、逆にアメリカに寝返らないために島民の虐殺計画等、日本軍の悪事の数々が紹介される。 中島敦の作品や南国情緒を感じつつ読めるノンフィクション・エッセイ。あとがきを読んで、この本の宛先は中島敦だったのかとわかる。

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    投稿日: 2025.07.24
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    著者の芯にあるのは戦争の波に翻弄された個々の人々の人生を聞いて感じたい、残したいという意志。 聞き取りが中心の「日本人が移民だったころ」よりはややエッセイ色が強く、また著者が大きく影響を受けた中島敦の足跡を辿るというサブテーマもあるので重くて暗いばかりにはならない。

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    投稿日: 2024.04.29
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    中島敦の「南洋通信」を読んで戦前戦中の南洋に興味を持ったという点は著者と私とで入り口が同じなのかもしれない。ただ、著者は、中島敦が帰国した後の戦時下のパラオについても現地を訪れ今も残る日本語話者に丹念に取材している。パラオではペリリュー島だけではなくアメリカ軍の侵攻で島民が避難しジャングルの中で飢えを経験したこと、爆撃などで島民も含めて犠牲者が出たこと、日本軍が島民虐殺を(本気度はともかく)計画したことなど、殆ど知らないかったことを知ることができた。それにもかかわらず、パラオの原住民と日本からの移民は農地を巡る争いがあまりなく比較的うまく共存できていたこと、日本統治前に発展した社会的制度がなかったために日本統治が公学校教育などを通じて受け入れられやすかったことが、現在まで続く親日的な心象や日本文化の残り香(現地にはパラオ語と日本語がまざった歌謡曲などもあるそうだ)がある。エッセイ風よりももう少しまとまった記述も読みたい気がしたが、それでも学ぶことの多い一冊だった

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    投稿日: 2020.11.28
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    第一次大戦から第二次大戦の間、日本が植民地支配していたパラオの状況を、中島敦らのテキストを手掛かりにしながら、現地での聞き取りの様子も交えて描き出していく。素朴な紀行文のような体裁を取っているのでとても読みやすいが、その一方で、様々な立場への目配りとそれを踏まえた下調べが周到に行われていることもうかがわせる文章になっている。現地のパラオ人、チャモロ人、内地からの移民、沖縄や朝鮮半島からやって来た人、軍人、役人、研究者、文人、労働者、慰安婦、それらの人々の様々な思いをできるだけそのまますくいあげようとする著者の姿勢に共感する。

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    投稿日: 2019.02.11
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    2年前に「南洋と私」を読み、とても良かったので、今回この本を読むのはとても楽しみだった。 "国境を越えて友情をはぐくまなければ、戦争の本当の愚かさなどわからないのかもしれない。味方が死んだ、家族が死んだ、あの国に攻撃された、そうした次元で戦争をとらえる限り、戦争は人によっては「必要悪」であり、あるいは二度と降りかかってほしくない天災のようなものにとどまってしまうのではないか。国籍や民族という違いを超えて人と人が信頼しあえたとき、初めて人は戦争について「私たちは何をしているのか」という、根本的な問いに辿り着けるのではないか。" 146ページ "他者との会話の中から、その感覚を共有していくこと、思考と感覚の両輪で事実を捉えていくこと。難しいけれど、私が戦争とそこに生きた人々を描くために論文ではなくノンフィクション・エッセイのような形を選んだのは、論文では表現しにくい感覚の部分を常に自分に引き寄せておきたいからかもしれない。" 160ページ なんかものすごく好きなのだ。この好きさは何なのか。 対象との接し方、中島敦の絡ませ方、筆者の思い、文章そのもの… 思考力も感覚もとても優れた人なのだと思うが、まるで一緒に取材して回ってるような気安さ、親近感が感じられて、共感しやすい。というかほぼ同意してしまう。 よくぞこの2作を書いてくださったと感謝する。音楽活動の方は全然知らないが、お忙しいだろうけど、次の「ノンフィクション・エッセイ」楽しみだ。

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    投稿日: 2018.01.26
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    第二次世界大戦のパラオを今追いかける。誠実さがそのまましんどさになる。論文にもならずノンフィクションにもなにか中途半端なぎしぎしとした言葉と堂々巡り。ともかく読ませる力はある。

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    投稿日: 2017.10.09