
総合評価
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powered by ブクログ挑発的なタイトルだが内容はいたって直接的に「民」、つまり市井に生きるぼくたちの味方となる論理を編んだ書と映る。なぜ英語ができなければならないのか、なぜ「グローバル人材」とやらがもてはやされるのかをネオリベラリズムとからめて解析し、一方で日本語をいま一度母語として虚心に学ぶことがどのようなメリットがあるのかをも射抜かんとする。さすがにいま読むとTPPなど古びたところはあるが、それでも著者が語ろうとする骨子はいまなお有効性を保っている。エリート層に媚びず、日本古来の伝統を守る「保守思想」の真髄を感じさせられる
0投稿日: 2025.01.31
powered by ブクログ刺激的ではあるが、その通り。 明治維新後とか、戦後のローマ字か云々ではなく、経済界あたりが主導で今この現代で言うとること。 新自由主義だかなんか知らんが、金儲けしか考えられない一部の人間が、より効率的に自分だけが儲けるためにはどうするかを考えて、英語やろうぜと言ってる界隈。 日本の中で英語喋るやつと、喋らんやつの分断が生まれるし、英語がラテン語化することで、最先端の知識思想が独占される。 グローバルに見れば、英語圏の奴らをトップにした、無批判な文化と経済の侵略が進むってことだ。 それでいいって言う奴らは、自分たちがその側にいて、一部のエリートと、自分たちの言うことが理解できるくらいの愚民が増えればそれで良しと言う発想。 本当、自分たちの利益のためには、邪魔のなものは何壊しても気にしない人たち。 ではないかもしれんが、そう言うことだよ。 日本は、日本語があるからこその日本で、日本語で高度な知識もなんもかんも学べるのだ。それが、幅広い文化の底上げになってる。大事なのは、文化や言葉の差異をつなぐ、翻訳と、土着化。日本はそこ、頑張ったんで今がある。 それを潰してまで、お商売されたい方々と、それに乗っかる、ばかな政治界隈。 もっとも、すでに日本は日本語をベースに高度な社会を築いているので、そんな方々の思惑通りに行くとは思えないけどね。 日本を壊したい、伝統を壊したい、文化を壊したい、それが進歩だとおっしゃる方々も馬鹿にはできないので、油断はできない。 こうした本が日本語で読めるのがまた、ありがたいではありませんか。 後半の、多様化を進めるあたりの提言には全く具体性もなくてあれだったが。
0投稿日: 2024.10.29
powered by ブクログ斬新な視点で面白かった。 聖書がラテン語のままだったら、知識人だけのものになってしまっかもしれないこと。 岡倉天心の「茶の本」など、あの時代に英語で書かれた本が多いのはなぜかということ。 GDPが高いドイツやフランスなども自国の言葉を大切にしている国であること。 高等教育を英語で行う韓国にノーベル賞受者が少ないことなど。 母語で学ぶことの重要性の根拠がたくさん挙げられています。 だからといって、英語を学ぶことが悪いわけではないとも説明しておられるので、バランスが取れた考えだと思いました。 巻末で言及されていたクリストファー・ラッシュが警告していた奇妙なエリート層の出現についての予告もほんとその通りだなと。 勉強になった一冊でした。
0投稿日: 2024.09.20
powered by ブクログ母語で思考して,しかも世界に関する概念も母語で理解できるというのが日本語の利点です。大阪公立大学で何年後かに英語公用化するという報道がありましたが,トンダ愚策ですね。維新は歴史を知らない(というか,維新幹部はグローバルなのだろうか?)。 ***** 英語化の行き着く先に、この国「誰も望まない未来」が待っている。英語化は、日本を壊すのである。(p.6) ヨーロッパ諸国は,ラテン語という「普遍」だと思われていた言語を,それぞれの母語に「翻訳」した。そして,知的な観念を「土着化」することを通じて,各国の言葉で運営される公共空間を作り出し,そこに多くの人々の力が結集され,近代化を成し遂げた。 明治日本の場合も,「普遍」的で「文明」的だと思われた英語など欧米の言葉を,日本語に徹底的に翻訳し,その概念を適切に位置付けていくことによって日本語自体を豊かにし,一般庶民であっても少し努力すれば,世界の先端の知識に触れられるような公共空間を形成した。これによって,多くの人が自己の能力を磨き,発揮し,参加することのできる近代的な国づくりが可能となり,非欧米社会ではじめて近代的国家を建設できたのだ。(pp.91-92)
0投稿日: 2024.02.18
powered by ブクログ英語化がいかに良くないかを理解するために、英語が標準言語になる前のラテン語の歴史などを振り返って論評されています。 客観的な分析により、否定的な意見展開がされており、納得度が高いです。
12投稿日: 2023.09.27
powered by ブクログ確かにグローバル化によって一定程度の英語力が求められていて、場合によっては英語ができないと話にならないケースもある。ただ日本では、英語ができる=仕事ができるみたいな風潮があるのは本質からズレていると本書を読んでいて思った。 改めて言語は単なる手段であって、以上の文脈において言語習得が目的化することは危険なので、「何のために言語学習するのか?」は常に明確化しておきたい。
1投稿日: 2021.05.19
powered by ブクログ母国語で高等教育を受けられ、高度なことを議論できるということは、非常に重要なことで、それを自ら捨て去るのは良くない。 ただし、嫌だと思っても、子供の将来を考えると、英語のできるできないで就ける職業も異なり、経済的な格差も生まれていくのだと思う。そうであれば、我が子だけには、と考えて英語教育に熱を上げる親が多いのも納得ができる。
0投稿日: 2020.07.25
powered by ブクログ英語を学ぶことは大切です。相手と対等に議論ができるのならばどんどん学ぶべきであると思います。 ただし、今この国において日本語ですら議論を戦えない輩が溢れかえっています。論破は議論ではありませんただのいじめです。 いかに母国語が大切かというのは世界が証明してる訳であり何故今さら日本は母国語を捨てるような教育をするのか理解に苦しみます。 クール・ジャパンなどちゃんちゃらおかしいという事がなぜ理解できないのだろう。日本を世界に発信したいのなら日本語で正々堂々とやるべきであり、この名のもとに公用語を英語とする英語特区が組み込まれているとなると何とも寂しい。 やらなければならない時はいずれ来る、だけど今ではないそう子供たちに教育ができる社会になってもらいたい。
0投稿日: 2019.11.20
powered by ブクログ水村美苗さんの『日本語が亡びる時』を参考図書の一つに挙げ、英語化がいかに危険なものであるかを説明する。 かつてラテン語が普遍語であった時、ヨーロッパ世界において庶民はそれに接することができず、知は特権階級の独占物であった。それを翻訳し、各地の土着語へ変換することで庶民も知に浴することが出来、新たなる思想も草莽の間から生まれるようになった。 現在の日本で進む英語教育の推進は、その逆へ行くことになる。せっかく明治時代の先人たちが西洋の知識を苦労して日本語に翻訳したのに、我々が英語化を進めてしまえばその翻訳語が無駄になってしまう。日本人が日本人らしく日本語でものを考えられるように過去の先人たちが努力してくれたからこそ、我々はわざわざ一度英語を頭の中で介在させることなく、抽象的な概念、高度な知識を即座に思考できるようになったのだから。 また、英語化を推し進めれば外国語が得意な人とそうでない人との間に分断が生まれ、それは政治的な連帯をも危うくする。更に、英語能力により職業の幅が狭まれば更に格差が拡大し、多様な人生の選択肢が失われることになる。 そこで著者が提案するのは、いたずらに英語化を進めるのではなく、先人たちが行った翻訳と土着化の技術を磨き、母語でも豊かな生活を送れるようにすることだという。また、その模範を非英語圏の人々にも示し、必要とあればそれを指南することだとする。
2投稿日: 2019.02.11
powered by ブクログ内容ですが はじめに――英語化は誰も望まない未来を連れてくる 第1章 日本を覆う「英語化」政策 第2章 グローバル化・英語化は歴史の必然なのか 第3章 「翻訳」と「土着化」がつくった近代日本 第4章 グローバル化・英語化は民主的なのか 第5章 英語偏重教育の黒幕、新自由主義者たちの思惑 第6章 英語化が破壊するに呑んの良さと強み 第7章 今後の日本の国づくりと世界秩序構想 おわりに――「エリートの反逆」の時代に でした。 納得できるお話が論理的にまとめられていました。 まず、ヨーロッパで歴史的にあった事実ですが、ラテン語が書く民族の言葉に土着化し、中世から近代へと時代が転換したこと。 それと一番重要なことは江戸から明治にかけての大変革期、先人が西洋文明・文化を見事日本社会に土着化・翻訳したことが近代日本・現代日本の隆盛につながっているということ。またもっとさかのぼれば、日本列島に入ってきた外来のことをうまく日本化してきたというすばらしい歴史的伝統があるのです。 それらを踏みにじる安易な英語化の裏に何があるのか、それは歴然としています。新自由主義者の魂胆なのです。 グローバル化・ボーダレス化・英語化・・・ マジック・ワードに騙されてはいけません(笑)。
1投稿日: 2019.01.02
powered by ブクログ英語はビジネスエリートを中心に大事であることを前提にするとして、別の次元で日本語が日本民族のベースであることをわかりやすく説明している。発展途上国ではない、明治から作り上げて来た日本の民族性を大切にすることの大事さを理解できる。
0投稿日: 2018.10.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本の公用語を英語やフランス語に変えるべきという意見は、明治期以降これまで幾度となく議論されたが、世論を得られず実現しなかった。しかし、新自由主義の考え方が一般的になった昨今は事情が異なる。新自由主義が一因となって進行する「グローバル化」は、「時代の流れ」という認識(歴史法則主義)のもと、各国の経済政策は、自国の状況に合わせた政策を打つ自由度を失い「拘束」される。結局、外国資本の比率が高くなった経済界の論理が絶対視されるのである。下(現場)からの反発があっても、意思決定のスピードが優先され、多様な意見に耳を傾ける民主的意思決定のプロセスが切り捨てられてしまう。 このような中で進められる英語の公用語化は、自由民主主義を破壊し、国民の知的成長の機会を奪い、結果的に国力が退化させるというのが、本書の批判の肝である。その主な理由は、次のとおりである。 ・民主主義の前提条件となる国民の連帯意識を奪う。 ・連帯意識がなくなると福祉政策が成り立たない。 ・日常の言葉(母語)で政治を論じることが大切。 ・言語の分断(英語能力の有無)が格差を生み出す。 ・職業選択の自由を奪う。 ・自分たちの潜在能力を発揮できるに至らない。 ・英語を身につけるための莫大な時間と労力。 土着語で学ぶことが社会全体の活性化を促した重要な前例として、宗教改革がある。贖宥状の販売に代表されるようなカトリックへの批判を強め、1517年にマルティン・ルターが、ヴィッテンベルク市の教会・城内に「95ヵ条の論題」を張り付けたことが始まりとされる。しかし、宗教改革では、聖書をラテン語から土着語に翻訳したことも重要だ。ルターはドイツ語に、ティンダルは英語に、オリヴェタン(カルヴァンの従兄弟)はフランス語に翻訳した。こうして、当時の「ラテン語という『国際語』『文化語』『学術語』『書物の言語』に対してひたすらコンプレックスを持ち続けていた人々」が、自分たちも、日頃使って暮らしているごく身近な言語を通して、最高度の道徳や知識に触れ、活動することができるという自信を獲得した。これが近代化への原動力になったのだ(pp.46-66)。 英語偏重の教育改革提案は、児童・生徒の将来の幸福や日本の長期的な安定や発展、日本の学術文化の興隆といった観点からではない。「新自由主義的」な経済の論理から発しているのである。しかし、英語偏重の教育改革は結局、世界の「英語支配の序列構造」の中で、日本が非常に不利な立場(搾取される植民地のような立場)に置かれるのは必至であるというのが、著者の主張である(p.218)。
1投稿日: 2018.01.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ぜひ読んでください!としかいえない気がします。 『このままではインド版アントニ・ガウディは永遠に生まれない。専門教育が英語でしか提供されない環境では、他人のコピーしか作り出せない』 『他方、英語を公用語の一つに加え、日本よりも英語が堪能な人々が数多くいるフィリピンなどのアジア諸国、あるいはケニアなどのアフリカ諸国は、さほどの経済力を備えていない』 『英語化が日本人の愚民化を招くと半ばわかっていながら、エリートたちは、日本の社会の英語化に躍起になっている。本書の批判は、英語が得意な人々へのものではなく、国民の知的成長の機会を奪い、国力を低下させようとする人々に向けたものである。』 そして、もっと日本語に接してやさしくなりたいとも思いました。 『海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。』
0投稿日: 2017.08.20
powered by ブクログ自分は幸いにも語学学習が苦ではなく、英語、フランス語、ロシア語、タイ語、朝鮮語の学習はほとんど趣味の領域である。だからこそ日本語にとりわけ強い拘りがある。小学校からの英語教育には断じて反対である。そんな時間があるのなら日本語の小説や詩でも自由に読ませた方がよっぽど有益だ。その意味で著者の主張には全面的に賛成である。 ただ自説の正当性を主張したいがために、極論を前提とした反論が目立つのが残念である。政府や経済界はバイリンガルの育成を目指しているのであって、日本人が日本語を話さない環境整備を志向しているのではない(と信じたい)。そう言う極端な前提が無自覚に置かれていると、せっかくの正論が途端に怪しげになってしまうから注意が必要である。 また、問題の本質も見誤っているように思える。近年英語教育への要請がとりわけ高まってきたのは、一部エリートの陰謀だけではなく、英語圏から流入する、或いは英語圏に日本から発信する情報量が、翻訳と土着化のキャパシティを超え始めているからである。 今後日本が採るべき政策は、ネイティブと同じレベルで外国語能力を発揮できる翻訳専門人材と、日本語しか理解できないけれども各界で世界的な業績を残せる専門家を分けて育成する事である。中途半端に英語が出来る人材を量産しても国力の増進には全く寄与しない。残念ながら外国語の習得能力には個人差が大きいのである。そこは棲み分けが必要だ。
0投稿日: 2017.02.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いわゆる地域語を超越した普遍語(ラテン語)の蔓延は社会の中世化、二極分化の加速という観点は首肯できるし、現代の英語をラテン語に準える点も同様。しかし、表音・表意文字の混在した日本語の読み書きの語としての長所は書かれない。機能面の長所を挙げないとただのイデオロギー論に堕しかねない。また旧軍じゃあるまいし、情報獲得ツールとしての英語の価値は無視できないはず。加え、大学教授が英語講義をできない問題、留学生の低レベル化を等閑視するのは自己保身のそしりを免れまい(気持ちは判るが、正面切って言うのはどうなんだろう)。
0投稿日: 2017.01.24
powered by ブクログ翻訳と土着化なくして、国の発展なし。英語公用語化反対論の書籍の中でも説得力が群を抜いている。新自由主義の主張(国の歴史や文化はどうでもいい)には加担したくないな。英語ができる人にはなりたいけど、妙な優越感に浸った排他的な人間にはなりたくない。
0投稿日: 2016.09.02
powered by ブクログ名著。 日本人が苦労して築き上げてきた母国語で高度な学問を学べる環境を放棄してはならない。 新自由主義者どもの悪だくみに触れている点も素晴らしい。
0投稿日: 2016.07.26
powered by ブクログ近年の英語化、グローバル化に抱いていた違和感の正体が少しわかった気がする。確かに単純労働や介護とか、アジアの人呼んで低賃金で働かせたり、何でもかんでも欧米に迎合するのは違うと思う。ナショナリストではないけど、農産物とか、もっと自国のものを消費するようにしたい。 <メモ> ・福沢の元でも学んだ自由民権運動家・馬場辰猪(たつい)が森有礼の「英語公用語化論」に対しての批判 1)英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間の浪費につながりかねない。学ぶことの多い若者の時間が無駄に費やされる。 2)英語を公用語化すれば、国の重要問題を論じることができるのが、一握りの特急階級に限られる。 3)社会を分断し、格差を固定化する。 4)国民の一体感が失われる(例:インド) ・国立大学文系学部の統廃合(国立大学改革プラン)、国家戦略特区構想(解雇規制緩和、外国人労働者の受け入れ)に見られる独断決定 ・新自由主義者が打ち出す政策の3つの柱 1)開放経済…貿易や投資、人の移動を国境などの垣根を低くして自由化すべき 2)規制緩和…政府による経済活動への規制は最小限に抑えるべき 3)小さな政府…政府は財政規律を守り、公営企業は民営化してスリム化せよ →各国政府は国際競争力をつけるという名目のために、自国の国民一般の声よりもグローバルな投資家や企業の声を重視して経済政策を推し進める(法人税の引き下げ、規制緩和や民営化、労働者の権利の削減、福祉や公共事業の削減) ・グローバル人材=外需を奪いに行ける人材 ・貧しい国の人々が先進国に移動し、先進国の人々が従事したがらない職種を担う労働者として働きやすい状況を作る ・フィリプソンが『言語帝国主義ー英語支配と英語教育』 で指摘している誤りの信条 →英語は英語で教えるのが最も良い →理想的な英語教師は母語話者である ・津田幸男『英語支配と言葉の平等ー英語が世界標準語でいいのか?』2006 →英語による文化支配、序列構造の形成 ・加藤周一「日本文化の雑種性」『加藤周一セレクション5-現代日本の文化と社会』所収 →日本文化は外来の知を受容し、それを既存の土着文化とミックスすることで作られてきた。 ・オルテガ『大衆の反逆』 →民主主義社会を破壊するのは文化や伝統とのつながりを自覚しない愚かな大衆 ・クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』 →グローバル化の進んだ現代社会では、民主主義社会の基盤を損なうのはエリート層
0投稿日: 2016.07.07
powered by ブクログ英会話や英語学習を否定するものではなく、官庁や大学の受験や業務・授業の英語化、さらにそれに備えた低学年からの英語化学習ラッシュ(英語学習ではない)に警鐘を鳴らす。それは日本人の知性・感性の発達に膨大な負担を与え、長い目で見れば、国際競争力の向上どころか平均的に劣化をもたらすというもの。企業経営者・為政者・教育者には必読の書だと思う。森政稔氏「迷走する民主主義」を読んで、なぜ今のエリートはこんな簡単なことに気づかないんだろうと思わされること多々。その理由はここにもw 巻末「おわりに」だけでも読んでみて! それにしても、金融危機の国にイチイチ救済条件に英語化を強要するなんて、IMFは胡散臭すぎ…
0投稿日: 2016.06.18
powered by ブクログ他言語を学ぶことはその国の文化を知ること。だからと言って自国の文化や言葉を失っては元も子もない。 「英語化」の前にまずは母語で深く思考すること。そして「政治や経済を論じることば」は、日常の言葉に「翻訳」されなければならないのではないかと痛切に思う。
0投稿日: 2016.06.01
powered by ブクログ英語偏重教育への警鐘をならす一冊。 英語を学びたい人が一生懸命学ぶのも、必要に迫られた人が英語を習得することも、よいことだと思います。 ただ上から「幼少期から英語を学べ」と押しつけてくるのは、この本の著者と同様違和感を覚えるし、疑問も覚えます。 せっかく日本には母国語で高等教育を受ける環境が整い、世界中のマニアックな本まで日本語に翻訳されて図書館や書店に並ぶという恵まれた状況があるのに、なぜそれを壊してしまうようなことを政府は進めたがるのでしょうか。 本で指摘されているように、それは「商売」のためなのでしょう。 しかし一部の人が利益を上げるために、子供にとって重要な「教育」を利用するというのはやめてほしいです。
0投稿日: 2016.03.26
powered by ブクログ扇情的な題名だけど、落ちつた語り口で、内容はしっかりしている。英語がすきで、人一倍勉強もしてきたけれど、それと、グローバル化するために社会を英語化するのはちょっと違うんじゃないのと思います。少子化の問題にせよ、英語の普及活動にせよ、それらが英米の国家戦略の一環であることを、推進派の政・官・財の人達は、認識しているのだろうか?
0投稿日: 2016.03.06
powered by ブクログ外国語教育政策が財界をはじめ、グローバリストの都合を最優先に作られているのは確かだろう。しかし本書の議論には誤謬や誤解、論理の飛躍があまりに多い。また引用されている文献についても、著者に都合のよいように解釈が歪められているところが散見される。誤った言語観・言語教育観を読者に植え付けかねないトンデモ本である。著者と出版社、また帯にコメントを寄せた識者の良心と見識を疑わざるを得ない。
0投稿日: 2016.01.25
powered by ブクログやや感情論に流されている感もあるが、著者の主張は納得できることも多い。 一冊選ぶなら「英語の害毒」のほうがおすすめ。
0投稿日: 2015.12.26
powered by ブクログ筆者の主張はよく理解した。日本がここまで発展してきた理由、日本人が英語を苦手とする理由、英語化が進むことで考えられうる事態、確かに、って思う。 でも、誰かは英語を勉強しなくちゃいけない。英語を使える日本人がゼロでは困る。 英語教育と日本文化への意識の荒廃は結びつかない。 愚民化は言い過ぎ。面白い本だけど少々極端。
0投稿日: 2015.12.17
powered by ブクログ今政府や財界が進めている社内や大学での英語化は口ではグローバル化を唱えてはいても、実際は世界史の流れに逆行するものであり、国民を一部のエリートと愚民に分割させるものだと言う。というのは、西洋ではかつてラテン語が支配者の言語であり、知識や文化はごく一部のエリートのものであった。ところが、宗教改革によって現地の言葉に聖書が訳され、現地の言葉によって多くの豊かなものが生み出されていった。これはグローバル化と逆の現象である。そこには翻訳があり、幕末から明治にかけて日本人が多くの近代語を生み出したことは、国民を二極に分けずにすみ、それゆえ日本が強くなっていったのだと言う。なによりも、創造性の源泉は、ノーベル賞を取った益川さんのように母語での思考が基礎になっている。第二言語である英語がいくらうまくなっても、そこから豊かな創造性を生み出すことは困難だ。ましてや、英語がうまくなればなるほど、英語母語話者の思考に近づき、日本人らしさが失われていく。著者は言語学者ではなく、政治学者で、それゆえ、より広い観点からグローバル化や英語使用に問題を提起している。ぼくは同僚の中国語の先生から薦められ読んだが、英語習得に励む学生にもぜひ読んでほしい本だ。
0投稿日: 2015.12.06
powered by ブクログ「あとがき」にも書かれているけれど、タイトルがキツすぎて、中身をうまく表現できていないのがとても残念な良書。 まるで反アメリカ思想のナショナリストが書いた本のようだが、内容は言語が政治・文化にどのような影響を与えるかについて論じた真面目な本。 タイトルにある「英語化」とは「日本の公用語が英語になる事態」を示す。 現時点ではそこまでいっていないが、英語を公用語とする企業の出現、スーパーグローバル大学という政策、小学校から英語教育などがすでに生じており、日本国内でありながら「英語を公用語として日本語を禁止する英語特区構想」などが実際に検討されていることなどが取り上げられている。 「英語化」とはそういった傾向を表していて、これについて大きな誤解は生じないだろう。 一方、「愚民化」とは何か。 この言葉がわかりにくい。素直に読むと「英語を使うやつはバカだ」という意味になってしまう。 「愚民化」について本書の主旨をまとめれば、「英語化が進めば、英語を使えない日本人は政治的・文化的・社会的に没落する」ということを指す。 どういうことか。 著者はこれをヨーロッパが中世から近代へと変化していった過程を用いて論じている。 中世ヨーロッパの公用語はラテン語であり、一部の特権階級しか用いることができなかった。 ラテン語を学ぶ余裕のない一般庶民は、政治・文化・学問からも切り離された。 この状況を打破した=近代化の要因となったのが、宗教改革であり、聖書の各国語への翻訳であったという。 翻訳により、生活の言葉で政治や文化を語れるようになったことが「特権階級を廃し、誰でも平等な社会」の基礎を作ったと著者は考える。 実際にフランス語で書かれたデカルトの『方法序説』以降、徐々に各国語で書かれた書物が生まれてきたという。 著者はさらに、明治の日本にもこれを当てはめる。 明治維新の際にも英語公用語化は検討されていたが、外国人の諫言もあり実行されることはなかった。夏目漱石や福沢諭吉も、英語公用語化には反対したという。 そのおかげで日本語は翻訳により、誰でも政治や文化や学問を語れる豊かな言語となった。 そういった歴史を無視してグローバル化を根拠にした「英語化」を進める人々が、言語を「単なるビジネスツール」とみなしている点を著者は批判している。 英語公用語化のいきつく先は、英語を使いこなせるエリート層とそうでない層との断絶であり、エリート層は英語を話せない日本人よりも英語が通じる商売相手との連帯感を重視する。その結果、「国家内の連帯感」は失われ、「国内の豊かな人から貧しい人へ所得を再分配する」という国家福祉のような制度は理念的にも実質的にも崩壊を迎えると警鐘を鳴らす。 つまり「英語化」は「中世化」であり、暗黒の時代に逆行するという政治・文化の歴史観を論じたのが本書だ。 著者は別に反米思想化でもグローバル化や英語学習を否定しているわけでもない。 「グローバル化=英語化(アメリカ化)」という短絡的な思想を批判し、「多様な文化」が保持され、「相互に学び合う」ことが望ましい世界であることを主張している。 本書について弱点があるとすれば、ITについて一切触れていないことだろう。 ITと英語は密接な関係にあるので、英語が使えないデメリットは、その他の言語を使えないデメリットよりも大きいとは言えると思う。
0投稿日: 2015.11.22
powered by ブクログ文科省がSGU(スーパーグローバル大学)を支援する制度を始めたらしい。ネットで検索すると一流と言われる大学や、そうでなくても国際化に力を入れている大学などが今後10年にわたり数十億円規模の補助金を受けて、グローバルな人材を輩出するためのカリキュラムを組む。 へえ〜、いい制度なんじゃないの? 学生の皆さん頑張ってね〜、と思っていたけど、どうも問題があるようだ。 そもそもが内需の拡大が期待できない日本の閉塞状況を打開するために、その活路を海外に求めるところから始まっているので、グローバルビジネスに必要な人材を育成するというのが主眼になっている。しかし、そんな政策はいろんな国で取っているから、世界と競争になる。そんな競争に勝つための人材を財界は欲している。即戦力と言うやつだ。そう考えたときに日本人にとってネックとなるのは英語力。だから英語力をつけて世界と互角に戦いましょう!というのが狙いのようだ。 そのためには英語に慣れることが第一。英語での交渉力をつけるには大学の講義もすべて英語でしてしまいましょう。そうすれば手っ取り早く語学力も交渉力もつくよね、と政府は言いたいらしい。しかも英語での講義が増えれば増えるほど良い大学との評価になるので、大学の全講義の50%くらいは国際化のために英語化(オールイングリッシュ)しましょうと言っている。 そんな狙いに著者は、待ったをかける。そんなことをしたら日本語を母国語としている日本人の良さが消されてしまうよ、だって言葉って文化の根幹じゃないか!と主張する。 なぜ成熟した母国語を持ちながら、これからその高度な活用によって様々な学問を吸収しなければいけない学生時代に、わざわざ英語の習得に限った勉強をしなければいけないのだ!と怒っている。 しかもどんなに頑張っても英語を母国語とする英米豪なんかにかなうわけないじゃん!なんで相手の土俵で相撲とるのさ!と戦略のまずさを指摘している。(自分なりの噛み砕いた表現なので、著者がこんな言葉を使っているわけではありません) なんか大人げない、と思う人もいるかもしれないが、本書を読めば納得しきり。例えば…と書きだすと途方もない分量になりそうなので書かないけど、確かに英語だけ出来る英語バカが増えるかもしれないと思う。(とか言う自分は英語すらできないただのバカ) ちゃんと断っておくと、著者は語学の習得に関して否を唱えているわけではない。母国語をないがしろにしてまでやろうとしているこのSGU支援制度を見直せと言っているに過ぎない。 とりあえず講義のずべてを英語化(オールイングリッシュ)にするとかはやめといたほうがいいと思う。
0投稿日: 2015.11.05
powered by ブクログ英語偏重教育の問題点を指摘してあり興味深く読むことができた。ただ個人としては、英語力をつけなくてはいけないということを強く思い、英語の勉強へのモチベーションが高まった。
0投稿日: 2015.10.15
powered by ブクログお客様からの薦めで読了。グローバル化、英語化は是非もなく時代の流れと漠然と受け止めていた自分にとって、気づきを与えてくれる良書だった。言語教育と民主主義との関係性等々、とても示唆に富んだ内容に満足。
0投稿日: 2015.08.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
英語化は愚民化 施光恒 母国語を捨て、外国語による近代化をはかった国で成功したものなどほとんどない。学問を英語で教えることにより、英語に時間をふんだんに割ける少数の特権階級だけが文化を独占することになってしまい、一般大衆と大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。 モルレーは教育とは全世代までの伝統の蓄積にたって行われるべきものであり、まったく新しい基礎の上で成り立つものではない。 教育政策で変えていいものと悪いものがあるが、教育で用いる言語はもっとも変えてはならぬものと述べている。 近代化のプロセスで不可欠だったのが翻訳である。普遍と目された多様な外来の知を翻訳という作業を通じて各社会の既存の言語や文化のなかに適切に位置付ける。つまり、土着化さる。この翻訳と土着化は、言語的翻訳だけではなく、外来事物を解釈し、自分たちになじみやすいように、変容させ、それぞれの言語や文化のなかに適切に 位置付けられる。 日本人が英語が下手なのは。日本が近代化に成功し、英語を用いなくても生きていけるからである。 日本が目指すべき世界秩序は、それぞれの母語で豊かな人生を送る事ができることだ。 創造性は母語で思考する事によって磨かれる。
0投稿日: 2015.08.07
powered by ブクログ中世ヨーロッパ 日常会話は地域の言葉 土着語 カトリックの儀式や礼拝はラテン語 大学の議論や言語もラテン語 中世では教育を受けるとはラテン語を学び使えるようになること 教養のある人はラテン語の読み書きができるということ ラテン語が庶民を知的世界から排除していた 土着後は日常の話し言葉でしかなく、抽象的で知的な事柄を表現できる語彙もなかった 宗教改革の中で、ラテン語の聖書を各地の土着語に翻訳するという運動が生じた ルターはドイツ語に、ティンダルは英語に、カルバンの従兄弟であるオリヴェタンはフランス語に 宗教改革者たちは、翻訳を通じて、それぞれの土着後に新しい語彙を作り、文法を整備し、正書法を提案していった デカルト 方法序説 土着語フランス語で書かれた最初の哲学書 森有礼の日本語廃止論 ホイットニーからの返答 まず母国語を豊かにせよ そして代わりに行われたのが、欧米諸国語からの翻訳を懸命に行い、新しい言葉や観念を土着化、つまり日本語のなかに適切に位置づけるという作業だった 高田宏 大槻文彦の伝記 「言葉の海へ」 一国の言葉は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる感覚を固結しせしむるものにて、すなわち、国語の一統は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり 改めて考えると、言語面から見た日本の近代化は、全勝で見たヨーロッパの近代化と極めて似ていることがわかるだろう 漱石は、学生の英語力低下は、「日本の教育が正当な順序で発達した結果」で「当然の事」だと断言している 重要なのは、われわれの知性が言語をつくったのではないとうことだ。言語が我々の知性を、いや知性だけでなく完成や世界観を、形作ってきたのだ。日本であれば、日本語が日本人の考え方や感じ方、日本社会のあり方にまで、影響を与えている 出光佐三 日本の道徳の特性 互譲互助 互いに譲り合い、助けあう 鈴木孝夫 日本語のもつタタミゼ効果 フランス語でフランス人が日本かぶれになる、日本びいきになる、日本人ぽく成るという意味 日本語が、日本語使用者にあたえる影響 日本語を学ぶと性格が穏和になる 人との接し方が柔らかくなる 日本語学習者 日本語を学ぶと、柔和になった、一方的な自己主張を控えるようになった、相手を立て、人の話を聞くようになった、自分の非を認め、謝ることができるようになったなどの性格の変容を経験しているそうだ 常識的に考えて、経済力のある国とは、「英語力のある国」ではなく、「自国の言葉をしっかり守り、発展させてきた国」といった方がいいだろう 大学の自然科学系の授業の英語化は、インドや韓国などの国々のほうがはるかに先行している。だが、これらの国の自然科学の研究水準は日本よりもかなり遅れているようだ。英語化すれば学問の水準が上がり、創造性や研究開発力が増すというのは幻想に過ぎない 高度な議論を行うための語彙を備えた国語である日本語が現地語へ退化 繰り返しになるが、母国語での思考こそ、創造性の源泉である 貿易依存度が低く国内に多様な産業をかかえ、日本語や日本の慣習のもので多くの職業に就ける日本は、人々に格差なく多様な人生の選択肢を提供していると言える。さまざまな人生の選択肢にアクセスしやすいということは現代日本の誇るべき点の一つだ 結局、日本が進めているグローバル化とは、アメリカのような国になりたいと強く望んで、その実、フィリピンやインドのような発展途上国に堕ちてしまうことだ 多元的秩序 積極的に学び合う、棲み分け型の多文化共生社会 そもそも人は、ある程度の豊かさと、多様な人生の選択肢や機会が自国内で得られれば、住み慣れた国を離れて、他国にそう簡単に移住を試みたりしない。実際、外国への移民が多いのはきまって貧しい国である むしろ日本がなすべきは、新興諸国の人々が、母国語で高等教育まで行えるように、そして母語で専門職を含むさまざまな職業に就けるように、翻訳と土着化の国づくりのノウハウを提供し、親身に支援することである エリートの反逆 グローバル化が本格的に進展すると、エリートたちがどんな振る舞いをするか批判的に書いた本 知人おフィリピン出身で日本に20年以上暮らす方 母国フィリピンの言語状況を次の様に説明し、身を切る用んな言葉で、近年の日本社会の英語化に警鈴を鳴らしている。英語化や英語の公用語化を実施しても、英語を高いレベルでこなせるようになるのは一部のエリートのみであって、しかもそのエリートが国民のことを考えるよりも、外国企業などの手先となってしまうことがあります。フィリピンはもっともグローバル化、つまりアメリカ化してきた国の一つです。日本で英語化を推進するにあたって、フィリピンがどうなってしまったを参考にしていただきたいと思います。
0投稿日: 2015.08.06
