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イスラーム文化-その根柢にあるもの
イスラーム文化-その根柢にあるもの
井筒俊彦/岩波書店
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総合評価

94件)
4.4
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    イスラームの根本とも言えるような要素が平易な言葉を通じよく理解できた。歴史的事象を理解する上でも参考になると思う。ただ、考える重責を逃れ楽をしたいという人々の欲求を利用し、支配し、敵を破滅させるといった宗教の特徴は変わらないようだ。

    0
    投稿日: 2026.01.27
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    今から40年以上前のものであるため、現代のイスラム世界とは少しずれる部分もあるかもしれないが、総括的に著者がイスラム世界にある歴史的な経緯や思想をまとめてくれているので非常に参考になる。

    0
    投稿日: 2025.12.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。 本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。 『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。 カール・ポッパー(ポパー)の文明間の邂逅・衝突とそれによる文化的危機により「自身の属する文明をはじめて批判的に見る視座を持つ」ことや「その視座を持つことによって、相手も自己も超えたより高い次元への跳躍も可能になる」という内容からや、あるいは「グローバルでなければいかに自己のルーツを知ったとて死物を抱えているのと異なるところがない」という叱咤からも、縁遠く、とっつきにくいものを深く知ることが大きな創造へとつながることを説いている。 新型コロナウイルスの流行やウクライナ紛争以降、世界の雰囲気は変化してしまったように思う。あちこちで保守、保護主義、自国優先政策が台頭している現在だからこそ異質な文明(これはもっと小さなスケールで”他者”と置き換えても良いと思う)を知ることの意義を訴える本書の序文は心に響くものがあった。 また、この『はじめに』の内容は、こちらからの一方的な学びであっても相手方の文化(本書でいえばイスラーム文化側)にも、「自分たちだけでは決して見ることのできない視点から新たな気づきを得られる」という恩恵があることを示してもいる。これは私が読んできた書籍で意識した「非キリスト教圏から見たヨーロッパ(:日本人がヨーロッパを研究する意味)」や「西洋から見た東洋」という見方にも通じる考え方であった。 第Ⅰ部へ進んで早速びっくりするのはコーランの文言はだいぶ俗物だという点。商業に関する表現が非常に多いようで、イメージしていたものと大きく違った。 他の宗教との違いも所々で示されるが、預言者の存命中に信仰の中心となる聖典を確定しておくことができたことが、イスラームが他と決定的に異なる部分だと感じた。やはり後発は強い。 それでもムハンマドの死後、イスラームは速やかに分派していくのだが、それはムハンマドの後継をめぐる考え方の違いのほかにコーランやハディースの解釈をめぐってでもあった。 この”聖典の解釈が執拗に行われる”ことにはかねてより疑問があったのだが、本書で「聖俗の区別がない」「日常生活の隅々まで宗教が浸透」という、他の宗教との大きな違いを知ることで、生活の変化に対する聖典の解釈の必要性が理解できた。 また、他の宗教を引き合いに出すことで、全く同じ神を信仰するはずのキリスト教やユダヤ教と決して相容れないイスラームの物の見方(立場)というものを理解することができた。穏健派ならば付き合えると思う反面、この違いを絶対に譲らない原理主義者とはわかり合えないことも理解できた。 ところで、(本質とは関係ないが)第Ⅰ部のなかで特別に印象に残っているのが74-77ページの内容で、読みながら「量子重力理論!?」と驚嘆した。時間の存在性や連続性は今でも先端物理のテーマであり、それがイスラームや仏教の話で出てきたことには非常に驚いた。長い時間をかけた哲学的な思索の果てに得た境地と量子論が開いた世界の表皮をめくった先の世界は一致しているのだろうか? 第Ⅱ部は冒頭から第Ⅰ部の続きのような話が続く。イスラーム法の話が出てくるのは145ページからになる。 イスラーム法の細かさを不思議に思っていたのだが、聖俗の区別がないことが生活の上での広範な規定を必要とすること、コーラン(とハディース)からそれを規定するために言葉の解釈が猛烈な発達を見せたこと、がうまく説明されており納得できた。 ところで、神の言葉という「絶対のものに基づく法律」という稀な存在は、科学(;科学も絶対の真理に基づく。そのため理系分野のバックグラウンドを持って法曹界へ入り込むと、心理も含んだ軸のブレに苦しむ場合も多いと聞く)を思わせた。そう考えると、科学はイスラーム法のイジュティハードに相当するものは全く自由である(;事象に対する新しい解釈(とそれを支持する新たな実験・観測)により新たなパラダイムが打ち立てられ、学説の転換が起きることが常にあり得る)ので、逆説的に、イジュティハードが禁じられると発展が停滞することは想像できた。本書には書かれている内容ではないが、オリエントを席巻しヨーロッパにも侵攻したイスラーム勢力が、西欧諸国に科学、哲学を学ばれ、やがて追い越されていく(振るわなくなっていく)という世界史的な大きな流れもイジュティハードの門が閉ざされたことに一因があるのかもしれないと思った。 第Ⅲ部はスンニ派以外の考え方についてなのだが、これまでの内容と毛色が変わるのでこの短いページ数では2派の良さが分からなかった。 ここまでの二部を読んでスンニ派の論理性に親近感を覚える私としては、シーア派はだいぶ異端だと感じた。ところどころでコーランの教えを破っているようであり、それを万人が追試験ができない『内面世界』で答えているところがいかにもカルトっぽい。妙な理屈でアリーの一族だけを持ち上げたり、組織化しているのも印象が良くない。(コーランからは逸脱していそうだが)血筋を問わず、人数も限らないスーフィーの方がこの点は潔く見える。歴代の為政者が迫害したくなるのもよくわかる。 スーフィーはスーフィーで「彼らの思想は神の絶対性を否定しているのでは?」という疑問が湧いた。現世が根源的な悪であり神の意志が実現されない場所だと言うなら、「(そんな場所を残して)神は何やってるんだ」となる。「絶望的な世界に捨て置かれている人間は神に見捨てられているのではないのか?スーフィーは無駄な修行などせず自殺でもして現世を去ったらいいのでは?」という極端な結論も考えてしまう。こちらは異端というより邪教であるという感想を強く感じた。 スーフィーに関しては疑問だらけで、読みながら細かい疑問や反論が次々に出てきて共感することはできなかった。 我を消すということは子供も作らないのだろうが(神が人間の子を望むか?)、ならばなぜスーフィーは絶えないのだろうか。 『我こそは神』『自己がそのまま絶対者』という言い方が実に傲慢で、自己を消しきれていないとも感じた。人間が迫れるのは「自我の奥底に座す神を知り、そこに触れた」程度で、どこまで行っても自我を消すことはできない(限りなく漸近することはできてもゼロにはできない)だろう。もし、我と神が同義なら預言者を超えることになるし、それなら人間の肉体はなんなのかということになる。 結局、第Ⅲ部の内容はページ数(= 講演時間、回数)が足りなかったのだろうと思う。駆け足で2派を取り扱ってしまったが、内面世界の概論と、それぞれの派で2〜3部が必要だったのだろう。丁寧な解説があれば印象が変わったかもしれないとは思う。 著者の別著『イスラーム思想史』が面倒(:イスラームの用語がポンポンと出てくるが、巻末に用語集も無いので自作しながら読み進めないと内容についていけない。だが、理解が浅い段階での自作が非常に面倒)で、いつまでも読めないままとなっている。それを補おうとより簡易な本書を購入したのだが、家で両書を並べた際に同じ著者だと気付いて愕然とした。 書店で軽く目を通しているので大丈夫だとは思いながらも「同じような書き口だったらどうしようか」と戸惑いながら本書を読んだが、著者が円熟した頃に書かれた文章(;本書で『若気の気負い』とも述べている『イスラーム思想史』は著者が20代で書いた文章を元に増補したもののようだ)ということもあって、非常に読みやすかった。懸念していたイスラーム特有の用語については、文中の各所で出てくるが、その数は抑えられており、前提となる知識が無くても十分に追っていくことができる。 ページ数も少なく読みやすい、イスラームの考え方を知るための入門書として良い一冊だったと思う(本書の元となる講演から40年以上、もうすぐ半世紀が近づいているなかで、当時と同じように日本人が『あまりにも無関心』なままでいることは著者としては不本意かもしれないが・・)。

    1
    投稿日: 2025.09.15
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    3回の講演をまとめたもの、聴衆が一般人なのと、井筒さんも口語なので、とてもわかりやすい。 岩波の担当者は、おそらく、井筒さんの一番やさしい論考をシリーズの1回目に置きたかったのではないだろうか。 40年前のこの講演の時も現在もイランはシーア派政権だが、シーア派とはコーランに忠実で、それゆえに頑固で西洋的な近代化を拒む宗派であることがこの本でわかる。しかし、井筒さんはシーア派が悪いとは言っていない。逆に、その教説にはイスラム教の情念が宿っていると展開している。 イスラムには僧侶はいなし、お寺もない。政治と宗教が一体化している。輪廻という考えはない、仏教を宗教とはおもえないのでは、などイスラムのなるほどな話題が多い。 井筒シリーズの手引の本としてふさわしい内容だと思う。

    8
    投稿日: 2025.08.18
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    イスラーム文化をイスラーム的にたらしめているものは何か イスラーム文化の独自性に迫る名著! イスラームというと、時局的な事件や歴史的背景の解説にとどまることが多いが、本書はその根本にあるイスラーム教そのものに光を当てている。 キリスト教や仏教と並ぶ世界三大宗教の一つでありながら、現代でもたびたび社会を揺るがすイスラーム。その力強さの背景には、単なる信仰を超えて人々を動員する強大な教義がある。私自身、イスラームの「強さ」を人口増加や「子供を産み育てる」という行動様式に感じていたが、本書を通じてその一端に触れられたように思う。 印象に残ったポイント 1. 絶対帰依の宗教である イスラームをイスラームたらしめているのは「絶対帰依」。神に対する無条件の自己委託、絶対他力信仰の姿勢である。ムスリムという語そのものが「帰依する者」を意味しており、宗教の中核をなす。この徹底した信仰ゆえに、背信者やイスラーム法を破る者への処罰は厳しい。 2. 世界性と強い共同体意識 ユダヤ教やヒンドゥー教のような民族宗教と異なり、イスラームは普遍性を備え、血縁を超えてすべての人を受け入れる。そして契約によって結ばれた人々は、ムハンマドの権威のもと同胞となる。強い連帯意識を生み出す宗教である。 3. 聖俗の区別を持たない キリスト教や仏教が「聖」と「俗」を区別するのに対し、イスラームは生活の隅々まで宗教が浸透する。コーランの教えはイスラーム法として人々を統治し、法を破ることは即ち神に背くことを意味する。政治をも包含する全生活的な宗教である。 4. スンニ派とシーア派の違い スンニ派はイスラームの教えをもとに社会・政治体制を築く「外への道」。一方、シーア派は形而上学的な真理を探究する「内への道」として発展した。 5. イラン政治の不安定さの背景 シーア派思想は「絶対的な答えは存在しない」という前提に立つ。そのため人々は常に疑心暗鬼になり、政治的確実性を欠く傾向がある。イマームの意思を汲む哲人政治と、神から権威を与えられた王権政治の対立が繰り返され、その帰結としてイラン革命が起こったともいえる。 イスラームの動員力の源泉は、神への絶対的信仰と、それを法のレベルまで具体化した点にあると実感した。個人の信仰から社会制度まで宗教が貫いている。なるほど、これでは強いはずだ!と腑に落ちた。 時事的な説明にとどまらず、イスラームそのものを描き出す本として非常に貴重である。さらに、宗教書にありがちな著者の価値判断が極力排除されている点も好印象。入門書として最初に読むのに強く勧めたい一冊だ。

    4
    投稿日: 2025.08.17
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    マギを読んだので、イスラーム文化・世界について知りたくなり買った かなり発見はあった 入門ではないって、最初にかいてたのに見逃してた また入門書とか読みたい

    0
    投稿日: 2025.08.17
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    めっちゃくっちゃ分かりやすかった! イスラームにおいて『コーラン』ってものがどれほど重要のものかわかったし イスラームの考え方とか、世界観 宗教がどれほど生活に密着してるか分かった

    0
    投稿日: 2025.01.03
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    イスラーム文化という壮大なテーマを、わずか1時間×3回に凝縮して語られた講演録である。書籍化するにあたって加筆修正もされているようであるが、もともと話し言葉で語られたものであるだけに、とてもわかりやすく、私は行間からいくつもの絵や図を想起した。 本書では、クルアーンやハディースなど聖典をめぐる問題、神と個人との関係から始まり、シャリーアといった法や倫理をめぐる問題、シーア派とスンニ派、イマームやスーフィズムに至るまで多岐にわたるテーマが出てくるが、それが紀元610年~622年のメッカ期と、622年~ムハンマドが亡くなる632年までのメディナ期という性格の異なる2つの時代にきれいに整理・収斂させてあり、これが分かりやすさを一層促している。他方で、わかりやすいから表面的説明に終始しているかと言えばそうではなく、第2章から第3章、特に第3章の「内面への道」では、イマーム、スーフィーというテーマを扱いながら、イスラームの持つ深い内面世界を端的に解説している。 さて、本書を読んで気になった点を少し残しておこう。 本書では、イスラームには業(カルマ)の概念がなく、輪廻転生を否定していると書かれている。つまり、私たちの生は1回きりであり、それゆえにこの世(今生)での生が重要なのであると。ここを読んだ時、私は「自爆テロ」ということを考えた。輪廻転生は無く、人生はここ1回きりと考えて疑わないムスリムの人々が、体に爆弾を巻きつけ「アッラーフ・アクバル!」と叫んで体当たりをしていく時、頭から灯油をかけて焼身自殺を図る時、彼らは何を思うのか。1回きりの人生と知りながら、それでもなお自爆テロや焼身自殺に走らなければならない、止むに止まれぬ彼らが置かれた状況とはどのようなものか。彼らの心理的状況とはいかなるものか。新聞やテレビに出る小さな記事をそこまで読まなければ、「自爆テロ」というニュースの意味は理解できないだろうと思われた。 本書の最後では、イスラームはアジアの西端を占めるダイナミックな多層文化であり、それこそがまさにイスラームなのだと説かれている。その上で、日本はこれまでイスラームに対してあまりにも冷淡・無関心でありすぎたとして、アジアの東端に位置する国として、イスラームに対する日本的理解の生成を呼びかけている。本書の講演が行われたのは昭和56年春というから既に40年ほど年月が経っており、社会は「グローバル化」という号令とともに、40年前よりはいささか緊密化してきたことは事実であろう。この間、湾岸戦争や9.11、アフガン戦争、イラク戦争、邦人人質事件、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイドに対する国際世論の広がり、原油の高騰などがあって、我が国も中東に目を向ける(あるいは目を向けざるを得ない)ようになってきてはいるが、しかし戦争や紛争、物資の供給という点を除いて、文化としてのイスラームを私たちが理解しようとしているか、それが身近になっているかというと、大手を振ってYES!とは言い難いだろう。アジアの東西を占める我ら、と言っても、言葉も違い、文字も違い、文章を書く方向も(アラビア語は右から左へ書くのだ)、人種も民族も、宗教も、食べるものも、これまでの歴史も、物の考え方もあらゆるものが異なるけれど、両者で何らかの文化的プロジェクトが生まれればとっても面白いことになるんじゃないかと思っている。 取り止めのない話になってきたが、イスラームを知りたい人、ちょっと気になっている人には格好の入門書である。またイスラームを知る人も、わかりやすくイスラームを整理し理解するには最適な1冊である。時を経て再読したい。

    0
    投稿日: 2024.08.13
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    予備知識が無かったが読みやすかった。もちろん専門用語は多いし哲学の話も入ってくるが、都度必要なだけ説明があったのが良かった。 『脱常識の社会学』に引き続き、講演を書籍化したものは良著が多いなというイメージ。

    0
    投稿日: 2024.05.08
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    図書館で借りた。 イスラム学者が書く、イスラーム文化とはを文庫で短くまとめた本。イスラム教と簡単に言うが、それはどんな世界観なのかを学べる。講演を聞く感覚で通勤時に読み終えた。 私にとってはある程度他の本などでイスラムに関する知識の下積みは得ていたつもり、その上で深掘り・深みを得るには丁度良かった感触。満足。 「予言者」と「預言者」の違いはハッとさせられた。 イスラムとムスリムは同じ語源で、語形変化であるというのは知らなかったので驚き。

    1
    投稿日: 2023.06.01
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    一昔前のビジネスマン?向けの公演の内容ということらしい。 堅苦しさはなく、読みやすい。 一宗教としてでなく、文化そのものを包含し吸収と発展を遂げてきたイスラームと、イスラームを育てた中近東について体系的に知ることができる。 イスラームとはなんぞや、という入門にはうってつけの本と言えるだろう。 詳しいことは他の本を読む必要があるが、読みやすさと幅広さをして良書と言える。

    0
    投稿日: 2022.01.03
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    イスラーム文化を、真にイスラーム的ならしめているものとは何か。今や世界動向を左右するほどの力を持つこの宗教の根源に、イスラーム研究の第一人者が迫った書籍。 イスラームは、アラビアの商人であった預言者ムハンマドが興した宗教で、商業取引における契約の重要性を意識している。すなわち、イスラームは商売人の宗教といえる。 神の啓示を受けたムハンマドは、その神の言葉を記録した。それが聖典『コーラン』である。ここに書かれた言葉を解釈するのは人間であり、理解の仕方や解釈は人によって様々だ。この自由性が、イスラーム文化の多様性の源となっている。 イスラームという宗教は、聖と俗の領域を区別しない。神聖な領域のみならず、人間の日常生活のあらゆるところにまで、宗教が関わってくる。この点において、教会と世俗国家とを明確に区分するキリスト教とは大いに異なる。 イスラームの神「アッラー」は、キリスト教の神と同じ人格神である。キリスト教では、神と人との間に親子のような親しさがあるが、アッラーと人との間にそうした親密さはない。神は絶対的権力をもつ支配者で、人間はその奴隷である。 イスラームにおいて、宗教と法は密接に結びついている。善悪は神の意志によって決まり、それは法という形で人間に課される。すなわち、人が正しく行動し、生きるためには、『コーラン』を読み、神の意志を知らなければならない。 イスラーム法は、宗教的儀礼の規則や民法、商法、刑法はもちろんのこと、人々が日常生活においてなすべきこと、なさねばならないことまで細かく規定している。信者は、法を意識することなしに、日常生活を送ることができない。

    0
    投稿日: 2021.08.26
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    イスラーム文化を根元的に、統括的に、述べようとする良書。 イスラーム文化と一口に言っても、多層的多面的であることがよくわかる。 イスラームの大まかな概要を掴むのと同時に、ユダヤ教やキリスト教との相違点の理解も深まる。

    0
    投稿日: 2021.03.17
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    神(他なるもの)と隔てられていること自体が「罪」であって、修行によって自身を否定しなければいけない、というイスラム神秘守義の発想に惹かれた。恵まれた経歴を持ち、他者と隔てられることによって生じるある種の「加害」性や罪悪感、それをどう乗り越えればいいのか、ということについて近頃考え続けていたので。

    0
    投稿日: 2020.08.30
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    イスラム教がキリスト教やユダヤ教と同じ神を崇拝していることすら知らなかった私のような無知者でも一通りの知識は得られた(ような気がする)イスラム教の入門書。キリスト教ひとつとってもカトリック、プロテスタント、東方教会、西方教会、ルター派、カルヴァン派など様々な宗派が存在するのと同様に、イスラム教もまた同じ聖典「コーラン」からさまざまな宗派が派生し今日に至るまで闘争し続けている理由がよくわかった。おそらくこの先も統一されることはないだろうということも。 相関図を書かなきゃ分からなくなるくらい複雑ではあるけれども、キーワードが明示されているので整理すれば非常にわかりやすい説明になっている。 文化というものは個人の思考を消し去り、集団を闘争に導くほど強い影響力をもっている。自分の知らない文化を生きる人たちがどういう価値観で行動しているのか。グローバル化が進む中で避けては通れない知識になると思う。

    3
    投稿日: 2020.07.19
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    “言い換えますと、イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系でありまして、それに正しく従って生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。“ 例えば日本文化について3つのテーマから述べよ、と言われたら、仏教や神道などの宗教をテーマの一つに選ぶことはあるだろう。 しかし、法について、というのはどうだろう。 ちょっと思いつかない。 漠然とした「文化」なるものをどう切り分けるか、そこに各文化の特色が表れているとしたら、私たちの文化とどう異なっているのか、というのが本書を手に取った動機だった。 テーマは別れているが、副題の「その根底にあるもの」についての切り口が異なるだけで、常にイスラーム文化の核を見定めようとする姿勢は一貫しているのだと読み始めて気がついた。 期待以上の内容。 読書メモ ① 宗教 001 イスラーム文化の国際的性格と複雑な内部構造 002 「砂漠的人間の宗教」という誤解 003 商業専門用語に満ちた聖典 004 商業取引における契約との類似 005 アラブ(スンニー派的イスラーム)とイラン人(シーア派的イスラーム) 006 すべてのイスラーム的なものを集約する聖典『コーラン』 007 イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開である 008 『コーラン』と『ハディース』、第一の啓示と第二の啓示 009 『ハディース』というプリズムを介した『コーラン』の解釈の多様化 010 『コーラン』の解釈学的展開こそイスラーム文化の形成史 011 『コーラン』の特徴①神の言葉のみを綴った単一構成の書物 012 その②聖俗不分、「神のものは神のもの、カエサルのものも神のもの」 013 坊主のいない宗教 014 神と人の垂直関係と「預言者」という中間項 015 「イスラーム」=「絶対依嘱」 016 「子もなく親もなく、これとならぶもの絶えてなし」 017 非連続的存在観と原子論的存在論、因果律の存在しない世界 ②法と倫理 018 「コーランの歴史」20年、前期メッカ期と後期メディナ期 019 「神の倫理学」 020 メッカ期の不義不正を罰する復讐の神 021 「怖れ」=「信仰」 022 メディナ期の慈悲と恵みの神 023 「感謝」=「信仰」 024 イスラーム教徒、嘘つかない 025 実存的宗教から社会的宗教、個人から共同体へ 026 砂漠的人間の精神(血の連帯感)の廃棄 027 「物を盗んではいけない」は神がそれを悪いことと決定したから 028 「最後の預言者」の死と「ハディース」による補完 029 神の言葉という非合理的な啓示を合理的思惟によって解釈する 030 神の言葉そのものではなく、それを理性によって合理的に解釈したものこそがイスラーム法である 031 我々の法律は普段法の網の中にいることを意識せず、法が出張る事態となって初めてその存在に気がつく 032 イスラーム法は規範として常に意識される 033 自由解釈の禁止 034そしてイジュティハードの門は閉じる ③内面への道 035 二つの「知者」、ウラマーとウラファー 036 ザーヒリー的イスラーム、バーティニー的イスラーム、顕教と密教 037 シャリーアとハキーカ、イスラーム法と内面的実在性 038 二つの「内面への道」 039 シーア派的イスラームと神秘主義的イスラーム(スーフィズム) 040 シーア派のイマーム=内面的預言 041 外的啓示は終わったが、内的啓示は続いている 042 十二代目イマームの蒸発 043 「小さなお隠れ」と「大きなお隠れ」 044 不可視の次元、精神の王国の支配者

    1
    投稿日: 2020.05.26
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    イスラーム教に関する基本書。勿論日本のイスラム研究の初期に位置する学者であるため、イスラム世界の多様性や現代のイスラムへのまなざし等が踏まえられていないが、それをおしても、やはり本書はイスラム教という宗教の大枠を捉えるには格好の書籍。

    0
    投稿日: 2020.05.11
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    1981年、第2次石油ショック、イラン革命、イラン・イラク戦争の衝撃がおさらないなか、一般の人を対象とした講演を本にしたもの。 といっても時事的な話になるはずもなく、著者は、日本におけるイスラームがほとんど関心外であったことを指摘しつつ、その根源にあるイスラーム教の根本的な構造を明快に説明してくれる。 さすがに当時よりは、現在日本での一般的なイスラーム理解は進んだんだろうと思うのだが、それでも、知らなかったことをたくさんあった。 イスラーム文化というからには、やはりコーランが中心になって、それを絶対的な基準とするというところでの共通性がイスラーム社会にはあるのだが、その解釈の違いなどから、スンニ派とシーア派が分断していく内的な必然性がよくわかる。 それは宗教思想的な対立で、もともとコーランに内在する2つの方向から生じるものではあるのだが、そこにイスラーム教以前のアラブ社会とペルシア社会の文化の違いが影響していそう。 が、著者は、そうした対立まで含めて、ダイナミックな統合がイスラーム文化の特徴というふうに考えているみたい。 本論に入る前に、異文化と遭遇したときの葛藤、そこから争いが生じるとともに、違う文化が統合され、新しい文化が生み出される可能性について話してあって、この辺の議論の先見性はすごいな〜と思う。 個人的には、シーア派、そしてその中の神秘主義的なスーフィズムのあたりが、一番、面白かったな。 その辺が著者の一番の専門分野だと思うので、もうちょっと、その辺を読んでみることにする。

    0
    投稿日: 2019.11.12
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    「イスラーム生誕」に続けて読んだ。これまたおもしろかった! シャリーアに依拠するスンニー派(アラブ)と、ハキーカに基づくシーア派(イラン)、そしてハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズムの3つについて述べられている。 スンニー派とシーア派の違いについてよくわかった。かたや「外面への道」、かたや「内面への道」というまったく逆の道をたどるのだと。 スンニー派もシーア派も、現世を悪と考えるところまでは同じだが、シーア派は悪いスンニー派のように悪い現世を良くしようとはせず、現世に背を向ける。隠者、世捨て人として長い修行の道を行く。これが自己否定の道であり、これを突き詰めていくと、まるでヒンドゥー教の「解脱」のように、「照明体験」(イシュラーク)に到達し、人間が神になってしまう。 これに対して筆者はこう述べる。 こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行き着くところまで行き着いたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。(略)これほどまでに純化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまできているのであります。(P223)

    0
    投稿日: 2019.10.21
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    ◯イスラーム文化を理解するための入門書。 ◯大学受験で世界史を選択した者であれば、おおよそ知っている話が多いが、その文化や精神世界を改めて論理的に説明されると、なるほど、理解が深まり、面白い。 ◯歴史的なイランとイラクの相克や、トルコやエジプトに関するイスラーム世界での立ち位置なんかも知ることができる。 ◯現代の中近東における国際政治の動向を知る上でも、導入書としてオススメの一冊。

    2
    投稿日: 2019.08.18
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    いやぁ、これまた滅茶苦茶面白かった スンニーとシーアとスーフィズムなんて、ろくな説明聞いたことなかったけども、凄くわかった 例えば、 スンニー派は、コーランに描かれる世界の後半期であるメディナ期の方向性に近く、感覚的で現実主義的なアラブ社会的感覚にのっとった考えで、イスラーム法を守ることを至上とし、いわゆる顕教的にコーランに対する。 シーア派は、コーランの前半期のメッカ期的な感覚が強く、ゾロアスター教をルーツにもつ幻想的で神話的な世界観を持つイラン的なものであって、密教的にコーランに対する。ただ、密教的解釈ができるのは歴史的に承認されたイマームだけ。 スーフィズムは、密教的だけど、シーア派よりも更にオープンというか、承認されたイマームでなく、修行をつむことでワリーという状態に、いわゆる解脱できる すげー雑に説明するとこうなる こんな言い方、誰もしてくれない コーランに描かれている世界は20年間の時間的広がりがあること、イラクなどのアラブ世界と、イランとには違いがあること それは砂漠の騎士道的世界と、ゾロアスター教的世界と 無我を説いても、仏教とは確実に異なるのは、あくまでイスラムは絶対的一神教の一元論がベースだということ などなど やー面白かった 次はついにコーラン行きます

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    投稿日: 2018.11.24
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    イスラム教圏の文化についてよくわかる。 疑問に思っていた、 ・ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の関係 ・コーランだけが聖典なのか ・アラブ人とイラン人の違いとは ・スンニ派とシーア派の違いとは ・それぞれの宗派の考え方とは を解決してくれた。 キーワード: 1次聖典コーラン、2次聖典ハディース:言行録、ムハンマドはただの預言者、メッカ期とメディナ期、聖俗不分離、イスラム法(シャリーア:水場への道)、ウラマー(外面への道をとる人)とウラファー(内面をへの道をとる人)、シャリーアとハキーカ、タアウィール(原初に引き戻す)

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    投稿日: 2018.11.18
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    知的好奇心を満たすとてもおもしろい本。 イスラーム文化の精神性、多重性、信仰だけに留まらず、社会規範としての役割など、までもわかりやすく説明されている。手元に置き、線を引いて読み返す。

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    投稿日: 2018.10.15
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    イスラム全体を宗教・法・分派(スンニ派・シーア派)の観点で俯瞰して整理した本。多数のスンニ派に対し、イランのシーア派は密教的な立ち位置など全体感がよく分かります。1981年に書かれたとは思えないのです。 続きはこちら↓ https://flying-bookjunkie.blogspot.jp/2018/05/blog-post_22.html

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    投稿日: 2018.05.22
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    スンナ派、シーア派、スーフィズムの思想的な特徴が、『コーラン』の解釈の仕方という形で、実にうまく整理されている。

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    投稿日: 2018.05.06
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    井筒俊彦氏(1914~1993年)は、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行した、イスラーム学者、言語学者、東洋思想研究者。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、ギリシャ語等30以上の言語を流暢に操る語学の天才と言われ、多くの著作が英文で書かれていることから、欧米での評価も高い。 本書は、1981年に著者が行った講演を基に同年に出版された作品を、1991年に岩波文庫から再刊したものである。 本書は、副題に「その根柢にあるもの」と付けられているが、その意図について著者は、「「根柢にあるもの」と申しますのは、教科書風、あるいは概説書風に、イスラーム文化の全体を万遍なくひととおりご説明するのでなしに、ひとつの文化構造体としてのイスラームの最も特徴的と考えられるところ、つまりイスラーム文化を他の文化から区別して、それを真にイスラーム的たらしめているものをいくつか選びまして、それを少し掘り下げて考えてみたいということでございます」と言い、①イスラーム文化の宗教的基底、②イスラームの法と倫理、③イスラームの内面への道、という3つの側面についての考察を語っている。 そして、講演を基にした滑らかな文章を読み進めるうちに、コーランとは? ユダヤ教・キリスト教・イスラームの関係は? イスラームの神アッラーとは? ムハンマドとは? イスラーム法とは? メッカ期とメディナ期(の違い)とは? 共同体(ウンマ)とは? ハディースとは? ウラマーとウラファーとは? シャリーアとハキーカとは? スンニ―派とシーア派(の違い)とは? イマームとは? イスラーム神秘主義(スーフィズム)とは?。。。等の、イスラームのポイントが次々に明らかにされ、まさに「イスラームとは?」が浮かび上がってくるような気がするのである。 近時、イスラームに関する書籍は数多出版されているが、イスラームの根柢にあるものをこれほどわかりやすく、かつ簡潔に語ったものは少ないのではないだろうか。 30年以上前の著作であるが、イスラームを理解する上で比類ない良書と思う。 (2018年4月了)

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    投稿日: 2018.04.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    これまでに10冊ぐらい読んできた様々なイスラム教/ムスリム文化の解説書の中では一番読みやすかった。文庫サイズでここまで理路整然と論を展開する本に出合えるとは思っていなくて、嬉しい喜び。 アラブのスンニ派とイラン人(ペルシア人)のシーア派は対照的な信仰体系を持ち、内的矛盾を抱えているものの、その矛盾も包括して全てを統一しているのが「コーラン」であること。 コーランは神の言葉であるがそれを解釈するのは人間的な営みであり、どう読むかは個人の自由に任されていること。それによりイスラムの多様性、多層性が生まれていること。 コーランにおいては聖俗の区別はなく、すべての営みがイスラームの範囲に入るため、生活のすべてが宗教になること。そのため、協会と世俗とを切り離すキリスト教とは、ルーツを共有するにも拘らず決して相いれない対立が生じること。 イスラーム発祥の時期のアラビア世界において常識だった「血の共同体」を破壊することによって、単なる「アラブの宗教」だったイスラム教が一般性・普遍性を獲得できたということ。 外面にある共同体を探求する道と内面にある密教的な要素とが混在する中で、外面を探求する側が体制派となり内面的イスラームであるシーア派が迫害に晒され、それが現在も続く禍根となっていること。 こうした、外面を辿る顕教的要素と内面を突き詰める密教的要素とが緊張感をもって混ざり合うことで、多層的な文化を織り成すのが即ちイスラームであること。 ほかにも、書ききれないほど多くの「イスラム教の基礎知識」が解説されています。これまで、いろいろと呼んでみてもイマイチしっくり理解できなかったシーア派とスンニ派の対立の軸や原因が、この本でだいぶ腑に落ちました。 イスラム入門書にもなりえるし、自分のようにいくつか読んでみたら余計わからなくなったという人の論点整理にも使える本だと思います。

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    投稿日: 2017.12.29
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    1981年に3回にわたって行われた講義を書籍化。メッカ、メディナそれぞれの時代の成立の歴史、メディナ期以降のイスラーム法成立と政治運営の関係、外面的な方向性を持つスンニ派と内面的な方向性を持つシーア派の比較、さらには自己を否定するがゆえに「我=神」の境地となるスーフィズムまで。再読しなくては。

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    投稿日: 2017.09.27
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    イスラム研究の碩学による講演録(81年の講演録なので、岩波文庫というより岩波新書か岩波現代文庫のほうが向いてそう)。 アラブをイスラム的たらしめている要素を、宗教、法と倫理、内面への道という3つの視点から解説している。表層的な制度や習慣ではないその背後にある思想やパターンが立体的に描かれていて、とても面白く読めた。著者独特の偏りがあるようなので鵜呑みは禁物っぽいが、ここまで切れ味のよいイスラム関係の本はなかなかないんじゃないか。 しかし、この井筒俊彦って人、Wikipedia読む限り天才どころの話じゃないな。

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    投稿日: 2017.08.16
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    イスラム教を理解する入門書として最高。非常にわかりやすい。他の有名宗教との違い、コーランのメッカ期とメディナ期の特徴、スンニー派のシャリーアと共同体思想、それに反するシーア派のハキーカの概念、そしてスーフィズムの神秘主義について、丁寧に解説している。中近東の歴史や現在も起きている国・権力者・民族の紛争を理解するにおいて、イスラムを避けて通る事は不可能であると改めて実感した。

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    投稿日: 2017.05.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1991年(底本1981年)刊。著者は慶応義塾大学名誉教授(元イラン王立研究所教授)。  タリバーン、オスマン・トルコ、ムハンマド、現代イラン(イラン革命)、サダム・フセインとバース党、石油とメジャー、イラ・イラ戦争や湾岸・イラク戦争、そしてイスラミック・ステート。  かように、日本で刊行されるイスラム関連書でもテーマは多岐にわたるが、その骨とも言うべきはイスラム教だ。  一方で、その教義や解釈、歴史的過程や社会的影響は実は地域と時代に応じて多義的であるが、報道等ではステロタイプ的な視座が解消されない。  本書はイスラムの多義性を前提とした上で、イスラムに一本の串を指すかの如き解読指針を付与していく。  しかも、絶妙な包丁捌きで行なう解説が簡明かつ秀逸。まず、 ① イスラム社会の脳とも神経系とも言えるイスラム教に触れた後、 ② 社会での骨格とも筋肉系ともいえるイスラム法と倫理にメスを入れ、 さらに ③ 外面を素描した②と対極の内面・精神面に考究の筆が及ぶ。  本書を初めに読むのもよし、幾つかイスラム関連書を読破した後に幹を入れるべく読破するも良し。何とも使い勝手の良い良書である。 備忘録。 ① イスラム法は神による命令・禁止規範。が、規範としてコーランは不明確。ゆえに禁止規範の内容を論理的に確定すべく、西欧的三段論法とは異質の論理性=命令法に関する文理解釈・論理解釈・勿論解釈などの考究が精緻を極める。 ② メッカ(前半)とメディナ期(後半)でコーランの立ち位置が大きく違う。これが後世イスラム教義の違いに関わる。 ③ 神の一元的・絶対的価値の尊重 →⑴ 神の御手が全てを差配し、原因・結果のような因果性を否定。  ⑵ 神の前の平等の強調と、神の絶対性(一方的権利・命令主体)と人間の無力さ(一方的義務主体)。

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    投稿日: 2016.12.23
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    今年から井筒先生のご著書も読まないとと思っています。まずは、入門編から。講演録ではありますが、イスラームの根底にあるものを、宗教、法と倫理、内面への道(神秘主義)の三つに分けて論じる本格的なイスラーム文化の概説です。

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    投稿日: 2016.10.31
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    イスラーム文化の根底的精神を掘り下げて解説。 出版年は古いが、古さを感じさせない普遍性を持つ。 現代のイスラーム情勢を考える上でも必読と言える。

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    投稿日: 2016.10.21
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    コーランの内容は商人の言葉で満ちている。 アッラーはヒジュラ(聖遷)の前後で変容する。前期は脅威であり、後期は救いである。 「お隠れ」になったムハンマドの子孫が、終末に姿を現し人々を救うのを待っている。

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    投稿日: 2016.08.18
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    イスラムをイスラムたらしめているものを、仏教、キリスト教との比較、日本人の視点から、素人向けに説明。 20年以上前の本ですが、古さはありません。イスラムについて、正しく知識を吸収しているという、本当によい気分になる本でした。 これを理解してこそ、いまイスラム世界で起こっている紛争を理解することができると思う。 ・イスラムは政治・経済・生活のすべてがコーランに帰結する ・イスラム世界のすべてが聖であり、聖俗の区別はない。(よって聖職者という人たちも存在しない) ・多数派のスンニ派はコーランを外部的に理解する ・少数派のシーア派(イラン)は内部的に理解する ・中でもスーフィー派、仏教的な思索”自我の放棄”を志し、世を捨てることで神との一体化を求める ・神と民の関係は、父と子のような親しいものではなく、主人と奴隷という、絶対的な主従関係。 ・コーランの新たな解釈をしない、ということもすでに決めらており、ゆえに石油でお金を持っている国も民主化することに躊躇する ・トルコは聖を捨て、世俗化した。(アラビア語も捨て、アルファベットのトルコ語を採用した)

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    投稿日: 2016.05.16
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    ドゥテルテがほんとに大統領になったら、フィリピンのイスラムとの関係はどう変わるんだろうねえ、なんていう仕事での絡みは少し薄くなった今日この頃。でも不勉強はいかんと「世界的権威がやさしく語った、知っておくべきキホン」と帯にあったこの本を。とはいえ、「第一にシャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム、第二に、イマームによって解釈され、イマームによって体現された形でのハキーカに基づくシーア的イスラーム、そして第三に、ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム、この三つのうちどれが一体、真のイスラーム、真のイスラーム的一神教なのか。それぞれが自分こそ真のイスラーム的一神教を代表するものだと主張して、一歩も譲りません。イスラーム文化の歴史は、ある意味ではこれら三つの潮流の闘争の歴史なのです。」という感じなのでまだまだ「理解」には程遠いです。

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    投稿日: 2016.05.08
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    井筒俊彦は中沢新一の評論の中でたびたび引用されるイスラーム学の第一人者という認識でしたが、実際はそれ以上に言語学の権威として知られている天才です。この「イスラーム文化」というのも引用された文献だったので積読していたのだと思います。それぐらいの興味だけだったのですが、ここ数年のISなどのイスラム原理主義者を名乗る組織の過激な行動に世界的な危機を感じざるをえず、さらにはシリアを中心として多くの難民が世界中に流入しようとしている世界情勢の中で、そろそろ本当に日本人もイスラム圏のことを他人事で済ましてはいけない時期に来ていると思うのです。 それを口実に読みだしたのですが、この評論は1981年に刊行されており、つまり35年も前の言説でありながらすでに現代を予見しているかのような危機感を井筒俊彦は語っていることにまず驚くばかりです。当然ながら35年という時代の流れでイスラムの文化も変わっているでしょうし、井筒俊彦の思想も現代思想からするとそれなりに古くはなってきているでしょうから、それは当然考慮した上で、しかしながら世界的に権威のある天才学者の言説が簡単に老朽化するわけはなく心に響くはずなのです。 難解な内容を予想していましたが、この書籍は1981年に一般人向けに行われた講演をテキスト化したものだそうで、そのため非常に平易な内容となっており井筒俊彦の入門書には打ってつけでした。この後に「意識と本質」が控えているのですが・・・。 今回遅ればせながらイスラームという宗教についての比較的詳細な内容を知ることとなりその内容に非常に驚きました。キリスト教ともかなりの違いがあり、日本人のぼくには理解し難い隔たりを感じました。 まず神と人間の関係が主従関係にあるということ。キリスト教では親子関係にありますが、イスラームでは主人と奴隷の関係でそこには商売をモチーフとした労働対価としての幸福を約束しているようにも取れます。キリスト教的な慈悲や慈愛とは少し違う感覚があるように感じました。 またその関係において神は日常的に人間の生活に存在し信仰し続けなければなりません。そのため朝起きて夜寝るまで神への信仰心は忘れてはならず神へのおつとめも日常的に行われなければならないのです。さらにこの日常は神が非連続的にいまも創造しており、その創造を止めた途端に世界は無に還る、そのためにも毎日の神へのおつとめは欠かせないのかもしれません。そしてさらに違和感を感じたのは、主従関係における奴隷の立場をあえて強固にするために人間を完全な無力の存在として置いた他力信仰がベースとなっているということです。また、先祖代々受け継がれる血縁の関係を無効とし、信仰における神との主従関係に基づく宗教的共同体としての関係に重きを置いていることも非常に理解し難い考え方です。ともすれば新興宗教にありがちな危険な感じも受けます。 とここままでは、実はサウジアラビアを中心として信仰されている正統派いわゆるスンニー派の説明となっており、3回目の講演においていよいよイランを中心として信仰されているシーア派の説明を行ないます。 このふたつの宗派の大雑把な違いはスンニー派が実存主義的、現実主義的であるのに対してシーア派が神秘主義的、超現実主義的であるということらしいのですが、本当はもっと奥が深い、ネイティブでないと分からないような違いがあるのだと思います。でなければ宗教戦争にまで発展しないでしょうから。そしてさらにはシーア派の先に「我=神」を標榜するスーフィズムという究極の第三極があり、スンニー派、シーア派、スーフィズムの三つ巴的な争いがいまも続いているようなのです。 井筒俊彦はこの三つ巴こそがイスラームの文化を構築している要素であるということで締めくくっていますが、そのように相反する宗教的理念がひとつところで纏まるはずもなく、だからこそいまもなお燻っているのがイスラーム文化なのでしょう。 まあとにかく非常に読みやすく読み応えのある逸冊でした。

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    投稿日: 2016.01.10
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    イスラームの考えは、我こそ絶対。イスラームは唯一絶対の「永遠の宗教」­であり、神が色々な形で現れ、多くの「啓典の民(ユダヤ教、キリスト教、­ゾロアスター教)」を成立させてきた。­ イスラーム共同体というものは、単にイスラーム教徒だけでできている­共同体ではなくて、イスラーム教徒が一番上に立ち、その下に複数の­イスラーム以外の宗教共同体を含みながら、一つの統一体として機能­する大きな「啓典の民」の多層的構造体­ イスラームは自分がてっぺん故、本来、改宗を強要しない寛容な宗教であり、­キリスト教を庇護の下においた時代には、異教税のような金はとりつつも、­信仰の自由を許したこともあるようだ。しかし、ユダヤ教については事情が違う。­ イスラームは、イスラエルのユダヤ人を、神との契約を結びながら履行しなかった­背信者と位置づける。あらたにその契約を神と結びなおし、今度こそそれを­完全に履行し「神を怖れる(=信ずる)」人々を再び地上に出現させる。­それはイスラームの使命である。­ 「イスラエルの子らよ、わし(神)がかつて汝らに施してやった恩恵を憶い起すがよい。­わしとの契約を履行せよ。さすればわしもまた汝らとの契約を履行しよう。(コーラン)」­ イスラームの大原則は「聖俗不分」であり、炊事洗濯からお祈りまで、すべて­行動は神(コーラン)の思し召しのままに。パレスチナ(イスラーム)がイスラエルを­攻撃するは必然、となってしまう。­ 一方のイスラエルは、オバマ政権の誕生に配慮しパレスチナへの侵攻は休止したものの、­総選挙で右派・宗教勢力が伸張し、イスラームへの対決姿勢を強めている。­ クリントン米国務長官は今日、イスラーム世界と「テロリストとは峻別し、意見­交換していく必要がある」と述べたようだ。イスラームにとっても、如何に多様な­現実世界と信仰のバランスをとっていくかは今日的な課題であり、大きな転機を­むかえていると思う。­ しかし、宗教だけでかくも根深い。­ 宗教と、民族と故郷と聖地をめぐるかの地の混乱は続きそうだ。­

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    投稿日: 2015.12.27
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    絶対的なる君主である神と、その奴隷である人間。その関係は契約関係であり、その前提にたてば予言者を含め全ての人が平等である。世俗的なものは存在せず、コーランやハディースから導かれたシャーリアによって全てが規定されるスンニ派の共同体的イスラム。一方でイマームによって体現されたハキーカを重視するシーア派。イスラム教の根底にある宗教感を踏まえて、イスラム文化を学ぶことができる。

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    投稿日: 2015.11.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    イスラム教はユダヤ教、キリスト教を許容しつつ(モーセやキリストも預言者として認めている)、最後の預言者であるマホメットの啓示である「コーラン」のみを根拠(+ハディース:マホメットの言動録)とする宗教である。キリスト教(キリスト教ではキリストは神の子)と違い、コーランを通じて直接「神:アッラー」と対峙するのがみそ。 これらの宗教の特徴は「契約」であり、神のみを信じてしもべとなることが要求される。理由は、最後の審判において天国に行けるように・・・。 この点、仏教は原始的には「知恵」であり、苦しみを取り除く方法論である。それが、神格化され、物語化されて広がったものなので、強制力はゆるい。困ったときに助けてもらうイメージ。 死生観も様相が異なっている。最後の審判における天国、地獄のふるい分けが中心となって、絶対帰依を要求するホットな契約型宗教と異なり、仏教では極楽浄土や閻魔大王は存在するものの、ベースは「輪廻転生」や「諸行無常」というクールな見方であり、その証拠に、死者はみんな「仏さん」となる。(厳密には成仏しないとならないが、悪人も簡単に成仏させてしまうのは、最後の審判的なことが重視されていないということだろう。「契約」よりも「救い」が重視されているのである。)ホットな契約型宗教ではおそらくこれは許されないだろう。 イスラム教はアラブ民族の宗教のイメージが強いが、もともとアラブの遊牧民は部族を中心とした排他的な人間関係を形成していた。その意味では、神の前にみな平等として、違いのあるままにすべてを許容するイスラム教は都市型宗教といえる。さらっと書くとこうなるが、血の掟の結束力を誇る部族中心の世界と家族よりも当然神が優先される世界との正面衝突と考えた方がいい。しかし、血統中心から信仰中心のつながりによる共同体によりイスラム教は世界宗教としての普遍性を持った。 世界の4分の1の人が信じるこの宗教は、共産主義がこけた今、資本主義経済の弱みである「平等」の思想を最も明確に主張、実践する思想であり、家族制度の混乱する中、家族を超えた(国をも超えた)共同体として結びつくルールやしくみを持った唯一の宗教であり、その動向が注目される。 過激派がどういう分類になるのかは、よくわからない。 ●宗教 マホメットの活動した20年のうち前半10年(メッカ期)と後半10年(メディナ期)では性格が異なるという。 前半のメッカ期は終末論的なネガティブイメージであったが、後半のメディナ期に現在のイスラム教に通じる共同体を形成し横のつながりも重視するポジティブイメージに変化した。 ●法と倫理 イスラム法は明文化されたものではなく、コーラン(ハディース)を学者が解釈したもの。→神の意志を禁止と命令の形にまとめたもの。生活のすべてにわたる。 政治とも不可分。 通常、法は意識されることがなく、何か特別の事態に巻き込まれたときに法の存在を知ることになるが、イスラム法の場合は意識せずに日常生活を送ることは不可能。 これを破ることは、宗教的な背信行為となる。 この自由な法解釈は、9世紀に禁止されて以降不変。 →近代化に支障? 一方、高い倫理性を維持している。 ●内面への道 イスラームを共同体化し、政治化し、法制化する方向性を「外面への道」(スンニ派)とするならば、物事の隠された意味を深く知ろうとする「内面への道」(シーア派)を重視する方向性もある。→コーランを暗号として解釈する。 シーア派はモハメッド死後、正統カリフ時代以降4代目のアリーの系統(イマーム系列)のみが後継者と認める立場。 スンニ派は慣行(スンニ)を認め、すべて正統とする立場。多数派のスンニ派が少数派のシーア派を迫害する歴史。 内面重視には、神秘主義的なスーフィズムもある。

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    投稿日: 2015.09.11
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    井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』(岩波書店、1981 ; 岩波文庫、1991) 著者は慶応・文出身でのち慶大教授となったイスラームの第一人者。コーランの初翻訳や、研究のため20ヶ国語をマスターした天才ぶりで著名です。 本書ではイスラーム文化を概観する観点から、「宗教」「法と倫理」「内面への道」の3本立ての講義スタイルをとっています。2014年はイスラーム国が盛り上がり、研究者が表に出たりしていましたがどうもとっつきにくいものです。 ここでは「法と倫理」の項でキリスト教など「アブラハムの宗教」の枠組みで一神教が取り上げられており、その比較をみていくと分かりやすく読めました。 「神のものは神へ、皇帝のものは皇帝へ」という聖俗分離のキリスト教の発想は、すでに神の赦しを得たことで失楽園の原罪を持たないイスラームにおいてはそもそもありえず、徹底的な現世の肯定、改善へと向かっていきます。その現世肯定、改善のツールがイスラム法であり、個別具体的な事案に対してイスラーム法上の解釈を与えていくのが指導者の役割でありました。 【本文より】 ○しかし、この興味深い ― というより意味深長であるはずの ― 人間の失楽園体験も、イスラームにおいてはキリスト教におけるような重みはもたされておりません。『コーラン』はそれをむしろ軽く扱ってしまう。すなわちアダムとイヴは、一旦は楽園を追い出され、地上に落とされますが、その後神に罪を赦されるのです。 「しかし(後に)アーダムは主から(特別のお情けの)言葉を頂戴し、主は御心を直して彼に向かい給うた。まことに主はよく思いなおし給う。主は限りなく慈悲ぶかいお方。」(2章35節) ○この意味でイスラーム法とは人間生活の正しいあり方に関する神の意思そのものを法的に体系化したもの、契約化したもの、構造化したものです。ですからイスラーム法は、全体として、命令と禁止の体系であります。神の意思とは要するに神の命令であり、その否定が禁止なのですから。ある一定の犯罪的状況を想定しておいて、それに一定の刑罰を当てはめるというのでは全然ありません。終始一貫して、何をせよ、何をするなという体系なのです。命令と禁止の体系です。

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    投稿日: 2015.08.23
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    いやー難しい、というかこれが本質なのだろう。 スンニ派、シーア派、スーフィズムやメッカ期とメディナ期があることなどを学んだ。

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    投稿日: 2015.07.14
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    イスラム教の成り立ち、ムハンマド、コーランの位置付け、 イスラム法の意義など、イスラム文化の基本的な構造が分かり易く 説明されている。また、スンニ派(アラブ、顕教的) とシーア派(イラン、密教的) の違いや、さらにはスーフィズム(イスラム神秘主義)についても言及されていて、宗派対立の原因となる思想的背景やイスラム文化の多様性を理解する上で、私にとって非常に有益な基本的入門書となった。

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    投稿日: 2015.05.12
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    イスラームの基礎を、一般読者向けに3回にわたって講演した内容を書籍化したもの。初版は30年ほど前なので、触れられる事件は歴史を感じさせるものだが、内容は(イスラームに関して、ほとんど知識を持っていない私には)非常に充実していた。一般読者向けのため、講演という形態のため、大胆に概略化しているところもあるかとは思うが、非常に理解しやすかった。 著者がまえがきで指摘する、日本人のイスラームに対する視点(時事的関心)は、ISによる事件が起こった今でも、ほとんど変わっていないように思う。イスラムの基本的な知識を得たい人には最適。 (2015.4)

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    投稿日: 2015.04.02
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    最近多くのイスラム本が出回っていてどれを選ぶべきか迷うので、まずは手に取った一冊。3時間分の講演録とは思えないくらい中身が濃い。

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    投稿日: 2015.03.27
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    イスラーム研究における世界の「巨人」井筒俊彦先生の著作で1981年刊行。発刊された時に読んだのだけど、当時は内容が難しく感じた。今回読みなおしてみると当時の記憶がほとんどなく、新鮮な内容として読めた。 イスラームの理解の基本だる事項を丁寧に解説してくれており(今回は)非常に読みやすく感じた。 1.宗教、2.法と倫理、3.内面への道と3部構成で書かれている。この3つの面から理解を進めることが基本である。 この本を読んだうえで、昨今刊行されているイスラーム問題の良書を選んで読んでいきたい。

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    投稿日: 2015.02.28
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    昨今の情勢から、イスラムを理解する必要があると思い、書評を見て読んでみました。 本当に名著ではないでしょうか。これだけ本質的なことを分かりやすく書けている本は少ないと思います。

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    投稿日: 2015.02.14
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    碩学の昭和56年に3度に分けて行われた講演を文庫で読めるのはありがたい。膨大な知識と深遠極まりない思索を凝縮して伝えてくれているものを評して分かりやすいと呼ぶのは容易だし、事実分かりやすく語られている。しかし、本当に、「イスラーム文化とはなにか」をものにできたかといえばもちろん心許ないというしかない。イスラーム文化、法律を含めて、おぼろげにイメージを与えてもらえただけでありがたかったというべきだと思う。所詮、コーランには一読目を通したこともない素人には、本書の引用を手がかりに知るにしてもそこが限界だろう。

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    投稿日: 2015.02.12
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    講演録をまとめたものであり、宗教、法と倫理、内面への道という三段階に分けられている。 イスラーム文化 その根底にあるもの ということで、イスラームの権威である著者だ深く掘り下げながらもとっても解りやすく書かれている。 スンニ派とシーア派、内面主義と外面主義、体制派と反体制派、このことは1000年の歴史を有する戦いである。 イスラーム文化をしっかり把握しないで、表面的なマスコミのニュースだけを聴いているだけでは、到底理解できないものであると理解できました。 今後、イスラームのことについて勉強しようと思っています。

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    投稿日: 2015.02.10
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    普段の生活では実感できないイスラーム文化の、根柢にある本質を知ることができる(気がする)すぐれた1冊。 ・砂漠的人間(遊牧民)をイメージしがちだが、商人の道義(契約の重要性、嘘をつかない、約束を守る)を反映した商売人の宗教である。 ・聖俗不可分であり、人間生活の日常茶飯事・政治まで宗教の範囲に入る。 ・一神教であり、神アッラーは人格的、唯一的、全能的である。 ・来世的存在次元を至上価値として認めたうえで、準備としての現世を重視する。 ・神と人間間の倫理学は、やがて人間同士の同胞的な結びつきをもつようになる。すなわち社会性を帯びる。(イスラーム共同体=ウラマー) ・神の面前で結ばれた相互契約によって完全平等である。“イスラームでは教皇(カリフ)も乞食も全く平等だ” ・「聖典の民」(あるいは啓典の民:キリスト教・ユダヤ教)に改宗を強制しない。ただし特別な税金を課す。貴重な財源であり、当初為政者はむしろ改宗させないようにする現実的手段をとった。それ以外の民には改宗か聖戦(ジハード)あるのみだが、警告を繰り返し、聞き入れないばかりか暴力で反抗し積極的に阻害しようとする場合のみ戦うのであって、原則的に強制改宗を嫌う。 ・イスラーム法(シャーリア)とは、神の意志(命令)に基づいて、人間が厳正で生きていくうえでの行動の仕方を規定する一般的規範の体系。宗教的儀礼、民法、親族法、商法、刑法等々の分野まで含む。 ・イスラーム法構成要素の第一は『コーラン』。預言者ムハンマドにたいする神の啓示の記録。全イスラーム文化の原点。 ・しかし『コーラン』だけでは具体的な規定が足りない。そこでムハンマドの言動の記録「ハディース」が第二次的法典となる。 ・『コーラン』「ハディース」だけでも法的規定にはならずテキスト解釈が必要となる。収拾がつかなくなるので、9世紀の中ごろには聖典解釈の自由が禁止されている。 ・聖典解釈の違いにより多くの学派が起こっている。正統派(スンニー派:シャーフィイー派など四大法学派)、対立するシーア派。なお、法的解釈はあくまでも論理的である。 ・イラン シーア派では、「ハキーカ」(内的真理)が重要視される。 なお、池内恵氏による本書評は、「井筒の、井筒による、井筒のための、独断と価値判断に満ちた、一筆書きのような思想史・社会論が好きだ。「井筒個人のイスラーム観」は、このようなものだったと思う」となる。井筒氏は「シーア派重視」「神秘主義こそ宗教の発展する道」という特徴があるというのが池内氏の指摘。井筒の言っていることだけを読んでそれが「イスラーム」だと思い込んで、現実のアラブ世界の政治についてまで論評してしまう、しかも「現代思想」の分野ではそれが主流だったりする傾向を問題視している。

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    投稿日: 2015.02.08
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    基本的な知識が決定的に不足していることを痛感しつつ、多くのことを知ることができた。 アブラハムの宗教。 メディナでムハンマドが作った共同体。 ハキーカ。イマーム。

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    投稿日: 2015.02.07
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    著者の井筒俊彦は,日本を代表する哲学者・言語学者・イスラーム学 者で,コーランを初めて日本で訳出した方です。語学の天才で,20カ 国語以上を操ったと言われ,ギリシャ神秘思想,ペルシャ・イスラム 哲学,仏教,老荘思想などを渉猟して独自の東洋哲学を打ち立てた方 です。その業績に対しては,日本よりもむしろ欧米での評価のほうが 高く,カナダやイランの大学で教鞭をとっていました。昭和が生んだ 不世出の天才であり,本物の知識人・文化人です(1993年没)。 本書は,そんなイスラーム学の泰斗が,1981年に,経団連の依頼に応 えて行ったというビジネスマン向けの講演をとりまとめたもの。1時 間ずつを3回,たった3時間の講演内容ですが,実に深淵な内容にな っています。しかも,わかりやすい。「イスラーム文化における根底 的なもの,イスラーム文化の精神とでもいうべきもの」を解き明かし, 「イスラーム文化を真にイスラーム的たらしめている生きた精神の把 握」を目指した本書は,イスラーム文化の本質を理解する上で,稀有 な入門書と言えるでしょう。 著者は,冒頭,「われわれ日本人がイスラーム文化圏に対して,本当 に真剣な時局追求的な態度をとり出したのはごく最近のこと」と言っ ています。二度のオイルショック,ホメイニのイラン革命,人質問題, イラン・イラク戦争など,矢継ぎ早に中近東に事件が起きていたから です。それまでは,中近東の事態は,日本人の大多数にとっては他人 事で,十字軍以来相互に愛憎のしがらみに生きてきた西欧諸国とは, 全く違うのだった。しかし,急速に国際化する中で,「日本人のいま 生きている現実そのものの中に織り込まれている」中近東と向き合わ ざるを得なくなっている。日本人の立場から,「イスラーム文化をど のような目で見,どのような態度でその呼びかけに応じていくべきか」 を考えざるを得なくなっている。そういう時代背景の中で,著者は, イスラームに関心を向け,理解のための努力をすることの必要性を説 いたのでした。 それから30年後の今また,「イスラームを他人事として簡単に片づけ てしまうことができないような事態」が起きています。しかし,イス ラームを憎み,嫌悪し,恐怖する前に,彼らのことをもっと理解しよ うと努力するべきではないでしょうか。彼らが持つ石油資源に依存な がら,彼らの精神世界にも文化にもほとんど関心を示すことなくここ まで来てしまった。そのことをまず反省すべきではないでしょうか。 本書を一読してわかるのは,イスラームは神と共に生きてきた,とい うことです。イスラームとは「絶対帰依」を意味する言葉で,神と人 間の関係は,キリスト教のような「父と子」のような愛に満ちたもの ではなく,「主人と奴隷」の関係だといいます。絶対に神を裏切るこ とはできず,日常生活の全てにおいて神との契約を意識しながら生き ている。嘘は許されない。そういう苛烈な精神世界を,イスラームの 人々は生きている。そして,神の意志を実現し,少しでも理想的な社 会へと近づけるよう,世界を建設する努力を続けているのです。 それを前近代的だとか,独善的だと切り捨てても始まりません。彼ら はそうやって何百年も生きてきたのです。逆に,そういう生き方をし てきた人々に,我々日本人はどのように見えているのでしょうか。信 じる神を持たず,経済成長以外にどんな理想を持って生きているのか わからず,為政者達が平気で嘘をつく我々日本人のことを。 無宗教で生きてきた日本人に,イスラームを理解するのは不可能かも しれません。でも、分かり合えなくてもいいんです。ただ,排除し合 わずに,共に生きていける社会がつくれればいい。多元的な社会を生 きるとは,そういうことではないでしょうか。 時局的言説に惑わされ,取り返しのつかない過ちを犯さないためにも, こういう時こそ,本物の知識人の冷静な言葉に耳を傾けたいものです。 たった200ページ余ですので,是非,読んでみて下さい。 ===================================================== ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文) ===================================================== かつて中国文化との創造的対決を通じて独自の文化を東洋の一角に 確立し,さらに西欧文化との創造的な対決を通じて己れを近代化す ることに成功した日本は,いまや中近東と呼ばれる広大なアジア的 世界を基礎づけるイスラーム文化にたいして,ふたたび同じような 文化的枠組の対決を迫られる新しい状況に入ろうとしているのでは ないでしょうか。 ひるがえって反省してみますと,従来われわれ日本人はイスラーム にたいして余りにも無関心でありすぎました,学問的にも,また常 識的にも。 いままでのようにイスラームを他人事として簡単に片づけてしまう ことができないような事態が,われわれの周りに現実化しつつあり ます。 イスラームとはいったい何なのか,イスラーム教徒(ムスリム)と 呼ばれる人たちは何をどう考えているのか,彼らはどういう状況で, 何にどう反応するのか,イスラームという文化はいったいどんな本 質構造をもっているのか,??それをわれわれは的確に把えなければ ならない。それがはっきり主体的に呑みこめないかぎり,イスラー ムを含む多元的国際社会なるものを,具体的な形で構想したり,云 々したりすることはできないからであります。 本来的,あるいは根源的には,イスラームは何といいましても,あ くまで宗教であり,ひとつの特徴ある信仰体系であります。 イスラームにおいては,宗教は人間の日常生活とは別の,何か特別 な存在次元に関わる事柄ではない。人間生活のあらゆる局面が根本 的,第一義的に宗教に関わってくるのです。(…)およそ人間が現 実に生存するところ,そこに必ず宗教がある。そしてこのように人 間存在のあらゆる局面を通じて,終始一貫して『コーラン』に表れ ている神の意志を実現していくこと,それがイスラームの見る宗教 生活なのであります。 何といっても,すべてのイスラーム教徒が神の啓示に基いた一つの 信仰共同体に属しているのだという強烈な連帯意識であります。 いったん異端を宣告されたが最後,その人,あるいはそのグループ は完全にイスラーム共同体から締め出されてしまう。(…)「イス ラームの敵」になったものの刑は死刑,全財産没収。個人の場合は もちろんそのまま死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人 々が刑場に消えていったか,数えきれません。 神と人との人格関係は,あくまで主人と奴隷との関係なのでありま す。人間を神の奴隷ないしは奴僕とする,このイスラーム的考え方 はイスラームという宗教の性格を理解する上で決定的重要性をもつ ものでありまして(以下,略) イスラームという言葉自身,アラビア語としては,すでに語源的に 自己委託,引き渡し,一切を相手に任せること,という意味なので あります。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何も のでもありえないのです。 自分自身の意志や意欲をあますところなく放棄して,すべてを神の 心に任せきり,神にどう扱われようとも,敢て己れの好悪は問わぬ, 絶対無条件的な神への依嘱,依存の態度をいつでもどこでも堅持し て放さない人のことです。 イスラームの神アッラーの顕著な特徴としてぜひあげておきたいの は,この神のもつ絶大な力,全能性ということであります。(…) 神は絶対有力,人間は絶対無力。(…)アッラーは全能であるとい うことです。神は全能,すべてはその意のまま。神の全能というこ とは『コーラン』の始めから終わりまで,全体を通じて流れている もっとも根本的なテーマであります。 一見,人間の目に悪と見えることも,もっと大きな神の見地からす れば,実は善である。つまり,神の行為はすべて根本的に善なので あって,このような意味で善だけをすることが神の義務であります。 何をするにせよ,常に来世の思いが人間の行動の最高の原理として 働かなければならない。人間がこの世ですることそれ自体としては, この世での行為ではありますが,この世の倫理は自己完結的ではな いのです。来世ではじめて完結するのであります。 『コーラン』では?は最大の悪徳の一つに数えられております。 現世がもし汚れているなら,汚れないものにしようと,現実の社会 が不義不正の社会であるならば,神の意志に従って正義の社会につ くり直していこうという積極的態度,建設的意欲が鬱勃として湧い てくるのであります。 現世をあるがままに肯定するのではなくて,それを神の意志の実現 の場として,『コーラン』の指示するところに従って,そこに理想 的な,あるいは少しでも理想に近い現実世界を建設していこうとす るのです。しかも,それを個人個人でやらないで,共同体としてや っていく。だから当然,強烈な政治への関心が出てまいります。と いうより,現世的生活を神の意志に従って正しく建設していく道と して,政治がすなわち宗教であるのです。 イスラームでは事物の本性が善悪を決めるのではない。人間の理性 が善悪を判断するのではない。神の意志で善悪が決まるのです。 (…)その全体が法という形で,つまり命令・禁止の体系として, いわば外から人間に課されるのです。 中近東にたいする日本のこの関心は,いまのところ大体において時 局追求的であって,中近東という巨大なイスラーム世界機構の活力 の源泉をなしている宗教イスラームまたは文化イスラームの根底を 探り,そしてそこからイスラーム世界の現実の動きを理解しようと する段階にはまだ至っていない。 中近東にたいする時局追求的興味を私も軽視するわけではない。し かし,過去何百年ものあいだ,広大な中近東における無数の人間の 生き方を根本的に色づけ,その社会的・個人的存在様式を規制して きたイスラームそのものを正しく理解することなくしては,そこで 生起する時局的事件や事態の理解すら,表面的で深みのないものに なってしまうのではなかろうかと考えるのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●[2]編集後記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 先日,娘に「ノーマルってどういう意味?」と聞かれました。 「普通とか正常って意味だよ。異常の反対」と答えましたが,それ では答えになりません。「普通」とか「正常」とか「異常」の意味 が,小二の子どもにはわからないからです。それで,「普通って何 だろうねぇ。正常って何だろうねぇ」という話になるわけですが, そもそも「普通」とか「正常」という言葉に自分自身が疑問を持っ ているから,娘にも,「例えば,指が四本の人がいたとして,それ は正常だろうか異常だろうか」と思わず問いかけてしまうわけです。 「四本は普通じゃない」と言うので,「でも,それは,五本の人が 多いというだけだよね。別に四本でいけないということはないのに, 普通とか正常という言葉があるがために,四本の人が異常扱いされ る。それってどうなんだろう」みたいな返答をしました。 しばし「うーん」と考えていた娘。そして,おもむろに「確かに, ノーマルって言葉は嫌だよね。だって,『ノー』と『まる』しかな いもんねぇ」としみじみ言ったのです。 思わず唸りました。 「No」か「丸(Yes)」かの線引きをして排除の構造を生み出して しまう「ノーマル」という言葉の持つ問題点を,見事に突いていた からです。 子どもの言語感覚って面白いですねぇ。

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    投稿日: 2015.02.04
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    日本国内ではメディアのフィルタを通して偏った印象を持ちがちであるイスラム文化について理解する必要性を感じ今回紐解く。 イスラムの全てはコーランにあり、それが、同時に政治であり、倫理感であると同時にそれが神との契約である云々・・・。 昨今良く耳にするスンニ派、シーア派等というのは、ただその歴史的なコーランの解釈の違いによる発生してきた派閥であること云々・・・。 日本人のイメージする宗教とは恐らく全く概念が別物なのではないだろうかと考えさせられる。より深く掘り下げて理解するためには、ギリシャ神話まで遡って、ユダヤ経、キリスト経の歴史的背景を膨大な文献を理解しなければならないだろうと自信をなくした次第。

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    投稿日: 2015.01.28
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    イスラム教の創始者、ムハンマドは、 修行者というよりも、商人であった。 コーランには、商売の例えが多い。 ムハンマドは、自分が神聖視されるのを極度に嫌ったといわれる。 アッラーとは、ユダヤ教、キリスト教とも共通する、「唯一の神」。 キリスト教では、キリストを神の独り子とする三位一体の神が言われるが、 イスラームでは、 神(アッラー)は、人間とは絶対的に隔絶されており、 イスラームとは「絶対服従」を意味する、主人と奴隷のような関係。 また、 キリスト教においては、教会と世俗は分離されるが、 イスラームにおいては、政治も生活も全て宗教であり、一体である。 イスラームにも、 言葉で表される教え、すなわち顕教と、 神との合一、神秘主義的な、密教的な要素があり、 後者はウラファーと呼ばれ、 存在の奥にある神秘、ハキーカを求めた。 しかし、正当なイスラームからは異端とされ、弾圧された歴史がある。 コーランには無限の解釈が可能。

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    投稿日: 2015.01.22
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    ずっと読みたい本に登録してて、やっと借りたらイスラムが一気にニュースを騒がしてえらくタイムリーになりました。 神を信じないものは、理解の範疇を超えるとすると、日本大丈夫か?とも思ったら、ちょうど今日の人質事件。 なぜ、神を信じる人がこんな行動を犯すのか。、 この本にはまだ解がないのでもう少し他の本を読み進めてみよう。

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    投稿日: 2015.01.20
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    Wed, 02 Sep 2009 「イスラムってよくわかんないよね!?」 世界で2番目に信者が多いといわれるのに 日本ではマイナーな宗教、イスラム教。 日本は歴史的に、仏教・儒教が強い中国、韓国の影響をうけつづけてきて、そのあとオランダ、ポルトガル、アメリカ、イギリスなどから、キリスト教の影響を受けた。 結局、アラビア世界、ペルシャ世界のイスラム教との接点を歴史的に持ってこなかった。 しかし、ここにきて、中東派兵、イラク問題、アフガニスタン問題と、日米同盟や石油確保に絡んで様々な接点が生じている。 いろいろテロもおきるが、他人の国へお節介を続けるアメリカや西欧諸国に キリスト教vsイスラム教の十字軍再来を感じる人は多いはず。 この本は、もう10年以上前にかかれた本なんですけど、 イスラム教の本質をパッと読んで知りたい人にはいい。 まず、教祖ムハンマドがどんな人だったのか。 そして、コーランとはなにが書いてあるものなのか? イスラム教の神様とキリスト教の神様が実は同一の存在であるっていうことは、結構有名だけど、 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教っていうのは 変な言い方するとドラクエ1、2、3みたいなもんですね。 仏教や日本神道とかとは、別次元の類似性をもっているのだ。 というわけで、イスラム教徒に 「世界三大宗教は キリスト教、イスラム教、仏教だ」 といってもピンとこないらしい。 仏教はぜんぜん質的に別もんですね。 本書で知って、ふーん て思ったこと。 最近よくきく、イスラム教のスンニ派とシーア派がどうちがうのかがよくわかった。 かなり、違う。 ちなみに 大きく分けてアラビア世界のマジョリティがスンニ派でイラン(ペルシャ文化)がシーア派なのだそうだ。 アラビア人とペルシャ人では民族性が全然違って、 それ故に、イスラム教がそれぞれに対応して、大きく変わったんだとさ。 あと、イスラム教とキリスト教の違いがよくわかりました。 なぜ、キリスト教文化の方が「華美」なイメージがあるのか?そして、イスラムの国では政教分離がなされないのか? その鍵はイスラム教そのもののもつ「聖俗非分離」の教えがあるのだという。 だから、神父様、牧師様みたいな存在もいないんだとか。 もともと聖と俗は一体なのだから、 俗の一部の政治が、教から分離するのはナンセンスなわけだ。 とはいえ、政治と宗教の権力が同一になれば、どうしても権力の集中が起きて、専制的になりがちになる。 大きな崩壊を起こさない為には、ある程度の分離は必要になるんだろう。 これから中東のニュース聞くときは、ちょっとは スンニ派、シーア派を識別できそうです。

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    投稿日: 2015.01.01
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    20141209 なれない言葉が多かったのであまり頭に入ってこなかった。共同体であるウンマがどうやってできたのか。

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    投稿日: 2014.12.13
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    古い本ではあるが、これからイスラム教・イスラム文化に ついて学ぼうとする人が最初に読むのに適した本は、この 本を置いて他に無いのではないかと思うくらいの良書。 「世俗の形成」でイスラムに触れていたので、これを機に しばらくイスラム教、特にその哲学的側面に焦点を当てて 読み進めていこうと思っている。

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    投稿日: 2014.11.03
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    混迷極まるパレスチナ、シリア、イラク情勢を伝えるニュースを毎日のように見て胸が痛み、おもわず手に取ってみた。入門書として著名な本のようで、もう30刷をこえているようだ。 斜め読みなのであまり頭にはいらなかった。また書き直す。 聖と俗が別れておらず、日常生活までイスラームの教えが浸透している、というところが印象にのこった。

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    投稿日: 2014.08.09
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    イスラームの根底に流れるものは何かを問う一冊。講演形式で読みやすいが極めて意義深く、これまでの常識やイスラームの見方が覆され知的刺激にあふれている。

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    投稿日: 2014.06.02
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    イスラム教を通して説明されたイスラム文化。余計なことが書いていなくて分かりやすい。スンニ(顕教)とシーア(密教)の説明になるほど!と膝を打った。

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    投稿日: 2014.04.19
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    「碩学+岩波文庫=難解」という勝手なイメージから身構えて読み始めたが、新書以上の平明な文章にまず驚き、続いてその明晰さに驚いた。 例えば、宗教が生活全般に及んでいることを説明するために、著者はまず、イスラム教(スンニ派)には聖俗の区別がないという思考の補助線を引く。これによって複雑に入り組んだイスラム文化を明晰に説明することに成功している。こうした補助線の引き方が抜群に上手い。 著者は、イスラム文化は西欧文化とは異なる原理から成り立っていることを、手を替え品を替え繰り返し説明している。これを読むと、いわゆるアラブの春(民主化)がうまくいかなかった理由もよく分かる。あのとき先進諸国はアラブの春を東欧革命になぞらえて絶賛していたが、あれも結局イスラムに対する無理解から生じたものなのだろう。 イスラム文化を知るための手がかりとしてお勧めできる一冊。

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    投稿日: 2014.02.14
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    イスラム文化、言葉は広く浸透しているが、実態は掴めていない。ただ、これからフラット化する世界で、宗教、イスラムというレイヤーは外せない。そういった意味で本著書は参考になった。

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    投稿日: 2014.01.08
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    イスラム教研究の第一人者の講演をまとめた本。 シーア派は内面を重視する教派だということや、 啓典の民は人頭税を払えば改宗せずに済んだが、 改宗されてしまうと税金を払ってもらえなくなるので、 むしろ改宗して欲しくなかった等の事情も分かり、 私のようなイスラム教を全く知らない人間でも イスラム教をわかったような気になれる。 佐藤優はキリスト教をいいかげんな宗教と評したが、 イスラム教は神と人間を区別したきっちりした宗教なのだな。

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    投稿日: 2013.11.17
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    前期コーラン・後期コーランそれぞれから アラブ的イスラムとペルシア的イスラムが分流しているのが良く分かった。 日本にいると同じイスラムでしょと思うが、 経典は同じで実質の別宗教のような印象を受ける。 特にスーフィズムなどは。 スンニ派にとってはイスラム法という聖俗を廃した厳格な規律がよく帝国を支え、 共同体形成のニーズに対して上手に応えてきたのであろうことを推測できる。 また、それが当時と異なる現在の国際情勢と摩擦を引き起こす一端となっていることも推測できる。 またシーア派にとっては現世が神の国でない以上、 より現世においては極端な思想と行動を促しやすいことも推測できる。 イスラムへの理解が深まる講演内容だった。

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    投稿日: 2013.10.29
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    タイトルの通り、イスラーム文化の根底にあるものを解説した本で、イスラームの入門書として非常に良著です。2012年末に34刷まで行っているのも頷けます。 イスラーム文化とは、著者の言葉を引用すると次のとおりです。 『第一にシャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム、第二に、イマームによって解釈され、イマームによって体現された形でのハキーカに基くシーア的イスラーム、そして第三に、ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム、(略)。  (略)このような相対立する三つのエネルギーのあいだに醸し出される内的緊張を含んだダイナミックで多層的な文化、それがイスラーム文化なのだ、(略)。』

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    投稿日: 2013.06.01
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    再読。一般の聴衆相手の講演をまとめたイスラム文化を理解するにおいて最良の入門書。イスラム文化は砂漠の文化として簡単に類型化できるものでなくヘレニズム的異文化の網の目の中で生まれた国際的文化を起源とし、コーランもまた商業専門語の表現に満ちている。神との関係はキリスト的父子関係を否定し主従関係的であるが、そもそもイスラムという言葉自体が「絶対帰依」の意味を持つが為。因果律を認めず、時間に対する非連続的存在感は興味深い。封印された聖典解釈の扉を開くことで、イスラムのルネサンスは果たされるとの指摘は現実となるか。

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    投稿日: 2013.05.23
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    イスラームの根源的なところを知ることができる。同じイスラームのなかにある、スンニ派、シーア派そしてスーフィズムの対極的な思想がどのように成立し、今に至るのかということを理解することに一助してくれる。また、現在のアラブの抱える問題を理解するうえでも、重要な書物であると思う。

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    投稿日: 2013.04.11
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    イスラム学の泰斗井筒俊彦が石坂記念財団で三回に渡り行ったイスラム文化に関する講演をまとめたもの。イスラムとは、シーア派とスンニ派、スーフィズムetc,恐ろしく深く、そして恐ろしくわかりやすい。

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    投稿日: 2013.03.19
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    読みやすかった。 土地の色ってのは、簡単に変わらないものなのかね。 外からでないと、その色は見えづらいのかもしれない。 ここ100年で、日本の色は変わったのだろうと思えるけど、どうなのだろう?と余計なことを考えました。

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    投稿日: 2013.02.24
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    イスラムについてほとんど無知な当方にとっては良い入門書という感じ。 あらゆる事象がコーランから導かれるのであって、例えば政教分離などあり得ないということが簡潔かつ論理的に説明されている。 確かにここには一つの帰着があり、ヨーロッパ的思考とは相容れない。 でも古今東西、やっぱり行きつくところは経済というか懐。 究極のところこの点を巡り、完全に現在社会を牛耳る資本主義との間で激しい摩擦が起きるのは自明の理ということがよく分かりますな。

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    投稿日: 2013.01.20
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    イスラームに詳しい学者さんが財界からの依頼で公演した内容を、活字にした本。 イスラームについて何も知らなかったので、とても勉強になった。 エキスを抽出して書き出したような本なので、一番初めに読むにはちょうどいいと思う。 異文化を知るのはとても面白いが、本を読んだだけでは少し想像ができるようになるのみだ。 人々は本気で神を信じているのか、信じていることにしているだけなのか、それは一部の敬虔な教徒だけなのか、それとも広く一般的なことなのか、本当のところが分からない。 宗教に熱心になることがまず理解出来ないので、私には難しい…。

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    投稿日: 2012.09.28
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    イスラム教の宗派に対する印象が変わった。スンニ派は宗教法が宗教そのものであるとみなし、宗教的繋がりを持つ共同体によって現世をよくしようと考えること、シーア派はコーランの裏に内面的意味があるとして、それを解釈するイマームを神的人間ととらえること。ただ、多数派と少数派と簡単に分けられてしまう両派の感覚的な違いもよくわかった。

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    投稿日: 2012.07.30
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    これだけ簡潔にイスラーム文化についてまとめられている本が読めるとは。読後も各章のの内容についてさらに詳しく知りたくなる素敵な入門書

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    投稿日: 2012.05.17
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    おぼろげながらも全体像が見えてくることで、無関心(いや、無知か)が興味へと劇的に変換される。理解しやすいだけでなく抜群に面白いのが本書のすごいところ。

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    投稿日: 2012.03.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    イスラム教は、神への畏れ、ではなく、文字通り神への怖れを抱いているのか。この辺の感覚は、最後の審判になじみのうすい日本人にはわかりにくいよなぁ。

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    投稿日: 2012.03.08
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    まさに副題のとおり。イスラームの世界観が端的に述べられてわかりやすい。特にスンニー派、シーア派、スーフィズムそれぞれの、根源的な価値観、世界観の違いを知ることが出来たのが収穫でした。

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    投稿日: 2012.01.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

     イスラーム、ムスリム、日本人の身近にはまず存在しない。しかし、イスラームをニュースで見ない日はまずない。西アジアから中東、北アフリカだけでなく、東南アジアにも広がり、さらにはヨーロッパとアメリカにも多くのムスリムが住んでいる。しかし、日本でのイスラームへの注目度は、驚くほど低い。どれだけの人がイスラム教を、ムスリムを、そしてアラブを知っているだろうか?  個人的にムスリムを知ったのが、9.11だった。当時中学生の自分には、その直後のテレビ報道が、ムスリムはアメリカの、ひいては日本の敵であるかのように見えた。そして、それを疑問に思ったものだった。当時は、何故知らない人々を嫌えるのか?と思った。そして、知らないからこそ嫌う事が出来るのだと納得していた。いや、させていた。  その疑問を再燃させたのは、フランス語の勉強を始めた事だった。フランスだけではないが、ヨーロッパでムスリムが問題になっている。アメリカが敵視する原理主義者だけでなく、一般のムスリムもここまで問題になっているのか、と気になった。そんな中、ずっと機会を失していたものの、ついにこの本を読んだ。  この本は、日本のイスラーム研究の大家、井筒俊彦による、一般向けのイスラーム文化についての講演集である。イスラームを3回の講演で説明するため、「宗教」、「法と倫理」、「内面への道」という区分で俯瞰することで、「イスラームとは何か?」という問いに答えている。  そもそもイスラームと呼ばれる宗教とは何だろうか?イスラームは、唯一の聖典『コーラン』を基に、またベドウィンの文化を背景に、アラブ人の生活を吸収して作り上げられた社会である。無論、ユダヤ教やキリスト教だけでなく、ゾロアスター教や大乗仏教の影響を受けながら発展していった。  イスラム文化は、『コーラン』を唯一の聖典としている。すなわち、『コーラン』こそが全てのイスラム文化の基礎である(最も、ハディースと呼ばれる文書が、第2の聖典として機能してはいるが)。そして、その『コーラン』の解釈こそがイスラームの本質である。ハディースは、神からの言葉を預かる預言者ムハンマドの行動、言動集である。「神からの言葉を預かっている」ムハンマドの言動、行動を書いているため、事実上、もう一つの聖典として扱われている。つまり、   本物、偽物とりまぜて何万という数の「ハディース」が『コーラン』の周り   を十重二十重に取り囲みまして、まんなかにある『コーラン』はそのプリ   ズムを通じて集種類類の意味に分裂して解釈されます。(pp.34-5) であり、「『コーラン』をもとにして、それの解釈学的展開として出来上がった文化である」。(P.37)  他の宗教ももちろん、同じように聖典(もしくはそれに該当する物)を持って展開している。しかし、他のそれらとイスラームは大きく異なっている。それは、『コーラン』が聖・俗の区分を認めないからである。そして、それに従い、日常の生活全てが宗教(行為)だからである。  もっとも、以上の性質により、解釈の仕方によってはイスラームが大いに分化する危険がある。現代のアラブ世界内での対立も、これが大きな原因である。アラブ社会は、そんな異端児を「追放」することで秩序を保ってきた。無論、場合によっては殺害もあった。  したがって、イスラームは他の宗教とは異なり、『コーラン』とそれによる連帯感によって根底ではつながっているが、多様に分かれた文化を内包する文化なのである。またアッラーへの信仰のみが唯一必要とされることとなり、異教徒(といっても一神教の限られた異教のみ)にも開かれた宗教となった。  上で述べたように、イスラームは『コーラン』によって規定されている。しかしコーランは日常の細かい規則を一つ一つ記載しているわけではない。では、どのように日常のルールが定められているのか、定められたのか。  『コーラン』は、神との『契約』という形で信仰を要求している。しかし、絶対的な善である神と、人間との間の契約である。したがって、初期のイスラームは、絶対なる神の圧倒さがベースになっていた。すなわち、終末の日に全てを裁く神という恐怖・畏怖が、信者の中にあった。一方で、イスラームが広まるにつれ、信者は、信者が増える事で神と同等に神格化された「ムハンマド」を通じて神と『契約』する。それにより、信者同士は平等であるという、「預言者を中心とする人と人との同胞的結びつき」(P.112)が生まれた。そして、その集団下で制度がつくられ、イスラームが彼らのルールとなった。  現世を正しく生き、理想的な姿を構成するために現世を構築する。そのために、『コーラン』、ムハンマドの言動をベースにして、 (1)絶対善 (2)相対善 (3)善悪無記 (4)相対悪 (5)絶対悪 が定められた。したがって、イスラーム法は、神の言動による「命令と禁止の体系」(P.148)となっている。  さて、以上のようにイスラームは、宗教、法を構成し、イスラーム社会を成立させたが、『コーラン』とハディースの解釈によって、イスラーム社会を固定化させてしまった。この構成は、神の言葉をベースに、制度など「外面的」に社会を構築し、個々の人間の活動を作ってきた。しかし、神の言葉に対して、個人がどう信仰し行動するのか、という「内面的」にイスラームを構成する方法もありうる。これが「内面の道」と井筒が呼ぶものである。この考えを持つものは、何事にも、隠された不可視のリアリティがあると考える。そして、『コーラン』、つまり神の言葉自身にも、そこに書かれている言語とは別に指し示しす何かが『コーラン』にはあると考える。そして、シャリーア(先程書いたイスラームの体系・制度)を支える一連の不可視のリアリティである、ハキーカを重視する。つまり、『コーラン』からできたイスラーム体系を守るだけでは不十分である。それらを支える「ハキーカ」を探求する事がなければ、イスラームを信仰する事ではない、と彼らは考える。  このシャリーアとハキーカの分離は、神という絶対的聖により構成された一元的な従来のイスラームと対立する。  おおざっぱに分ければ、前者がスンニ派のほとんどの宗派であるのに対し、後者がシーア派である。シーア派の主流のある一つの宗派では、イマームという最高権威者がいる。彼はハキーカを体認した人である。そして、預言者そのものの内面であるとしている。したがって、大きな力を持つのである。他には、スーフィ、つまりイスラム神秘主義者が後者にはある。  最初にも、最後にも書いてあり、個人的にも思っていた事だが、「日本(人)から見たイスラーム」を私たちは構成しなければならないと思う。英国やフランス、アメリカといったキリスト教や旧宗主国を背負った視点からでなく、日本独自のイスラームを作らなければならない。そのためには、僕たち個人個人が、更にイスラームを学ばなければならないと思う。。

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    投稿日: 2012.01.06
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    あまりにも馴染みがなく、理解の手がかりをどこに得るべきかすらわからない、イスラムの文化や考え方。だが、井筒の講演録をベースとしたこの本は、ビジネスパーソンを聴衆として内容が選択され練られたものだけに、とてもわかりやすい。 アッラーは、哲学的、抽象的な「神」だと思い込んでいた。しかし、井筒によれば、人間と絶対超越ではあるが「生ける神、生きた人格神」であるとのこと。

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    投稿日: 2011.11.26
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    「外面への道」を辿ったスンニー派と、一方「内面への道」を選んだシーア派、スーフィー派。それぞれの異なる点と相似点、そして両者の緊迫した関係から生まれるイスラーム教の奥深きダイナミズム。無宗教の日本人にはわからない人生観がそこには在り、生きるという事が宗教と共に在る事という世界。イスラーム教とは何なのか。その周縁をなぞるのではなく、中心部からなぐりあげて教えてもらった感じ。 3回行われた講演を活字におろした本書は、まさにイスラーム教を知るための入門書と言える。 あざまっす

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    投稿日: 2011.09.06
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    これはかなり良質なるイスラーム文化入門書と言える。面倒くさいあれこれを省き、イスラーム文化とはなにかというある意味抽象的性質を抉り出そうとしており、それを平明なる文字でかつこの分量で為しえているあたりには感服する。本著の内容としては、イスラームとは何か?といったところから始まり、宗教的な性質、更にはムハンマドのメッカ期(神と人間との縦関係)とメディナ期(ムスリム同士の横関係)でのイスラームの性質の変化、更に現存する三大勢力のスンニ派、シーア派、スーフィズムの持つそれぞれの特徴を述べた後に、「どれが正しいのか?といった見方をするよりはこれらの対立衝突によって生じている文化こそがイスラームなのである」と結びを加えている。 具体的に内容を追っていくと、まずイスラーム教とは契約であり、砂漠的というよりは商人的な性質に譬えられている。そのため基本的には金銭的な取引をして、神との契約に譬えている。要するにイスラームでは金銭は悪しきものといった意識はかなり薄いといえこれは一つの特徴であろう。また、下地はユダヤ教であり、契約という観点からしてもこれらの両者は性格が近い。彼らはモーセやイエスを預言者として認めるが、しかし、イエスを神とは認めない。神は唯一絶対的な人格神であるとして、干渉すらできない存在と定める。基本的にはウラマー(=学者)がシャリーア(=イスラーム法)を作り上げてそれに従って生活する。シャリーアはコーラン(=聖典)やハディース(=ムハンマド言語禄)に従って制定される。彼らは隅々に渡る行動を規則によって規定されており、彼らは等しき存在となりうる。だがそれは人格性というよりは、むしろ神との契約においてである。基本的にこれはスンニ派的性格であり、スンニ派は世俗と聖域とを二分化することもせずして、コーランとハディースに記されていることを頼りに日々生活を営むとする(=政教一致)。それに対してシーア派はコーランの内側へと目を向ける。そこに形而上的な神性(=ハキーカ)が潜んでいる、と考えるのである。コーランやハディースを基にして、ハキーカを抽出しようとする試みがシーア派であるが、それが出来るのはあくまで一部のイマーム(内向的預言者≠外交的預言者=ムハンマド)の代理人(=ホメイニーなどがそれにあたる)である。シーア派は基本的に源流としてゾロアスター教があり究極的には一神教の姿勢を取っているものの、その前のレベルで聖俗などの二元論的な対立が見え隠れしている。最後にくるのがスーフィーであり、スーフィーも基本的にはシーア派と同じく内面的なものへと目を向けるが、シーア派がある種の集団であるのに対して、スーフィーは修行僧みたいなものなのだろう。彼らは徹底的な一元論へと自らの信仰を突き詰めるために、自我すら排そうとするのである。つまり神=自といった流れを目指すのである。そのために徹底的な自己否定を行い最終的にはグノーシス的な自己肯定へと至るというのが彼らの流派であり、シーア派よりもなお一歩突き進めており、神との契約とするイスラーム教の基礎概念すらも否定しかねないラディカルさがある。 基本的にはこのラインでイスラム教について語られている。ここで浮かび上がってくるイスラム教の性質は個人的には功利的な性格である。ムハンマドは自らのアラブのための宗教をつくるためにユダヤ教やキリスト教からその権威を借りて宗教を作り上げている。シーア派はムハンマドが自らが最後の預言者だと述べたことに対して、ムハンマドは最後の外向的預言者であったのであり、内向的預言者の存在を掲げることでスンニ派とは別の路をゆく。更にはとうとうスーフィーたちは神との契約すらひっくり返して自らが神へと至ろうとする。ここに見られる性格は非情に功利的であり、自らが、あるいは自らを頂とした集団が派遣を握ろうとする姿勢である。そのためには既存の宗教の言い分をもらうといった姿勢が見え隠れしているように思う。これが悪いとは言わないのだけれど、これを心底から信じられる感覚がやはり日本人としては理解できない。尊重はできても理解できない。異文化理解という言葉が安易に使われる昨今だが、決して実感を伴った理解などはできないだろう。しかし、尊重は出来る。安易に理解へと至ろうとする現在の潮流は危険なのではないかとして個人的には警鐘を鳴らしたい。また、こうして見るとイスラーム教という宗教は、ユダヤ教キリスト教グノーシス主義ゾロアスター教などのそれまでに存在していた宗教と有機的に結合して生じていることが見て取れ、決して突発的に生じた狂信的な宗教でないことは判然としている。本著を通して得られた最大の意義はそこにあるのかもしれない。 しかし、アナルハック=我こそは神というのが、アナルファックに見える……。

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    投稿日: 2011.06.21
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    イスラーム文化(その根底にあるもの)を読みました。この本はイスラーム文化と根底にあるものと題された3回の講義の記録を活字化したものです。日本ではイスラーム研究はあまりメジャーでは無いようです。ためしに国立国会図書館で3大宗教(キリスト教・仏教・イスラム教)の蔵書を調べてみたところ、以下のような結果でした。 仏教 24532冊 キリスト教 8378冊 イスラム教 146冊 http://iss.ndl.go.jp/  イスラムの蔵書数だけがずいぶん少ないという印象です。イスラームにおいては、キリスト教とイスラム教さらにユダヤ教はアブラハムの宗教という概念において、始まりを同じとする宗教です。ことさらイスラムの本がこれほど少ないのか非常に興味深く思います。  個人的には私には宗教は必要なく、自己規律において、謙虚で清貧であれば良いと思っておりますので、ことさらイスラムをあげる必要はないように思いますが、先日、イスラームにおける現世構造の考え方に非常に興味を持ったので読んでみました。解釈学的なアプローチから「人間内面への道」につながっており非常に興味深く読みました。時間があるときにイスラム関係の蔵書を探ってみたいと思います。

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    投稿日: 2011.04.30
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    イスラムの根底にある聖俗不分の思想。それが同じアブラハムの宗教であるキリスト教と対立する。生活即宗教であり、政治と宗教を分離してしない、現世を死後より卑下しない、といったムスリムの特徴となる。 宗教と政治を分離するという西洋近代システムを受け入れることは即宗教の否定となるので、非常な困難が付き纏う。9世紀にイスラム律法シャーリアの解釈の自由が禁止されたこと。 徹底した偶像崇拝の否定。多元論は存在しない。神と人間の一直線の契約。 原罪意識はない。神の愛、慈悲だけが世界に普く遍在する。 イスラム教の出現はそれ以前の伝統的な血族的価値で結ばれた砂漠の宗教の否定であり、自身が商人であったアブラハムの、速度と変化に対応する、都市的な、部族を溶きほぐすような、ものであった。アラーとの契約だけが根拠である。そこにSLM共同体が出現する。内面的実存主義的マッカ期から共同体的メディナ期へ。 共同体的なスンニー派イスラムに対して、イランのゾロアスター的二元論からくるシーア派と、神との内面的一体化を志向するスーフィズムがある。 アラブ人の非因果律な原子論的感覚の鋭敏さ、このあたりについてもう一度意識と本質を精読したい。

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    投稿日: 2010.06.28
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    大変わかりやすい入門書。 講演を活字化してあるため読みやすく、コーランからの引用もおもしろいため、もっと先を…と興味を持たせる内容となっている。 著者が述べるとおり、イスラーム文化圏が多層的であることと講演の時間的制約から、ここではイスラーム文化の底を成すものは何かという点(「宗教」「法と倫理」「内面への道」)に絞った内容になっている。各論(宗派等)を理解する前の日本人向けには大変良い内容だと思う。(ただし書かれたのは1981年)

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    投稿日: 2010.05.10
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    昔読んだ本で、イスラム教についての理解を深めることは出来たと思う。しかし、実際にイスラム教徒に会った時に本書の内容を思い出せるかどうかは別問題。

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    投稿日: 2010.05.05
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    (2006.10.25読了)(2000.10.27購入) 副題「その根柢にあるもの」 「コーラン(上)」、「コーランの世界」、「コーラン(中)」と読んできたので、「コーラン(下)」を読む前にもう一休みで、訳者の本「イスラーム文化」が積読の中に見つかったので読むことにしました。 この本は、1981年に行った三つの講演を活字にしたものということです。講演全体を通しての主題は「イスラーム文化の根底にあるもの」で、各回の講演のテーマは、第一回「宗教的根底」、第二回「法と倫理」、第三回「内面への道」です。 講演の記録ですので、読みやすくなっています。分かりやすいともいえます。コーランを読むだけではわからいことが色々書いてありますので、お勧めです。 ●イスラームは商売人の宗教(29頁) 商業取引における契約の重要性をはっきり意識して、何よりも相互の信義、誠、絶対に嘘をつかない、約束した事は必ずこれを守って履行するということを、何にも増して重んじる商人の道義を反映した宗教だったのであります。 ●言葉の解釈の自由性(42頁) 言葉の解釈というものには以外に大きな自由があるものでして、与えられた一つの語、あるいは文が、それを解釈する人の性向や、思想や、感情によって驚くほどいろいろな意味に解釈されます。時にはまるで正反対の意味にもなる。 神の言葉の解釈の仕方がもとで、イスラームは自分の死後、次第に四分五裂していくだろうと、預言者ムハンマド自身が信じておりました。 ●復活(136頁) 輪廻転生の場合のように、死んだ人の魂が幽冥界に生き続けていて、それが次々に全く別の肉体に宿るのではなくて、死に絶えていたその人のその同じ肉体が復活の日に生前の形に戻って、それにその魂が再び結合されて生き返る、つまり元の人が元のまま生き返るのですから、この世の生が重要になるのです。 ●聖俗不分(144頁) イスラームは「神の国」と「地の国」の分離は絶対に認めません。「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」というキリスト教的理念が全然通用しない世界なのです。勿論、人間が普通の日常生活を生きている以上、世俗世界は事実上存在しています。しかし、イスラームの立場から申しますと、これは世俗世界とは申しましても「聖なるもの」が底の底までしみ込んだ世俗世界でなければならない。 人間生活の全体が、毎日毎日の生活、その一瞬一瞬が、神の臨在の感覚で満たされなければならない。そういう生活様式に人生を作り上げていくことによって、人は神に真の意味で仕えることができるのだ。 ●善悪は神が決める(151頁) イスラームでは事物の本性が善悪を決めるのではない。人間の理性が善悪を判断するのではない。神の意思で善悪が決まるのです。例えば、人の持ち物を盗む。盗みということがそれ自体として本姓的に、あるいは理性的に、悪いことだから悪いというのではありません。神がそれを悪いと決定したから悪いのです。 ムハンマドが世にあるあいだは、どんな問題が起こっても、ムハンマドにお伺いを立てさえすれば、その答えが直ちに神の意思だったのであります。彼の死後は、神の意志の間接的表現として「ハディース」が非常に重要になってまいります。 ●イスラーム法(156頁) 「コーラン」と「ハディース」を基にイスラーム法が作られた。イスラーム法には、四つの学派があり、現在も存続している。イスラーム法では、宗教的儀礼の規則、民法、商法、刑法、食物や飲み物、衣服、挨拶の仕方、等、社会生活から家庭生活の細部に及んで詳細に規定されている。聖典解釈の自由は西暦9世紀中ごろに禁止されました。 このことが、近世におけるイスラーム文化の凋落の大きな原因の一つでした。 ☆井筒 俊彦の本(既読) 「イスラーム生誕」井筒俊彦著、中公文庫、1990.08.10 「コーラン(上)」井筒俊彦訳、岩波文庫、1957.11.25 「コーラン(中)」井筒俊彦訳、岩波文庫、1958.02.25 (「BOOK」データベースより)amazon イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か。―著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ、その実現としての法と倫理におよび、さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め、イスラーム文化の根元に迫ろうとする。世界的な権威による第一級の啓豪書。

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    投稿日: 2010.02.18
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    大変読みやすいイスラーム文化の入門書。 日本だとイスラームに無知な人が多く、 イスラームだというとテロだのなんだの物騒なイメージをしか 持っていない人も散見せられるが本当にそんな単純なものなら 世界三大宗教の一つにまでならない。 仏教、キリスト教と抑えたらまずこの一冊を手にとってイスラームの文化に触れてほしい。 基礎の基礎ではあるけれどイスラームの深淵がちょっとだけ見えてきます。 ここをとっかかりにして是非井筒俊彦さんの他の著作や 他のイスラーム関係の本に入っていけばきっと自分の世界が大きく広がるでしょう。 国際人としての最低限の教養としても理解しておきたいところ、 恥をかかないためにも外国へ出る前、外国人に接する前に読んでおきましょう。

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    投稿日: 2009.11.18
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    講義のレポートを書くために読んだ。 副題の通り、一からイスラームについて理解できる、最適の入門書である。 井筒氏の講演を収録したものだから、読みやすい。 イスラームでは政治=宗教である。さらに、イスラーム法が日常の細かいことまで規定しているために、ムスリムにとって、法を無視することは宗教的背信行為なのである。 その他、スンニ派とシーア派の対立の要因(すなわち、イスラームが抱える内的矛盾)についても解説されている。 教養として読むことを勧めます。

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    投稿日: 2009.11.01
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    これだけは、誰もが一度は読んだ方がいい、と強く勧められる一冊。 イスラームについて、何も知らない状態から入って、その根源的な部分にまで触れることができる。 もっとイスラームについて学びたくなる。 イスラム教徒の「すべては神が決めてくれる」的なあの楽観は何なのか。 スンニ派とシーア派はなぜあんなにも仲が悪いのか。 ようやく分かりました。 本来、小学校中学校で教えるべきは、こうした文化や歴史の話なのだろう。

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    投稿日: 2009.06.15
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    ------------------- 2回目読破。 何度読んでも分かりやすいが、シーア派のところとかはいろいろと名前を覚える必要がある。なんとなくイスラムと言うと、苛烈なイメージを持ちがちだけれども、宗教の血塗られた歴史というのは、おそらく、どんな宗教でも似たようなもんなんだろうな。もっと言えば、最近は殺し合いの責任を宗教ばかりに投げつけるのも、なんだかおかしいような気がしている。

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    投稿日: 2008.11.29
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    上辺だけでなく、文化の根源に迫る1冊でした。 コーランとハーディスについて、そしてイスラム教徒の中でのその解釈や 思想の違いについて、言葉は分かりやすくもそれなりに深いところまで書 かれています。

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    投稿日: 2008.01.12
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    イスラムに関する著書も多い井筒 俊彦氏が市民に対して3回イスラム文化的な、イスラムに共通してある考え方について講演した内容。 今後はイスラムが熱いと豪語するI垣君に刺激されて、手始めに読んでみました。 イラク戦争の泥沼化から脱却できない状況が続いていますが、イスラムの成り立ち、考え方などが非常に明快に書かれている。 イスラムは一言で言うならばコーランの解釈につきる。←ちょっと言いすぎかもしれない。 この解釈の違いから 正統派と呼ばれてるスンニー派とシーア派が分かれている。 コーランはアッラーによる命令と禁止から成り立つことから、イスラム社会では論理学の中でも命令法が非常に発達してるなど、イスラム社会の根底にある特徴などが少し見えました。 キリスト教、ユダヤ教と並ぶ一神教宗教を理解することはグローバル化が進む現代では大事ではないでしょうか。

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    投稿日: 2007.12.24
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    イスラム文化についての講演を、幾らか編集したもの。 したがって予備知識が無い人でも問題なく、順を追えば理解しやすい内容になっている。 ムスリムの宗教概念やどういう法的意識を持っているか、「スンニ」「シーア」の宗教的違い、という段階から理解する為の手引書としては最適。 日本のイスラム観は、井筒の認識を乗り越えていないばかりか、退潮しているきらいもあり、そういう意味では、いまだ「古典」ではない存在。

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    投稿日: 2007.04.21
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    世界的に有名な碩学によるイスラームの入門書。講演を起こしたものなので読みやすい。スーフィズムやシーア派の思想にも触れ、精神性の高い哲学を有する宗教としてのイスラームの一面を詳しく論じているので、イスラームに対し「戒律の厳しい砂漠的宗教」といったイメージしか持っていない人にぜひ読んで欲しい一冊。

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    投稿日: 2006.12.03